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総会IV 9月6日(火)11:00~12:30

機会の平等化―障害者雇用

EQUALIZATION OF OPPORTUNITIES IN EMPLOYMENT OF PEOPLE WITH DISABILITIES

座 長 Mr.lb Bjerring Nielsen  Chairman. The Rl Vocational Commission[Denmark]
副座長 松井 亮輔 Rlアジア・太平洋地域職業委員会委員長

障害者の雇用機会の平等化

EQUALIZATION OF OPPORTUNITIES IN EMPLOYMENT OF PEOPLE WITH DISABILITIES

丹羽 勇
Chief,Vocational Rehabilitation Branch,International Labour Office


皆様方のほとんどがILOについてご存じのことと思うが,ILOが障害者のために行っている活動について簡単にご紹介したい。私の所属する組織は,男女の労働生活条件の改善と,失業者に雇用機会を与えることを任務としている。従って,障害ゆえに職を見つけたり,仕事を続けるのが困難な人々は,当然,ILOの関心の対象である。ILOは三者によって構成された組織で,労働者と雇用者の代表が政府の代表と同等の地位でその仕事を行っている。その発足当初から,ILOは障害者の権利,特に社会的経済的生活に全面的に参加する権利の促進のために努力してきた。
近年,ILOの主力は,開発途上国に基礎的な職業リハビリテーション・サービスを築くための援助に注がれてきている。現在ILOの地域職業リハビリテーション・アドバイザーは,国レベルのILO専門家やコンサルタントと共に,第三世界の50を越す国々で,この分野についての専門的助言と援助を行っている。
ILOの基準設置活動の領域においては,1955年の国際労働総会による職業リハビリテーションに関するILO勧告(第99号)が画期的なものであった。これは,あらゆる種類の障害者の職業リハビリテーションと雇用の促進および発展において世界的な刺激となったばかりでなく,どのような職業リハビリテーション・サービスにおいてもその主目的のひとつは「訓練または雇用において障害ゆえの差別を克服すること」とすべきことを主張した。
さらに最近では,1983年の国際労働総会で,障害者の職業リハビリテーションと雇用に関する二つの文書―条約(第159号)および勧告(第168号)―が採択された。この条約は,「職業リハビリテーションと雇用に関する政策は,障害を持つ労働者と一般労働者との間の雇用機会の平等原則に基づくものであること」および,「障害を持つ男女労働者の雇用機会と待遇の平等についてはこれを尊重すること」を強調している。この後者の見解は勧告(第168号)でさらに補足され,「障害者は雇用への受け入れ,雇用の持続および昇進に関して,平等な機会と待遇を享受すべきである」と記されている。
最近の不況は,障害者の就業機会に重大な影響を与えた。たとえ職があったとしても,多くの障害者は自分の能力以下のレベルで雇用されている。西欧のほとんどの国で,障害者の失業率は,非障害者のそれの5倍を超えている。開発途上国では事態はさらに悪く,一般労働市場で障害者が就業できる見込みはごく少ないか,または皆無である。皮肉屋は,これは単に雇用機会が不足しているだけのことであり,このような問題は経済状況が改善された時点で取り組むべきものだ,と言うであろう。そのような議論は近視眼的かつ差別的なものである。この経済的に難しい時期にこそ,社会計画に携わる人々に社会正義感を抱かせ,障害者を含む国民の中の最弱者が不当な処遇に苦しむことのないように力説し,雇用機会と待遇の平等の原則は経済危機時には棚上げされるべきぜいたくなどではないことを主張することがもっと重要だと私は考えている。ILOの条約と勧告はこの平等という基本的概念を強く打ち出したものである。


ILO基準

ILO批准国にはあらゆる種類の障害者に対し必ず適切な職業リハビリテーションのための方策を講じることを目指し,かつ彼らのための雇用機会を促進する義務が生じる。勧告には,雇用主への支援や奨励策,さまざまな種類の保護雇用の設立,生産工場や協同組合の創設,物理的・建築的障害の除去等,障害者の雇用機会を拡大するための多数の方策が記されている。この新しい文書は,リハビリテーション・サービスを組織し開発するに際してコミュニティの参加が必要であることを強調している。これに関連して,障害者自身の寄与の重要性だけでなく,雇用主団体や労働者団体の貢献の重要性が十分に認識され主張されている。
さてここで,障害者の雇用機会の平等化促進のため,さまざまな国で導入された方策のいくつかの具体例について説明をしたい。


一般雇用のための法的施策

多くの国で採用されている一つの方法は,障害者が一般労働市場において公平に就業機会を得ることができることを目指した法的施策を通してのものである。それは,雇用主に,一定数の,またはある割合の障害者を雇用することを義務付ける形のものである。
障害者雇用の草分けであるイギリスは,ほぼ半世紀前に割当雇用制度を制定しており,それによって,20人あるいはそれ以上の従業員をかかえるいかなる企業も,その内少なくとも3%の障害者を雇用しなくてはならない。今日,イギリスの20人あるいはそれ以上の従業員をもつ3万3,000人の雇用主のうちわずか9,000人,26%がこの割当を満たしているにすぎない。それゆえ近年では,政府は雇用主に対して,障害者の雇用や雇用継続の奨励に力を入れている。障害を持つ応募者に対して“仕事のチャンス”を提供できない雇用主に対する財政的援助と共に,特別計画によって,建物改築の費用や職場において障害者が使用する設備に対する助成金が提供される。同様の奨励制度は,フランス,西ドイツそして日本においても行われている。
約4,500万人の障害者のいるアメリカ合衆国では,連邦政府が最近になって“援助雇用”制度を導入した。援助雇用は,重度障害者のための新しい施策のひとつである。援助雇用制度の確立には,各雇用機会が積極的仕事環境(例えば一般労働者との統合,収入,恩典,労働条件など)のすべての局面を含めて整えられること,そして職場の各人に対する現行の援助サービスが,移動のニーズ,職場での進歩のための訓練,その他の各自のニーズなどを含めて提供されることが要求される。援助のその他の種類としては,必要に応じて週または月単位の訪問を通じ,障害を持つ新人の労働者のために,その作業を監督し,問題解決をはかる職業指導員または職場監督の利用も含まれる。


保護雇用

障害者の雇用について,今だ最も大きな可能性を持っているのが保護雇用の分野であろう。しかしながら,特定の重度障害者の集団に,大幅に助成された伝統的な仕事を与えるという古い概念は,次第にいわゆる“生産工場”制度というものに取って代られつつある。生産工場と保護工場との本質的な違いは,前者が商業ベースにのった,より多くの種類の売れる物の生産に重きをおき,従業員に異なるタイプの障害者と共に,何人かの非障害者を含むことである。
スウェーデンにおいては,SAMHALLによって重度の障害者に保護雇用の機会が提供されている。SAM‐HALLは,各郡に一つ,24の会社から成り,計340の工場を持つ。これらの工場は,スウェーデンの中小規模産業の見本となっている。平均2万2,000人を雇っていた1980年の発足以来徐々に従業員の定数を増やし,1987年には,3万人に達した。
エチオピアにおいてILO専門家が設立援助を行った傘組立工場は,開発途上国における障害者のための,実行可能な,自立した生産工場事業の良い例である。傘の市場ニーズについて,まずILOの専門家により注意深い調査がなされた。初めは18人の目,耳およびからだの不自由な人々(彼らのほとんどは,それ以前には生活のため物乞いをしていた)を雇って古い建物で始めたが,現在では500人以上の重度の障害を持つ男女に高賃金の仕事を提供している。そして彼らは3,000人の扶養家族を支えている。この事業の成功の1つの大きな理由は,労働者が1~2週間の訓練で,組立のさまざまな段階において完全に熟練することができる点である。また目の不自由な人は目の見える障害者と並んで作業することでこのような高水準の生産を成しとげることができるという点も意義深い。この事業の可能性は,この工場が,ILOの援助が引きあげてから2年たった後も発展を続け,順調に運営されている事実からも判断することができる。


エンクレーブ(準保護雇用)制度

もうひとつの比較的新しい障害者雇用の分野での展開としては“エンクレーブ”が挙げられるが,これは特別な監督のもとに,他の点では通常の,差別のない職場環境において働く重度障害者の集団と定義される。この方式は特に聴覚・視覚障害,精神薄弱,精神障害をもち監督下にある集団に適している。
アメリカ合衆国において興味深い一例がある。精神薄弱者が,カリフォルニア州,サンディエゴのシーワールドにおいて雇用の機会を得た。1985年以降,シーワールドと精神薄弱者協会の合同の努力で,多数の精神薄弱の労働者を正規雇用するため開拓し,集団で訓練することに成功している。1人の訓練官がそれぞれ6人の訓練生を担当する。ここには訓練生のために,さまざまな仕事と経験がある。彼らは,タイムレコーダーを使って出勤時を記録することやその他の規則に従うことについて学ぶのに数週間かかるかもしれない。毎日,自分がどこで仕事をするのか予定表を調べ,地図でその場所を捜し出すことを学ばなくてはならない。また,訓練官や仕事仲間と付き合うことも学ばなくてはならない。量よりもまず,仕事の質に重点が置かれる。彼らは彼らなりの速度で進歩し,6~8カ月の内に,同じ仕事を行っている他のどんなシーワールドの従業員とも同じだけの質と量の仕事を期待することができる。この計画が開始される前には,シーワールドの経営者らは,発達障害を持つ人々について多くの誤解をしていたが,常に心を広く持ち,経験から多くのことを学んだ。


協同組合

東欧諸国では,障害者の協同組合が彼らの再就職のために理想的な道を提供している。たとえばポーランドにおいては,傷病者協同組合がリハビリテーションと職業サービスの提供について中心的な役割を果たしている。約470の産業協同組合と連合する家庭内職者と事務体制を通し,この運動は現在,約20万人の心身障害者を含む約30万人の労働者を雇用している。国の協同組合への援助は気前のよい大規模なもので,減税または国によって保護工場と認定された協同組合の場合には免税も含まれている。約90の製品および事業に対して独占または優先的製作権が国によって与えられている。この寛大な国の援助と自身の努力によって,ポーランド傷病者協同組合運動は財政的に自立している。


自営

自営は,一般雇用の機会が限られる地域に住む障害者や職場への通勤が困難な者にとって,最も良い雇用の形といえるかもしれない。自営に適している障害者の多くがそれ以前には商売の経験もなく,営業をはじめるための資本は,わずかか皆無であることが多い。このような場合には,現存する経営訓練センター,商科大学または夜間のクラスなどを通して,小規模事業経営について,障害者の短期の集中訓練の可能性が検討されるべきであろう。
イギリスにおいては,障害者の自営を援助する訓練制度を組織することに対する興味が高まってきている。たとえば……

