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■質疑応答およびディスカッション

沼田 たくさんのご質問ありがとうございました。まず最初に個々の方々にあてられたご質問を先生方にお答えいただきまして、最後に皆さんのフロアでのディスカッションというふうにしたいと思います。

最初の質問です。チャパルさんへの質問です。かなり大きな額のお金、グローバルファンドなどがHIV/エイズですとかマラリア、結核などの健康の問題、保健の問題に使われています、というか流れていきます。こういうことについて、例えばインクルーシブ・ディベロップメントということで障害問題に使えるでしょうか。障害問題をこの中に入れて使えるでしょうか。グッドプラクティス(優れた取り組み)がありましたら教えてくださいとのことでした。

また、繰り返しになりますけれども、ディスエイブル・ピープル・センタード(障害者を中心とする)というような、インクルーシブ・ディベロップメントと言われているプログラムの中でHIV/エイズ、マラリアの取り組みがされているプログラムはあるか、ということです。お願いします。

 

チャパル ご質問ありがとうございます。そして関心を抱いていただきありがとうございます。2つの大きな問題があります。1つは障害者のコミュニティが健康、保健の問題として障害の問題をとらえてほしくないと思っているということです。障害者の問題が保健問題の中に加えられるという見方がなければ、それはないでしょう。そして保健問題に含まれないとするのであれば、グローバル・ヘルスファンドを期待することは出来ません。他のファンドがあるかもしれませんが、保健のファンドからではありません。というのは、各ドナーはそれぞれ優先事項というのを設定しているからです。

第2の問題。CBR、インクルーシブな開発、または障害と開発がどのような形で資金調達できるのかという問題ですが、これはやはりどのような形で国連の組織が機能するのかということを理解しなければいけないと思います。国連組織自体で意思決定しているわけではなく、加盟国が意思決定をしているのです。ですから皆さんが政府に対して影響をもたらすことができて、政府を通して本部での実行委員会に働きかけることができれば、実現が可能です。私ではできないのです。皆さんが、加盟国それぞれの皆さんが、WHOのどのスタッフよりもずっと大きな力を持っていらっしゃいます。そういう意味で加盟国だけが、これをもっと障害者の分野に振り向けるような働きかけができるのです。しかも、必ずしも保健関連のファンドからでなければならないということはなく、他のファンドからという可能性もあります。という説明でご理解いただけましたでしょうか。 

 

沼田 ありがとうございました。では次に、西尾さんに質問です。とてもシンプルですが皆さんがお聞きになりたいことかもしれません。なぜハンセン問題に取り組もうと思われたんですか。

 

西尾 それは大学としてでしょうか、個人としてでしょうか。

 

沼田 個人としてですね。

 

西尾 よく聞かれるご質問ではあるのですが、これは極めて私的な理由です。大学院生のときに結核にかかりまして、非常に落ち込んでいた時期があったんです。大学院生というのは経済的にも困窮する時期でありまして、お金もないしCTスキャンってこんなに高いのかと思いながら治療を受けていました。そんな人生を歩む上で非常に落ち込んでいた時期に、大きな励ましをくれたのが日本のハンセン病の回復者の方で、自分がかかった病気よりもよほど大変な病気にかかりながら、非常に明るく前向きに生きている姿がハンセン病と向きあおうとする大きな要因となっています。またその人は日本のハンセン病の回復者の人の中では珍しく、海外のハンセン病のことについて目を向けていて、何か協力していきたいと考えている方で、何かその方と一緒の目標を共有できないかと思って始めたのがきっかけです。

あと、言いそびれたのですが、ハンセン病の問題とかマイノリティの問題は、社会的弱者の文脈で語られることが多いのですが、年間で100人、学生が日本から参加していると申し上げましたけれども、基本的に参加する学生も私と似た思いで参加している学生が多いように思います。いろいろ悩みながら人生を送っている中で、自分の数倍もの悩みを背負わされ、それでも困難な状況を生き抜いてきたハンセン村の人たちに会って衝撃を受けて、活動を続けている学生が多いようです。そこから考えると、学生たちにとってハンセン病の回復者というのは社会的な弱者ではなくて、自分が生きていく上で大事なものをくれた人になっているから、アルバイトをしてお金を貯めてハンセン村に通い続けているのだと思います。

