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■ 講演4 タイにおけるコミュニティ・ベースの障害者支援を中心に

社団法人 シャンティ国際ボランティア会専務理事 秦辰也


沼田/では、続いて、秦辰也さんをご紹介したいと思います。

秦さんは、現在シャンティ国際ボランティア会の専務理事で、1984年に曹洞宗ボランティア会に参加し、タイのバンコクに赴任され、タイを中心にさまざまな活動をされてきました。バンコクではスラム問題、その後、農村問題などにも取り組まれました。本日は、こうした取り組みの中で、自然に障害者支援もするようになったというお話をしていただきます。

では、秦さん、よろしくお願いいたします。

 

/少し自己紹介をさせていただきます。私はシャンティ国際ボランティア会で活動して、今年で24年になります。私は生まれた時から小学校ぐらいまで重度の障害をもつおばと一緒に生活をしていました。その後、叔母は施設に自主的に入りましたが、その中でいろいろと学ばせていただきました。

また、2年前、母親が心臓を悪くしてペースメーカーを入れたところ障害者手帳をもらったということを聞いて、障害について身近に感じている次第です。

そして、シャンティ国際ボランティア会の活動の中でさまざまな障害をもつ方々とのおつき合いが始まりました。障害をもつ方への直接的なアプローチという形では行ってきませんでしたが、活動の中で、先ほどお話がありましたようなインクルーシブな形のプログラムを展開しています。

本日は、シャンティ国際ボランティア会の考え方、タイの現状、そして私たちの障害者に関わる活動をご紹介させていただき、そして教訓と課題の形でお話を進めさせていただければと思います。

アジアにおけるシャンティ国際ボランティア会の国際協力活動と障害者の関わり

冒頭の加藤さんのお話にもありましたように、私たちの会は27年ほど前にカンボジアでの難民問題に取り組んだことから活動が始まりました。私たちのミッションは、「共に生き、共に学ぶことができる平和な社会を実現させていく」です。会の名前にある「シャンティ」という言葉はサンスクリット語で「心の平和」を意味しています。私たちのミッションは、戦争、紛争、あるいは環境破壊、災害などによって苦しむ人々のそばに立つことです。我々は相手の立場に100%なり得ないけれども、障害をもつ方々も含め、戦争などで苦しむ人たちとともに生活し支え合うことはできるということを念頭におき、教育、文化活動を展開しています。

1981年に現在の組織の形になり、年間6億円ぐらいの予算をもって、現在、タイ、カンボジア、ラオス・ミャンマー(ビルマ)の国境、アフガニスタンなどで活動をしています。

これが私たちの活動地域です。最初に私たちが関わった障害者は、タイ、カンボジア国境の難民キャンプの人たちでした。私たちがボランティアを派遣して最初に考えたのは、将来的にこういった難民の方々が自分の国や町に戻り、家庭を築き、自立していくことでした。それでそれぞれの人たちが自立していくために、中長期的に私たちが支えられることは、教育であると目をつけました。

そして、教育のために絵本を届けることにしました。現在も行っていますが、日本からたくさんの絵本を翻訳して届ける活動を始めました。その後、自分たちでそういった本をつくり、印刷し、配布し、図書館や学校をつくり、そして先生、図書館員を養成していく形に変わっていき、そういった活動を難民キャンプの中で始めました。その中で印刷所に義足をつけた方々がいたり、障害をもつ方々が参加するようになってきました。

私の中で一番印象に残っているのは、ラオスから逃れてきたモン族の難民の方々です。バンビナイという難民キャンプがラオスとの国境に近いタイにありました。私たちが受け持った地区は、キャンプの中のハンセン病の方々の居住地区でした。数十家族のハンセン病の方々がいて、周りの人たちがみんな近づこうとしない状況でした。私たちはそこに印刷所を設けて、一緒に本づくりをしました。彼らはすばらしい文化をもち、音の鳴る細工をした民族衣装を着た方々も大勢いらっしゃいました。

タイにおける地方分権の進行

そういった難民キャンプの経験を踏まえて、タイ国内の都市のスラム問題、あるいは、農村部の非常に厳しい環境にある地域に私たちは関わりをもち始めました。

私たちの活動地域は、今はバンコクにベースをおいていますが、タイ東北部のスリン県、それからルーイ県、そして北部のパヤオ県、ミャンマー(ビルマ)国境の難民キャンプです。

タイは、先ほどのラオスやカンボジアよりも経済的に発展しているので状況は異なり、もうすでにさまざまな障害者支援活動が行われています。

これはタイの政変と民主化をまとめたものです。1932年に立憲革命が起こって、絶対王制から民主的な立憲君主制の制度に変わり、民主化がスタートしました。そして1970年代に学生革命が起こり、徐々に民主化が遂げられていきました。政治的に非常に影響が大きかったのは、1991年の軍事クーデターです。その後にさまざまな民主化支援や障害者の支援に関する法的な整備がされるようになりました。

