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スウェーデンの重度障害者支援の実際を詳しく聞こう

講師: エレーン・ヨハンソンさん(エルドラード所長)

講師: アンネリー・スニースさん(知的障害者デイ活動の場所長)

項目 内容
開催日 2002年11月6日
備考 会場:高円寺障害交流館
主催:障害者のすみよい杉並をつくる会

エレーン・ヨハンソンさん講演

エレーン・ヨハンソンさんの写真

 こんにちは。杉並に招待していただきまして皆さんにお会いできてとてもうれしいです。五年前に始めて日本を訪問しました。ですから、また日本に戻って来れてとってもうれしいと思っています。

私が地域障害者関係の仕事をするようになったきっかけは、娘のピアがいるからです。ピアは32歳です。非常に重度の知的障害であると同時に重複身体障害もたくさんあります。ピアは、運動障害がありますし、コミュニケーションもできません。話ができないんです。でも話ができないけれども、コミュニケーションはとれます。体を使ってとか、目でうれしいとか、楽しいとか表現できます。まず、顔の表情を見ただけで、ピアが幸せかどうか、そうじゃないかということがすぐわかります。喜びとか悲しみとか怒っているとか、そのような自分の全部の感情を顔や体で表してくれます。ピアは8年前から自分で自立してアパートに住んでいます。ピアが住んでいるアパートは一軒家です。そこにあと二人の友達、ですから、3人の障害者が一緒にグループホームで住んでいます。ピアは24時間ずっと支援が必要です。ですから、パーソナルアシスタントから援助を受けています。五人のパーソナルアシスタントが交代で24時間、ピアの世話をしています。私自身はもう30年くらい障害者関係で、積極的に熱心に働いてきました。私自身は、自分が住んでいる地域の中での仕事をしてきましたし、それから、地方の保健医療体でも働いてきました。それからスウェーデンの全国的な組織での仕事をしてきました。この30年間考えてみると、わたしはずっと社会というものがどういう形で動いているかということを勉強しながら活動してきたと思います。そして政策というものがどのようにして決定されて、どのように実行されるか、ということを理解するためにも勉強してきました。なぜそんなことをしたかというと、政策を決定する人たちに政策が決まる前に影響して、何とか私たちにいいような政策をとってもらうためです。ピアの家族は母親である私、それからお父さん、それから28歳の弟のペーターから成り立っています。

まずちょっとスウェーデンがどんな感じかご覧なってください。皆さん見ていただいているのはヨーロッパの地図です。そしてここがスウェーデンです。そしてこれがイエテボリなんです。私とアンネリーが住んでいるところです。スウェーデンという国は3つの大きな組織から成り立って運営されていると思います。まずストックホルムにあるんですが、国会があります。そこに政府があります。それからスウェーデンの国内にあります、各いろいろな省とかありますがどういう仕事をしていくかということをコントロールしています。そして私が入っていますスウェーデンの親の会でありますFUBというのがあるのですが、全国組織のFUBは国会に対して、国に対して陳情したりするのです。それからスウェーデンの国内全部22のランスティンゲットというふうに分かれています。ここは保健医療の責任体なのです、ですからそこにも政治家たちもいますし行政の職員たちもいます。したがってFUB親の会たちも22に別れた各地方ごとに分かれた組織があります。このランスティンゲットは県と同じように考えていただいていいです。FUB親の会たちも県でどういうことが決定されるかということに申請するために、県と同じように支部が分かれています。まずこのランスティンゲットというところは根本的にそこに住む人たちの保健と医療の責任者です。それからリファビリ、ファブリテーションも、このランスティンゲットの責任管轄です。それからその下に288の市自治体というのがあります。そしてFUB親の会においては288個の支部はありませんけれども、177の支部がありますから、場所によっては小さな市自治体はいくつかが一緒になっています。そしてスウェーデンは税金によっていろいろなことが運営されているんですね。ですからスウェーデンに住んでいる国民は、市町村税と県税と国税を払っていますが、払っています。そして市自治体がする一番重要なことは、そこに住む市民のための社会福祉生活を保障するための事業を運営することです。ここでアンネリーと私で、個人それから社会全体、社会に住む個人、そしてその人の社会に話を進めたいと思います。

まず、みなさん、障害のあるお子さんをお持ちの方が多いと思いますので、個人、市民といっていいと思いますが、そこについての話をしたいと思います。人間というのは必ず体があります。それから体があると同時にやっぱり健康であったりそれからみんな感覚を持っています。それからたぶん何々症であるとか病気名を診断されているでしょう。私の娘ピアの正しい病名はレットシンドロームという名前です。このレット症はウィーンに住んでいる、発見してくれたお医者さんの名前がついています。アンドレースア・レットという人の名前から取った病気です。こういう病気にかかるのは女の子だけです。スウェーデンでは約200人から250名くらいのレット症にかかっている女の子がいます。スウェーデンにはというふうにいいましたが、スウェーデンの人口は約900万人です。900万人に対して200人から250人の女の子、そういうふうにみてください。ということは珍しい病気です。なぜレット症という病気の子供が生まれるのかという原因はわかっていません。アメリカの研究チームの人が数年前に見つけたことなんですが10番目の染色体に何かが異常があるのはないかといわれています。しかしそれも、そうではないか、という程度ですからまだほんとうにはっきりわかっていません。では私たちの体についてですね、感覚とか体についてはまた後で説明したいと思います。私たちは体だけでなく考える、それから感情、そして自分が考えたことを基づいて行動を起こすことができます。これを私は精神的なところというふうに考えています。そして私たちは体があってそれから精神、これを心理と考えています。心身の健康という言葉を聞いたことがありますか。精神的にとっても悲しかったりすると、何か病気になっちゃう、熱が出てくるそういうものです。ですから体の具合が悪いと悲しくなるし、悲しい状態が続くと身体的な病気にもなるという関連があるということです。しかし私たち人間は、社会的動物です。だからみんないろいろな人と会って話をしたりするのが好きなものです。ですから私たちは家族があったり、いろんな何かのグループで団体活動をしますし、そして社会の一員であります。こういうことが私たちにしょっちゅういろんな意味で影響を与えています。したがって障害がある子供がいると家族全体がすごく影響を受けると思います。こういうような身体と精神と社会相互に全部コミュニケーションがないとだめでしょう。たとえば家族の中でおとうさんとおかあさんが離婚したりすると、子供にもものすごく影響を与えるでしょう。それから、また今まで一人っ子だったのに、もう一人子供が生まれて兄弟が増えたりすると、それもまた影響を与えると思います。うちの家族でもピアに弟が生まれて、また10年前に犬を飼ったんですね。ペットが増えただけでも家族関係にすごい影響を与えました。ということは何か出来事が起こると、いろいろなことが私たちに影響を与えていくということです。

