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講演3「ソーシャル・エンタープライズの設立-ホワイトボックス・デジタル社の経験から-」

デビッド・バーカー ホワイトボックス・デジタル社創設者

講演要旨

ホワイトボックス・デジタル(Whitebox Digital)社というソーシャル・エンタープライズの 創始者として、私の経験から、人々を失業へと追い込み続けている組織的な問題について、ま た、これらの問題を取り除き、人々が雇用と所得獲得の機会を自由に得られるようにすること を使命とするホワイトボックス・デジタル社が、どのように設立されたかについて話していき ます。

人々を失業へと追い込み続けている問題のひとつに、私たちが暮らしている場所で、私たち が何よりもそれを必要としているときに、雇用の機会とそのための支援がないということで す。そのことは、私が出会ったすべての人の話を聞けば、その人たちの人生で特定することが できました。当時に私が即座に衝撃を受けたのは、英国には18 万を超える慈善団体があると いうこと、そしてそれらの団体は、私が話をした誰一人にも、その人たちが本当にもっとも支 援を必要としているときに会えなかったことです。

しかし、調査から、小さな慈善団体が立ち向かっている問題の50%は、運営上の問題やIT の問題で、これらのために、切実に支援を必要としている人々と過ごす時間を増やすことがで きずにいること、そしてすべての小さな慈善団体のために、IT およびインターネットマーケ ティング部門となる会社を始めなければならないとわかったのです。マーケティングにより、 支援を必要としている人々をさらに見つけることができ、IT の改善により、慈善団体の人々 の負担が減り、彼らを支援する時間がとれるようになるからです。

さらに私が出会ったすべての失業中の貧しい人々は、企業側から見ればスキルのない人た ちであり、怠け者として、あるいは、きっと何かしてしまって貧困に値するのだとして、社会か ら見限られた人たちです。しかし、私の個人的な経験から、十分な教育と訓練を受ける能力が、 すべての人にあると信じていました。それはいかなる障害にも関係なく、またどのような社会 的背景を持とうと関係ありません。

こうしたことがホワイトボックス・デジタル社設立の構想になりました。そして2009 年 12 月には私たちは初めて、英国内の80 名の長期失業者を6 ヶ月間のIT 雇用研修プログラ ムに採用し、研修するという政府との契約を獲得したのです。

過去に進められた国際化は、非常に多くのことを期待させましたが、それは十分に実現され ませんでした。私は現在の世界的不況を通じて、国際化の新たな形が生まれることを祈ってい ます。それは、すべての企業が、政府の政策として義務付けられるのではなく、自ら望んで、ソ ーシャル・エンタープライズとなることです。ソーシャル・エンタープライズは単なる心構え であり、それ以上のものではありません。それは人の命を犠牲にしたり、地球を破壊したりす ることなく利益を上げるようバランスをとることなのです。


講演

私の名前はデヴィッド・バーカー(David Barker)で、ホワイトボックス・デジタル (Whitebox Digital)というソーシャル・エンタープライズの創設者です。今日は人々を失業へ と追い込み続けている組織的な問題について、また、これらの問題を取り除き、人々が雇用と 所得獲得の機会を自由に得られるようにすることを使命とするホワイトボックス・デジタル が、どのように設立されたかをお話しします。

失われたチャンス

人々を失業へと追い込み続けている問題はたくさんあります。一つめは、私たちが暮らして いる場所で、私たちが何よりもそれを必要としているときに、雇用の機会とそのための支援が ないということです。私自身、23 年前にこれを経験しました。そのとき私は15 歳で、イギリ ス、マンチェスターの貧しい地域で暮らしていました。私の家族は、私を大学に行かせる余裕 がなかったので、私は学校をやめて仕事を探さなければなりませんでした。

学校の就職アドバイザーと話したところ、彼は口を開くなり、「あなたのような人には、こ のような就職先があります」と言い、その言葉に私は驚きました。私がどんな人間であるか、あ るいはどんなスキルを持っているかを知らないのにそう言ったからです。私に提案された仕 事の分野は、小売業か建設業でした。これらの仕事は素晴らしいものですが、私はこれらの業 界に自分の将来の仕事があるとは思いませんでした。

