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障害者対策に関する新長期計画推進国際セミナー報告書

基調報告3-1:デンマークにおける地方自治体の障害者施策の取り組みについて

千 葉 忠 夫 (Tadao Chiba, Denmark)

岩手県生まれ。デンマークの大学に留学後、ソーシャルインストラクターの資格を取得 し、社会福祉活動に従事する。日欧文化交流学院、バンク=ミケルセン記念財団を設立 し、日欧交流のためのさまざまな活動を行う。デンマーク・ボーゲンセ市在住。

はじめに

 皆さん、こんにちは。デンマークからまいりました千葉です。今日は、中央競馬馬主 社会福祉財団、そして、新・障害者の十年推進会議の方々からご招待いただきまして、皆 さんにデンマークのお話をさせていただく機会を与えられましたことを感謝いたします。 午前中には、スウェーデンのベンクトさん、アメリカのジュディさんから、国連レベル・ 国レベルのお話をわかりやすくしていただきまして、感謝しております。私たちのデン マークについては、そのように高いレベルではなく、庶民レベルの生活の実際を、ご紹 介させていただきたいと思います。

社会福祉国家デンマーク

 最初に、デンマークは社会福祉国家と言われますが、現状はどうなのでしょうか。そ して、どうしてデンマークは、そのような国になったのでしょうか。そのヒントを皆さ んにお話しします。それによって、これから私たちがどのようにすれば、早く日本が皆 にとって住み良い社会になるかという、お話をさせていただきます。

 社会保障、あるいは社会福祉といって、私たちが考えますことは、社会的に不利な条 件にある人たちの生活を保障するということです。デンマークを始めとする北欧諸国に おいては、そういった不利な条件にある人たちのみならず、国民全部の生活を保障して います。ですから、そこで「社会福祉国家」という言葉が使われるわけです。社会福祉 国家とは、「ゆりかごから墓場まで」国民すべての生活を保障している国のことです。人 によっては、医療と福祉、あるいは、教育と福祉は、別の問題だと捉えるかも知れませ んが、例を挙げれば、デンマークでは、医療費は、国民すべてが無料です。教育費も無 料です。そして、高齢者になった場合には、全員、国民年金がもらえます。このように、 「ゆりかごから墓場まで」、国民全員の生活を保障しているのです。よく「生活大国」と いう言葉を聞きますが、この「社会福祉国家」イコール「生活大国」という言葉で表現 できると思います。

 アメリカのペンシルバニア大学のリチャード教授が、過去20数年間にわたって、「世界 中でいちばん住み良い国は、どこか」と、さまざまな項目にわたって調査したことがあ ります。彼は、現在も継続して調査していますが、その中で、教育や福祉、あるいは経 済、人間の位置関係、男女の地位など、さまざまな分野で調査したところ、北欧3カ国 が上位を占めておりました。ですから、北欧3カ国は、社会福祉国家であり、経済大国 であるという証明にもなるかと思います。

社会福祉国家の基にあるもの

 それでは、この生活大国、つまり国民全部の生活を保障している国は、どんな歴史を 持つのか。どんな国民なのか。そのヒントを一つ一つ、簡単にご説明してみたいと思い ます。

 まず第1に、やはり、この北欧3カ国においては、成熟した民主主義がその基盤にあ ると、私は思います。「民主主義だったら、日本の国だってそうだ」と思われるかもしれ ません。確かにそうです。しかし、北欧人たちが理解している、さらには、身に付けて いる民主主義は、私たち日本人が、いまから50年前に戦争に負けて、「さあ、あなたたち の国は、民主主義ですよ」と言ってもらった民主主義とは、やはり、ちょっと違うよう な気がします。ご存じのように、民主主義の柱と言えば、自由、平等、博愛、連帯、さ らには、共生、共に生きるですね、こういったものがありますが、それらをしっかりと 身に付けているのが北欧諸国の人たちだと、私は思います。それでは、私たち日本人は 身に付けていないのかと言いますと、確かに私たちも、文字では「自由」や「平等」を 理解していると思います。でも、先ほども申しましたように、この国が本当に皆が安心 して生活できる国になるには、自由、平等、博愛、連帯、そして共生、これらをしっか りと私たちがこれから身に付けていかなければいけないと、思います。

