音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

国連障害者の権利条約

セミナー:権利条約制定への世界の最新の動き-国連特別委員会作業部会の報告-

権利条約に関するパネルディスカッション

パネリスト
国連権利条約特別委員会作業部会 タイ代表 モンティアン・ブンタン
全日本ろうあ連盟 常任理事 高田 英一
DPI日本会議事務局 次長 金 政玉
リソースパースン
新潟大学法学部 教授 山崎 公士
国連機会均等化標準規則特別報告者アドバイザー モハメド・タラウネ(シェイカ・ヘッサ・アルタニ代理)
指定発言者
東京大学先端科学技術研究センター 特任助教授 長瀬 修
世界精神医療ユーザー・サバイバー・ネットワーク 山本 真理
コーディネーター
日本障害者リハビリテーション協会 副会長 松井 亮輔
独立行政法人 高齢・障害者雇用支援機構障害者職業総合センター 研究員 指田 忠司     

パネルディスカッションの写真

指田: 今回は1月に開かれた作業部会の結果を受けてパネルディスカッションを行います。

 まずパネリストのご紹介をさせていただきます。向かって左から、DPI(障害者インターナショナル)日本会議事務局次長で、障害者権利擁護センター所長の金政玉さん、次いで、全日本ろうあ連盟常任理事、京都聴覚言語障害者福祉協会理事長、世界ろう連盟名誉理事で、特に権利条約の関係については、JDF(日本障害フォーラム)準備会で障害者権利法担当委員をされている高田英一さんです。その右のモンティアン・ブンタンさんは、現在、タイ盲人協会の第一副会長、タイ盲人財団専務理事、タイ首相の障害問題諮問委員会の委員、WBU(世界盲人連合)の執行委員としても活躍されています。今回の作業部会、そしてそれに先立つ昨年の特別委員会では、タイ政府の代表団に加わって積極的に発言されています。

 次に、リソース・パースンとして、午前中ご講演いただいた新潟大学の山崎公士先生と、国連均等化基準規則特別報告者アドバイザーのモハメド・タラウネさんがいらっしゃいます。

 このディスカッションでは、まず、3人のパネリストのみなさんからお話いただき、その話を受けた形で、山崎公士先生と、モハメド・タラウネさんのお2人からコメントをいただきたいと思います。

草案起草の意義と課題

国連権利条約特別委員会作業部会 タイ代表 モンティアン・ブンタン

モンティアン氏の写真

 去年の6月以降、特別委員会のミーティングはかなり前進しました。障害者の権利についての要求はさらに高まりを見せています。

 特別委員会では、はっきりした対立は見られませんでした。つまり、条約への反対はなかったということです。とはいえ、多くの国に若干の態度の保留がありました。この特別委員会の勧告が国連総会の第三委員会に提出され、決議文が出されました。この決議文で作業部会が条約の草案を出すということになり、去年の6月から今年1月までの委員会のなかで作業が行われました。5月と8月に特別委員会が開かれる予定です。

 ということで作業部会が設立したわけです。この作業部会は、ドン・マッケイ、ニュージーランド大使が議長です。また、エクアドルの大使がコーディネーターをしています。このミーティングには27か国の代表、それから10人のNGO、特に障害者関係のNGOが出席しており、そのうちの7代表が、IDAの国際障害同盟のメンバー、人権擁護機関の代表が1名、全部で40名です。

草案起草に関する個人的評価

 作業部会に対する私の個人的な意見ですが、全体としては成功裡に進んでいます。つまり、大きな対立や食い違いはなかったということです。もちろん、意見の違いはあります。

 本会議では、ニュージーランド大使に議長職をやってもらい、さまざまな問題点を議論しました。代表と参加者は、コーディネーターの許可を得て発言ができます。各トピックは1回、各セッションごとに自分たちの論点や他の代表の論点に反論をすることが許されています。それに対して、小さいグループミーティングは形式的ではなく、実質的なディスカッションをする場となっています。小さいグループのなかでもその場で解決できない問題が残りました。

 作業部会の終わりに草案を仕上げ、5月に特別委員会に提出されています。この草案は全体的な性格としてはなかなかできがよいと思っています。これはバンコク草案を基にしたものでした。作業部会でも、いくつかの変更の動議が出され、かなり大きな変更が出たということですが、起草のプロセスでは、問題点は脚注という形でまとめられています。最終的にはアドホック特別委員会に出されるのですが、われわれには、最終的草案を交渉する権限はありません。われわれの権限はいろいろと違った文書をもとにして、できるだけオプションを少なくし、草案をつくるということでした。

委員会に残された課題

 次に、今後対応しなければいけない問題点について見ていきましょう。作業部会で話し合いをするなかで、反対意見とか、意見としてはいいができれば避けたい、控えたいという考えもあったのは事実です。したがって、これからも草案づくりのなかで、もっとディスカッションしたいと思っています。最終的には各国政府にきちんと影響力をもたせられるものにしたい。障害をもつ人たちにとって、もっとも適切な文書としてまとめたいと思っています。これからさらに話し合いを詰めなければならないポイントは以下のとおりです。

 1点目は国際協力です。

 2点目は自己決定権あるいは自発的決定権です。人と違ってもいい、人と違っていられる権利について、もう少し考えるべきだということです。たとえば、カナダの代表者から、自己決定権については避けたいという意見が出ました。自己決定権とか自発的決定権というと、国によっては、自分たちによる政府をつくるとか、国家としての自決権、あるいは自治権につながりかねないということでした。

 3点目として、いくつかの権利の漸進的実現ということです。財政的な問題をはらんでいるものもあるかもしれません。となると、最初にあげた国際協力が必要になるかもしれません。それは財政支援のことです。経済社会的権利といった場合に、財政的な要素が含まれるかもしれないので、これについては時期尚早な行動は控えたいという意見が出ました。

 4点目はデータの収集と統計です。多くの国々、特に先進国からの代表団、さらに障害者団体からの代表者にはデータ収集、障害者関係の統計が、この条約に含まれるべきかどうかという意見があります。途上国の代表者たちはこういったものを条約に含めるべきであり、これには予算や資源の分配のメカニズムに役立つと言いました。また、こういうデータ、統計があれば、財政的にもプラスな結果が出るのではないかという意見でした。その一方で、障害に関するデータ収集や統計は、政府から支援をもらっているところとそうでないところがあり、この部分については、非常に多くの脚注がついてしまいそうな状況です。

 5点目として、言葉や文言の定義。たとえば「障害」という言葉が何を定義しているのか、条約、人権条約のなかでは障害がどのように書かれているのか、定義づけがはっきりしていないということがあります。EU、障害者団体の代表団からこういった意見が出ました。

 さらに、アジアの参加者代表団からも定義づけについて疑問を提起したいという意見が出ていました。これは特別委員会でもさらに議論を深めたいと思います。ユニバーサルデザインとか、アクセシビリティとか、コミュニケーションとか、こういった英語の言葉を日々私たちは使っています。しかし、英語圏のアメリカやヨーロッパなどではよく使われているかもしれないけれど、アジアや太平洋という私たちの地域ではそれらの言葉をどのように定義するのかを詳細に話し合う必要があるようです。

 6番目として特定の権利です。今、すべてを説明する時間はありませんが、国によって望まれている権利が異なるという例もあるようです。たとえば「生活権」や「生命の権利」といった言葉、考え方についてもさらなる検討が必要だと思われます。

 7番目としてモニタリング機構があります。たとえば、拷問や残酷で非人道的な取り扱い含んだ強制的な入院、あるいは強制収容といった考え方があります。国によってはすでに禁止されているところもありますし、途上国のなかには収容がまだ行われているところもあります。ですから、この取り扱いについてもさらに検討しようと言われています。自立した生活が行われているかどうか、こういう問題についてもまだ脚注がたくさんついていて、改めて特別委員会で話し合っていこうとされています。

 時間とエネルギーが必要とされる作業ですが、なかでもこのモニタリングメカニズムはとても大切な部分です。第25条で、国レベルでのモニタリングメカニズムについて言及していますが、果たしてそのメカニズムがどういうものであるべきなのか、どのように運営すべきなのか、これも多くの脚注とともに、もう少し踏み込んで検討する必要があります。

条約採択に取り上げられるべき課題

 条約採択にあたってどのようなことが起きるかということですが、3点があげられます。
 まず1つ目。たとえば、国際協力には、どうしても財政的支援が含まれてきます。財政的支援を求められる側の先進国のなかには負担になるということで若干、論議があるかもしれません。またそれが本文に入るならば条約が採択できない国も出てくるかもしれません。

 2点目としては、反対に途上国の姿勢が反映されています。途上国のなかには、豊かな国からの支援もなく、この条約において要求ばかりされていると感じた場合には、条約は採択できないという意見も出ています。

 それから3点目。この条約の草案が障害者のために「強制しうる」役目がなくても権利が存在するのだという声明のようなものか、あるいは記述程度にまでレベルを落されるかもしれないということです。この条約が法的拘束力をもたない、宣言と同じようなレベルのものであるとすれば採択されにくいという考え方です。

日本が担うべき役割とは

 今回、私はせっかく日本に来たわけですから、日本政府、関連NGOが、草案についてどのような役割を果してほしいかについて発言したいと思います。日本政府やNGOの仲間たちはよりよい人間社会に何十年も貢献してきました。国際障害者年の最初の十年がありました。そのときも、その後の2回目の障害者の十年でも、日本は大きな貢献をしてきました。ここにいる私たち、特に障害者のコミュニティからは、日本政府、民間、NGOがこれからも大いにこの問題に関心を払い、引き続き条約のプロセスを支援し、さらに協力をしてくれれば大変うれしく思います。国際協力を通じて、障害者に対する差別撤廃、平等化、途上国の市民、特に障害者へのサポートに力を貸していただければと思います。