私は進路指導の先生に、将来の仕事はコンピューター関係だと考えていることを話しまし た。いつの日か、世界中のすべての人がコンピューターを使うようになり、どの家にも、どの職 場にもコンピューターがあり、全世界は一つに結ばれると。これは23 年前のことなので、先 生は私がこんなことを言うのですっかり驚いてしまいました。そうはならないだろうという わけではなく、自分がその一端を担えるだろうと私が考えていたからです。先生は、もしそう したいのなら大学に行く必要があるが、大学へは行かないのだから、希望を一段下げ、小売業 か建設業の仕事をめざした方が良いと言いました。

独学でITを学ぶ

私は先生の援助の申し出を断り、何はともあれ努力して、自分が望んでいることを実現しよ うと決心しました。私はコンピューターの基本的なスキルを独学するために本を何冊か買い、 その後小さな会社に連絡し、見習いとして雇ってくれるよう頼みました。
最終的に、雇用者のもとでの見習い制度により、若い人の就職を支援する政府のプログラム の関連会社を見つけました。私が貧しい家庭の出身であることや、16 歳で学校をやめた事実 にとらわれない会社を見つけたのです。その会社は、私の中に、何か一緒にやっていける、そし て育てて行かれると思うものを見出し、私自身がそれを証明するチャンスを与えてくれたの です。

見習いから正社員へ

見習い期間は2 年間でしたが、会社側はわずか3 カ月で私を正社員にしてくれました。私 を失うことを恐れていたからです。これで、週29 ポンドから週120 ポンドへと収入が増えた わけです。正社員になったおかげで、家を出るのに十分なお金を得ることができ、私は同世代 の人と暮らすシェアハウスに引っ越しました。わずかな収入を私のために費やす必要がなく なり、今では両親も、長い間苦しみ続けた貧しい生活から抜け出しました。

23 歳の時、私は世界を変えるものを見つけました。それはインターネットです。私が驚いた のは、インターネットの技術だけではありません。世界のどこにいるかに関係なく、人々を結 びつけることができる力に感心しました。一緒に働くために近くに住む必要はなくなり、ただ 同じ時点に存在し、通信能力を持っているだけでよくなったのです。

23歳で起業

そこで1994 年、23 歳のとき、私は仕事をやめ、イギリスで最初のインターネットマーケ ティング会社の一つを共同設立しました。最初の顧客はマイクロソフト社で、2 番目の顧客 はインテル社でしたから、滑り出しは好調でした。そして世界最高の製品マネージャーやビジ ネスマインドを備えた人々と役員室で同席し、彼らの製品とサービスを世界中で売る手伝い をする私に彼らが注目するようになるまで、長くはかかりませんでした。

ほとんどの顧客の半分の年齢だった23 歳のときに私が衝撃を受けたのは、私の社会的背 景や、私が16 歳で学校を落ちこぼれたことなど、もはや何の関係もないということでした。 唯一重要なことは、企業が自社の目標達成に役立てるために購入したいと考える製品やサー ビスを提供する私の能力でした。さらに興味深かったのは、顧客企業の多くは、私が決して就 職することができなかった企業だということです。なぜなら、彼らの人事方針では、大学の学 士号を持つ人だけを採用することになっていたからです。これは本当に矛盾していますよね。

昔の友人を訪ねて

24 歳のとき私は、立ち止まって、学校をやめてからの8 年間を振り返ることにしました。 16 歳のときに一緒に学校をやめた友人たちに再び連絡を取るため、何年も前にあとにした土 地に戻りたかったのです。すると悲惨なことになっていました。ダニーはヘロイン中毒で、盗 みで刑務所を出たり入ったりしていました。ジェイソンは殺人で服役中、イアンは自殺してい ました。16 歳のときには、彼らは皆良い人たちだったので、このようなことは何一つ予測で きませんでした。何があったかというと、単純なことでした。彼らは必要なチャンスや支援に 恵まれなかったのです。そして次第に、時間がたつとともに、誠実で実り多い人生を目指そう とすることをあきらめてしまったのです。彼らは何の希望もないと感じていたので、薬物の服 用や犯罪への誘いにイエスと言っても、もうどうでもよかったのです。彼らには、ほかに何が あったというのでしょうか?彼らの人生の希望は、長年の失望の後に、ゆっくりと蝕まれ、な くなっていました。