  • ―フォード社は,障害者の事業への援助のため,雇用 リハビリテーションセンターに上級監督の外勤派遣 を行っている。
  • ―国立王室盲人協会は,事業についての助言と訓練を行う専門家を雇っている。
  • ―マンパワーサービス委員会の一部である障害助言サービス部が,事業設立コースの準備をすすめている。

これらのコースを受講した障害者の内には,受傷以前に,すでに事業を行っていた人たちもいるが,多くは自営を初めて考える人たちである。彼らが考えている冒険的事業は,障害ということから連想される伝統的な職業よりはるかに幅が広い。


新しい技術

最近の科学技術の進歩は,良かれ悪しかれ世界経済や仕事の性質,雇用の質と量に非常に大きな影響を与えている。新しい科学技術は脅威のみならず大きな可能性をも秘めている。
障害者の職業リハビリテーションと訓練は新しい技術の出現によって急速に変化している労働市場の要求に沿ったものでなければならない。したがって,職業リハビリテーションと産業の間には,より密接なつながりが必要である。職業リハビリテーションが,その専門の施設内でのみ行われるのであれば,このようなリハビリテーションを施すことで障害者を新しい技術の挑戦に応えるようにしようとの企ては失敗する可能性がある。企業や実業界が実施する職業リハビリテーションと訓練がどうしても必要となるであろう。
我々が非常に関心を持つもう一つの分野は“社会革新”すなわち,態度,社会資本および平等化の概念の変革に関連することである。これらは技術変革の急速な発展に足並みをそろえて表われてくるものではない。重度障害者が自宅で仕事をすることを可能にする技術は障害者を孤立させ,リハビリテーションの終局の目的である社会統合の期待を減少させるであろう。
職業リハビリテーションと科学技術の共同プログラムの良い例がある。アメリカ合衆国の6つの都市にまたがって,IBM,グッドウィル・インダストリーと州職業リハビリテーション局が,両下肢麻痺,四肢麻痺,筋ジストロフィー,重度の背部損傷,そして全盲を含む視覚障害などの障害をもつ人々のためコンピュータプログラム実施のためのリソースと専門技術を共同でプールしている。これらの訓練生はコンピュータプログラマーとして初歩レベルの仕事を保証される。彼らは大卒者と競うのだが,雇用主は,これら10~12カ月コースの訓練生は,プログラミング1年の経験をもつ大卒の雇用者に匹敵すると評価している。


農村地域における雇用機会

私が論じてきた雇用創設計画は,特に都市部の障害者にとって意味がある。しかし,農村地域に住む無数に多くの障害者についてはどうであろう? 彼らに雇用の機会を創り出すためには何ができるであろう。
農村地域において,障害者のために基本的なリハビリテーションと収入を生む活動を与える非常に効果的な試みが,インドネシアにおいて,ILOと国連開発プログラムが8年以上も共同で行っている地域ベースの事業の中で実証されている。この事業と協同しているのは,社会事業省により導入された障害者事業グループ計画で,農村地域の障害者がキオスク,小さな店その他の事業をはじめるのを援助している。辺境の地の障害者に対するリハビリテーション・プログラムの効果を高めるために,移動リハビリテーション制度が設けられている。特殊な設備を持つ車で移動してまわる専門家のチームが,相談,訓練そして簡単な治療を提供している。職員訓練と研究のベースとして十分に展開されているリハビリテーション施設と共に,インドネシア政府は,自国の障害者の社会的・職業的幸福のために,コミュニティ・ベースド・リハビリテーションをさらにすすめる努力を続けている。


結び

“仕事”は経済的報酬以上の意味を持つ。多くの障害者にとって仕事は,自尊心を与えてくれるだけでなく,治療上,心理上有益であり,かつ社会的かかわり合いや参加意識を与えてくれるものである。特に開発途上国においては,障害者の大半は長い間生産的な仕事の機会や経済的進歩の成果の共有を拒まれてきた。その機会の提供を援助することが,今後我々すべての目標であることは疑うべくもない。


障害者の雇用機会の平等化の実現に向けて

―日本の経験を踏まえて―

EQUALIZATION OF OPPORTUNITIES IN EMPLOYMENT OF PEOPLE WITH DISABILITIES:JAPANESE EXPERIENCE

加藤 孝
日本障害者雇用促進協会会長



はじめに

1976年に,国際連合は1981年を国際障害者年と定め,「完全参加と平等」をテーマとして諸計画を実行することを決めました。
日本においても,こうした国連の決議を受けて1980年に「国際障害者年推進本部」を総理大臣を長として設置し,これを単に1年限りの行事とするのではなく,これを契機として,長期的視点に立って障害者対策にさらに積極的に取り組んでいくという基本的視点から,「障害者対策に関する長期計画」を策定いたしました。
この計画においては,障害者の雇用対策について,「重度障害者に最大の重点をおき,その雇用を阻害する諸要因を把握しつつ,可能な限り一般雇用の場を確保するよう障害者の特性に応じきめ細かな諸対策を講ずること」との基本方針を定めました。
また,雇用対策の展開にあたっては,1982年に提出された身体障害者雇用審議会の意見書において,「ノーマライゼーション」の理念にもとづき,働く意思と能力のあるすべての障害者が,非障害者とともに一般企業等においてごく自然に働けるような状態をつくりだすこと」が要望されており,その実現に向けての努力が,今日まで続けられてきております。
このように,本日のテーマである「雇用機会の平等化の実現」は,日本においても障害者対策の基本的目標であり,理念であります。しかし,この目標と理念の実現には種々の問題を解決しつつ着実に改善へ向けてのたゆまぬ努力が必要であります。
こうした観点から,これまでの日本において行われてきた主要な対策をご紹介しながら今後さらに取り組んでいくべき課題について,私の見解を申し述べ,皆様方のご意見やご指導を賜りたいと思います。


障害者雇用対策の推移と特徴

日本の障害者雇用対策は,主に「障害者の雇用の促進等に関する法律」によって進められております。
この法律の前身である「身体障害者雇用促進法」は,身体障害者の雇用促進を図ることを目的として1960年に制定されましたが,障害者雇用対策を飛躍的に拡大するため1976年に抜本的な改正が行われました。
この改正は,一定率以上(民間企業の場合1.5%,1988年4月から1.6%)の身体障害者を雇用しなければならないとする「義務雇用制度」と「雇用納付金制度」を骨子とするものでありました。
「雇用納付金制度」は,事業主は一定率の障害者を雇用する義務があり,その義務を果たしている事業主と,果たしていない事業主の経済的不均衡を調整することが必要であるとの基本的考えに立った制度であります。具体的には,雇用率を達成していない事業主から,雇用率に不足する障害者数に応じ,不足分を「雇用納付金」として納入してもらい,これを財源として,雇用率を越えて障害者を雇用している事業主に対して,経済的負担の調整を図るために「調整金」として支給すると共に,事業主が障害者雇用を進めるための経済的負担を軽減するために設備改善等について各種の「助成金」を支給するというものであります。
こうした改正法の措置の実施が進む中で,「すべての事業主は社会連帯の理念に基づき,働く意思と能力を有する障害者に適当な雇用の場を与える共同の責務を有する。」との法の基本理念についての理解が拡まり,これまで障害者雇用は主として中小企業において行われてきましたが,新たに大企業においても雇用が行われるようになりました。
また,1974年当時日本では,障害者の雇用促進を図る事業主の自主的な団体として「全国身体障害者雇用促進協会(現在の日本障害者雇用促進協会の前身)が全国的な組織とし設立され,各都道府県単位の事業主による「障害者雇用促進協会」との協力体制のもとに,障害者雇用を推進してきたことも我が国の特徴のひとつとなっております。


障害者雇用促進法への改正(1987年)

1976年に抜本的な法改正が行われてからおおよそ10年の間に,障害者雇用をとりまく状況は,技術革新の進展や急激な円高などによる産業構造・就業構造等の変化,また,障害者自身の高齢化や障害の重度化等,予想以上に困難さを増してきました。
こうしたきびしい背景の中で,障害者の雇用機会の平等化を実際に進めるには,雇用の量の確保もさることながら,1983年に採択されたILOの「障害者の職業リハビリテーション及び雇用に関する条約」等で要請されているように,雇用の質の向上と多様化する障害者のニーズに応えていくことが必要となってまいりました。
こうしたことを背景として,1987年6月に大幅な法改正が行われました。この法改正の骨子は,

  • 第1に,従来の身体障害者中心から,精神薄弱者および精神障害者を含むすべての障害者が雇用促進法の対象とされたこと。
  • 第2に,従来は障害者の雇用促進に焦点があてられていたが,雇用されている障害者の安定した継続雇用が図られるよう,雇用の安定もその基本理念とされたこと。
  • 第3は,職業リハビリテーションの体制の全国的整備が図られたこと。等であります。

特に,職業リハビリテーションについては,各都道府県に設置されている職業評価・職業相談を行うための「地域障害者職業センター」や,全国3カ所に設置されている職業指導や職業訓練を行うための「国立職業リハビリテーションセンター」に加えて,これらセンターの中核として「障害者職業総合センター」が1991年に開設されることになりました。


障害者雇用の現状

ここで,日本の障害者雇用の状況を簡単に述べておきたいと思います。
厚生省の調査(1987年)によりますと,我が国の18歳以上の身体障害者数は,241万3,000人で,そのうち働いている人は,全体の29%に当る70万1,000人です。
また,労働省の統計(1987年)によりますと,雇用率が適用される従業員67人以上の企業は約4万社あり,そこで約17万2,000人の身体障害者が雇用されております。これは法定の雇用率1.5%に対して1.25%です。
実は,義務雇用制度が導入された1977年以来,実雇用率は順調に上昇し,特に1981年の国際障害者年のときには大幅な上昇をみました。しかし,最近になって実雇用率は停滞してきています。その原因は前述しましたように産業構造の変化,障害者の重度化高齢化などいろいろあると思われますが,そうした環境変化をのり越えて雇用の促進を図るような雇用対策のさらなる改善が必要とされている現状にあります。