 

沼田 ありがとうございました。よろしいでしょうか。

 

高嶺 JANNETの会員の方、中桐登志江さんからコミュニティに関する質問です。コミュニティを特定するまではどのようにするのか。コミュニティとはどのように定義づけされるのか。それからガイドラインの全文はどういうふうに見たらよいですかという、これは取得の仕方だと思います。これは恐らくチャパルさんに直接質問されるといいと思うんですけど、その前に、尻無浜さん、それからラジャさんにコミュニティの特定ということのお話を少し伺って、その後、チャパルさんにお話ししてもらおうと思います。コミュニティをどういうふうに特定するのか、です。

 

尻無浜 私の経験からコミュニティはどういう手法で特定するかというものに関しては、先にコミュニティの場を特定するのではなく、コミュニティ・ベースの社会的な課題をきちっと明確にするということです。でも、社会的な課題を社会的な課題として共有できるかどうかということが大きな問題であって、その問題を抱えているところからコミュニティに入って、そこで活動をするということをずっとここのところやってきました。例えば、先ほども触れましたが、遊休地が多くなり土地を再活用したい。遊んでいるから再活用したいんだけれどもどうすれはいいかわからないという、社会的な課題として相談に来られた。障害者の賃金が安い、どうやって上げればいいかというもの。頑張って野菜を作っているんだけれども、今度農協がつくる野菜直売センターができて、そこに統合になってくるといままで作っていた野菜が売れなくなる、だからどうすればいいか、などなど、そういうコミュニティにおける社会的課題が明確にあるところから、コミュニティに入っていくという、とらえ方をしていました。

 

高嶺 課題が出てきたところで、コミュニティという形が見えてくるという形ですかね。では、ラジャさん、コミュニティをどういうふうにとらえていますか。

 

ラジャ インドでは2つの種類のコミュニティがあります。都市のコミュニティと農村のコミュニティです。農村では障害者が自宅で暮らしており、コミュニティ動員者であるコミュニティ・ディベロップメント・ワーカーが村落に行き、個別に訪問をします。その個別訪問で障害者を特定し、家族やコミュニティ、コミュニティ・リーダーと信頼関係を築きます。そして障害者を動員して自助グループを組織していくというやり方をしています。

 

高嶺 障害者問題を中心にコミュニティをとらえて、その中で障害者の自助グループを確立していくというとらえ方でよろしいでしょうか。

ではチャパルさん、特定の仕方など、特にあれば聞きたいと思います。

 

チャパル コミュニティというのは辞書でどう定義しているかということを見ますと、ともに生活している人たちのグループ、同じ場所で暮らしている同じグループの人たち、家族でもいいのですけど、同じ場所で暮らしている人たちということです。もっと実際的に見てみますと、CBRのガイドラインでは次のように言っています。どの国も行政単位があって、その行政単位に基づいて国が運営されています。この行政単位の最小のものがコミュニティであると考えます。そうすると、私たちにとっては、地方自治体と、誰が何をするのかという責任の所在を容易に結びつけることができるからです。例えばプライマリ・ヘルスケア(基礎保健)であるとか、コミュニティのヘルスケアであるとか、いろいろな省庁であるとか、そのあらゆるものが首都から地方へと徐々に展開されていく構造を持っています。こういった行政の最小単位が、私たちにとってのコミュニティとなっています。

その国によってコミュニティの定義があって、これがコミュニティだ、コミュニティのリーダーだ、代表だ、といわれれば、それがコミュニティであると私たちは考えます。

 

高嶺 ガイドラインを見るためにはどういう方法がありますでしょうか。ネットにあるのか、その辺、ガイドラインはまだ載っていないですか。

 

チャパル このような大きな文書を出すときには、非常に大きなプロセスがありますので、ガイドラインはまずいろんな国々に検討などのために送られます。ですからドラフト(案)という形ではありますが、最終版は2010年10月27日に出されます。そうしましたらそれはインターネットで見られますし、アクセシブルなフォーマットで、また、いろいろな言語で見ることができます。ただガイドラインを現在の段階で出すのは難しいと言えます。これは共同の文書であり、国連の機関3つと、26の市民団体が参加していますので、大変複雑なプロセスでいろいろな人たちが関わっていますので、すぐには出ません。次回私がここに来るときにはガイドラインをお持ちしてくることができると思っております。