グローバル化の一方で増え続ける貧困

私は、これは自分にも起こりうることだと動揺しました。しかし、私やほかの誰かに、何がで きたでしょうか?私はそこを去り、自分の生活と、共同設立したインターネット会社を大きく するという使命へと戻りました。それから10 年間は、あらゆる市場に製品とサービスを売り 込む国際化活動の一役を担い、大企業とともに働くことに費やしました。それが、すべての人 の繁栄を約束するだろうと。
しかし、これはまったくの嘘でした。第一に自由市場は、ビジネスの競争の機会を誰もが持 っているときに限り自由だからです。ですから、たとえば古くからの友人だという理由だけで 結ばれた契約のような不正行為や不公平な関税は、世界の繁栄のために必要なエコシステム のバランスを保つ自然な能力を世界市場が持つことは、決してないことを意味していました。 おもな問題点は、国際化したにもかかわらず、それが約束していた、すべての人のための職 や所得の機会がまったく作られなかったということです。私はそれができると信じていまし たし、今でもできると思っていますが、まったくそうはなりませんでした。国際化によって、一 部の人の富は増えると思われました。それは一部の、それに値する人々で、値しない人々もい ました。値しない人々については、私が訪れたあらゆる都市で見たところ、ホームレスが増え、 暴力が増え、反社会的な行動が増えただけでした。

ソーシャル・セクターでの活動を模索

そこで2004 年に、私は共同設立したインターネット会社を退職することにしました。悪化 しつつあった非常に社会的な問題に立ち向かえるように、年俸15 万ポンドを放棄したので す。大きな家も、また高級自動車も手放しました。これで世界的な貧困に立ち向かえるのかど うか、確信はありませんでしたけれども、とにかく私はもともと貧困層から出た人間でありま すけれども、だからといって貧困問題についてよくわかっているというわけではありません でした。ですから調査が必要でした。私の最大の関心事は、商業セクターで製品とサービスを 世界に売り込む活動から、ソーシャル・セクターでの活動方法を模索し、世界的な貧困に立ち 向かうことへと変わりました。

しかし私は、貧困と闘うために開発途上国へ行くかわりに、先進国といわれる国のあらゆる 都市に貧困がある間は、世界的貧困をなくすことはできないと考えました。そこで、ロンドン にとどまり、ここで活動し、失業と貧困に取り組む新たなアプローチ方法を見つけることにし ました。そうすることで、後にそれをイギリス全土で、そして世界各地で模倣できると期待し ています。
大規模な国際慈善団体のオックスファムや、イギリスの国際開発省で働くことにすればと ても簡単だったでしょう。けれども私はそのどちらでも働かないことに決めました。それはお もに、世界的貧困と失業の問題は組織的なもので、自然発生的なものではないと信じていたた め、既存の組織機構にすぐには参加しないことが重要だと考えたからです。
そこで私は、ロンドンで社会的に疎外されている人々のことを調査し、その問題に立ち向か う方法を試案できるよう、10 万ポンドを調達するために家を売りました。私は小さな慈善団 体でボランティアとなり、通りで野宿しているホームレスの人や就職できない元犯罪者、貧し い家庭、そして若者たち、中でも特に学生でもなく、就職もしておらず研修も受けていない「ニ ート」と、罪を犯す危険のある若者たちのために活動する機会を得ました。

私は、人々を社会的疎外から脱出させる方法だけではなく、次世代の人々が同じ罠にはまら ないようにする方法にも焦点を当てました。それから6 カ月の間に、私は私が出会ったあらゆ る人々の信頼を獲得し、彼らは私に身の上を打ち明けてくれました。
一つの例が、子供のころに性的虐待を受けていた男性です。カウンセリングを一度も受けよ うとせずに、彼はその問題に対処しようとしていました。彼には妻と2 人の子供がおり、比較 的普通の生活を送っていました。しかし30 代になり、記憶がよみがえり、徐々に悪化して仕 事をやめ、妻の元を去り、酒を飲み始め、そしてロンドンの路上に行きついたのです。 
別の例は、スーパーマーケットの駐車場で寝泊まりしているところを見つかった夫婦です。 2 人は普通の生活をしていましたが、男性が仕事の顧客からの支払いが遅れたとき掛け売り を始めました。そしてどんどん支払いが遅れて金額が膨らみ、対処できなくなりました。特に 同時期に彼の妻が失業したからです。これで彼の会社は倒産し、2 人の家は差し押さえられ、 ついに2 人は駐車場や路上で寝泊まりすることになったわけです。