障害者雇用の今後の課題と方策

障害者雇用を取り巻く困難な問題が増大する中で,今後さらに雇用を進めていくための課題と方策について,私の考えを述べたいと思います。
その第1は,第2次産業における雇用の停滞への対応と第3次産業においての雇用の拡大ということであります。
我が国の障害者雇用は,第2次産業の製造業でほぼ半数を占めております。しかし,産業構造の第3次産業化と技術革新が進む中で,製造業での雇用の進展は余り望めない状況にあります。今後は一般雇用と同様に金融・保険業,サービス業,卸小売業等第3次産業への雇用の拡大を図っていく必要があります。
第2は,技術革新の進展とそれに対応する職業訓練の実施であります。
企業は急速に進む先端技術の導入に対応して従業員の再訓練を繰り返し行っていますが,障害者も非障害者以上にその必要があります。特にコミュニケーション障害をもつ人に対する効果的な再訓練の開発が大きな課題となっております。また,職業訓練は労働市場の要求する職種にいち早く応じることが必要ですが,急速に進む技術や設備をすべて既存の職業訓練施設に取り入れることは不可能で,企業と連携して企業そのものを訓練施設として活用するなどの方法の導入も必要であります。
第3は,障害者の高齢化や障害の重度化に対してME機器等の技術革新の成果の導入活用等による職域拡大であります。
我が国の身体障害者の約78%は50歳以上の高齢者であり,また加齢からくる生産能力の低下傾向等から高齢化の問題はますます大きくなっております。また,交通事故等による脊髄損傷者や成人病等の後遺症による重度,重複の障害者の増加も大きな問題であります。
こうした障害者の雇用の促進を図っていくには,リハビリテーション機器の開発,さらには先端技術を駆使し,障害の特性に応じてその能力を補充し,高めるME機器の開発によって,重度あるいは高齢障害者の生産能力を高め職域の拡大を図っていくことがどうしても必要であります。
第4は,企業に対する雇用促進の働きかけと,安定雇用を進める企業内の体制作りの推進であります。
障害者の雇用促進と雇用の安定には,まず事業主の協力がなければ期待できません。そのため私ども協会では,一定数以上の障害者のいる事業主には,障害者の職場への適応定着と職場生活の改善向上を進めることを主な狙いとして,それぞれの企業内に「障害者定着推進チーム」を設置するよう要請しております。
第5は,職業リハビリテーションに関わる職員や企業の相談に応ずるカウンセラーなどの専門職員の養成確保と資質の向上であります。
特に職業リハビリテーションの分野は,医療や教育など他の専門分野に比較して,専門職員の養成が遅れておりましたが,今回の法律改正によって「障害者職業カウンセラー」の法的位置付けが明確になりました。これを契機として,これら専門職員の資格要件を整備し,資質の向上を図ることが必要であります。
第6は,国際協力の推進であります。
国際障害者年およびそれに続く国連の「障害者の10年」の目標の一つは,開発途上国における障害者の状態を改善するために,国際的努力を結集することでありました。我が国の場合でも,さまざまな努力がなされており,具体的にはタイ王国における「労災リハビリテーションセンター」の建設と専門家の派遣,「国立リハビリテーションセンター」等における開発途上国からの研修生の受け入れ等の協力をしております。
また,1981年に日本の提唱により東京で初めて開催された「国際アビリンピック大会」は,その後第2回が1985年にコロンビアで開催され,第3回は,1990年にフランス(パリ)で開催予定となっております。今後とも国際アビリンピックの継続的開催などを通じて,障害者対策についての国際協力の役割を積極的に果たしていきたいと思っております。
第7は,ボランティア活動の幅広い展開ということであります。
障害者がひとりの職業人として職場の中で共に働き,また地域の中で共に生活していくのには,周囲の人びとの理解と支えがどうしても必要であり,特に障害者の完全参加と平等の実現を目指すとき,このことは極めて重要な点だと思います。市民が,それぞれの人ができる範囲において,障害者の職場生活や日常生活を支える手をさしのべるような環境づくり・社会づくりが進むことが,一人の職業人としての障害者の,精神的にも物質的にも,より豊かな生活を可能にしていくものだと思います。まだまだ時間がかかるとは思いますが,そうした土壌作りを日本でも進めていかなければならないと思っております。


まとめ

障害者の雇用機会の平等化の実現は,障害者自らの努力と事業主をはじめ周囲の人びとの協力により雇用進展の諸条件が整備されて,初めて可能となるものであります。
国際障害者年のテーマである「障害者の社会への完全参加と平等」にとって雇用問題が中心的な重要な課題であることを改めて認識するとともに,国連の「障害者の10年」の後半期に向けて,今後は,特に障害の重度化・高齢化・多様化等の進展に伴う諸課題に対して,いっそう積極的な努力をすることが我々に課せられた使命であると考えております。今日,日本の経済は発展しつつあるとはいえ,障害者の雇用問題,特にリハビリテーションについては先進国になお学ぶべきことが多いと思っております。


新しい技術開発と将来の障害者雇用に与える影響

NEW TECHNOLOGICAL DEVELOPMENTS AND THEIR IMPACT ON FUTURE EMPLOYMENT OF DISABLED PERSONS


Bernhard Jagoda
Secretary of State,Ministry of Labour and Social Affairs,FRG



はじめに

労働の権利は不可分である。障害者も非障害者も平等に勤労生活に参加する権利をもっている。障害者にとって勤労生活への参加は社会全体に参加できるかどうかを左右する鍵となる。したがって,可能な限り最善の方法で,あらゆる障害者を永続的に勤労参加させることを,障害者政策の主要課題とするべきである。
工業国においては,労働組織とその構造は今までになく急速にまた大きく変化している。このような変化は技術開発によってもたらされたのであるが,障害者の勤労生活への参加を可能にする条件にも影響を及ぼしている。この技術変化の中心をなすのは情報,通信および組織運営技術であり,この他に新しい原材料の使用などの改革もあげられる。
障害者を勤労生活に参加させるには,我々がこういった技術を積極的に取り入れる姿勢をもつことが大切である。しかし技術開発にとらわれたり,技術的に実行可能であればなんでも受け入れたりすることも慎むべきである。技術開発は人類に貢献するものでなければならないのだから,新技術を尊重しながらも,倫理上の議論には真正面から取り組むべきである。


新技術の積極的側面

新技術のもたらした結果は労働場面に影響を及ぼすが,単に職場を減らすばかりではない。近代技術の生み出した好機を利用する国においては,雇用に大刷新が行われている。さらに,新技術は人と機械の関係を決める条件の枠組みを改善し,生活と仕事の兼ね合いをはかる絶好の機会を与えてくれる。例えば,

  • ―職場を個々の労働者のニーズに合うように調整できる。
  • ―仕事と家庭生活および余暇をうまく調整できるように労働時間を編成できる。
  • ―職場での事故を減らすことができる。
  • ―(これは特に障害者にとって大きな意味をもつことであるが)新技術の導入により,今まで除外されていた人たちも職業につくことができる。
  • ―製造部門ばかりでなく経営面においても,より総合的な仕事にたちかえることができる。従って勤労者に求められる資質は高度になっている。技術開発によりハンディキャップを埋め合わせることができる。その例には次のようなものがある。
  • ―ボタンを押すだけでクレーンやコンベヤーが重い荷物を動かしてくれれば,車いすに座った人でもこの仕事をすることができる。
  • ―コンピュータは,情報の入力や出力が手書きで行われようと,点字や音響信号で行われようと明らかに問題ではない。
  • ―まったく別の目的のために考案されたものであるが,特殊なキーボードや,“ジョイステック”,“マウス”など特殊なコントロール装置によって,新たな業種につける障害者もあろう。
  • ―障害者でも,それぞれの障害にあった特殊な出力装置を使えば,既にフロッピーディスクに登録された技術関係の本や雑誌を利用することができる。

我々の勤労生活に人間味をもたせる可能性は大きく,これを開発して障害者の雇用が進むよう期待される。障害者が勤労生活に参加し,全体として社会生活に参加できる機会を作り,改善すること,これこそ近代技術の人間的要素であるにちがいない。そしてこの理論上の可能性を日常生活に実践することが,我々全員の大きな使命である。


新技術の否定的側面

新技術は人々の支えになるべきで,妨げとなってはならない。

  • ―まだ未完成で障害者には使いこなせないような技術の使用は妨げとなることもある。例えば,コンピュータを使うには,いまでも相当の知的努力をはらわなければならないことが多いが,これは実はコンピュータが本来備えているはずの能力である。スパークプラグのつなぎ方を知らない人でも車の運転はできる。マイクロ電子工学に携わる者としては,今はまだそのようなことが当たり前になることを夢みるしかないのである。
  • ―新技術を勤労生活に導入すると,今までになかった種類の資格が必要になってくる。例えば複雑な技術操作を理解したり,新しい通信体制においてますます必要とされる組織や計画作りの資格などである。このような新たな要請は,過去において既に伝統的な読み書きの力さえ身につけなれなかった人たちにとって,また別の障害となる。ここにいたってこのような人たちは,さらに多くの知的条件を身につけるのは一層困難だということに気付くであろう。


新技術の活用にむけて

新技術のおかげで,障害者の中でも特に身体障害者や,聴覚・視覚の双方あるいはどちらかに障害をもつ人には,新しく多くの機会が開かれてきたが,知能および精神障害は,勤労生活や社会生活に参加するということに関しては,今日ではますます克服しにくい障害になりつつある。したがって我々は,新技術の開発において“ユーザーフレンドリー”なものを考案するよう強く主張するべきであろう。すなわち,操作上の技術的・知能的制約はできる限り低く押さえるべきである。
一般に新技術に適用されるものは,職業訓練にもあてはめられるものでなければならない。理論的・実用的職業能力は,それを身につければ,特に新技術が導入されたときに,障害者の就労に役立つように構成しておく必要がある。この目的を達成するには以下の条件が満たされなければならない。

  • ―個人的職業訓練および教育プログラムは,可能な限り高度で時勢にあっており,実用的であること。
  • ―新技術の採用に関連して必要とあれば,必ず資格を追加して伝統的職業の概要を補正しなければならない(例えば,工業デザイナーのためのコンピュータによるデザインなど)。
  • ―障害者訓練用に選ばれた職種をたえず再検討し,必要なら開発して,このような職業が確実に障害者の将来の雇用に適したものとなるようにする。

社会は,障害者が自分の知識や能力を社会に役立てる機会を作り出す必要がある。これこそいかなる場合にも障害者の差別廃止の必要条件である。人間の歴史や文化には,例えばホーマー,ベートーヴェン,カントのような多くの障害者が足跡を残している。現代社会もまた,報道や広告に現れる強い成功者ばかりでなく,障害者の影響も受けているのである。新技術は,障害者の社会への貢献は当然だという考え方を徐々に促進することができるし,またそうしなければならない。


