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■ 講演3
ラオス労働・社会福祉省政策アドバイザーとして、ラオスの障害者支援の経験から

厚生労働省社会・援護局総務課災害救助・救援対策室長 中村信太郎


沼田/次に、中村信太郎さんをご紹介いたします。

中村さんは現在、厚生労働省社会・援護局総務課災害救助・救援対策室長です。2004年7月から3年間、JICAの長期専門家としてラオスで活動されました。ラオスの労働・社会福祉省政策アドバイザーとして省職員の能力向上などに努められ、

また、労働社会福祉長期計画の作成、障害者権利政令の起草などをされました。その間に、若手障害者の支援などにも関わられております。

では、中村さん、よろしくお願いいたします。

 

中村/今は厚生労働省に勤めていますが、今日は障害者自立支援法ではなく、ラオスについてお話をさせていただきたいと思います。

最初に、私とラオスとの関わりについてお話をします。私は2004年7月から2007年8月までJICAの長期専門家としてラオスに派遣され、ラオス政府の労働・社会福祉省の政策アドバイザーをしていました。その間、省の職員の能力開発、省の行政の支援、法制度をつくる支援と同時にラオス障害者協会、いわゆる当事者団体の支援や若手障害者の草の根的な活動の支援もしました。

これは、障害者の権利に関する政令の起草チームの会合の後に撮った写真です(写真1)。この中には役所の人も、当事者団体の人も草の根活動を支援している若手障害者の人たちも入っています。一番右側に立っている人がラオス障害者協会(LDPA)の会長シンカムさんです。そこから2人おいて白いシャツを着ている人が労働・社会福祉省の労働担当の人で、職業訓練を担当しています。その隣で後ろのほうに立っている人が労働・社会福祉省の大臣官房の次長、それから私の左下に座っている人が労働・社会福祉省の国家障害者委員会の事務局長です。私の左後ろに立っている人が、後ほど紹介しますシンサイさんで、障害者のためのITワークショップを行っている人です。和気あいあいと行っている様子がおわかりになると思います。

(写真1)ラオスでの集合写真。30名の障害者支援関係者。

ラオスについて

皆さんはラオスについてご存じでしょうか。私はラオスに赴任する前に、今度ラオスに行きますとある方に申し上げたら、寒いところで大変ですねと言われました。よくよく聞いてみると、その人は北海道の羅臼と間違えていたようです。

ラオスは東南アジアにある内陸国で、本州とほぼ同じ面積の国土に北海道とほぼ同じ人口が住んでいます。したがって、いかに人口密度が低いかということがおわかりになると思います。国の南北を北から南に大河メコン川が流れ、川沿い、それから支流に主に人が住んでいます。人口の7割以上が農村部に住み、人口の20%以上が道路アクセスのない村に住んでいるという、非常に山がちで、どこに行くにも不便な国です。

社会的・文化的条件として、障害者が差別の対象になりがちです。差別よりも偏見と申し上げたほうがいいかもしれません。ラオスの人は、自分と変わったもの、変わった人がいると、じろじろ見たりします。それから仏教の考え方で、障害をもって生まれることは、前世で何か悪いことがあったのではないかという考え方があって、そういったことも影響しているのかもしれません。家族としても障害者を表に出したがらない場合も多いのです。ですから、教育や仕事の機会が少なくなってしまうという状況です。仏教ももちろんよい面があり、お寺が社会的弱者に対する施設として機能しています。ただ、これはチャリティー・ベースであって、ライト・ベースではありません。

上がお寺で近所の人が寄進をしている写真です(写真2)。下は朝の託鉢の風景で、右のほうにかごを持った男の子が何人か見えると思います(写真3)。彼らはサンガリと呼ばれ、貧困な家庭、あるいは身寄りのない子どもで、寺で養われています。

(写真2)寄進をしている風景。お供えを抱えた民族衣装の女性が20名程並んで歩いている。
(写真3)托鉢の風景。6名の僧と3名の少年が、お供えの物を入れた袋やカゴを持って歩いている。

経済的条件としては、最後発国(LDC)に位置づけられていて、1人当たりGDPは606ドルです。これは日本の60分の1以下の数 字です。8割近くの労働力が農業に従事しています。農業においては、身体的なハンディが大きなハードルになります。また、教育の機会が限られているので、事務職へのアクセスも限られているという状況です。上の写真がラオスの典型的な農村の風景です(写真4)。家はだいたい高床式の家です。

道路は舗装などされていないので、移動も大変です。下の写真は、私が以前住んでいた近所です(写真5)。これは首都ビエンチャン市内の住宅地なのですが、こういった舗装されていない道路が非常に多くて、穴もあちこちにあいています。 

