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日英シンポジウム2001「住み手参加のまちづくり-
共に暮らすまちづくりのネットワークをめざすCAN の経験に学ぶ-(北九州)」

プレゼンテーション報告 ピーター・トムソン(北九州)
「CAN の国際活動」

ピーター・トムソン(北九州)

 このシンポジウムにお招きいただきまして、ありがとうございます。そして皆様とともに、お互いにとっ て問題となっている部分を話し合える場を持てて非常にうれしく思っています。
 すでに日本のいくつかの都市を訪ねる機会をいただいています。そして、そのときそのとき、その場その 場でイギリスと同様の問題があることを感じました。
 最初に、私がどんな背景、歴史を持っているか、そこからお話ししましょう。我々の文化においてどんな ことが起きたのか、たとえば私の人生、私の背景にどんなことが起きたのか、それをまず理解していただく ことからいろいろな交流が始まるような気がします。私は65歳ですが、私がどのような経験を経てこの場に いるのか、そのへんをお話ししましょう。
 CAN の活動を知りましたのはもう何年も前のことです。私はイギリスのオックスフォード大学に、1970年 代に留学生として行きました。当時オックスフォードには当然若い学生がたくさんいまして、宗教、政治を 学ぶ学生たちと学ぶ機会がありました。彼らこそが私たちの興味でもあったわけです。年齢はそうとう離れ ていました。彼らの多くは19歳、私は36歳でした。
 そんな年齢差はありましたが、宗教や政治について互いにいろいろと学びあい、そしてたくさんの問題に ついて共に語り合いました。
 宗教について言えば、人生の神聖さについてよく話し合いました。この神聖さというのは、まさに俗世間 にあるんだね、ということを話し合いました。こんな話をすることはとても楽しかったですし、そして宗教 についてもまったく違う考え方をする人たちがいるということを発見したことも面白かったです。
 また私たちは1970年代、特に前半はいろいろなイデオロギーが対立する時代でしたから、政治について話 し合うのもとても面白かったです。これらイデオロギーは、その当時ですら、私たち学生にとっても、どう もうまくいっていない、機能していない、ということがわかっていました。やはり人々をすべてまとめる、包 括的にカバーする社会にぜんぜんなっていないということを我々は認識していました。むしろイデオロギー があるがために、皆がバラバラに分離させられている。東と西に分けられているという状態にあり、それを 自分たちもわかっていたわけです。
 では他に何か方法があるのだろうか。民主主義とは本当は何を意味するのだろうか。こういったことも話 し合いました。自由、平等、友愛、友情、こういったことも話し合いましたけれども、ではそれって一体何 なのか。話すことは尽きませんでした。自由と平等というのは、結局は友情があって、それをベースにして こそ存在し得るのだということが我々の結論になりました。ですから私たちの学友、友だち意識、友情があっ てこそ、民主主義のルーツを理解することができるのだという共通の認識に至ったわけです。自由と平等、ま さにそれは友情をベースに存在するのだということを理解したわけです。もう30年近く前のことになります。
 その中にいた当時の学生が、今やイギリスの首相になっています。トニー・ブレア首相です。当時、宗教 についても非常に興味を持っていましたし、また彼は政治的ないろいろな考え方にも興味を持っていました。 宗教であれ、政治であれ、すべての人々は、人間関係を築いた上で共に生きていくものなのだということを 彼も理解していました。そしてその基礎にあるのが、お互いを信頼すること、あるいは友情だ、ということ を彼も思っていました。
 この友情は、私とブレア首相との間にもありまして、もともとは30年近く前に一緒に大学で学んだ仲間と して、そしてそれが今に至っているというわけです。もちろん首相は私よりもずっと頭がいい方ですから、あ の当時よりもさらに進歩して、またすばらしく高いところに行ってしまいましたけれども、それでも今だに 友だちとしておつきあいをしてくださっています。
 さて、ではこの友情の基盤になるのは何なのか、それは、いわゆる理論ではなくて実践、あるいは実行だ と思います。我々人間が日々築いている、あるいは持っている関係、特に誰かを包括しよう、排除するので はなくて仲間に入れていこうという考え方です。
さて、トニー・ブレアとも学友であった私ですが、5年ほど前にブレア首相が首相選に立候補なさった頃、 ちょうどオーストラリアにいた私にも連絡がありまして、手伝ってくれないかということだったのです。さ らにその当時、CANの創設者アンドリュー・モーソンからも連絡がありました。CANの活動も手伝ってくれ ないかと。私は即座に「もちろん手伝いましょう」と言いました。
 その後協力関係を保ちながら、イギリスだけでなくヨーロッパ、中東、そしてオーストラリアへと共に旅 して回り、そしてその地域ごとに行われているいろいろなプロジェクトについての見聞を深めました。
 そして日本にも同様に伺ったわけですが、日本でもすばらしいプロジェクトが行われているということを 知って非常にうれしく思いました。まさに地球規模でさまざまなプロジェクトが進行しているわけです。 目的はただ一つ。公共あるいは一般、大衆のためのプロジェクトを行っているということです。
 さて、社会事業の例としていくつかご紹介したいと思います。
 アイルランドでカトリックの牧師として30年働いていた人がいます。この人物、麻の紡績所を手に入れま した。その当時その地域には、プロテスタントとカトリックが住んでいて、ある道を隔ててお互いに対立し ていました。この牧師はカトリックとプロテスタントが住んでいる地区の真ん中にこの紡績所を建て、そし てその後20 年間に渡って友情を醸成する場として利用してきたわけです。今や、政府が建てた二つの建物を 彼は手に入れて、8千万ドルに相当する利益をあげるようにまでなっています。
 聖職者であるにもかかわらずです。本来なら聖職者なのにそんなことをしていいのかという意見もあった かもしれませんけれども、やはり彼は人のニーズを満たし、あくまでも地元の人々全員のためになることを したいという気持ちを持っていたわけです。そしてプロテスタントとカトリックとの間の信頼感の醸成に努 めたのです。これは一つの例でした。
 さて、CAN の創設者のアンドリュー・モーソンですが、彼とはポーランドに一緒に行きました。ポーラン ドにカピサロという人物がいました。この人物はイギリスの商業銀行で働いていました。そしてポーランド でも人々のために同様のものを作り上げたいと思ったわけです。ポーランドのワルシャワでその後マイクロ クレジットオフィスを作り上げました。そしてこの小さなクレジット銀行が、今や非常に大きな一大銀行と なっているわけです。このクレジット銀行というのは、少額の貸し出しを専門とする銀行ですが、これが今 や本当に大きな組織になっているわけです。
 先ほどアンドリューがアンリミテッドという銀行についてお話ししたと思いますが、これと似たようなも のです。たとえばミレニアムアワードや宝くじの管理もしています。1億ポンドにもわたる資金を扱っていま す。このカピサロは、もともとイギリスで働いていたポーランド人ですが、彼女は自分が学んだことをベー スに、今度は自分の国で同様の公共のためのプロジェクトを行ったわけです。
 さて、もう一つの例を申し上げましょう。アンドリューと私は私のふるさとであるオーストラリアにも行 き、いくつかの講義をしました。これらの訪問の結果、オーストラリアの人々も、何かCANのようなものを 自分たちも欲しいと思うようになったのです。今年の2月、オーストラリア版のCAN が第一回の会議を開催 しました。ソーシャル・アントレプレナー、つまり社会起業家、あるいはビジネス起業家といった方々をお 呼びしたのですが、150人くらい来ればいいだろうと思っていたところに、なんと500人もいらっしゃいまし た。これはいわゆるソーシャルセクターにおいても大きな変化をもたらすものになりました。また、いわゆ るソーシャルセクターのみならずビジネスセクターからの興味も大いに増大したわけです。こうしてオース トラリアでのソーシャル・アントレプレナーのネットワークができあがったわけです。言ってみればCAN オーストラリアとも言えるのですが、オーストラリア人は独立主義というか独自のものを作りたいというこ とで、別の組織でいこうと決めました。この組織の名前はソーシャル・アントレプレナー・ネットワーク、SEN と言います。
 つい数カ月前にも、メンバーを募るための別の会議を行いました。今ではおかげさまで300人以上の会員が 集まっています。それこそ会社のCEOや若い女性、あるいは地域でいろいろな分野でがんばっていらっしゃ る方々が会費を払ってメンバーとなってくださっています。オーストラリアの主要都市、各地に、いわばCAN センターのようなものが作られ、互いの問題点を話し合ったりしています。