 この条約は近い将来、採択されますが、これにより障害をもつ人たちの自由、権利に、大いにプラスになると思います。私たちが強い意思をもち、前向きに考える姿勢をもち、パートナーシップを組んで協力し合う、お互いを信頼して力を合わせていけば、近い将来、条約が素晴らしい形で採択されるでしょう。

障害者権利条約作業部会–日本政府代表団に参加して

DPI日本会議事務局 次長 金 政玉

政府との協議

 作業部会に政府代表団として参加した報告をします。その前に、去年からの経過を話す必要があると思います。昨年12月に日本政府としての権利条約に関する見解が出されたと言いましたが、これは2回目です。最初の見解は去年の3月の時点で出されましたが、私たち障害関係のNGOには、まったく知らされませんでした。国連の事務局に送られ、私たちNGOが目にしたのは2か月後の5月でした。特別委員会が開催される1か月前にやっと気づき、急遽、外務省を通じて政府にNGOの立場から申し入れをし、条約の内容についても私たちの要請をきちんと受け止め、協議を通じて政府の意見として反映してもらいたいという趣旨の話し合いを積み重ねてきました。6月の2回目のニューヨークでの特別委員会には、NGOからの推薦でDPI日本会議の東が、政府代表団に入ることができましたが、それ自体画期的なことでした。

金氏の写真

 その後の政府との協議は、NGOとのパートナーシップをつくり上げる方向で、協議が進められ、私が1月の作業部会に、代表団の1人として参加できたのも、そういった経過のなかでのことであるとご承知おきください。

 政府との協議を進めるなかで、NGOとしての立場から各論に入る前の総論としての申し入れをしました。総論のなかの重要な点として、差別の定義や締約国として実施すべき義務とか、モニタリングのことに絞って申し入れをしてきました。外務省角参事官の報告(資料集P6)では、日本政府の基本的なコンセプトに関わることが言われています。

 今回の作業部会では、基本的に障害者の権利の保護・促進を差別禁止の観点からとらえるか、あるいは、権利保護の奨励措置の観点からとらえるかという2つの立場から議論が交わされたと思います。作業部会報告を議題に、政府とJDF準備会で協議の場がもたれました。角参事官報告とほぼ同じことがこの協議でも報告され、そのとき私は、日本政府としては障害者の権利の保護促進について差別禁止の観点からとらえるのか、権利保護の奨励措置の観点からとらえるのか、また、現状では日本政府は、差別禁止の観点というよりも、権利保護の奨励措置の観点の立場から、権利条約の内容についてアプローチしているのではないかと指摘しました。この点が基本的なコンセプトとして、現状はどうなのかを確認しておく必要があると思います。

 日本政府の作業部会に向けた基本的な考え方は、市民的、政治的な権利に対する自由権的なアプローチと経済的文化的な立場に立つ社会権的なアプローチの両方をやっていこうという考え方です。これは正論に見えますが、差別の禁止という施策が非常に立ち後れている現状から考えると、権利擁護の奨励措置、社会権的なアプローチから日本政府は対応しているのではないかと、個人的にもそう思っています。そういうことを考えていくと、私たちとしてはこれからどのように政府との間で協議を進めるのかが今後の重要な課題になってくると思います。

条約制定までのいくつかのポイント

 私は1月の作業部会に政府の代表団の1人として参加しました。40人の作業部会の委員のさまざまなNGOや政府の立場から意見が出され、私も議題ごとに日本政府の委員にインプットしました。この2週間を通じて、ポイントだと思ったいくつかのことがあります。

 障害をもつ当事者からすると、差別や権利侵害を受けていても、差別や権利侵害とも思えないくらい慣れてしまっていることも含めて、日々の生活ではいろいろなことがあるわけです。午前中の山崎先生のお話のなかで、条約というのは遠い話のように思えるが、一番肝心なことは、自分の生活の足元から見直しをして、条約の内容との関係を国内の法制度につなげて考えていく視点から見る必要があるということでした。まさに、今の時点での日本政府のコンセプトは、政策的には社会権的な観点から障害者施策を推し進めていき、漸進的に少しずつ状況を変えていきましょうというところをまだ越えていないのだろうと思います。個別の人権侵害があったときに救済ができる国内の差別禁止法の制定を目指そうと取り組んでいますが、条約の内容をそのバックグラウンドとなる国際的な基準に少しでも近づけたいということが基本的にあると思います。

 そういった観点からいうと、以下の3つの点をきちんと見ておく必要があると思います。
 1つ目は差別の定義です。作業部会での差別の定義に関する議論は直接的差別と間接的差別の両方見ていくという意見が主流でした。直接的差別というのは故意に差別することで、虐待も含まれます。間接的差別は障害をもつ人たちの特性やニーズを理解できない、または、無知のために結果として起こる差別のことです。日常の生活のなかでは間接差別がはるかに多いわけです。たとえば、2階にあるファミリーレストランです。経営者は、障害者に利用させないためにわざわざ2階につくったのかというと、それは違うと思います。やはり立地条件やコストの問題で、2階にレストランをつくった。しかしながら、結果として障害者を排除している。そういったことが意図的、直接的ではないが、間接的な差別であるということです。そういった間接的な差別も含むものとして、差別の定義をきちんと考えなければならないということが1目のポイントです。

 2番目のポイントは、合理的配慮という新しい概念が、これから条約の内容を考えていくうえで非常に重要な課題だということです。合理的配慮というのは個別の障害者の障害種別や程度に応じた特性やニーズにきちんと適切な配慮をしなければ、障害をもっていない人と同じスタートラインに立てないということですので、まず前提としてそれが権利条約の内容に盛り込まれなければ、権利条約そのものが、実効性をもてないということです。

 3つめのポイントはモニタリングの仕組みです。個人通報、国際的なモニタリングの仕組みのなかではとても重要なものです。私はあえて言えば、条約の内容に基づいて、国内的なモニタリングの仕組みをどのようにつくっていくかが、大きな課題だと思っています。障害者の分野で、条約に基づいた国内のモニタリングの仕組みをどのようにつくっていくか、当事者参画を明確にしていく中で私たちの切り口から見ていく必要があると思います。

指田: 3番目のパネリストのお話に移りたいと思います。高田英一さんはJDFの障害者権利法の検討委員会の委員です。ブンタンさんからもお話があったバンコク草案の審議でも積極的に発言されていますので、今回の作業部会で出された草案について率直なご意見をうかがいたいと思います。

バンコク草案に対する意見

全日本ろうあ連盟 常任理事 高田 英一

高田氏の写真

 私は、ニューヨークの会議には参加しておりません。バンコク草案の審議は、昨年10月バンコクで行われ、私はそれに参加しました。たいへんよい草案になったと思います。これが今回の国連のアドホック会合での討議のたたき台になったわけです。

 私は聴覚障害者、ろう者という特別な立場におります。バンコク草案のいちばんよいと思うところは、いろいろな分野の障害者の発言が、きちんと整理されて案に取り入れられたことです。障害者といっても、一色に染められるのではなく、聴覚障害は聴覚障害なりに、視覚障害は視覚障害なりに、車いすの方は車いすの方なりにニーズが違っています。それぞれが、特別な立場にあり、それぞれが一つひとつ尊重されなければならないと思います。たとえば、午前中に外務省の角参事官がお話された、ろうの方、盲の方はろう学校や盲学校とかを求めるが、他の障害者の方は普通の学校に一緒に入りたいと言っている、これをどうするかというお話がありましたが、それは簡単なことです。ニーズが違うので、ろう者や盲人は ろう学校や盲学校をつくって入れればいい、そう区別すればよいわけです。

 障害者の特別なニーズを無視した権利条約は、われわれにとっては意味のないものになると思います。障害者はそれぞれニーズが違う。これは単純なことですが、これまでのわが国の経過を考えると大きな団体、あるいは声の大きな団体の意見が尊重され、その他はなかなか通らないということがありました。そのあたりが変わってきたことは最近の大きな特徴であり進歩であると思います。

手話は言語である

 私たちは手話について特別な関心をもっています。私たちは手話は言語であるという考え方をとっています。一般的に社会の言語がいくつあるかという質問をすると、おそらく3,000とか3,500とか答えが返ってくると思います。しかし、私たちろう者の答え方は違うのです。社会の言語は2つしかなく、1つは音声言語、もう1つは手話です。そして手話には音声言語と同じように3,500ぐらいの手話があるという答え方をしています。

 言語とは何か、なかなか定義が難しい問題ですが、手話はよく身振り、ジェスチャーと混同されます。でも手話は言語であり、身振り、ジェスチャーはあくまでも身振りであり、ジェスチャーです。私たちがつくった日本語手話辞典では、見出し語だけで8,200あります。基本的な語彙だけ集めたわけですから、実際の手話の語彙はもっとたくさんあるわけです。身振りやジェスチャーは簡単です。せいぜい20~30ぐらいです。でも、手話を身につけるということは最低でも8,000、もっと覚えようとすると1万、2万と語彙を習得しなくてはなりません。そういったところがなかなか聞こえる人や他の障害者にはわかってもらえません。そこにわれわれの壁があると思います。

 バンコクでは、手話言語があるということ、手話言語は音声言語と対等の言語であること、まず、手話通訳が必要であること、手話通訳の養成が必要であること、派遣制度が必要であることなどを認めてもらいました。バンコク草案がそのままニューヨークに行きました。内容に小さな変更はありましたが、基本的なところは変わっていません。私はニューヨークへ行きませんでしたが、世界ろう連盟代表としてそのバンコク草案について連絡をとりながら、発展させる努力をしました。障害者団体の分野はさまざまですが、障害者はそれぞれのニーズ、意見について、国内的にも国際的にも意見をまとめ、整理する必要があると思います。