 

高嶺 最終的なものはできておりませんということですけど、その指針みたいなものはインターネットで見られるということですよね。

 

沼田 では次の質問です。これは中村さんあての質問なんですけど、私としてはチャパルさんにもぜひ一言お聞きしたいと思っています。質問者は、ネパールでこれから事業をしようということで調査を進めていらっしゃる方です。ただ日本人で、ネパールに住んでいるわけではないので、現地の課題というのはなかなか私たちが知るのは限界がある。それで中村さんに質問なんですけれども、CBRというのは地域密着型のプロジェクトである。それを外部者である日本人が関与することについて、JICAとしてはどのように考えていらっしゃるのか。そして人材のキャパシティも含めて、どんなふうに介入するべきなのか、何かツールがあるのだろうかというご質問です。

 

中村 ご質問ありがとうございます。この問題は私も常々頭を悩ましている問題であります。ネパールにしろシリアにしろ、日本から遠く離れたところで文化的背景も全く違う日本人が地域に対して何ができるのだろうかと。そもそも日本人がいる意味があるんだろうかとときどき考えたりしているわけであります。

今のところそれに対してどう思っているかと申しますと、大きく2つあるんじゃないかなという気がしています。1つは、外部者は外部資源の知識をそれなりに持っているわけであります。たとえその資源が車でわずか1時間のところにあるとしても、村に住んでいる人たち、特に障害者にはその1時間の距離というのはとてつもなく大きい距離であります。ただ幸いにして、外部の者は、特に例えばJICAなんかでシリアにいたりしますと、いろんな施設やいろんなサービスを実際に訪問して協力をお願いすることもできるわけであります。そういった資源と村の障害当事者なり家族なり、あるいは村のキーパーソンを結びつけるということが1つできる役割なのかなと思っております。

もう1つでありますけれども、やはり障害当事者や家族の方は村で非常にマイノリティなわけで、なかなか外からの刺激がないと声を上げづらいという状況があるのではないかなと思っています。そこで、外部者が入っていって、彼ら障害当事者の方とともに、例えば村の資源とのネットワークをする。そういう役割があるのではないかなと考えております。例えば今日の発表で申し上げましたムハンマド・ハシュメさんなんかも、JOCV(青年海外協力隊)の人が一緒に回っています。そうすることでJOCVにとっても勉強になるし、ムハンマド・ハシュメさんにとっても、自分のやっていることというのはそれなりに意味のあることだということを村のキーパーソンたちに示せる機会でもあるのではないかなと考えております。

ただもちろん、あまり外部者が関与しすぎると、それこそオーナーシップが全然育たなくなってしまいますので、常にコミュニティの人をバックアップする、コミュニティの人が主役であるという基本は崩してはいけないと思っております。以上です。

 

沼田 ありがとうございました。ではチャパルさん、CBRまたはCBIDにおける外部者の役割は何だと思われますか?

 

チャパル とても重要な点ですね。教育の歴史を見ますと、教育は例えばインドの例を見てみますと、宣教師がやってくるとそこの土地の教育が改善したのです。促進者、触媒者というか、外から来た人たちは多くの有益な役割を果たします。多くのリソースはあるのですから、それに火をつける人が必要です。そして地元で立ち上がる人が必要なのです。

ひとつ実践例をお話しましょう。インドは大変広大な国で、私は都市の出身ですが、私が組織を設立したところから2,200kmも離れたところから来たので、全く外国に行ったような感じでした。自分の国にいながらその土地の言葉はわからないし、その土地の文化もわからない。まるで外国人のようでした。しかし、そこで私は組織を立ち上げようとしました。というのも、まず徹底的なニーズの分析をしたからです。また、私の組織をここに作った方が成功すると思ったからです。それをいつも心に留めておかなければなりません。あまりにも冒険をしてはいけませんし、また、あまりにも大きな夢を見てはいけないということです。私の組織は私の生まれ育ったところから2,200kmも離れていましたが、私の読みは当たりました。というのは、そこだからこそ育ったんです。ですからこういうきちんとした分析、リソースの分析、将来の可能性についての見通しを事前にしっかりと研究しておく必要があります。

