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■特別講演 「CBRガイドライン&地域に根ざしたインクルーシブ開発」

世界保健機関 障害とリハビリテーション・チーム
チャパル・カスナビス

午前の部

上野 それではさっそく午前中の講演に移らせていただきます。講師は、WHO(世界保健機構)のチャパル・カスナビスさんです。チャパル・カスナビスさんは、もともとは義肢装具製作のエンジニアで、インドにあります「モビリティ・インディア」という義肢装具センターでCBR活動を行っているNGOを創設されたメンバーのお一人です。その後多くの国際NGOに協力し、ネパール、バングラデシュ、スリランカ、モンゴル、ベトナム、ガイアナ、シエラレオネなどで援助活動に携わりました。現在はWHOの障害とリハビリテーション・チームに勤務され、CBRや福祉機器の普及に取り組まれていらっしゃいます。

本日は、作成中のCBRガイドラインや、開発への障害のインクルージョンについて、具体的な例を交えてお話しくださいます。チャパルさんは、今日はあまり一方的なお話にはしたくない、一方通行にしたくないということで、参加者の皆さんとの対話をところどころに盛り込むようなことをお考えでいらっしゃいますので、皆さまもどうぞ参加するつもりになってお話を聞いていただければと思います。ではチャパルさん、どうぞよろしくお願いします。

 

チャパル 皆さん、おはようございます。今回のセミナーを開催してくださいましたことに対しまして、日本障害者リハビリテーション協会、JANNET、および関係者の皆様に心からお礼申し上げたいと思います。

私も、たびたび日本に来ておりますので、皆さんの中には、もう聞き飽きたという方がいらっしゃるかもしれません。今回は、CBRガイドライン、および地域に根ざしたインクルーシブ開発について話すように依頼されました。2時間、話をするということですので、多分皆さん、そのうちに寝てしまうのではないかとい思います。そんなことになってはいけないので、私は立場を少し変えて、もっと皆さんに近づきたいと思っています。そして私の発表の合間に皆さんからも助けていただきたいと思っています。

特に熊田さん、随分遠くから来てくださいました。「こころん」プロジェクトの代表をしてらっしゃいます。高嶺さん、中村さんなど、いろんなバックグラウンドをお持ちの方が今日は来てくださっています。熊田さんは、「こころん」に深く関わる前は、障害分野でお仕事をされたことはなかったのではないかと思います。私たちの中には、障害分野のバックグラウンドを持っている人もいれば、障害分野以外の人もいるわけですが、共通の視点を持っていますので、今日はそれについてお話します。もしよくわからないということがあれば、話の途中で構いませんので、ぜひ質問してください。そして反論もしてください。よろしいですか。何か、皆さんがわからないようなこと、腑に落ちないようなことをずっと話し続けるつもりはありません。そんなことをしてしまったら、私がはるばる来てお話ししている意味がなくなってしまいます。ですから「おかしいな」と思うことがあったら、ぜひ質問してください。皆さん協力してくださると期待しています。よろしいでしょうか。どうもありがとうございます。

地域社会の開発

それではまず、地域社会の開発の話から始めたいと思います。これはどういう意味を持つものでしょうか。これは地域社会のメンバーを支援するものです。その結束を支援し、貧困または生活に影響を及ぼすあらゆる種類の共通の問題を克服しようとするものです。そういうものを支える価値観と実践のことを言います。つまりそこには共通の要因があって、人はそれによって結び付いています。そして地域社会のメンバーは変化の担い手という役割を果たし、自分自身の運命を決定するのです。誰か首都にいる人たちが決めるのではなく、あるいはジュネーブ(注:WHO本部所在都市)の人たちが決めるのではなく、自分自身が自分の運命を決定するという考え方です。

このスライドの中には2枚の写真があります。これ(写真1)は中国の写真ですね。村落地域、農村地域の写真なのですが、障害者、地元の共産党リーダーたち、あるいは地元の村長、地元自治体が、障害者の貧困克服のために協力して取り組んでいます。中国の農村地域では、障害者の抱える最大の問題は貧困です。他の国でも多くは同じ状況です。ここの地域の人たちは、ともにそういう問題解決に取り組もうとしているのです。それからもう1つ、下の写真(写真2)はイランの写真です。コミュニティのメンバーと地方自治体当局の人たちが同じテーブルについて、その村全体の計画について話し合いをしているところです。どうすれば村を開発することができるのかということです。これがまさに地域社会開発です。地元の人たちがイニシアティブを取るというのがその背景にある考え方です。

中国の農村地域で障害者、地元の共産党リーダー、村長、地元自治体が集まっている。(写真1)

イランでコミュニティメンバーと地方自治体当局の人たちが村全体の計画について話し合いをしている。(写真2)

地域社会を動員するには、いろいろなステップがあります。地域社会の開発には多くの人たちが関わる必要があります。ですから地域社会の開発と地域社会の動員は密接に結びついています。つまりこの動員がなければ開発はできないのです。

まず、最初にやらなければいけないのは能力開発(キャパシティ・ビルディング)です。さらに、エンパワメント、相互尊重、つまり村や地域の社会階級のバリアを打ち砕くということです。それから、積極的な参加、社会正義、差別禁止、透明性、説明責任、これらを行わなければなりません。そして地域社会の幸福です。1人の人が幸福になればいいというものではないのです。時には、個人の幸福、個人の利益、そういうものを追求するあまり、地域社会の利益が損なわれることがあります。ですからもっと大きな視点を持たなければならないのです。つまり地域社会全体が改善しなければならないということです。地域社会がよくなれば一人ひとりがよくなるでしょう。しかし一人ひとりがよくなったからといって、地域社会がよくなるとは限りません。ですから、個人の利益か、地域社会の利益かということをよく考えなければいけないということです。

そして最も重要なのが、地域社会によるオーナーシップということです。地域社会がリーダーシップを取らなければならないのです。つまり自分たち自身のプログラムを実施していかなければならない。外から言われて何かをやる、外国から言われて何かをやるということがあってはならないのです。

次の左の写真(写真3)はシリアです。中村さんはすぐにお分かりになったと思います。シリアで行われているJICAのCBRプログラムです。女性たちが集まって自分の子どもたちの教育について話し合っているところです。周りには学校に行ったことがない人たちもいるので、自分の子どもはそうならないように望んでいます。右の写真(写真4)はイランです。左側のほうに市長が写っています。CBRの職員やコミュニティの人たちみんなが協力をして、地域社会全体の開発に取り組んでいます。

シリアで行われているJICAが支援しているCBRプログラムで女性たちが集まって子どもの教育について話し合っている。(写真3)

イランのCBR職員とコミュニティの人たちの集合写真で、左側の方に市長が写っている。(写真4)

鍵を握る組織作り

では、どこから手をつければいいのでしょうか。まず組織を設立しなければなりません。それがないとバラバラになってしまいます。次に、さまざまな開発セクターとパートナーシップを構築します。1つの組織、1つのグループ、1人の個人だけで何もかもはできません。また、リソースグループとネットワークを構築しなければなりません。そしてコミュニティの核となるグループを作るのです。自助グループ、住民組織などを結成するということです。また、地方自治体とのパートナーシップ、これこそが鍵になります。どのような地域社会開発でも、これが成功の鍵となります。つまり地方自治体の参加がなければ、どのようなプログラムも継続することはできません。

プラン作り

それからリソースを調達する必要があります。お金が必要です。そしてスマートビジネスプランを作成して、それに基づいて行動するのです。スマートというのは大文字でSMARTと書きます。特定の(Specific)、計測可能な(Measurable)、現実的な(Realistic)、達成可能な(Achievable)、時限を切った(Time-bound)プランということでます。つまり、成り行きに任せてはいけない、3年後、5年後にこれをやる、ということを計画するのです。これは企業のやり方です。つまり今年、3年、5年のプランというのを作らなければなりません。地域社会の開発はビジネスのようにやっていかなければなりません。ただし、1つ大きな違いがありますが、それは、利益はコミュニティ全体で共有するということです。熊田さん、どうですか、私の言うことは正しいですか。熊田さん。何か忙しそうにノートをとってらっしゃいますね。

コミュニティのメンバーの人たちには、よくこのようなもの(図1)を書いてもらいます。プロブレム・ツリー(問題の木)と呼んでいます。コミュニティの人たちに集まってもらって、みんなで話し合って、どういう問題があるのかというのを書き出してもらいます。共通の問題は何なのかということを考えてもらうのです。プロブレム・ツリーの左側には悲しい顔が描いてあります。でも右のほうは幸せな顔が描いてあります。

コミュニティの人たちに書いてもらったプロブレム・ツリー(問題の木)。左側の悲しい顔は現在の問題、右側に幸せな顔は3年後・5年後の成果が書かれている。(図1)

右側には一生懸命やったらどういうような成果を期待できるのか、3年後、5年後にどうなるのかということを書いてもらうのです。そして、これを使って分析してもらうのです。一体どういうような問題があるのか。そして問題の原因はどこにあるのかということを考えてもらう。つまり、目に見えるものだけでなく、その下に隠れているものを見てもらうということです。問題の根源はどこにあるのかということです。また、何をする必要があるのか、誰とパートナーシップを結べばよいのか、どうすればこういう問題を克服できるのか、ということを考えてもらうのです。

この絵は村人たちが書きました。最初はその地元の言語で書かれていたのですが、私のために英語に訳してくれました。

さて、この地域に根ざした開発のアプローチについてお話をしたいと思います。多くの人たちがアラジンの魔法のランプの話を聞いたことがあると思います。このランプに手を触れると奇跡が起こるんですね。このような地域に根ざした開発は、そんなふうにはいきません。非常に難しいのです。一晩で起こるわけではありません。3年、5年と時間がかかります。そうしないと現実的な結果は出てきません。ですから、いわゆる短期的なプロジェクトで、それだけのお金しかないというような場合には、地域に根ざした開発はできませんし、かえって地域を壊してしまう可能性があります。私は短期的なイニシアティブが地域社会全体を壊してしまった例をたくさん見てきました。開発とは、時間をかけて徐々にやっていかなければならないのです。少しずつ投資をしていくこと、長期的に仕事をしていくことが大事なのです。

