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国際シンポジウム
ソーシャル・ファームを中心とした日本と欧州の連携
報告書

第2部 パネルディスカッション

写真1

コーディネーター:寺島彰(浦和大学こども学部 教授)

[国内パネリスト]
宮嶋望 (農事組合法人共働学舎新得農場代表 NPO共働学舎副理事長)
上野容子(東京家政大学人文学部教育福祉学科学科長・教授)
大山泰弘(日本理化学工業株式会社会長)

[海外パネリスト]
サリー・レイノルズ    (イギリス)
ダニエル・リンドグレーン (スウェーデン)
ラルス・レネ・ペテルセン (デンマーク)
マリヤッタ・バランカ   (フィンランド)
ゲーロルド・シュワルツ  (ドイツ/セルビア)
フィリーダ・パービス   (イギリス)

寺島:第2部では、これまでお話をいただいた方々と日本の方たちと議論をしていきたいと思っております。

最初に、国内でソーシャル・ファームと呼ばれるような活動をされている3人の方から、お話しいただきます。まず共働学舎という北海道にあるNPO法人で画期的なプログラムを行っている宮嶋さんからお願いいたします。

宮嶋:ただいまご紹介にあずかりました共働学舎新得農場の宮嶋望と申します。

共働学舎は共に働く学舎と書きます。これは宮嶋真一郎、僕の父親ですが、1974年に始めたプログラムです。それまで父親は自由学園という私立の学校の教師をしておりました。全く目が見えない障害者になってしまったことで、30年、私立の教師をしていた中でどうしてもやり残したことがある、手が届かなかったことがある。それをやりたいと言って、退職後2年をかけ、共働学舎の構想を作り、始めたプログラムです。

何をやりたかったのかというと、私立の学校の教師を30年やっていましたので非常にすばらしい人間教育はできます。ただし、本当に教育を必要としている人に手が届かなかったという思いがあったようです。学校に行きたくない、引きこもっている、身体的な障害を持っている、精神的な不安定を抱えている方たちが、私立の学校の入学試験に通らないわけです。自分が働ける教育現場に来ないということから、逆に、自分が障害者になったから、その人たちが自分たちの持っている力でどうやって生きていったらいいのかということを学べる場所を作りたいと言って、作ったのが共働学舎ということになります。

そのときに掲げたスローガンが、「自労自活」と言いました。自給自足という言葉はよく聞きますが、とても閉鎖的に聞こえますよね。そうではなくて、自分たちで労して、自分たちで生活を成り立たせてみようと。理想主義、楽観主義と言ってもいいかもしれないですが、そういったことで始めた共働学舎です。

始めると言ったらどんどん人が集まりまして、引きこもり、精神的な不安定を抱えている人、てんかんの人、刑務所から出た人、それから孤児で施設を転々として家庭がない人、いろいろな悩みをもった人が集まってしまいました。

そういった人たちに一緒にやりたいならいいよと言って始めた共働学舎なんですが、今では全国5ヶ所で130人ほどがメンバーとしてやっています。そのうち半分ほどが悩みを抱えてきた人たちです。

そのようにいろいろな障害、悩みを抱えてきた方たちをひとまとめにしてみんなで生活しましょうと言ったとたんに、それまでの日本の社会福祉法からは外れます。ですからずっと法人格は持たずに任意団体として個人の寄付を集めて事業を展開してきています。

僕自身は、ずっと自由学園で学び、自然科学が好きでやっていたんですが、卒業するときに僕の親父が共働学舎を始めたわけです。でも、逃げたんです。一緒にやるのは嫌だと。ただし、心を閉ざした子どもも、もしかしたら動物と接することで心を開くかもしれない。それを勉強しにいくと言って、4年間アメリカに行って、帰ってきたのが1978年です。そのときに、北海道の新得町で30町歩提供するから開かないかというお話がありまして、すぐにそちらに入って、サバイバルのような生活が始まりました。

僕自身は、個人の寄付で自分自身の生活を成り立たせるということに非常に疑問を感じていました。いや、寄付はもらいますと。ただし、お金の使い方は一緒に生活することになった人たちと一緒に汗を流し、働いて生み出したものを売って、その範囲内で生活しようよと。それが自立だと言って始めたんです。そこでビジネスをやろうという意識は初めはそんなになかったです。でも自分の気持ちがすっきりするというか、やりやすいということで、そちらの方向に進んでいきました。ただ、食べるのはとても大変でした。牛乳を売っているだけでは食べられない。ということで何を考えたかというと、もっと付加価値の高いものを売ろうと。アイスクリームやヨーグルトみたいな足の短い商品には流行があります。例えば生キャラメルも、追いついていかないんですね。ですから足の長いというか時間をかける商品としてチーズを選びました。

そして自然の中でゆっくりな人と一緒にものづくりをしよう。当然、機械を外し、そして自然のリズムを勉強して、それにのっとってものづくりをしようとやっていったら、チーズの味がよくなってきた。とても良いものができてきたんです。ただ、売れなかったんですね。問題は何かと言うと、チーズというのはまだ日本で新しいものですから、味が評価できない。となると、宮嶋君は障害者と一緒に作っているんだろう?衛生管理は大丈夫か?というような風評が出るわけです。売れないんですよ。ところが東京でのオールジャパンナチュラルチーズコンテストというのがあって、そこに出したらいきなり第1回目でグランプリをとってしまった。それから売れましたね。そうか、機械を使わないでゆっくり作っていくことが食品の品質を高めることになるんだぞと。これはいけると思いました。

そうやって、ものが売れることで、ものすごい喜びと同時に危機感を脱出した。皆一緒に喜びを共有できるようになったんですね。大変さも共有しているんですが。

そこから、よし、じゃあどうしようか。もう少しいい生活をしよう、家を建てようと言って、それを増やしていって、今の生産規模で言いますと、牧場全体で1億8,000万円くらい。70人いて、その半数がいろいろな問題を持っている人たちで、10人くらいは小学生から高校生を含めた子どもたちです。だから実質的に仕事をしているのは60人ですが、1億8,000万円売れるようになりました。チーズだけで1億2,000万円を超えています。

それで、すごいだろう!と自慢してもしようがないんですね。その中で70人の生活費を支えなければいけないということになります。その上に土地や施設を拡充しようと思ったときに、援助金は農業関係で普通の農家がもらっているもの以外は来ません。思い余って共働学舎の本部から、教育費などの支援を受けていましたが、おととし、すごくチーズが儲かって、新得はお金があるのにとブチブチ言われるから、わかった、もういいと。全部自前でやってやると言ってしまいました。

