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マヤ・トーマスさんとの対話交流会
「インクルーシブなコミュニティ作りのために」
―CBRガイドラインはどう使われるのか?―

進行:中村信太郎氏
(国際協力機構障害担当専門員・社会保障分野)

司会 今から、マヤ・トーマスさんとの対話交流会を始めます。

 講師の皆さまと、お二人の方にご登壇いただいています。

 ここからの進行をモデレーターの中村信太郎さんにお願いします。中村さんは、国際協力機構、JICAで国際協力専門員として活躍されておいでです。

中村信太郎氏の写真

中村 ご紹介ありがとうございました。JICAの中村です。

 今から4時50分頃まで約2時間、皆さんのご協力を得て、マヤ・トーマスさんとの対話交流会を進めてまいります。

 進め方ですが、まず、マヤさん、戸枝さん、高嶺さんのお三方のプレゼンテーションの内容について、具体的な質問があれば、それぞれの方について2問ぐらいを限度にお受けします。

 その後、野際さん、平本さんから問題提起の形でお話をいただければと思います。問題提起に基づいて、会場の方々からのご質問、コメントをいただき、対話を進めます。その過程でマヤさん、高嶺さん、戸枝さん、平本さん、野際さんからのインプットもいただければと思います。

 「対話交流会」というタイトルをつけておりますとおり、一方通行ではなく、フロアの皆さんとのやりとりをしながら進めてまいりたいと思います。ぜひご協力をお願いします。質問だけでなく、反論なども大歓迎です。

 最初に、マヤさん、戸枝さん、高嶺さんのプレゼンテーションに関して具体的な質問があればお受けします。

質問者 今日は興味深いお話、ありがとうございます。マヤ・トーマスさんへの質問です。

 私がマヤさんのプレゼンテーションを聞いていて思ったのですが、例えば、CBRを、どちらかというと障害者の問題ということでとらえておられる。開発という意味でとらえておられるよりは、障害者の課題について、とらえていると私は感じましたが、どうでしょうか。

 例えば使っている言語がNGOではなく、DPOという表現が非常に多かったと思いました。例えばプロジェクトを評価するときの話の中で、5つの原則がありました。

 その中のアカウンタビリティという説明責任、効率性、効果性といった5つについて原則の話がありませんでした。

 あと、データについても、どちらかというと、ナレーション的なストーリー、物語を語るような形で説明していただきましたが、開発の側面でいくと、やはりそこには定量的なもの、数字、数値が普通は必要となってくると思います。

 私が考えていることをどう思われるか、特に開発の中でのCBRについてご自身はどう思っておられるか、ご意見をお聞きしたいと思います。

中村 では、マヤさん、お願いします。

マヤ コメントと質問、ありがとうございます。

 CBRを開発の文脈で考えるということ。つまり、ご質問の内容としては、私がなぜCBRを「開発」よりも「障害」に焦点をあてて説明したか、そして「NGO」ではなく「DPO」という言葉を多用したのか、ということだと理解します。

 現在、使われているCBRの理解がどのようであるかを、明確にしたいと思います。

 CBRはコミュニティの開発を原則としており、障害者があらゆるコミュニティの開発に参加すること、そしてそれを促進するためのものです。

 私たちが到達したいゴールは、インクルーシブな開発です。そしてCBRはそれに到達するための手段です。手段としては他にももっといろいろあると思います。

 いろいろある手段のうちの1つがCBRで、それは障害のある人たちに焦点をあてなければいけないものだと思っています。

 先ほどCBRはツイントラックアプローチが必要だと言いました、コミュニティ、環境、アクセスも考え、コミュニティが障害のある人たちを受け入れるように変化するよう、働きかけていくことも大事だと思っています。

 そのためのアプローチの1つが、自助グループを作ることです。自助グループには障害当事者のグループ、家族のグループがあります。それがCBOです。

 2点目、評価についてですが、私の今回の発表は、評価には特に焦点をあてていませんでしたので、先ほど話された説明責任や効率性について深くは述べませんでした。私はもっと評価が必要だという、そのニーズについて話しました。数量的なデータの必要性は、まさにそうだと思います。

 私も同じことを強調していたと思います。現在は「灰色の報告書」という、あまり公になっていない報告書が数多くあります。しかし私たちは、白黒はっきりした証拠をもとにしたデータが必要だと思っています。

質問者 本日は非常に興味深い講演をありがとうございました。「むそう」の戸枝さんに2点、簡単に質問します。

 プレゼンテーションの冒頭で、市民活動家同士がライバル視し、シェアを争うことがあり、それが開発途上国のフィールドでも多く見られていると。それに反して知多半島では、市民活動家同士が非常に仲良くやっていると。それにより地域資源の活用やネットワークの広がりで、有効な活動をされていると思いました。どのようなきっかけとか、取り組みによって、仲良くやっていこうという機運、関係性が築かれてきたか聞きたいと思います。

 2点目として、スパイラルの関係性。スパイラル型のネットワークということで、その中で障害当事者が主体の団体がどのように関わっていて、それによりスパイラル型のネットワークにどのような効果がもたらされているか、事例があったら簡単に教えていただければと思います。

戸枝 1点目の知多の事業者は仲がいいということですが、何人かのリーダーが市民活動を始めたんですね。正確には3名ですが、この方達が活動を始めたときは、地域をよくする、そのために市民活動を始めたという入口ですから、それをやりたいというほかの団体が出てきたとき、最初の人がすぐ仲間だというんです。ミッションですね、この地域をよくするという活動に対して「仲間だ」と。この3人がとにかくオープンな人でした。僕もNPO法人を始めるとなったとき、リーダーの1人のところにいったら、フロッピーを渡され、「りんりん」さんという団体なのですが、この「りんりん」を「ふわり」とかえると認証が取れる、とか。しばらくして電話がかかってきて、ちゃんとできたか、と。こっちが遠慮していると、こうしたらいいのよ、と。

 仲間を増やすということが、この方たちからいうと、ミッションの1つだったんですね。始めた人がオープンで、仲間を増やすという立場の人だったので、僕は次に始めたい市民団体の人が来たとき、自分の培ってきたリソースを新しい人に返すのがもらった人への恩返しなんですね。そう言う意味では1つは、ミッションが、社会に向かって皆さん、一緒だという確認をする。

 それは「地域福祉サポートちた」と紹介した中間支援団体は、理事が各団体の代表なんです。そういう形で、協働するフレームも含めて入口から用意されたことも、仲良さが渦巻き状に増幅していった。始めた人たちが良かったのと、恩返しが連鎖反応を起こしていると思っています。

 スパイラル組織というか、知多の活動の中で当事者団体はどうしているかです。

 今、休憩の間に、名古屋でもマヤさんの話を聞けると名古屋から来た方にチラシをいただきました。うちの職員も今日つれてきたかったのですが、他の研修が地元であって、うち主催なので来れなくて。マヤさんの話がよければいいほど、ショボンとしていました。

 名古屋にも来るんだと、みんなで行けると喜んでいます。知多半島で、「NPO法人チャレンジド」というのがありますが、その代表がマヤさんと一緒に話をするということです。彼は車いすの障害者です。

 僕の母校で日本福祉大学という大学が知多半島にあります。そこに辻君という人、頸損ですね、首に障害があって、全身性の麻痺の障害者です。彼が学生としてきて、学生生活サポートが大学としては不十分だとか、もっと言うと、大学のある美浜町という町を大好きになってしまって、大家さんたちもいい人で、車いすの彼を、住居を改修してまで面倒をみてくれました

