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講演<2> 「シリアにおけるCBRの展開~地域と政府による取り組み及びJICAの協力」

国際協力機構 シリアCBR事業推進プロジェクト専門家
中村 信太郎

 

沼田 中村信太郎さんをお迎えします。中村さんは、大学卒業後、厚生労働省に入省され、行政官として長くお勤めになって、その間に、ラオスに専門家として、政策アドバイザーとして赴任され、3年間ラオスで働いておられました。帰国してまたすぐ、今度はシリアに行かれまして、今度はJICAの専門家としてシリアでCBRの事業に関わっておられます。

今日は、そのシリアのCBRの展開について、政府との関係、ネットワークを作ることの大切さ、日本の役割について、お話をいただきたいと思います。では中村さん、よろしくお願いいたします。

 

中村 ご紹介いただきまして、どうもありがとうございました。中村でございます。どうぞよろしくお願いいたします。

本日の私のお話ですが、まずシリアという国について簡単にご説明しました後、ここ(図1)の2、3、4の部分、シリアのCBRのプロジェクトについてご紹介をしまして、その後若干概念的なお話をさせていただきたいと思います。

図1(図1)

概要

まずシリアですけれども、位置は星印(図2)の所です。中東のトルコ、イラク、ヨルダン、レバノンといった国々に囲まれております。公用語はアラビア語でございまして、人口は約1,900万人。日本の半分の広さの国土ですが、砂漠がかなりの面積を占めております。人口の9割がイスラム教徒でありまして、非常に宗教的な価値観が深く生活に根づいております。

経済水準ですけれども、1人あたりのGDPが4,511ドルということで、人々が餓死するような国ではありませんが、経済水準は日本の7分の1以下という状況です。国内での経済格差、特に都市と農村の格差が大きいと感じられます。

図2(図2)

障害者の状況でありますけれども、人口の約2%と言われておりますが、信頼できる数字はありません。一応法律もあってそれなりの給付制度というのはあるのですが、これらは実際には人々の生活ではメリットとしてあまり感じられていないということもあって、障害者すべてが登録しているというわけでもありません。

そこで、障害者に対する支援はもっぱら国内NGOの役割となっております。貧困家庭に対する慈善活動の一環として、障害者を持つ貧困家庭に対する慈善活動をしているところ、あるいは障害に特化したNGOなどもございます。

政府は何をやっているかと言うと、そういったNGOを監督するというのが政府の役割だと、政府、特に社会労働省は感じているふしがございます。

一方、イスラム教の価値観が深く根づいておりまして、イスラム教では慈善行為は非常に価値があるとされておりますので、非常に盛んでございます。例えば毎週金曜日は、皆さんモスクに行かれて金曜の礼拝をなさるわけですが、そこで例えば100円、200円という単位で寄付をなさいます。あるいは年に1回あります断食月(ラマダン)には、皆さん寄付をたくさんなさいます。そういう方法で慈善活動の財源を調達しているという状況です。

CBRプロジェクト

さて、CBRプロジェクトの経緯でありますが、2003年に社会労働省の要請により始まりました。3村でしたが、その後2村が加わっております。写真(写真1)はそのうちの1村、カフリーン村の写真であります。2005年には、国レベルでの調整機関として国家CBR委員会が設置され、社会労働省の中にCBR事務所が置かれました。

CBRプロジェクトが始まったシリア・カフリーン村(写真1)

私はこの社会労働省のCBR事務所で働いております。JICAの協力としては専門家を派遣したり、青年海外協力隊を派遣したりしております。青年海外協力隊は現在3人おりまして、いずれも村で仕事をしております。その村の位置ですけれども、左下(図3)、首都ダマスカスの近郊にございます。いずれも車で約1時間程度のところであります。

地図上におけるシリア・カフリーン村の所在地。首都ダマスカスの近郊に位置している。(図3)

プロジェクトの目的といたしましては「障害者の社会への完全参加」。そのためには障害者・障害当事者・家族のエンパワメントが必要であると同時に、地域の環境整備が必要ですので、そのためのいろいろな機会の提供、地域のボランティアの育成、関係者のネットワーク作りをしております。