私が出会ったすべての人の話を聞けば、このとき必要な支援が受けられていたならば、今私 と話してはいないであろうという時点を、その人たちの人生で特定することができるでしょ う。当時私が即座に衝撃を受けたのは、イギリスには18 万を超える慈善団体があるというの に、それらの団体は、私が話をした誰一人にも、その人たちが本当にもっとも支援を必要とし ているときに出会えなかったということです。
確かに、これはマーケティングの問題です。慈善団体は明らかに、支援を必要としている 人々がそのような団体を見つけられるように、十分な自己宣伝をすることは行っていません。 私にはインターネットマーケティングの経験があったので、この問題を解決できるとわかっ ていました。これが私に対する答えだったのでしょうか?世界中のすべての小さな慈善団体 に対し、良心的な価格のインターネットマーケティングサービスを提供する会社を立ち上げ ればよかったのでしょうか?
考えてみると、残念ながらこれは違っていました。調査プロジェクトの間、私は多数の小さ な慈善団体でボランティア活動をしましたが、このような団体のほとんどが、すでに支援をし ている多くの人々に対処するだけの十分なリソースを持っていませんでした。私がこれらの 団体の窓口を通じてさらに多くの人を送り込んでも助けにはならず、おそらくは別の問題を 引き起こしてしまうでしょう。

ホワイトボックス・デジタル社の設立と慈善団体支援

しかし、調査から、小さな慈善団体が立ち向かっている問題の50%は、運営上の問題やIT の問題で、これらのために、切実に支援を必要としている人々と過ごす時間を増やすことがで きずにいることもわかりました。そのとき私は、すべての小さな慈善団体のために、IT および インターネットマーケティング部門となる会社を始めなければならないとわかったのです。 マーケティングにより、支援を必要としている人々をさらに見つけることができ、IT の改善 により、慈善団体の人々の負担が減り、彼らを支援する時間がとれるようになるからです。
慈善団体のIT 部門となるためには、製品とサービスが必要です。インテル社やマイクロソ フト社のために10 年間仕事をしたので、2009 年までには、私たち皆のIT 使用法を完全に 変える新市場がIT 産業界に創設され、スタートすることを、私は知っていました。それは、ク ラウドコンピューティングおよび仮想化といわれるものです。市場リーダーとなり、慈善団体 がすぐに支払える安い価格でこれらのサービスを提供しようではありませんか。

さらに私は、私が出会ったすべての失業中の貧しい人々について考え始めました。彼らは企 業側から見ればスキルのない人たちであり、怠け者として、あるいは、きっと何かしてしまっ て貧困に値するのだとして、社会から見限られた人たちです。しかし、私は自分の個人的な経 験から、これはまったく違うとわかっていました。私は、自分自身と家族とを養えるように、十 分な教育と訓練を受ける能力が、すべての人にあると信じていました。それはいかなる障害に も関係なく、またどのような社会的背景を持とうと関係ありません。
そして、これがホワイトボックス・デジタルの構想を完成させました。それは、国内外の中小 規模の慈善団体と企業を、国内外の失業者の労働力によって近代化する、IT およびインター ネットマーケティング会社です。私たちは、あらゆる社会的背景を持つ長期失業者を、IT 関 係の職場や研修プログラムに採用し、その後私たちが作った仕事に就かせます。
ホワイトボックス・デジタルを、このようなことができる持続可能なソーシャル・エンター プライズとして設立するために、私たちは2 つの重要な決まりを設けなければなりませんで した。この会社は、製品とサービスの販売だけで自立していかなければならず、いかなる政府 の支援も決して受けてはならないということ、そして私たちが国のコストを財政的にも社会 的にも削減しているのだという事実を踏まえ、私たちが実施する雇用・研修プログラムは、政 府の支援金だけで賄われなければならないということです。
しかし、私は大きな問題を抱えていました。2005 年末、私は家を売って得た資金すべてを、 調査研究と、ある慈善団体のクラウドコンピューティングおよび仮想化ソリューションの試 作品開発に使い果たしてしまいました。この試作品は、慈善団体の生産性を500%向上させま した。単なる近代化だけで、5 倍の人々の生活が変わったということです。