 この地域がもっといい地域になるような活動自体をライフワークにと、学生時代にNPO法人を立ち上げました。ゼミの友達を職員にしたり。

 そのときに僕も関わったのですが、ご恩返しの連鎖としては、辻君のゼミに行って、NPOとは何たるか、手続きはどうするか、事業計画をどう考えるかというところで始まっています。そんな形で当事者が始めた組織も始まっています。

 例えば、「NPO法人チャレンジド」も、「地域福祉サポートちた」のメンバーに入って、必要な協働をしていくということです。

 あと、精神の当事者がやっている市民活動、組織とか。知的障害の方はサポートを受けながらですが、本人会と呼んでいますが、活動をしています。そういう形でそれぞれ活動をつくっては、必要に応じて協働、参画していっています。

質問者 3人の方それぞれ、地方ということが話の中で出てきました。

 例えばCBRや開発と障害を考えるとき、ルーラルエリア(地方)でどういうサービスを展開するかが、大きな課題の一つとしていつも語られます。

 戸枝さんのプレゼンテーションをお聞きして、恐縮ですが、知多半島をルーラルと呼んでいいかもよく分からず言いますが、東京ではないところ、都市部ではないところで成功している例としてお伺いして、この質問が出てきました。

 それぞれ3人の方々に、地方ならではのメリット、地方で活動を展開するに当たり、難しさはよく聞かれますが、こういう点が地方ならやりやすいという点がご経験からあれば教えていただきたいと思います。

 特に戸枝さんには、同じような、よく機能している活動が都市部でももし、戸枝さんのネットワークの中で東京で入っているところがあれば教えてください。

中村 地方で活動することのメリットについて、お三方それぞれへの質問です。戸枝さんにはそれに加えて、都市部での例があればということです。

 では、マヤさんから順番にお願いします。

 また、高嶺さんは沖縄が地元ですので、ある意味、地方ということでお話をいただければと思います。

マヤ ご質問ありがとうございました。

 まず言えることは、開発途上国における農村地域で活動をすることが容易だとは言えません。それがまず言えることです。

 やはりこういった開発途上国の農村地域でぶつかる課題というのは、まず貧困、それからいろいろなチャンス、そしてサービスに対するアクセスがないという課題があるからです。だからこそCBRがスタートしたと言えます。つまりこういう農村地域の障害者に対してどういうふうに我々のほうから手をさしのべることができるのか。そこから始まりました。

 とは言いながら、時が経つにつれて我々も活動している中で、実は農村地域で活動することのプラスの側面もあることに気づき始めました。

 グループの形成、地域社会の協力精神や参加精神。これらは実は、農村地域のほうが促しやすいところがあります。それに対して課題というのが、施設やサービス、チャンスが不足しているということですね。

 しかしこういったいろいろなものが不足していても、そのニーズに対応し、問題をひとたび克服しますと、あとはとてもやりやすくなる。つまり人々が、農村地域の人々の新しいアイディアに対する受容精神は強いし、自分たちの中で障害者の人たちを受け入れようという気持ちも強い。また、より大きなコミュニティとなることのメリットを考えると、非常にやりやすいです。私からは以上です。

高嶺 そうですね。途上国のシチュエーションですと、私は障害者団体、DPI(障害者インターナショナル)にも所属しておりました。その経験からいって、都会と田舎の障害者の問題というのは、大きな違いがあると思います。

 マヤさんが発表で触れていましたが、どうしても都会の運動というのは、エリートの障害者の運動ということになりやすい。なぜかというと、障害者でも大学を出て、英語や外国語で話ができる人が多く、そういう人が中心になって運動を展開しますから、どうしてもメンバーが限られ、広がりがなく、あまり発展性がないと見られています。

 だけども、地方での取り組みというのは、凄く大変な時間と資金と労力が必要になります。私が話したインドの例がそうですけれども、NGOであれ、あるいは行政のほうであれ、きちんとした支援の仕組みができなければ、農村地域では、なかなか障害者の運動は進んでいけない面があります。しかし、いったん、農村地域の自助グループが立ち上がれば、メンバーがエンパワメントされていきますので、運動が持続していく力はすごくあると思います。

 そういう自助グループやその連合体が広まっていけば、国内的にも大きな影響力を持ってくるのではないかと期待をしております。そうすると、いわゆる都会の障害者団体と農村地域の自助グループのつながりが、もっと緊密になって、おそらく政府の障害者支援の仕組みも変えていく力になるのではないかと思っています。

 もう1つ、今、沖縄では、県の障害者権利条例づくりをやっております。地方だと、知事と親密な関わりが持て、顔の見える関係ができるわけです。ですから、知事が障害者団体と話し合い、それをいったん約束したら、なかなか反故にはできないことになります。地方だと、そのような関係は、選挙なんかに直接票となって表れますので、障害者団体も無視できない存在になります。その意味で、地方の取り組みというのは、都会と違って顔の見える動きであって、沖縄県で県の障害者権利条例ができるかどうか、まだ分かりませんが、今すごくおもしろい展開になっていると思っています。

戸枝 そうですね。やはり大都市におもしろい地域実践がないということは、昨日も打ち合わせの時に、ちょっとそういう話になったのですけれども、日本の場合、財政力がある自治体は障害者を保護収容できてしまうというですね、その問題が、日本の場合はあるんだと思うんですね。

 東京なんかはいびつな県だと思っていて、障害者を都外施設ってね、東京は地価が高いから障害者がいると、もしかしたらイヤだと思っているのか、北海道とかまで施設建てて連れていくんですよね。だから東京都内の施設にいるより、都外施設に送られちゃっている障害者がいっぱいいて、障害者がいないときに「共生のまちづくり」といったって、当事者がいないんですから、始まらないわけでしょう。

 いまだに都立だった施設の中では1人当たり1000万円以上の経費をかけているという施設があって、なんですかというと、職員の人件費ですよ、ほとんど。1000万円プレイヤーが、いまだにいっぱいいる、みたいなね。1000万円プレイヤーが福祉をしているのがいけないと言ってるんじゃなくて、1000万円の仕事をしていないんですわ。保護しているだけだから。

 地域実践ということでは、僕らは貧乏だから、田舎だから、行政はそんなにお金をくれませんから、障害者と一緒に働かないと、成り立っていかないんですよ、障害の暮らしが。稼いでいただかないと、年金だけでは暮らしていけないから頑張っているんですね。たぶん、大都市部にいい実践が出ないというのは、その意味で財政力が保護収容できるほどあるということが、問題の背景にあるのではないかというふうに、まず思っているんですね。

 そういう理屈で、福祉団体は、だいたい興味を持てないぐらいダメなところが多くて、協働しているところはあまりないんです。おもしろいなと思っているのは、恵比寿駅。駅を降りるとビールが飲みたくなるという不思議な駅なんですが、降りて3分ぐらいかな。5分はかからない駅前にパレットさんという居酒屋があるんですよ。スリランカ料理を出していまして、厨房にはスリランカ人がいて、障害がある方が給仕をしているんですよね。