ネットワーク作り

まず関係者のネットワーク作りでございますが、この図(図4)の中心にございますのがCBRコーディネーター、彼は当事者であります。地域の関係者としてはバース党。シリアは1党独裁の体制ですけれども、その1党独裁をしている党がバース党でございます。次に村長さん、慈善団体のジャマイエ・ハイリーエ、それからパイオニア組織、これはバース党の学童組織です。

図4(図4)

左に位置しておりますのが婦人連盟、これはバース党の婦人部とも言うべき組織であります。下のほうに写真を載せておりますのが村落開発センター、保健センター、文化センターといった政府の機関。こういった地域の関係者に働きかけて、彼らからの協力を取り付け、最終的にはこういったところがネットワークを組んで村の障害者を支えていくという姿、それを目指した活動をしております。

また、村の中の資源だけではなく外部の資源とネットワークとつなげることによって、村の障害者の社会参加を進めていくということもしております。例えば知的障害を持った子供に教育支援をするNGO、当事者団体、それから職業訓練やリハビリをする政府施設、また障害者雇用を積極的に進めている民間企業と村の障害者とのリンクなどを作ったりしております。

また啓発活動として、障害者自身や障害者を支援する人をリソースパーソンとした講演会などをしたり、障害者が社会参加をする機会を提供するという意味で、理学療法教室、グループ学習、スポーツ活動、手工芸、サマーキャンプへの参加、地元の展示会への参加などをしております。

キーパーソンたち

ここでCBRに関わっている人の中で、これはという人材をご紹介したいと思います。1人目はソメイヤさん。ソメイヤさんは、ヒジャーネ村という村の女性であります。脳性マヒによる軽い運動機能障害、それから言語の機能障害がございます。12歳のときに目が悪くなってしまいまして、ところが、目が悪くなって黒板が見えないということを先生に言うのが恥ずかしくて、結局進級試験に2回落第してしまって、小学校を退学しました。それ以来家に閉じこもって、もっぱら家事手伝いの日々を過ごしておられました。2003年にCBRの取り組みが始まったときに、最初はサービスの受け手として参加されたのですが、次第にボランティアとして参加するようになられまして、視覚障害児を支援するために点字を自ら習い始めました。また、詩作りや劇作の隠れた才能も発掘され、人々に認められつつあります。

これはソメイヤさんの言葉ですけれども、CBRの活動に加わるまでは自分が障害者であることについて、なぜ私が、なぜ私だけがこんな状況なのだろうかと思っていた。けれどもCBRの活動を始めて他の障害者のために役に立てるということがわかった。そのことによって「なんで私だけが?」という気持ちを克服することができました。もしCBRの活動が始まっていなければ、私は今どうなっていたか想像することもできません、とおっしゃっています。

今、彼女は非常に活発なCBRボランティアの1人でありまして、地域のコーディネートをしております。下の写真、左側(写真2)が視覚障害児に点字を教えているところ、右側(写真3)がアラブ首長国連邦、アブダビのテレビが取材に来たときにインタビューに答えている様子です。非常にシャイだった女性がこういうふうになるというのは非常に大きな変化でございます。

CBRボランティアが視覚障害児に点字を教えている、シリア(写真2)

シリアのCBRボランティアがアラブ首長国連邦、アブダビのテレビの取材でインタビューに答えている。(写真3)

2人目はムハンマド・ハシュメさん。彼はCBR事務所の現地代表で、軽い下肢機能障害がございます。最初ボランティアとして加わったのですが、その後CBR事務所の職員として活動するようになりました。

彼の言葉ですが、「CBRのことを知る前は、できるだけ障害のない人と同じようになることで自分の障害を克服しようとしていました。例えばテレビに障害者が映ると、周りの注意をテレビの画面からそらすということをしていました。しかしCBRの活動に加わって、障害というものや、あるいは障害者に対して興味が出てきました。他の障害者を支援したいと思うようになり、今では他の障害者と一緒に歩くことを誇りに感じています」、とおっしゃっています。現在彼は、地域の資源のネットワークの構築、あるいは当事者団体の設立に献身的に働いておられます。