最後のところ、四つ目になりますがこれが物理的な環境というところです。私が申し上げているのは、私たちが障害のある子供が住みやすいような住環境、社会環境を作るにはどうしたらいいのでしょうか。たとえば色であるとか形であるとか、そこで使う材料素材なんかも考えられる。このことについてもまた後でお話します。そして社会的な分野と物理的な間を決めていくのが政策であったり、その人の住んでいる社会における経済状況でしょう。たとえば杉並区が決めた政策とか方針が、そこに住んでいる皆さんの毎日の生活に影響を与えるということです。どうですか区民の皆さんが区議会で決められたりする杉並区の方針を何とか影響を与えて変えることができますか。私が思うには、ご家族の方がたった一人でいろいろ申請したり陳情してもそれは無理だと思います。でも、みんなが大勢で力をあわせていけば変えられる。皆さん親たちであったらば、同じような問題のある子供を抱えている親たちが何人か一緒になって、それで陳情していくのもいいでしょう。いいことは、そういう親たちが集まってみんなで話し合ってどういう問題があるか、どうしてほしいかということを書いて、それから全員で集まって区役所に行くことです。揃って大勢でいくことが重要ですから、そこで政治家たちに会って申請してください。陳情してください。それでスウェーデンからの経験で言いますと、政治家たち、行政の人間に対して一番いいのは、障害のある当事者を、子供たちを連れて行くことです。ですから私たちも何人かのスウェーデンの親たちと一緒になって、それぞれ自分の子供を連れて行き、私もピアを連れて行きました。そしてスウェーデンの政治家や行政の人に会って、「今私が言っているのはこの子供のことです。この子供たちのことにあなたたちが決めることが影響を与えるのだから考えてください」とそういうふうに言いました。私は今までの経験から言うと絶対何かが起こる、そういうふうにすれば起こると信じています。ですから皆さん親たちは力を合わせて、一人ではなくてみんなで集まって、そして思い切って区長であるとか、区議会の議員さんであるとか、そういう人たちに思い切って自分がどうしてほしいかということを訴えてください。私たちは可能な限りいろんなことを、頭を使って思いついて可能な限りの手段を使うべきでしょう。それからどんどん手紙を書くのでもいいですし、新聞に訴えて投書してください。それからテレビのディレクターとか、ラジオの関係の人とかに何とかして会ってレポタージュとか作ってもらうように訴えて、そういった人たちの感情に訴えてください。それから日本の政治家や区議会の人たちに、そこに住む力のある発言力のある人たちだけでなくて、一番弱い人達に対してもその人たちの生活に対する責任があるということを訴えて自覚してもらいましょう。

この図は真ん中に人間がいます。障害のある子供ですが、これを私は職員教育であるとか親たちへの教育にいつも使うものです。私がこれを考え出したのではなくてスイスの有名な教育学者のジャン・ピアジェが考えたことです。この人が書いたことはどういうことかというと、人間の知的能力についての本を書いています。ですから知的能力の発達といったことを実際にもっと現実生活に対して適用できるようにしていったのを、スウェーデン人のグッナシェレーンという人が補足しました。こういうふうにして私はこういうのを書いたのですけれども。そしてまず何をするのかというと、意識改革、それはどういう意味かと言うと、知的障害のある人、身体障害のある人、その人を変えようとしないで知的障害のあるありのままのその人間としての姿で受け止めていくように意識を変えていかなければいけない。そして私たちは生産性がない、何も物事を作ったりすることが出来ない、そういうことがない人でも人間としての価値は同じであるということを十分理解することです。そして価値があるということは、これに対する考え方が間違って混同してしまっている人たちが非常に多いと思います。私たちこれから午後、北海道にいきます。飛行機で行くんですね。ということは、私たちは飛行機で行きますけれど誰も飛行機の操縦ができません。パイロットではないから操縦はできないのです。したがって羽田から札幌に行く飛行機の中では私たちはそこのパイロットにもう頼りっきりですよね。全面的に頼っていく以外はないでしょう。でも一日で見るとそこにいる飛行機の中で私たちが移動していくときはそのパイロットが一番価値のある人でしょう、そのときだけは。しかしでは私たち飛行機に乗っているだけで何もできないのですが人間としての価値はパイロットも私たちもまったく同じであるということなのです。したがって人間としての価値、存在価値というものはその人が何ができるとか何を作るとかによって評価されるものではないのです。私たちは人間であるというだけでもう十分その存在しているだけで存在価値がある。どうですかそう思いませんか、みなさん。

では個人で見ると私たちの子供たちの日常生活はどんなふうになっていると思いますか。私たちがこういう生活をしていているのはどういうところにどういうふうに生きているかなんてことをなぜどうしたらわかるでしょうか。何が私たちに情報を与えてくれているでしょうか。たとえば例をとりますね。皆さん今日11月6日のこの時間になぜここに来て私たちと一緒にここにいるのでしょうか。この部屋にいるというのは感覚を通じて情報を得ています。目とか耳とかで。私たち人間というのはいくつかの感覚があると思いますか。五感といいますでしょ。視力、耳から聞こえる聴力、それから匂い嗅覚、味覚それから感覚、触覚これらを五感といっています。たとえば子供や知的障害者の人の場合はそれだけでは十分でなくてもっと他のことも考えなくてはいけません。まず自分の体の体温。それから痛み。痛みに対してどういうふうに感じるか。それから筋肉やなんかに緊張をさせる。いつ必要なだけ筋肉を緊張させるかという感覚。それからバランス感覚。私が申し上げたかったのは私たちが毎日こういうふうに吸収する情報の90%は目を通じてのものだということです。ですから90%は目からというのは非常に大きいと思います。どうですか皆さんの中にお子さんで目が見えない人ですとか弱視のお子さんがいるお母さんはいらっしゃいますか。そういったお母さんはよく考えてくださいね。みなさん自分の情報の90%は目から入っている、ところがお子さんはそうではないということを十分考えて頭を変えて接しないとお子さんの生きている社会を理解できない。ですからお母さんが自分の子供に接する際にこの子はどういう世界で生きているんだろうっていうことを毎日考えて接しないと正しい形で子供に接することはできないでしょう。目から情報を得られない子供に、どのようにしたらその子に適切な刺激を与えて何かをさせようという気にすることができるだろうかということを考えなければいけません。自分の子供が今生きている、住んでいるその環境をなるべく適切に理解してもらうためにはほかのどの感覚を使って足りない視力のところを補っていったらいいだろうかということを毎日考えてください。どうですか、皆さん毎日お子さんと接する際考えていますか。