(写真4)10名の子供と後ろに高床式の3軒の家。
(写真5)舗装されていない道。両側に数件の家がたつ。

1975年の革命によってラオスは一党独裁体制を確立しています。80年代からベトナムと同じように市場経済を導入していますが、政治体制は社会主義です。国内のNGOは、政府による承認が必要です。現在のところ、全国レベルの障害当事者団体は2つのみです。政府が国内NGOの運営に大きな影響をおよぼしています。こうした環境の中では、当事者団体が政府と密接に協働することが重要になってきます。ただ、ラオスは非常に小さな社会ですので、人間関係のネットワークは密で、政府と当事者団体が対立するというのではなく、むしろ一緒に働くという構図が自然にできている感じがします。

上が労働・福祉省の建物の写真です(写真6)。非常に小さい建物で、本省で働いているのは150人程度です。下の写真は、ラオスの伝統的なバーシーという儀式で、送別会の時などに行われます。労働・社会福祉省の人と当事者団体LDPAの人が一緒に儀式を行っています。


(写真6)4階建て、コンクリートの建物。大きめの窓が各フロアに複数ある。
(表1:2005年の障害者数の調査結果)
肢体不自由30,049人39%
聴覚・言語障害
22,405人28%
視覚障害者12,740人16%
重複障害5,773人
7%
その他8,126人10%

障害者数は2005年の国勢調査では約7万人になっています。これは人口のわずか1.2%にすぎません(表1を参照)。私の感覚からするとかなり少なく出ている感じがします。一つには、「障害」「障害者」の定義がないという背景があります。それから、知的障害、精神障害といった区別もありません。あるいは、家族が報告しなかった、軽度な障害は報告されていないという可能性もあるかと思います。

 

ラオス政府の障害者問題に対する取り組み

今のところ障害者問題は保健省のリハビリテーションセンターが中心になって行っています。本日加藤さんがいらしている難民を助ける会(AAR)など国際NGOの支援を得て、障害者に対する医学リハビリテーション、それから補装具や車いすの給付をしています。AARさんは車いす工房で車いすを製作し、そして給付をしています。また、本日ご出席のハンディキャップ・インターナショナルの支援を得て地域に根ざしたリハビリテーション(CBR)も行っています。また、タイのNGOの支援を得て、障害者職業訓練校の運営がされています。

労働・社会福祉省は、戦傷者対策が中心です。各省横断的な組織として国家障害者委員会があり、労働・社会福祉省の中に事務局がおかれています。戦争障害者対策を除き、一般障害者対策は、外国のNGO、国際機関の支援にほぼ依存している状況といっていいと思います。                                

上の写真が障害者職業訓練校での縫製の授業です(写真7)。下の写真は労働福祉省が行っている戦傷者のためのセンターです(写真8)。センターといっても家が建っているだけですが、ここに戦争障害者の人が住んでいます。


(写真7)若い女性9名、裁縫をしている風景。
(写真8)草原(くさはら)の広い敷地内に平屋の家が3軒建っている風景。

当事者団体の取り組み

最近までラオス障害者協会が唯一の全国レベルの障害者団体でした。今年の7月現在、11支部に4,000名を超える会員がいます。ここも国際NGOからの支援に大きく依存しています。障害者への情報提供、権利に関する普及啓発、その法制度の開発や権利の要望、障害者の能力向上などの活動をしています。

(写真9)芝生の横にコンクリートの1階建ての建物。出入り口付近にテラスがある。

上の写真がラオス障害者協会(LDPA)の本部です(写真9)。ビエンチャンの住宅地にあり、非常にのどかな感じがします。下がシェンクアンという県にある支部です。ラオスにある17の県のうち、11に支部があります。

LDPAの事業で特徴的なものを2つご紹介します。一つは権利に関するセミナーです。これは外国から専門家を招へいしまして、LDPAの会員、中央省庁、県職員、マスコミなどに、障害者権利条約、びわこミレニアムフレームワークなど権利に関するセミナーを開いています。

もう1つはラジオリスニングクラブ活動です。ラオス国営ラジオの協力を得、毎週日曜日30分間の放送枠をLDPAが確保して、LDPAの本部職員がつくったラジオ番組を全国に放送しています。支部の会員たちは、そのラジオを聞いて意見や感想などをテープに録音して本部にフィードバックします。そのためにラジカセを本部から支部に送付していて、こういった活動は外国のNGOの資金で行われています。