3人目は、アブ・アーナスさんという方ですが、この方は障害者ではありません。村の宗教指導者であります。イスラムの社会では宗教指導者の地位は非常に高く、影響力も大変大きゅうございます。彼は、毎週CBRの活動に参加するなど、非常に活発なボランティアの1人であります。モスクでの金曜礼拝あるいは結婚式などでの説教で障害者を地域の一員として受け入れるということの重要さについて住民に説いておられます。

アブ・アーナスさんはこうおっしゃっておられます。預言者モハメッドは、「隣人が腹を空かせているときにぐっすり眠るような者は信仰ある者とは言えない」と言っています。「イスラム教では人を助ける者は神に祝福されます。障害者の手を取って地域の一員になるよう支援をすれば、その人は天国に行くことができるでしょう」と。

この前提として彼が言うのは、「イスラムでは障害があろうとなかろうと、地域の一員としてそれぞれのできることに応じた義務を果たすという必要がある。その義務を果たすためにも、障害のある人も地域の一員にならないといけない」ということです。「私の村はもともと障害者を地域の一員として受け入れようという気風がありましたが、CBRの活動が始まって障害者やその家族から恥ずかしいと思う気持ちが消えていきました」ともおっしゃっています。

成果と課題

これまでの活動で何が達成されたかでありますけれども、障害者のエンパワメント、特に考え方が変化してより自信がついた、それから、アブ・アーナスさんやハシュメさん、ソメイヤさんといったやる気のある地元のボランティアが出てきたり、地元の有力者の巻き込みが進んできた。

その一方で地元の主体性と持続性に問題があることも事実であります。例えばグループ学習でノートや鉛筆などが必要になるわけですが、今まではJICAが全部提供してきたわけですが、JICAのその村での活動が終了した後どうなるかということを考えると非常に心許ないところがございますので、現在は、例えば村落開発センターの予算の一部として、グループ学習の予算を確保してもらうというような取り組みをしております。

それから障害者のエンパワメント、自助活動はまだ弱い状況です。従いまして、ソメイヤさんとか、ムハンマド・ハシュメさんが今、自助団体作りを始めている状況です。地域資源のネットワークにつきましても、ハシュメさん等からの働きかけに対して、村の関係者は非常に好意的に反応してくれるんですけれども、彼らは実際に何をしたらいいのかがわからないという状況であります。

また、地元の資源が参加して1つのネットワークを組むというところまではまだ行っておらないという状況です。また、地元の行政による組織的な支援もまだでございます。

今後の課題を突き詰めますと、私としては、どうやって地域にCBRの考え方を内面化させることができるかということだと思っています。今の状況ですと、CBRは何か特別な活動であって、何か「ハレ」のものであるという意識が村民にあるような気がいたしております。そうではなくて、CBRの考え方をそれぞれの村民の日常の振る舞いの中での考え方にしていくことができるか、CBRを「ハレ」のものから「ケ」のものにどういうふうに変えていくことができるのかというのが、非常に大きな課題であると考えております。

政府の取り組み

また、行政との関わりという意味で、役場や県庁レベルでのいろいろな調整の仕組みをどのように作るのかということも課題だと考えております。

では、シリア政府によって、どういう取り組みがなされているかですが、一応CBR事務所というのもありますし、国家CBR委員会というのもございます。また、国家障害計画のなかでCBRというのは今後推進すべき取り組みとして位置づけられてもおります。また、昨年各県にCBRユニットが設置され、そのメンバーとしては県庁の関係職員、障害関係の地元のNGOが入っております。

最初に申し上げましたように、障害者のサービス提供が大体NGOによって行われているという状況を考えれば、県でもNGOと県庁とが連携してCBRを進めていくというのは非常に現実的な判断ではないかと考えております。

JICAの協力

JICAの協力でありますけれども、先ほどご説明しましたとおりですので、ここでは簡単にスライド(図5、図6)だけお見せして省略をさせていただきます。

図5(図5)