それから、聴力こそは子供の知的能力が劣れば劣るほど耳から得る音の情報はものすごく重要になってきます。音のことについてはまず自分の子供が理解してもらうにはどういう音がどこから出てくるかによって一番わかりやすく子供に物事をわかってもらえるか考えてみてください。たとえば何かを教えて何かを覚えてもらうためにはどういうふうに音を使ったらいいだろうか考えてください。一般的に一番最後の最後まで残っている感覚は耳から入ってくる感覚だろうというふうに言われています。ですから私たちは絶えず、目から見える印象や知的能力を使えない人たちにとって音がどのくらい大切かということを考えてこれをうまく使うように考えなければいけません。

うちの娘ピアの例を申し上げます。ピアたちは自分のアパートでいすに座って台所のほうに背中を向けて座っています。ピアの住んでいるアパートは台所のキッチンリビングルームが大きなひとつの部屋になっていて境目のドアがいつも開いていて自由に動けるようになっています。私が台所に行き、おなべが入っている戸棚を開けるとちょっと音がするんですね。そうするとピアは反対のほうを向いていましたよね。音が聞こえたとたんに何とか一生懸命に向きを変えて笑うんですね、あっこれで食事になるなと。どういうことかというと戸棚をあけた時の音がしました、この音によって何が起こるかということがわかったわけです。知的障害の人の場合は大体こんな様なことが多いですよ。皆さんに一番いいたことは普通の日常生活でどういう音がしているかということ。そしてその音を使って子供がなにが起こるかということがわかるようにし、わかっているか子供を観察して下さい。

それから匂い、嗅覚と味覚というのは二つとも非常にくっついて密接しています。知的障害の人たちのこの嗅覚と味覚というのはたいてい大丈夫。ここも損なわれている人もいますが数が少ないと思います。したがって匂いを使う、この次に何が起こるかというのは匂いを使うことも十分あるのです。どうですか自分のことで考えてください。何かの匂いをかいだ途端にずっと昔の何かを思い出すとかありますよね。この匂いだったらあそこにいったことがあったとかそういうことがありますよね。皆さんご存知ですか。皆さんが結婚する相手を決めた時に、相手の匂いによって選んだということを知っていますか。そうなんですよ。結婚生活するには体臭とかその人が持っている匂いがいやな人とかは絶対に一緒に住めないものなのです。生まれたての赤ちゃんは24時間以内に誰が自分のお母さんかわかるのです。なぜかというと匂いによってです。ということはまだ24時間以内で生まれたてだとそんなに目もよく見えないしお母さんの声とかじゃなくて匂いで見つけているのです。産院であるテストをしてみたのです。何人かの新生児とお母さんとを混ぜて子供を違うお母さんところとかに連れて行きそれをビデオで撮影しみたんです。すると子供の反応がまったく違うんです。違うお母さんのところに連れて行くと。これと同じことを重度の知的障害のある人と比べてみてください。知的障害が重ければ重いほどにおいを使いながら日常生活を生きているんだということをよく知っていてください。それから匂いというのは私たちの感情とものすごく密接しているのです。しかも匂いと結びついているのは、すごい悲しみとかすごい喜びとかとても重要な意味を持っている感情とくっついています。例えば何か起こるんですよということをわからせるのに匂いを使います。ですから今までの経験から、何か物事を学んでいこうという時にたくさんの感覚を刺激していく、そうすると子供たちに何か物事を覚えてもらったり学んでもらえる可能性が高くなります。ではピアを例に挙げましょう。ピアはパーソナルアシスタントがいますからパーソナルアシスタントといっしょにデイセンターに行っています。デイセンターという作業所のようなところに行っています。そして毎週木曜日には乗馬に行くんです。ピアに言葉でこれから乗馬に行くんですよといってもわかりません。そのピアにどうしたらこれから馬に乗りにいくんですよとわからせるのでしょうか。まずいいのは馬に乗るときのズボンを持ってくるのですよ。そうしますと乗馬用のズボンが見えますね。そして手で触ってみます。それからズボンのにおいを嗅ぎます。馬のにおいがします。そうしますとこれから何をするのか乗馬に行くんだなとわかります。

私たち人間が一番望むことは自分の人生とか生活をコントロールしていくことです。したがって非常に重要なことはこれから何が起こるのかをわからせて十分準備しておくってことが重要なことです。気持ちの準備をさせるということです。それは私たちの持っている感覚を使ってできます。自分で生活をコントロールできます。これから何が起こるかということがわかれば、そうすれば不安感が少なくなってきます。おこりっぽくもなくなります。自虐性も無くなっていくでしょう。それから攻撃的でもなくなるものです。いつも考えましょう。知的障害がある人がものすごく自虐的であったりしょっちゅう怒ったり暴れたりするのは知的障害があるからではなくて私たちがその人にこれから何が起こるのかということを十分伝えることが下手なのだと思います。まず皆さんのお子さんがものすごく怒ったり何か知らないけれどもいらいらしたりして何か自虐的であったりする場合はよく考えて下さい。なぜこういうふうになったか、なぜこういうふうに急に怒り出したのか、どういうときにこういうふうになるのか十分にみなさん考えてください。そうしますとたいてい非常に多くの場合、親とか周囲にいる人がこれから何が起こるか、これから何が起こるかということを十分に伝えられなかったから不安になって怒るんだということがきっとわかると思います。どうですか皆さん親御さんとして考えが思い当たりますか。