ネパールについてですが、私はネパールで仕事をしたことがありますのでよく知っていますけれども、もう既にたくさんの組織が入っています。CBRネパール・ネットワークももうできています。ですから、私からのアドバイスですが、ぜひその人たちと連絡をとって、その組織を訪問してください。そして別のNGOを始める前にご自分の感覚を磨いて、研究する必要があります。もう数千のNGOがネパールにはありますので、まず組織をよく調べて、どういうところに皆さんのエネルギーと時間を投資すればよいのかということを研究してください。絶対に積極的な役割を果たせると思います。しかしながら中村さんがおっしゃいましたように、どういう役割が可能かということを考えなければなりません。例えば、自分がボスだ、何でも知っている、解決策を持ってきた、という姿勢で行ってしまうと、また自分自身で問題を作ってしまうことになるわけです。ですからファシリテーターとして、友人として、またサポーターとして行くのであれば問題は少ないと思います。シリアのある地域でプログラムを始める前に、私はディレクターだったんですけれども、その場所を3ヶ月訪れませんでした。私はまずその場所に障害者の人を送り込み調査をしてもらい、関係を築いてもらいました。私がそこに行くと、大きな車に乗り、非常に立派な服を着て行くことになるかと思いますので、何らかの期待をさせてしまうわけです。そして私がその期待にこたえられないと、私自身の問題を作ってしまうことになるわけです。非常に小さく、そして謙虚な気持ちで始めた方がいいと思います。その方が成功の確立は高くなると思います。

 

沼田 森山さん、よろしいでしょうか。大変重要な役割はあるけれど、ボスにはならず、教える立場にはならず、サポーターでありファシリテーターであるべきということであったと思います。

 

高嶺 次の質問もチャパルさんあてですが、できればチャパルさん、それからラジャさん、お二人に答えていただきたいです。ご質問は、過去のCBRで特に印象に残っている失敗の事例があれば、なぜ失敗したのか、どのようにそれを改善したのかということを教えてください。これはチャパルさんです。で、もしラジャさんもそういう経験があれば失敗した経験をお聞きしたいと思います。いかがでしょう。

 

チャパル たくさん失敗しました。そしてそこからたくさんのことを学びました。私が最初に作った自助グループは、みんなお金を持って逃げてしまいました。初めてお金を貸したとき、全く返済してもらえませんでした。バンガロールでは、リキシャのエンジンを替えようというような動きがありました。石油からガスに替えて、排気ガスをなくそうということでした。私はNGOに所属する環境に優しい人間ですから、みんなに言いました。石油からガスに替えなさいと。それでみんなは替えたんです。ボスがお金はあるからと言っているわけですから。しかしながら、その後皆はリキシャを私の事務所の前に置き始めたのです。理由を聞くと、実際に誰も利用してくれない。だってメンテナンス費用が非常に高くなって、そして市場で競争できなくなったからというわけです。私が決定を下しましたが、実際にこのリキシャを運転している人たちに聞くことをしないで決定したのです。実際にこういう自助グループの人たちが先頭に立って、それで決定したわけではないわけです。つまり決定が上から来るからこうなるのです。現実を無視するからです。ですからこれは非常に大きな教訓になりました。それから以降は、何かするときには必ず地元の人に聞くようにしました。

 

そしてまた私が初めて作った自助グループのプログラムでは、お金が全部消えてしまいました。というのは、私はミニ銀行みたいなものだと思われたのですね。お金があるんだからって。このお金は彼らのためのものだというふうに思っていたのです。だから彼らはお金をとって、そのお金をみんなで分配して姿を消してしまったわけです。でもこの自助グループは非常に厳しい罰を受けました。

その地域ではたくさんのことを学びました。次にすべての決定はグループによるものとし、お金を寄付する人たちの声は聞かないようにしました。というのは、私がお金を渡したのは、ドナーたちは今年中にこのお金を使ってほしいというようなことを言うからです。そこでお金を渡したら、逃げられてしまったということになったわけです。ですから次にはシステムを導入しました。お金を寄付してください。私がそれを管理しますというわけです。1~2年くらいみんなをよく観察しました。どういうふうにお金を管理しているのかなどです。そういうことをちゃんとわかってからお金を使うようにしたわけであります。そういうことが成功につながっていったわけであります。