特に1997年に憲法が新しくつくられ、障害者や貧困層の人たちを含めて住民参加で地域を改善していくことが法的に保障されました。残念ながらこの憲法は、去年のクーデターでまたなくなってしまい、新しい憲法が今年の8月につくられたばかりです。基本的には、住民参加などについては変わってないと認識しています。

それから1991年のクーデター以降の民主化における変化としては、地方分権があります。それまでは政府の内務省が中心にさまざまな開発を進めていましたが、それをボトムアップで、農村などのコミュニティが改善していく取り組みになってきました。

これがそのコミュニティをどのように強化していくかをあらわした図です。簡単にいうと、政府側がコミュニティに対して、マイクロクレジットなどで、直接的にコミュニティの中で貯蓄活動をする。そういったスキームを政府が推奨し、コミュニティ側も自主的に貯蓄をつくり、まちづくりに生かしていくことを取り組み始めました。

地方に分権されると、町や村レベルで民主的な選挙で議会をつくり、そして町村役場をもって、それから町や村を開発していくという行政的な分割が行われました。以降、村の中で本当のリーダーが選ばれ、教育や福祉活動に取り組んでいく仕組みがつくられていきました。したがって、町や村の議会の人たちがどのぐらいがんばるかによって、その町や村の様子は異なってきます。と同時にこれまで中央から流れてきた税金だけではなくて、地方でも税金を集めてそれを地域に還元していくという形に変わってきました。

タイの障害者支援の現状

先ほどのラオスのお話にも少しありましたが、以前から特に農村やスラムの地域では信仰的な考えの中に、障害をもって生まれるような前世の過去があったという信じ込みがあって、障害をもつ人が家庭の中にいると隠してしまい、外に連れていきたくないという意識が非常に強くありました。

それは徐々に改善されてきていて、タイ政府は、障害者が全国に110~480万人いるという、非常に大まかな数字を発表していました。1991年に「障害者リハビリテーション法」が制定されて以降、徐々に制度化が進み、障害者の参加が進んできています。2002年以降は、「社会開発・人間の安全保障省」ができ、その部署に障害をもつ方々のエンパワメントをすすめる課ができました。

具体的には、医療、リハビリテーションの福祉機器の支援や教育のサポートを行っています。障害をもつ人たちも12年間、無償で教育を受けられ、教育支援が可能になる制度ができました。それから職業訓練、職業相談、生活必需品や器具などの支援、さらには重度障害者、あるいは貧困家庭で問題を抱えている方々に対して、月額500バーツ(1,600~1,700円)の直接支給が行われるようになりました。しかしまだ全部には行きわたっていません。雇用に関わるような開業資金、現金収入に結びつくものに対する貸付、緊急時に対するお金の支援なども制度的に整備されてくるようになりました。

しかし、農村、スラムに行くと、現実的にまだ障害者登録も終わっていなくて、そういった制度があることすらわからないので支給も受けられないという現状があります。

私たちは都市スラムと農村で、先ほど申しましたような活動を展開しているわけですが、都市スラムの中にも、障害をもつ方々がいます。私たちはバンコクのクロントイやスアンプルーなどのいくつかのスラムで活動しています。スラムの数は、バンコクだけでも1,500ぐらいあるといわれています。地方都市にも数千、あるいは全国では、3,000~4,000のスラムがあるとされています。

ここでは劣悪な生活環境の中で人々は生活しています。子どもたちが学校に行けなかったり、麻薬におぼれて犯罪に巻き込まれることが後を絶ちません。私たちは住民のリーダーたちと協力して、図書館や保育園などをつくってきました。

さらに、いくつかの企業などにも支援していただいて、移動図書館車をつくり、巡回活動を始めました。障害児施設やNGOで障害者を支援しているプロジェクトの長を訪問する活動も一部取り入れています。保育園にも地域の障害児が通うようになっています。  

スアンプルーという地域で3年前に大火災が起き、復興に向けて私たちも協力して現在取り組んでいるところです。ようやく図書館、保育園が再建しつつあります。

それから、チュアパーンというスラムでは身体の右半分に障害をもつ子がいて、この子もようやく保育園に通える状況になったのですが、経済的に非常に厳しいので、現在奨学金の支給をしています。

クロントイというスラムでは職業訓練を行っています。印刷職業訓練と縫製の訓練を行い、20代前半のナリン君という男性が通ってきています。つい先週タイに立ち寄って彼に話を聞いたところ、ようやく去年、障害者手帳を手に入れたそうです。手当の500バーツは支給があったり、なかったりだそうです。そのうちの300バーツはお母さんに渡し、200バーツはこずかいにしているということでした。

それから、もう一人ご紹介したいのは、チンタナーさんという女性です。彼女は先天性心疾患という内部障害をもち、世界でもまれな心肺同時移植をバンコクの国立病院で行いました。しかし、スラムの貧しい家庭の中で生活していたので、薬代がもう払えなくなりました。輸入する薬に頼らなければならなかったのです。学校も通いたいと言ったので、私たちは特別奨学金を渡していました。彼女は、看護師になるという夢を抱いてよくがんばってくれました。コミュニティの活動の時には必ず参加してくれましたし、私たちの会でも、図書館のサポートをしてくれたりしました。私たちも、マスコミなどにいろいろ協力を呼びかけて募金を集め、そして、タイの政府側にも何とか医療協力してほしいと呼びかけましたが、残念ながら今年の1月に彼女は亡くなりました。しかし彼女の思いや姿は地域の人、周囲の子どもたちに十分伝わっているのではないかと思います。