 手話についてもう1つ問題になってくるのは、教育におけるろう者の関心です。私たちはろう学校において手話を用いるべきだと考えています。でも今までろう学校、特に日本のろう学校は、手話を言語と認めない、あわせて手話をろう学校で教えようとしない、教えるどころが、使うことも認めなかったという状況がありました。実際にろう学校では手話を使っています。手話を使わないと生徒と先生の間のコミュニケーションができません。それでも文部科学省は表向きは手話教育を認めないという態度をとっているわけです。これはなぜか。まず、手話は言語でないという考え方があり、手話で教育をしていたら、学力の向上に結びつかないという考え方があるのです。私たちは逆に考えています。手話のコミュニケーションを基礎として、読み書きを学ぶことで基本的な学力を向上させると考えているわけです。実際、スウェーデンやアメリカなどでは手話を使いながら、基礎的な学力向上をはかっており、ろう者が政府などの職員、学者など、専門的な職につくようになってきています。これは大事なことです。

 聞こえる人たちはどうやって言語を習得するかといえば、聞くことから始め、話し、書く、読むようになります。聞くことと話すことが前提にあり、それができないと読み書きができないという理解があります。われわれは、聞く・話すことはできません。けれど手話でコミュニケーションをし、その発達を通じて読み書きの発達に結びつければよいと考えています。そういった基本的なことがなかなかわかってもらえません。

権利条約について広く国民的に議論しよう

 先ほど、社会開発、国際協力の問題が出ました。これは完全参加の問題につながりますが、完全参加の問題は社会開発につながり、平等は権利につながる、この2つは切り離すことができない一体となった関係です。権利条約だから権利についてだけ論ずればいいというのであれば、本当の意味での権利は守れません。アジアやアフリカなどの国では手話を言語として、憲法で認めている国もありますが、実際には手話は認められていません。手話は、一国においても地域でもばらつきがあります。一国において標準的な手話を整理しなければならない、手話通訳制度をつくろうと思うと、まず手話通訳養成から始めないといけません。これにはお金がかかります。だから、手話は言語であると権利を認められても、それだけでは権利は守れないのです。

 ですから、完全参加と平等を目指すなら、権利、労働とともに、社会参加・開発を念頭に入れないとなりません。そういう意味で、国際協力は重要です。障害者社会における国際協力にはお金はかからない、環境を破壊することにもならないと思います。一般的な経済協力と比べれば、安い金額で障害者の支援をすることができると思います。

 今、権利条約について熱心に討議されていますが、考えてみると、まだ一部関係者の間にだけとどまっています。国民が、一般的に知る機会がほとんどありません。ここで国民的に論議する必要があると思います。日本のように情報が発達した社会でもこのような状態ですから、発展途上国では、もっとどうにもならない状況があるのではないでしょうか。発展途上国にもいきわたるように国際協力を条約のなかに含めることが大事ではないでしょうか。

 私たちは聴覚障害者、ろう者の社会参加、平等を通じて、他の障害者にも参加をすすめ、人類全体の完全参加と平等につなげていく方向を目指しています。考えてみれば、完全参加と平等は障害者だけの問題ではなく、世のなかには完全参加にも平等にも関われない人たちが大勢いると思います。私たちの論議を通じて、まわりの人たちの完全参加と平等が実現できればいいと思います。

松井氏(左)と指田氏の写真

指田: ここで、パネリストのみなさんから、補足したい点がありましたらよろしくお願いします。

アジアが一体となって

ブンタン: EU、ラテンアメリカ、アフリカなどの地域では、自分たちの立場を集団的にうまく表現することができる国が多いかと思います。残念ながら、私たちのアジア太平洋地域では、それぞれの国や団体が、それぞれの立場でポジションを説明しようとする傾向があります。ときにはそれがいいこともありますが、よくないこともあります。私たちが行おうとしているのは、バンコク草案というアジア共通のものをもって、条約に結びつけようとしているわけです。私自身は、アジア太平洋地域がもう少し一体となり、いろいろなことを訴えていければと思っています。その意味で、バンコク草案は1つのきっかけとなり、交渉の材料となるのではないかと思っています。いろいろな問題点があげられ、却下されたものもありますし、問題点によっては無視されていますが、これまであげてきた問題を生かして、きちんと対応していければと思います。

NGOとして、認められること、認められないことを明確に

金: 先ほど日本政府のコンセプトとして、奨励措置の観点から、権利条約にアプローチしているのではないか、と申し上げました。恒久的な特別措置は、障害者への差別と見なすことはあってはならないという政策との関係で具体的に言うと、協議のなかで議論になるのは、障害者の雇用割当制度です。これは、政策的オプションとして必要で、当然、権利の奨励措置だという考えをきちんともつべきということなのです。
 企業によっては、面接の申し入れがあっても、法定雇用率を満たしているのだから、それ以上障害者を雇う必要がないと門前払いをしてしまうという問題を常にはらんでいることも、差別禁止との兼ねあいで、考えなくてはいけないと申し上げたいのです。
 これからの、NGOとGO(政府)の関係づくりのなかで、具体的な意見のやりとりで、NGOから見て一致できる点とできない点があるという話もありました。たとえば、やむえない場合は強制的収容もありうるというのは、NGOの立場としては、認めてはいけないことだと思っています。認められること、認められないことをはっきり議論で伝えながら、一致できることを広げて、確認しあってやっていくという手法、方法がこれから問われると感じています。

インクルージョンに対する考え

高田: 障害児が普通の学校に入って、一緒に勉強するという考え方、これはインクルージョンと呼んでいますが、私はインクルージョンの問題について、バンコクの国連関係の関係部会で何回も論議しました。

 最初は、私はインクルージョンの考えに反対でしたが、今では賛成していいと思っています。その理由の1つは、インクルージョンというのは日本やアメリカ、ヨーロッパには向かないとユネスコの職員が言っていることです。日本やアメリカなどでは、学校の制度が完備しているので、インクルージョンは困難だし、必要ないというのです。必要なのはアジア、アフリカなど、学校がそろっていない段階の国ではインクルージョンの考えは適当であるとしています。学校も先生さえいないところが、障害児の学校と普通学校を別々につくるのは経済的にも大変なので、まとめて一緒に、同じような条件で勉強できるインクルージョンのほうがいいということです。

 インクルージョンを日本で実践することはほとんどありません。でも、逆に一般の学校にきちんと手話のできる先生をいれて、ろう者の先生も入れて、ろう者グループで勉強できる。そして、同じように学力を伸ばすことができる、そういうことができれば、学校が一緒になっても別にかまわないと思っています。インクルージョンという問題、統合教育の問題も権利条約に盛り込まれるようですが、もっと深く考える必要があるかと思っています。

リソースパースンからの発言

指田: 次に、リソースパースンの山崎公士先生、それからモハメド・タラウネさんのお二人にご助言をいただきたいと思います。

権利条約と並行して差別禁止法の制定を

新潟大学法学部 教授 山崎 公士

 午前中と午後のお三方のお話をうかがって、2つの点を申し上げたいと思います。障害者の権利をめぐる問題も含めて、さまざまな人権に関わる制度設計を考える場合、法からのものの見方から見た場合、2つの側面があります。

 1つはどういう権利を法として保障するか、中身とするかという実体の問題。2つ目は国際的にこれは守るべきだという実体が確定したとしたら、どうやって守らせるのかという手続きの問題。実体を確立すること、それを守らせる手続きをきちんと仕組みとしてつくること。これは国内でも国際でも両方とも大事な話だと思います。この2つの側面が午前、午後、両方すでに出てきていると思います。2つの側面に絞って、特に今後の日本国内での課題という点でお話しさせていただきます。

手続きの問題

 1つは手続きの問題です。障害者権利条約で言えば25条関連ですが、モニタリングの制度の話です。まだ起草過程で十分煮詰まっていませんが、金さんからも、先ほど国内でどういうモニタリングの仕組みをつくっていくのかはきわめて大事だというご指摘がありました。私もまったくそのとおりだと思います。

 振り返って、これまでの日本の人権救済のやり方、特に行政におけるやり方を若干批判的、反省的に考えてみたいと思います。たとえば障害をもっている方々をめぐる問題では、省庁縦割りのなかで厚生労働省がもっぱらその所管でした。仮に苦情、救済のお願いをする場合でも、厚生労働省の枠内でとどまっている場面があります。すると厚生労働省の先輩に当たる方が行ったことを否定してしまうような決めごとは、同じお役所のなかではなかなかしにくいものです。同じ省庁のなかだけで救済の仕組みをつくってしまうと、当事者からすると十分な救済はあまり期待できないことになります。

 諸国では、あらゆる行政、立法、司法、裁判所から独立する国内人権機関、人権委員会やオンブズパーソン制度を、特に90年代半ばから続々とつくってきました。今、100弱の国では、ひとつの国で3つも4つも独立した機関などをつくっているので、全体で数百の独立した国内人権機関ができていると思います。日本では残念ながらいまだにできていません。

 金さんのご指摘のとおり、昨年の10月の国会解散で廃案になった人権擁護法案では政府から独立した人権委員会を予定していました。しかし、これは法務省のなかに置かれることになっていて、刑務所や入管で起きた密室人権侵害には適切に対応できないと、大きな批判が出て、結局廃案になりました。これは厚生労働省関連でも同じです。