でも、やればできるぞという感覚はあります。みんなが一緒にやり、連帯感が出てきた。ただし社会的には非常に難しくて、今は二枚看板でやっています。もともと任意団体で始まった共働学舎本体は税金の関係でNPOの法人格をとりました。ところが、チーズの売上げが大きすぎる、収益事業が大きすぎるから、その部分を外しなさいということになりました。ですから新得農場はNPO法人の顔と、農業生産法人の顔を持っています。

どうしているかと言うと、メンバーは全部NPOに属していて、生産法人がNPOに労働委託をします。労働提供して委託費を払う。こういう面倒くさいことをやって2つの経理をやっている。

問題は何か。チーズが儲かった。頑張って収益が上がった。収益事業としてきちっと見られます。利益は半分、税金で収めないといけない。ヨーロッパの方のお話を聞いていたら、その利益を還元していいという話があった。うらやましいなとすごく思いました。そういうところの法整備をぜひソーシャル・ファームという名のもとにできたらと、すごく期待を持っています。

ソーシャル・ファームという言葉を炭谷先生から聞いたのは、7年くらい前になります。もうやってるじゃないかという話で紹介されたのです。それから、おつきあいさせていただいています。僕らが模索しながらやってきたように、世界中でも同じように、弱い立場の人たちの生活を何とかしようとやってきた人たちがいるんだと。

共働学舎も1970年代から始まりました。トリエステでバザリアのお医者さんが始めたのも1970年代です。でも、なぜ日本では社会システムとして入っていかなかったのかという疑問がありました。ここでこれから社会システムに組み込まれるように、皆さんで働いていきたいと非常に思っております。

写真2

寺島:どうもありがとうございました。次の上野先生は大学の先生であり、豊芯会という社会福祉法人を経営されているメンバーの一人です。

上野:今ご紹介があった社会福祉法人豊芯会で行ってきた活動について、ソーシャル・ファームをどう目指しているかということと関連させながらお話しさせていただきたいと思います。

豊芯会は1978年にスタートしましたが、当時は民間の小さな団体で「ハートランド」という名前でした。1997年10月に社会福祉法人の認可をいただいて今に至っています。

最初は精神障害者の方々が地域に集まる場がほとんどない時代でしたので、それを作ろうということで、精神科医の方の発案によってスタートしました。それから作業所を作り、当事者の皆さんの声を聞きながらグループホームを作り、授産施設を作り、地域生活支援センターを作りという経過をたどってまいりました。

働くことの支援ということに力を入れ始めたのは、1993年からです。なぜかというと、関係者の方々はよくおわかりだと思いますが、精神障害者が働きたいと思っても働く場、働く機会というものにはなかなか恵まれていませんでした。それだったら自分たちで仕事を起こしていこうと力を入れ始めました。

全体的な障害者の状況を見ますと、障害者の賃金状況が障害者白書に毎年載るのですけれども、雇用の場、福祉工場、授産施設と3つ比較された図があります。雇用は知的障害者が一番低かったかと思いますが、福祉工場、授産施設は精神障害者の賃金が一番低く、特に授産施設は非常に賃金が低くなるという状況があります。

今、障害者権利条約が批准されようということで準備を始めていますけれども、この福祉的就労と言われている賃金の低い状況というのは、そういう観点から見ても問題があると言われてきていると思います。

賃金アップと、働くチャンスの場を作るということで、私たちは何を始めたかと言いますと、フードサービス事業所と今は言っていますけれども、作業所として1993年に「ハートランドひだまり」というものを作りました。それまで私たちも部屋の中にこもって軽作業をしたりということが多かったのですが、この際に地域に顔を出していくということ。それからいつも福祉サービスを受けるだけではなくて、当事者の人でもいろんなことができるということを私たちは長い付き合いの中から感じ取っておりましたので、そういうことが生かされる何かしようと。たまたま料理の好きな人が集まっていた関係で、家庭料理を作って地域の食事作りに不自由な人たちに宅配しようと。それから小さなお店も作ろうということで始まりました。

今日の炭谷先生のお話にもありましたけれども、大手企業が大量に機械で作るのではなくて、普通の家庭料理を出すということを大事にして、そこをきちんとコンセプトの中心に置いて今でもやっております。最初は30食からスタートした食事作りも、現在、平均毎日240食ほど作れるようになってきました。

それから1995年に豊島区が精神障害者の方たちの働く場ということで、区の建物のなかに喫茶店の場を提供してくださって、スタートいたしました。区内の作業所が3所共同で運営しました。今考えると豊島区は先駆的だったと思います。それはなぜかと言うと、作業所のような補助金の出し方ではなく、そこは作業所ではなくて働く場、事業所ですということで最初から始まりました。

最初は400万円くらいのお金を区が出してくださったんですが、年々減らしていくというやり方で、その事業が発展していくようにとお金をつけてくれるようになりました。

私たちはその頃、ソーシャル・ファームなんてことはもちろん知りませんでしたし、自治体の考え方がその頃先駆的だということも、全く気づきませんでしたけれども、今考えると、とてもソーシャル・ファームの理念にかなったお金の出し方をしてくれているなと思っています。

こちらの喫茶店の名前は「カフェふれあい」と申しまして、豊島区の区庁舎のすぐ近くにあります。コーヒーがお好きな方はご存じだと思いますが、南千住にありますバッハの豆を使わせていただいて、開店当初はバッハからスタッフの人を店長として3年間派遣していただき、その方に技術指導をしていただいて、今に至っています。

現在、弁当のところと「カフェふれあい」と合わせて障害者自立支援法のA型事業としております。

スタッフ構成ですが、A型の精神障害者当事者の登録者は20名です。その他に子育て中のスタッフ1名、身体疾患の方1名、高齢者の方2名、ご家族2名、それから精神障害以外の障害をお持ちの方1名、その他の今健康な方が私たち含めて8名います。これは常勤・非常勤を合わせてのスタッフの数です。

最初は精神障害者の方を中心にして作った働く場だったんですが、だんだん、今働きたいけど働けないという状況の方が集まってきました。

こういう中で、障害者の方たちに訓練をして事業のお仕事に合わせて働いてもらうのではなくて、その方たちがお仕事そのものに生き甲斐が感じられるような、生きがいを持ってもらえるような職場にしないと売上は上がらないということをつくづく感じるようになりました。

幾つかの取り組みを紹介させていただきました。若手のスタッフが試行錯誤しながら、当事者の方も労働者として主体的に働くということにチャレンジしてくれております。マネージャー制度というのを導入し、みんなで経営的なことも話し合って決めていく。それを実行していくこともやってきています。