例えばIT トレーニングについて考えました。なぜこういうスキルを提供するのか。マーケ ットが買ってくれないようなスキルだったらどうするのか。マーケットの場合には特定のス キルを要求ますが、例えば6ヶ月のトレーニングプログラムを受けたとしても、トレーニング を終わった段階で雇ってもらうことができなかったら、そのトレーニングは無駄になってし まうわけです。慈善活動で行われていたトレーニングがあったわけですけれども、その中身は 非常に陳腐化していました。誰かに希望を与えるためには、本当にそれが役に立つようなスキ ルを与えなければなりません。最終的にその夢がかなわなかったら、すべての人が失業してし まうわけです。実際に仕事が見つからなくて、泣き出してしまった人もいたぐらいです。
慈善団体が一体どういうことをしているかと言いますと、先のことがよくわからないでや っています。本当に最終的に支援したとしても、その支援が雇用に結びつかないようなことを やっているわけです。そこでは私は、慈善団体で本当に意味のあるトレーニングを提供すると いうことが必要だと思いました。私は1年ぐらいかけましていろいろな会議に参加をいたし ました。政府の人、あるいは慈善部門の人たちが参加していた会議ですが、まさにビジネスマ インドが必要だと思いました。それを社会において大きな力にしていかなければならないと 思ったわけです。そうでないと国際的な貧困を解決することはできません。公的セクターと慈 善セクター、それから民間セクターがありますが、公的セクターと民間セクターの間にできる 一種の空間があると思うんですね。そこに慈善活動が入るべきだと思いました。慈善活動とい うのはある種、効率的な活動をすることができます。普通の制度の中ではうまくいかないとい う人たちを支援することができるのです。

ではどうしたらいいか考えました。そこで私は、企業と話をしてみようと思いました。中小 企業に話を聞きにいきました。「何故あなたのところでは、例えば障害を持っている人とか元 犯罪を犯した人たちを雇わないんですか?」と聞いてみました。すると、何かしなければなら ないということはわかっているが、なかなかそういう人が雇われていない。別に制度的な問題 があるわけではないということがわかってきました。
そこで慈善活動のセクターをIT やインターネットを使って近代化をする、そして他では雇 ってもらえない人を雇うことにを考えたわけであります。障害を持っている人、犯罪を犯して 投獄されていた人、あらゆる社会的な背景の人たちで仕事の見つからない人たちを雇うとい うことを考えました。

そのことに気がついたときに、障害を持っている人たちが働いている福祉工場に行きまし た。ソーシャル・エンタープライズと自ら呼んでいる企業でしたけれども、例えば目の見えな い方々は、例えばスプーンを数えたり、あるいは箱を作ったりというようなことをしていまし たが、全然クリエイティビティがないと思いました。政府の大臣とも話をしたことがありまし たが、例えばマクドナルドで車いすの人が働いたとしても、それはベストなやり方ではないの ではないかと思いました。もっとクリエイティブなことができるんじゃないかと。例えば箱を 作るだけというようなことではなくて、もっとその人が持っている本当の能力を使うという ことによって生産性を高める、本当に生きがいのある仕事をやってもらうようにしたらどう かということを考えたわけです。
それを実現することができるということを、私たちは証明してみせなければなりませんで した。私のビジョンはさらに広がりました。慈善活動、先ほど18 万団体と言いましたけれど も、そういう組織を近代化しようとしました。そしてあらゆる社会的な背景を持った人を雇う ことにしたのです。しかしそのためにはお金が必要でした。そのためには我々の製品やサービ スが売れなければならなりません。社会的なインパクトだけでは十分ではありません。やはり 一番良いから商品を買ってくれる。その良い商品を作らなければならなりません。グラントは 受けない。そして、ビジネスのやり方に関係ないような投資は受けないということにしたので す。

どんな企業でもそうなんですけれども、きちんと仕事ができる人、雇用されるべき人を雇わ なければなりません。そうでなければビジネスなんてやっていけないわけです。そこで私たち は6ヶ月のトレーニングをして、きちんとビジネスとして企業が雇えるような人たちを育て ることにしました。
福祉を受けている人たちに、ただその人たちが仕事が見つかるようにと祈ることは簡単で すけれども、それだけでは不十分です。イギリスではwelfare to work program というのが あります。大体11 万5,000 ?1 万ポンドくらいを使いまして、雇用プログラムをやってい ます。例えば私が映画をつくりたいとか、テレビで働きたいと思っているときに、マクドナル ドで働くのはどうかなんていうことを言われてしまうことがあるわけです。つまりこのプロ グラムでやっていることは、トレーニングの実施をする企業に対して政府がお金を出すわけ です。しかしながら、委託を受ける方は失業している人たちがどんなことに関心を持っている かなどということにはあまり関心がないわけです。お金さえもらえばその企業にとってはい いわけですから、マクドナルドに行ったらどうかというようなことになってしまうわけです。 しかしそれではダメです。私たちは失業者に対して6ヶ月の訓練をする。そしてその後に私た ちが雇用を提供することにしました。まだ製品もサービスもお金もありませんでしたが、そう いうプランがありました。