その次の感覚、触覚ですが、どうですか皆さんここで自閉症のお子さんまたは自閉症に見えるお子さんがいらっしゃいますか。まず自閉症気味の人にはちょっと触ったりすると痛みに対する反応みたいなのがある。手を握ったりするとしっかり、ぐっとつかむ、そういうことをしてあげて下さい。そうしてしっかり手を握ってそして誘導するとこの次に何があるのかわかりやすいのです。それからですね変えないこと。部屋の模様替えをしないとかいろんなところを変えない、たくさんのものを同時においておかない。そうするとそれに対する反応が感情的に起こったりすることになってきます。自閉症の人がまあまあ気分よく過ごせるためには決まって規則だった生活、物がずっと決まっているから自分でコントロールしているっていうふうに感じられると理解できるのが重要です。それから自閉症の人は相手、自分のすごく近くにいる身近にいるお母さんであるとか、お父さんとお母さんの間の感情をものすごく敏感に感じ取るのです。お父さんとお母さんがけんかをしていたり心配しているとすごく敏感に感じ取って自分ももっと心配でいらいらしてしまう。そういうふうになってくる。ピアもそうなんですね。ですからピアに接しているときはいつも私たちも非常に落ち着いてイライラしたり不安でうろうろしたりしないように努力しています。ですからたとえば私と主人が座って話をして別にけんかをしているのではないのですがちょっと声を高くしただけでピアは泣き叫びはじめたり自分で自虐行為を始める。そういうものです。それから筋肉を緊張させたりリラックスさせたりするバランス感覚、知的障害のある人は全員全部ここの分野に損傷があると思います。ですから自分の周辺にあるものをどのくらいの強い力で握ったらいいのかとか。こういうのは普通の子供は、はいはいをしていくときに学んでいくのです。感覚をはいはいしながら、いろいろなものを触ったりかじったりなめたりしていきながら学んでいくのです。どうですか。知的障害のある人でものすごく壊れやすいものを手荒に扱ったりそれから絶対壊れそうもない物なのにこわごわ触っていたりそういうのを見たことがありませんか。親はこういうふうに言うんですね、「この子は何をやっても全部壊してしまう、しょうがない」、そういう表現をしがちです。ですからその子供さんがいろいろなものを壊すのは壊そうと思って壊しているわけでないということを覚えておいてください。というのは、どの程度しっかりぎゅっと握ったらいいのかわからないのだから壊してしまうのは当然であると思わなくてはならないのです。ですから子供が悪いのではなくて私たちがそれを怒ることが問題なのです。自分の家の中や作業所でもどこでもいいけども自由にそういう障害のある人が生活できるような関係にあるものを変えていくわけですね。

ではこの次は知的障害のある人たちが自分の視覚や触覚から受ける印象をどういうふうに処理していると思いますか。そしてそれを理解するためには5つの分野から見ていきます。まず子供が自分のいる部屋、空間、自分がいる部屋の大きさをどういうふうに解釈しているかということになります。ですから非常にいいことは普通の子供が部屋の広さとか大きさをどういうふうにしてだんだん理解していくかということから学んでいきましょう。たいてい普通の赤ちゃんはお母さんとかお父さんに抱っこしてもらっていた腕の中で、それから次に自分用のサークルベットでというふうにだんだん広がっていきますでしょう。それからずっとベッドで寝ていたのにそのうちにはいはいできるようになってくると、部屋の広さがまずその次の自分の住んでいる世界の大きさになってくるでしょう。そのうちに外へ出ていって近くの遊園地でほかの子供たちと遊ぶようになるとだんだんと広がっていく。そして次に学校に入学すると学校まで歩いて行くことになる。そのうちに自分の住んでいる町とか区とか国というふうに広がって学んでいくでしょう。でそのうちに地球とかそれから自分の住んでいる宇宙とかになるでしょう。ということは、私たち人間はすべてみんなまだお母さんの腕の中くらいの感覚の人もいるし宇宙全体的にものを考えられる人もいるし、これを空間認識っていうんですね。そして皆さん障害のある子供のお母さん達に重要なことは自分の子供が今どの段階にいるのかということをよく理解することです。どうですか皆さん自分のお子さんを社会に出してあげて自分の住んでいる町、自分の住んでいる区などがどのくらいの大きさで、どういう社会であるかということがわかっていますか。あるいは自分の住んでいる部屋の中だけとか非常に狭い世界に住んですんでいますか。私が思うには狭いところにいればいるほど知的能力には限界が出てきましてその人の脳はぜんぜん発達することはないと思います。そしてそれは普通の人にも言えることです。ですからなるべく外に出ていっていろんなところから体験する。そうすると人間というものは成長できるので、特に知的障害のある子供の場合はそこが重要なことです。ですから子供を連れていけるところに出かけてください。季節とかみんなの集会とか、そうすると子供も人間としてすごく成長していきますよ。

次に時間というものをどのくらい理解しているだろうということです。赤ちゃんは寝る時間、食べる時間を覚えてだんだん時間が分かっていきますね。その次に時間の感覚というのはだんだん発達して最後には時計を見ただけで大体わかるようになってきます。たとえばスウェーデンから日本に来ると8時間の時差があるのですね。ですからスウェーデンの時間では真夜中なのにこちらでは昼間なので眠くなってからだの方がついていかないことがあります。時間というものはものすごく理解するのが難しいのです。「ちょっと待って」、このちょっとはどの位がちょっとなのか。「ちょっと待って。じゃあ5分待って」、その5分というのをどういうふうに言葉で時計のわからない人に説明できますか。そうですよね、どんなに難しいかお分かりでしょう、言葉で5分というのを説明してあげるというのは。