デンマークにおける自由と平等

 では、デンマーク人たちは、どのようにその自由を理解し、平等を身に付け、あるい は、連帯、博愛、共生を、どのように実現しているのか、どうやって見いだしたかにつ いて、お話ししてみたいと思います。

 まず、自由についてですが、「何でも自分のやりたいことをやっていい」ということが 自由ではありません。デンマーク人は、いまから200年ぐらい前に自由を獲得するに当た り、自分で責任を果たすことを基本としました。ロシアやフランスでは、武力革命によっ て、自由を得ましたが、デンマークでは、自分たちを支配してきた人たちと話し合うこ とによって、自由を獲得しています。しかし、自由を獲得したからには、自分の責任、あ るいは、義務を果たすことをしっかりと身に付けております。

 次に、平等についてですが、平等とは、人間として生まれたら、男であれ、女であれ、 障害をもっていても、もってなくても、平等だということです。言葉では「平等だ」と いうことをいくらでも言えますが、本当に平等の感覚を身に付けているのかが問題です。 北欧人は、まず、大多分の人は、身に付けています。しかし、私たち日本人は、本当に 身に付けているかというと、ちょっと違うんじゃないかと思います。どんなところが違 うのかと考えたのですが、デンマーク人たちは、平等という意識、考え方を、教育の中 で、自分たちのものにしてきたんじゃないかと、思います。

デンマークの教育

 教育については、日本も非常に教育レベルの高い国で、盛んに教育をしています。一 方デンマークは、1894年に、世界で最初に教育の義務制度を引いた国でもあります。さ あ、その国で、どんな教育が行われているのでしょう。これから私たちが日本の社会を 考えていくうえで、大変参考になると思います。特に、平等の意識というものを私たち がしっかり身に付けるためにも、是非ご紹介したいと思います。

 まず、保育園、幼稚園などでの就学前教育はどうかと申しますと、ここでは、読み書 きや算数といったようなものを教えてはいけないことになっています。子供が初めて家 庭から社会に出る所、それが保育園であり、幼稚園ですので、早く社会の一員となり、皆 と仲良くなることがいちばん重んじられています。ですから、遊びが主となって、読み 書き、計算などは、本当に二の次になるわけです。そして、保育園、幼稚園において、な るべく早い時点で、障害をもった子供も一緒に通園することが大事だと言われておりま す。これは、全く簡単なことでして、小さい子供のうちから障害をもった人たちと一緒 に生活をしていますと、「ああ、この世の中には、おじいさんがいて、おばあさんがいて、 男がいて、女がいて、目や足の不自由な人がいて、いろんな個性を持った人間が生活し ているんだなあ」と、ストレートに受けることができるわけです。

 もし、その障害をもつ子供がいる家庭で、「かわいそうだ」という理由で子供をうちに 隠しておいたとしても、やがては社会に出なければいけない時期が来ます。そして、障 害のない人とある人がばったり出会ったときに、どちらも「ああ、変な人間がいるなあ」 と思うでしょう。どちらもですよ。ですから、早い時期から、その人の可能な限り、一緒 に幼稚園や保育園で生活できるような環境をつくることが、必要とされております。

 さて、次に義務教育についてですが、デンマークでは、低学年のうちは試験がありま せん。成績表もありません。1クラスに最大28人まで入れることになっていますが、28 人いますと、やはり28人の個性があります。同じような速度で学習できるわけがありま せん。そこでデンマークの教師は、教育の中でどこにポイントを置くかといいますと、や はり、クラスでいちばん授業に遅れがちな生徒にポイントを置きます。できる子供は、 放って置いてもできるんですね。

