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国際セミナー「地域福祉のとりくみ」

ダイアン・リッチラー氏の講演をめぐって

国際医療福祉大学大学院院長
初山 泰弘

 ダイアン・リッチラー氏の講演の要旨をまとめると、氏は長い間障害ある人々、およびその家族等の組織(コミュニティ・リビング協会)とともに働き、彼等の意向を汲み上げ行政側に提言することを心がけてきた。ガリバー旅行記に記されているように、人はその背景によってそれぞれ受け取り方が異なることをことわった上で、なるべく偏らない立場でカナダの状況を報告していただいた。
1982年の新憲法によって「自由と権利の憲章」が盛り込まれ、各分野(国籍、宗教、性別、障害の有無)で差別撤廃の条項が取り入れられた。従って、現在は、障害は市民権として捉えられるようになった。
しかし、障害者の雇用率、給与も一般の平均よりは低く押さえられている。15歳~64歳の障害者の3分の1は障害関連支援を受け、半数は雇用収入を受け、その他に社会保障、年金、労災年金などを受給している。
障害者へのサービスと支援は1982年に制定されたカナダの新憲法に障害者の市民権も認められるようになってから、各州政府も新憲法の理念を踏襲しているが、旧来の制度との違いも残り、まだカナダ全土で統一されたサービスの供給体制が整っている訳ではない。
 障害児に対しては、医療は原則として無料、補装具、家の改修費などは応能負担であるため、家族に大きな負担とはならない。障害児に対するカナダ全土にわたる共通のケアプログラムはないが、地域によって、一般の児童に対するケアプログラムに含めて実施している州もある。ケベック州ではこの10年間に対象となる障害児の数は10倍に増加している。
1980年代までは障害児の施設収容は珍しいことではなかったが、最近は施設が閉鎖し、家庭で生活する子供たちを支援する傾向が強まっている。オンタリオ州で実施されている「重度障害児の支援と在宅サービス・プログラム」などのように、身体障害児や知的障害者・児を擁する家族への費用援助制度が進められている。
成人障害者に対するサービスについては例えば、1998年にオンタリオ州で進められた障害者支援プログラムは、経済的支援、勤労意欲のある者に対する雇用支援などその内容は多岐にわたっている。
州と利用者間の同意書を掲げると次ぎのようになる。これは予算請求にも使用される。

 オンタリオ州:支援同意書

 レスパイトサービス支援(自宅、自宅外)
 地域生活支援
    個人生活支援、グループ生活支援、共同(associated)
    生活支援
 地域参加支援
    雇用支援、ODSP雇用支援、地域アクセス支援
 特殊地域支援

オンタリオ州では発達障害のある人々に対する地域支援費として、1999年度には7億2,200万カナダドルを要する見込みである。

 このようなサービス供給体制を改善する中で、利用者側から見ると、医療技術の発達による脳障害児の増加、知的障害者・児の増加する一方で,政府側の社会支援費が減少してきたと感じている。また、教育分野の壁、障害児への虐待、障害児の社会参加への壁などが未解決のほか、遺伝子医学の進歩による、ヒトゲノム問題に基づく優性学的問題、医療費の高騰などさまざまな問題が生じている。
雇用による収入を得たために福祉援助を打ち切られ、結果的には経済的に不利となるなど、勤労意欲を阻害する矛盾もある。利用者側がサービスを選択できない点も問題である。障害者の市民権にしてもまだ十分に理解されるに至っていない。
政府が税を徴収して,州が社会的サービスを提供すると言う政策分離を改善するため、1960年代にはカナダ支援計画(CAP)が施行され、各州の支援責任体制は福祉部門のみでなく医療にまで拡大されている。このように、中央から地域社会への権限委譲の流れが強まっており、十分ではないにしても税対策など障害者問題の解決が進められている。1999年にカナダ連邦政府と州政府はこの流れを強める取り決め(Framework to improve the Social Union for Canadians)に調印した。

 将来に向けて次の点が大切と考える。

  1. 障害者の地域社会へ参加できるように、連邦、州、コミュニティにおける個人への支援体制確立すること。
  2. 支援とサービスの提供は貧富の差がなく与えられること。しかも全国的なシステムで実施されること。
  3. コミュニティが障害ある人々を地域社会の一員として受け入れるようにすること。