我々の製品とサービスを作り出そう。私はマイクロソフトとインテルの仕事を10 年ぐら いやりました。私は世界中を回ってIT を使って世界を変えたいと思っていました。2009 年 あるいは2010 年には世界が変わるようなIT が生まれる、そういうことを認識していたわけ です。ですから私たちがこのような新しい状況の中でマーケットリーダーになるにはどうし たらいいかということを考えました。ソーシャル・エンタープライズに対しても、また慈善活 動をしている団体に対しても、失業者に雇用を提供することができる、そういうシステムを作 り上げたいと思いました。
しかしそれをやるためには100 万ポンドが必要だということが、私の計算でわかりました。 しかし100 万ポンドなんてありませんでした。実はあと4日もたてば私自身がホームレスに なってしまうというような、そういう状況にありました。こんなプランを作っていたわけです けれども、一方ではお金がもう底を突いているという状況でした。銀行に行っても、お金を貸 してくれるというところはありませんでした。そういうことができるということを、信じてく れる人はいなかったわけですから、お金をどこからも調達することができなかったんです。

経営破たん寸前まで追い込まれて

そこで私はやっぱり3年間、コマーシャルセクターに戻らなければならない。つまり100 万ポンドを調達しなければならない。実際に商売をやって調達しなければならないと思っい ました。そして100 万ポンド使って次の世代の技術を開発するために使おうと思いました。 2006 年、2007 年、2008 年のことででした。2006 年には商業的に私は25 万ポンドの収 益を上げました。そして2007 年には50 万ポンド、これもソーシャル・エンタープライズに 対して製品とサービスを提供することによって調達いたしました。そして2008 年までにほ ぼ100 万ポンド達成しました。IT ソリューションを作り上げて、そしてほぼマーケットに出 しても大丈夫という状態にまでなったわけであります。
しかしそのソリューションをテストする最後の段階で、技術的な問題があるということが わかりました。そこで、マーケットに出すべきかどうかということを考えなければなりません でした。やはりミスがありながら市場に出すということはできませんでしたので、2008 年 の末になりまして、この製品はまだマーケットに出せないという決意をしました。しかしその ときにこう考えたんです。それでもいいよと。あと25 万ポンド商売をして、商品がきちんとで き上がるまで頑張るぞと思いました。そして2009 年の1月に、私の取引相手だった企業、こ れは金儲けだけを考えているところだったんですけれども、そこが6 万5,000 ドルのお金を 払ってくれることになっていましたが、払わないということになってしまったんです。大した 額ではないかもしれませんけれども、やはり倫理的にひどいというふうに思いました。そして 私はその結果として、非常に厳しい状況に置かれてしまいました。お金が全くないという状況 になってしまったわけであります。私のビジネスも続けていけないような状態になりました。

とにかくここから抜け出さなければならず、私は本当にいろんなことをやりました。できる ことを証明してきたわけですけれども、どこからもお金を出してもらえないという状況にな っていました。周りには、「やっぱりダメだったじゃないか、やめた方がいいよ」と言う人も出 てきたわけであります。
そこで、6 万5,000 ドル、何とかしなければならなかったわけです。けれども、さらに問題 が発生しました。本当はにっちもさっちもいかない状況になったんですけれども、それでやめ る気にはなりませんでした。そして私は、グローバルに考えるべきだと思ったわけでありま す。とにかく少しずつ努力をして、2009 年の3 月まで、何とかがんばりました。100 万ポンド、 あるいは200 万ポンド調達できるようなアイデアがあったとしても、実際にお金を調達でき なければどうにもならない状況でした。とにかく誰かに助けを求めなければならないと思い ました。