 今後、障害者権利条約の関係でモニタリング、特に国内モニタリングをどうするのか、その受け皿の話は当然出てきます。今後、国会に要望しますが、できれば議員立法で人権救済法案を今国会、次の国会に超党派で出してほしいということを、働きかけつつあります。

 この新しい救済制度を日本でつくろうという話と障害者権利条約、差別禁止法をつくっていこうという話は、実はNGOのなかでも縦割りになってしまっていて、それぞれの専門家が別個に検討していて、横のつながりがなかなか見えてこないという欠陥がありました。

 この機会に訴えたいのは、国内のモニタリングをつくるという場合には、新しい人権救済機関としての人権委員会がその要となることが強く想定されるので、こちらの人権救済機関づくりの話にもぜひ、関心をもっていただきたいということです。 モデルとしてはオーストラリア連邦の人権・機会均等委員会、あるいはカナダの連邦の人権委員会がこれに当たると思います。オーストラリアの人権・機会均等委員会では、委員が7名いますが、それぞれ専門をもっています。アボリジニの問題を担当する方、ジェンダー問題を担当する方、障害をもつ方の問題を担当する方、もちろん委員は当事者出身です。この手のことは先進国では当然の話なのですが、これから日本も政府から独立した人権委員会をつくるとなれば、そのなかに障害のある当事者を1人常勤の委員として入れることを、当事者団体として積極的に要望をしていただきたいと思っています。

 人権委員会は救済にあたるだけではありません。諸外国の例では、人権教育、人権相談と救済、人権政策提言も行っています。私たちはこれを、三位一体と言っていますが、この3つ分野で過不足なく活動することで、その国の行政や社会慣行のいたらないところが見えてきて、立法も行政も司法もそれに立ち向かうという姿勢ができてくるわけです。ぜひ政府から独立した人権委員会づくりに障害者団体の皆さまも関心を寄せていただきたいと思います。

実体について

 第2点目は、実体の話です。
 もちろん障害者権利条約ができて、それに日本国が入ることはとても大きな意味をもちます。しかし、なかなかそれだけでは裁判や行政では使いにくいのです。確かに憲法にも差別の禁止に関する14条はありますが、しかし、憲法は基本的に国家権力と国民との約束ですから、私人が大企業で差別を受けた場合には、直接には憲法は使えないのです。たとえば、障害者差別禁止法という法律があれば、私人の差別に対して損害賠償などを求める訴訟の場合、弁護士が使いやすいということになります。差別禁止法をつくる場合、弁護士さんが裁判で権利主張するさいに使い勝手が悪い憲法の部分を補強するという第一の意味があります。差別禁止条例ができることも大事なことです。

 いろいろな道具立てをしないと、弁護士さんが条約の条文を使って自分たちの権利主張を補強することはしにくいのです。ところが、法律があれば、即裁判に使えます。権利主張をし、また救済を求め、さらに社会変革をするためには、憲法や障害者権利条約だけでは、不十分だと思います。その意味で、障害者権利条約が成立した後の批准促進運動と同時に、障害者差別禁止法を求めるという動きがタイアップして起きるべきだと思います。社会ルールの最低限の合意として、障害者に対して教育の場面、雇用の場面、バスに乗ったときとか社会生活のさまざまな場面で、差別してはいけないというルールを、国会で成立した法律に書き込むことがとても大事です。これには社会的意味合いがあります。国会という国民の代表が組織する場で、国民の総意で、障害者をもつ人をさまざまな場面で差別しないことを、社会的な合意として、私たちが確立し、確認する、これがいちばん大きなことかもしれません。こういう意味があるので、障害者権利条約を求め、できた後に批准を求めると同時に、並行して障害者差別禁止法を求めるべきと思います。

指定発言者からの発言

松井: 後半のディスカッションを進めます。最初に、指定発言者の東京大学先端科学技術研究センターの長瀬修さんと世界精神医療ユーザー・サバイバー・ネットワークの山本真理さんです。

障害者の権利条約特別委員会作業部会報告 ◊条約草案決定される◊

東京大学先端科学技術研究センター 特任助教授 長瀬 修

社会開発委員会での機会均等基準の補足案採択に関する報告

 社会開発委員会での機会均等基準の補足案の採択に関してまず報告させていただきます。これは、外務省にも確認してもらいましたし、また2月13日付の国連のプレスリリースで確認がとれました。

 読み上げます。「社会開発委員会は障害者の人権の保護促進、また、機会均等化の促進に関する決議を採択しました」これはE/CN.5/2004/L.6それの改訂版の1という番号で、後日、国連のホームページにアップされると思いますので確認をお願いします。

 この内容は、社会開発委員会は経済社会理事会に対して以下の勧告を行う。すなわち、次の国連総会において、機会均等基準の補足案の採択を目的として取り上げるように勧告を行うというもので、普通に解釈すると、社会開発委員会としては機会均等基準の補足案を採択したということです。そして、次の経済社会理事会という、もうひとつ上の段階に今度は移ることになります。機会均等基準自体も国連総会で採択されているので、その補足案も国連総会で採択されることになるということです。基準規則の補足案に関しては以上です。

当事者の参加は大きな前進

 私は第1回特別委員会、第2回特別委員会、そして今回の作業部会と国連本部レベルのプロセスを見てきて、まず申し上げたいのは、40名の作業部会の構成委員のうち、少なくとも12名が障害者を代表するNGOの代表で、条約草案づくりの正規のメンバーになっているという歴史的な大きな前進です。従来あまり発言されてこなかった精神医療のユーザー・サバイバー、また知的障害をもつ本人、従来知的障害の場合は、育成会の親の立場の方が代弁をする形でしたが、今回の作業部会ではご自身が、たとえば9歳から15年間施設収容されたという知的障害者自身が支援者の人と一緒に発言しています。そして、施設収容の問題について訴えるという切実な、体験にも基づいた形で国際的な基準づくりがなされるようになったということは、本当に素晴らしいと思います。

 とりわけ、今回の作業部会のなかで、アジア太平洋の存在感が非常に大きいことを誇りに思います。UNESCAPを中心としたアジア太平洋の十数年の取組みが、政策面でも国際的なレベルでインパクトをもつようになってきたことをまざまざと感じています。実際の草案づくりの作業のなかでも、アジア太平洋の功績、また、日本に目を向けると、とりわけ高田さん率いる全日本ろう連盟、日本DPIが出したさまざまな提案、提言が世界の障害者の権利を守る条約のなかにきちんと反映されてきたことを感じています。

 それは日本政府との関係についても言えると思います。今回の金さん、前回は東弁護士が政府代表団に入りましたが、こういう形で、実際にNGOが日本政府のなかにも入っていく、また、NGO独自としておそらくアジア太平洋レベルではこれまでもあったことですが、少なくとも、世界レベルの、こういう障害分野の基準づくりのなかで、日本の障害者自身の意見が具体的に反映される形で、今まさに条約がつくられている、日本の障害者自身が実質的な中身に関与するようになったということは、本当に素晴らしいことだと思います。

条約草案づくりと日本

 今、行われている条約草案づくりのなかで、具体的にどういう論点が日本との関連であるのかを2つだけ取り上げてお話ししたいと思います。

 1つは、教育です。これは今回の作業部会でも、非常に熱い意見が出されたところでした。それは、機会均等基準をご覧いただければわかりますように、とりわけ、手話を用いるろう者の教育をどういうふうに位置づけるのか。また、世界盲人連合から出されていた盲児の教育を盲学校で行うことも選択肢の1つとして位置づけるべきだということです。これは私が行っている障害学で言えば、障害文化という観点からも非常に興味深い議論なのですが、選択肢の1つとして、手話を用いるろう学校、ろうの先生がたくさんいるろう学校、点字をきちんと身につけさせてくれる盲学校、そういう選択肢をどう位置づけていくか。ともすると、インクルージョン一色という議論もあるなかで、盲学校やろう学校もきちんと位置づけてほしいというろう者、盲人からの声が出されています。ただ、それを日本の基本的なまだ強制的な分離の仕組みのなかで考えたとき、現在の議論の大前提になっている子ども、もしくは、保護者の選択の自由は、ないがしろにされたままなわけで、1周遅れの議論をしている感じがします。今の条約草案の形で進んでいくと、教育について、これから日本国内で議論をもっと深めなければいけない点だと思います。

 もう1点、何人かの方がおっしゃっていますが、今回の条約議論のなかで合理的配慮の提供が、障害差別の定義との関連から申し上げても本当に革新的な部分となると思います。職務のさまざまな変更や、具体的には職場での手話通訳者の提供もこの合理的配慮に含まれますが、そういう仕組みや制度を日本の雇用率のアプローチと、どのように並立させていくことができるのか。その意味で、これから政府とNGOの協力関係という大枠は非常に大事ですが、その先の議論、本当の政策的な議論を深める、そういう舞台がようやくできた。ここから本当の議論を政府側、NGO側でしていける、そういう意味では非常にわくわくしています。同時に、障害者グループ間でもたとえば教育の問題でもまだまだ相互理解が足りない点があるのではないかと思います。私自身も育成会の国際活動委員長という立場におりますので、NGO側自身の課題もまだあると感じています。

強制医療・強制収容の撤廃を目指して

世界精神医療ユーザー・サバイバー・ネットワーク 山本 真理

 お手元にある別刷りになっている「国連障害者権利条約作業部会への提起」が、世界精神医療ユーザー・サバイバー・ネットワークが作業部会に対して出した文書です。これは私が解説と一緒にまとめてつくったものです。

精神障害者のネットワーク

 私どもは国内組織としては、全国「精神病」者集団という組織で、1974年につくられました。ちょうど30年前です。国際的にも、精神障害者の全国的なネットワークの運動が、各国で始まったのは、だいたい1970年初頭くらいです。   