おわりに

障害者は非障害者を必要としているということは重要な意味をもつと同時に真実でもある。しかし一方,障害者は非障害者に多くを与えることができるということもまた真実であり重要な意味をもつ。結びに,会長のMr.Richard von Weizsacker氏が昨年のクリスマスに我が国でされた演説の一節を引用して私の結論とさせていただきたい。“健康体であるということは長所ではなく,神の恵みであります。そして私たちはいつ何時この恵みを奪われるかもしれません。障害者に対する差別をなくし,ごく自然な形で私たちの生活に迎え入れようではありませんか。私たちはお互いに仲間なのだという感覚を,障害をもつ人たちにも持ってもらいたいと思います。そうすることによって障害者を救うばかりでなく,私たちも救われるのです。なぜなら,障害者とのかかわりのなかで,私たちは,人生において本当に大切なことは何かを見出すのですから。”


障害者のためのEC政策

THE POLICY OF THE EUROPEAN COMMUNITY IN FAVOUR OF DISABLED PEOPLE

Bernhard Wehrens
Hard of Bureau for Action in Favour of Disabled Persons,Commission of European Communities,Brussels,Belgium



ECとRIの協力

4年前,第15回リハビリテーション世界会議がリスボンで開催された時には,障害者の社会統合を促進するためのECの最初の行動計画は,まだその緒についたばかりであったが,ECと国際リハビリテーション協会(RI)との間の健全な協力関係はすでにできていた。
それ以来,両者の協力は継続し,さまざまな新しい形をとり強化されてきている。ブリュッセルにあるEC委員会が12のRI加盟国ナショナルセクレタリーを集めて組織した定期会議によって,意見の交換が定期的にまた継続的に行われている。同じく重要なのは,EC委員会が開催する専門セミナーであり,これはRIの代表者や専門家のために,毎年違う国で開かれている。これらに劣らず重要なのは,障害者に関するECの政策についてRIが提供する貴重な助言である。


ECの障害者雇用政策

この数年間,もっとも顕著な協議の議題の一つは,この全体会議でも特別な関心をはらっている事柄,すなわち,障害者の雇用である。
EC委員会は1982年に最初の計画を実施して以来,雇用の促進を障害者のための活動の最重要課題と考え,この実現のために,3つの主要な行動手段のすべてを活用してきた。3つの行動手段とは,財政的介入,技術協力および政策の展開である。
この期間,委員会はヨーロッパ社会基金が障害者の職業訓練と雇用のために行う財政援助を継続し,かつ拡大してきた。これは現在,年間約2億エキューに達している(約2億2,780$)。委員会が組織しもしくは援助した技術協力は,さまざまな意味で,またあらゆる分野で拡大しており,それには,次のようなものがある。

  • ―RIセンターのEC内ネットワークの活動の緊密化。
  • ―地域統合プロジェクトの第一ネットワーク(地方ネットワーク)の活動における雇用の優先。
  • ―ヨーロッパのNGOに対して,雇用のテーマを計画に含めることを奨励。

また,EC委員会は政策レベルにおける行動に特に重点をおいている。特に,1986年に理事会において採択された「障害者の雇用に関する勧告」の実施であり,これは,ECが障害者のために行った最初の明確な政策行動である。
その勧告のなかで,私たちは,障害を持つ人々が,ことに経済の不況と不安定の時期に,開かれた雇用において公平な機会を得られるような基本対策をうちたてようと努力した。政策の基礎には,確固たる立法によってマイナスの差別を除去し,プラスの差別の要素をもたらすような社会的保証がなければならない。さらに,積極的な行動の一貫した戦術を促進し,奨励し,容易にし,かつ強化するような,互いに関連を持つ包括的対策が必要である。


これからの政策

それから2年後の今,私たちはまさに,最初の「1986年の雇用勧告の実施報告書」を完成しようとしているところである。すでにきわめて明らかなことは,その「勧告」が必要にして有用な第一歩ではあったが,十分ではないということである。したがって,この分野における第二の政策立案の必要性についての真剣な検討が必要となっている。このことはいうまでもなく,各加盟国においてほとんど何も成し遂げられなかった,あるいは実施されていないからではない。反対に,私たちは,まだなすべきことがどれほどあるかについてと同様に,効果的に実行できることについて,より多くのことが実証されているゆえに,ヨーロッパにおいてさらなる努力を行わなければならない,ということである。
EC各国における障害を持つ労働者の失業率は,世界平均の1.5倍から2倍の範囲にある。これは,登録されていない障害者や,さまざまな理由から労働市場に参入していない障害者を除外した数字である。さらに,施設に入っていない障害者を含めると増加する数字も考慮していない。
機会の平等が実現されなければならないとすれば,私たちはさらに努力しなければならない。そして,それができると私は信じている。
先ずはじめに,すでに実験の終わっている積極的戦術をあらゆるところで実行に移す決意が必要である。
それは,職業訓練の段階で言えば,コースのモジュール化,対象年令,入所日,教授法についてのより柔軟な対応,計画的な統合,さらに特別訓練機関と一般機関の協力の緊密化などである。コースは,地域および国家の雇用ニーズにより多く適合したもので,また訓練生に対してより多くの財政的・環境的援助も必要である。雇用市場においては,何よりもまず,経営者に対してできる限りの奨励と支援を行い,ためらったり,経験不足の経営者たちには成功例を示すことである。このためには,利用しやすい行き届いた情報・助言サービスが必要であり,また,制度の導入,企業内訓練,ポストの設置,生産性の低下といった特別なコストには財政的補償をする,ということも必要である。
必要な場合には,奨励策が契約により保証されるべきである。これには,公的投資が含まれる。しかし,それについては,補助金を受けて活動を行わない生活と,生産者,消費者,納税者として過ごす生活の間に,経済的格差をもうけるべきことを忘れてはならない。
また別に,この問題の社会的保証の側面も検討しなければならない。
幸いにも,EC諸国におけるマイナスの差別の例は,政府の施策と社会的圧力によって,減少しつつある。一方プラスの差別についていえば,特に割当雇用については,EC各国において注目すべき進歩がある。数年前までは,ヨーロッパの割当雇用制度の経験のなかでは,ドイツ連邦共和国におけるかなり特別な成果を除いては,プラスとみなされるような進歩はそれほど多くは見られなかった。
しかしながら,3つの加盟国における最近の想像性に富んだ改革は,状況を一変させた。今後,EC委員会において基本的な立法の検討が必要になってきた。
重要なことは障害者の雇用に関するこれらの新しい提案を導入するにあたって,雇用問題は非常に重要なので,孤立した単独の問題として取り扱ってはならないということである。それは,自立生活を促進するための各部門にまたがる政策の中の,相互に関連の深い要素の一つなのである。その政策には,職業訓練はいうまでもなく,教育,社会保障,それに住宅,アクセス,移動などの環境的部門も含まれる。同時に,その政策は,直接的な財政的介入に支えられた技術援助・技術協力の充実した計画から生まれ,またそれと調和のとれたものであるようにする必要がある。
1988年4月にEC委員会が採択した障害者の経済的・社会的統合と自立生活を促進するための第二次行動計画の目的は,EC委員会がその総合的な責任と一連の活動を1990年代に向けて進展させることである。欧州議会からも強力な支持を得たこの新しい計画は,HELIOSの名のもとに,4年間にわたって実施され,その期間の予算は約2,000万エキュー(約2,270万$)に上る予定である。
すべての障害者のために充実した生活を推進するこの投資額は,ECがこの分野における責任を認識していることを明瞭に示しており,この責任はいまや強化され,確固たるものになっている。同様に大切なことは,この計画が実行される際の努力を分かち合う精神であり,この精神がECの外部にまで広がり,開発途上国への援助の領域にも発揮されるようになることが望まれる。これにはNGOが大きな役割を果たすであろう。
これらの分野すべてにおいて,また未来にまたがるこの素晴らしい期間を通じて,ECとRIとの協力は確実に維持されまたさらに拡大されるであろう。


障害者の雇用機会の平等化

―インドネシアの例―

EQUALIZATION OF OPPORTUNITIES IN EMPLOYMENT OF PEOPLE WTH DISABILITIES:INDONESIAN EXPERIENCE


Soetadi Mertopuspito
Indonesian Society for the Care of Disabled Children,Jakarta,Indonesia



はじめに

インドネシアは世界最大の多島国で約1万3,600の島から成り,そのうち7,600以上の小島には名前がなく,約6,000の島に人が住む。スマトラ,カリマンタン/ボルネオ,スラウエシ,ジャワ,イリアンジャヤの5つの大きな島があり,総面積は約191万9,443平方キロメートルである。地理的にはインド洋から太平洋にかけて東西4,800平方キロメートル以上に広がり,赤道をまたいで南北2,000平方キロメートルに及ぶため通信や交通が困難である。1987年現在の人口は約1億7,200万人で,中国,インド,ソ連,アメリカ合衆国に次いで世界第5位である。人口の60%はジャワに住むがジャワは全面積の7%を占めるにすぎない。総人口の約80%は農村地区に,その他は都市に住む。
1974年,1980年の無作為調査によると全人口の3.11%が障害者でその内訳は以下のとおりである。

身体障害・肢体不自由 0.85%: 1,462,000人
視覚障害 0.90%: 1,548,000人
聴覚/言語障害 0.31%: 533,200人
精神障害 0.40%: 688,000人
慢性疾患由来の障害
(特にらい病)
0.65%: 1,118,000人
合計: 3.11%= 5,349,200人


理論的前提と政府の政策

障害を持つ人々は平等の権利を有するとともに平等の義務も有する。したがって社会の建設に参加しなければならない。障害を持つ人々に対して世間一般が期待の度合いを引き上げる必要がある。
障害を持つ人と持たない人に対する平等の権利の原則は,何人であろうともそのニーズには同等の重要性があるということを意味している。そのためすべての個人に平等な参加の機会を保証できるようにすべてのリソースを利用しなければならない。
リハビリテーションの過程に障害者が積極的に参加することが障害者が雇用を得る機会を平等化させてゆくための努力を成功に導く条件であろう。
農業国には常に隠れた失業がある。これは仕事の機会が実際に限られていることを意味し,農業から工業への移行があり成長産業の数に限りがある国々では雇用の機会も不十分である。このような状況では一般的労働市場での競争がたいへんに厳しい。
障害者のリハビリテーション・サービス(以下リハ・サービスと略す)では,心理・社会,保健,社会および文化,教育および訓練,経済といった多くの側面を扱う必要がある。これらのサービスは単に政府の責任だけではなくコミュニティの責任でもある。したがって政府とコミュニティの努力がひとつになり,よく調整がとれていなければならない。このような場合,政府法例No.36/1980と大統領命令No.39/1983に基づき,社会事業省が政府機関やNGOが行う障害者のための社会福祉活動のすべてを調整する責任を負う。
今述べたような前提のもとに政府は社会福祉活動を通じて障害をもつ人々の問題に対処するため,以下の諸対策を打ち出している。