なぜコミュニティ・ベースか

世界銀行、WHO、AUSAID(オーストラリア国際開発庁)などいろいろな組織が、この地域に根ざした開発について語っていますが、それに対して、いろんな名前を与えています。「地域が主導するイニシアティブ」であるとか、WHOは「地域に根ざしたイニシアティブ」と呼んでいますし、いわゆるODA(政府開発援助)担当省庁の関係者などは「地域経済開発」ということをよく言います。というのは、とにかく根源にあるのは貧困であり、「地域経済開発」こそがその解決策であると思うからです。それから「地域に根ざした参加型調査」という言葉を使う人もいます。また「地域に根ざしたリハビリテーション」という人もいます。そして今、私たちは「地域に根ざしたインクルーシブ開発」という名前を使っています。

では、なぜ私たちがこれほど地域に焦点を当てるのかといいますと、どのようなプログラムでも、それを維持していこうと思えば、長期的に、そして本当に現実的に適切なものをやろうと思うなら、それは地域社会に根ざすものでなければならないと思うからです。例えば、プログラムをスタートするとします。お金が続くかぎり、そのプログラムは続くでしょうが、資金がなくなれば、つぶれてしまいます。ですから、どのような資金調達をするにしても、その資金の期限が来ても、そこに投資が残るようなメカニズムにしなければならないのです。その1つの方法が、いわゆるコミュニティ・ベース(地域に根ざした)のアプローチです。それをCBRと呼ぼうと、CBIと呼ぼうと、CBIDと呼ぼうと、どうでもいいのです。つまり、「R」がいやなら、「G」でも「B」でも、何でもいいのです。私が重要視するのは、開発が地域に根ざしたものでなければならないということ。しかもそれはインクルーシブでなければならない、すべての人たちが恩恵を受けるようなものでなければいけない、ということです。

ということで、地域社会開発についておわかりいただけましたでしょうか。何か質問はありませんか。この地域社会開発ということを理解していなければ、これからこの「地域に根ざしたインクルーシブ開発」のことはおわかりいただけないと思いますので、何かちょっとでもわからないことがあったら聞いてください。少しずつやっていきたいと思います。質問がなければ続けます。

インクルーシブ開発とは

さて「インクルーシブ開発」、これはどういう意味でしょうか。UNDP(国連開発計画)によりますと、多くの人がジェンダー、民族性、年齢、性的指向、障害、または貧困のため、開発から排除されているということです。これらが人々を主流のコミュニティ開発から排除している共通のファクターなのです。どのような開発からも排除していくのです。あらゆるグループの人たちが機会創出に貢献し、開発の恩恵を共有し、意思決定に参加して初めて、開発はインクルーシブになるのです。つまり、恩恵を共有するということです。誰かが全部自分のものにするのではなく、共有するのです。そして意思決定に参加すること。これは自分たちの問題。だから、外から言われてやるのではなくて、自分自身がリーダーシップを取らなければならないのです。

インクルーシブ開発は、人間開発のアプローチに従います。人権がその核にあります。人間開発が中核になります。インクルーシブ開発のアプローチには、差別禁止、説明責任、参加という三要素があって、その中核に人権があります。この人権を促進することによって参加、差別禁止が促進され、説明責任が果たされ、そこで初めてインクルーシブな開発が可能になるのです。

世界はバランスを大きく欠いています。世界で最も裕福な10%の人々が全ての富の85%を所有しているのです。たった10%の人々がお金や資産など85%を所有しているのです。そして90%の人たちが残りの15%の富を所有しているのです。だから貧困が存在するのです。やはり基本的な要素を何とかしなければなりません。最も貧しい50%の人々は、わずか1%しか所有していないのです。世界経済の中で最も貧しい50%の人々は、世界経済のたった1%しか所有していないというのが現実です。

開発は、どの国においても、首都や都市に基盤を置いています。そして、トップダウン形式です。大きなビル、大きな車、非常に派手な生活、大きなレストラン、大きな学校もそうですね。大きなものはすべて大都市や首都にあります。そして都市から離れれば離れるほど問題が生じます。

世界銀行によりますと、どの地域社会においても、最も貧しい人たちというのは障害者です。アメリカであろうが、マラウィ、シエラレオネであろうが、どの国においても、その国で最も貧しい人たちというのは障害をもっている人たちです。ミレニアム開発目標や、様々な主要な開発イニシアティブがありますけど、障害者およびその家族はしばしば無視されています。このような、PRSP(貧困削減戦略文書)、あるいはミレニアム開発目標のような大型の開発イニシアティブは、最も貧しい人たちを無視しているのです。障害者やその家族はどうやったら貧困から脱出することができるのでしょうか。

こちら(写真5)の上の写真ですが、これは中国の人たちです。中国の人たちはコミュニティの中で農業をして貧困から脱却しようとしています。下の写真の女性、トライサイクルという三輪車に乗って品物を販売して10人の家族を養っています。これは10年前の写真ではありません。最近の写真です。「地域に根ざしたインクルーシブ開発」ということを今お話ししていますけれども、「開発」と「インクルーシブ開発」、そして「開発」と「地域に根ざした開発」、これら全てを合わせる、つまり、インクルーシブ開発と地域に根ざしたアプローチを合わせて初めて、地域に根ざしたインクルーシブ開発が実現するのです。

中国のコミュニティで農業をしている障害者(写真5)の上

トライサイクルという三輪車に乗って品物を販売して10人の家族を養う女性とその家族の集合写真(写真5)の下

こちらの図(図2)、ちょっと見にくいんですが、山のところに「BDN」と書いてあります。この村全体がBDN村として知られています。ベーシック・ディベロップメント・ニーズ(基本的な開発のニーズ)を意味しています。この村の主な目的というのは、人々が力を合わせて、よりよい医療・保健を実現し、よりよい生計の機会、よりよい教育を、この村全体で実現していこうというものです。信じられないかもしれませんが、通りの名前にも例えば「所得創出通り」であるとか「保健促進通り」というように、村の通りの名前にも目標がついています。地方自治体も含めて、この村全体が力を合わせて地域に根ざしたインクルーシブ開発に取り組んでいます。

地域に根ざしたインクルーシブ開発の図(図2)

四つのC

ではこの地域に根ざしたインクルーシブ開発の主な要素は何でしょうか。それは、4つのC、あるいは5つのCと言えます。まず開発というのは首都から地域社会へ(Capital to Community)重点を移していかなければなりません。また地域社会が中心(Community Centered)であり、地域社会が管理し(Community Controlled)、そして望ましくは地域社会がオーナーシップを持ち(Community Owned)、主体となるということです。もしこの4つのCの要素を実現することができたら、持続可能な地域に根ざしたインクルーシブ開発ができるでしょう。そうでなければプログラムがあってもそれは資金のある期間だけ続き、お金がなくなれば政府は優先順位を変えてしまいます。今日、HIV/エイズの話をしたかと思えば、あくる日はマラリア、その翌日にはインフルエンザと、これではプログラムは崩壊してしまいます。しかし、もし開発が首都から地域社会へ移り、地域社会が中心となって、管理し、主体となっていくことができれば、開発、インクルージョン、地域に根ざすエンパワーされたコミュニティへとつながってきます。そして、エンパワーされたコミュニティだけが地域に根ざしたインクルーシブ開発を創出することが可能なのです。

皆さん、これで明らかでしょうか。うなずいていらっしゃいますね。また後ほどお聞きしますよ。

さて、すべての開発イニシアティブというのはインクルーシブであり、地域に根ざしていなければなりません。どこの国であろうと関係ありません。この(写真6)上の写真は、コスタリカでJICAがやっているプログラムの写真です。そして下のほうは、インドのCBRプログラムで、農村部で行われているところの写真です。このようなプロジェクトの基本というのは、開発が障害者中心となっている、ということです。どのようなプログラムであっても障害者の発展を目指さなければならない、障害者が中心にならなければならなのです。それが地域社会中心ということです。

JICAがコスタリカで行っているプログラムの写真(写真6)の上

インド農村のCBRプログラム(写真6)の下

満たすべきニーズ

コミュニティのニーズと障害者のニーズは、非常に重要ですが、しかし論議の多い問題でもあります。つまり障害者のニーズと地域社会のニーズ、両方に取り組まなければならないのです。コスタリカでプロジェクトを実施している人が聞いてきました。私たちは、障害者のためにCBRを行っていて、理学療法とか車いす、義肢装具などの協力をしているですが、村には水がなく、村人が水が欲しいと言ってきたら、CBRは水に中心を置くべきか、それとも理学療法に中心を置くべきなのか、このような質問を彼らはしてきたのです。皆さん、どう思われますか。彼らの質問は次のようなものでした。「私たちはCBRをこの農村地帯で行っています。どういう障害者がいるのか特定して、理学療法や義肢装具を提供しています。しかし村人は水を望んでいるのです。CBRでは、まず水のニーズを何とかすべきでしょうか、それとも理学療法でしょうか」。一体その答えはなんでしょうか。水が必要か、理学療法が先か、皆さんはどちらが先だと思いますか。どなたかコメントをいただけますか。

 

会場 質問は唐突すぎるように思うのですが。プロジェクトの人たちがやってくるとき、当然、事前に一定の評価をすると思います。このようなプロジェクトを行う前に、何か基本的なニーズを知ることが必要です。基本的なニーズを、まず満たさなければならないと思います。そうでないとCBRを効果的に実施することはできません。

 