差しのべられた救いの手

ソーシャル・エンタープライズというのはすごいなとそのとき思ったんですけれども、ある グループの人たちと会いました。一度も会ったことのない人たちだったんですけれども、その うちの1人の人とお茶を飲んだんです。いろんな話をしました。「まだ誰も助けの手を差し出 していないなんて、本当に驚いたね」とその人は言いました。その人が、その翌週の月曜日に、 7 万5,000 ポンドを出してやると言ってくれたんです。「返せなくても心配するな、とにか く君を助けるよ、だから頑張れ」とその人が言ってくれたんです。その人はソーシャル・エンタ ープライズをやっている人だったんです。だから本当にものすごいなと私は思いました。

このような助けをいただいたおかげで、2009 年の5 月、完璧に私たちの製品・サービスを 完成することができました。そしてマーケットに出すことができました。現在では50 の顧客 を抱えるIT マーケティングをやっています。生産性も私どものクライアントでは上がりまし た。生産性を上げるということはなかなか難しかったんですけれども、いずれにしても50 の 慈善団体をクライアントとして抱えることができるようになりました。2009 年の11 月には、 3 ヶ月前ですけれども、最初の政府の契約を獲得することができました。ロンドンで14 人の 人が、長い間失業していた人だったんですけれども、その人たちに新しい技能トレーニングを するという契約を獲得することができたわけであります。そして12 月には14 人から55 人 に増えました。ロンドンと、ロンドンの北東部の貧しい地域ですけれども、そこの人たちを受 け入れることができました。1月には55 人から240 人に増えました。来月までには80 人の 長期的な失業者たち、そして3月にはプラス160 人が来ることになります。
さまざまな社会的な背景を持っている人たちです。それから若い人たち、大学を卒業した人 たち、チャンスさえあれば何とかしたいという人たちです。しかしチャンスがなかった人たち なんです。そして貧困に陥っていた人たちです。

不利益な人々にチャンスをもたらすソーシャル・エンタープライズ

ソーシャル・エンタープライズというのは何なのかということを考えたときに、こんなこと ができるということがわかってくるわけです。2年前にはソーシャル・エンタープライズなん ていうのは聞いたこともありませんでした。ただ私はこういうことをしたいんだということ を考えていたわけです。そしてソーシャル・ファームというものがあるということがわかりま した。そして、一緒にビジネスをしたらどうか、よりよい方法でビジネスをしたらどうかとい うことを考えるようになったわけであります。
ソーシャル・エンタープライズというのは法律的にどんな構造を持っているのかというよ うな議論も出てきたわけなんですけれども、まさにソーシャル・エンタープライズというの は、すべての企業がそうあるべき形を持っていると思います。雇用を創造し、そして失業して いる人たちに雇用を提供する、そういうことができるということがすべての企業であるべき ではないかと思います。今、イギリス全土の各都市にオフィスを作っています。ロンドンでや ったようなことをやっていきたい。それからまたイギリス以外でもやっていきたいと思って います。スペインなどでもオフィスを開きたいと思っています。そして失業している人たちに 対して技能を与え、雇用が得られるようにしたいと思います。

私が16 歳のときから思うと、23 年になるわけですけれども、いろんな企業が様々なこと をやってきたと思います。皆さんも様々なことをやってこられたと思うんですけれども、やは り貧困という問題になると、これは制度的な問題です。失業も制度的な問題ですから、いろん なところが力を合わせて対応していかなければならないと思います。
以上です。ありがとうございました。

司会:ありがとうございました。ちょっと時間があるので、何か質問される方がいらっしゃ いましたらお受けいたしますけれども。いらっしゃいますでしょうか? 

会場:北海道で農業をしております。そして障害者と一緒にチーズを作っています。野菜 を育てたりしています。障害者に対してどのようなトレーニングをしていらっしゃるんです か?