 これはスリランカの留学生たちに仕事をつくるということと、更に障害者が一緒に働くという、フレームとしては障害者の補助金も使っているんですよね。これ、谷口さんという人が仕掛けたんですけれど、食材を仕入れたりするということで、スリランカにも作業所を作っていまして、スリランカの戦災孤児なんかとか、障害を受傷したような方たちの現地の作業所と両方を同時に運営しているんですよね。こういう展開が恵比寿駅前のいいところでやっています。年間、家賃だけで1500万円払っていると言ってましたよ。だからこれを回収するだけの利益を上げているから続いているんですよね。

 だからうちのラーメン屋とか見に来ると、「田舎だからいいな」って東京の人たち言うんですよ。「家賃安くてね、こんなに立派な店があって」。何を言ってんだって。東京には人が死ぬほどいるじゃないかと。ちゃんとした商売したら成り立つじゃないって。これを言うと、皆さん、「いやいや戸枝さん」って半笑いなんですね。だから、できない確認をするために、わざわざ知多まで来るんですよ。

 これは、だから谷口さんのパレットは見事に、僕は見た時に、やっぱり東京でも、ちゃんとやったら成り立つじゃんって、思ったんですよね。

 あとは、日本IBMが、たとえばパソコンのプログラマーとかに、どれほど障害者を雇っていますか、って。ユニクロはお店のバックヤードとかで、いろんなタグを付けたりとかね。場合によったらお店の掃除とか、整理とか、障害者雇用率は今8%ですよね。

 更に言えば、東京ディズニーランドのホテルのベッドメイキングは知的障害の方や精神障害の方が、かなりやっています。だから直接会わないので、別に誰がやっていてもいいわけですよ。自閉症の方なんか、ピシーっとやりますからね。

 だから何が言いたいかっていうと、たぶん大都市圏では圧倒的に企業のあるほうが、障害のある方をインクルーズしていて高いレベルで雇用に導いている、と。なんかそんな実感を、すごく個人的には持っていますね。

中村 ありがとうございました。ではちょっと時間も過ぎてきてしまいましたので、いったんここで野際さんと平本さんから問題提起をしていただき、またその後ディスカッションに移りたいと思います。それでは野際さんのほうからよろしくお願いいたします。

野際紗綾子氏の写真

野際 皆さん、こんにちは。難民を助ける会で、障害者支援や緊急支援を担当している野際紗綾子と申します。よろしくお願いいたします。

 質問に入る前に、簡単に私どもの団体についてご説明させていただきます。難民を助ける会は、約30年前に設立され、活動の5本柱の1つとして障害者支援を掲げる日本の国際NGOで、活動では、障害があってもなくても、共に支え合うことのできる社会の実現を目指しています。

 主な活動としては、ミャンマー(ビルマ)でCBRの活動を実施し、ラオスではJICAの協力を仰ぎながら、同国では車いすの製造を行っています。その他にも、障害者の就労や就学ができるような環境作りを推進し、また緊急災害や紛争が途上国で起きた時に、障害の有無にかかわらず、しっかり緊急支援物資を配布するなどといった支援活動を行っております。

 このたびの登壇の目的の一つは、2010年11月にJANNETの助成で参加させて頂いたCBRガイドライン会議の結果を今後に繋げることと認識しています。会議参加の助成については、重ねてこの場でお礼申し上げたいと思います。そのCBRガイドラインの会議で一番強く感じたのが、CBRガイドラインと実務の大きな乖離です。本日はその乖離を少しでも埋めるための質問を中心に、3つ確認できればと思っています。

3つの質問

 まず1つ目は、先ほど会場から出ていた質問とも少し関連がありますが、CBRの評価とその指標について質問させて頂きます。

 マヤ・トーマスさんはCBRの分析の編集や執筆で長年のご経験がありますので、アドバイスをいただければと思います。

 先ほどのCBRマトリックスのスライドで、教育分野では指標の例が出ていました。しかしながら、インドや中国の事例で見受けられたように、自分に自信を持つようになったというような、目に見えない変化、それから数値化しにくいものをどのように評価できるか、そして評価したものをどのように活用できるのか、お聞きしたいです。このプレゼンテーションでは、さまざまな方の声をご紹介したり、グレーレポートをエビデンスデータにシフトするというような対応策を話されていましたが、もしそういった観点からもアドバイスをいただければとてもありがたく思います。

 2つ目の質問は、パートナーシップについてです。プレゼンテーションでは、それぞれの強みを生かしてのパートナーシップが期待されると話されていました。その中で外部者である国際NGOの役割についても、あるいは国際NGOに関わらず、より広く、外部者全般の役割についても、どのように考えていらっしゃるのか、お聞かせ願えればと思います。

 3つ目の質問は、活動資金についてです。そもそもこのCBRは、中にはお金がそんなにかからないという方々もいらっしゃいますが、例えば先ほどの高嶺先生のプレゼンテーションにあったとおり、インドのプロジェクトでは、10年間で約20億円の経費が投入されていて、その多くが世界銀行からのサポートによって支援されています。

 そのほかにも、地域に住んでいて活動を始めたい人、活動を継続したい人、それぞれの立場で活動資金が必要で、例えば政府関係者予算を取ってこなければならず、団体で働く人は、補助金や助成金を取ってくる必要性があるかと思います。そういった際の工夫やアドバイスについて、これまでの事例の中で何か参考になるようなものがございましたら、お聞きできればと思いました。以上の3点です。

中村 どうもありがとうございました。では平本さんからよろしくお願いします。

平本実氏の写真

平本 平本 実と申します。特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパンの海外事業部、開発援助事業課でプログラム・オフィサーとして勤務をしています。私も昨年11月のマレーシアで開催されましたアジア太平洋CBR会議にJANNETの会員団体として参加をさせていただきました。

 今日、ここで幾つか論点としてお話をさせていただきますが、ワールド・ビジョンの場合は、難民を助ける会と違って、障害を特に専門にしているNGOではありません。たぶん、そういう意味で、皆さんの中で逆に私たちの団体の事例と似ていると思っていただける部分もあるかと思いまして、我々の団体の中で、今回のこのテーマについていくつか疑問、あるいは論点になりそうなものをまとめてきたので、ここで紹介をさせていただきたいと思っています。

 私どもの団体では発展途上国において地域開発を中心にすえ、長期間にわたる活動をしております。それ以外に緊急援助、アドボカシー活動も行っています。地域開発では、教育ですとか、保健衛生ですとか、あるいは収入向上、生計向上といったようなプロジェクトを実施していますが、その中心となるのは子どもとその家族、そして地域の福祉向上で、それらが持続的に発展していくようにということで働きかけをしています。ただし、開発一般のテーマに取り組むNGOとして、私どもの中では障害分野専門のスタッフを置いているわけではありません。障害分野のプロジェクトを、これまで実施はしてきていますが、通常の地域開発の枠組ではなく、特別に助成金をいただいたり予算をとったりして実施してきているのが今までの現状です。

 そういったことを背景にした上で、今回、新しいCBRガイドラインが紹介され、CBIDという目標が大きく掲げられましたけれども、これについていくつか質問というか、論点になりそうなところを紹介させていただきたいと思います。

 先程申しましたように、私どもの団体では、障害分野専門のスタッフを置いていません。そういった意味でも障害というテーマは取り上げにくいなというイメージが持たれています。

 プロジェクトを作り上げていく、デザインしていく時に、幾つか配慮すべき項目があります。例えばジェンダーですとか、環境ですとか。この中に障害も取り上げられてはいるんですけれども、ある意味、チェックリストの項目といったような感じで捉えられがちで、なかなかプロジェクト実施上の大きな焦点にはなりにくいです、この障害というテーマが。それが1つ、大きな課題として挙げられています。これにどう働きかけたらよいか?