チャパル 全くその通りです。基本的なニーズがまず最初に満たさなければならないのです。しかし往々にして、このようなことは中央の大臣や高官の間で話されることがあるのです。村に一度も行ったことのない人たちによってプロジェクトの内容が決められてしまうことがあるのです。どのような国であっても、首都に行って、省庁や政府の人たちと話をして、実際に村に行ってみますと、3つの違った答えが返ってきます。同じ1つの質問をしても3つの違った答えが返ってくるのです。と言いますのも、政策立案者と現実の間、実践者の間には大きなギャップがあるからです。そしてこのギャップを減らしていくのが私たちの仕事なのです。水がないときに、理学療法って一体何の意味があるんだろうということになります。私なら、まず水を手に入れようとします。その際、障害者に列の一番前に並んでもらいます。そうすると、障害者が先頭を切って村のために水を手に入れてくれるということを、村の人たちは理解するでしょう。すると自動的に地域社会の中における障害者への尊厳と敬意が高まります。障害者が中心となっているからこそ、この村に水が供給されるようになると、コミュニティ全体が気がつくようになるからです。このような状況ではあえてインクルージョンについて考える必要はないのです。インクルージョンは自動的に生じます。しかし、実際にやっていることはこの逆なのです。個々のニーズに対応してから彼らを地域社会に統合させようとしています。ですから、1つのことをいろいろな角度から見なければならないのです。

例えば、コンクリートの橋が整備されていないようなところでは、雨季になると橋が崩れてしまうことがあります。障害のない人たちは、何か別の方法で川を渡ることができますが、障害者、特に車いすの人とか目の不自由な人たちにとっては、これは非常に困難な状況です。そこで障害のある人が中心となって動きます。これは障害のない人たちよりも障害のある人たちにとってはるかに大きな問題だからです。彼らがリーダーシップをとって橋を修繕します。そのようなことから、コミュニティの他の人たちが障害者を尊敬するようになります。障害のある人たちのおかげでコミュニティ全体の利益が実現されたからです。これが地域に根ざしたインクルーシブ開発というものの意味するところです。

コミュニティも支援

障害者の能力開発、障害者の家族やコミュニティの能力開発は非常に重要です。障害者の能力開発、障害者とその家族、彼らの住むコミュニティの能力開発というのは、成功のための鍵となります。障害者の能力開発をしても、その家族やコミュニティの能力開発をしなかったら、どうなるでしょうか。皆さんは、それでうまくいくと思われますか。私の質問は明確ですか。

多くの障害者向けのプログラムというのは、往々にして、「障害者の」能力開発に焦点を当てています。そしてしばしば、その家族や彼らが住むコミュニティのことを忘れがちです。私自身も同じ過ちを犯しました。そしてその大きな代償を払いました。というのも私は障害者の能力開発を非常に重要視していたのですが、その障害者の方は家族やコミュニティに受け入れられなくて、結局自殺してしまったという苦い経験があります。「逆の排除」をしてしまうのです。開発を行うとき、能力開発をするとき、すべての人たちの能力開発を考えていかなければならない。そうしないと、違った意味でほかの人たちを排除してしまうことになります。

個人、家族、そしてコミュニティの能力開発は、等しく重要です。でなければ、障害者は開発途上国の政党の指導者と同じような立場になると思います。大きなビルを持っている、お金もある、しかし誰も尊敬しないということです。

また、地域社会の行動を促進することによって、積極的な参加を阻む障壁を取り除くことです。自立、平等の権利、機会均等の促進が重要です。貧困削減、全体的な幸福を促進するということも重要です。

こちらのスライド(写真7)を見てください。

CBRプログラムで障害のある人もない人も参加しているスポーツ大会(写真7)

CBRプログラムで、時々、コミュニティのスポーツを計画しますが、障害のある人もない人も含めてコミュニティ全体がスポーツに参加します。そうすると自然な形でインクルージョンが実現するということになります。

問題の根源は貧困にあるので、CBRは貧困対策をして、全体の幸福を促進しなければいけないのです。これについてはガイドラインを通して取り組んで行きます。

 

高嶺 すべての人の能力開発をするという点はわかります。しかしそれをどうやってやるのでしょうか。リソースがあるとしても、それをどうやってコミュニティ全体の能力開発に使うのでしょうか。全体の能力開発というのはどういうふうにしてやっていくのでしょうか?

知識は力

チャパル ありがとうございます。我々の国でこういう言い方があります。「王様は自分の国の中では尊敬されている。しかし知識を備えた人たちは世界のあらゆるところで尊敬される」というものです。つまり国王はその国の中で尊敬されるけれども、知識のある人はどこででも尊敬されるという言い方があります。知識は力なりと私たちは言います。十分なリソースがないとしても、例えばこの一般の人たちに知識をつけることができれば、そしてそういった人たちが、どのようなチャンスが自分たちにあるのか、そのチャンスにどのようにアクセスしていくのか理解できれば、それは一歩前進したことになります。でも多くの場合、どうしたらいいかわからない。家の外に出ない、あまり人に会ったことがない、日の光を見たことがないという人たちもいます。このようなことに対処するのに、リソースは必要ないでしょう。地域のボランティアの人、地域の人たちが対応できるのではないでしょうか。

ですから知識をきちんと共有し、知識をお互いに与え合って、私たちが道筋を示すことができれば、スタートすることができます。もちろん私たちでグループとして組織作りをし、訓練を実施する人材を投入することができます。グループでどう活動するのか、どうやって予算を管理するのか、マイクロファイナンス(少額融資)をどう行うのかということなど、範囲は広いのですが、訓練をします。なによりもまず知識が出発点です。そして知識があれば、すべては変わってきます。知識は力なり、です。

 

高嶺 つまり、優先順位をまず障害者に与えるのでしょうか。まず順序としてはどういうふうにしてやっていくのですか?

 

チャパル 障害当事者の方と家族を一緒に扱っていきます。というのは、途上国では障害者の人たちと家族を分けるということは難しいからです。特に重複障害、脳性マヒ、知的障害の人たちに関しては、家族なしでは何もできません。賢明なやり方として、次に私たちがよくやるのは、学校とか病院、村の公民館など公共の場所で、当事者と家族を一緒に扱うことです。そうすると周りの人たちが、その状況を目にするわけです。ということで知識が広がっていく。そして当事者と家族の人たちの能力開発ができれば、次の段階は地域社会ということになります。

でも、そうしないですぐに地域社会から始めたのでは問題が生じてしまいます。上からの押しつけになるからです。これで明確な説明になっているでしょうか。質問の答えとしてはどうでしょうか。

 

CBRガイドラインが目指すこと

WHOは、ILO、UNESCOとともに、2004年にCBR合同政策指針を作成しました。その中で明言しているのは、CBRは機会の均等を促進し、平等の権利を実現すること、そして最も重要なこととして、CBRは貧困削減のために取り組まなければならない、ということです。2004年、WHO、ILO、UNESCOは、CBRは貧困対策をすべきであると初めて認めました。そうするとそれはどうやるのかという質問が出てきます。言うは易しですが、実際にはどうするのか、と。そこで、ここ4~5年の間、私たちはどうやってそれをやるのかという方法に関するガイドライン作りに携わってきました。ガイドラインを見れば、たくさんのアイディア、方法が示されています。

 

さて、どこから始めるのかという出発点ですが、世界はいろいろに分かれています。医療モデルを促進している人もいれば、社会モデルを推進する人、そしてまた人権モデルを一生懸命進めている人たちがいます。それから、今日乗ったバスを明日は乗り換えるという人もいます。今日は医療モデルで、明日は社会モデル、そしてあさっては人権モデルというふうに乗り換えていく人もいるでしょう。そうすると、そのまた次の日はどうなるのかわからない、全く別のモデルが現れるかもしれない。

このようなことに異論を持つある大規模なドナー機関の人が私に言いました。医療モデルも見た、社会モデルも人権モデルも見てきたが、まだ農村では自殺者が多いではないか、と。障害者は相変わらず最貧困層ではないか、と。ですから、必要なのは包括的なモデルなのです。そして、それは柔軟性があり、いろいろな状況、いろいろな現実に対応できるものでなければいけないのです。

私はスライド(図3)に「%」という記号を入れています。医療の下にも、社会の下にも、人権の下にも「%」の記号を入れています。ただ数字は入れていません。というのは、この「%」は、状況によるからです。さらに、障害の種類にもよります。四肢マヒの障害をもつ女性は視覚障害または聴覚障害をもつ人よりもっと多くのケアが必要でしょう。しかし多くの場合、私たちは包括的な全体図を忘れて、1つの方向だけに進んでしまいがちです。

障害のモデル図(図3)

タンザニアやケニアでは、脊髄を損傷してしまうと長くても2年間しか生存できないと、人は言っています。そして、2年以内に亡くなってしまうのです。その原因は、社会モデルだとか人権モデルではないのです。尿道感染を起こしたり、床ずれになったり、または全く治療が受けられないことなどが原因で亡くなってしまうのです。世界は非常に多様で、複雑です。一方向だけのアプローチを取ると、自分自身でバリア(障壁)を作ってしまうことになります。

 

さて、CBRガイドラインは全体的な幸福を進めていくものです。今、私たちは、全体的な幸福ということについて話しています。「健康」ですが、WHOは身体的・精神的・社会的に幸福な状態であると定義しています。身体的・精神的・社会的な幸福というのは、お金がないと実現しませんし、失業していたり、所得がない、全く何もない状態では実現しません。また教育を受けていなければ幸福を持続することはできないでしょう。

WHOではポリオ、ハンセン病など多くの病気の撲滅という問題に直面していますが、今は行き詰っています。人々に、所得がない、非常に貧困な状態に置かれている、教育が受けられないという状況があるためです。そういう場合ですと予防接種の価値をわかってもらえません。いまだに行き詰っている国があるのですが、私たちは何もすることができません。今、CBRガイドラインの全体の幸福ということをお話していますが、保健、教育、経済的な生計、少なくともこれらの3つの分野はともに連携しなければいけません。開発セクターはすべてインクルーシブになってほしいのですが、とりわけ中でも特に、少なくとも保健、教育、そして経済レベル、もしくは社会福祉であれ何であれ、これらの分野が協力して全体的な幸福を実現していくということを、今日から始めたいのです。