  • ―国民はすべて人道の基準にしたがって人並みの雇用と生活を得る権利を有する。
  • ―障害者のためのリハ・サービスへのコミュニティの参加が,政府の政策に合わせて推進されるべきである。
  • ―障害者を物として扱うことなく,リハビリテーション過程における対象者として,位置づけるべきである。
  • ―障害者のための社会福祉活動は学術的かつ各省庁協力的なアプローチをとるべきである。
  • ―障害者を雇用する機会が乏しいことにかんがみ,また雇用の機会平等化促進のため,工場・企業での雇用を減らすことなく,自営業の開拓にも力を入れるべきである。

これらの活動は,CBRによる社会リハ・サービスを取り入れた以下の3つのシステムを通じて行われている。

  • ―施設収容・社会リハ・サービス
  • ―脱施設・非収容・社会リハ・サービス
  • ―公的住宅


対象および方法

社会リハ・サービスを行う場合,特に障害を抱える人々の雇用の機会を平等化しようという試みにおいて考慮すべき条件,状況は以下のとおりである。
障害者の大多数はほとんどが農村地域に住み教育歴は高くなく,技術訓練を受けていない。また劣等感,過敏,依存性といった情緒的問題も抱えていることが多い。
障害者に対する家族の態度には,障害者を家族内のケアの中に隠す傾向がある。障害者の能力を低く見積もり,扶養される者として扱う人々が依然として非常に多い。
インドネシアでは,成長企業の数が限られており,就職の機会が乏しい。仕事の口があったとしてもある種の技術や適切な教育歴が要求される。
障害者に対する雇用側の態度には,どのような作業を遂行させる場でも,障害者の能力に疑いを持つ傾向がある。障害者は一般労働市場で競争に直面しなければならない。
障害者のためのリハビリテーション・プログラムでは,政府の政策に基づき,雇用機会に割当制度を適用する政令は設けていない。その代りに,障害者がグループや個人で自営業や仕事口を創りだすような方向に動機づけ訓練するようにプログラムを調整している。
以下の2種のアプローチがすすめられている。
第1は,障害者に関する前提条件として,障害問題について建設的な社会の姿勢を啓発し,意識を高めることを目的とする社会開発アプローチである。これを通じて,障害者リハ・サービスの過程により大きくより広い規模でコミュニティの参加を結集させる可能性が促進されるであろう。
第2は,障害者に社会的援助とリハ・サービスを提供することを直接の目的とする社会サービスアプローチである。このアプローチは以下の3システムにより履行される。

  1. 施設あるいは収容リハ・サービス
  2. 村レベルでの非施設あるいは非収容リハ・サービス。
    これは政府のソーシャルワーカーの指導のもとで社会事業ボランティアが主として行う。
  3. 社会事業省が開発し出資する公的住宅を提供することを目的とする。

リハビリテーションが終了し,民間に仕事を得たが,住宅問題を抱える障害者は,公的住宅に配置される。特にらいによる障害者には,リハビリテーションが終了し農作業の訓練を受けたあと公的住宅に配置し,最初の1年間は,住宅,農地,用具,公共設備,食料援助の提供を行う。
これらのシステムの進歩を減退させることなく,障害者のための社会リハビリテーション実行上,あらゆる方策で重点を置くのは,草の根レベル,村レベルにおけるCBRによる社会リハ・サービスである。その主たる目的は,障害者が周囲のコミュニティの支持を受けて自らの仕事を創りだすために自ら努力するのを援助することである。
CBRによる社会リハ・サービスは,特に障害者のための脱施設リハ・サービスの実施のために,第2次5カ年開発計画(1975年)当初より社会事業省で進められている。その当時社会福祉のアプローチに根本的変化が生じ,閉鎖的システムとして行われる施設ケアから脱施設ケアへと移行があり,CBRによる社会リハ・サービスの実践活動を拡大するため以下の機構が設けられた。

  • ―あるコミュニティの中で障害者への社会的援助やリハビリテーションをコミュニティ中心のサービスの形で提供するためのベースステーション(実践基地)。その地域の障害者の訓練,商品生産過程,マーケティング等といった活動に利用できる建物と簡単な用具設備から成る。
  • ―ベースステーションやその他の農村の各地域における脱施設計画に支持サービスを提供すること,また広く散在する村々の障害者の多くに手をさしのべることを目的とした移動リハビリテーションユニット(MRU)。MRUは移動可能な学際的かつ各省庁間協力的なチームで,コンサルタント,専門家,技術者が障害者に対し,彼らの住むコミュニティの中で入手できるリソースを最大限に利用しながら,適切な一般的リハ・サービスを提供する。
  • ―障害者ビジネスグループ計画(DBGS)または障害者の生産運動グルーブ計画は,訓練を受けた障害者が共同で製品の生産をしたり,ある種のサービスの提供のために力をあわせる生産協同組合を設立するために創立された。DBGSはその活動においては独立しているが,社会事業省から指導,監督をまた時には現物による援助(用具や材料)を受け,自分たちのリソースや活動をまとめる希望を持つが自営用の準備に助けを必要としているような自発性のある,訓練を受けた障害者の小グループがある場合に適用される。その他の活動は個々の障害者が民間のビジネスを創ることである。DBGSや個々のビジネス計画の他に各種の企業に配置されている障害者もある。

これらをインドネシア障害者協会(インドネシアDPI)という全国組織にまとめるために社会事業省により障害者の各種団体のリーダーに働きかけがなされ,1987年に正式に設立された。
社会事業省は,雇用者協会と正式な協力事業を設立した。それは訓練を受けた障害者に就職を斡旋するための地域レベルでの萌芽的活動プログラムで,国レベルまで進められる予定である。


結果および考察

現在までのところ社会事業省により21の州に33ユニットの障害者リハビリテーションセンターが,NGO(非政府間機関)により23の州に55ユニットの施設リハ・サービスが設けられ運営されている。
CBRの傾向の強い非収容リハ・サービスが,27州で行われている。それらには7州対象の移動リハビリテーションユニット8,26州のベースステーションまたは実践基地192,26州の障害者ビジネスグループ計画3,094ユニットがある。
公的住宅施設は,17州でらい回復後の障害者とその家族のために,2州ではその他障害者と家族のために設けられ運営されている。
障害者のリハビリテーション・プログラムの活動をしているNGOは大きく成長し,352組織になり,それらの働きは22州に及ぶ。
UNDP/ILOおよび社会事業省がスポンサーとなり,「経済的・社会的リサーチ,教育および情報研究所」が行った研究が,農村地域に障害者向けの200種の異なる実行可能な仕事があることを明らかにしている。
これらすべての活動の結果,68万8,750人の障害者つまりインドネシアの全障害者人口の12.5%がサービスを受けることができた。そのうち,22万5,037人すなわちサービスが届いた障害者の33.65%が障害者ビジネスグループ計画で個人(18万6,623人)またはグループで(3万7,528人)自営業についた。さらに,886人の訓練を受けリハビリテーションを終了した障害者が各種産業の会社,工場で雇用された。これにはインドネシア雇用者協会の援助により雇用された600人も含まれている。
障害者が,個人またはグループで自分達のビジネス計画を持つまでのリハビリテーションを行う時,その成功の主な要因は,十分な技術のマスター,正確なマーケティング戦略とマーケットとの関連で正しい状況の把握,効果的で機能的なわかり易いビジネスマネジメント,十分な資本あるいは設備と材料,優れたリーダーシップ,強い自己動機づけ,人間関係や社会的関係上の能力である。
障害者雇用の機会平等化を妨げる主な原因は,障害者の潜在能力や才能について,家族,コミュニティ,雇用者が依然として否定的態度をとること,開放的労働市場で雇用の機会が限られ競争が厳しいことである。
このような経験から二つの主要課題が浮かび上がった。つまり(1)いかにしたらより多くの障害者人口にサービスやリハビリテーションを提供できるか,(2)リハビリテーションを受け,訓練を受けた人々が強い自信と自足できる収入を得て独立できるようにするためにより良いアフターケアサービスを行うのにはどうしたらよいのか,ということである。


結論

障害をもつ人々の雇用の機会を平等化するための方法はいろいろある。インドネシアにおける経験では,障害者の雇用機会を平等化するために障害者の自営業の促進および障害者の就職斡旋への雇用者参加の促進にかなり適切な努力が向けられている。


〔参考文献〕

  1. International Labour office, Geneva Community Based Rehabilitation Services For the Disablad; A pilot experience in Indonesia.
  2. Intenational Labour Office Geneva. Vocational Rehabilitation of Disabled Persons; Tenth Asia Regional Conference Jakarta, Desember 1985.
  3. Rehabilitation hand book.Basic Guidlines for Petugas Sosial Kecamatan(Sub‐district Social Workers) Project INS/82/011 Department of Social Affairs, Government of the Republic of Indonesia, in association with ILO/UNDP.
  4. Soetadi Mertopuspito. Review Achievement at the Mid‐point of the UN Decade of Disabled Persons in Indonesia(Working Paper).
  5. United Nations. World Programme of Action concerning Disabled Persons.