日本の教育との違い

 日本の教育はと申しますと、小学校の1年生から皆で同じ教科書を使って、同じ速度 で授業が進められ、ある時期が来ると試験をします。試験をすると、その結果、点数が 付いてきます。日本の子供は、わずか7歳か8歳にして、人の差を点数でもって教わり ます。デンマークの子供は、自分の可能な範囲で学習し、自分に合った速度で勉強する ように教育されます。

 そして、人の差を教わらないで成長していきます。片や、私たちの日本では、まず、人 の差を学校で教わるのです。そして、中学校で義務教育を終わりまして、高等学校進学 があるわけですが、その進学時において、A高校が駄目だったらB高校、B高校が駄目 だったらC高校というように、学校の差というものも体験します。受験生も、親も、教 師も、社会も、私たち国民全部が、この国にある差というものを認めているんです。そ して、不思議なことに、先ほど平等という言葉を使いましたが、こんなにも差のある、ど の高等学校を卒業しても、私たちの国は、平等に高等学校卒の資格を与えてくれます。こ んな不平等な平等を「平等だ」と言っている国は、不思議でなりません。

 なぜ、そう言えるかと申しますと、デンマークでは、1年生のころからずっと自分の 進路に合った教育を受けていきます。義務教育の、日本で言えば中学2~3年に当たる ころには、それでも試験があります。しかしデンマークの試験は、「何人中、何番」と順 位を決めるものではなくて、将来、上級学校へ行けるか、行けないかを判定するものな のです。高等学校には、高等教育を理解できるものしか行きません。高等教育は、その 後、さらに大学や上級学校に進むために高等教育を必要とするものにしか行わないわけ です。3年間の高等教育を終えるときに、スチューデント・イグザミネーションという、 国が実施する高校卒の試験があります。これを通らないと、「高等学校卒」とは言われま せん。ですから、ここでも、平等性が貫かれているわけです。

 高等学校に行かない者はと言いますと、やはり、自分に合った教育を受けていますの で、自動車の修理工になりたい者は、自動車の修理工になる学校、銀行マンになりたい 者は、銀行マンになる学校に進みます。職業別の専門学校が、何十種類あり、約60%ぐ らいの子供たちは、自分に合った職業の教育を受けるための専門学校に行きます。です から、「自分は、高等学校へ行けなかったから」という変な劣等感は持っていないわけで すね。そして、親も、「高等学校ぐらいは、出ときなさいよ」と、そう簡単に言えたもの ではないわけです。そういった意味で、日本は残念ながら、義務教育において、「偏差値」 という言葉を使いながら、競争原理の差を認めている国であると言えます。

 デンマークは、その教育の場で本当に人間の平等というものを、国民に教えていると 思います。ですから、教育が、その国の社会をどのようにもっていくか、あるいは、築 いていくかということに、大きな力を持っていると思います。

 ご存じのように、日本も大国です。生活大国ではなくて、経済大国です。この競争原 理をしっかりと身に付けて、世界の経済戦争に打ち勝ち、やはり別の意味で大国になり ました。しかし、私たちの望みは、やはり皆が安心して生活できる国にするということ ではないでしょうか。民主主義について、中でも平等について、最も教えてくれるのが 教育ですから、やはり、この教育を何とかしないと、大変なことになると思います。

博愛、連帯、共生

 さて、次に博愛、連帯、そして共に生きていく共生なんですが、私たち日本人には、そ ういう精神や考え方がないのかと私は思っていました。ところが昨年の阪神大震災のと きに、日本中各地から義援金が集まり、そして、ボランティアが集まりました。あのよ うな災害が起こって、あんなふうに皆の心が動いたことに対して、「いやあ、本当にたい したものだ」と思いました。