地域に根ざしたインクルーシブ開発は真のインクルーシブ開発を進めていくべきです。つまり、全ての人がこの開発の中に関わっていくということです。首都の人たち、大都市の人たちだけではいけません。障害者運動があっても、その指導者の多くは中央とか大都市出身者が多く、農村や草の根レベルからの出身者はあまりいません。私たちは真のインクルーシブを実現したいのです。そして、プログラムが全国的に実施されて初めて、真のインクルーシブが実現されるのです。

CBRマトリックス表の意味

CBRガイドラインには、CBRマトリックス(図4)という枠組みがあります。CBRマトリックス表とは、これを使ってCBRガイドライン全体の道案内をしていくものです。これが地域に根ざしたインクルーシブ開発の枠組みとなります。

CBRマトリックスの図財団法人 日本障害者リハビリテーション協会訳(図4)

 

マトリックスは5つのコンポーネント(領域)からなっています。ちょうど皆さんの手が5本の指からなっている場合と同じです。保健、教育、生計、社会、エンパワメントです。エンパワメントが中心になります。障害者、家族、地域のエンパワメントが、あらゆるCBRプログラムの中心核となって、保健、教育、生計、社会の4分野をインクルーシブにしなければならないのです。そこで初めてインクルーシブな開発が実現します。

このCBRマトリックスは作成に4年間要しました。助言、相談を経て実現しました。ガイドラインでは、すべての章で方法について言及しています。このマトリックス表を見せますと、多くの組織から「これ全部をすべてやらなければいけないのか。それは無理だ。」という反応があります。私は、全部やってくださいとお願いしたことはないのです。私のポイントは、皆さんが何をしているのかということは重要ではない、ということなのです。医療または教育の分野で働いていたり、または生計の分野に取り組んでいたり、社会的保護だけをやっていても、リハビリテーションをやっていても、何をされていてもいいのです。ただ、他のものは誰がやっているか、それを見つけてほしい。そして、その人たちとパートナーシップを築くようにしてほしいのです。

自分たちだけではすべてをすることはできません。いろいろな人からの要求は、1つの箱には収まりません。障害のある人は人間です。保健も、教育も、所得も必要ですし、社会も必要です。障害者も我々と同様です。ニーズは同じです。たとえば保健分野だけに特化して貧困の対策ができなかったら、すべての障害児が学校に通うということが実現できなかったら、私は自分の仕事で成功したとは言えないでしょう。最高のヘルスケアがあったとしても、うまくいかないということです。だから、WHO、ILO、UNESCOが一緒になっているのです。少なくともいろいろな国々で、保健、教育、労働省などが連携できれば、多くのことを達成できるのです。

障害者の権利とCBR

さてCBR、そして権利と開発ですが、障害の分野、また発展途上国の世界では、あるグループは開発を重視し、また別のグループは人権を重視しています。そしてその両者間の連携が非常に悪いのです。そのようなわけで、ミレニアム開発目標には、障害が含まれていませんでした。このミレニアム開発目標の中に障害を含めるという重要性を十分に理解していなかったのです。

私たちにとっては、権利条約、開発、CBRは全部相互に結びついているのです。1つだけでやっていけるというものではありません。権利条約は、政策及び法的枠組みを規定しています。そしてCBRは運用方法論を規定しています。CBRはこれからはさらに良い実践ができるようになるでしょう。それは権利条約があるからです。法律ができたからです。つまり、障害権利条約を批准した国は、それを守るべく努めなければいけないという義務があるからです。その実現方法として、CBRは1つのモデルになります。CBRは、MDG(ミレニアム開発目標)及びPRSP(貧困削減戦略文書)、さらに同様の開発イニシアティブをインクルーシブにするための戦略です。つまり私たちは、すべての開発セクター、特に主要なセクターをインクルーシブにしたいと思っているのです。2009年12月の国際障害者の日に、CBRは行動のための重要なツールであると表明されました。つまりCBRは行動のための重要なツールとして、政策と実践の架け橋となるという宣言がなされたのです。

そしてスティービー・ワンダー氏に大使の役割が与えられました。この写真(写真8)に、国連の事務総長がそれを発表している様子が示されております。大いに認められたということです。いろんなところでその歌を聴くことができる、有名な方です。この役割はスティービーさんの障害にではなく、能力に対して与えられたのです。

国連の事務総長がスティービー・ワンダー氏に国連平和大使の役割を与えると発表している。(写真8)

インドの事例1

私はいろんな理論についてお話をしました。こういう理論というのは非常に抽象的だし、とても無理だ、私が言っていることはいい加減なことなんだというふうに思われるかもしれませんので、具体例をご紹介することにしました。CBRというのは変化の1つの例です。さきほど、変化の担い手であると申し上げました。

さて、1人の個人をご紹介しましょう。その地域社会全体が変わったという1つの例です。地域社会を作るのは個人です。多くの場合、1人の人から始めて、その地域全体が変わるということがあります。先ほど高嶺さんから、一体どこから手をつければよいのかという質問がありましたが、それに対する答えになると思います。

CBRプログラムは自立を望む若い女性のグループを見つけました(写真9)。みんな若い女性でした。村に住んでいる人たち、インドのバンガロールのスラム街に住んでいる人たちです。みんな何かしたいと思っていました。もう家の中にじっといるのは嫌だ、家の中で家事だけしているのは嫌だと思っていたのです。彼女たちの多くは家族にとって重荷でした。

自立を望む若い女性のグループ。彼女らはインドのバンガロールのスラム街住んでいる。(写真9)

三重苦と私たちは呼んでいます。女性である、貧しい、そして障害者である、この3つの重荷です。そのうちの1人がノーリさんです。この真ん中の女性です。ノーリさんに注目していきましょう。みんな、まさにハリウッド映画になりそうな経験をしています。私も彼女たちから多くのことを学びました。この右端の女性は、今はイギリスで専門家として働いています。皆さん、想像できますか。バンガロールのスラムからイギリスで働くようになったのです。これを私たちは発展・開発と呼びます。

ノーリさんは、保守的なイスラム教徒の家庭に生まれました。4番目の子どもでした。8人の兄弟がいますが、障害者ではありません。インドの家庭ではたくさんの子どもがいます。ノーリさんは4番目の子どもで、スラムという貧しい環境で暮らしていました。親は学校に行ったことがなかった。ノーリさんは小児マヒに罹りました。

ノーリさんは、11歳で初めて、地元のウルドゥー語の学校で学校教育を受けることになったのですが、学校まで遠かったということと、家族からの圧力があったため、長く続けることはできませんでした。何しろ家族が抱えて通学させなければいけなかったからです。日払い賃金の仕事をしている親にとっては、なかなか難しいことでした。いずれにしても、娘には障害があるから将来はない、教育を受けさせて一体何になるのだ、どこまで進めるのだ、教育を受けた後も家にいて家族のために食事を作るしかないのだろうと、家族の人たちは思ったわけです。

家族もまた、障害をもつ娘を育てることに苦しんでいました。なぜこんな子を神は与えたのかと不運を嘆くばかりでした。家族を養っていくだけでも大変なのに、何で障害をもつ娘が生まれたんだと思ったのです。彼らが唯一考えていたのは、娘が政府から障害年金を受給できるようになればいいということぐらいでした。政府から障害年金を受けて、ずっと家にいて、まあ食事の世話でもしてくれればそれでいいと思っていたのです。

 

そして1997年、彼女は自立を望む女性たち8人のメンバーの1人として選ばれて、義肢装具士の研修を受けることになりました。このプロジェクトを組織したモビリティ・インディアは、バンガロールの町の中に家を借りて、女性たちが研修期間中そこに住めるようにしました。ヒンドゥー教徒、イスラム教徒、キリスト教徒、いろいろな宗教の人たちがそこで共同生活をすることになったのですが、問題も緊張もまったくありませんでした。信じられますか。

しかし1999年、モビリティ・インディアは、家を引き払いました。女性達が収入を得始めたからです。全員、家に戻ったのです。彼女たちが共同生活をしている間の最初の2年間は、家族は全く娘たちのことを気にかけませんでした。問題が自分から去ったということでほっとしていたのです。でも、娘たちが収入を得ることができるようになるやいなや、引き取ったのです。6か月ぐらいの間に家を引き払うことになりました。6人、4人と減っていき、誰も住む人がいなくなったからです。家族が引き取ったのです。収入があるなら戻ってほしいというわけです。彼女たちはかなりの収入を得るようになっていました。

1999年にモビリティ・インディアは彼女たちに1万5,000米ドルを融資しました。彼女たちはこれを4年間で完済しました。この融資でビジネスを始めることができました。トレーニングを受けてビジネスを始め、4年間ですべてのローンを返済することができたのです。そして現在ではそれ以上の残高を銀行に持っているのです。今、彼女たちは不動産を購入して自分たちのワークショップを持ちたいと考えているところです。

ノーリさんも他の女性たちと同じように着実に収入を得ることができるようになりました。そして2001年にムバラク・アリさんと結婚しました。

8人の障害のある女性全員が、障害のない男性と結婚しました。途上国では非常にまれなケースです。つまり障害のある女性は結婚するとしても相手は障害のある男性というのが一般的なのです。こちらに写真(写真10)が出ていますが、2人には2002年に息子のアシフが生まれました。そして2004年、それまでひどい状態で暮らしていたのですが、お金ができましたから、家を改修しました。彼女は言いました。「自分自身の家族ができました。親戚や兄弟、そして地域の人から尊敬されるようになりました」と。いまや、コミュニティの人たちは、障害のない人たちに比べてノーリさんのほうがずっと豊かな生活をしていると見ています。はい、ご質問をどうぞ。

障害のない男性と結婚した障害のある女性とその子ども、インド(写真10)

上野 ありがとうございます。とてもおもしろい事例ですね。1つ質問があります。この8人の女性ですけれども、共同生活をしたということですね。でもそれまでずっと家にいて、十分な教育を受けたことがない人たちが、義肢装具士の研修を受けたのではないかということですね。つまり教育がないのに、いきなりこの研修を受けるというのは難しかったのではないかと思うのですが、この人たちに義肢装具士の研修以外に教育したのですか?