障害を持つ人々の雇用機会平等化

EQUALIZATION OF OPPORTUNITIES IN EMPLOYMENT OF PEOPLE WITH DISABILITIES


Luis Filipe Pereira
State Department for Social Security,Ministry of Employment and Social Security,Lisbon,Portugal


「雇用機会平等化」という特定の問題にポイントをおいて話を進めたいと思うが,ポルトガル政府も私も将来のニーズについての計画を立てるときに,今日のすべての日常的な問題に現実的な対応をすることが必要であることはよく認識している。
障害者が地域の生活に完全に参加し,すべての市民に保障されている権利と自由を行使する権利について,社会のさまざまな分野で重要な再検討がされている。障害者の完全参加に障害となっていることを明確にするためと,80年代末のリハビリテーション政策の目標に関してもっと一般的な理解を得るためである。
人間的で友情に満ちた社会を造るために,我々が望み努力してきたリハビリテーション政策を,我が国の経験に触れながらご報告しようと思う。
ポルトガルの法律は,障害者の権利についてはっきりと述べている。ポルトガル共和国憲法71条によると,「身体および精神の障害を持つ市民はすべての権利を享受し,また憲法に盛られているすべての義務に従わねばならない。ただし障害上それが不可能であるものの実践や履行は除く」また「国は障害の予防および治療,障害者のリハビリテーションそして社会的統合のための国レベルの政策を遂行し,社会の障害者に対する尊重の義務や連帯感の認識の高揚をはかり,障害者が権利を十分に駆使できることを確実にする……」。
この憲法上の義務は,その任務にしたがってリハビリテーションプロセスのさまざまな段階に直設的,間接的にかかわる行政機関内の各部門のすべてに課せられている。憲法により認められ,またさまざまな分野の法律で確認されている権利の平等はポルトガル政府の政策の趨勢となっており,障害者のための効果的な機会平等化達成に通じるものと信じている。
ポルトガル政府は欧州経済共同体の一員として,障害者の雇用に関する同協議会の決定に従い,障害者の職業訓練と雇用の促進を目的とした対策を講じている。
作成された政策ガイドラインは,各省庁の政策の中に障害者の状況に合わせた特定の奨励や規定を含めながら障害者の権利と機会の平等を保障する状況を整えてきている。
当然しなくてはいけない共存を実現することはそう難しいことではないだろう。障害者の雇用促進や職業資格の向上を目的として,一般の労働法や特別な政策のなかに障害者の状況を明確に保護する条件を含めるためには,例えば青年の職業訓練や社会と職業の統合プロセスに関連して教育と労働,労働と社会保障給付政策の間にあるような矛盾やギャップを埋めるため行政機関のさまざまな部門による調整介入が応々にして必要である。
リハビリテーション政策の決定および障害者問題に関連あるすべての公的,私的サービス団体が進める施策や活動の調整を行う政府の担当部門一員としての私の立場から,統合政策を進めていく上で必要となる活動や部門間の連絡の調整をはかるために,当該部門である全国リハビリテーション事務局がとってきた最近の動きのいくつかをあげたい。
我が国の政府はリハビリテーション基本法を承認したところであるが,その基本法は国の介入の指針を明確に定め,また諸権利の有効性すなわちすべての市民に認められたすべての権利と自由というより広い背景の下に尊厳があり報いの得られる活動をする権利を目指している。
今日の社会では,雇用,昇進,経済的自立は市民として当然のものである。障害者は応々にして程度の差はあれ,社会の無生産メンバーであると考えられるために,不平等の埋め合わせの対策の履行は時間もかかりまた難しい。そのためには政治的イニシアチブだけでは十分でなく,非常に複雑な個人の態度や社会的習慣,そして集団心理の中に深く根ざす考え方を変えることも必要である。
ポルトガルでは,一般化され,義務化されている「割当制度」はできていない。政府は,技術,財務援助をすることで,雇用促進の施策をすすめる方針をとっており,その中には次のことが含まれている。:障害者を雇用し,仕事を継続させる企業やその他の組織への資本補償給付金:建築上の障害物の除去や作業場所の改修のための手当:自営業用助成金:障害者を雇う企業の社会保障税の減税。障害者の就業生活へのアクセスを改善することを意図としたこれらの対策に加えて,地域プログラムの明確化,現地雇用の開発,協同組合システム促進についても相当の関心がはらわれてきた。このようなアプローチの進展により,近い将来には雇用の機会により多くの動きがもたらされるものと思われる。
雇用機会の平等は確かに重要ではあるが,人間が個人としてあるいは社会的存在としての充足感を満たすためには,従来の雇用主と被雇用者との関係での労働条件だけでは十分だとは思われない。より重度の障害者が各々の地域生活に完全にとけこめるようにする方法を見つけることも必要である。
最後に,すべての施策を進めるにあたって過度に保護的にならないようにするためにも,国だけに依存することは避けるべきだと思う。解決策は障害者の意志,家族の努力,連帯運動の結合の下に我々皆で見い出していかなければならない。


障害青年の教育ニーズ

―学校‐職場移行期における将来への課題―

EDUCATIONAL NEEDS OF DISABLED YOUNG PEOPLE:ISSUES FOR THE FUTURE IN THE TRANSITION FROM SCHOOL TO WORK


M.Salman Faruqui
Ministry of Health,Special Education and Social Welfare,Pakistan


教育システムの主な目的は,子供たちや若者が技術や知識,経験,心構えを修得し,自分たちの属している社会の一員として立派にやって行けるようにすることである。このことは,障害をもつために,学習能力が損なわれ,進度も遅れがちな子供や若者のニーズに応えるように考案された特殊教育システムにおいても,同様に真実である。
“教育の目的はあらゆる子供にとって同一である”(The Warnock Report.U.K.,1978)。ただし,カリキュラム学習における優先順位や教授法は,個々の子供のもつ障害から生じる教育のニーズにより,修正されることはいうまでもない。しかし,カリキュラム作りと教育サービスの基礎となるのは,子供たちや若者に生活の準備をさせるという共通の目標である。
パキスタンでは総合的な障害者対策はまだ始まったばかりである。しかし,国内の施設の設計と展開に関して基盤とする理念は,すでに我々の目標である精巧な設備を備えるというレベルに達している先進国と同じである。ごく最近改正されたばかりの“特殊教育とリハビリテーションの国家政策”にその概要が示されている。


パキスタンの施設の現状

パキスタンにはここ3~4年のうちに40以上の特殊教育施設が全国に設立され,4つの広いカテゴリーの障害をもつ子供たちの初等教育が行われている。計画は既に着々と進行しており,数カ月以内に各地方に中等教育計画が確立することになるであろう。このように,現存する施策の守備範囲にギャップがあるために,生徒たちのために持続性のある一貫教育を立案することが,特に困難になっている。カリキュラムの構成に関しての最近の勧告は,卒業へ向けての準備と適切な技術や生活態度の修得は,子供が入学した時点から開始し,積極的に進められるべき教育課程であるということを重視している。我が国の各センターで行われているプログラムでは,子供の後の生活において役立つと思われる技術の教授と学習が適切に行われている。しかし,近い将来中等教育を確立するには,このような概念をさらに改良し,資格をもった教師に現場教育の機会を与える施設も必要である。
パキスタンにはなんらかの障害をもつ4歳から20歳までの青年が110万人いると推定されている。この人たちの特殊教育ニーズには以下のものがある。

―補足的普通教育
―職業技能訓練
―就職指導とカウンセリング
―職業紹介とサポート

始まりは1986年11月であった。障害をもつ若者のニーズに応えるために,イスラマバードに国立障害者訓練センターが設立されたのである。現在センターには176人の学生が登録しており,さまざまな形で職員の援助を受けている。学生の性別,障害別分布は表1のとおりである。
訓練を受ける学生は,成績とそのセンターで受けられる援助や科目によって伸ばすことのできる能力により選ばれる。労働省の国立訓練局の設置している職業訓練センターとの連携もあり,普通科コースを一部受講する学生も多い。現在6地域に業種別訓練施設が置かれている。この職業コースには70人の学生が在籍している。障害別・コース別の学生の分布は表2のとおりである。
このセンターの設備は学生訓練用としては最も近代的なもので,情報の実用的な活用を重視し,学生は必要とされる基本的な学力を伸ばせるようにプログラムが組んである。
当然のことながら,このセンターの設立は,多くの障害青年のニーズを満たすためのささやかな第一歩である。訓練設備の整う業種の範囲を拡大しなければならないということも一般の認めるところである。

表1

障 害
視覚障害 11 5 16
精神薄弱 65 13 78
身体障害 50 7 57
聴覚障害 20 5 25
146 30 176

表2

障 害
業種 視覚 精薄 身体 聴覚
電気関係 11 2 1 14
機械関係 4 4
溶接 13 13
編物 1 5 1 3 10
洋裁 2 3 8 13
注文家具製造 4 11 1 16
5 46 6 13 70


将来の計画

過去2年ほどの実績に基づき,各州の首都に同様のセンターを設立し,利用可能な訓練所の数を実質的に増やそうという計画が承認された。このような施設は現会計年度内に開設のはこびになっている。こうしたセンターの担当地域を拡張するためには,主要都市から遠い地域に住んでいる生徒のために宿泊施設を充実させることも提案されている。
短期間の体験就職が普及し,生徒が最終的にコース選択する前にさまざまな職種における適性検査が行われれば,訓練センターの事業とその教育課程も改善されよう。地域の雇用主を,労働体験や就職斡旋の窓口としてそれぞれのセンターの上級職員に任命すれば,彼らとのつながりを深めることになるだろう。一般の職場ではやっていけないような若者や成人にとって,保護作業所の設立は強い関心の的ではあるが,財源獲得という問題が支障となるだろう。
全国障害者リハビリテーション協議会では,必要備品購入補助金を交付することにより,自営業を営む能力のある障害者の援助に主導的役割を果たしてきた。ILOとの協力体制により技能センターもできて,障害をもつ学校卒業者や成人になってから障害者となった人たちが,訓練を受けたり,指導を受けたりする可能性をさらに広げている。
公共機関や民間の経営者に1%の障害者雇用割当を義務づける現行の法令を強化すれば,障害青年や成人の職業訓練への要請も,いっそう増加するであろう。
我々がどれだけこのようなニーズに応えられるかは,継続性のある教育設備のパターンを確立することができるかどうかにかかっている。そして,カリキュラムへの反応が拡大し強化すれば,障害をもつ若者はさらに上級学校や職業センターへとスムーズに移行できるであろう。もしこのようなことが今後何年かのうちに達成されれば,我々は障害者の存在により多大な利益を享受することになる。彼らは真にパキスタンという国家社会の一員として積極的に社会参加する力を持っているのだから。


総会V 9月8日(木)9:00~10:30

将来への展望―その現実と可能性

LOOKING AHEAD:REALITIES AND POSSIBILITIES

座長 Col.Joao de Villalobos RI Deputy Vice President for Europe[Portugal]
副座長 小川 孟 横浜市総合リハビリテーションセンター副センター長