当事者団体と政府が連携した取り組み

障害者の権利に関する政令の起草プロジェクトをご紹介したいと思います。 2006年1月にビエンチャンで最初の障害者法制度セミナーが開催されました。主催は、労働・社会福祉省とLDPAで、アジア太平洋障害者開発センター(APCD)とJICAが後援をしていました。これはそもそも、APCDの関係者がラオスに行った時に、労働・社会福祉省からラオスで障害者の法制度をつくる協力依頼があったのが発端です。上の写真には、中央にAPCDのスポンタムさん、二宮専門家、伊藤専門家が写っています。その両側にいる人たちが、労働・社会福祉省の人たちです。右側の人は、その当時の官房長です。

まず、なぜ法律ではなく政令なのか、についてお話しします。障害者の権利に関することなので、我々日本人にとっては、権利は当然法律によって規定されるべきものというのが常識ですが、ただ、労働・社会福祉省の上層部で、法律にするのは時期尚早ではないかという意見が出ました。ラオスはベトナムの制度にならう傾向が強く、ベトナムが約10年前に障害者に関する政令をつくり、現在それを法律に格上げしている作業中です。その例にならおうと考えていました。

もう一つは、ラオスはそもそも法律の数が非常に少なく、50本ほどしか法律がありません。その他のことは、ほとんど政令になっています。政令というのは政府が出す規則で、かなりのことが政令で定められるので、政令でもいいではないかという背景がありました。

2007年1月に起草委員会ができました。そこは労働・社会福祉省、国会障害者委員会事務局、LDPAも入りました。今年の3月に第2回のセミナーを行いました。そこでは新たに国連開発計画(UNDP)も後援に加わっています。国内の障害者調査やベトナムでの視察などをしながら起草作業をしました。

下の写真は、ラオス国内で障害者の状況を調査した時の写真です。白いTシャツを着た車いすに乗った男性がラオス障害者協会の職員で、この起草チームの一員です。彼が地域の障害者にインタビューをしている光景です。

障害者権利条約などの国際的な法的枠組みや諸外国の例を参考に起草して、先月、一応最終案ができてワークショップを開催しました。それを踏まえて労働・社会福祉省に提出される段取りになっています。

ラオス政府自身にはそこまでの活動ができるようなお金がないので、オランダ大使館からの資金援助を受けました。オランダ大使館が草の根団体に対する無償援助プログラムがあり、それをハンディキャップ・インターナショナルの人が見つけ、私とLDPAの職員がオランダ大使館に行って、申請してきました。

また、ワークショップの開催、ベトナム調査旅行などについては、JICAの資金やオーストラリア海外援助庁の支援も得ています。技術的な援助としてはラオス人の放送専門家、あるいはLDPA付きVIDAボランティア(オーストラリア海外援助庁派遣ボランティア)、APCDが提供しています。また、UNDP、ILOなどもセミナーなどで協力していいます。

政令政策のプロセスに関しては、政府と障害者団体が協働で行ったところが特徴的だと思います。また、内容に関しては、非常に多岐にわたる事項を網羅した、ラオスで最初の包括的な政令といっていいと思います。ただ、今後これがどうなるか予断を許さないところで、仮に政令がとおったとしても、資金の問題、体制の問題などで実行性に対する懸念もあります。ただ、障害者施策に関して拠って立つものができるということは大きな第一歩だと思います。

若き障害者たちの新たな取組み

ITワークショップの例をお話ししたいと思います。コンピューター専門学校を卒業した若い障害者たちによる小さなコンピューター・ワークショップが始まっています。障害者には無料でコンピューターを教え、健常者には有料になります。

このきっかけとなったのが、2005年1月に最初にビエンチャンで開かれた「障害者のためのITセミナー」です。元ダスキン研修生でラオスに帰った人が企画をして、その企画を、今日もいらっしゃっている、日本のNGO「アジアの障害者活動を支援する会(ADDP)」が支援して実現したものです。このセミナーをきっかけに、下の写真の左から2人目のシンサイさん、その横のポーリーさんのグループがADDPからの支援を受けられるようになりました。

使うコンピューターは、彼らが貯金をして中古のものを買ったり、ADDPがマイクロファイナンスで支援をしたり、日本点字図書館が支援しました。活動には日本の国際視覚障害者援護協会も支援しています。シンサイさんたちは、視覚障害者のIT支援に重点をおき、視覚障害者にコンピューターを教える他、ラオ語点字の教科書を作成しています。また、隣国のタイから全盲のコンピューターインストラクターのビー・ソンクランさんを招へいしています。彼は元ダスキンの研修生で、タイとラオスは言語的に非常に似ていて、直接コミュニケートできるので非常にいい支援ができていると思います。ADDPへの報告、資金返済は、ほぼ計画どおりに行われています。