なぜ女性を対象としたのか

チャパル とてもいいご質問ですね。ありがとうございます。

 

高嶺 関連で質問しますが、なぜ、女性に研修を実施したのかという説明はなさいませんでしたね。なぜ女性なのですか?

 

チャパル まず最初のご質問への答えですが、この8人の女性たちはそれぞれある程度の教育を受けていました。すごく受けていた人もいれば、あまり受けてない人もいました。ですから一緒に暮らしている間にお互いを助けることができました。

ある日、トレーナーがノーリさんに腹を立てたことがありました。ノーリさんが計算を間違えたからです。全て注文生産なのに、きちんと計測しなかったのでうまくいかなくなったのですね。トレーナーが「他の7人はいいけれども、この子はダメだ」と腹を立てたのです。このような苦情は毎日のように来ていましたが、彼女たちの教育レベルが様々なので、私はそれは覚悟していました。そこでノーリさんに率直に言いました。「7日間でよくできるようにならなければ、もうあなたは続けられない」。でも8人の中で彼女が一番辛抱強かったんですね。一番強い女性でした。7日の間、夜も寝ないで一生懸命勉強したのです。そして8日後にきちんと測れるようになりました。ですから時にはきちんと言う必要があります。専門家として毅然とした態度をとることによって、隠れた才能を引き出すことはできると思います。

彼女たちはグループで、資格のある義肢装具士を先生として雇いました。そしてそこでアシスタントとして働いたのですが、同時にマネージャーでもあったのです。自分たちのワークショップですから、決定は自分たちが行いました。どの義肢装具士を雇うのか、いくら払うのか、彼女たちがイニシアティブをとって決めることができるのです。

 

次もとてもいいご質問だったと思います。何か研究をする、特に途上国で調査をすると、利用者の数は男性の方が多いということに気づくと思います。この義肢装具士の仕事をご存じだったらよくおわかりになるかと思いますが、いわゆる計測をする人と計測をされる人たちとの間に、非常に緊密な関係が生まれます。小児マヒの若い女性たちは、15~6歳ぐらいまで義肢装具は使ったけれども、その後は、男性の義肢装具士に体に触れられるのが嫌なので、もう使わなくなったと言っていました。ある女性は55歳になって初めて女性の義肢装具士に出会ったと言っていました。インドでは多くの場合、義肢装具士の世界は男性中心でしたので、女性の場合には義肢装具を使うことができなかったのです。宗教や文化によっては異性に体を触らせることが禁止されています。そこで私はその流れを断ち切りたいと考え、女性たちが義肢装具士として働くようになれば多くの女性が計測を受けに来る、そのようなモデルを示したかったのです。ワークショップ利用者のリストを見ると、男性と女性の比率は55:45ですが、政府関係のところでは80:20です。

また、ノーリさんは1997年当時、何と言っていたでしょう。私たちの文化においては、女性の能力開発になかなか投資はされない。つまり結婚してしまえば仕事を辞めてしまうので、あるいは結婚すると家族を離れてしまうので収入源がなくなってしまう、と言われていました。例えば、5人の女性が欲しければ10人の女性を訓練しなければならない、5人は辞めてしまうから、と言っていたものです。女性は仕事を覚えてもいなくなってしまう、結婚して辞めてしまうと言われていました。1997年、ノーリさんは「私たちは貧しくて、教育もなくて、障害をもっている。誰が結婚してくれるのだろうか」と言っていました。しかし2003年になりますと、「男性のほうから私たちのところにやってきて、結婚するようになった。これは私たちが収入を得るようになったから。私の収入は夫よりも多いので、夫は私の仕事を辞めさせられない。」と言いました。そして2008年、ノーリさんは家を修理したし、息子は学校に通っています。これこそが発展・開発であり変革です。ノーリさんは自分の子どもに教育を受けさせることの意味を、ノーリさんの父親よりもよく理解しています。

あと2つの例があります。ご質問、どうぞ。

地域社会の関わり

会場 ノーリさんの実例を見せてくださってありがとうございます。1つ質問があります。ノーリさんのコミュニティが、この取り組みにどのように関わったのでしょうか。そして地方自治体、地域社会がどのようにこの実例に関わっていたのでしょうか?

 

チャパル 最初は難しかったです。イスラム教の文化においては、女性が家やコミュニティの外に出て行くということについては多くのタブーや障壁があります。ですから当初はコミュニティはそのようなことを好ましく思っていませんでした。大変長いプロセスを要しましたが、短くお話ししますと、地域社会が関わるようになり、理解してくれるようになりました。あるコミュニティのメンバーは、彼女が訓練を受けているところを実際に見に来ました。女性によって訓練されているのか、男性によって訓練されているのか、わざわざ見に来たのです。ですからなかなか理解を得るのは難しいのです。

このコミュニティのメンバーの多くは自助グループのメンバーです。CBRプログラムが地域で行われていましたので、まだ、このコミュニティには理解がありました。ですので、だんだん地域社会が参加するようになりました。そしてノーリさんが、また他の少女たちが、女性たちが恩恵を得るようになって、その恩恵が地域社会にも及ぶようになるのだとわかってから、地域社会がより関心を持つようになりました。

また、地方自治体も、ワークショップのこととか、家の建て替え、その他の活動など、時に財政面での協力をしてくれるようになりました。ですからインセンティブもあります。毎年何かの記念日があると、地方自治体の役人に記念式典に参加してもらいます。すると役人は、なんらかの約束をしてくれるのです。今、彼女たちは、自分たちのワークショップを持てるようにと、土地を探しています。現在の場所は借りているからです。ノーリさんがここで訓練を受けても、彼女の町が彼女に対して不信感を持っていれば、なかなか自分の町へ戻ることができなかったということになります。ですから地域社会によって理解される、受け入れられるということが非常に重要です。

日本の事例

日本でも地域に根ざしたインクルーシブ開発が行われています。熊田さんがいらしてくださって非常に嬉しく思います。もし私が間違ったことを言ったら直してください。

次の話は私が学んだことです。福島県に泉崎村というのがあります。村長さんによると、この地域の経済は非常に悪く、そして地元の経済は低迷していて、実際に7億円という負債も抱えていたということです。人々は、いい仕事を求めてこの村から都市へと移り住むようになって、村にはリソースがなくなってきました。負債も抱えていますし人々は都市へ行ってしまったのですから。この村の主な産業は農業でした。村の人たちは変化を求めていたのです。ということで、村民には共通の原動力がありました。つまり、貧困であり、人々が都会に移住して行き、十分な収入もなかったということで、「何とかしなければ」という認識があったのです。そして自分たちがもっとも得意とする農業によって、この貧困を脱却しようとしたわけです。例えばITであるとか情報通信技術であるとか、ナノテクノロジーなどという、いきなりそういうことはしなかった。やはり農業が一番なじみがある、なにをどう栽培すればいいかわかっている、それを生かそうとしたわけです。

そして何をしたか。熊田さんがいらしていますけれども、いくつかのワークショップを行いました。コミュニティ作り、ネットワーク作りについて多くのワークショップを行って、コミュニティのメンバーの能力開発をしました。それから村の外からリソースパーソンと呼ばれる人たちを招きました。何か大きなことをしようとしても、例えば野菜の売り方などについても、協同組合の知識もなければ大きな経済を運営する知識もない、小さな規模での経済の経験しかないということで、村の外から専門家を招いて村民の能力開発をしました。

 

2002年、NPO「こころん」が設立されました。これは泉崎の村民のよりよい生活の質を確保するためです。結局何が目標だったかと言うと、よりよい生活をすべての村民に提供することでした。ということで、村民が一丸となって変化を起こそうとしました。そこでこの事業、NPOを始めたのです。これは、利益のためではなく、貧困から脱却するための事業です。

日本は大変豊かな国で貧困の問題、借金の問題はないと誰もが思っています。アメリカは12兆ドルの借金を抱えています。表面と内情は違っているのです。そこで「こころん」では、地元のスキル、つまり主要産業である農業を活用しようとしました。ナノテクノロジーなどということにいきなり飛躍するのではなくて、自分たちが最も得意とする、よくわかっている産業である農業を活用しました。「こころん」はカフェや販売店、移動販売を始めました。農家の人たちが生産したものを「こころや」という名前のもと、商品として販売しました。農家の人たちが「こころや」に農産物を委託して、そこでビジネスをしてもらうという仕組みになっています。

また「こころや」は地域の人たちがよく集まる集会所ともなりました。村の人たちは、夜になったら、例えばビールを1杯とか、お酒を飲めるような集会所を持ったわけです。そこでいろいろな悲しみ、楽しみ、喜びなどを分かち合っています。集会の場、交わりの場ができたということです。

こちら(写真11)が「こころや」の写真ですが、レストランもあります。やがて泉崎村の経済が改善し始めました。村長さんがいろいろ説明をしてくれたのですが、村長と地域のリソースパーソンが「こころん」の発展に寄与したということです。とても悲しいことですが、村長さんは残念ながら昨年亡くなられました。この村長さんが本当に心からこの活動を支援してくれました。本当に心から何かをすると、それは実を結ぶものなのです。

こころや。福島県泉崎にあるカフェ・レストラン(写真11)

このスライド(写真12)の真ん中にいらっしゃる方はお医者さんです。特に精神保健を専門とする女医さんです。このお医者さんは、コミュニティの普通の人のように、村民と同じ視線でいます。発展途上国ではこういうことは難しい。専門家は自分たちは村民よりはるか上の存在であると考えているからです。彼女は「こころん」の発展には障害者、特に、社会の主流から取り残されている精神疾患を持つ人たちにも参加してもらうべきであるとグループを説得しました。

こころんの活動に参加している精神科の女医(写真12)