家庭および家族内での障害者への適切なケアのための現実と将来展望

LOOKING AHEAD:REALITIES AND POSSIBILITIES FOR SUPPORTING APPROPRIATE CARE OF DISABLED PERSONS AT HOME AND IN THE FAMILY

J.van Londen
Ministry of Welfare,Health and Cultural Affairs,The Netherlands


本論文のテーマ,「家庭および家族内でのケア」は,そのわかりやすさ故にただちに興味を引くものである。また“現実的展開と将来展望”という全体テーマによく合っている。家庭と家族は我々だれもが子供の頃からなじんでいる2つのもので,人間の初期の社会的発達を形づくる主要概念である。「家庭」と「家族」という言葉から多くの人々が個人的な体験を思い出す。この必然的に個人的な性質のことには,その人の年齢,文化や社会経済的状況ばかりでなく,どこに住んでいるかということが強い影響を与える。
それ故,私が述べることを表面上の意味でとらえるのではなく,ご自身の国や地域の社会,文化的状況におきかえて理解されることをお願いしたい。このようにすることによってのみ,「家庭および家族内でのケア」がより多くの支持を得るのに値するか否か,オランダと貴国の間で現状と可能性に多くの共通点があるか否かを査定できるであろう。いずれにしてもリハビリテーションや社会的統合に関して政策を決定する際,これらの主要概念―家庭および家族―の重要性を理解することが不可欠であるということに同意されるであろう。“家庭”と“家族”は障害者,非障害者すべての人々にとってのいわば基本的道具(tool)である。
さてオランダの在宅ケアの現状と今後の進展の可能性について述べたい。特にオランダ障害者協議会の役割について説明したい。将来性に関する限りは当然ある程度の推測にたよらなければならない。しかしながらこの分野での進展にはどこの国でもすでに広い層の関係者達から支持が寄せられている。オランダ政府は保健分野における将来の発展のための調査研究グループを発足させた。その課題のひとつが,いわゆるフロントラインの在宅ケアにおける総合的な健康管理と福祉である。
ここでまず最初に「在宅ケア」で私が意味することを定義したい。そのいくつかの特徴をあげることにより,在宅ケアがこの第16回リハビリテーション世界会議の背景や目標にいかに良く一致しているかということを明らかに出来ればと願っている。
以下に在宅ケアの特徴をあげる。

  • ― 患者,クライアントやその周辺の人々からの要求やニーズに基づくものである。
  • ― 患者の同意の下で,ヘルスケア・サービス,ソーシャル・サービス等の組み合わせから成り,患者やクライアントのニーズに十分合ったものであり,家庭内であるいは手の届く所で効果的,能率的に,且つ患者,クライアントおよびその家族が満足できるような形で提供される。

このような在宅ケアの定義は明確さに欠けると思われるかもしれない。物事は常に明確な取捨選択と区分線があることを前提とする○×式質問によって簡単に見せかけられていることが多い。私共の理解する在宅ケアにはそのような過度の簡略化の余地はまったく無い。在宅ケアを定義しようという試みはすべて個人から,彼あるいは彼女のニーズあるいは意見から始まらなければならない。個々の患者やその周囲の人々の間にあるニーズには違いがあり,すべてを包括する定義は不可能である。
しかし,個々の在宅ケアの組み立てを特徴づけるいくつかの基本的項目を例としてあげることはできる。それらには,パラメディカルの援助,患者の家の改築,情報提供,輸送手段の整備,技術的援助,そして必要ならば買物,毎日の連絡,会話,コミュニケーションといった簡単な手伝いが含まれる。
一方,在宅ケアが無制限の分野であるというわけではない。クライアントとその一番身近な家族や交流のある人々を中心に据えたいが故に,それらの人々の身体的,心理的,財政的限界によって我々の活動の範囲が定められるということがある。患者およびその家族の資力,能力,資質と彼らが背負う重荷の間に注意深くバランスを築く必要があり,長期在宅ケアが要求される場合には特にそうである。
範囲を設定する2番目の要素は,提供するケアの質,どの程度特定のニーズを満たすことができるかということである。患者,クライアントの中には―これまでは―家庭では提供できない専門家の援助を一つまたは複数必要とする人がいる。我々の在宅ケアの計画にはそのような特別な援助を提供できる人々との協力を考慮に入れる必要がある。家庭内に専門家のケアを提供し,より快適な家庭生活を可能にするための新しい方法,技術を開発するための調査研究を行う必要がある。在宅ケアの特徴と目標はクライアントが社会の中で適切に機能し続けることを可能にするものでなければならない。人間は社会的存在であり,その個人的発達と社会への統合,再統合は相互に深い関連がある。従って在宅ケアでは統合は二重に重要である。特徴であり目標のひとつである。社会的存在としてのクライアントが中心であり,創造的な在宅ケアはクライアントの能力を考慮に入れて組み立てる必要がある。ケアはクライアントを社会の端に追いやるのでなく,その中に参加させるために行なわれるべきである。クライアントを孤立させたり,烙印を押すような方法は再統合の過程を妨げるだけである。このように, 創造的在宅ケアは統合をさらにすすめるための基礎を提供するものとしてとらえることができる。在宅ケアは障害者の能力を補うのみならず,人々の個々の能力を強化し,支援するものである。
3番目の要素は,言うまでもなく,財政的なことである。オランダでは社会健康保険制度を再建する案が議会に提出されている。その中で在宅ケアが基本的な形で組み入れられている。
将来性について言えば,今定義したような在宅ケアが一般的に現実のものとなるまでにはまだ相当の社会的障害がある。初期の何十年間はサービスの供給面に専念する傾向があり,クライアントへの注意は不十分であった。この状態については当然のことながら専門家や現場で働く人々の双方に不満があった。障害児達の親達や障害者自身も黙ってはいなかった。彼らは民主的権利を駆使して政府に直接交渉し,身体障害者のための50組織をまとめる包括的な協会である障害者協議会が政府との話し合いに入った。協議会は1986年に「障害を抱える人々への在宅援助」と題するレポートを発表した。このレポートは現存の在宅援助のシステムと在宅援助に必要とされる条件を述べ,結論として,直面している問題の一覧ならびにこれらの諸問題を解決するためと新しい状況を創り出すための提案を載せている。在宅ケアの概念の中心にいる人々が書いた現在の状況の記述である。将来の発展に関する助言も得られる。彼らはこの社会の市民として,傍らで受身的に待つのではなく,障害者協議会のもとで一体となり解決法を見出そうとしている。
最近・より良い方向へのいくつかの変化がみられたと思う。その例は,運動機能障害を持つ人々のリハビリテーションや視覚障害の人々を対象とする援助に見られる。今後何年にもわたって在宅ケアを改善し,拡充する必要があるであろう。今までのように,他の国々の経験から多くを得ることが出来るように望んでいる。患者や障害者を代表するオランダの諸組織が重要な役割を果たし続けることを期待する。
この会議の参加者の多くは各種の文献から日本についての第一印象を持っていることであろう。私が一冊推薦するとしたらそれは長年ワシントンポストの東京特派員であったRichard Halloran氏の本である。Hal‐loran氏は自らの日本との長い関わりの経験を語る中で,日本の特質や文化を一夜のうちに理解することを期待すべきではないと警告している。彼は,日本は自らの文化を傷つけることなく,他国の生活の良い面を取り入れるのに繰り返し成功してきていると信じている。彼はこの選択的同化の術を日本的特技と呼び,このことから学ぶことが多くあるとしている。


〔参考文献〕

  1. Dutch Council of the Disabled. Home help for People with a Handicap,Utrecht 1987.
  2. Halloran R.Japan:Images and realities, Charles E. Tuttle Company, Tokyo 1972 fifth printing.
  3. Kaprio L.A.Primary Health Care in Europe,Copenhagen,World Health Organization, 1979,Euro reports and studies14.
  4. Lalonde, M.A new Perspective on the Health of Canadians,Gov.of Canada,Ottawa,1974.
  5. Lee,P.R.and Patricia E.Franks,Health and Disease in the Community, in Primary Care, Edited by John Fry,Willia Heinemann,Medical Books Ltd.Londen,1980.
  6. Ministry of Health, Human Services and Culture.Health as a focal point; an abridge version of the memorandum Health 2000, The Netherlands, 1987.

コミュニケーションに触れて

ON COMMUNICATION

花田 春兆
国際障害者年日本推進協議会副代表


花田です。国際障害者年日本推進協議会という障害者・家族・関係者などの100近い団体によって構成されている共同体の副代表をしています。本職は俳人または作家ということになっています。
皆さん,よく日本にいらっしゃいました。心より歓迎いたします。日本の印象はいかがでしょうか。眼前の日本に,あなた方のお国の過去をお感じになりましたか。未来をお感じになりましたか。同じ現在をお感じになりましたか。 それぞれのお国の事情によって異なるかと思いますが,そればかりではなく,日本のどこを,また何を見られたかによっても違ってくると思います。つまり,同じ日本でも一様ではなく,進んでいる所と遅れている所があります。オーバーに表現するなら,過去と未来を想像させるものとが,見事に混在しているのです。たとえば,片方には車いすでも自由に動けるホテルがあるのに,片方にはそんな設備や配慮がまるでなされていない鉄道の駅や列車がある。経済的な所得保障の年金制度は不十分ながらも一応はある一方で,日常生活を支えている筈の介護システムは一向に整えられていない,という具合にです。
こうした時間的に捉えて混在と見られることを,地域的に捉えてみると偏在ということになりましょうか。
東京・大阪のような都会のリハビリテーション施設のある地域と,そうでない地域とではどうしてもそこに差が出てきてしまいます。もっと極端に言うと,ビル一つ違うだけでも,車いすで自由に動ける所と,そうでないまるで動けない所があります。点字ブロックにしても同じです。
同じ日本の中でも,こうした混在と偏在があるのです。これを世界的規模に広げて見れば,この傾向はさらに著しいものとなるでしょう。その混在と偏在の隔差を和らげて,出来る限り誰でもが,その地域でリハビリテーションを享受出来るようにすること,これが将来への最大の課題だと思います。
今回の会議がはじめて東洋で開かれたのも,世界的規模での偏在を是正する第一歩となることを信じています。
遅れといえば,同じ障害者の中でも,精神障害者,女性障害者,そして難民の中の障害などは,より積極的に対策が望まれる……と国連でも指摘しています。
この世界会議でも,精神障害者や女性障害者の問題については,それぞれの立場からの発言があると思うので省きますが,難民について一言だけ。
一般に難民と言っても,戦争による被害者が多数を占めることは容易に考えられます。戦争が多数の障害者を生み,戦争によって最も苛酷な立場に追いやられるのも障害者である,ということは間違いありません。その意味において,世界のリハビリテーションの発展もひとえに平和の維持にかかっている筈なのです。