おかげさまで平成21年4月から9月までの半期分の売り上げは、お弁当と「カフェふれあい」の売り上げすべて含めて2,265万2,260円という数字が出ました。これは昨年の売り上げの13%アップです。公的な補助金は41%で、そもそもの事業の売り上げが59%になりました。これをさらにアップさせて、就労継続支援A型事業所から、ソーシャル・ファームの理念を踏襲しながら、労働者が主体的に働きビジネス展開していける事業所へ発展させていきたいと思っています。以上です。

寺島:どうもありがとうございました。三番目は様々なマスコミでも報道されています日本理化学工業株式会社の大山会長様にお忙しい中、来ていただきました。ぜひこれまで行われてきたことをお話ししていただければと思っています。

大山:大変もったいないご紹介をいただきました。確かにマスコミ等にも取り上げられておりますけれども、昭和12年に設立されたちっぽけなチョークの会社です。昭和34年(1959年)に、私は初めて知的障害者と関わりを持ち、それがきっかけで障害者が多数働く企業の道に入りました。

全国にチョーク工場はたくさんありますけれども、日本理化学工業は、一番最後にできたメーカーです。従業員74人のうち55人が知的障害者です。5割強が重度のIQ50以下の方たちです。それでいて、チョークの業界で、品質とわずかの差ではありますけれども生産数量からいっても、32%を占めるトップメーカーになっています。これは日本理化学工業の経営がちゃんとしているからというよりも、むしろ4分の3近い知的障害者が一生懸命に働き、それだけの能力を発揮してくれているからではないかと思っています。

では、日本理化学工業がなぜ知的障害者を大勢雇用するようになったかをお話したいと思います。たまたま昭和34年に青鳥養護学校、知的障害者を養育する学校の先生が飛び込みで就職のお願いに来られ、しかも何回も来られました。最後に、就職のお願いはしないから、せめてこれだけお願いしたいと言われたのが、働く経験を与えてほしいということでした。当時は知的障害者のための高等部がない頃でしたから、15歳で卒業して就職できないと、施設に入ってしまう。施設に入ったら、一生働くことを知らずにこの世を終えてしまうので、せめて働く経験だけでもさせてやってくれませんかと。この言葉に、ちょっとぐらいお手伝いしなければいけないかなと思ったのです。その実習で一生懸命働く姿を見て、2人ならということで就職させた。それが始まりでした。

その後、従業員の4分の3を占めるほど障害者を多数雇用するのには、もう一つきっかけがありました。

ある法事の席で、私はご住職にこう言いました。「ご住職、うちの会社には字の読めない、算数もちゃんとできない重度の障害を持つ人たちが何名もいるんです。そういう人たちは字も読めないんだから、施設で大事に面倒をみられたほうがずっと幸せだと思うのに、なぜ毎日働きに来るのか不思議ですよ」と。それに対してご住職が、おっしゃいました。「大山さん、人間の幸せっていうのは大事にされることじゃないんですよ。愛されること、褒められること、役に立つこと、必要とされることなんです」と。「企業であればこそ、今日も頑張ってくれてありがとう、たくさんできて助かったよ、こういう言葉をかけるでしょう。福祉施設が人間を幸せにするのではなく、企業が人間を幸せにするんですよ」と。この言葉から、日本理化学工業は、一人でも多くの障害者を雇用する会社を目指すことになったのです。

障害者雇用に関する助成金制度が1977年からできたはずですが、その4年前の1973年、労働省は、障害者雇用を進めなくてはいけないということで、重度障害者を多数雇用するモデル工場への融資制度を作りました。それは全従業員のうち障害者を50%雇用すること、かつそのうちの半数はIQ50以下の重度の知的障害者とする。こういう条件で工場をつくるなら、国が金利4.6%で全額融資するという制度でした。たまたま知的障害者のモデル工場の申請がなかなか上がってこなかったので、うちに声がかかり、川崎のモデル工場となったのです。

それからもう35年がたちました。20年で償還ということですから、当時借りた1億2,800万円は返済しています。最低賃金を履行しての返済ですから、障害者を雇用しつつも企業として成り立てることが実証できたと思っています。

実際にどうしてきたかと言いますと、知的障害者の理解力に合わせた。これまでのやり方を、ただ教えて、覚えさせながら作業をさせるのではなく、その人たちの理解力に合わせた作業を考えました。

例えば、時計が理解できない人には、スイッチのそばに砂時計をおきました。スイッチを入れたら砂時計をひっくり返して、上の砂が全部下に落ちたら止めるんだよと。こうすれば砂時計が正確な時間を示してくれますから時間どおりの作業になりますでしょう。

まして、これだけのパーセントですと生産ラインはほとんど障害者です。例えばチョークの配合という材料の計量も彼らです。でも袋に印刷してある材料の字が読めない。目盛りの理解ができない。どうしたかというと、材料を一回り大きな缶に入れ、その缶を赤く塗りました。赤い缶から出した材料を測るためには、同じ赤い色のおもりを用意しました。赤い缶から出したら、赤いおもりを載せる。1、2、3、4と数えて秤の針が真ん中で止まったら下ろすんだよと。こうしますと、その通りにやってくれます。できるようになると、むしろ集中して一生懸命やってくれます。集中してやれば生産性も上がります。ですから、何とか企業経営もできましたし、しかも栄養剤に使うカルシウムの粉を利用していますので、そういう品質面でもトップメーカーです。まさに企業でも実証できるということを世に示すことができました。

重度の障害者でもこのように企業のやりようで働けるなら、既存の中小企業、特に小企業をもっと活用したらどうかと思います。
このようなソーシャル・ファームが、中小企業の活用で新たに展開することを提案して、私の発表は終わります。

写真3

寺島:どうもありがとうございました。それでは、議論に入る前に、会場からいただいた質問の中で明らかにしておきたい点について説明させていただきます。

ソーシャル・ファームやソーシャル・エンタープライズの概念については先ほどの話にもありましたが、ソーシャル・ファームがなぜ必要なのか、なぜそういう概念が出てきたのか、それにはいろいろな理由があります。

ソーシャル・ファームの定義は今のところ、各国で違っているというのがシュワルツさんのお話の中でおわかりになったと思います。この会場の了解としては、イギリスのように社会的企業全体がソーシャル・エンタープライズで、その一部がソーシャル・ファームだとしておきたいと思います。もともと社会的企業は、広く社会的な目的を持つ企業を指しますが、ソーシャル・ファームは福祉的領域での取り組みです。そういったことを前提としてお話しさせていただきます。