 われわれの運動の始まりは、閉じこめられたくない。強制医療は嫌だという非常に大きな怒りでした。私たちを弾圧してきたもっとも大きなものが強制医療であり、強制入院でした。それに対して闘うというところで、世界各国どこも共通した形で運動が始まったと言っていいと思います。私どもは強制入院の撤廃、強制医療の撤廃、当時は精神衛生法、今は精神保健福祉法ですが、その撤廃を結成当初から掲げ、運動を続けてきました。発足当時私たちの運動は国際的なつながりはもっていませんでしたが、その主張は驚くほど共通しております。確かに精神医学というのはインターナショナルなものですし、そういう形では同じような体験を私たちはしていると言えます。

 世界精神医療ユーザー・サバイバー・ネットワークにある、「サバイバー」という言葉はわかりにくいと思います。「ユーザー」は精神医療の利用者ですが、「サバイバー」は、同じ国連の会議に出ている地雷サバイバーネットワークというのがありますが、これとある意味で同じです。つまり、私どもにとって精神医療は、地雷と同じような、あってはならない非常に恐るべき体験だということです。そうした精神医療からわれわれは生き延びた者であり、精神医療に対する批判を込めて、自ら名乗る自己定義でもあるわけです。

 私たちは世界精神医療ユーザー・サバイバー・ネットワークとしては、私たち精神障害者が法の下で人として認められる。そして、完全な法的能力のある人として認められているだろうか。そして、そのうえで、われわれ精神障害者、もちろん障害者全体そうですが、国連人権規約が適用されているだろうか。国連人権規約、拷問禁止条約というものをわれわれの障害のとらえ方から見たとき、どういう読み直しができるのか。そうした問いをまずもちます。そしてそれらが認められていないからこそ、私たちは障害者人権条約を必要としているわけです。

 WNUSPの作業部会の提起のなかにあるように強制医療、強制収容というものが拷問にあたるという主張のもとに、この作業部会がつくった草案のなかには、拷問禁止の条文のなかに「強制治療撤廃」が入りました。今まで、強制収容強制医療は、例外的であれやむをえない、だから適正手続きが必要あるいは政府ガードが必要という議論が、強制医療をめぐる主な議論であり、これは精神保健専門家だけではなくて、人権擁護団体も同じ主張でした。

 しかし私たちWNUSPは、強制収容・強制医療は拷問に当たるという主張を師、それが、認められたのが今回の草案です。この強制収容・強制治療撤廃が初めて公の文書に書かれたことは、300年の圧政の歴史を覆した歴史的勝利であると思います。しかし、たくさんの脚注がついた項目ですので、これから非常に難しい、交渉、闘いが続くと思います。

長年の戦いの成果を

 午前中の外務省の角参事官のお話のなかで、こういう強制医療や治療の撤廃は、一部西側NGOから、あるいは、文書のなかでも精神障害者のNGOのなかからということになっていますが、必ずしもそういうわけではありません。国連のロビーイングを目的とする国際障害同盟という組織があります。昨年8月に国際障害同盟は、心神喪失者等医療観察法案に対する抗議要請文を出しました。私ども世界精神医療ユーザー・サバイバー・ネットワークは国際障害同盟に参加していますが、この抗議要請文では強制収容強制医療の撤廃が共通の主張として語られています。国際障害同盟に加入する他の組織からも、われわれの強制収容・強制医療撤廃の主張は、障害者は人間であるという共通の認識から当然だと支持されております。   

 一部の西側のNGOだけが強制医療、強制入院に反対したということではありません。私たちが障害者として、違っている権利、あるいは多様性の尊重、自己決定の権利を考えるとき、鍵をかけて人を強制的に閉じ込める、強制的に治療する、しかもその理由が障害を根拠として強制的に行うことはあってはいけないのだというのはあまりに当たり前のことであり、多くの障害者団体がわれわれを支持していることをつけ加えさせていただきます。

 そして、日本国内では残念ながら、昨年、心神喪失者医療観察法案という新たな差別的な予防拘禁法が、私たち精神障害者のみに障害を根拠としてつくられました。国際的にも各国で、とりわけ欧米では、地域における強制医療を保障するさまざまな立法がつくられようとしています。この10年間は精神医療では反動の時代といってもいいと思います。強制医療、強制収容の撤廃という立場を草案のなかに、さらに、これからできる条約のなかに生かすことは難しいという思いもしますが、これこそわれわれの300年の悲願、30年の戦いの成果として、なんとしても国内の障害者団体とともに、日本政府も障害者の主張を支持するようにと交渉を続けていきたいと考えています。

質疑応答

パネリスト他の写真

松井: フロアから、質問を受けています。最初に中西さんから、タイやヨルダンで障害者団体が権利条約づくりのためにどのように運動を展開していますか?という質問です。モンティアンさんとタラウネさんお願いします。タイではどうですか?

タイ・ヨルダンにおける権利条約づくりのための運動

ブンタン: 最初に一般に向けて特別委員会が行われ、発表されたのが、2002年の末でした。これはちょうど、国際障害者の日にあわせて行われたのですが、その時に政府とNGOがUNESCAPに集まり、国連の障害者人権条約について話し合いをもちました。日本からの参加者もいました。ちょうどアジア太平洋障害者センターがオープンしたときで、中西さんもいらっしゃいました。それから話し合いがスタートしましたが、段階としては初期の段階です。

 タイの場合は、首相の諮問委員会が設置され、決議を出しています。タイ政府はこの条約に対して、完全に支援体制をとっています。タイの障害者の世界でもこれは非常にエキサイティングなことでした。NGOが条約づくりに参画できるという素晴らしい知らせになりました。それまではプロセスのオブザーバーとしてしか参加していませんでしたが、今では代表団、直接の参加者として参画ができます。

 2002年にはナショナルセミナーも行いました。ここで、第2回特別委員会に向けて、タイ国がどのような姿勢をとるか明らかにしました。タイはこのプロセスに前向きに取り組んでいます。さらに、障害者のコミュニティを越えてこの動きが広がっています。人権委員会もしかりです。国の人権委員会の設立にも非常に前向きですし、多くのUNESCAPのイベントにも国として支援しています。

 12月、起草委員会がスタートした少し前に、諮問会議をもちました。そこにも、いわゆるNGO、障害者団体が参加しています。今回の人権条約を起草し、採択するのに向けて、タイでは非常に密に、直接的に参画しているということです。

 タイでは、政府の改革も行われておりまして、そのためにスローダウンしてしまったものもありますが、だいぶ政局も落ちついてきて、再びこの動きに勢いが出てきています。さまざまなキャンペーンが政府とNGOの協力のもとに行われています。

 いずれはタイでもこの法律がきちんと制定され、それによって条約に沿った形で法整備がなされることを祈っています。第1項からわれわれもそこに参画できているので、最終的にはこの条約が障害者の権利を促進し、保護することになろうかと思います。憲法にも基本的にはうたわれていますが、やはり障害者の人権に関する法律について、独立した法律が今必要になっていると思います。

タラウネ: まず、ヨルダンの国レベルの話からしたいと思います。ヨルダンでは障害者委員会を1993年に設立しました。そこで、さまざまな障害者問題について法律をつくっています。その後、いろいろなアウェアネス・キャンペーンも展開しています。

 ヨルダンはアラブの障害者の十年において、大きな役割を果たしました。さらに中東、西アジアといった地域で、人権に基づくアプローチをとっていこうと大規模な改革も行っています。社会経済文化的権利また宗教の権利、教育の権利、こういったすべての権利について改革を起こそうということで、それを訴え、いわゆる湾岸の国々、中東の各国にそれを広げようとしています。

 ヨルダンにも地雷サバイバー・ネットワークがあります。昨年の6月、私はアラブ諸国の運営委員会のメンバーとして会合に参加し、そこで起草委員会のメンバーを選び、それ以来、起草に参加をしています。当然ロビー活動も行っています。その結果、アラブ国の代表を特別委員会作業部会のメンバーに加えることができました。

 ヨルダンの地雷サバイバー・ネットワークのディレクター、アブニーさんという方とも協力し、アラブ地域におけるさらなる改善を目指しています。このプロセスについて、アラブの諸国は皆それぞれにサポートしています。そしてこの条約が採択された暁にはヨルダンは批准をする、またサインをする最初の国になるのではないかと思います。

ろう教育の課題

松井: いまアラブの十年とおっしゃいましたが、これは第2の「アジア太平洋障害者の十年」と同じく2003年から2012年までがアラブ十年というわけです。

 続いて高田さんへの質問です。「ろう学校の存在について、普通の学校のなかで手話が使えるようにするとか、点字教育を行うとか画期的な転換がなされてもだめなものでしょうか」。ともに育つ会の方からの質問です。

高田: 普通の学校に手話を入れるような形であればいいと言いました。でも難しい問題があります。アメリカではトライアングルというグループがあり、ここでろう者、健聴者を一緒にして教育するという試みが行われました。ポイントとなるのは、健聴の子どもの数も同じ、どちらもグループとして30人ずつ、勉強するというものです。もう一つは、教育する場合に、音声言語の健聴者と手話言語の2人の先生を置いて教えるやり方で行われました。それが続いているのか、卒業した子どもたちがどうなったのかという情報は聞いていません。だから問題も残ると思います。

 もう1つの問題は、聞こえる人の音声言語を教える方法とろう者の手話での教え方法が違うことです。2人の先生が並行して教えることでどちらにもわかるかどうか、ちょっとわかりませんね。ろう者に手話で教えるといえば、手話独特の教え方があるわけですから、単に2人いて解決できるものか。そういう問題はあります。