彼女はそういう人たちの権利の擁護者です。「こころん」に対してこのお医者さんは、「私たちはうまくやっているけど、では障害を持つ人たちはどうなのですか。主流から取り残されていますよ。どのように彼らを、この『こころん』プログラムの中に取り込んでいきますか。」と言ったのです。このように地元で熱心に擁護する人たちが必要なのです。

昨日中村さんからお聞きしたのですが、アブ・アーナスという人がシリアにもいて、やはり地元で中心となって活動しているそうで、この女性のお医者さんも、中心となって変化をもたらそうと熱心にやってくださったのです。精神障害者とその家族に対してのカウンセリングも行うようになりました。また、コミュニティの中に彼らのための入居施設も作りました。コミュニティの外ではなく、中に作ったのです。必要な技術が学べるようにし、柔軟な勤務時間制度を導入しました。安心して暮らせるようにしました。入居者に、何が本当に大きな変化を起こしたのかと質問すると、自由な勤務時間が非常にありがたかったと、言っていました。状態が悪くなったときには家に帰れるので、時間が柔軟であるからこそ、仕事を続けられることができた、ということでした。

また、「こころん」の全体的な地域開発イニシアティブにも障害者を取り込みました。地元の酒造メーカーも、精神障害を含む障害者を雇用しています。みんなが開発全体の一角を担っているのです。これがこの地域社会に根ざしたインクルーシブ開発ということです。

開発がコミュニティに根ざしているということは、そのコミュニティのすべての人たちが関わっているということなのです。どのようなCBRを目指すかというときに、この泉崎村の例は成功例として非常に良い例になります。地域に根ざしたイニシアティブの成功例としてCBRガイドラインで取り上げるつもりです。「こころん」は開発を地域に根ざしたもの、かつインクルーシブなものにしました。障害のある人もない人もともに生き、障害のある人を差別隔離することはしないという取り組みです。障害のある人もない人も、ともに生きてよりよい質の生活をして、尊厳を持って生きられるようにする、これは権利条約でもうたっていることです。この「こころん」は知らず知らずのうちにまさにそれを実行したのです。

変化は可能です。私は変化を信じています。コミュニティが主体になれば、変化はより適切に、より持続可能になります。もしこの変化が外部から主導されるものであれば、決して持続はしないでしょう。適切にもならないでしょう。そういった意味で私はいくつか過ちを犯しました。そして過ちを通して、いろいろな教訓を学びました。私は自分が何でもよく知っていると思っていましたが、でも実際に一番よく知っているのは地元の人たちなのです。地元の人たちこそが自分たちの問題をよくわかっており、解決方法をわかっています。解決の手段は持っていないかもしれませんが、地元の人たちのほうが解決方法をわかっているのです。

ということで、日本、インドと例を挙げてきましたが、また別の実例についてお話しします。

インドの事例2

チャマラジャナガーはインド・カルナタカ州の最貧困地区の1つです。ここはバンガロールから車で5時間のところです。バンガロールはシリコンバレーと言われていて、たくさんのお金が集まるし、ライフスタイルも高級です。でもそこから5時間、わずか250キロしか離れていない場所は別世界で、そこの人たちは貧しく、貧困とともに生きています。

「こころん」が始まったところと似通っているということで、この例を持ってきました。一般の人たちの生活の質、特に障害者の生活の質は非常に悪いものです。すべての人が貧しいのです。ということは、非常に劣悪な環境にいる障害者の生活の質は更に悪いということを想像していただけると思います。

ここでも主たる収入源は農業です。畑で米とかサトウキビなどを育てています。障害児の大半は学校に通っていません。障害者には収入源がありませんでした。子どもたちは村にとどまっていました。モビリティ・インディアはこの地で「地域に根ざした開発」の考え方に基づいたCBRプログラムを開始しました。教育と生計手段に重点をおいた活動を始めたのです。

大きな主な問題は何だったか。障害児が就学していないこと、障害者に収入がないことでした。ということでCBRのプログラムの中心は、障害児の就学を進めること、および障害者に収入をもたらすことでした。

スライドの写真(写真12)の女性ですが、彼女はCBRワーカーです。障害があるために大きな問題を抱えていました。カバンが持ちにくいのです。そこで地元の子どもたちが自転車を使ってそのカバンを運んであげていました。CBRワーカーとその地域のメンバーの関係についてこのような光景を目にするのは非常にいい気分です。みな地元のコミュニティ出身者であり、地域に属しているからそういう関係である、ということです。そして、お互いの問題を共有しているということの表れだと思います。

障害のあるCBRワーカーの女性。カバンを持ちにくいため、地元の子どもたちが自転車で運んであげている。(写真12)

問題を克服するために、まず障害者をまとめて、能力強化を図りました。訓練はもっぱらベンキーさん(ベンカテシュ、Venkateshさん)が実施しました。プログラム自体がベンキーさんの考えた産物です。ベンカテシュさんは視覚障害者で、障害運動の活動家であり、インドの「障害と開発アクション(ADD-Action on Disability and Development, India)」の創設者でもあります。多くの組織に対する訓練、エンパワメント、貧困、障害のために尽力をされてきました。この地区では100以上の障害者の自助グループが結成されました。大きな地区です。障害者自助グループの連合組織さえ結成したのです。子どもたちには就学の機会を、大人たちには何らかの収入を得る機会を創りました。

地元の地域社会では、特にリーダーにはインクルージョンと参加を促進してもらうことが必要です。それによってインクルーシブな社会が実現してきます。障害児は地元の学校に通うようになり、障害者の自助グループは、このような(写真13)タクシー、トゥクトゥクと呼ばれるようなもので、リキシャですが、これを運営するようになりました。その収入で自分たちのプログラムを続けているのです。つまり収入がそのプログラムの継続を可能にしているということで、外部からの資金供給に頼っているのではないということです。

障害者の自助グループが運営するタクシー・トゥクトゥク(写真13)

収入を自分たちで生み出し、その収入で障害児、障害者のニーズを満たしているのです。

トイレ・プロジェクト

チャマラジャナガーは、貧困と啓発不足のため、多くの家庭にはトイレがついていません。信じられますか。多くの人たちは自宅にトイレがないのです。信じがたいことですが、現実です。そうすると、村の人たちは畑に行く。自宅から離れていることが多いのですね。見られないようにするのです。障害者、特に女性にとって、これは非常に深刻な問題でした。

水を例として考えてみましょう。全く違う目的でCBRを実施しに行ったCBRワーカーが、コミュニティや障害者の家族とやりとりを始めると、1人の女性から「トイレを作ってもらえますか。私は他の人のように外に行くことはできないのです。大人になった今、外に出るのは私にとって難しい状況です。」と言われたのです。

森林破壊も多く起こっています。昔は木の陰に隠れることが出来ましたが、森林が伐採されていますので、トイレのために隠れることができません。ということで、昔と現実は全く違ってきています。そしてこちらの男性(写真14)は三輪車いすに乗っていますが、恐らく10年前、20年前に手に入れたのでしょうが、お孫さんがそれを押して、お家から連れ出しています。トイレに行くことができるようにということです。これは介助の1例であり、実際に補助具がどう活用されているかという例になります。

孫が三輪車イスを押して男性を外に連れ出している。(写真14)

さて、国連によりますと、昨年、世界ではおよそ26億人が基礎的な衛生設備を利用できない状態にあるということです。つまり、世界の人口の3分の1が自宅にトイレがないのです。私たちはまず自宅には最初にトイレを作りますよね。2008年を、国連は世界衛生年として宣言しました。このような「世界の年」がありますと、その内容が何であれ、政府は関心を持って活動をし、何らかの成果を生まなければいけないと考えます。

2008年、インド政府は、特別活動を推し進め、総合衛生キャンペーンプログラムを導入しました。そのプログラムは農村地域での衛生設備の確保を目的としていました。農村地域ではトイレ1基のコストが、アメリカドルで150ドルから200ドルします。非常にシンプルでベーシックなトイレが、1基、150ドルから200ドルぐらいで設置できます。政府は、「よろしい。トイレを設置するなら、政府が25%の助成金を出しましょう。」と言いましたが、実際に利用するための資金を得る手続きというのは非常に面倒でした。

そこで、CBRの人たちは政府と交渉して助成金を容易に入手できるようにしました。さらに、運動をして警鐘を鳴らし、トイレのメリットを理解してもらおうとしました。トイレが家になければ、家族の健康を損ねてしまう、家庭に病気が入り込む、と説明したのです。いろいろなポスターを作ったり、路上劇を行ったりして変化をもたらそうとしました。CBR活動は、教育、所得創出、ある程度のリハビリテーションに重点を置いていたのですが、政府の総合衛生キャンペーンに協力して、トイレのプロジェクトにも関わるようになりました。トイレこそ主な問題だったからです。かなりの啓発キャンペーンを行って、トイレの重要性と必要性についてコミュニティの理解を深めました。

人は家庭にトイレを持つことのメリットに関心を持ち、理解し、また、全体の健康状態に及ぼす影響があるということを理解するようになり、障害者とその家族がこの状況を最も歓迎しました。地域の障害のない人たち以上に大歓迎だったのです。障害者の人たちにとっては、遠くまで行くことが出来なかったため、最大の問題だったからです。トイレのために三輪車いすで自宅から1キロも移動しなければならなかった人が、プロジェクトのおかげで、今は自宅にトイレが出来たのです。

自助グループとモビリティ・インディアが協力して、資金の残りを活用することにしました。政府側から25%の拠出があり、自助グループがある程度の資金を拠出し、モビリティ・インディアも資金を拠出するということで、簡単な車いすが利用できるトイレを設置し始めました。そして、1年のうちに50基の車いす用のトイレができました。今もその製造が続いています。政府が割り当てを増大しました。これは成功という結果が出ているからですね。ということで、政府は、この割り当て分を多くして、アクセスを改善しようとしています。以前は助成金を得るためには10人の署名が必要だったのですが、今は1人の署名でもらえるようになりました。