後に最初のグループは戻ってきました。他の人たちから随分疎外されてしまったからです。そこでわびを入れてきました。他のグループは大きくなっていました。結局、コミュニティが全部面倒をみたのです。私は何もしませんでした。それ以来、貸し付けは95%くらい返済されるようになりました。だから本当にたくさんのことを学んだのです。

私は自殺、例えばリキシャの盗みとか、ローンを返さないとか、そういういろんな問題に直面してきました。でもこういうことに出会うたびに、これも人生の一部だ、最も貧しいコミュニティを相手にしているんだということを思い出すことにしました。教育も十分に受けていない、ここの皆さんや私のように長期的な展望を抱けない人たちです。ですから、短期的な利益にどうしても目が向くんですね。だから状況とか構造的な問題に追い詰められてよくないことをしてしまうこともある。彼らはそれをわかっていながらせざるを得ないという状況があるんだということです。

ゆっくりとやってください。そしてあまりにもお金を押しつけるということのないように。仮にドナーの方からこれだけを使ってくださいというような圧力があっても、それに耳を貸してはいけません。そんなんだったらお金を返した方がいいと思います。そういうことを一旦受け入れてしまいますと、プロジェクトがダメになってしまいます。

 

高嶺 チャパルさんご自身の経験をお話しいただきました。ではラジャさん、何かありましたらどうぞ。

 

ラジャ とてもつらい経験がありました。失敗もしました。そしてもちろん成功の体験もあります。例えば、村に入って仕事を始めようとすると、障害者のコミュニティでいろいろな問題に突き当たります。障害者たちは以前にだまされた経験があるため、私たちを信用してくれませんでした。私たちは彼らに繰り返し働きかけて、やっと信用してもらうことができました。主に多くの人たちが障害者の人の持っているお金をとってしまうということがあるわけです。お金をくれたらあなたの問題を解決してあげますよ、そして補装具を作ってあげますよ、融資もしますよ、というようなことを言うわけです。そういう間違ったチャンスをちらつかせる人たちがいるわけです。しかしながらお金は返ってはきません。こういうことがあったため、私たちを信用しなかったのです。しかし障害者への働きかけを続け、信頼関係を構築して初めて自助グループを設立することができたのです。

もう1つの問題があります。それは私たちのコミュニティの中では大きな問題となっています。それは政治的なシナリオという問題です。村に行きますと、そこで自助グループを作ろうとしますと、まず最初に研修をして、何もかもうまくいくのですが、その後、彼らは融資を受けて活動を始める。そしてたとえばそれから5年後に選挙が行われるとします。その選挙で反対派のリーダーが自助グループへの融資は止めてしまうと言うと、自助グループの人たちは、すぐさま、かつて借りた融資の返済を止めてしまいます。政治的な影響のためにこういう問題がでてくるのです。そしてそう言っていた反対派のリーダーが選挙に敗れると、選挙の後、私たちは再び自助グループを支援することになり、自助グループの融資返済のためにさらに努力しなければならなくなるのです。これがもう1つの問題です。時には自助グループとサマカイヤ(注:ディストリクトレベルの自助グループ連合統括組織)の責任者を交代することもあります、2~3年ごとですね。会長、事務局長が任期後に交代すれば彼らは一般のメンバーになります。こういう人たちが問題を起こし始めることがあるわけです。もう権力を失っているわけですから。このような問題も起きています。

また問題となるのは、それから障害のある人たちに対して融資をしたあと、その人が亡くなってしまったということがあっても、誰もローンの返済をその後引き継いでくれないのです。何故我々が自助グループに亡くなった人の返済をしなきゃいけないのかということになってしまうわけです。でもしっかりと働きかけをして研修を繰り返すことによってこういう問題を解決することができるようになりました。このような問題がこれまでに起こりましたが、しかしながらそれでもまた新たな問題に直面しています。

 

高嶺 特にSHG、セルフ・ヘルプ・グループ(自助グループ)の問題として、障害のある人が、今までいろんな方にだまされてリソースも奪われて、それでなかなか人を信用しない。その中でワーカーとやっていく難しさがあったと思うのです。チャパルさん、短くお願いします。

 