ここで二つの物語をお話ししましょう。 オーストラリアでは大きな問題があります。いわゆる原住民の人たち、アボリジニの人たちの問題です。こ れはアボリジニの人たちの問題であるだけでなく私たちの問題でもあります。私たちはいわゆる和解のため の橋の構築に失敗してきたわけです。そして建国以来200年、アボリジニの人たちを土地の適切な所有者とし て認識することを怠ってきました。これは政治的な問題であるのみならず、私ども全員が、人類の一人とし て経験している問題です。つまり社会の中の参加というところから見ると、全員の問題になります。 アボリジニのリーダーの方が我々のところに来たり、あるいは去年はイギリス女王にも面談しています。 というのも、アボリジニの人たちというのは天然の社会起業家なのです。ここ1年、私どもはオーストラリ ア各地に行きましてアボリジニのコミュニティとも関わってきました。アボリジニのコミュニティは、実際 の問題を抱えています。特に男性がアルコール中毒の問題を抱えている人が多いのです。ということはその 家族、妻、子どもも食べていくことに困るということになるわけです。アボリジニの人たちは社会福祉のお 金をもらっているのですが、お金をもらうとすぐに家族の長である男性がアルコールを買いに行ってしまう。 そうすると食費として残るお金がないわけです。
そこでアボリジニのコミュニティの中で女性の一部が行動を起こそうと決めました。そしてフィッツロイ クロシングというオーストラリアの北西部で女性たちのグループができまして、この人たちが地元のお店を 買ったのです。お店を買うことができたので、それを元に、自分たちの子どもへの食料品を確保していきま した。そしてそのための資金も調達しました。そしてこれを駆動力にしてコミュニティの再生をしたわけで す。アルコール中毒という問題があったわけですが、これはそれぞれの部族の伝統的な問題であったわけで、 今までコミュニティの中にあった伝統的なつながりが壊れてしまったことによって出てきたわけです。つま り従来の長老に敬意を払うという伝統がなくなったためにこの問題が起きてきたわけですが、それに対する 取り組みが行われてきました。すでに5年間、この取り組みが行われていまして、コミュニティの中でお互い に助け合うという精神が生まれつつあります。
これはとてもすばらしい洞察であり、またすばらしい再生方法でもあります。政府もこのような取り組み をどんどんとサポートしていくべきだと思います。政府が行動をなかなか起こさないならば我々がやると考 えています。私どもはこの仕事の支援をしたいと思います。
この女性たちのグループは本当にものすごく主導権を発揮しておりますので、我々が支援しようとしまい とたぶん彼女たちはやると思います。そして子どもたちももはや困っていませんし、そのことによってコミュ ニティ全体がこの女性たちの原動力をバックにどんどん良くなっているわけです。アルコール中毒の男性の なかにもリハビリを受けてより強い立場をとって女性たちを支援し、変わってきた人もいます。
これはアボリジニのコミュニティの例です。この他にもいくつかのコミュニティを訪問していますが、再 生の物語というのはだいたい似ています。アボリジニの人たちが従来持っていた伝統的な助け合いの精神が、 今、コミュニティ活動によって再生されているわけです。これがオーストラリアでSEN と呼ばれている組織 です。