実はこのシンポジウムの前に、外国から来られた講演者とパービスさんと一緒に日本のソーシャル・ファームのスタディーツアーをさせていただきました。特に関西地方のソーシャル・ファームと呼べるような施設や機関を訪問させていただきました。

日本にはご存じのように、障害者関係で言うと障害者自立支援法と障害者雇用促進法という2つの法律があります。障害者自立支援法の中では、就労継続支援A型、B型という、いわゆるこれまでの話に出てきた保護工場、シェルタード・ワークショップに相当するものです。さらに就労移行事業。かつて福祉工場と呼ばれていたものがあります。さらに障害者雇用促進法の中に特例子会社というのがあって、さらに一般企業で雇用されている障害者の方がおられ、連続性を持たせているというのが日本の制度になっています。

一般企業の場合1.8%が法定雇用率ということで、雇用率を満たさない場合、月額5万円の調整金を徴収し、それを多数雇用の事業者には例えば2万7,000円、4万5,000円を支払う形になっています。

そういった日本の制度をご説明した後で、ソーシャル・ファームと呼ばれるところを訪問していただいたのですが、みなさんにその感想をお聞きしたいと思います。

レイノルズ:少なくとも6つのソーシャル・エンタープライズを訪問させていただきました。

イギリスのソーシャル・ファームに近いと思ったのは大阪近くの豊能障害者労働センターです。この組織はとてもすばらしいと思いました。最初は国から助成をもらわないで始めたということでした。つまりこの会社ではソーシャル・ファームの原則にのっとって運営していきたいと考えたからだと説明を受けました。少なくともスタッフの30%が障害を持った人とすると、ソーシャル・ファームヨーロッパのソーシャル・ファームの定義とも合致します。会社経営にも障害者が参加されています。

雇用保険だけではなく、労災も支払っています。ビジネスとして運営し、障害を持っている人の能力を向上させることが求められています。これが箕面市から援助を受けるための条件だと伺いました。売り上げが9,000万円、そして4,900万円を箕面市から助成されていると伺いました。

おそらく多くの方がソーシャル・ファームがうまくいくために必要なことについて経験からご存じだと思います。日本の制度の中で、ビジネスとしても成功する、質の高い製品を提供し、なおかつ、人々をエンパワーする。そういうことをやってこられているのではないかと思います。このようなグッドプラクティスをいろんな方々と共有していただき、例えば箕面で行われていることが他の都市でも行われるように、頑張っていただきたいと思います。

既に日本では学ぶべきグットプラクティスが実際に行われていると思いました。

寺島:どうもありがとうございました。ご紹介いただいた箕面市の豊能障害者労働センターから新居さんがいらしてます。追加で説明いただけますか?

新居:貴重なお時間をいただきまして、ありがとうございます。私たちは、82年に24時間介護が必要な重度の方2名と、4名の健常者が助成金もないところから始めました。その後の展開としては、障害を持っている当事者が仕事を興して健常者と一緒に事業をしていく、そういうあり方を作ってほしいというふうに箕面市と交渉を重ねて、独自の事業を作っていきました。

障害者独自の事業性ということでは、例えば私が着ているこのTシャツは、重度脳性マヒの現代表が描いたものをデザイン化して作ったTシャツです。

市民に支えられながら、ビジネスの宣伝と社会性の宣伝というのを重要なキーワードとしています。通信販売を一つの事業にし、こういったオリジナルグッズを開発して全国の方に販売しています。

一方で箕面市の制度を一緒に作った一つの成果に助成要綱があります。助成の条件として、一つは重度障害者の雇用割合が30%以上、二つ目は、経営機関に障害者自身が参加している。一緒に起業をしていくという意味です。三つ目が労働保険等です。労働行政の適用事業所である。四つ目が事業所としての経営努力がきっちりされているということで、ここがポイントだと思います。五番目として、いろんな職種を開拓して、社会的に明示していく。六つ目は、障害者問題、人権問題を事業を通じて地域に啓発していく。最後は箕面市と連携してやっていくと。そういう制度を作っています。

今現在、9,000万円ほどの売上と5,000万弱の箕面市からの助成金を柱に活動しています。先ほどのフィンランドの話と非常に通じるところがあると思ったんですが、重度障害者の支払い給料の4分の3を助成する制度です。一方で、運営費の多くを事業収益で稼ぎ出していくというモデルになっています。

そういった形で当事者の主体性と市民と連携する社会性、それから自発性を失わない形での公的助成がポイントだと思います。今、うちの市長が国の制度にできないかということで国にも働きかけていますので、ご関心のある方はぜひホームページをご覧ください。

写真4

寺島:どうもありがとうございました。リンドグレーンさん、ペテルセンさん、バランカさん、シュワルツさん、パービスさんの順でお願いします。

リンドグレーン:私にとって、徳島県の「クラブノアむぎ」がとても印象に残りました。スウェーデンと似ているところがあると思いました。まさにアイディアのたまものだと思いました。

過疎化していた小さな漁村でしたが、この団体が雇用創出して若い人たちが戻ってきていました。ダイビングセンターがあり、今では日本からだけではなく、海外のダイバーが来ているそうです。例えば海の中の郵便ポストなど非常にいいアイディアを持っていました。いわゆるスマートビジネスとして人気を博しているそうです。水族館も運営していますし、あるいは学校に出かけていって子どもたちに水族館について説明をすることもあると伺いました。実際に雇用が生まれていましたし、珊瑚礁でダイビングをするなど、何かプラスアルファのことをやっており、大きな可能性があると思いました。

このような過疎のコミュニティが忘れ去られて少しずつ衰退していくのはとても悲しいことだと思います。活性化のためには、やはり新しい発想が必要だと思います。例えば観光産業を掘り起こし、日本や近隣諸国からの観光客を呼び寄せるのも一つの可能性だと思います。「クラブノアむぎ」では、さまざまな活動をされており、それをたった一人のアイディアからどうやって広げることができたのかと感動しました。

ペテルセン:6つのすばらしいソーシャル・エンタープライズを訪問して、いくつか気づいた点をお話します。

観光業に特化している「クラブノアむぎ」は、ビジネス的な考え方が優れていたと思います。デンマークから学べることもあるのではないかなと思います。社会的なミッションとビジネスを組み合わせるときに、ビジネスの側面というのはどうしても下位に置かれ、社会的な側面が重要視されがちですが、この二つがうまく融合されていました。