 2番目ですけれども。これはWHOの統計等でも言われていますように、障害者の人口というのは全体の約10%、多少、国によって前後はしますが、10%程度だというふうに言われています。

 地域で活動していく時には、ほかにいろいろな課題があります。例えば人口のほぼ半数を占める女性をめぐるジェンダーといった課題などと比較して、必ずしも優先順位が高くなりにくいのが現状です。

 当然、これまでの議論の中でも出されていることですけれども、障害に関わる事業をしようとしたときに、追加の費用が発生するとなった場合に、例えばドナーですとか、あるいは私どもの団体では、いろんな個人で支援してくれる支援者の方たちがいますけれども、そういった方たちに対して説明しなければならないアカウンタビリティの問題があります。どうやって説明したらいいか非常に困るというか、難しいというのが我々の中での議論としてありました。

 また、途上国の地域開発の現場で私どもはよくステークホルダー・ミーティングという呼び方をしますが、その地域で、いろんな開発のプロジェクトをやっていく際に重要な人々を招いてミーティングを開きます。すると、その中に障害当事者の方やそのご家族が招かれることがあります。

 そこで彼/彼女らに「何をプロジェクトに期待しますか」と質問しますと、例えば、我々が求めているのは医療リハビリテーションですとか、自助具だとか、補装具といったような機能回復に対するニーズは多く聞かれますけれども、例えばこのCBIDの中で言っている社会参加ですとか、あるいは収入向上につながるような活動をしたいという声はなかなか聞かれません。結果としてCBIDの理念に沿った事業が立ち上がりにくかったり、実施できないというのが現実です。

 同様に、たとえば教育の分野でインクルーシブ教育を進めたいというか、進めたほうがいいのではないかと我々のほうは思ったりはしているのですけれども、当事者の方、親の方たちからは学校や施設がほしいんだと言われて、なかなかその方向に導いていけないというジレンマもあったりします。

 あとこれは今日いろいろなところでお話をされているので、たぶんかぶっているところもあると思うのですが、ワールド・ビジョンのような団体が地域開発を進めていく時に、CBIDの理念にそって活動していくときに、何か成功しているような事例とかがあれば、スピーカーの方々からご紹介いただけたらと思います。

 またあと、評価の話も今日いろいろ出てきていますけれども、CBIDそのものの達成をはかる、何か良い指標とか方法とか、もしこんなのがあるというようなことで、教えていただけたらなと思っています。

 事業をやりますと、評価を必ずしなければいけないのですが、その時に、たとえば何人参加したとか、何回やったとかの指標は出せるのですが、じゃあ社会がどれだけ変わったか、これは地域づくり、地域がどれだけインクルーシブに変わったということをはかっていく、何か方法というか、あれば、それも今後の参考にしていきたいと思うので、教えていただけたらと思っております。以上です。

中村 どうも、ありがとうございました。いろいろな論点が出てきたかと思いますので、私なりにまとめてみます。

問題提起のまとめ

 1つは、平本さんからの問題提起の中で、開発の中で障害というテーマをどこまで主流化できるかというメインストリーミングの問題がありました。これは皆さんからのプレゼンの中の、「パートナーシップをどうやって作っていくか」ということにもつながる問題だと思います。またその関連で、外部者の役割はどのように考えたらいいかという問題もあったかと思います。

 2つ目の問題ですが、平本さんからの問題提起の中で、地域に実際に行ったときに出てくるニーズというのが、必ずしもガイドラインで想定しているニーズと重ならない、という指摘がありました。これはマヤさんのお話にあったとおり、原則は世界どこでも同じだけれども、それぞれの国や地域の文脈、ニーズやリソースによって、適用の仕方は違ってくるということに通じると思います。要するに、CBRの原則をどうやってそれぞれの文脈に適合させていくのかという問題です

 3点目が評価です。お二人の問題提起の中で、特に数値化しづらい事項についてどのように評価したらいいか、という問題意識があったと思います。これに関連して、どうやってお金を確保するのかという問題が、野際さんからあったと思います。

フロアとのディスカッション

 以上大きく3つぐらいに主題を分けて、それぞれについて議論をしていければなと思います。

 まず、開発の中で「障害」というテーマをどこまで主流化できるか。地域に対してどうアプローチしていくかという問題とも言えるかと思いますし、また、途上国に対して支援をしている団体としては、外部者としてどういう役割を果たしたらよいかという問題もあります。この問題について、フロアのほうで、自分のところでもこういう問題意識を持っているとか、そういう方がいらっしゃったら、ぜひ共有していただけませんでしょうか。

発言者 援助機関に勤めております。ご紹介なんですけれども、ワールド・ビジョンの平本さんから、一応チェック項目には入っているけれども、何をしたらいいか分からないというおっしゃり方だったと思うのですが、逆にチェック項目に入っていること自体、その時点ですごいなというのが私の感想です。

 前、JBICという国際協力銀行にいまして、そこで、じゃあ障害者のことをどうしますかといった時に、僕が担当官だったのですけれども、その時に一生懸命やったのは、チェックリストに「障害」というところを載せる。そこで気づきが起きて、担当官なり、先方の実施機関なり、みんながそのことについて、ふと立ち止まり考える。何かできることがないかということ自体が、すごく重要なんじゃないかなと思って、進めておりました。

 それは世界銀行とかADB(アジア開発銀行)とかでも似たような形で、セーフガードとかチェックリストと呼ばれていますけれども、いわゆる配慮事項、たとえばジェンダーの話、貧困者の話、参加型開発どうこうというのも、全部そういった形でのチェック項目のような形としてやっています。

 ただ問題としては、チェック項目だけ、チャチャッとやればいいという考え方にもなりかねないので、もちろん今、平本さんから問題提起していただいた、実際どう進めるのかというのは重要な点ではないかと思います。ちょっとご紹介まで。

中村 ありがとうございました。では、今の、どうやって障害を主流化していくのか、あるいはどうやって地域の中でいろいろなステークホルダーの方々にアプローチしていくかという点について、マヤさんからコメントをいただければありがたいと思います。

開発への障害のメインストリーム

マヤ 非常に重要なことを指摘いただき、まことにありがとうございます。

 まずここで争点となっているのは、障害者の問題を開発のプロセスにどう統合していくのか、その統合をどう確実なものにしていくのかということが争点になっていると思います。

 あまりにも長い年月の間、メインストリームの開発の母体は、我々は障害者問題のエキスパートではないとか、障害者の問題は非常に難しい問題だとか、我々には障害者の問題以外にも多くの優先事項があるという言い訳を使って、障害者の問題を開発の中に入れてきませんでした。しかし、もうそのようなことからとっくに抜け出していい時だと思います。

 今日私どもは、こういった統合がなされるための良好なツールを持っています。まず、私たちがやらなければいけないことは、インクルーシブ開発というのは、たとえそれが非常に少人数のマイノリティのグループだったとしても、そういった人たちが含まれていない限り真の意味でのインクルーシブな開発はあり得ないということを、自らに、そして主たるステークホルダーにきちんと理解してもらうことが重要だと思います。