障害のある人たちもすべてこの取り組みから恩恵を受けています。自宅にトイレができれば、障害のない人も自宅のそのトイレを使いますよね。障害者だけが使っているわけではありません。ということで家族のみんなも、恩恵を享受している。近所の人がトイレを設置したよ、じゃあ、利用させてもらおうということで、近所の人もメリットがわかって、自分のところにも作り始めています。このように、今、地域全体が自宅にトイレを作ろうという意識が高まっています。 

変化が可能ならば、地域社会が関わってこの変化を自分たちのものにすることができれば、変化はもっと迅速に、もっと適切に、持続可能なものになります。こちら(写真15)の自助グループは工事を監督しています。実際にメンバーが設置工事に携わっていることもあります。地域全体が関わっているのです。このような状態が続けば、もっと持続可能になります。自宅にトイレができて、女性たちが、今、村の中で一番満足しています。

自助グループのメンバーがトイレの設置工事の監督をしている。(写真15)

今後の展開

さて、こちら(図5)は今後のCBRに関しての重要な展開、節目です。

CBR今後の重要な展開の図(図5)

2010年、第2回CBRアメリカ大陸会議がメキシコのオアハカで予定されています。今年の3月3日からです。私はジュネーブに戻ってから、メキシコに行きます。

2010年、第4回CBRアフリカ会議があり、CBRガイドラインがナイジェリアのアブジャにおいて開始されます。皆さん、ぜひいらっしゃってください。できればぜひ出席なさってください。非常に規模の大きな会議になります。アフリカ全土から、また他の大陸からもCBRの実践者が集まります。そしてCBRガイドラインは10月27日に開始されます。

アジア地域では、2010年にマレーシアのクアラルンプールで、11月にCBRガイドラインが正式に開始されます。また、第2回CBRアジア太平洋会議がフィリピン・マニラで2011年に予定されています。2012年には第1回CBR世界会議がインドのハイデラバードかバンガロール、またはデリーで開催されます。今、地元の委員会が主催地を検討しています。2013年、コロンビアのボゴタでCBRカリブ会議が予定されています。これらが重大な節目ということで、皆さんぜひ参加して、いろいろな専門知識を共有していただければと思います。

 

ご清聴どうもありがとうございました。

 

熊田さん、ぜひこちらにいらっしゃってください。私が今お話ししたこと、どのぐらい間違っているのか、正しいのかということで確認していただけますか。

福島県泉崎村の「こころん」

熊田 こんにちは。「こころん」の熊田といいます。私は福島県の泉崎村でソーシャルワーカー、そして「こころん」の施設長をしております。2009年の3月に、マラトモさんはじめCBRの研究の方たちが、私どものほうへ見学されまして、私たちの実践を見ていただいたわけです。今、チャパルさんが話した中で、少し訂正のところがございますので申し上げたいと思います。

まず、自治体のほうからネットワーク作りに関するワークショップを実施したということではなく、自治体と私たちの法人は全く別の立場で展開をしております。たまたま泉崎村で私たちの事業を始めたいということで、村のほうへ私たちからお願いをして、村の土地をお借りして始めたわけです。私たちは地域の中で事業をするということで、CBRのモデルに大変似たような目的を持って事業を始めました。私たちの地域は泉崎村だけを対象にしたわけではなく、福島県の県南地域、当時は12市町村あったんですけれども、その地域全体を視野にした事業を始めたわけです。

泉崎村自身も当時は大変な負債を抱えた自治体として注目されていたわけです。その小林村長は、実は2009年10月に突然亡くなられてしまったんですが、その村長も一生懸命村の再建のために取り組んでおりました。私たちも地域の中で施設を立ち上げて、精神障害の人たちの施設というのが地域の中には全くありませんでしたので、そこでその人たちの支援を始めたわけです。

日本の場合は、途上国の事例とちょっと違うところは、経済的には政府の支援を利用できたり、やろうと思えば様々なことができる可能性が十分備わっていると思うんです。ですけれども、日本の場合の貧困というのは、差別と障害に対する偏見が非常に強いために、障害のある人たちが働けないというような現実があります。特に精神障害の方の場合は、能力は非常に高いにもかかわらず働くことができない。それはなぜなのかと言いますと地域の理解が非常に少ない。そのために外へ出られない。ほとんどの方は引きこもりの状態というようなところが、我が国の障害者の現実じゃないかなと思うんですね。

精神に限らず、障害のある人たちは、地域の中でとても肩身の狭い思いをして暮らしています。それから経済的にも、なかなか仕事がない、働くことができないために、周りの家族や、地域社会の中から差別的な目で見られ、さらにまたいじめられ、そういうような環境の中で育った人たちは、障害以外にさらにまた精神的な疾患というのを併せ持って、二重三重に苦しい、先進国特有の、障害者の生活というものがあります。

ですから私たちは、そういう人たちが社会の中で生活していくためには、社会全体を変革していくこと、日本の中でも障害をもつ人たちは精神的に貧しい生活を強いられているというようなこともあったので、地域社会を変えることを目的に、最初から事業を始めました。それで、地域社会のあらゆる人たちに参加していただいてワークショップをやったり、どんな地域の中での、どんな施設にしようかというところを、みんなで考えるというところから始めたわけです。

私自身は精神保健福祉士という職で、別な施設でも働いた経験はあるんですけれども、地域には、そういった専門的な人たちはいなくて。精神科医や内科医などの専門的な人たちは何人かおりましたので、そういう人たちも含めて地域の中から様々な人に参画してもらってNPOを作りました。

私自身も、経営能力もなく、そういう専門的な部分も非常に未熟で、自分自身に非常に不安と自信がなかったので、いろんな人を巻き込んでやっていきたいというようなところもあったんですね。ですけれども事業をやっていくうちに、だんだんと、そうはいかなくなり、やっぱり中心になっていく人が必要であり、責任を持ってやらなきゃいけないのではないかなというふうに、自分自身もちょっと変わってきたように思います。最初は私も1人の参画者として考えていたんですけれども、だんだんと、責任を持ってやらなきゃいけないないというふうな意識に変わってきました。

泉崎村も、一生懸命、財政再建に取り組んできた中で、借金の返済も進んで、村としても伸び率の高い村に、一緒に変わってくることができたことは、とても良かったのではないかと思います。

 

チャパル ありがとうございました。中村さんのほうからはどうですか? シリアでのご経験について触れさせていただきましたが、何かご意見はありませんか? やはり地元の擁護者が必要であると思われませんか。昨日は確かそうおっしゃっていましたね。地元の触媒のような人が必要で、そのプログラムを刺激してもらわないといけませんね。

 

中村 そうですね。今、熊田さんがそれに当たると思います。それからお医者さん、村長さんなどの存在がなければ、可能にならなかったと思います。

 

チャパル 一人ひとりが変化をもたらすことができるということですね。昨日もお話されていましたので、ここでちょっと話をしていただけますか。

 

中村 今日この後で、私、シリアのことについてお話をすることになっています。

 

チャパル では、高嶺さん、どうですか。コメントありませんか。

自助グループとインクルーシブ開発

高嶺 今、チャパルさんが紹介したSHGですね。セルフヘルプグループ(自助グループ)、インドのグループの中で、トイレの問題に関わって、村全体のトイレの数を増やす、そういう取り組みというのは、今、すごいなと思いました。これはやっぱり、今の、障害者のグループでも、村の発展と言いますか、そういう開発に関わっていくという、そういう姿というのが、やっぱり本来のインクルーシブ開発の重要なところじゃないかというふうに思っています。

実は今日午後、幸いなことに、同じインドのアンドラ・プラデシュ州、ですからカルナタカ州の隣の州、ほとんど障害者の活動は一緒にやられている地域なのですけれども、そこの発表がありますけれども、そこも、障害者団体、自分たちの自助グループの利益だけではなくて、地域の利益、例えば水が不足したら、そこに村の水の水源を、井戸を掘って、それに関してその自助グループからお金を出して、村のための水源を確保するとか、そういうこともやっていると聞いておりますので、必ずしも障害者だけの団体の利益だけじゃなくて村全体の、あるいはその地域の全体の発展も考えてやっている。そういうところがあって、今のインクルーシブ・ディベロップメントですね、そのへんの流れができているんじゃないか、そういう面で、今日のトイレのことなんかも聞いて、やっぱり、将来、こういう方向性があるのかなというふうに思いました。今日は、どうもありがとうございました。

 

チャパル ありがとうございます、高嶺さん。何か付け加えることはありますか。ご質問ですね。

 

会場 障害者の自助グループがあるということですけれども、質問があります。これは障害者だけで構成されるのでしょうか、それとも障害を持たない人たちもいるんでしょうか。CBRというのはすべての利害関係者、コミュニティのすべてのメンバーを含めるというふうに聞いておりますので。

 

チャパル 2つのレベルがあります。障害者とその家族で構成される自助グループというのがあります。障害という、人々を結びつける共通要因があります。しかしその他にもCBR委員会というのがありまして、地元のリーダー、政治家、村長、校長先生、銀行の頭取、経営者などが参加しています。これはCBR委員会と呼ばれて、また別のレベルです。 

必要なときにはこの委員会が支援しますけれども、やはりプログラムは、主に障害者とその家族によって構成される自助グループが主体となります。

 

会場 女性の自助グループあるいは障害のない人たちの自助グループはありますか?もしそのようなグループとの間に対立があった場合には、グループ間の利害の対立をどのように解決しますか。

 

チャパル 午後にインドのアンドラ・プラデシュ州の例の発表がありますが、その中では様々なグループ、自助グループ、女性のグループや障害者のグループがどのようにお互いに協働しているかというお話があります。