見学したすべてのソーシャル・エンタープライズでも、この二つのコンセプトの統合がよく理解されていたと思いますし、これがとても重要だと思います。

もう一点は、ソーシャル・エンタープライズが民間企業にどれぐらい認識されているのかということです。私たちが訪問しましたソーシャル・エンタープライズは、民間企業とあまり連携していないように思いました。もちろん、あるところは連携しているとおっしゃっていましたが、より連携モデルを強めていく必要があると思います。つまりソーシャル・エンタープライズから一般企業に対して、何らかの知識や経験を伝える。もしかするとソーシャル・エンタープライズからヒントを得て、商品の開発ができたり、あるいは今まで考えていなかったビジネスが始まるかもしれません。ビジネスの代表をソーシャル・エンタープライズに招くというのも一つの考え方ではないかと思います。

またソーシャル・エンタープライズ、ソーシャル・ファームにはいろいろな課題がありますので、ネットワークをつくり、同じような経験を持つ人たちと話すことが重要な意味を持つと思います。

バランカ:私からは三つコメントがあります。

箕面市の豊能障害者労働センターはフィンランドのワークアクティビティセンターに似ていると思いました。計画も、事業所の管理も、場所は狭いですがとてもすばらしいと思います。自治体の助成要綱において、障害者が経営に参加していなければならないと定めたのはとてもいい考えだと思います。“Nothing About Us Without Us”(私たちのことを、私たち抜きに決めないで)という精神を生かしていらっしゃると思いました。

先ほども質問がありましたが、いわゆるソーシャル・エンタープライズの経営者を支えるためのネットワークはどのくらいあるのでしょうか。フィンランドではピアグループのサポートネットワークがとても重要です。私たちは今、新しい、革新的なことをしようとしているのですから、知識と情報が必要ですが、そういうものを十分生かしきれていないのではないかと思います。例えば組織の連絡先などがわかれば大きなネットワークを作ることができると思います。

多くの障害者が楽しく働いているところを見学させいただきました。大きな施設の客室で、障害者の方々が専門的な仕事をしているのを拝見しました。支援付き雇用のようでしたが、一般のホテルでも訓練を受ければ働くことができると思います。同じ仕事ですが、福祉施設ではなく市場でも、そのようなモデルを活用していくことができるのではないでしょうか。

既に何度も言われていますが、私たちは何らかの社会貢献をしたいと思っています。多くの国々で問題となっているホームレスの人たちに対するサービスというのはどうでしょうか。まず声をかける、彼らに安心感を与え、個人的な支援をし、清潔な服を着て就職活動もできるようにつなげていくこと。これも貴重な取り組みではないかなと思いました。

ただ、最も言いたかったことは、私たちがエキスパートとして皆さんに教えるというよりは、日本から学ぶことも多いということです。

シュワルツ:まず多様性ということに大変感銘を受けました。興味深いアイディアが活用され、いろいろなモデルがあり、いろいろな問題に対処しています。私自身、多くを学んだと思います。

日本には28もの関連する法律があり、たくさんの規制があるということで非常にわかりづらいと思います。どういうサポートが使えるのかについても、非常に複雑だと思いました。しかし、いずれにしてもこんなに多くのことが実現されようとしているわけですから、すばらしいと思いました。

また、お互いに学びあい、団体間でサポートし合うネットワークがあればもっといいのではないかと思います。

バービス:今回、様々な組織を見学させていただき、本当によかったと思っています。

一つ私がよく覚えているのは、釜ヶ崎です。NPO釜ヶ崎の代表は30年間もこの仕事をされていました。かなり怒っておられました。というのは、政府が今、生活保護に大量の資金を投入している。そして医療保険に大量のお金が使われている。しかしその他の支援に対してはほとんどお金が割かれていないとおっしゃっていました。もし政府がこのお金をもっと雇用創出に向けたなら、つまり、働きたいが働くところがない人たちのために使うのであれば、大きな違いがもたらされるとおっしゃいました。

ここにいらっしゃる方は、仕事が社会的に大きな役割を果たし得るということ、ソーシャル・ファームがそういった中で大きな役割を果たし得るということをご存じだと思います。そして、政府はもっと円滑化を図れるような環境作りができるのだと。例えば宮嶋さんの組織において利益を再投資できないのはおかしな話だと思います。

ですから健全な法的構造が必要だと思います。このような活動を進めていらっしゃる皆さんがもっと積極的にネットワーク組織を作り、お互いにサポートできればいいのではないでしょうか。

私はいろいろなNPOの方々とお付き合いをさせていただいていますが、そういった中で日本では、強力な中間組織が存在しないために問題があると思います。中間組織なくしてサポートを提供できればいいとは思いますが、今現在、あまり政府に対する発言権がないと思います。ですから、セクターの調査をして現状がどうなっているのかデータを理解し、国際交流を進め、まずはそのような情報に基づいて政府、そして日本社会を相手にアドボカシーを進めることが求められています。

そのためには、皆さん、当事者の方々、このセクターで活躍されている皆さん方の支援が必要です。それが私からの将来に向けての提言です。

写真5

寺島:皆様、どうもありがとうございました。私たちも真摯に受け止めて、今後に生かしていきたいと思います。

会場からいくつかの質問がきています。

「保護雇用ではなく、ソーシャル・ファームでないとどうしてダメなのですか?」「助成金はどのようにあるべきですか?」「ソーシャル・ファームと従来からの福祉施設との違いは何ですか?」「ソーシャル・ファームについて国民の方はどう思っておられるのですか?」などです。

大きくわけて2つの質問に分類できます。なぜ福祉施設からソーシャル・ファームなのか、そして国民はどのように考えているかということです。特に北欧の国々は福祉国家で、そもそも福祉国家の基本は労働政策なので、働けない人が多くいるとも思えなかった。なぜ福祉がダメでソーシャル・ファームなのか。それから、国民はどんなふうに考えているのか。この二つについて、もう一度少しお話ししていただけますでしょうか。

レイノルズさんには、特徴的なイギリスのソーシャル・ファームについてもう少しお話を聞かせていただきたいと思います。基本的に補助金は全く入っていない。他の国では例えば優先的に融資を行う、あるいはソーシャル・ファームであるということを社会に示すという形で補助金がありますが、イギリスにはありません。では、レイノルズさんからお願いいたします。

レイノルズ:私は訪日直前にイギリスの新聞で批判されました。「レンプロイ社の事業所はすべて閉鎖されるべきだ。7,700万ポンドも毎年かかっているが、年間わずか5,000人しか雇っていない。40年間、その施設から他の仕事へと移った人はいない」と発言したためです。