 非常に興味深いことですが、最近は、金融機関であれ、政府機関や業界団体であれ、主なメインストリームの開発母体の人たちが「インクルージョン」という言葉を頻繁に使うようになってきています。

 先ほど私は、しかし我々は今良好なツールを持っている、と言いました。つまりロビー活動をしたり、いろんな人たちを説得するに当たっての良好なツール、これが国連の条約です。国連の権利条約をツールとして、我々は主なステークホルダーの人に対して、インクルーシブ開発のニーズを説得することができるのです。

 次に例えばワールド・ビジョンさんのような団体の方々が、一番最初の段階でまずやれることを考えた場合、最初にいきなり障害問題に特化した予算を確保しなくても、まずそのプロジェクトの中で、もしくはコミュニティの他の人が享受しているサービスとかメリットに、障害者もその家族もアクセスできるようにする、まずそこから始めることです。

 それが最初の一歩です。先ほどご質問いただいた方がおっしゃっていたことと同じです。また、ジェンダーレンズという言葉があるのと同じように、障害者のレンズを通して見て、ヘルスケアであろうが、教育であろうが、農業であろうが、生計であろうが、そのプロジェクト、プログラムのすべてに、何らかの方法で障害者と障害者の家族の人たちを確実に取り込むようにすることです。

 もちろん障害者特有のニーズがあります。医療ケア、リハビリテーション、補助器具、アクセシビリティなどの障害者特有のニーズがありますから、障害者に特化した予算が必要となるということは事実です。

 もし自分たち独自にそういった予算を持っていないのであれば、こういった予算を持った他の団体とパートナーシップを組むのが良いでしょう。こういう面で、リソースを共同出資したり、他の様々なステークホルダーとパートナーシップを組むことが役割を果たすことになります。

 ここで高嶺先生に続きを加えていただいて、さらにディスカッションを続けてもいいのではないかと思います。

高嶺 今の流れとしては、国際協力機関が障害者問題にかなりの支援を表明してきていると思います。それと、権利条約が締結されて、少なくとも今、国のレベルでの国連などからの国際協力支援でのチェックリストには、障害が入ってくるでしょう。

 以前は女性・児童はきちんとチェックリストに入っていましたが、障害者自体は、「他の社会的に不利な人」という中に入っていましたので、ほとんど障害者問題は注目を集めなかった。恐らく、この権利条約ができたおかげで、国連の事業の中でも障害者問題をきちんと取り組みなさいということが義務づけられてくると思います。

 これからはもっといろんな面で障害者問題が取り組まれていくと思いますが、しかし、現状では、障害者問題に関して、国はいろいろな目標を、インクルージョンとか、そういうのを政策としてあげますけれども、実際の予算というのは本当に微々たるものです。障害者問題に実際に付けている予算は、すごく限られています。

 インドの場合、私が聞いた話ですと、農村開発の予算の3%は、障害者問題に特化するということをやり始めているんです。3%が多いか少ないかは別にして、農村開発の資金というのは、膨大な資金があると言われていて、その3%を障害者問題に組み込まれるという国も出てきています。そういう面で、私はもっと政府の資金が障害者問題にも振り分けられるべきだと思っています。

 その一つの取り組みとしては、貧困削減プログラムの中に、きちんと障害者支援を位置づけることが必要であると思います。世界ではMDG(ミレニアム開発目標)の中に貧困削減という大きな目標が設定されており、そこに莫大な予算が今ついてきていますから、その中に障害者への支援がきちんと組み込まれていけば、それなりの予算がついてくると思います。

 先ほど紹介したインドの事例も、貧困削減のプロジェクトです。女性を中心とした取り組みがあって、その上に障害者部門が付け加えられました。そのことによって、障害者支援にきちんとした予算がつき、人材が確保できるようになったという流れです。

 それからもう1つは、世界銀行では、Poverty Reduction Strategy Paper(貧困削減戦略文書)を支援を求める各途上国に作るよう要請し、それによって銀行の支援を決めていくという流れがあります。けれども、その国の戦略文書の中に、「障害者」がまだ入っていない国が多いんです。障害と貧困は密接な関係がありますので、貧困削減戦略文書の中に障害者問題が国の計画として入れば、国際金融機関からも障害支援への資金がついてきます。

 そのへんを、障害当事者やその関係者が、きちんと国内の戦略文書の計画の中に入れていくアドボカシー活動をやっていかないといけないのではないかと、思っております。

 それから評価のほうですが、開発分野でおそらく様々な評価の仕組みができていると思いますが、CBRに関しても、そういう評価に耐えるような、基準をこれから構築していかないと、きちんとした予算もついてこないのではないか。ですから、既存の評価に対して耐え得るような仕組みを作っていく必要があるのではないかと思います。

 もう1点だけ。数字にならないことに対して、どういう評価をしようかというのがありますが、最近でもないのですが、世界銀行が進めているソーシャルキャピタル(社会資本)という概念があります。これは地域社会の構成員がどれだけ相互に信頼し、協力的な関係性を持っているかというものを示すものです。

 そういうのがあれば、目に見えない関係性のようなことに関しても、ソーシャルキャピタル指針を使うことによって、コミュニティがどれだけ障害者を受け入れているかどうかということなどが、数量的にも計れることが可能になるのではないかと思っています。今後ソーシャルキャピタルの手法を使いながら、CBIDの評価方法を構築できるのではないかと思っています。

マヤ それでは評価に関してですが、確かにどのようなプログラムにも様々な側面があります。CBRに関しても簡単に数値化、評価できるものがあります。先ほども出てきましたが、例えば教育に関しては、インクルーシブ教育であれ、家庭ベースの教育であれ、何人そこに参加したか、割合はどれぐらいか、数値で表すのは容易なことです。

 けれどもその反面、いわゆる形のないものもあります。数値化することができないものもあります。自信とか自尊心とか、漠然としたものの評価は、量的、定量的なものではなく、質的な評価がなされるというやり方があります。

 ですので、私は、そうした中で変化を表すために声を記録していくことが大事だと思っています。このような質的なデータには、ケーススタディーを含むことができます。

 また、人々がどう自信を持つようになったのかということについて、間接的な指標もあります。その例としては、コミュニティ、もしくはグループにおいて、障害者がリーダーシップをとるような立場になっている数や割合がどれぐらいになったかということからも測れます。

 たとえばインドの文脈で見てみますと、障害のある人がどれだけ選挙に出馬するようになったか、その数とか、割合ですね。当選したかどうかはおいておきまして、どれだけの数が出馬する自信を持つに至ったかというのも、1つの指標になると思います。

 また社会的な面から見ますと、障害のある若い人たちが何人結婚したか、自分の家族を築くようになったかなども非常に良い指標になります。

 実際、コミュニティ・プログラムにおける明確に数値化できないことに関しては、標準化された普遍的な指標はありません。

 たとえば、先ほどリーダー的な立場に立った人はどれだけいるかとか、どれだけの人が出馬したかということを、1つの指標として見られるのではないかと言いました。けれども、政治システムが違うところ、また組織を形成するのが難しい国や地域においては、そのようなものは指標としては役に立ちません。

 それぞれの国でも、たとえばインドは1つの国ではありますがその中でも地域によって全く違いますので、何かが全国に適用できるというものではありません。そういう意味では、それぞれの国、もしくは地域、もしくはプロジェクトごとに、どのようなものであればその状況に適用できるのかということに基づいて、自らの指標を開発することが重要です。そして先程も言いましたように、ただ数的なものだけでなく、質的なものも使っていくことも重要です。