もう一つオーストラリアで行われている例をご紹介したいと思います。
多くの土地と同じように、コミュニティの再生は何なのか。再生とはどういう意味なのかというのを理解 することに困難を覚えることがあります。それぞれの物語があります。
この一カ所について、新しい側面があります。人と人とのつながりのところがとても新しいのです。いわ ゆる民間の企業の人たちと、公共のセクターの人たちのつながりができたわけです。オーストラリアにおい て当局者がとても面白い社会事業的な取り組みに携わっているところがいくつかあります。そのうちの一つ をご紹介しましょう。
ある町の話です。この町は木材の伐採事業で生計を立てていたわけです。しかし政治的な圧力がとてもか かり始めて、もう伐採をしないということになり、産業が絶えてしまったわけです。そこである人が新しい アイデアを発案したのです。パースからこの小さな町に人を呼んで、ブライダル事業を作ろうじゃないか、結 婚式を挙げてもらおうじゃないか、とういことになったわけです。結婚式の衣装やハネムーンの場所などを 作ろうと考えたわけです。この町はブリッジタウンという町ですが、今はなんとブライダルタウンという別 名を持っています。この町の人たちは新しい産業を興したわけです。今はとても復活していまして、コミュ ニティの復活の一助となる事業となりました。
こういった関係で非常に重要なのは、コミュニティを構築するということです。コミュニティの構築で何 が出てくるかというと、まず「人」なのです。「構造」よりも「人」です。つまりどんな構造をとろうと、い わゆる社会福祉の構造だろうと政治的な制度であろうと、構造というのは人を助けるために存在するのであっ て、まず構造があるのではないわけです。我々がやっていることも、社会的な構造よりも人をまず優先する ということが理念です。 同じ題でポール・ブリュッケル先生が絵本を書いていらっしゃいます。
CAN やSEN は私たちの考え方を作り直すということを考えています。共通の良いものを作り出すためには、 もっとはっきりと「人」を理解する必要があるということなのです。コミュニティの基本となっているのは 「人」であり、「構造」というのはその人たちの仕事をサポートするために存在するのである、ということで す。

本当に今回は、講演にお招きいただきましてありがとうございます。そして短い時間ではありましたけれ ども、日本のいろいろな場所を訪問させていただき、そのなかでたくさんの喜びをいただいたことを感謝し ております。今回は初来日ですけれども、最後の訪問にならないことを願っています。またぜひ皆さんにお 会いしたいと思っています。ありがとうございました。