いかにソーシャル・ファームがより持続可能な解決策になり得るかということを申し上げたいと思っています。レンプロイ社の例は、支援付き雇用で、国から大量のお金が投入されています。私が批判したのは、ゲットーのようなものだからです。健常者によって運営されていますし、私たちにとってはもはや健全な労働とは言えないですし、インテグレーションを目指す社会にはもはやふさわしくないからです。

また、私はこのような支援付き一般就労(supported businesses)をソーシャル・ファームに変えることができると話しています。私たちのメンバーのうち6社は支援付き雇用事業所でもあり、ソーシャル・ファームでもありましたが、5年前に、よりビジネス志向へと転身しあまり助成金に頼らないという大きな変革を遂げました。しかし、イギリスにはまだ150以上の支援付き雇用事業所があり、ビジネス志向にはなっていません。そのようなところは早く閉鎖し、その資金をもっと持続可能なビジネス的アプローチ、例えばソーシャル・ファームに充ててほしいと思います。

シェルタード・ワーク(授産施設)はビジネス的アプローチではありません。シェルタード・ワークには「ワーク」という言葉が入っていますが、誤解を招きます。給与が支払われておりません。意味のあるセラピーであり、作業療法です。

しかし、こういった授産施設そのものをなくしてはいけないと思います。あたかも職場のように聞こえますので名称は変えてほしいのですが、しかし、仕事ができない人たち、重度の障害のある人たちは、社会の一員としての自分の場、自らの自尊心を育むための場が必要です。しかしながら給与を支払うとか競争のある市場に投入することはできません。

ソーシャル・ファームは今現在、政府のサポートがない状況でも成長しています。今後も成長を続けるでしょうが、もう少しソーシャル・ファームの成長をさらに促進するための支援が欲しいと思います。

リンドグレーン:スウェーデンは福祉国家ですが、他のヨーロッパの国々と同じく常に高い失業率と債務を抱えています。郊外に住む若者は、将来に対する希望がありません。したがって彼らのために仕事を作らなければなりません。例えば両親が失業している家庭に育った子どもが非常に多い中、これは失業者の第二世代と言えるでしょう。社会に対し、また、政府を助ける意味でも、ソーシャル・ファームが新規雇用につながるということを見せる必要があるでしょう。

ソーシャル・ファーム、ソーシャル・エンタープライズが雇用を創出するために不可欠な存在となっています。障害の種類にかかわらず、またどのような形で排除されているにせよ、働く機会を提供することが周辺の人々に対しよいお手本になり得ると思います。次の世代にこういった機会を継承するためにもソーシャル・ファームは必要です。

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ペテルセン:果たして私たちの国がまだ福祉国家であるのか、私自身もはっきりしません。私たちの福祉に対する期待が高く、働くことによってお金を稼ごうという意欲が少ないことは確かです。

スウェーデン、ノルウェー、デンマークを見てみましょう。例えば福祉国家を作った場合、合理性を追求するあまり、非合理的になります。制度のための制度になってしまいます。その結果どうなるか。本来であればいろいろな困難を持った人を助けるはずの制度ですが、個々のニーズを見失ってしまいます。

また、福祉国家は非常にコストがかかるため、継続できなくなります。施設を中心にした政策ではあまりにもお金がかかり、この金融危機では負担しきれなくなっています。

また、北欧の福祉国家は連帯感を人々から奪ってしまいます。これは政治的な意味ではありません。例えばデンマークのすべての女性は働いています。子どもたちは幼稚園あるいは保育園に行っています。高齢になりますと高齢者施設に入ります。したがって家族というのは一緒にいるべきものだというのを忘れてしまっているわけです。

デンマークの制度について、最初は疑問を持たなかったわけですけれども、結果としてこのようになってしまいました。ソーシャル・エンタープライズにしても、今までの福祉国家にかわるものとしてではなく、それを補完するものとして必要になっています。福祉国家だけでは今の課題に対応できなくなっていることを示しています。

中間組織が必要であるというお話が出ましたけれども、私からのアドバイスとしては、それはすべての人が参加して活動することができる実践的組織でなくてはならないということです。公的セクター、民間、第三セクター、市民社会等も含めたすべてのセクターが含まれるものでなければならないと思います。

バランカ:なぜソーシャル・ファームがフィンランドで必要なのか。フィンランドの人は何を考えているのか、そして、授産施設についてお話をしたいと思います。

フィンランドには、法定雇用率はありません。障害者は障害を持っている労働力と登録されたくないのです。これは政治的にも拒否されてきたことです。もちろん、政府は、雇用主に対して障害のある人を雇用するようにと推奨しており、そのモデルの一つがソーシャル・ファームです。

フィンランドでは、国レベルでも自治体レベルでも税金が高い。それによって、社会から援助が必要な人を助けてきたわけです。

その背景があって、フィンランド政府は、ソーシャル・ファームについての法律を作りました。ソーシャル・ファームでは、様々な就労機会が与えられ、独自の収入によって支出を賄うことが基本です。商業的に市場で競争する企業でもあります。ただ、ソーシャル・ファームが障害者を雇うための公的補助金があります。他の企業が雇わないわけですから。

フィンランドには、授産施設があり、また雇用就労機会を提供する、商業的にも非常に活発な企業と言いますか、シェルタード・エンプロイメントというのがあります。これは、ソーシャル・ファームへの発展段階の一つと見るべきだと思っています。

またフィンランドは通常の賃金を労働者に払う伝統的な支援付きの雇用があります。この10年くらいは、授産施設で提供するリハビリテーションあるいは職業訓練に注目が集まっています。また賃金を払う雇用を創出しています。しかしどの分野でも非常にいい仕事をしているかというと、そうではありません。

職業訓練、リハビリテーション、そして賃金を払う雇用とありますが、今は、真の雇用を提供するという意味でソーシャル・ファームが重要になっています。

シュワルツ:ソーシャル・ファームに関連した仕事を続けてきましたが、ソーシャル・ファームの状況はかなり変わってきたと思います。ドイツではいろいろなモデルがあり、授産施設とソーシャル・ファームの両者の線引きが難しくなってきています。ソーシャル・ファームの価値というものがきちんと共有されていても、法律的には授産施設となるかもしれません。例えば授産施設が子会社を作って市場で競争をしていくなかで、一般の人たちのために雇用を創出する。このように社内で様々な人に様々なチャンスを提供できるようなシステムを内包しているなど、ソーシャル・ファームと授産施設の区分けが不明確になってきています。民間企業でソーシャル・ファームだと言っているところもあります。

ですから、我々としては、実際に働いている人たちが何をしているのかが一番重要なことだと思います。質問が出てきたのも、日本にも様々な形のソーシャル・ファームと言うべきものがあるからではないでしょうか。