 もう1つ、今思い出したのですが、例えばガイドラインとは違ったニーズを人々が持っているかもしれない、またそこで期待されるものとは違うものを要求するかもしれないということについてです。彼らがどのようなニーズを持っているかを聞くことが重要です。

 先程、私のプレゼンテーションでも言いましたが、資源が乏しいコミュニティにおいては、基本的なサービスへのアクセスが不足していることがとても大きな問題なのです。

 先程ステークホルダー・ミーティングの話が出ましたけれども、そういうときに参加ということ以上に、医療的リハビリテーションや補助器具などへのニーズが多く挙げられたのは当然だと思います。つまり参加するには、これらのニーズを満たさなければいけません。移動、コミュニケーション、もしくは交通手段のニーズ。このようなニーズが満たされない限り、参加できないからです。

 この基本的なニーズ、基本的なサービスにアクセスがあるという権利は、ほかのいかなる権利同様、とても重要です。そして発展途上国、貧しいコミュニティにおいては、これらに対応することがとても重要ですし、対応されなければなりません。

 さらに、インクルーシブな教育が促進されてはいても、特別な教育のための特別な支援というニーズに対する要請が多いと言うお話がでました。貧しいコミュニティで実際にどうなっているかというと、インクルーシブな教育に参加できる子どもはそれなりの適切なサポートを得ていると思います。インクルーシブな教育の中に入っていくことができない子どもたち、たとえばもっと重度だったり、複雑な障害をもつ子どもたちには、違う方法で支援されています。

 例えばインドでは、コミュニティベースのデイケアセンターが、親やNGOや自助グループによって作られています。インクルーシブな教育に参加できない子どもたちのニーズを満たすためです。

 さらにインドでは、普遍的な初等教育という政策があり、障害のある子どもたちにも適用されます。そのプログラムでは、インクルーシブな教育に入っていくことができない子どもたちに、家庭をベースにした教育と支援についての規定があります。

 重要なのは、例えばインクルーシブな教育というコンセプトを聞いても、それがすべての人にあてはまり、すべての人がそこから利益を得られる、とは考えないことです。必ずしも全ての人がメリット得ることはないかもしれないからです。

 関係者が一番必要としていることに対応しようとするなら、彼らのニーズは何か、まず最初にしっかり聞くことが重要です。

 このような観点から、CBRガイドラインを処方箋のような規範的な文書として捉えてはいけないのです。私は、あくまでも1つのガイドラインとして参照すべきものだと思っています。よって、ガイドラインで書かれていることと、私にとっての主なステークホルダーのニーズに違いがある場合は、私は、まずステークホルダーのニーズの声に先に耳を傾けます。まず基本的なサービスに対するステークホルダーのニーズを満たし、その後でインクルーシブ開発の他の側面について相談に乗ります。

 では次に、国際機関の役割、コミュニティにおける外部の専門家の役割について話します。ここで言っている「外部者」というのは、何も国際機関だけを指しているわけではありません。コミュニティにとっては外部の専門家、こういった人たちも含めています。私は今バンガロールに住んでいますが、近くの周辺の州、例えばアンドラ・プラデシュなど近くの州に行きますと、私自身はその州にとっては「外部の者」という位置づけになります。そういった外部の者として関わる時に一番大切なことは、最初に、「自分は専門家ではない」という意識を持っていくことです。まずはそこの現地の人たちの言うことに耳を傾けよう、そういう意識で臨むべきです。そしてその地域社会の中に既に培われている強みを生かして、さらにその上にどういった貢献が自分はできるのだろうか、という意識を持って臨む。その地域で行われている活動を見る、観察する。この地域で何がうまくいく、何がうまくいかないなどと、いきなり結論は出さない。

 例を挙げましょう。午前中に、メンタルヘルスというテーマでインドのプロジェクトのケースを皆さんに発表しました。このプロジェクトが立ち上がった当初、農村部に行きますと、メンタルヘルスの問題がある人たちの中には、ひもなどでくくりつけられて家の中に閉じ込められている人もいました。それを見た時に、まず最初に出す結論は何かというと、これは人権の侵害だ、というものです。

 しかし、私どもがその状況を深く観察すると、それは家族が、本人が家から走り出てケガをしないように、自分も、そして他人も傷つけてしまうことがないように、事故に遭ったりしないようにしていたのです。

 当時、精神疾患をもっている家族に治療ができること、治療で良くなることを、家族は知らなかったのです。治療についての知識を得る前は、このようにして精神疾患のある家族を守っていたのです。

 ですから、とても重要なことは、自分が目にしていることの、その先を考えることです。

外部者の役割

 よって、私が考える外部者の役割というのは、ファシリテーターになること、触媒になることです。外部の団体、特に国際機関は、多くのリソースおよびネットワーク、物的支援、技術的な支援などにアクセスを持っています。そこで、このような国際機関、団体は、コミュニティベースの団体や地方自治体、中央政府と協働し、自分たちが持っているリソースなどを分かちあうことが出来ます。

 また、専門家を送り込むときは、必ず、その地域社会やその国のニーズに関連した専門知識を持った専門家を送り込むことです。

中村 ありがとうございます。大変たくさんのテーマをカバーしていただきました。最後に話のありました、外部者の役割という点について、もしフロアから再質問やコメントがありましたら、お願いしたいと思います。

質問者 私は、マヤ・トーマスさんに質問があります。パキスタンから来ておりまして、今、研修生として、日本にいます。2つのことについて質問したいと思います。

 1つ目はCBRのマトリックスについてです。CBRのマトリックスの領域を見ますと、医療関係と社会的な関連の項目と2つが含まれています。その中で障害者としての社会参加を考える場合、その障害者の社会参加というのはマトリックスではどちらの領域でカバーされるんでしょうか。社会的な項目のほうか、医療なのか、はたまた社会医療というくくりであるのか。それが1つの質問です。

 2つ目の質問です。全ての障害をもつ子どもたちが必ずしもインクルーシブ教育に参加するようになるわけではないと言われました。しかし、もしご自分が、あるビルの10階にいて、その10階から下の階に降りるすべが全然ないという状況におかれたとき、10階で基本的な生活必需品を受け取って生きて行くのか、そうではなくて、もっと下の階に行って社会の中で役割を果たしていくのか、どちらを好まれますか。

中村 すみません。外部者の役割について何かありませんかということでお聞きしたので、若干論点がずれてしまうのですが、マヤさん、難しいマターだと思いますが簡単にお答えいただけるとありがたいのですが。

マヤ では簡単に。まず新しくできたCBRのガイドラインは、医療とか、社会とかに特化した形で内容が書かれているわけではなくて、あくまでも、包括的なアプローチを提唱しています。つまり今日理解されているCBRは、かたや医療、かたや社会という、そういった論争をする時はもう超えたと思っています。よって今日のCBRは包括的であり、医療も、社会的も同じく重要です。包括的なアプローチ、「ツイントラック」アプローチ、権利に基づいたアプローチをとっており、それらを推進しています。

 次にインクルーシブ教育について明確に理解していただきたいのは、例え学習障害がなくても、移動のための機能障害をもっていても、インクルーシブ教育の便益を享受し得る子どもは全員インクルーシブ教育に含まれなければならないということです。