 会場からの質問としては(1)学力の標準テストについて、(2)知的障害者・児に対する虐待について、(3)障害者の雇用と収入についての3つの質問が挙がった。

 ダイアン・リッチラー氏からの回答は、以下のとおりであった。

  1. 現在は3年生と6年生に標準テストを行い、基本的な能力を図る。障害のある子供については、教師が特別な配慮をしなければならないので、他の子供に質の高い教育を行うことが出来ないのではないかという議論もある。ニューブランズウィック州の例では、障害の程度に関わらず、普通の学校に受け入れようという試みがある。教師達は様々な教授法を学び、様々なアプローチで生徒に接しようとしている。生徒同(2) 士で教えあうということも試みている。
  2. 虐待は世界的に問題となっているが、現在件数は減ってきていると思う。里親制度は一定の期間に限定されている場合には、里親を変更することもあるので、それのみで虐待されている。虐待については様々な場所で起こりうる。施設だけでなく、家庭でも起こりうる。以前は1万5千件近くあったのが、現在は半分くらいに減ったのではないか。いわゆる大きな施設では減っている。一般的に政府としては施設を廃止する方針で、地域で受け入れるという方針である。「ピープル・ファースト」すなわち、「一番大切なのは人」と言う考えが広く受け入れられつつある。知的障害者も地域で生活する上で、一人一人異なるニーズや権利を持っている。
  3. 雇用の問題については、カナダの障害者も働きたいという気持ちはある。しかし、雇用されたものの、公的支援サービスが打ち切(4) られたり、職場は見つかったが、給料が安く、それなら年金や手当てをもらったほうがいいと考える場合もある。障害者の雇用率制度はカナダにもあるが、新憲法で定められた人権擁護の法律があり、雇用にあたっては差別をしないという状況を推進している。実際に問題はないかといわれると、まだまだ先は長い状況だと思う。障害者は働きたいが、自分達が働ける条件が整わないということである。雇用の質が問題である。

 最後にまとめとして日本との比較をすると、連邦政府は国防、郵便、全国的なものに対して専有の権限を持ち、州政府は地方財政、市民権に権限を持っている。連邦政府は、税金を集めてその税金をどう分配するか、サービスを与えるのかが仕事であり、特色でもある。それを基に、障害者問題に対するサービスがおこなわれてきた。人口の16%が障害者といわれたが、日本は知的障害者が3.8%なので、それと比べるとかなり多い値である。これは障害の分類の仕方が日本と違うということにあるのかもしれない。今朝の、ジョリー氏の講演では、オーストラリアの先住民族に障害者が多いと触れられ、成人の教育の問題は各州で特別な学校を作っておこなうと言われた。日本はどうとらえるか大変興味のあることである。障害のある人の権利と自由を守ることが基本的な運動の優先的な理念になっている。
本人と家族について、かなりの部分が無料ということだがで、一番印象に残ったのは、家の改造に負担がかかるが、その部分は減税でカバーしている、というところである。教育についてさきほど申し上げたとおりで、イートン校が特別な学校を作ったそうである。ODSPというオンタリオの計画は素晴らしいものだが、どのくらいの費用が提供されるかによってサービス内容もかわってくるであろう。
最終的にはリッチラー氏の話にあったように、政府側の立場と、障害者の立場、家族の立場の違った視点で平等になるという意味で、いくつか問題提起をされている。日本とも関連すると思ってうかがったが、家族の数が少なくなり、子供の身体的、性的虐待の増加、また障害児の訴えに社会が耳を貸さない、そういう障害児の権利が保障されていない。また、障害胎児にたいする処理の生命倫理の問題はカナダにもある。それから、労働と社会福祉については、雇用されて職につくことが収入面のマイナスになるため進んで労働にいかないということがあった。これは日本ではどうなのか。
コミュニティ・リビング協会と連邦政府、そして州政府と地域代表が関係者による支援体制をつくることが将来の障害者に対する支援ではないかということである。
日本の介護保険に興味をもたれ、カナダの事例をあげられた中で、地域レベルのサービスに、公的・私的・ボランティアが混在している、といわれたが、それによって本当に地域の障害者が救われるのかと強調されていた。これは公的介護保険制度ができた日本においても、考えていかなければならない問題であろう。