 たとえ災害が起こらなくても、現在私たちの国には、500万とも言われる、社会的に不 利な条件にある方、「障害者」という呼び方をしていますが、そういう方たちがおられま す。そして、7~80万人にもなる寝たきり老人がいます。さらにその介護者も加えると、 やはり7~80万人いるわけです。そうすると、500万から600万あるいは700万人にもの ぼる人が、いま、すぐ、安心した生活を望んでいるという国なのです。その人たちに対 して、あのような天災が起こらなくても、博愛や共生、連帯の意識を持てる国民になら なければいけないと、私は思います。

 それでは、デンマーク人はどのように、こういった共生の意識、あるいは連帯感を身 に付けたのかと申しますと、農業協同組合や労働組合も含めて、協同組合運動が非常に 活発で、組合員の生活を皆で保障しながら助け合っていくという意識が、早い時期から 国民の中に生まれたということが言えます。これが、デンマーク、あるいは、北欧が民 主主義の国になっていった背景で、さらに、それが基盤となって社会福祉国家になった と、言えます。

政治、女性の社会進出

 そのほかにも、そのヒントとなることで、例えば政治家たちの姿勢として、こと国民 の生活や福祉に関する法案を国で採決するときには、与党、野党の関係なく、満場一致、 あるいは絶対多数で可決していくという姿勢があります。やはり、政治家たちは、国民 の生活をしっかりと考えてくれる人たちであり、そういう人たちを選ぶ国民の姿勢も、 しっかりしております。

 例えば、選挙のときにも、70%から80%近い投票率が常であります。ですから、自分 の国の方針を決めてもらう人たちを選ぶ参議院選挙などで、投票率が50パーセント以下 というのは、ちょっと困ることなんですね。やはり、私たちが、もっと、民主の主権を 使うようにしないと、これは本当に困ると思います。

 さらにヒントとして、デンマークが社会福祉国家になった背景として、女性の社会進 出が挙げられます。戦後、70%から80%の女性が社会進出していまして、デンマークは 世界一、女性の社会進出率の高い国の1つと言われております。なぜ女性が社会進出を すると、社会福祉が発達していくかといいますと、いままで女性が保育、育児、あるい は老人の世話をしていたんですが、それができなくなり、公共がその面倒をみなければ ならなくなって、それで社会福祉が発展していくからです。

デンマークの地方分権

 現在、デンマークは非常に地方分権が進んでいると言われていますが、この地方分権 も、大きな力となっています。デンマークは、社会福祉国家としては1960年の中盤から 1970年にかけて、大体完成しているんですが、その後、地方分権がさらに発達していき ました。1970年代には、市町村の合併等が行われ、かつては教会区を基にした1,300余 りの地方自治体があったのですが、現在では14の県と、2つの指定都市、そして273の 地方自治体、というようになっております。この地方分権というのは、皆さんご存じの ように、中央の権限を地方自治体に委譲することです。言葉では簡単なことなんですが、 それがデンマークでは、しっかりと行われています。

 デンマークでは「援助法」という法律が1974年にできまして、1976年から施行されて おります。この法律により、それまでいろいろな障害別にあった福祉法が一本化されま した。そうしますと、非常に窓口がたくさんあったのが、地方自治体の1つの所へ行け ば、どんな社会的な問題でも相談を受けられるという、もっと住民に密着した福祉が行 われるようになりました。そして、ノーマライゼーションについても、「福祉国家」と言 われているデンマークでさえ、その歴史は案外古くないのですね。

 1980年から85年の5年間をかけまして、国の施設を県に、県の施設をさらに地方自治 体へと、委譲しました。ですから、デンマークでも、わずか10年前のことなんです。い ままで国が行っていた障害者関係の業務が県に移管されたわけですが、中央と地方自治 体の役割分担をそれぞれ簡単に述べてみます。