チャパル 1つコメントがあります。皆さん、わかっていらっしゃいますか。なぜ自助グループの中に融資のビジネスがあるのか。そしてまたこの小口融資のビジネスというものが自助グループの中で一般的に行われているのか。その理由は何かご存じですか。午前中からずっと話しています。でも日本の状況とこうした国々の状況とは非常に異なっています。もし自助グループがこういった融資を利用できなければ、民間の金融業者から借りなければいけない。どれくらいの金利だと思いますか。こういう民間業者から借りるとすると、貸し付けの金利は最大120%くらいになるのです。そして貧しい人たちはさらに貧しくなる。自分たちの持っている土地や財産を売って、民間業者に返済しなければいけないのです。そういった意味で、自助グループのプログラムとか、マイクロファイナンス・プログラムなど有利なプログラムが立ち上がると、民間の融資業者のビジネスは減っていきます。しかしマイクロファイナンスの制度が導入されても、多くの貧困の人たちはそのままでは所得創出活動とか土地を購入したりするためのお金を銀行から借りられません。というのは銀行はやはり保証人を要求するからです。貧しい人たちの多くは保証人を得ることはできません。しかしこれら連合に予算がちゃんとつけば、銀行と取引が出来、貧しい人たちのために銀行融資にアクセスできるようになります。ということで非常に大きな機会、大きなビジネスであります。でもまたそこで管理をしっかりとしなければいけないというのが大きな問題です。ということでこれは全体像として見なければいけない。このような小口融資がないと、自助組織グループの融資の制度がないと、非常に貧困の度合いが進んでしまうのです。都市部ではこれを利用して土地などを購入し、活用できるのを待っているのです。

 

高嶺 自助グループへの支援の中での重要なポイントだったと思います。

 

沼田 尻無浜さんに質問です。ソーシャル・ビジネスの最終目標を具体的にお聞かせくださいということなのですが、例えば社会的課題があって、それに取り組むためにソーシャル・ビジネスを立ち上げる。そういうことをしているうちに、例えば尻無浜さんのところの活動ですと、それによって社会が変わっていく、価値観が変容していく、その後そのビジネスというのは一般の営利企業になるのでしょうか。それともソーシャル・ビジネスではなくなるので精算するのでしょうか、ということです。

 

尻無浜 正直わかりません。今の段階では私の経験の中ではちょっとわからないのですが、わからないというのは、どういう姿がふさわしいのかという意味合いがわからないのです。ただ、今取り組んでいるところで言いますと、CBRの視点では、変化をもたらすようになって、人々が元気になったらいいんじゃないかというところを、漠然とゴールにしています。そのためには売り方だったり組織化が必要だったりというような具体的な取り組みが必要であろうというふうに踏まえてやっています。

それで、ソーシャル・ビジネスに対してのゴールというのは、その地域に住んでいる住民の視点からのゴールという点では、あまり大きな企業とか、大きな利益を、少ない人が地域で持つということはあまり地域になじまないように思います。どちらかと言ったら、小さなものがたくさん存在する、そういう姿が地域にはなじむのではないかなと思っています。

1社が10儲けるのではなくて、2ぐらいの儲けを持っている会社が5社ぐらい存在する姿です。それが地域には存在をして、そこがお互い助け合いながら生活をしていくということが地域で展開できればいいのではないかと思います。

 

沼田 ありがとうございました。

 

高嶺 今、3つ質問が残っておりますが、これはいろいろ関係があるんじゃないかということで、皆さん全員にお答えいただきたいと思います。1つが、日本で「リハビリテーション」という用語は高齢福祉において一般的に使われていますが、日本の地域再生をCBRとしてとらえていくこととして、社会が復活する可能性があるのかどうかについて、皆さんで議論してほしいということです。CBRの手法を使って高齢者福祉、高齢者問題も解決することは可能かどうか。これが1点です。

それから、日本の小学校や中学校では、アトピー、これは他人に感染しない病気でも、子どもたちは「キモい」とかいじめられている。あるいは外国人が転校してくる場合に、「キモい」という言葉でいじめられている。そういう学校でのいじめにも、このコミュニティがCBRのような形で関与できないかという問題です。

3つ目、CBRによるエンパワメント、これを当事者、家族、コミュニティのエンパワメントを、どういう指標でもってそれが達成されたかどうかを判断するのか。この辺を含めて皆さんにご意見をお聞きしたいと思います。