次に私たちは品質を見ます。私たちはこれを私たちの周辺にある物、品物との関係で見ていきます。実はこれはコップですね。紙コップですけれど飲むためのものです。障害のある子供はこういうものを見たら飲むものである、スプーンがきたら食べるものである、そういうふうにしてみます。それでオーバー、ジャケットなどを着てみると外出だ、いすは座るものだ、と知るのです。私たちはいろんなものに囲まれて暮らしています。皆さんご自分のお子さんたちが回りにあるものをちゃんと理解していますか。どのくらい理解しているかおわかりですか。そういうことはやっぱりいつも暮らしている親御さんではないとわからないでしょう。

次は量、数でいったりボリュームで言ったりしますが。お子さんたちには数えられますか。

最後は原因と結果ということです。皆さんのお子さんわかりますか。こうしたらこうなる、ということがわかりますか。どうですか、私たちはガラスのコップを持ってパンっとはなすと床に落ちて壊れるというのがわかっています。お子さんたちはわかっていますか。それからたとえばキャンドルとか火が出るところに手をつけるとやけどをするということがお子さんにわかっていますか。そういう様な例がたくさんあります。私たちはいろいろなことを毎日しています。例えば今朝私がここに公演に来るときに、「私がこれからいろいろなことを説明するけれどもいらっしゃったお母さんたちはみんな私の話がわかってもらえるだろうか」と思いました。私が話すことはみんなにわかってもらえるかという原因と結果を考える。ですからいろいろなレベルで毎日考えています。自分のお子さんの知的レベルがどの位であるかということを考え把握していくことが大切です。

そうしますと3つ目の、そして非常に重要なことは自分が何が一番好きかということです。なぜかというと私たちは自分が好きなことはしょっちゅうするし、やりたがるものだからである。それからあまり好きではないことはどちらかというとあまりやりたくないものです。ですからそれはもう人間誰でも皆さんも私も同じですし障害のある子供でも同じなんです。当人がやりたくないと思っている様な事を強制的にやらせようとしても全然だめだということをまず知っていることです。まず重要なことは子供たちに何かを教えなくてはいけない場合があったとしたら子供が好きなような楽しいような方法でやっていきましょう。

4つ目のことで非常に重要なことですが、住んでいる物理的環境です。自分がいる部屋をものすごく楽しい感じにすると同時に感覚を刺激できるようになります。ですからそのためにエルドラードからのいくつかの写真をお見せします。これは私が所長をしているエルドラードの玄関のところです。玄関のドアを開けますと、色をたくさん使っていますし、布とか葉っぱとかいろんな違う素材があります。ここにたくさんいろいろな色がありますし、形も見えますよね。それからコミュニケーションの部屋、コミュニケーションをとるために使ういろんな素材が入っています。写真などが入っています。そしてここは水がずっと巡回しています。でもなんとなく小川が流れているようなせせらぎの音がしています。上から水がずっと流れてきてそれがまた戻ってきます。そして鏡を使ったり、布地もたくさん使っています。それからイエデボリはまったく東京と同じで港があります。海に面しています。ですからここに魚を取る網をつるしてあります。魚も取れます。魚は本物ではないけれど魚もつけてあります。1つの部屋は活動の部屋で真っ赤に色が塗ってあります。

なぜ赤を使っているかというと赤を見ると私たち心臓がどきどきして血圧が上がってくると同時に眼がぱっと開いて集中して何かを見ようという気持ちにさせる色だからです。子供に真剣にずっと聞いてもらいたいときは赤い色を使うようにします。トランポリンのようにはねられるように。ここの中にはウォーターベットが置いてあるんですね、リラックスのために。ブルーが使ってあります。ブルーというのは人間の気持ちを静める、落ち着かせる色です。たとえば自閉症のお子さんがいる方はブルーを使うんです、ベッドでも。そのお子さんがものすごく自虐的になりやすかったり怒りっぽくなったりすごくいらいらする、そういうとき赤は使わないように、その家とか環境に全部赤をなくしてください。子供を落ち着かせようとしたら自閉症の子供に赤の洋服を着せないように、赤を周辺からカーテンとかクッションまで全部赤をなくしてください。簡単に言うと赤で見ると心臓の鼓動を高めて目を集中してそして血圧も上がり何かをやろうという、目がさめる色です。ブルーとか緑色というのは私たちを落ち着かせてくれます。黄色は太陽の光線の色ということでコミュニケーション、誰か人と話そうとか気持ちを広げ、開放的にするような色です。こういうところで水が動いてくんですね。しかも水の中には色があるように魚が入っている。この部屋は白の部屋と呼んでいます。この部屋を何に使うかというとその人との対話、コミュニケーション、一人だけを集中して関係を作るためにはほかに気をそらせることがないように、白を使っています。白い部屋。これももう一つのエルドラードにあるお部屋です。それからお風呂の部屋というのがあります。これにはバブルバス、空気が出てくるジャグジーというのが置いてある。お風呂はリラックスするためのお風呂です。いろんな色がたくさんありますし目で見て楽しいものが置いてあります。これはボールのプールって言いますか、それにピアと私が入って遊んでますでしょ。これはブランコに乗っているところです。撮ってくれたカメラマンは色がどういうふうにして人間に影響を与えているかという記事を書くために撮ってくれた写真です。

自分の子供という一人の人間を、集中し注目して理解することからはじめましょう。今日皆さんお帰りになる際に、自分の子供の毎日はどんなふうに子供はどんな社会に生きているのか十分理解し、これをより良く改善してあげるにはどうしたらいいか考えてくださればとっても良いと思います。そして自分の子供がより自立できるように、子供に自信をつけるにはどうしたらいいだろうか考えてください。自分が親として、自分の子供に自信をつけて、子供が満足した生活ができるようになると、自信を持って政治家とか行政のところに訴えていく場合とてもインパクトがあります。しかも子供をずっと世話をしていくためには、時にはやっぱり親ではなくて自分自身、女性として人間として生きるためのレスパイトケアーとかショートステイとかそういうのが必要でしょう。政治家たちも親が全面的に子供の面倒を見るのは親の責任であるというのではなく、そのためにはショートステイホームや何かを作るというのが必要であるということを政治家たちにわからせることができるでしょう。ですからアンネリーのほうからショートステイホームについて話してもらいましょう。というのはアンネリーさんはショートステイホームでの仕事をしていて経験があるからです。