 国は、法律という枠組みを作ります。そして、ガイドラインを作ります。県は、地方 自治体では小さ過ぎてできない、障害者関係や教育関係の業務を担当します。例えば、障 害者の入所施設や授産施設、あるいは養護学校を担当します。

 そして、地方自治体は、通所施設である保育園、幼稚園、小・中学校、入所施設であ る特別養護老人ホームを担当します。さらには、障害者の在宅生活についても、末端の 地方自治体が担当しているのが現状です。

 そして、さらにデンマークで非常に特徴的なのは、中央の権限が地方に委譲されたの みならず、地方自治体において当事者本人にもいろいろな権限が与えられていることで す。

 例えば、今日ここにいるビヤタさんは、6人のヘルパーを自分で雇用し、本人がその 雇用主になっています。そして、自分で新聞広告等を出し、応募してきた人を自分で面 接してヘルパーとして採用します。そこまでの権限が、末端にまで委譲されているので す。

 もう1つ、この分権で大事なのは、権限だけの委譲ではなくて、経済面においても委 譲することです。つまり、国はお金を付けてその権限を委譲するのです。そして地方自 治体もお金を付けて直接当事者本人に権限を委譲します。完全に国がそれぞれの地方自 治体、あるいは当事者を信用し、委譲を行っているところに、民主主義とでも言います か、最先端の分権のあり方があると思います。

ノーマライゼーションについて

 それでは最後に、よく「ノーマライゼーション」と言われますが、これは一体、どう いうことなのか、簡単にご説明したいと思います。

 ノーマライゼーションについては、いろんな形で紹介されていますが、デンマークで バンク・ミケルセンが提唱したこの言葉を、より忠実に日本語に訳してみますと、「社会 的に不利な条件にある人たちの生活条件を、社会的に不利な条件にない人たちの生活条 件に、可能な限り近づける」ということです。

 つまり、障害をもつ人の生活条件を障害をもたない人の生活条件に可能な限り近づけ るということです。ここで大事なことは、この「生活条件」ということと、やはり「可 能な限り」ということです。この生活条件は、デンマークも、日本も、あるいはアフリ カ、アメリカにおいても、いろいろ違います。しかし、その国の生活条件に、障害をもっ た人の生活条件を可能な限り近づける努力をしていれば、その国ではノーマライゼーショ ンがなされていると、言えるわけです。日本でもノーマライゼーションという言葉が氾 濫していますが、ここにおられる方なら、日本でノーマライゼーションがうまくいって るか、いってないかは、すぐ答えが出るはずです。ノーマライゼーションという考え方 は、全く簡単なものなんです。誰でも、わかることなんですね。もう、皆さんも、答え が出ているはずです。日本では、ノーマライゼーションが行われているか、行われてな いか。

デンマークのノーマライゼーション

(子供の例)

 それでは、デンマークの場合の例を取って見ますと、子供の場合と大人の場合があり ますが、18歳未満の子供の場合は扶養の義務が夫婦相互間にあります。障害をもった子 供も、以前は、障害ゆえに施設に入所しなければいけなかったことがあったのですが、現 在では可能な限り、いろんな手段を講じて在宅で生活できるようにします。例えば、若 い夫婦が障害児を持って、育児の仕方がわからない場合には、専門の生活指導員を家庭 に派遣し、在宅を可能にします。さらに、子供たちは、毎日、学校に行くわけなんです が、この学校も、可能な限り、普通の学校にします。しかし、不可能なことも、あるわ けです。その場合には、「インテグレーション」呼ばれる3つの方法を取ります。

 まず、その1つは、子供たちが、自分がついていける科目だけ、普通の学級へ行って 教育を受ける方法です。これがインテグレーションの1ですね。

 その2は、普通の学校の特殊学級に行く方法です。これは、別に、差別するというわ けではなくて、やはり、インテグレーションの1つの方法なのです。あくまで普通の学 校の中での教育ということで、デンマークでは、それを差別というようには、取ってい ません。先ほどご説明したように、まず人間の平等性というものががっちりと国民の中 に根付いた、その後の措置ですので、それを差別とは取らないのです。