また、残念ながら、ドイツでは一般の人はソーシャル・ファームについてよくわかっていません。状況は変わってきていますけれども、もっと知らせる努力が必要だと思います。ソーシャル・ファームの製品だから買うという人はほとんどいません。けれどもソーシャル・ファームがいい製品を安く作れば買ってくれます。ソーシャル・ファームがやるべきことは、製品等をもっと宣伝し、品質の最低基準を設け、販売促進していくことだと思います。

寺島:「ソーシャル・ファームに受け入れられる障害のある方の資質や条件はありますか?」 という質問があります。では宮嶋先生、お願いします。

宮嶋:うちは、どんな人でも来てみたいと連絡があったら断らないことにしています。これは大変なことなんです。普通、福祉の世界で働いてきた方から言わせるととんでもないことだということになってしまうんです。なぜかというと、それぞれの人がいろんな障害なり問題を持っています。だけれども、ひっくり返してみれば、それぞれ違った可能性を持っていますよということです。僕らは、都会ではなく農村で生活するスタイルをとっています。ということは、社会の中にあるほとんどの仕事はやらなきゃいけないわけです。その中で誰がどの仕事に合っているか、僕らにはわからないんです。わからないけど見つけなきゃいけない。

僕は、ある時、発見したんです。こうやったら本人の中に隠れている可能性が出てくるよと。そしてその可能性を本人と周りが見つけたら、その問題はだんだん小さくなっていくということです。

見つけ方は、朝食の後に「君、何をやるの?」と聞くんです。その前提は、僕らは動物を持っていて、やる仕事はいっぱいあります。その中で本人に「君、何をやるの?」と聞くんです。「休みたい」と言えば休めるんです。そうすると、意外と、今までああしなきゃいけないと思っていた人が、戸惑いながら「これやります」と言うんです。もちろん見当違いのこともあるんですが、それをやらせる。失敗をする。その中から本人が可能性を見つけてくるんです。それを組み合わせて、一つの生産ラインを作ったんです。

そこでできたのが「さくら」というチーズです。ヨーロッパに持っていったら、ヨーロッパのオリンピックで金メダル。グランプリをとっちゃったんです。なぜかと言ったら、それはゆっくり、みんなを生かそうと思って作ってきた生産ラインで、食べ物という生き物の命を持っているものを加工していくわけですから。みんなが作ったものを傷めないように環境を整えるわけです。炭や微生物を使って化学物質は使わないで環境を整えていく。牛もつながないでリラックスさせる。牛のにおいとハエがあるとその近くでチーズは作れないから、においとハエが出ないようなシステムを考えて木造にしたんです。

そうやってチーズを作る一番いい方法をみんなでアイディアを出しながらつくっていったら、チーズもおいしくなって、ヨーロッパでグランプリをいただいちゃったんです。

でも、ふりかえってみると、牛のにおいとハエをなくそうと考えていった環境そのものが、非常に負担を抱えている人たちの生活環境に必要だったんです。これはほとんど社会システムの話です。

でも、もっと1人の人間の「生きること」そのものにポイントをもっていったら、もっともっと隠された可能性が出てくると思うんですよね。

僕らは日本の社会のシステムにほとんど依存できずに、依存しないできてしまった。善良な人たちの寄付に頼っていたわけです。でも、僕自身はそれにも頼るのは嫌だった。依存心を持つのが嫌だったわけです。だから寄付をもらいながら、いかに個人を生かすか。自分が持っている土地と個人を生かすか。それでできるというのが僕の感覚なんです。

でもその人たちが使う土地、生活する寮を建てるまでのお金は、自分たちで稼ぎ出せるかといったらとてもじゃないができない。その部分だけ何とか支援していただければと思ったんです。

そしたら、農業支援にはお金を出すんです、福祉じゃないですよ。農業で就農をする人のための寮、研修する人たちの寮を建てるということで、ポンと補助金が出て建っちゃったんです。実習生は僕らより全然いいところに住んでいます。

社会的システムは必要だし、それがないと僕らがこれから先困ると思うけど、まず個人をどう生かすかということを考えて、そこからシステムを考えた方がいいんじゃないかなと思うんですね。

うちはずっと働いています。朝4時半から8時くらいまで働いています。ただし自分が働きたい時間に働いている。

うちの娘がフィンランドのシュタイナーのラハスというところで、シンギングセラピーやアートセラピーを勉強してきたんです。水曜日の午前中は仕事をしなくてもそこに行くならOKと言っているんです。そうしたら障害を持っている人も、全然持っていなくて仕事をバリバリできる人も行くんです。仕事がバリバリできるようでいて、昔の何かのトラウマがあるんです。同じなんですよ。

本当に目に見える障害のあるなしにかかわらず、同じ立場でみんなができることをして、協力をしよう、その方が儲かりまっせって話になるんですよ。

そこが見つけられると、これから可能性が広がるのではないかなと思っています。

寺島:「研修事業についてもう少し詳しく教えてください」とレイノルズさんに質問がきています。発表の中でも2006年以降最も増加した事業として研修を挙げていましたけれども、それについてどんな人がどのようなルートを経て研修を受けられるのか、どんな内容、方法、期間なのか、研修後の進路はどうなのか、研修修了者への扱いや研修生への補助はどうなっているか、などです。

レイノルズ:研修事業ですが、ビジネスとして他の組織に研修を行っています。ソーシャル・ファームの中で人を育てるということではありません。

研修そのものが彼らの売るべき製品で、市場に機会があります。クライアントがイギリスにおける障害者の差別禁止に関わる法律に準拠するための研修を実施しているのです。というのも、2006年、イギリスでは、法律によって企業や教育施設が障害者へのアクセシビリティに完全に配慮しなければならないと定められました。それ以来、このような研修分野のサービスは増加しています。まさにソーシャル・ファームの意義に即しているサービスであるということが増加の理由です。

さて、ソーシャル・ファームが採用する場合、ビジネスですので、一番重要なのは仕事をする能力です。障害があろうとなかろうと、関係ないわけです。

ソーシャル・ファームというのは、もちろんボランティアの側面もあります。かなり重度の障害を持っている人も、障害のある研修生もいますが、しかしながら仕事の内容にそった能力がある人を雇うわけです。その仕事ができないということであれば、その仕事には就けません。それがビジネスとしての成功を期す基本だと思います。結局は、障害があってもなくてもその仕事をする資質があるかどうかということだと思います。

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寺島:ネットワークの構築について質問がありましたのでシュワルツさんから国際的な協力を含めてご説明をいただけますか?