図6(図6)

今後の協力でありますけれども、各県にCBRユニットが置かれたということで、そのユニットに対する助言、ユニットのメンバーに対する日本やタイでの研修を実施したいと考えております。村におきましては、現在の青年海外協力隊の協力が終了した後も村での活動がきちんと続けられるように、村でのネットワーク作りに力を注いでいるところです。

ここまでが前半部分であります。

後半部分、スライドをちょっと省略しつつお話しいたしますが、私自身、行政の経験が長うございますし、現在もシリアで、シリア政府と一緒に働いておりますので、行政がどうやってCBR推進をしていくのかということに関して申し上げたいと思います。

行政によるCBR推進

まず行政のアプローチというのは、法律とか規則によって、あるいはいろいろなことを標準化することによって国全体で同じように同じような施策を進めていこうというのが、そもそもの行政、特に中央政府の考え方でございます。ところがCBRのアプローチは地域が主体になって、地域ですることを決めていく。ですから地域ごとに取り組みが違うのが当然であるというアプローチだと思います。なので、行政のアプローチとCBRのアプローチには非常にギャップがございます。ただ、CBRのアプローチを実践するためには、例えば意志決定が地域にできるだけ近いレベルで行われるとか、あるいは自助活動なり地域のサービス資源の活動が少なくとも行政によって阻害されないということは必要になってくるわけでありまして、やはり行政の理解なしにはCBRというのは進んでいかないだろうというのが私の考えでございます。

さらに、行政がCBRを推進していこうとすれば、例えば行政各レベルで関係部局間の調整の仕組みを作る、グッドプラクティス(優れた取り組み)の情報を提供するといった取り組みが有効ですし、地域の資源だけではすべての事例に対応することは困難でございますので、専門的なサービスの提供、また人材、特にCBRのコーディネーターの養成、さらに財政の支援。多分一番大事だと思うのは、コーディネーターの費用とか、地域の中で拠点を整備したり維持したりする費用の支援も必要だと思います。この拠点というのは、障害者や、ボランティアたちが集まるような場所のことです。 

本日は国際協力がどうあるべきかということも1つのテーマと聞いておりますので、それについても少しお話をいたしますと、大きく分けて政府レベルの協力と、民間レベルの協力があり、政府ベースの協力といたしましては、相手国の中央政府および地方政府の職員の能力向上とか、相手国政府に対する政策助言、専門職の能力向上といった協力になりますし、民間ベースの協力といたしましては、地域を絞って、1つの村あるいは1つの地方に入り込んで、そこで地域の人たちの意識を啓発したり、地域の中でキーパーソンを見つけたり、また、必要な技能訓練をしたりといった協力になると思います。

より効果的に進めるためには、この2つのタイプの協力を連携させる必要があるのではないかと考えます。1つの例として、例えば民間ベースの協力でキーパーソンを発見し、発見されたキーパーソンに対して、民間ベースの協力でできる協力をするとともに、政府ベースの協力のスキームを使って、いろいろな機会を提供する。例えば研修機会を提供したり、逆に国内外の研修や会合でリソースパーソンとして招いて自らの体験や考え方を話していただく。そういった機会を提供することによってそのキーパーソン自身も成長していきますし、そのキーパーソンが政府の職員の意識も変えていける。そして意識がだんだん変わっていった政府の職員たちが地域を支援する。こいう流れが考えられるのではないかと思います。言ってみれば、民間ベースの協力でもって先ほどご紹介したようなソメイヤさんとかハシュメさんとかアブ・アーナスさんのような方を発見し、そういった方々に徹底的にいろんな機会を与えて、彼ら自身をエンパワーし、彼ら自身が周りの人たちをエンパワーしていくという流れでございます。