 3つ目の方法として、養護学校が、デンマークにもあります。特に、知的障害者の場 合、養護学校が存在します。まだ、身体障害の場合でも、養護学校は存在しますが、特 に知的障害に養護学校が多いのが現状です。「ノーマライゼーションの国で、養護学校が あるのか」と首をかしげる方がおられるかも知れませんが、やはり、その根底に、人間 の平等性をしっかりと身に付けている国民だからこそ、そういう学校が存在しても差別 だとか、そういった感じを持たないのだと私は思います。

大人の例

 さてそれでは、成人のノーマライゼーションは、どのように行われているかというと、 大体18歳から24~5歳までの間に、障害をもたない子供も、親元を離れて、それぞれの 生活をします。障害をもった人も親元を離れて生活共同体、グループホーム、あるいは、 アパートといった所に住むのが望ましいとされています。これは、障害者本人のための みならず、やはり、親にとっても、別居ということが必要だと思います。

 子供が「気の毒だ」、「かわいそうだ」と思って自分が世話しているうちはいいんです が、自分も年をとって、世話ができなくなったら、そこで、子供がほっぽり出されるこ とになります。こうなるともう、大変ですので、やはり、そういう事態が来ないうちに、 親のためにも、障害者自身のためにも、社会がそれぞれ別居して生活できるような環境 をつくることが大事だと思います。ただし、障害をもっているために、完全な自立が不 可能な場合は、それぞれ、その街のアパート等に分散して生活しております。その場合、 大体半径5キロぐらいの所に支援センターがありまして、そこから必要に応じて生活指 導員が生活支援に出向いて行くといった体系や、あるいは、グループホームのような形 をとって、生活指導員と5~6人の障害をもった人たちが、生活するという方法がとら れています。

 さて、仕事についてですが、障害をもたない大人は、日中、仕事に行きます。ですか ら、障害をもった人も、仕事に行くべきであると考えられます。しかし、ここでちょっ と日本と違いますのは、例えば日本では、職場等で何パーセントかは障害者を採用しな ければいけないという法律がありますが、デンマークでは、そのような法律はありませ ん。ただ、障害者を採用した場合には、公共が給料の何パーセントかを出すことが定め られています。絶えず、こういったところでも平等に就職の機会や、職場が開かれてい ます。現在、デンマークでは失業率が非常に高いので、なかなか、障害をもった人が一 般の職場に入ることは難しい状況です。ただし、授産施設は、100%完備していまして、 障害をもった人が、居住の場、働く場と生活を変えて、障害をもたない人と同じような 生活のサイクルを全うすることができるように配慮されています。

ノーマライゼーションと性の問題

 最後に、障害をもった人の性の問題なんですが、日本では往々にしてタブー視されま すが、障害をもったからといって、彼らの性を否定をしてはいけないと、デンマークで は考えられています。社会省では、障害ゆえに性の処理が不可能な場合には、生活指導 員が、性の処理法をしっかりと生活指導しなければいけないと通達を出しています。で すから、このノーマライゼーションということをもう一度言わせていただきますと、障 害をもった人たちの生活条件を、障害をもたない人たちの生活条件に可能な限り近づけ ると、いうことです。

さいごに

 このノーマライゼーションを提唱したバンク=ミケルセン、彼の功績を私はどうして も後世に伝え、世界中の、地球上すべての人が安心して生活できるようにしたいと思い、 バンク=ミケルセン記念財団を発足させております。私は、これから何年か先、生きる と思いますが、私の人生は、やはり、本当に人間皆が安心して生活できる国、地球にす るために、これからも皆さんとともに考えていきたいと思います。

 それでは、これから、実際にデンマークで生活しているビヤタさんに、報告していただきたいと思います。