これは東北にあるスリン県という場所です。非常に稲作が活発で、水牛などがまだ活躍しています。最近は耕運機に変わったり、機械化されてきています。ここはシルクの産地でもあり、蚕を飼い、糸をつむいで織物をつくっています。

ここにある寺の住職が非常に理解のある方で、住職、学校の先生、そして村長などと協力して教育福祉活動を展開してきました。村長は教育、福祉だけでなく、植林活動、灌漑の設備づくり、ため池づくりにも積極的に取り組んでいます。

そういった村のリーダーや村人たちと協力して教育施設の整備を行ってきました。特に保育園、図書館の活動に力を入れました。住民ホールを設け、そして地域で活動する私たちのスタッフが村人たちに呼びかけ、障害をもつ方たちに登録作業にぜひ来るように家庭訪問などを行ってきました。

ここに映っているのが私たちの現地のスタッフで、村の出身者でもあるティラポンさんという方です。障害をもつ人がいる家庭を訪問して、法律の内容を説明したり、登録することのメリットなどカウンセリング的なことを行ってきています。

その他の私たちの活動は、他のNGOとの連携などに取り組んでいます。毎年1回、大体秋に、「アジア子ども文化祭」を開催しています。これはもち回りで、タイ、カンボジア、あるいはラオスで開いています。高額支援者がついて日本で開いたことも過去に1回ありました。

障害をもつ方々の支援をしているNGOの人たちにもお願いして、文化祭には必ず参加していただきます。知的障害をもつ子や聴覚障害をもつ子のパフォーマンスに皆さん非常に感動いただき、子どもたちも自信と誇りをもつという、大変いい活動になっています。

それから、これはドゥアン・プラティープ財団という財団で、私のタイ人である妻が創立したNGOです。クロントイにあり、聴覚障害児教室を長年行っています。保育士の研修協力などを行います。それから障害をもつ子は、ストリートチルドレンになったり、家庭内で虐待を受けることが多かったりするので、そういった子どもたちの「生き直しの学校」をつくり、そこの子どもたちとの交流活動や支援活動も実施しています。

これは、日本の連合が毎年タイで開かれているスポーツフェスティバルです。このフェスティバルには毎年私たちもコミュニティの障害者の方に参加していただくようにお願いしています。

そして、これはネットワーク活動です。タイ国内の障害者支援NGOに限らず多くのNGOとネットワークを組んで行っています。この写真の活動は子どもの支援をしているNGOのネットワークで、毎年1回、子どもの日に一堂に会して政府高官と協議するという、子どもサミット的な催しで、もちろん障害児も参加しています。

「大阪マイペンライ」という名前のNGOは私たちの支援団体として、15年ぐらいになります。毎年保育士を中心に、コミュニティのソーシャルワーカーも含めて数名招へいしていただいて、大阪周辺の障害児の施設などを訪問し、研修交流しています。逆に日本側からタイのコミュニティを見学に来たり、ワークショップを一緒に行ったりもしています。

これからのアジアにおける障害者支援のあり方

最後に学んだこと、課題をお話します。

一つは、政治的変化と経済発展に即した民主的なガバナンスの促進です。要は、国全体が発展していく過程でしっかりと民主的な形がとれて、下から上に開発が進んでいけるような状況をつくっていくことが非常に大切であるということです。同時に、地方政府とコミュニティとの連携、さらには当事者の意識のもち方、そして周囲の人の理解が非常に重要です。ですから当然、人材育成が重要になってきます。外部の人たちと関わることでチャンスも機会も広がっていきます。そういった視点から私たちは関わる必要があると思います。

そして、コミュニティの強化が大切だと思います。いつまでも支援していくことは不可能なので、コミュニティを中心にこういった問題に取り組むこと。そして、当事者関係グループや組織強化とネットワークの促進、NGO、地方政府、専門家、あるいは企業も含めたところとの連携、さらには当事者の人たちがきちんと保健・医療、教育、職業訓練、就業などにアクセスできる環境をつくるための提言活動が重要だと思います。そして、私たちも含めた周辺国とのつながりも大切になってきます。

私たちの活動は東南アジアから徐々に南アジアに広がっているので、そういった地域も含めて今後取り組んでいければと思っています。

ご清聴、どうもありがとうございました。

 

沼田/ありがとうございました。

難民キャンプでの実情、タイの民主化の歴史、そして障害者支援に入っていかれた過程などについてお話しいただきました。そうしたことから外部者の関わりは重要だけれども、それはコミュニティを強化するための関わりであり。最終的には、力をつけたコミュニティ自身が活動を行っていくようにすることの重要性についてお話をいただきました。