 そして、10階にいる子どもが、もし他の子と同じように学ぶことができるのであれば、10階から降りて一緒に学ぶべきだと思います。

 しかし、他の子と同じように勉強できないということであれば、他の、社会性を身につけるようなこと、もしくはデイケアなどへのアクセスを提供すべきです。どの子どもも10階のベッドルームに閉じこもるようになってはいけません。

中村 ありがとうございました。だんだん時間がなくなってきましたので、外部者の役割とも関連しつつ、パートナーシップをどう組んでいくか、特に地域でいろんなステークホルダーに対してどうアプローチしていくかという点に関しまして、戸枝さんから、どうそれを実践しておられるかを共有していただけると、皆さん大変参考になると思いますのでお願いできますでしょうか。

戸枝 東大に合意形成を研究しているチームがあるんですよね。何だろうなと、僕も反対運動をいっぱい受けてきて、この十何年、土下座して畳の上に顔をこすりつけるみたいなことは何度もあります。謝った後に、ある人に、この対立を合意形成するのは、ダムに沈めたいゼネコンとダムに沈められる村人の合意形成をするぐらい難しいと言ったら、そういうことやっている人がいるんですよと言うんですよね。

 東大のチームの一員の方で、岐阜在住の方と出会いまして。例えば、うちが拠点を作ると言った時に、その地域の方たちに、その方は第三者だからできるんだと思うんですが、ちゃんと儀式としては契約書を書いてハンコついて、あなたがおっしゃったことは、あなたがおっしゃったとは絶対言いませんと。たとえば“むそう”が来るということでの、何の不安がありますかということを、全部ヒアリングするんですよね。

 僕らだって、本当はそこの地域に行くということでは、受け入れてもらえるのかとか、いじめられるんじゃないかとか、コミュニティの中で、たとえば回覧板を回させてもらえるんだろうかとか、ゴミを捨てさせてくれるかとか、いろんな不安があるんですよね。これを交換して、お互いにその不安に対しての答えを用意するんですよ。

 それらが全部、きちんとお互いにまた交換されて、まさに不安感を打ち消した状態でお互いが会うということをやってきて、それをやるようになってから、反対運動を受けなくなったんですよね。

 多分、日本は日本でも、合意形成のいろいろなプロセスのうまくいくやり方というのがあって、そこはそういう意味では、障害分野ではなくて、今言ったゼネコンと、沈められてしまう村人の合意形成というところから自分たちは今、ヒントを持って、やり方としてはやっているんです。

 あとは、ギブアンドギブと先程の話で申しましたが、とにかく基本的にはネガティブなイメージを持たれているわけですから、手土産を持って行ったって追い返されると僕はよく言うんですけれど。手土産を持たずに行くとダメだということでは、必ず、今度ここの住民になりたいとか、障害のある方がこんなことを皆さんとしたいんですけれど、という時には、それをするとあなたにとってどういうメリットがあるのかということを、考え抜いて用意していくんですよね。それをなしに、障害者だから認めてくださいとか、それに対して反対する人に、「ひどい人だ」とかですね。そうすると向こうもプライドが傷つきますから、さらに怒るというですね。別に卑屈になることはないんだけれど、住民として、何が一緒にいると、場合によっては協働するとハッピーになるのかという、そこを具体的に提案することが何より大事かなと思っています。

 その上でお礼することですよね。確認し続けることです。あなたが前向きに関わってくれたことで、どういう前向きな関係がお互いにできているかということですね。メンテナンスです。だから、盆暮れ、正月の付け届けを徹底してやれ、と言っていてですね。大体100個ぐらいはお中元・お歳暮を持って職員が、必ず障害のあるメンバーと一緒に行けと言っているんですけれど。いろいろなところに回っているんです。

 こういう、やっぱり日本人の知恵と言うんですかね。当たり前のことをていねいにやっていると、いろんな問題は起こすのですけれど、ある人が、障害者差別をしちゃいけないと思って受け入れたけど、障害者事実というか、やっぱりいろんなことがあるな、と言われまして。なるほどと思いました。

 これが、だから日常の関係があって、むそうの障害者が何かをしたとなると、もしかしたらひどいことになるんだけれども、日常的にお付き合いのある、何々障がいがある何々君が何かしたという固有名詞になっていると許されるんですよね。「まあでも、悪いやつじゃない」ってですね。この関係を丁寧に、今度は受け入れていただいたら、日常的にいかに深めるかというか。そこすごく大事だと思っています。

中村 ありがとうございました。

 フロアのほうで何か、ステークホルダーにどうアプローチしていくかということに関して再質問とかコメントがあればお受けします。いかがでしょう。どうぞ。

質問者 笹川記念保健教育財団でハンセン病対策の仕事をしております。障害者という分野ではないのですが、ハンセン病の、特に途上国ではハンセン病による障害の人がいっぱいおりまして、そういう人たちは、ハンセン病に対する差別の上に、一般の事故とかそれ以外の障害、それ以外の理由によって障害をもっている障害者の人たちの仲間にも入れてもらえないという、非常に厳しい状況にあるのですが。

 今、私が手を挙げたのは、戸枝さんの今のお話の中に非常に胸を打つものがあったんですね。それは、団体としてではなくて、個人として何かをしたときには、誰それさんと誰それさんという関係で、何かおかしなことがあっても受け入れてもらえるというのがあったのですが。

 ハンセン病の仕事をしていても、全くそれを感じるんですね。グループとして、例えばエンパワーされたグループが20人ぐらいの組織を作って、何かいいことをやっている。それを見せるよりも、いいことをやっていなくても、近しい一対一の個人を見るような機会を作ると、突然偏見とか、今まで持っていたイメージがパーッと、「あ、普通。私たちと一緒なんだ」というふうになっていくことに気付いたんですね。

 ですから、私が言いたいのは、どうしたら1人の人間として、いろんな障害をもったり、いろんな偏見を受けるような問題を抱えている人たちと一対一の関係を作っていくかということが、すごく大切なことなんだなと思いました。

 それがおそらく、戸枝さんがなさっている仕事の中ではうまくできているんだろうなというのを、申し上げたかったです。

中村 ありがとうございます。どうぞ、戸枝さん。

戸枝 今のところで、すごく、僕今日うれしくなっているんですけど。マヤさんの話を聞いていて、また日本で福祉をやっている人間として気づかなければいけないと思っているのが、マヤさんの話は一貫して属人的なんですよね。

 1人1人の方がどうなんだという。どう生きたいんですかって。あなたにはどんな可能性があるんですかって。そこから社会に一緒に橋渡しで、場合によっては、いろんなサポートとか社会資源開発があるという、ですね。

 日本というのは、箱的、場合によっては組織的というか、先に何々障害者のためのサービスとか、何々障害者だとすると集まれということで、箱に入れられちゃったり、ですね。

 僕が尊敬している、日本の障害者運動のリーダーの一人で尾上浩二さんという方がいらっしゃるのですが。今、障害者の制度改革の中心になっている方ですが、尾上さんって、施設に入っていたとき、51番と呼ばれていたらしいですよ。洋服全部に51番って書いてあって、だから未だに、テレビでイチローがユニフォームを着て出ていると、なんかイラッとして具合が悪くなるって言ってて。冗談だと思ったら、本気でそうらしいですよ。「51番」って。