アンネリー・スニースさん講演

右アンネリー・スニースさん、中央友子ハンソンさん、左エレーン・ヨハンソンさん

 こんにちは。私も日本に来て杉並の皆さんのお母さんたちとお会いできてうれしいです。ありがとうございます。

エレーンのほうから説明のありましたショートステイホームというのは在宅で障害のある子供を世話をしている方たちが子供をちょっと預けて生き抜きできる場です。私が以前勤めていたショートステイホームにはエレーンさんのお嬢さんのピアさんも泊まりに来ました。普通ですね、このショートステイホームというのはスウェーデンでは普通の住宅街の中にありまして、たとえば賃貸住宅の中にあるとか一軒立ての家ですが地域の中にあります。スウェーデンにもショートステイホームは子供用、青少年用、それから親と一緒に在宅で暮らしている成人用、大人用のショートステイホームがあります。

私が勤務していたショートステイホームは5人の方が同時に泊まれるようになっていました。ショートステイホームですからここは皆さん個室があるんですね。個室にはベッドとたんすとそれから机がついています。子供についても同じでショートステイホームに来ると誰かほかの人と相部屋ということはなくてみんな個室です。それから大きな共通のキッチンがあり、いろいろな活動をするための大きな居間のようなところがついています。それからこの5人に対してトイレとシャワーがたいてい2つ位ついています。ショートステイホームはどういうふうに利用されるか、一日から一泊のお泊りから普通1週間、それもたとえば月に1回とか月に2回くらいとか決めて定期的に来ることもあります。

たとえば1週間ショートステイホームに泊まっていると子供の場合は普通の生活を続けますからショートステイホームから学校に通うんですね。それから大人の場合でしたらショートステイホームから作業所とかデイセンターなどに通っていきます。それからショートステイホームから学校や作業所に自分で行けない場合また普通のバスで通えない人の場合はスウェーデンではタクシーで行っています。無料で行けるようになっています。ショートステイホームから学校、それからデイセンターとかいろいろ。ショートステイホームはもちろんそこに泊まっているときには無料です。ただし食費だけは実費で払っていただきます。それからみんなおこずかいを持ってきてくださいと言います。なぜかというと、ここは普通の家ではなくて、お泊りに行っているのだから何か楽しいことがあるように、ということで、何かをいつもするようにしていますから、おこずかいを少し持ってきてもらいます。私たちはスウェーデンではこのショートステイホームをまずご家族が息抜きをするために考えています。それと同時に子供が自分の家族から離れて友達と会えるひとつの社会生活する第一歩であると考えています。したがってショートステイホームにいらっしゃるとまず親御さんに対するケアとかいろいろするのではなくてそこに来ている子供とか青少年当人に対していろいろ働きかけます。特に一番重要なことは親御さんも安心できること。あそこに預けても子供が楽しそうだからこれなら子供を預けても大丈夫だなと感じてもらえることです。今申し上げたのがショートステイホームです。

大人になったら何が起こるのかについてちょっと説明したいと思います。ショートステイホームはやはり親離れ子離れの第一歩というのですが子供が大人になって自立して暮らしていく訓練の場所であるとも考えていますし、親は子供が手元から離れていってもうまく生活していけるということを認識するためにも使われています。私は実際イエテボリ市の公務員なのですが、3つのグループホームと1つのデイセンターの責任者です。私の勤めているグループホームは3つあります。各グループホームに6人の大人が、成人の障害者が住んでいます。グループホームもさまざまで、一軒立ての家のようなものもあるし、普通の賃貸住宅の中にあるものが組み込まれているものもあります。イエデボリでは一軒の建物の中に独立した寝室とトイレとキッチンがついているようなアパートが4つか6つくらいあります。そういうようなタイプのグループホームはいろいろな形態がある。グループホームです。

グループホームに住んでいる場合はたいてい職員がついています。グループホームもさまざまで非常に重度の知的障害のある方が住んでいるグループホームだと、その人たちに対する必要な支援を24時間提供する職員がずっとケアしているようなところがあります。軽度の知的障害のある方は、普通のアパートに住んでいて、ある一定の決まった時間に職員が時々行って必要なことだけお手伝いする、そういうことでも大丈夫でしょう。それから中には経管栄養が必要であるとか決まった時間に必ず薬を飲む必要があるとか、そういうような方たちのためには、グループホームに責任のある看護婦のケアが提供できるようになっています。それから普通はですね、場合によってはお医者さんとか看護婦さんがしなければならないことであっても、たとえば経管栄養なんかですと、グループホームの職員に教えるんですね。指導した正看護婦が指導して、指示書を書いてくれることによって、職員ができることもあります。グループホームの中の部屋の環境というのは、そこに住んでいらっしゃる方の必要を満たすようにするわけですから、たとえば、車椅子を使っているかたでしたら、バリアフリーだったり、それからベッドから車椅子に自分で移れない人のために、天井にリフターがついていたりします。

それから自閉症の方でグループホームに住んでいる方のお部屋ですと、壁のところに水道管が出っ張っていたり、でこぼこがないようにしておくんです。水道管が出っ張っていると自閉症の人は好まない。だから壁の中にみんな埋め込んでいます。これらの施設がグループホームのいくつかです。これが賃貸のたとえば市立住宅の中に6つのアパートがあちこちにあって、6人の障害者がこの中に住んでいます。ここのアパートに住んでいる方は、だいたいほとんどのことが自分できるけれども、薬が自分で飲めないとか、お友達ができにくいような人が住んでいます。反対側の方に職員がいるアパートがあって、毎日午後、一日一回、アパートにみんなで集まって食事をして友達と話したりするような場所がついています。これは一件建てになっているグループホームです。この中にアパートがいくつかあります。6つのアパートがあります。アパートは二階と一階にそれぞれありまして、各アパートがだいたい37平方メートルくらいですか、そのくらいの広さのアパートです。そして共通スペースがあります。これが共通スペースのキッチン、台所です。そしてこれが共通のみんなでいる居間です。テレビとソファーがおいてあります。そして、壁のほうにあるのが、ウォーターベッドです。上に住んでいらっしゃる3人の方の、自分の専用のアパートのドアが見えていますね。非常に重度の知的障害と身体障害のある方たちが住んでいます。このアパートは、全部天井にリフトがついています。それからお風呂、シャワーとトイレの部屋は非常に大きい部屋になっています。このアパートは、非常に大きな一部屋になっていて、キッチンはついていません。小さなキチネットというのがついていて、ご家族が来たときに、簡単にちょっとお湯が沸かしたりできる程度です。