この事業のポイントは障害者自身によるイニシアチブで始まったことです。先ほど加藤さんからのお話にもありましたが、日本の団体がやりたいことをやるというよりは、彼ら自身がやりたいことを日本の団体が支援するという形です。また、シンサイさんとその当事者のグループが視覚障害者にITを教える、その視覚障害者が他の視覚障害者にITを教える、つまり障害者自身が他の障害者の支援をするのが特徴だと思います。

また、意思決定やワークショップの運営を、個人ではなくて常にグループで行っています。彼らの強みであるITスキルを生かしています。運営費をカバーするための収入は主に活動本体から得ています。要するに健常者にコンピューターを教えることによって運営費を稼いでいるのです。投資的経費は、彼ら自身が貯金をしたり、あるいはマイクロファイナンスで調達するという仕組みをとっています。

ラオスにおける障害者支援のポイント

ポイントとして5つの点について申し上げたいと思います。

1番目に、どのような取り組みが求められているかを考えることです。まずは、医療やリハビリや補助具などの知識、情報の充実は本人と家族に必要だと思います。それから、当然、教育機会や就労機会の拡大です。また、大きなプロジェクトではなくて小さくても息の長い取り組みが必要だということです。農村部だと魚を養殖する、あるいは家畜を飼育するといったことです。都市部は縫製業、マッサージ、ITスキルなどがあるかと思います。また、開発に障害の視点をということで、たとえば学校や公共施設の建設を支援する際に、必ずバリアフリーの建物をつくることを支援する考え方が必要です。

2番目は、どのようなアプローチをとるかです。政府レベルのアプローチと草の根レベルのアプローチの両方が必要だと思います。政府レベルに関しては、労働、社会福祉や保健だけではなく、建設部局、運営部局、教育部局、計画部局へのアプローチ、それから中央レベルだけではなく、県レベルへのアプローチも必要です。特にラオスは県がかなり財源を握っているので、県レベルへのアプローチが非常に重要だと思います。

それから、草の根レベルとしては、先ほど申し上げましたが、小さな取り組みへの支援の方が有効だと思います。

また、他の国際機関や国際NGOの資源、それから地元や近隣国への資源も積極的に活用すべきで、できるだけ支援のベクトルを同じ方向に向ける取り組みが必要です。

たとえば、私がJICAの専門家としてシンサイさんを日本に研修に送ったりする一方、点字図書館からは池田輝子奨学金をいただいてシンサイさんのワークショップの視覚障害者を訓練するという取り組み、それからADPPがタイの元ダスキン研修生を招へいするというようにいろいろな資源を積極的に活用していきます。

支援側に求められる姿勢として「あせらない」「怒らない」「あきらめない」の3つをあげました。仕事のスピードが違うので、あせっても仕方ありません。それから怒ってしまうと、ラオスの人は心を閉ざしてしまうので決して怒らないことが重要です。なかなかうまくいかないことが多いのですが、うまくいく取り組みもあるので、あきらめずに支援することが大切だと思います。

3番目に、どのように最初の一歩につなげるかです。どうしても資金がないことで思考が停止しがちで、そこをどうブレークスルーするか。援助側の我々は、日本の制度や諸外国の制度を押しつけがちですが、そうではなく、背景や文脈を理解してもらい、そのうえで彼ら自身の考える力を伸ばすことが必要だと思います。そして彼らのしたいことをベースにすることが必要だと思います。草の根レベルでは、意欲ある若い障害者を見つけてチームでの活動を促進することが重要だと思います。

4番目にどのように息の長い広がりのある取り組みにするかということです。最初から大きな事業にしないことが大切です。大きな事業にしてしまうと、後が続かなくなってしまいます。それから、草の根のレベルでは、活動の中から運営資金が得られるような仕組みをつくることです。あるいは、障害者が他の障害者を啓発教育訓練するような仕組みをつくることです。主役はあくまでもラオスの人たちなので、彼ら自身で運営してもらう心構えをもつことが大切だと思います。ただ、支援側としては目を離さないで、よき相談者としていつもそばにいることが大切です。

最後に、政府とどう接するかです。政府の意思決定は非常に遅く、彼ら自身の能力も限られていますが、政治体制上、やはり強い力をもっています。手続きをないがしろにすることはできません。政府の中にも志のある職員はいるので、そういった人たちを見つけて巻き込む必要があります。よくも悪くもムラ社会ですから、彼らのやり方を尊重しないといけません。また、政治体制の問題もあって結社の自由に対する考え方が違うので、そこは十分な注意が必要だと考えています。

これで私の発表を終わらせていただきます。ご清聴ありがとうございました。

 

沼田/ありがとうございました。ラオスの障害者支援について包括的なお話をいただきました。あせらない、怒らない、日本のことを押しつけないなど、重要なキーポイントをいくつかいただきました。