 まさに箱の中に入った時に、個性やその人の思いとか、可能性とか、障害者というくくりで打ち消されてしまうんですね。

 そこが一番、今の日本の福祉の問題点だし、それをやっている限りにおいて、障害者の集団を受け入れて、愛してくださいなんてことは、絶対にあり得ないんですよ。

 僕は、これは理屈じゃなくて、障害者が10人になると、「障害者の皆さん」って、初めて来たボランティアの人が言う。5人までだと、「なんとか君」「なんとかさん」と名前で覚えてくれるんですよ。だから理屈じゃなく、大集団にする限りにおいては、絶対に彼らを人として見てもらえないんですよ。だから、点々と地域分散型で拠点を作ってきたんですよね。だから属人的でなくてはダメだっていうことを、やはり一番学ばなくてはいけないというふうに、今日1日、話を聞いていて思いました。

中村 ありがとうございます。

 皆さんのお話を聞いていると、人間関係をどうやって構築していくかということや、人間関係構築のためには少人数で顔が見える関係が大変大事だなということがわかりました。

 時間がだんだん迫ってまいりましたので。先ほど手を挙げられた方がいらっしゃると思います。すみません、ごく短くお願いします。

質問者 マヤ先生に対する質問です。非常に興味深いプレゼンテーション内容でした。

 CBRのプロジェクト、インドと中国のケースをお話しいただきまして、私も中国から来たのですが、中国などの場合、ボトムアップのプロセスというのがどう可能であるのかということと、それからボトムアップのプロセスと、トップダウンのプロセスとの組み合わせがどう可能になるのか、そこをお聞きしたいと思います。

マヤ 先ほどから申し上げているとおり、すべての国に適用できる処方箋というものはありません。そういったものを私は皆さんにお伝えしようと思っているわけではありません。中国には中国の政治制度のあり方があってトップダウンのアプローチはうまくいったんですね。これを外部の者が入っていって変えるということはできません。

 先ほど2つの例をお見せしました。1つはボトムアップでプロセスがなされたケース、もう1つがトップダウンのプロセスのケースだったのですけれども、実はそれがトップダウンでも、ボトムアップでも、障害者の人の生活に対して大きな影響を与えたという意味においては、それらのプロジェクトから出てきた成果はほぼ同じでした。

 つまり障害者の人たちが持っているニーズに応えた、地域社会の人々の意識を変えていった、それからこういった障害者の人たちが持っている権利に対するアクセスを実現した。こういう意味ではトップダウンであろうが、ボトムアップであろうが、この2つのプロジェクトでは、ほぼ同じ成果を上げております。ですから私は、どちらのほうがよかったとかは申しません。その国が持っている政治的体制などによって、その国にいいやり方があるのです。

中村 ありがとうございました。時間がなくなってまいりましたので、もっとフロアからご質問をお受けしたいのですが、最後にマヤさんから、今日、戸枝さんと高嶺さんから発表された例につきまして、コメントがありましたら、ぜひお願いをしたいと思います。

 また、本日ここに来てくださった皆さん方に何かメッセージがありましたら、最後にお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。

マヤ 私が戸枝さんの発表内容でもっとも感動したのが、私のプレゼンテーションの中で私がうたっていた原理原則が、もう既に戸枝さんのプロジェクトのところでは既に実践に移されて、実行されていたということでした。ということで、日本の地域社会の中で、いかにCBRの概念とその原理が既に実践されているかという、1つの素晴らしい例だったと思います。

 そして戸枝さんが説明されていたいろいろな活動内容がありましたけれども、これらの内容も多くがCBRのマトリックス表の中の領域と関連づけられるものだったと思いました。

 もちろん今日の流れの中で、では日本という国でCBRの理解をどう促進したらいいのだろうか、CBRという外から入ってきた言葉を、どうやって人々の中に植え付けることができるだろうかという話もありましたけれども、その一つの素晴らしい例、どうやったらいいかは、今日の戸枝さんの発表の中で語られたと思っています。

 今日、高嶺先生のほうからは、全世界的に我々が共有しているマイルストーン、例えばMDGとか、国連の条約の話とか、こういったものを包括的に発表の中でまとめてくださったと思います。

 こういった世界的にいろいろ掲げられている問題、課題を、いかにインドのある1つのプロジェクトで取り組んでいるかという実践の話もしてくださいました。そしてCBIDの概念が、高嶺先生の発表してくださったプロジェクトの中で、いかに達成されようとしているのかを説明してくださいました。

 ですから、最初から3人で打ち合わせをしていたわけではないのですけれども、結果としてはうまく3人の発表がお互いの内容を補完し合う結果になったのではないかと思います。多分これは主催者の方が、そのように企画されたから、こうなったのだろうと思います。

 私が申し上げたいのは、今日発表する3人の間では事前の打ち合わせは何もなかった。それなのにフタを開けてみるとうまい具合に、お互いがお互いを補完し合う、補い合うような内容になった。これが私にとっては素晴らしいことだったと思いました。

 せっかく野際さん、平本さんからすばらしい問題提起があったのですが、今日の午後だけでは、それらにきちんと答えられるほどの時間がなかったので、また別途時間を設けるべきではないかと思います。

 また個人的にも、CBRとコミュニティ開発のコンセプトと日本での実践を関連づけるということに関しましては、私にとってもとてもいい経験だったと思います。

 インクルーシブな開発に関するコンセプトについては、学びに終わりはない、ずっと続いていくものだと思っています。

 そして今日ご参加くださった皆様、とても有効な、とても興味深い質問を投げかけてくださいまして、お互いにやりとりすることができてとてもよかったと思っています。どうもありがとうございました。

中村 マヤさん、どうもありがとうございました。予定していた時間が過ぎてしまいました。申し訳ございません。

まとめ

中村 最後に、私のまとめということがプログラムには書いてありますが、もう私がまとめるまでもなく、本日大変大事なことをたくさん共有することができたのではないかと考えています。中でも、人間関係を構築することの重要性、コミュニティの人の話をまず聞くこと、日本でもコミュニティ・インクルーシブ・デベロップメントが実際に行われていて、我々のように途上国での支援をしている者についても大きな学びの機会になるといったことです。また、説得力ある証拠を積み上げていくことの重要性についても、本日共通に認識したと思います。皆様も、今日いろいろなヒントを得られたのではないかと思います。

 では、これにて対話交流会を終えたいと思います。フロアの方々のご協力に大変感謝をいたします。

 最後に、壇上の皆さま方に大きな拍手をいただきたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)

司会 壇上の皆さま、それから最後にまとめてくださいました中村さん、本当にありがとうございました。参加者の皆さんからもいろんな議論が出て、大変有意義な時間を持つことができました。

 さて、私たちは、マヤさんもさっきおっしゃいましたが、今日の成果をどう次につないでいくかということを、ぜひ皆様と一緒に考えていきたいと思っています。まだまだ時間が足りずに、議論しきれなかったことや、ないしはCBRガイドラインをどういうふうにして私たち自身のものにしていくかといった、次につながるような話し合いを明日の10時から12時まで、また戸山サンライズでフリーな意見交換という形でもちたいと思っていますので、まだ申し込んでいない方でご希望の方、いらっしゃいましたら、ぜひ事務局までおっしゃってください。

 それでは、ここで最後になりますが、主催者であります日本障害者リハビリテーション協会事務局長、湯澤茂男より閉会の挨拶を申し上げます。

対話交流会の写真