 普通の学校に障害者を入れるという考え方には、インクルージョンとインテグレーションの2つがあります。健常者の子どもたちに障害の子どもを入れると、一緒になるけれど、押しつぶされてしまうという問題があるわけです。インクルージョンは、手話ではこうやって詰めるという言い方をします。みんな一緒にするという考え方、平等な立場で一緒にする。インテグレーションとインクルージョンは違うのです。インテグレーションは、既存の制度を前提としたやり方です。インクルージョンは制度そのものを変えてしまう方法です。成功するか失敗するかわかりません。日本、アメリカ、ヨーロッパでインクルージョンに成功した例は、ひとつもありません。

日本の障害者団体が抱える課題

松井: 次は金さんにお願いします。日身連の方からの質問です。
 「5月と8月に特別委員会が予定されていますが、日本の障害者団体として一番の課題は何ですか? また、その課題解決に向け、現実的にはどのような活動、アクションが効果的だと思われますか?」。

金: 当面の取り組みとの関係でお話しします。今度の特別委員会はNGOの立場では、正式委員としては入れないので、オブザーバーとしての出席になります。特別委員会の前に各国ごとに、国内政府とNGOとの協議をしっかり行うことが必要だと思います。JDF準備会として外務省を通じた政府との協議も積み重ねてきました。5月から8月に向け、政府の意見にできるだけNGO、障害当事者の視点を反映させられるような協議内容づくりをしていかないといけないということだろうと思います。

 JDF準備会のなかでは、権利条約について、事務局段階ではDPI日本会議が担当ですが、3月下旬に論点を明確にし、NGOの立場からの意見・提議ができるような学習会をやろうと計画しています。その論点がご質問の重要な課題にあたると思いますので簡単に紹介します。差別の定義、合理的配慮、身体拘束強制医療、国際協力、情報とコミュニケーション、既存の人権条約の実施状況、モニタリングを中心に、国内モニタリングの問題もあわせて、NGOの立場からまとめ、政府との協議にそれを提起し、5月、8月の特別委員会の政府の意見に反映させていけるような取り組みを、積極的に行っていきたいと考えています。

松井: JDFの説明をお願いします。

金: 2002年に、DPI札幌大会と大阪でのアジア太平洋最終年フォーラムという2つのイベントを行った実行委員会のなかの、おもな団体が集まり、昨年10月から新しい障害者団体の大きな連携をつくろうと、JDF、日本障害フォーラム準備会として活動していこうとしています。権利条約についても政府協議では、JDF準備会として協議を行っています。

アメリカ・イギリスにおける障害者の就労の実態

松井: 構成団体はIDAに入っている団体ですね。金さんにもう1つ質問がきています。ジョイ・コンサルティングの方からです。「世界に40か国ぐらい障害者差別禁止法がある国があるが、特に障害者の就労という点で、前進があったでしょうか」。

金: 途上国を含め、障害者差別禁止法をつくっている国が43か国ぐらいあると報告を聞いています。ただ、40の国全部を私自身が調べているわけではないので、断片的に聞いていることだけしか言えないのですが。

 アメリカとイギリスの障害者雇用の状況はどうなっているかということは、きちんと見ておく必要があると思います。94年にできたアメリカのADAが、私の聞いた範囲では2年前に中間的な実施状況の報告書を出しています。障害者雇用についてどうだったのか。ADAでは、対象者として有資格の人、これは業務を行うことができるという前提で有資格という言い方ですが、すでに職場で長年働いている人が障害をもったことで不当な扱いを受けたら訴訟など提訴することについては、確かに有効な面があります。ただ、採用にあたって、障害を理由に差別的取り扱いをしてはならないということについては、企業も対応の仕方を考えていて、障害を理由に採用をしない、拒否するということを表立ってしないので、事実関係が明らかにならないわけです。採用にあたって、ADAが有効に使われているというには、まだ不十分だと聞いています。

 イギリスでは、障害者法定雇用率割当制度が実施されていましたが、障害者差別禁止法で、もともと批判的な当事者団体からの反対もあり廃止されたわけです。そのことも含め、障害者雇用がどのように前進しているかについては、もう少し具体的に検証する必要があると思います。

障害者と人権委員会の関わり方について

松井: 次は山崎先生への質問です。1つは、アジア経済研究所の方からです。「人権委員会設立のために、障害当事者もというアイデアを興味深くうかがいました。質問ですが、一般的な人権委員会の一部として、障害者が入るだけで十分でしょうか。障害者に関わる問題は、他にもJIS規格の問題など多数あります。障害者の問題を専門に扱う委員会が設立され、その長に障害当事者がなるという考え方もあります。先生はどちらがベターと思われますか?」。

山崎: 非常に難しい問題と思います。要するに、当事者運動の力と日本の立法府のその力関係で、仮におっしゃるような、障害者当事者をめぐるさまざまな人権問題や差別をもっぱら扱うような独立した機関が望めるような政治状況、社会状況があれば、それでよろしいと思います。

 私どもは、そこまではまだ展望できていませんでしたが、たまたまここ数年来、先ほどお話したような、人権擁護法案の動きがあって、一般的ないろいろな分野を特定しないで人権問題、差別を扱うことを予定する、政府から独立したと思われる人権委員会ができるという情勢がありました。しかし、この法案は昨年の衆議院解散で廃案になってしまいました。しかし、そこまでもっていったさまざまな人権運動がありましたので、この勢いを持続させて、この国会以降に、議員立法という形で、一般的な幅広い分野を扱うような人権委員会を求める法をつくったらというのが、今、現実的、実践的な動きになっていますので、それを前提としてお話ししたということです。どちらが効率がいいかというのはなかなか難しい問題で、どちらとも言えません。日本の社会政治状況がどちらがより成熟しているかで、現実論としてより制度設計がしやすいほうを先にやったらいいと思います。

 他の国でどうだったかですが、イギリスでは、外国人差別禁止や障害差別禁止など、分野別にパワーがあるところが、政府に対して差別禁止法と救済機関を求めて、当初は個別的に立ち上がりましたが、十数年、20年と運用を経ると、共通の分野が出てくるし、重なっているところは行政的、効率的に無駄なので統合していこうということになりました。
 先進国のこれまでの発展の経緯を眺めると、場合によっては分野別に現実性のあるところから救済機関を立ち上げるという方法もあるかと思います。今までの日本では、全般的な救済機関をつくろうという流れがあったので、私はそれを前提としてお話ししました。

条約の批准まで

松井: 「宣言条約規則について、先生の説明でよくわかりました。国連の子ども権利条約が出されて、日本がその条約を批准するのに何年もかかりましたが、その理由は何でしょうか?」。 

山崎: 私は日本政府の人間ではないので、正確にはお答えしかねるのですが、長年日本社会で息を吸ってきましたので、若干のコメントはできるかと思います。条約というのは批准するとかっこいいのですが、政府の立場からすると、ちょっと面倒でもあります。ですから、世間があまり騒がなかったら、そういう面倒な世界には政府の立場から積極的にコミットはしないというのが、日本に限らず、先進国・途上国含めて、どこの政府でもそういう対応でした。子どもの権利条約ができた時点、日本政府で批准された時点は、旧来型の政府の対応の最後の部分にかちあっていたので、のんびりと批准・加入できたのかもしれません。しかし、最近は参加型民主主義、自分たちが関わるところは自分たちで意見を言う流れになってきました。80年代にのんびり条約に入っていた情勢が今後続くとは思っていません。期待も込めてそのように言いたいと思います。

権利条約制定と差別禁止法の力点の置き方

松井: もう1つは、アビリティー総合研究所の方からです。「権利条約制定と並行して、障害者差別禁止法を制定することが重要だと先生はおっしゃいました。それは大賛成ですが、権利条約制定までにはかなり時間のかかることと思いますので、差別禁止法の実現により力点をおいて、早期制定し、逆に権利条約制定に拍車をかけるという道もありますが、いかがでしょうか?」 

山崎: 1つの大きな選択肢だと思います。社会的・政治的な情勢、国民的な合意が、国会をどこまで突き動かすか、そこに集約されます。その先は運動論になります。当事者も含めた、あるいは広く障害をもっている方々の団体も含めた、広い日本のさまざまな人権団体とどうやって連携して国民のコンセンサスを形成して、それを国会にもっていくかに尽きると思います。そうなってくると、権利条約制定と障害者差別禁止法のどちらが先かは非常に難しくて、スローガンを掲げて、どちらかが大きい旗になって、どちらかが小さい旗になるのかと考えるのが、運動としては効率がいいかもしれません。しかし、せっかくこのような国際セミナーもやっていただいているのですから、国際的な条約づくりを引き続き進める一方で、運動として意見集約を進めていただいて、他方で、密接不可分な関係にある国内での法整備を進める方法もあると思います。

 運動としては両方行うと力がそがれるのかどうか私はよく存じませんが、世界で動いていることと、国内で動いていることとは決してベクトルの方向は矛盾しないと思うので、どちらが先かは運動体が決めることですが、私としては両方とも大事だと思います。

マルチトラックとホリスティック

松井: 権利条約については、マルチトラックとかホリスティックという言い方がありますが、それらの具体的な内容は、何を言っているのか、説明していただけますか? 