シュワルツ:EUでの欧州委員会(European Commision)はソーシャル・ファームや社会的協同組合の考え方に興味のある人々のネットワーク作りに重要な役割を果たしています。

ソーシャル・ファームはもともとイタリア、ドイツ、イギリスで広がっていったのですが、どのようにアイディアが一つの国から別の国に移っていったのか、どのように進化していったのかを振り返ることができます。それぞれの国の事情に合わせた何か新しいものがいつも生まれてきました。ですからお互いに学び合うという意味のネットワーク作りはとても重要だと思います。

私たちはここに集まっていますが、ただ座っているだけではいけません。たとえば、紹介された事例を日本で生かしていく。ソーシャル・ファームが実効あるビジネス計画を進めるには資金が必要であり、銀行にも行かなければいけない。一人でやろうとすると、とても複雑な問題に直面することになると思います。グループを作れば、もう少し系統的なサポートも得ることができると思いますし、また同じような経験をしようとしている人を助けることができます。

ヨーロッパでも、具体的な支援システムを開発しなければなりませんでした。そのうちの一つは、今日も話に出ましたけれどもヨーロッパの国際的なブランドになっているル・マット・ホテルのアイディアです。ホテルやゲストハウスの運営方法など、ブランドの背景にあるディテールの開発の促進が重要で、異なった国々で運営する際、その国の文化事情に合わせて取り入れることが大変重要です。このようなアイディア、コンセプトを開発し、いろいろな文化から学びつつ、育てていきたいと思っています。それができれば、おそらく他のフランチャイズ企業に対しても十分な競争力を持つことができると思います。実はいろいろなところで同じような経験がなされていると思うのです。

私たちはまだ端緒についたばかりです。どういう分野で私たちが力を発揮できるのか、どういうところが不利なのかを明らかにしようとしていますし、また製品のマーケティング開発をしなければいけません。そういった観点から、ネットワーク作りがカギだと思います。

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寺島:大山先生、上野さん、コメントをいただけますでしょうか。

大山:私は企業のことしか知らないのですが、重度障害者で一般企業で雇用の対象になっていない人でも、企業のやりようでは働けるんだということを強く感じたものです。まして、働くことが人間にとって一番大事な、幸せになることだとも感じています。日本の憲法は、幸福の追求を最大限に国民に約束しており、まして最低限度の文化的生活を保障しながら、働く権利だけでなく義務までもうたっているだけに、重度の人も働ける世の中づくりを日本の社会は皆でやらなければならないと、私は強く感じました。

今ある中小企業を上手に活用すれば、設備もあるし場所もある、手取り足取り教える職人文化を持っている、まして障害者自身も企業で働くことで張り合いを感じ、幸せとともに人間的にも成長する。そういうメリットもあります。

日本で障害者雇用が進まないのは、企業が安心して雇用できないからです。もし仕組みができれば企業は安心して障害者雇用にチャレンジしてくれるはずだと思います。

ちょっと大それた提案ですが、大企業に特例子会社もあるわけですから、中小企業にも重度の障害者で一般企業で働けない人に最低賃金を国が出す仕組みで特例会社を作って、重度の障害を持つ人たちも地域で働けるようにしてはどうかと思います。

上野:ここには私たちの仲間、福祉関係者の方も大勢いらしていると思います。今日の話を聞いていると、やもすると福祉的な支援が否定された感じを受けた方もいるかと思いますが、私自身はそうは思っておりません。ただ、補助金に依存した就労支援ということではなくて、それを活用しながら事業として発展させていくことに、もう少し私たちが努力してもいいのかなと思っています。

その一つの可能性として、ソーシャル・ファームもあると思いますし、理念的には、私たちがやってきたこともソーシャル・ファームだと思っております。そういう仲間が増えることを願いながら今日はお話ししたつもりです。

寺島:最後に炭谷さんからまとめをしていただいてよろしいですか。

炭谷:どうもありがとうございました。今、頭の中にいろいろな情報や問題点があるので、気がついたことを一つ二つ述べさせていただきます。

一つは、ヨーロッパの方々から日本でもっとネットワークを作ったらというお話ですが、ぜひ進めてみたい。そのためにソーシャルファームジャパンを作ったわけでございます。ぜひ今日、会場の皆様、ソーシャルファームジャパンにご参加していただければありがたいと思っております。会費等は一切求めておりませんので、自由に入っていただければありがたいと思っています。会費がないということ、逆に言うとサービスがないということかもしれませんが。いずれにしろよろしくお願いします。

日本には、経済産業省が推進していることもあり、社会的企業のネットワークもたくさんできています。しかし、いわば障害者のために何かをしてあげようというのが現在の社会的起業家の集まりで、それでは障害者の主体性、人権の確立という観点から考えると、やや昔に戻っているのではないかと、疑問に思っております。

ソーシャル・ファームというのはあくまで当事者自身が主体性をもって働く、社会的企業の分野を言うわけです。そしてそこには、障害者だけではなくて、引きこもりやニートのような若者、高齢者、難病患者、刑務所からの出所者も入るでしょう、場合によっては被差別部落の人も入ると思います。そのように現在、適切な仕事が得られない人たち、2,000万人以上いらっしゃる。そして、ソーシャル・ファームでは、その人たちが経済主体としても、一般の経済人と同じ位置になるということになるわけです。

質問にもありましたが、保護労働とどう違うのか。これは、障害者自身が主体的に働き、一般の人と一緒になって働く。ここが重要だと思うんです。保護労働というのは、障害者は働くんですけれども、障害者でない人がいわば指導者としての位置づけなんです。それでいいのかなと。それをやっている間は、障害者としての主体性、人権、実勢というものが確立しないわけです。

ただ、そうせざるを得ない人もいらっしゃるわけですから、そういうものを否定するわけではなくて、それと併存する形でソーシャル・ファームが必要だと思っています。

結局、ソーシャル・ファームというのは人間の生き方につながるわけです。人間としてどういうふうに生きていくか。それはやはり、人から命令をされたり、保護されて働くということではなくて、自分の主体性を持って働いていくということだと思っています。それが第一です。

第二には、それによって新しい社会、現在崩れている社会づくりにもつながっていく。

第三として、新しい国家像がそこから生み出されると思っています。小さいソーシャル・ファームの試みですけれども、きっと大きく日本の人間の生き方、社会、国家というものを少しずつ変えてくれるのではないかと思っています。

本日はどうもありがとうございました。

寺島:どうもありがとうございました。これでディスカッションを終わります。