一階のほうに降りていきますと、3つのアパートがあるんですが、こちらの方は、もうちょっと自分でいろいろなことができる程度の人が住んでいるところです。ですから、ちゃんとしたキッチンがついています。少し料理ができるような感じになっています。女性が住んでいます。もちろんこのアパートに住んでいる女性は、非常に知的障害では重度ですから、自分では何もできないのですが、支援者の職員といっしょに朝ごはんを作ることはできます。もう一人、彼女のお隣さんもまったく同じようなキッチンです。ところが違いは、そこには食器洗い機がついている。なぜかというと、お隣の部屋に住んでいる人は、知的レベルがもうちょっと高いから、自分でお茶碗を洗おうとするけれど、きれいに洗えない。その代わりに食器洗い機に入れるときれいになる。そういうことで、食器洗い機をつけています。ここはリビングルームですからソファーがおいてあって、それからベッドがあります。奥のほうにベッドが置いてあるのが見えますか、箱のような形をしたベッドが。これが、シャワーとトイレがついているところ。そしてこれが自閉症の男性のグループホームのトイレなんですが、ここの部屋に住んでいるのは、自閉症の男性のトイレです。自分の体ということが良くわからないから、たとえば椅子に座るときにドーンと座ったりする、そういうタイプの人がいます。特に椅子に座るときの筋肉の緊張の度合いが分からないから、ドーンと座るから、体が後ろのほうに倒れてしまう。こういうトイレですと、後ろのほうにウォータータンクがついているのですが、いくつも壊してしまいました。したがって、この人の障害が分かりましたから、この人が安全に暮らせるために、ウォータータンクを壁の中に塗りこんでしまいました。しかも、自閉症の方なので、すべてのパイプ、水道管とか電線、電気の配線とかが全部壁の中に入ってしまっているようになっています。こういうふうに、配管なんかが見えるとすごく不安になってきて、ガタガタゆすって壊してしまう。そういうことがあるからです。私たちは、ここに住んでいる個人個人の方が、その方の持っている障害にもかかわらず、居心地のいい生活が、安心してできるように住宅を対応しております。

大人になりますと、スウェーデンでは、みんなデイセンターや作業所などに通っています。スウェーデンでは作業所がはっきり分かれていて、何かをしなくてもいいです。ですからそこに行って好きなことをするだけでもいい。非常に重要なことは、個人個人のできることをしてもらう。それから、エレーンさんが言いましたように、好きじゃない事はやってもしょうがないから、好きなことを楽しんでもらうだけでもいい。そういうことを見つけて作っていくことです。特に、重要なことは、私たち職員が、どういう仕事をするか、ということでなく、私たちは、当人が何かが必要なときにそこにいる、ここが重要なことです。ですから、デイセンターに行っても、非常に重度の知的障害がある方の一日の活動はどうかという、先ほどエレーンさんが見せてくれました、エルドラードの感覚の刺激、それだけが、もう一日の活動になっています。それから、軽度の知的障害の人の場合は、非常に重要なことは、その人が自分の満足を得られるように、自分が何かした、達成感が得られるようなタイプの仕事に近いようなことをします。しかし、それだけでなくて、教育というのもあります。たとえば、コンピューターの使い方を勉強して、もっと自分の成長に役立てるようにしてもらう。その勉強も仕事の中に入っています。簡単ですが、大人になっていくと、どんなことが行われるかということについて説明しました。

質疑応答

司会:どうもありがとうございました。それでは、お二人の今までのお話の中で、もう少し詳しく聞いてみたいとか、もうちょっと説明がほしいとか、あるいは、今お話になった、触れなかったけども、こんなことを聞いてみたいとか、ということがありましたら、質問なさってください。

会場: 障害を持ったということがわかってから、障害基礎年金とかは、いくらもらえるのでしょうか。うちの娘は、まえの手帳の3度という区分で、ひと月に6万3千円位もらっています。ですから、区立の重度知的障害者の厚生施設にいってひと月500円の月給をいただいています。あと杉並区からひと月1万7千円ですかいただいています。生きていくのにお金が足りないのですけれど。スウェーデンの場合はいくらもらっているのでしょうか。

エレーンさん: 娘のピアですと、障害年金というのを貰っているのですね。毎月もらっています。スウェーデンでは、どういう考え方かといいますと、ピアは32歳です。そうしますと、スウェーデンに住んでいる32歳の女性の大体どのくらいお金が貰えるだろうかということを考えて、そして同じくらいの収入になるように考えた手当てが出る。ですから、ピアの生活を見ると、スウェーデンにおける普通の労働者、それほど高給取りではないから、お給料はそんなに良くない方の人と同じくらいの収入があるようになっていて、しかも、住んでいる夫婦の家賃を払っていくのに対する特別な手当てが出ているのですね。ですから、自分の受ける収入とか、それだけで経済的には暮らしていけるのです。ピアの年金、それからこういう手当てで何を払うかというと、自分の住んでいるところの家賃ですよね。食費、それから、洋服とか、楽しみとか。パーソナルアシスタントはそうではなくて、違うタイプの税金が払っているから、自分ではパーソナルアシスタントのお給料は、一銭も払わなくていい。そういうふうになっています。

マジョリカ島に休暇で遊びに行きました。毎月、ちょっと貯金をしておいて、自分にかかった費用は全部自分で払う。ところが、アシスタントを連れて行きます。アシスタントのお給料、アシスタントの旅費、ホテル代とかそういうのは、全部国が払ってくれます。それで休暇に行きました。