バーカー:私たちがやっているのは、とにかく失業したり貧困に甘んじているというのは、 シンプルなプロセスのせいだとおもったわけです。つまり、人々が疎外されるような構造がで きているからだと思います。ですから例えば、多くの人たちがビジネスが全くないようなとこ ろにたまたま住んでいると、仕事をする機会はないわけです。しかしながらIT というのは地 理的な障害を克服することができるわけです。300 マイルほど離れていて、車いすに乗って いるというような人たちの場合には、かつてのような形での訓練はできないわけです。しかし ながらIT サポートをすれば、トレーニングができるというふうに思います。ですから、1マイ ルであろうと数千マイルであろうと、車いすに乗っていようとそうでなかろうと、それは関係 ないわけであります。つまり、トレーニングをIT によってすることによって、サービスを提供 できるような能力を身につけることができるわけです。そして仕事のスペシフィケーション を示して、それに合わせた仕事ができるようにしているわけです。
もちろん障害によっていろいろなプロセスを考えなければなりません。例えば電話ですが、 200 マイルほど離れたところで電話を受けた場合でも、仮に視覚障害者であっても200 マイ ル離れたところで電話を受けることはできるわけです。テレマーケティングというのが一つ 適切ではないかと思います。
そして、これが一つの仕事だ、あなたはこれをしなければいけないというふうに言うわけな んですけれども、人によって50%はできるけれども残りの50%はできないということにな ると、それは成立できないわけであります。けれども私たちは、きちんと、もっと社会的にイン クルーシブなやり方を工夫することはできると思います。

会場:我々のところではたくさんの障害者が暮らしていますけれども、何をしたいですか? と聞くんですね。そうすると少しずつ自分がしたいことを見つけていくわけですよね。少しず つ、少しずつ。ただ時間がかるということがあるわけです。そうするとテクニックを開発する ことができるわけです。そうするとスピードも増すことができる。そういうことがあると思い ます。

バーカー:そうですね、いわゆるインターネットになかなかアクセスできないという貧困の 問題があると思います。農村の貧困の問題があるかと思います。私はIT のサポートだけの雇 用を生み出しているわけではありません。自分の地元の地域で仕事をしている人もいます。衛 星を使ったようなインターネットだけでなく、その地域のコミュニティの仕事を見つけてい る人もいます。

会場:具体的にIT マーケティングというのはどんな仕事なのかよくわからないので、それ をいくつか例を挙げてご説明いただけるとありがたいんですが。

バーカー:インターネットマーケティングというのは、まずウェブサイトがありますね、ウ ェブサイトを作ります。慈善団体すべてのためにです。コピーライターがありますけれども、 仕事がなかった人たちに対して仕事を提供してデザインをしてもらうということもできま す。大切なのは、チームのメンバーが、例えばコピーライターがマンチェスターに住んでいて、 グラフィックデザイナーは200 マイル離れたところに住んでいるんですけれども、いろんな ところに住んでいる人が1つのウェブサイトを作るために一緒に働いています。近くに住ん でいる人たちはオフィスに来ることもできますけれども、どこにいても分散した形でも共同 作業ができるようになっているんです。どこの町に行っても、いろんな能力を持った人たちが いるわけなんですね。そういう人たちと共同作業をするということはできます。まずウェブサ イトが1つの産業のようになっていきます。ウェブサイトは3?4年に一回くらいは新しく されますから、それで作業をする。そうするとみんなが所得を得ることができるようになると いうことです。

会場:ウェブサイトを障害のある方を含めて遠隔地の人たちを使って作られているという のが主な仕事ですか?

バーカー:そうです。ホームページをチームで製作します。インターネットの会社と全く同 じことをやっていますが、どういう人たちを集めてくるのかということですよね。いわゆる慈 善団体もそういうようなサービスを他のIT 会社に頼んでいます。インターネットマーケティ ングという分野は、いわゆるサーチエンジンであるとか、あるいはホームページを作ったりと いうような形でビジネスを行うことができます。つまり製品とか、あるいはサービスというよ うなものをそこに統合していくというようなことです。ですから、働く人たちは、遠くにいて も仕事をすることができるようになっています。
なぜ我々を使わなければならないのかということですけれども、つまり、私たちの能力とい うのは、他の企業と比べても遜色がないわけです。むしろIT という面においては、まさに新し いものを提供する、優れたものを提供することができるのです。我々は質の高い製品を提供す ることができるということを証明してきています。ですからもちろんうちの製品を買ってく れなくてもいいわけですけれども、それだけの質の高い製品を提供しているからこそ、買って くれるのです。我々は慈善活動だから製品を買ってもらいたいというふうには思っていませ ん。むしろ、プロとしてきちんとした質の高いものを作っているからこそ、買いたいから買っ てもらうというふうにしたいのです。プロとしてきちんとしたものを出していくというのが カギだと思っています。

司会:それでは時間になりましたので、これでプレゼンの方を終わりにさせていただきたい と思います。ありがとうございました。