マイクロファイナンスのプロジェクトがあって、小さな努力が大きな資金を呼ぶというビジネスについての紹介もあるでしょう。このように自助グループというのは様々ですけれども、やはり最終的な目標というのは主流に取り込むということです。どの人たちも主流にならなければならない。しかし、主流になるためには能力が必要です。私たちは、障害のある女性が(障害のない)女性グループにすぐに参加するようにはしていないのです。ほかに選択肢が無ければそれでも結構ですが、通常は障害のある女性が多くいるときは、まず女性障害者だけのグループを結成して、その中で能力強化を図り、その後で女性グループに参加する、ということです。さもないとグループの中で力関係が働き、例えば30人の女性のグループで1人だけ障害のある女性がいたとしたら、その1人は威圧されてしまうでしょう。ですから能力強化とインクルージョンを同じように行わなければならないのです。一方を犠牲にして他方を成し遂げることはできません。ツイントラック戦略でなければなりません。 

最終目標については、アンドラ・プラデシュ州において、様々なグループがどのように協力し合っているかという事例が、午後に紹介されます。そのときに、よりよくお分かりになると思います。

CBRという名称

寺島 日本障害者リハビリテーション協会参与の寺島と申します。大変勉強になる話をありがとうございました。私も昨年のセミナーと今年と2回参加させていただいております。CBRの定義についてですが、最初は、発展途上国のためのものなのかなと思っていたわけですけれども、だんだんお聞きしているうちに、WHOのCBRの定義は非常に広くて、日本などの、いわゆる先進国でも適用できるような広い定義だということがわかりました。その内容は、村おこしのような考えと理念や方法論もほとんど一緒なので、そういうことを必要としている地域が日本にもたくさんあると思います。

しかし、どうして「CBR」という名前で呼ぶのかということが疑問になります。地域で、障害のある方を中心にした村おこしとかまちづくりとか、そういうような言い方をしたほうが、地域で受け入れやすいからだというようなことを以前にもお伺いしたように思います。そういうふう意味なら、日本でも同じではないかという気もするところです。先ほど示された図にメディカル(医療)、ソーシャル(社会)、ヒューマンライツ(人権)という3つのことがしめされていましたが、これは、すべて日本でも必要にしている地域があると思いました。そういう意味では、CBRによる取り組みを展開しようとしているWHOについていったほうがいいかなとか思ったり、いろいろ考えているところです。ただの感想です。どうもありがとうございました。

 

チャパル ありがとうございます。非常に長い議論があります。なかなかひと言でお答えすることができないんですが、プレゼンテーションでも言いましたように、私は名前なんかはどうでもいいと思っています。それよりも基本的な原則が、そこで生かされていれば、つまり全体として地域に根ざしたインクルーシブな形であればいいと思っているのです。でも、なぜ「CBR」と言い続けているかと言いますと、それは1つのブランドみたいなものだからです。HPLG、BPと言ってもわからないですよね。100人の人のうち50人にわかってもらわないと何の意味にもならないわけです。これまで30年かかって、やっと多くの国のいろいろな法律の中に「CBR」が導入されるようになりました。CBRオフィス、CBR部など、「CBR」があちこちで使われています。ここで他の名前を取り入れたりしたら人々の間に混乱を引き起こしてしまうでしょう。

例をお話しましょう。今日もスライドの1つで、いわゆる貧しい村で開発をするというプログラムが行われているという例を挙げました。イランの村で、ベーシック・ディベロップメント・ニーズ(BDN)というプログラムを保健省が始めたのです。これは健康と所得の2つが基本的なコンセプトになっています。保健省は、貧しければ人は健康にはなれない、飢えている人に抗生物質を与えることはできないということを認識したのです。そこで、まずは貧困を克服しなければということで、保健省はコミュニティの開発プログラムを始め、とにかく所得を上げることに資金を投入し始めたのです。医師たちも関わっていました。ところがすぐに医師たちは、これは思ったよりも複雑だということに気がついたのです。そこで名前を変えたわけです。それで、所得、生計の部分はなくしてしまいました。BDNをBHNにしました。ベーシック・ヘルス・ニーズ(BHN)として保健・健康に特化したのです。そうするとプログラム全体が崩壊し始めました。というのは、お金はない。貧困はある。では、どうやって保健・健康を実施していくのかということになったわけです。それで政府は再びプログラムを変えて、今度はCBIにしたのです。コミュニティに根ざしたイニシアティブです。そして数年後にSDHにしました。ソーシャル・ディターミナンツ・オブ・ヘルス(Social Determinants of Health「健康の社会的決定要因」)にしたわけです。

私が省に行くと、ある大臣が私に聞くのです、一体どこが違うんだと。「いろんな名前を使っているが、一体どこが違うのだろうか。私がわからないぐらいだから、村民はもっと混乱するに違いない。」と言うのです。もちろん私たちは生まれたらみんな名前をもらいますよね。けれども、その名前で私がしていることがわかるわけではありません。私たちは職業をときどき変えますけれども、名前は変わりません。だからCBRという名前は維持することにしたんです。「地域に根ざしたリハビリテーション」をあえて説明することもしません。リハビリテーションでも権利でも何でもいいのです。常識に基づいたアプローチでもいいのです。何をどういうふうに言おうといいのです。しかし、「CBR」は世界でこれだけよく知られており、この用語を根づかせるために多くのことが行われてきました。ですから、これを変えて混乱させるつもりはありません。ただ、国によっては違うこともありますね。最近日本では、「CBRネットワーク」ではなく「CBIDネットワーク」にすることに決定しました。それで結構だと思います。私は別に狂信的な宗教信奉者ではありませんので、何でもやっていただいて結構だと思います。人々が恩恵を受ける、人々を主流にする、みんながすべての開発イニシアティブにかかわる、これが出来るということであれば、皆さんに敬意を表します。

私たちはCBRという名前を変えるつもりはありません。もしかしたらCBIDが使われなくなり、別の名前が出てくるかもしれません。というのは、世界経済が変化を続けているからです。そして今世紀は、前世紀よりももっと変化が激しくなるかと思います。でも、CBRの名前についてはそういうことです。では、時間が来たようです。ありがとうございました。

 

上野 じっくりとインクルーシブ開発について、事例も交えてお話しいただきました。前回3月8日のときにもインクルーシブ開発のお話があったのですが、その時はよくわからなかった部分も、今回、事例を出していただいたことでイメージが沸いたという方も多いのではないかと思います。

まだ質問のある方は午後に質問の時間を設けますので、質問内容をゆっくり考えておいてください。それではこれで午前中の部は終了いたします。

午後の部

上野 それでは時間になりましたので、午後の部を始めたいと思いますが、始める前に、今日、スペシャルゲストが来られていますので、一言ごあいさつをお願いしたいと思っております。前郵政大臣の八代英太さんでいらっしゃいます。八代さんは、障害分野での国際活動に、大変ご尽力くださった方ですので、一言お話いただきたいと思います。よろしくお願いします。

 

八代 どうも皆さん、こんにちは。ただいまご紹介いただきました、八代英太と申します。今日はCBRの国際セミナーが、この戸山サンライズで開かれるということで、楽しみにいたしておりました。若干私の知り合いも、今日は講師で、マイクの前で報告をされるということでありますので、興味深く、皆さんとご一緒に勉強したい、このように思っております。

 

昨日、カナダで冬のオリンピック、そして一ヶ月後にはパラリンピックと開かれるわけですが、ちょうど開会式を見ておりましたら、友人と言うか、知り合いと言うか、リック・ハンセンという車いすの男が聖火の最終ランナーで点火をしておりました。あれを見ながら、非常にカナダは、言ってみれば、アメリカのADA(障害をもつアメリカ人法)以上に、その前から障害者が完全参加、地域の中に根ざしたそれぞれの能力を生かしながら頑張っているということを、彼から報告を受けたことがありますので、そういう思いで、国連の障害者の十年というものが1983年から始まりまして、今、我々アジア太平洋におきましては第2の10年、アジア太平洋の障害者の十年が、2012年で最終年ということになります。これは、もっともっと、今後のアジアのことを考えていきますと、ちょうどアジアも、非常に経済も力強くなってきておりますので、こういうときこそ、障害者の問題が、大きく政治の中でもクローズアップされなければいけないということを考えると、今まではホップ・ステップ・ジャンプの中のジャンプまででありますから、ホップ・ステップのところですから、ジャンプをさせるのは、もうあと10年延長することがいいのではないかという思いを私は持っております。

そういう意味でも、これからの障害者が地域の中で生きていくということに関しましては、まさにCBRを基本としながらの政策が、もうアジアはアジア流の福祉ということを考えましても、私はこの感覚が大変大事ではないかなと、こんなふうに思っております。

 

実は今、私は国会議員ではありませんが、総務省の顧問ということを命じられまして、週何回か総務省に行っております。総務省には、これは地方自治体を所管する省でありますので、そこで、地域主権、地方主権という新しい言葉の中で、地域福祉ということを主流に、今、私は議論に参加しております。私はかねてから日本に古い言葉がありまして、「向こう三軒両隣福祉」ということを、よく私が言っていたんです。「向こう三軒両隣福祉」、つまりこれこそがCBRの原点ではないのかなという思いを持っておりますので、これからも、日本も、それからアジアの各国も、農村なら農村のコミュニティを通して、あるいは町なら町、漁村なら漁村、いろいろなところに、こうした1つのモデル事業を日本もしっかりイニシアティブを取りながら、アジアの中でお手伝いすべきはしていかなければならない、そういうこれからのCBRを主軸とした地域福祉の時代だろうというふうに思っておりますので、今日のこのセミナーを通して、皆さんも勉強されまして、さらにアジア太平洋の十年を、さらなる延長も視野に入れながら、そしてアジアは1つ、アジアのそれぞれの地域性の中でも、特にCBRという基本的な感覚こそがアジア流の福祉であるという思いで、私流にCBRを言いますと、「しっかり、バンバン、ルンルン」社会を作ろうということの思いに立って、今日は勉強をしっかりさせていただきたいと思っております。

講師の皆さん、ご苦労様です。またご出席の皆さま方にもご苦労の言葉を添えまして、ごあいさつといたします。ありがとうございました。

 

上野 八代さん、ありがとうございました。