会場: 調布から参りました、障害を持つ子供たちとともに歩むネットワーク支部をしている者ですが、1989年にスウェーデンのストックホルムとベクショーとペストロースを訪ねまして、1ヶ月ほど行ってきたのですが、私は幼児教育者なんですけれども、キンダーガーデンで統合教育、インテグレーションの教育をずっとしていたので、それを学びたいと思っていきまして、大変良い刺激を受けました。ところがこの報告書には、特殊学校のことが書いてあるのですが、その当時私は、アベレアードさんという方からスウェーデンでは養護学校、盲学校がすでになくなっていると、聾学校がわずか親の希望で残っていると聞きまして、実際にベクショーの義務教育学校を見学させていただきましたのですけれども、今はサマランカ宣言といいまして、インテグレーション、インクルージョンの教育に取り組み、教育が世界的には動いているのですが、そのことについては、どんなふうにお考えでしょうか。私が今疑問に思っているのは、知的障害児についてはインクルージョン教育は無理だというふうに教育行政は思っていらっしゃるのか伺いたいのです。日本ではやはりまだ、別学が強いのですが、私は別学でない方がいいというふうな考えを持っております。

エレーンさん: スウェーデンでは昔は7歳になると目が見えない子供は全員、寄宿舎制の学校のようなところに入れられました。現在はそういうのはないですね。でも、点字を教える学校はありますよ、もちろん。それからですね、もちろんその代わりに、アドバイザーのような人がいるのですね。そして今は代わりにその人がいろんな学校に行って、統合の場において、先生と子供に、その子が点字を学べるように教えたり、足りないところは補う、そういう様なシステムにはなりましたが、小さい子供が寄宿舎制のところに寄宿するのはなくなりました。それから、聾唖者は、やはりまだ、もちろん小さいときは、いろんな市で、普通のところで教えているけれども、手話も教えている学校はありますね。

各地にあるからウィークディだけは通わなくてはならないところもあるのです。もちろんスウェーデンでは、入所施設というのはずっと前から無いです。当然、子供もそういうところに入所して親元から離して教えたり勉強するというところは禁止されています。大人が入所する施設はありません。それからまだ特殊学校はあります。知的障害のある子供たちが教育を受ける方法は二つあります。一つは普通の義務教育の学校に行く、それからまたは、特殊学校、特殊学級に行くのですが、どちらにしても子供に対する教育の最高責任者は市がやっています。市が責任者です。1994年にLSS法という法律ができる以前は、こういう特殊学級であるとか、知的障害のある子供たちの学校教育の責任者はランスティンゲットという保健医療体がしていたのでそういう子供は病人としてみなされたのです。ところが、1994年の法律で変わりましたから、全部が市、自治体が責任者ですから、普通の市民に変わってきた。見方が変わってきたのです。それから、もちろん学校の先生になるには、教育大学とか学芸大学のようなところに行くのですが、そこで、普通の学校の教師と同時に特別な目の見えない子供に対して、点字ができる人とか、手話ができる先生であるとか、知的障害のある子供に対しての特殊教育の専門家たち、こういう先生たちをみんな教育しています。しかし今、こういうふうに言いましたが、統合というのを目指しているのは、確かなことで、1993年にでましたサラマンカ宣言というのに基づいて学校はすべての子供は同じ学校で教育を受ける権利がある、ということですから、その学校の方を対応していって、どんな子供も一つの学校に行くと、そこに、それぞれの障害にあわせた教育ができるように、ということは考えてはいるけれど、完全にそこに到達するには、まだまだ道のりは遠いと思います。

会場:わかりました。ありがとうございました。

エレーンさん: 特殊学級は親のほうからなくさないでくれという要望がありました。ですから、スウェーデンの学校は、同じ大きい敷地とが、大きな建物の校舎の中で、二階のここからこっちが特殊学級で、二階のこっち側が普通とか、校庭をはさんで、別棟になっているとか、統合になっているけれども、みんながみんな、全部同じクラスで授業を受けるというところにはなっていないのですよね。ですから、場の統合はできています。でもですね、大抵が教室が違うわけですね。たとえば、そこにはちゃんとした専門教育を受けた先生がいるのだけれど、同じ校舎の中には普通児たちもいる。普通の子供たちもいたり、校庭が一緒であるとか、催しを一緒にするとか、場合によっては子供の障害の程度によって、普通のクラスの中にアシスタントと一緒に行って、授業によっては受けているのもある。その程度くらいの統合です。

会場: その場の統合は、日本ではできていないと言うことが、とても大変なことだと思うので、そのことも、ご承知だろうと思いますが、そのへんが、成人してからも差別の根本になっていると思います。それで親たちは、苦しんでいるという状況があります。

エレーンさん: ですから、さっきからエレーンさんがおっしゃっているのは、親が立ち上がりなさい。親が、がんばって立ち上がっていきなさいということです。親たちは苦しんでいるだけ、それだけではだめなんです。親たちがもう本当にうるさい親であって、困った親と言われるくらい、しょっちゅう、運動してください。

会場: 私は見てのとおり、肢体不自由なんですけれども、エレーンの娘さんと同年齢なので感銘を受けてしまいました。スウェーデンではグループホームとかを利用する方たちは、時間の制限とか、何時までに戻らなければならないとかいう制限や、週何回行ってよいとかいう決まりがありますか。どうしてかと言うと、私はスポーツをやっているので、今は母親と二人暮しですけれど、そういうことは、日本ではなかなかできないみたいで困っています。

アンネリーさん: スウェーデンではグループホームでは門限が何時とか外出はどのくらいとかそういうルールはありません。規則はないんです。だから夜何時に帰ってきてもいいし毎日出掛けたかったら外出してもいい。スウェーデンではあなたが今、お母さんと住んでいる家とまったく同じようにグループホームに住んでいます。でも、お母さんに話しますでしょう。私は来週の火水木は出掛けますって、お母さんには言いますよね。それと同じでグループホームでも、職員に私は来週のたとえば、火水木というのはどこか出掛けますといいます。 あなたが一番好きなことが続けられるように私たち職員はいるのです。だから、たとえば、スポーツをしたい場合、一人では行けないという時は、あなたがそこに行けるように、お手伝いをするというのが、職員の仕事であって、好きな事をやってもらえるようにするのが当たり前なんです。でも、家にいてお母さんに言うのと同じで、突然帰ってこないとか、そういうことはしません。

障害者のすみよい杉並をつくる会
http://www.cagelessstation.org/