タラウネ: マルチトラック、ホリスティックには、言葉の使い方の混乱があったと思います。
マルチトラックには、いくつかの文書、法律が関係します。たとえば、北と南では2つの定義があるということが起こってしまいました。これは私見ですが、北の国々では、定義として、マルチトラックという言葉を使いたいと思います。特に人権条件に関する開発的なアプローチ、先進国、工業国では、これは人権の問題の傘の枠のなかで留めておきたいということで、マルチトラックという言葉を使っています。
それに対して、ホリスティックという言葉は人権的なアプローチで、開発アプローチだけでなく、全部を1つの傘のなかに入れようというわけで、そういう意味ではこのホリスティック・アプローチをこの条約にはとりたいと思っています。

UNESCAPから見た作業委員会草案

松井: 今日、UNESCAPから長田さんが来られています。長田さんは、事務局としてバンコク草案で非常にご苦労されたと思いますが、その立場から、今回作業委員会で草案ができたことに関して、長田さん個人としてはどのように見ていらっしゃいますか。

長田: 個人の見解とUNESCAPの見解は、インテグレートしておりますから、今回はUNESCAPとして見解を述べたいと思います。関連資料の8ページにある付属1とバンコク草案の間にどういう違いがあるか、その違いについて、バンコク草案をつくった人間として一般的にどのように展開するかということです。

 まず1番目、国際協力が論点になっています。それは8ページの一番下の、Iの最後に国際協力が出てきて、「注釈3」があります。先ほど外務省の角さんも言われましたが、国際協力について、日本政府の見解はたいへん結構だと思います。必ずしもODAのお金につながるわけではありませんが、国際協力を広義で見ていこうということです。たとえば、女性問題、環境問題などに関してすべての国際協力のプロジェクトは女性に対するインパクト、いわゆるジェンダーインパクト、環境に対するインパクトを絶対に入れなくてはいけないということになっています。日本が行っている多額の国際協力が一体障害をもつ人にどれだけ貢献しているか、これに関しても統合していこうということで必ずしもセンシティブになることではないと思います。日本政府のとらえ方は、ある程度妥当だと思います。バンコクのときもODAのことを言っているのではないとディスカッションがあったと思います。

 2番目は、セルフディタミネーション・ライト・トゥ・ディファレント(self-determination, right to difference)はおかしいということについてです。8ページのGで障害のある人の多様性を求め、Kで個人の自立、自己選択を行う自由を含むとしています。これは、まったく当然のことです。モンティアンさんがカナダからコメントが出ていると言いましたが、これは国内でフランス系の人々とかの独立運動に頭を痛めているカナダの政治的な意図からうまれた意見と思います。ディベートを進めていくと国際社会では通用しないと思いますから、あまり真剣になることはないと思います。自己決定とか自由というのは、最も基本的なことなので、バンコク草案で死んではならないものだと思います。

 3番目、社会権はどこから始まるかということです。バンコク草案でも社会権と自由権をはっきり分けませんでした。14ページの7条ぐらいから自由権的なものが始まり、社会権は28ページの21条ぐらいから、社会・経済的権利は健康リハビリテーション編から始まって、21、22、23、24。これが社会権ということになっていると思いますが、社会権は予算その他がなければ、実行できないので、徐々にやっていくというのは、国連の過去の経験やコンベンションから当然のことです。別にムキになってディベートすることはありません。

 注目していただきたいのは通常、社会権だと思われていたアクセスの権利が、自由権のなかに入っていることです。それはUNESCAPで行った会議、アジア太平洋地域の専門家がつくったバンコク草案の貢献だと思います。というのは25ページを見ていただければわかりますが、そこにアクセスの権利が入っています。これもはっきり自由権・社会権と分けてはいませんが、どちらかというと自由権に入ります。どういうことかというと、アクセスの権利は情報アクセス、通信情報へのアクセスを含み、自由権であるということです。これは明日からやってもらわなければ困るということです。お金がないから、アクセスの権利をやめるというわけにはいかないのです。これが自由権に入っているというのはいいことだと思うし、バンコク草案をつくった私たちとしては、プライドをもっているところです。これがきちんと自由権のなかで生き残ったのはいいことだと思います。

 ただし、アクセスの権利は建築物と情報アクセスと両方あります。たとえば、視覚障害者にとっては情報アクセスはすごく大事なものです。バンコク草案のときはもう少し強かった気がします。それが建築物のアクセスと一緒になって情報、特にコンピュータ、インターネットなどに関する情報アクセスの項目が減ったことは、さびしい気がします。でも自由権なのでよいと思います。

 第4点のデータコレクション。これは統計です。統計については新しい事柄なのでどこに入れればよいかわれわれもわかりませんでした。これは13ページの第6条に入っています。以前の国連のあらゆる条約のなかに一切入っていません。これはUNESCAPのコメントでなくて長田個人のコメントとして、これは当然のディベートだと思います。今までなかったものだし、統計をコンベンションのなかに入れるというのは難しいのではと思います。なぜバンコク草案に入れたかというと、第三諸国の人から入れてほしいという要望があったからです。これが最後まで残るかどうかは個人的にはちょっと自信がもてません。

 モンティアンさんが言われた定義が10ページにあります。これは非常に重要です。特に、障害のある人はだれかということです。この条約はだれにとっての条約なのか。この条約はだれを保護するものであるかということを決める必要があると思うのです。私が明日、喫茶店で「お前なんか店に入るな」と言われて、自己申告して、精神的にストレスがあるから私は障害者だと勝手に言っては困るのです。条約である限り、定義は必要だと私は思います。

 それから、生きる権利、生存の権利には多面性があります。たとえば宗教の問題や中絶など、非常にややこしいことです。ここはしっかりディスカッションしていただくということで特に私のコメントはありません。

 モニタリングは一番大事なところです、特に国内でのモニタリングが重要です。どうして大事か。UNESCAPとしても長田個人としても思いますが、実際に権利条約を実行するための方法は2つしかないと思います。まず1つは、国内法をつくる、そして実行する。日本などのようにまじめな政府はそうすると思います。ですから、日本の人は安心していいと思います。たぶん障害者の人権条約が調印されれば、それなりの効果は国内法にはね返ると思います。  

 もう1つは国内でのモニタリングというメカニズムです。国連レベルでの国際的なレベルづくりはありますが、これがうまくいった試しがないのです。国内的モニタリングのメカニズムを条約の条文そのものに入れようというのは、そういう動きからあると思います。国際的なモニタリングは頼りないから、国内で勝手にやりましょうということですが、日本のように人権委員会のない国はまったく困ります。ですから、日本のような人権先進国ではない国は今回の障害者の人権条約を中心として、どういう形でもいいから人権委員会をつくり、他の国並みに引き上げる。障害者の市民活動を中心に日本に人権をつくっていこうという姿勢で、特別に障害者だけの人権モニタリング機構をつくるのではなく、まず最初に人権委員会をつくって、障害問題担当のモニタリングの委員を入れる。そこから日本のデモクラシーに花を咲かせようということです。34ページの25条、国内的実施の枠組みのところです。

 全体に、バンコク草案が生き残った部分が多かったのでうれしかったです。今後ともがんばりましょう。

権利条約はいつ成立するか

松井: 適切にまとめていただいて、ありがとうございました。
 各パネリストに権利条約がどのくらいタイムスパンで成立可能と考えるかということと、その根拠について簡単に話してください。加えて、ぜひこれだけは言っておきたいことがあれば、お願いします。

金: 1年以内というふうには考えないほうがいいと思います。1年以内でつくれるとしたら、内容的に薄められて、多くの政府が批准ができるものにしかならないと思うので、あまり急がないほうがいいでしょう。それにしても、あまりにも長くかかってはいけないので、ここ2~3年のうちで進めばいいかと思います。国内的なものをどのようにインパクトのあるものとしてつくっていくか。国際的な人権基準としての障害者権利条約と、国内における差別禁止法の制定をどうやってアクションのなかでつなげていくかを具体的なビジョンとしてもたないといけないと思うのです。そういった意味で、たとえば、権利条約の策定、促進のための超党派での議員連盟をつくり、8月の会議に向けて、一緒に特別委員会に参加し、一緒に傍聴して議論に関わっていくということをやっていきながら、国内的には権利条約に対応できるためにはどういうものが必要かという議論をきちんと進めていく、そういう具体的取り組みの構想をもつ必要があると思っています。八代議員も言われていたように、基本法の改正案のなかで、5年後には見直しがあるということも視野に入れながら、権利法制もきちんとつくっていくことが必要だと思います。

高田: あわてる乞食はもらいが少ないという言葉がありますが、あわててはいけないと思っています。というのは、たとえばここに、普通学校を選ぶか特殊学級を選ぶか、その選択権が障害者当事者にあるのか、障害者の家族にあるのかがあります。私は障害者当事者が選択することだと思いますが、いろいろな事情がありますので、一概には言えません。ただ言えることは、判断基準となる情報を障害当事者が共有しているかどうかという問題があるわけです。

 私たちは3月3日、耳の日に耳に関するいろいろな集会を開きます。耳鼻咽喉科の医師も耳に関する集会を開きます。そこで彼らが強調するのは耳が大切だということです。小さいときから話すことをしなければ、言語は身につかない、大きくなって人と交際できない、人間として文化的な価値を知ることができないと、そんな話をするわけです。そして最後に言うことは、人工内耳が必要だということです。スクリーニングをして、子どもが1、2歳の頃から人工内耳をつけたほうがよいと言うのです。人工内耳はもうかる商売と聞いています。人工内耳をつけさせたい、使いたいというのは親として当然のことだと思うのです。

 私は8歳のときに聞こえなくなりました。親は情報を探し、あっちに耳が聞こえるようになったという医師がいると聞けば飛んでいく、こっちの宗教がいいと聞けば飛んでいきました。それでも聞こえるようになりませんでした。障害者の親は、とにかく障害をなくしたい、障害者仲間にしたくないと走り回るわけです。だから、ろう者も手話通訳があれば生きていけると考えず、聞こえると聞くと飛びついてしまう。これは問題です。