では田畑さん。この3つの中でご自分に合ったものをお話しいただければと思います。

 

田畑 先ほどお話ししたように、実は我々のやってきたものは、最初にコミュニティをターゲットにしていなくて、盲人連合の活動状況について改善する必要があるのではないかというところが、プロジェクトの始めです。結果として地域を巻き込む形になって、地域の人たちと一緒に視覚障害者が抱える問題やニーズに対応していくような結果になりました。

エンパワメントに関しては少し言えるのかなと思うのですけれども、ただプロジェクトの当初の指標としては、盲人連合の活動のカバレッジ(対象範囲)ですとか、彼らの能力についての指標が主でした。そうは言っても、それは例えば地方の盲人連合の会員が地域で自分たちの問題を解決できるようになっていくというのは、十分エンパワメントの形だとは思います。

それから、そういうわけでコミュニティのことをモンゴルに関しては結果論としてしか見ていないのですけれども、自分個人を振り返ると、日本国内で他の人たちとちょっと違う人たちをインクルードしていかないような空気というのは、確かにあるのかなと思います。それで、先ほどチャパルさんが、まさにCBRではないけれどもそれに近い領域のということで、災害対策の問題などもされていますけれども、そういうのをフォーカスするまでもなく、私たちにとってもコミュニティの中の一員になって、一緒にコミュニティを作っていくというのは、いろんな意味で避けて通れない問題なんだろうと思っています。ちょっとまとまりませんで申し訳ありません。

 

高嶺 いえ、どうもありがとうございました。次の方、1~2分でまとめてください。

 

尻無浜 CBRが日本の高齢者福祉の復活を図るキーになるのかという部分だけお答えをしたいと思います。私はもはやCBRは専門職のものではなくなってきていると思います。言葉に語弊があるかもしれませんが、やはり一般の社会の中で通用するもので考えていかないと、コミュニティ・ベースと言っている限り、一般の社会の地域には浸透しないし、効果的に働かない。言い方をかえると、専門家が専門職として専門職の服を着てコミュニティに出ても、何も変わらない。その視点で入っていくとコミュニティは入れないということが、ようやくわかりました。ですからCBRは専門職のものではなくて、一般の社会の中で考えていくということをきちっと捉えていく必要がある。そういった意味で、CBRは固定された内容というものを持っていないのではないかと思うのです。逐次作り替えていく必要があって、CBRはその考え方なのかなと思えるようになってきました。そういった意味では、地域だとか社会だとか国によってとか、いろいろな影響でコミュニティは違いますので、その状況に合わせてCBRを捉えていくことができる。そういった意味で有効であり、壮大な挑戦をしながらの概念があるのではないかと私は考えます。

 

西尾 私の方からお答えできそうなのは、3番目のところかなと思います。当事者、家族、コミュニティの中でエンパワメントの達成度をどうはかるかということに関しましては、その目的にもよると思うのですが、数値だけで語るのは非常に難しいと思うんですね。数値で語らないと説得力が出てこないことがあるかと思いますが、数値も出しつつ、私が意識してやっていることは、小さな事例ですね。市場に手をつないで歩いていったとか、子どもが遊びにきたとか。そういう小さな事例をたくさん集めることによって説得力を出していきたいと思っています。数値で出したとしてもそこには必ず操作も入りますし、小さな物語を集めることはもっと意識していいと思います。

 

中村 1番目の質問に関してなんですが、実はシリアに行く前は厚生労働省に勤めていまして、厚生労働省でやった最後の仕事というのが、「これからの地域福祉のあり方に関する研究会」というものでした。いろいろな先生方に、これからの地域福祉はどうあるべきかということを議論していただき、その報告書をまとめました。報告書では、地域に住んでいる人たちがその地域の問題を一番よくわかっているということから、これからの福祉というのは地域を基盤にしないといけないということを言っています。また、今の日本ではそれが可能になってきている。行政の立場から言うと、地方分権が進んでいろいろな行政決定が市町村でできるようになっています。障害者であろうと高齢者であろうと医療であろうと、あるいはいわゆる福祉以外の、まちづくりとか建物とか交通機関とかというものも、同じことが言えると思っています。なので、あまりCBRという言葉にこだわらずに地域に視点を置いていろんなことをやっていくということでいいと思っています。