日本の協力のあり方

最後に、途上国のCBRの日本の関与のあり方でございますけれども、2つのことを申し上げたいと思います。1つは政府ベースの協力と民間ベースの協力の連携であります。考えてみますと、CBR推進に利用できる様々な資源がすでに存在をしております。例えば私どもJICAによる政策助言、いろいろな研修、青年海外協力隊やシニアボランティアといった協力。在外の日本大使館が持っております、草の根人間の安全保障の無償資金協力。それからもちろん、本日もいろいろなNGOからいらっしゃっていると思いますけれども、NGOによる技術協力や資金援助などでございます。

それぞれ、得意分野と不得意分野があるわけであります。例えば、JICA、日本大使館といった政府ベースのところは、村でのキーパーソンを見つけるのは苦手ですが、逆に政府との交渉、政府職員の意識啓発は政府レベルの協力のほうが得意としているところであります。民間機関はその逆です。それぞれ不得意、得意分野があるわけですので、政府ベースの協力と民間ベースの協力を組み合わせることで、より効果が上がるのではないかというふうに考えます。

もう1つ。様々な国の間のネットワークの構築であります。これまで日本が協力してきた国には、日本の協力によって育成された多くの人材がすでにおります。それらの人材が他の開発途上国の人々との間でアイディアや経験を共有することが可能であり、そうしたことによって相互がエンパワーできるんじゃないかと考えます。

例えば、この障害者リハビリテーション協会のいろんな研修、スキーム(仕組み)を通して養成された方がタイとかマレーシアにおられます。そうした方々が今度はラオスやシリアの方々を支援する。そういった支援のネットワークが広がっていけば、お互いにとって効果のある協力ができるのではないかというふうに考えております。

ともするとお隣の国同士というのは微妙な感情がございます。例えばラオスからタイの人に協力を要請するということ、なかなか民族的な感情からいって難しいこともありますが、日本が間に立てばかなりスムーズに進むということもございます。

以上、日本の関与のあり方として二点申し上げまして、私の発表を終わらせていただきます。ご静聴ありがとうございました。

 

沼田 中村さん、ありがとうございました。シリアのCBRの現在、そして行政とCBRのギャップ、それから国際協力のあり方など、たくさんのことをお話しくださいました。どなたかご質問ありましたら挙手をお願いいたします。ご質問の方はお名前とご所属先をおっしゃってください。

 

会場 カマルと申します。東京大学の者です。私の質問にはちょっと驚かれるかもしれません。国際協力とか、そういうような質問ではないからです。シリアではイスラム教については、例えばファンドを障害者のために提供したり、支援したりしているというプラスの面が評価されていると思うのですが、しかしながら、宗教に関しては、障害をマイナスに見る傾向もあるわけですよね。シリアの人たちは障害者をどういうふうに見ているのでしょうか。つまり、シリアでは地獄に行かないようにとか、悪い出来事で苦しみたくないと考えをしているように思えるのです。そういう中で、シリアの人たちは、障害に対してどのように理解しているのでしょうか。また、障害者は、コミュニティ開発に、どういうふうに参加していますか。健常者と一緒に開発に取り組んでいるのでしょうか。

 

中村 最初の質問ですけれども、やはりどうしても、サポートする対象として障害者を見ているという印象を私は受けております。なので、自分と同じ社会の一員だという意識までは、まだなかなか達してないような気がしております。

それから、障害をもった人を隠す、家族がプロテクトしてしまう、あるいは社会から隠してしまうという傾向がまだ残っているように思いますので、そもそも障害者を街の中で見ることがあまりない。それが人々の意識が変わる1つのハードルにもなってしまっているということですので、村での活動の中で、できるだけ、障害者が村の中に見えるようにしていくというのを1つの目標にして、いろんな活動をしているというのが状況です。

それから、どれぐらい開発にインクルードされているのかということに関して言うと、何も言わなければインクルードされないというのが私の印象です。あえて議論を提起しないと進まないだろうと考えております。

それから最初の点について付け加えると、やっぱり伝統的社会では人々、特に女性にとって結婚はすごく重要なマター(事柄)ですが、例えば家族に障害者がいると、障害者自身もその兄弟の結婚についてもハードルになるという意識が特に村には強いように思います。以上です。

 

高嶺 中村さん、ありがとうございました。