 私たち障害者から健常者社会に対して情報提供するということがまだ少ないのです。だからまだいきわたらないのだと思います。障害者の立場はいろいろうりますが、集まって情報交換すること、こういう議論の場を広げなくてはいけないと思います。障害関係だけでなく、社会全体にこういった情報を普及し、お互いに意見を交換するなかでまとまっていくことが必要です。そのための時間を使うことが必要なので、そのことを第一義に考えたいと思っていますので、条約が早くつくられても困るという気持ちです。

ブンタン: 最後のコメントをする前に、少し教育に関してふれます。
 これは国連でも非常に大きい話題になっています。教育について高田さんがおっしゃることはもっともだと思います。確かに政府なり一般社会が、障害者にはこういう教育が必要だと決めるのはまったくお門違いだと思います。基本的に教育は、インクルージョンしていけるのが望ましいが、しかし選択は障害当事者に任されるべきだと思います。

 今回の私たちが話題にしている条約は、いろいろな課題に直面しています。実は、いろいろな推測や憶測も耳にしています。従来の人権活動家、あるいは人権専門家によると、いわゆる障害のテーマ別の条約などは必要ないという意見もあります。既存の人権文書や条約をつくればいいという意見もあります。さらに慈善モデルの管理で十分ではないか、権利に基づいたモデルは必要ないという人もいます。そういう意味でこれは大きな課題だと思います。これをクリアしてこそ条約の成功に結びつくのです。

 もうひとつの課題は、障害者のコミュニティのなかでのものです。障害者自身に、与えられるものをとりあえずありがたくもらおう、対立して波風をたてるのはやめようという考え方もあるのです。
 この課題を克服しない限り私たちは勝てないのです。自分たちの課題をきっちり認識し、啓発をし、前向きなフィードバックを自分たちから行わなければ成功には至らないし、継続的なキャンペーンもできません。子どもの権利条約や、女性の差別撤廃も同様の努力がなければ生まれなかったわけです。また、世界人権規約も努力なしには生まれなかったわけです。どの条約が生まれる際も問題点を明らかにし、ニーズを明らかにし、また十分に論議しなければ生まれなかったということで、その点については、今回の障害者の権利条約についても同じことが言えます。ですからぜひ前向きに、この状況を見ていきましょう。そして、これから1年経った時点で、大きな進歩を遂げていられるようにしていこうではないですか。

タラウネ: 今の意見にまったく賛成です。何につけてもタイミングが重要になります。権利条約などのような問題については、時間をかければいいというものでもありません。適切な時間を充てて完璧ではないにせよ、有益な条約をつくれればと思います。その条約のなかの条文の解釈、これはまたいろいろ異なるものも出てくるでしょうが、私自身はこれから3年から4年かけてこの条約が確たるものになれば、制定できるのではないかと思います。

 現在6億人の障害者が世界にいると言われています。大変な数です。ということは、どの社会においてもだいたい10人に1人が障害をもっていることになります。さらに多くの国で高齢化が進んでいます。ということは、それに伴って障害をもつ人もどんどん増えているということです。高齢化に伴う障害者の増加も1つの大きな要因になってくるでしょう。

 そのようななかで、私たちの世代だけがこの権利条約を必要としているわけではありません。私たちの次の世代も人権、権利が認められるということを必要としてくると思います。現在、私たちが行っている作業が次の世代にとって苦労が軽減される助けになるようにということを頭に入れるべきです。

 また、世界中のNGOが手を携えていくことが重要でしょう。それによって、われわれが直面しているいろいろな違いや問題点を克服できると思います。一緒に協力することによって、より私たちの声が大きくなる、それによってこの条約がさらに具体的なものになると思います。

山崎: まず最初に、何年かかるかという話です。宵闇も迫っていますのでウイスキーの水割りにたとえて話したいと思います。ウイスキーの水割りというか、ウイスキーの味をした薄い水、つまり国家にとってほとんど痛くもかゆくもない条約なら1年以内にできるでしょう。だが、皆さん方がおっしゃっているように、きちんとした権利モデルに基づいてきちんとした定義を定め、自由権的な側面、社会権的な側面も明文化し、なおかつモニタリングについても国際・国内の両方についてきちんと設定していく類いの条約であるとすれば、ウイスキーでいうとおそらく「ダブル」、その程度に濃い中身だろうと思いますが、これは少なくとも3?5年はかかるのではないかと思います。なお、完全にストレートで、この条約を飲んでしまうと喉がヒリヒリするという類いの条約だったら何年かかるか。これはおそらくできないと私は思います。

 今日の私の最終的な感想として、希望について語ってみたいと思います。国連などを中心とする国際社会の決めごとの場面でもたとえばNGO代表、市民社会の代表がオブザーバーで参加する。場合によっては、先住民族会議のように直接代表として発言できるということが十数年前から国際社会では実現し始めています。今回の権利条約の起草プロセスを見ても、日本政府の代表団の一員にNGOの方が参加するというかつては想定できなかった状況が出てきています。これは国内社会でも、たとえば、国民の権利義務に直接関わるような法律、あるいは制度の新設・改編の際にはパブリックコメントが求められて、従来の公聴会だけでなくメールなどで意見が言えるという仕組みができてきています。その結果、政府がもくろんでいた決めごとといささか違うような道筋ができてくることがここ数年よく見てとれます。

 これはすべて一人ひとりの生活者、障害をもっている人とか外国人、雇用や教育の場面で不利な立場に立たされていやな思いをしている、そういう方々が黙っていないで声を上げて、その声が制度づくりに反映できる仕組みがやっとできてきたということです。100年後の歴史家が今を振り返って、20世紀後半というのは、それまでのように権力者だけが政治を動かすのではなく、一人ひとりの市民が自分たちに関わる政治を動かす時代が出現したと評価されるかもしれません。

 私どもにとっては追い風ですので、これをきちんと受け止めて、それに乗って、自分たちの権利主張を今後ともするべきだろうと思います。もう1つの点は国内で決めごとをする際、障害者基本法をめぐる問題などでも同じですが、国の責務、自治体の責務、市民の責務、この3点セットが法律などの冒頭に仕組まれるのがこれまでの日本の立法技術でした。今後とも、たとえば差別禁止法などをつくる場合でも、あるいは障害者基本法の改定作業においてもこういったことが論点になろうかと思います。

 市民社会とは、国の責務、自治体の責務を求めるだけでなく、私どもがもっているリソースをお互いに交換して、自分たちも含めた制度づくりに向けて、国とか自治体に対してきちん主張し、提言する。これが市民の責務だと思います。実感として、21世紀の風がここにも吹いているという気がして、大変うれしく感じました。

松井: ありがとうございました。私から一言だけ申し上げます。
 権利条約が仮に数年で制定されたとして、国内に効果があるためには批准という手続が必要です。その批准に向けて、差別禁止法も含めて国内の体制整備をしなければなりません。仮に条約制定まで3年として、国が批准するまでにまた数年かかるということだと、5年、10年とかかることになります。その間、シビック・ソサエティとしてそれをプロモートする役割が当然必要なわけです。政府サイドで行うはずがないので、民間サイドで積極的に取り組んでいくことが必要です。

 より現実的な問題を言えば、今回、金さんが政府代表団として参加しましたが、この費用は国から出たわけではありません。参加する民間サイドで金はなんとかしてほしいということです。これは日本だけの問題ではありません。各国から障害当事者が参加していますが、それぞれ工夫してやって来ています。たとえば、カタールの方が新しい特別報告者になりましたが、彼女には国連からお金が出ているのではなく、あちこち出かけていくためのお金は、ボランタリー基金がベースです。寄付しているのは、カタール政府と中国政府だけなのです。モニタリング報告者がそれなりにやろうとすると、お金をどうするかが課題になってきます。モニタリングするためには、パネル・オブ・エキスパートというグループとも協力しないといけません。このための金はだれが出すのか? やはりこれもボランタリー基金がまかなうことになるわけです。金がない限りは、何も動かないのです。中身も大切ですが、そこも含めてこれからプロモートしていくのか、今後しっかり考えていく必要があると思います。
 では、これで午後のパネルディスカッションは終了とします。

閉会挨拶

(財)日本障害者リハビリテーション協会 副会長 松尾 武昌

松尾氏の写真

 本日の国際セミナーの閉会に当たり、日本障害者リハビリテーション協会を代表いたしまして一言、感謝のご挨拶を申し上げます。本セミナーは現在、障害者の方々、並びに障害者関係団体の方々などに最も関心の高い、国連障害者の権利条約制定についての世界の最新の動きをテーマに開催いたしました。皆さまの関心と熱意がこの会場に満ち満ちていることを感じます。

 本セミナーの開催に当たりましては、国内を代表する障害者関係の専門家の方々に多数ご参加いただきました。また、外国から本テーマに直接携わっておられる世界的な専門家でありますタイ国のモンティアン・ブンタンさん、並びにヨルダンのモハメド・タラウネさんにもご参加いただきました。多くの皆さまのご協力により、本セミナーが成功のうちに終わることができましたことを改めて感謝し、心からお礼申し上げます。また、本セミナーの開催に当たりましては、ご後援、ご助成いただきました全国生活協同組合連合会をはじめ、共催していただきました日本障害フォーラム準備会構成団体の皆さまにも心から感謝申し上げます。

 本日ご参集の皆さまは、明日からお住まいの地域へ、また、所属団体にお戻りになり、ご活躍になることと思います。どうか、本日のセミナーの成果をお仲間と大いに議論していただき、本テーマに対する理解と関心の輪を広げていただくことをご期待いたしまして、お礼の言葉といたします。ありがとうございました。