それから、エンパワメントの達成度合いをどうやってはかるかというのは、私も非常に悩んでいるところでありますが、数値で測るのは大変難しいと思いますし、ある特定の事件をとらえて、これでエンパワメントできたというのはなかなか言えないのではないか。続かないと意味がありませんので。何年も、あるいは何十年もたった後で振り返って、あのときエンパワーされたのだな、とわかるというのが、エンパワーじゃないかなという気がしています。

 

ラジャ CBRで、エンパワメントをどう評価するかということですが、2つの測定の方法があると思います。1つは内部的なエンパワメントの測定、そして外部によるエンパワメントです。私たちの考えでは、エンパワメントの評価は、障害者を受け入れるということができているかということです。一般的なコミュニティでは障害者は完全に除外され、排除されています。しかし、CBRプログラムが導入された村では、多くの人たちが障害者を受け入れるようになり、障害者はコミュニティの助けによってサービスを受けています。そして今では障害者も重要視されています。以前は住民は障害者に対してその人個人の名前ではなく、「障害者」という呼び方をしていましたが、今は障害者は個人の名前で呼ばれています。こういった変化が起きています。

障害者が受け入れられているか、サービスを受けられるか、障害者が名前で呼ばれているかどうかということが測定の指標となるでしょう。以前は障害児は、地元の学校に入れてもらえませんでした。大半は軽度、中度の知的障害、あるいは言語・聴覚障害をもつ子どもたちです。しかし村にあるプログラムが導入され、そのコミュニティのリーダーや教師たちの研修を行った後は、こういった障害児も受け入れられるようになりました。したがって、障害者やその家族が受け入れられているかどうか、そして障害者が十分なサービスを受けているか、学校に受け入れられているか、そしてそのコミュニティの中で尊敬されているかということがエンパワメント評価の基準になると思います。

 

高嶺 最後に、一言ずつまとめをお願いします。

 

チャパル CBRというのは地域に根ざしたものであると言いますが、同時に私はこれは常識に基づいたリハビリテーションでもあると申し上げたい。CBRはコモンセンス、常識なのです。高齢者とCBRというのは非常に大きな問題であり、重要な問題です。今回のCBRのガイドラインは、HIV/エイズ、精神保健、ハンセン病、災害の4つの補足項目が発表されるのですが、次回は高齢者、子どもに関するCBRという要素を取り入れますので、作成作業では日本が指導的役割を示すことが出来ます。高齢者のプログラムの中にCBRの哲学を実施していくことに関心をお持ちなら、私も喜んで協力させていただきたいと思います。そしてそれを文書化しましょう、影響力を持つものになりますから。高齢化の問題はどの国でも問題になってきています。先進国だけではなく、途上国の問題にもなってきています。

ということで、皆さんがCBRを高齢化の課題に取り入れることに興味を抱いていらっしゃるなら、私も是非喜んで取り組みたいと思います。ありがとうございます。

 

沼田 たった一言ということで。実は金曜日に打ち合わせ会をしまして、老人問題に関して日本でCBRが始められないかというお話をしたんです。というのは日本にはコミュニティがなくて、そのコミュニティを作るために老人のCBRをしようと。たまたま私たちは団塊の世代という黙っていない年代がもうすぐ老人の年代に入るものですから、きっとすばらしいCBRがSHG(自助グループ)として始まるのではないかと思います。

 

高嶺 私も最後に一言。今日のお話を聞いていて、やはり日本でもコミュニティアプローチというのは非常に重要だという実感がしました。日本にコミュニティがあるかという、その辺から考えてみると、恐らくコミュニティしか日本にはないんじゃないか、復活するしかないんじゃないか。そういう感じがします。そうしない限りいろんな問題が実際には政府の施策だけでは解決できない、そういう状況に来ているという感じを受けました。そのためには、さまざまな途上国を含めて、いろいろなところからその取り組みを、我々は勉強する必要があるんじゃないかと感じました。

長い間、午後1時からやっていますけれども、本当に講師の皆さん、ありがとうございました。これで午後の部を終わりたいと思います。どうもありがとうございました。

 

上野 講師の皆さん、長い時間にわたり本当にありがとうございました。