テクノロジーと人間性

―将来展望では,生物医学工学,生物工学,情報工学ならびにリハビリテーション工学分野の新技術と障害を持つ人とのニーズの結合が(中略)意図されている―
スーザン・ハマーマンRI事務総長は,こう書かれています。リハビリテーションの将来にこれら工学の新技術が,深く関わってくることは,疑うべくもありません。身の回りを少し気をつけて見るだけでも,こうした現象を目にすることは可能でしょう。特に障害者のために考慮されたものではなくとも,もともと機械化するということ自身が,人間の手足・音声ひいては頭脳の機能を,補助したり代行させようとするものなのですから,一般の人以上に障害者の生活にプラスするのは,むしろ当然なのです。そこに障害者が使い易いものにする,という配慮がなされれば,それこそ望ましいことに違いありません。使い易いということに,価格面でのことも含まれるのは,もちろん当然のことです。
いきなりですが,思い切って話を具体的なものにしましょう。
これは「トーキングエイド」という発声器具です。一つのキーを押せば一つの音が出る。幾つかを組み合わせて続けて発音させることによって,言葉として話すことが出来るものです。また,“皆さん,おはようございます”というように,普段使う言葉をインプットしておけば,最低のボタン操作で発音します。これは発音障害があって,しかも筆談も困難な脳性麻痺者などのために,特に作られた物ですが,その技術はテレビゲームやロボット製作に使われた技術の応用だそうです。
一対一,もしくは小グループならば,慣れることを前提として会話も可能な私ですが,相手が十人以上でしかも初対面の人が多いと声が通らなくなる。そんな私には便利な物なので,私よりも発声障害に悩んでいる人には,これからの使用が望まれましょう。但し,同音異擬語が多く,また言語発声学的な究明がまだ成されていない日本語よりも,英語版の方が実用に向いているわけで,その点で問題は残っていますが……。
ともかく,この発声機器を使うことで,コミュニケーションを図り,生活を豊かにしようと,積極的に使おうとする人は増えています。が,それに疑問を持ち反対の意見を言う人もいます。機器に頼って結果的に発声訓練を怠り,ますます障害を募らせる危険性があるから…という医学的な立場からの言葉もあります。その他にも,発言する方が努力しているのだから,聞く方でも努力してわかろうとすべきだ,と言う意見,人間は必ずしも言葉だけではなく表情とか体全体の動きで,感情を伝えることは多いし,そうした部分で補えば,言葉は少なくてもよく,むしろそれを大切にすべきではないか…と言う意見,機械というものは確かに便利だが,その反面冷たいものだと言うことも否めない。人と人とがじかに触れ合うコミュニケーションの場に,そうした冷たさを持ち込みたくない…という意見などがあります。
あまり巧みに言えなかったようですが,要するに機械で代行することによって,人間性が失われていく危険性があるのではないか…との心理的,もしくは哲学的な反問がなされているわけです。
この場合は,足の悪い人が車いすを使うのと,発声障害のある人が発声機器を使うのと同じに考えればよいではないか,ですませることも可能なのですが,“テクノロジーと人間性”の問題は,社会の他の面と同じように,リハビリテーションの分野でも重大な関心事となるのでしょう。
機械化が進むことによって人間性が失われ,人と人との触れ合いが損なわれるのではないか,という心配です。スキンシップの欠如にも通じる恐れです。障害者側からすれば,機械として扱われるのではなく,人間らしい対応を求めているのだ,という気持ちとも絡み合って,一層関心を高めています。


意識変革と発想の転換

前述したように,ハマーマン女史の文中には「リハビリテーション工学分野の新技術と,障害を持つ人びとのニーズの結合」とあります。
その結合は,単に工学や医学の関係者によってなされるのではなく,障害者自身が参加するものでなければなりません。結合を推進するのも,時には方向を是正し,その速度を調整するのも,障害者自身の意志が反映されるものでなければなりません。つまり,推進だけでなく,チェック機能を障害者自身が持つことが望まれるのです。先程述べた“テクノロジーと人間性”の問題も,当然含まれるわけです。もちろん,チェック機能を持つには,障害者や障害者団体がそれにふさわしいだけの力を整えることが必要になります。力を備えていることをアピールする必要もあるでしょう。
それには障害者側でも意識変革をして,対応しなければならないこともあるでしょう。
先述の発声機器をめぐる論議で,ある脳性麻痺の青年は,「こうした機具の存在と効用をいさぎよく認めて,活用すべき時に活用すればよいではないか」と発言しています。この“いさぎよく”には,自分の障害(欠損)は障害(欠損)として客観的に認め,多少のプライドは犠牲にしても…という意味が込められていると思います。さらに考えれば,他の人から押し付けられるよりは,自分から進んで積極的に…という意味も汲みとれましょう。
意識変革とまでいかなくとも―新技術とニーズの結合―を発展させるものに,発想の転換があります。
手近な例ですが,ここにあるO・H・P,勿論聴覚障害者のためのものですが,私はこれを私のために使おうと考えています。つまり,聞くためではなく話すための補助手段として使いたいのです。O・H・Pを頼むと,必ず聞く側に聴覚障害者が何人いるのか,と念を押されます。それによって用意するというわけです。ですが,私がO・H・Pを使って話すと,聞いている人々の視線が,話している私からO・H・Pの方に移って行くのがはっきりと判ります。決してよい気持ちではありませんが,それこそ“いさぎよく”認めるよりないのです。つまり,視点を変えると,私が話すとマイクを使っても多くの人々が聴覚障害者の状態になっている。だから,O・H・Pが役立つわけです。
もちろん,私がO・H・Pを利用するのは,前もって原稿を渡しておく以外には,O・H・Pを扱う人が私の言葉を聞き分けられる人に限られる,という条件付きであるわけです。が,少なくとも自分で話すよりは,多くの人々に話を聞かせるのに利用出来ることは確かでしょう。発想を変えることによって,聞こえない人のためのものを,よく話せない人が使えるのです。
こうした発想の自由さ,柔軟さ,そして貧欲さは,リハビリテーションの将来を大きく左右するのではないでしょうか。


よりやさしく,より広く。

以上,講演という現実の問題もあって,発声とコミュニケーションにふれて考えてみました。私が一番不便を感じ,従って最も関心をもっている問題だからですが,リハビリテーション医学としても,他の分野,たとえば手足の機能の補填の問題にくらべてその高度な複雑さの故もあって,一番たち遅れているのではないかと思われるからです。
もちろん,他の分野にしても,その技術や施策の対応が障害者にとって十分なものでないことはあまりにも明らかです。そして今まで述べてきた問題点は他の分野にも存在しているであろうことを疑いません。
最後にもう一つ,別の意味のコミュニケーションについてふれて終わりにします。
あるいは日本特有のことかもしれませんが,どうも医学とか,工学(特にハイテク)に使われる言葉が難しすぎる。そのことが,関係者と障害者を遠ざけ,情報と知識の偏在に拍車をかける結果を招いているのです。もっとやさしく表現できないものでしょうか。皆さんのお国ではいかがでしょうか。
どんなによい理念が論じられようと,より広く伝えられなければ,その使命を果たせないのです。啓蒙と普及活動に,国連社会開発人道センター所長のマーガレット・アンスティ氏の活躍に期待して,より高度な理念がよりわかりやすく,広く伝えられることを願って私は終わります。
ありがとうございました。


「国連障害者の10年」の中間点,そして機会の平等化に向けての前進

THE MID‐POINT OF THE UNITED NATIONS DECADE OF DISABLED PERSONS AND PROGRESS TOWARDS THE EQUALIZATION OF OPPORTUNITIES

Henryk J. Sokalski
Social Development Division,United Nations Center for Social Development and Humanitarian Affairs


「国連障害者の10年」の中間点と,その主な方針の1つである機会の平等化の原則の2点をテーマにお話ししたい。しかしまず初めに,もう少し一般的な事柄について,一,二考えてみたいと思う。

第一に,国連組織は社会問題を解決する上で重要な役割を持ってはいるが,同時にこの役割を演じることができるのは他の政策執行者のパートナーとしてであるということで,このことは国連の外部,すなわち諸政府や一般の人々の間でも,国連の内部,すなわち国連の政策立案者や実際に仕事を行う職員の間でも,十分に認識されている。この場合の政策執行者とは,政府だけを指すのではなく,健全で人道的な社会の建設に関わる人々,特にこれまで社会の狂気や非人道性の矢面に立たされてきた人々の利益を代表する団体も含まれる。
第二に,ここ10-15年間の経験によれば,弱い立場や不利な立場にあるさまざまな人々の間に,「自分達の置かれた状況は,回避も解決もできない自然の摂理の一部であるという考えを受け入れるのはもうやめよう。」との新たな決意が認められるようになってきている。国連内部では,弱い立場や不利な立場にある人々のための活動に関わる者の考え方が,最初は限りなく楽観的であったのが,世間一般の風潮に影響され,次第に悲観主義が色濃くなりつつある。しかし,世界情勢の変化にも関わらず,実際に進歩発展を遂げてきている,との認識が現時点で描く将来像を支えている。この将来像を,私は慎重さによって調和のとれた楽観主義と経験によって調和された熱意という言葉で表現したい。

このような背景のもとで,障害の領域における国連の努力を見ていきたいと思う。我々が現在の時点に至るまでには長い道程があった。確かに多くの事が達成された。しかし,達成されたことが不十分だと思われることも少なくない。要求や強い願望に比して,いかにも不十分なのである。現在,資源の有限性の問題が大きく取りざたされているが,この制約は,今すぐに役立つ財源の確保という意味で現実的で重大な問題である。同時に,多くの開発途上世界と先進世界に属する国々の間における開発程度の格差は一層拡大した。しかしながら,人間が利用できる技術面および組織面での資源は,国連創設当初の10年間に比して大幅に増加しているのである。
昨年中,我々は「国連障害者の10年」の中間点にいる,と言い続けてきた。実のところいつまでも中間点にとどまっているわけではない。時が経つのははやい。後4年と少しを残すのみとなってしまったが,国際社会では未だに1年以上も前にストックホルムで開催された「障害者の10年」の中間点における障害者に関する世界行動計画の実施を再検討するための世界専門家会議の勧告へのアプローチの方法や,これをいかに実施するかについての討議を続けている。「障害者の10年」の前半には,国家レベルでも国際レベルでも非常に明確な形で業績をあげたにもかかわらず,世界行動計画実施の進展状況に対する一般大衆のとらえ方はどちらかといえば否定的なものである。
国際障害者年に生み出された活動の勢いは維持されず,また一般的に「障害者の10年」は政府や諸団体,国民の関心を喚起するような形では提示されなかった,と考えられている。また,完全参加と平等という目標が達成されたとはいい難く,政府間団体や地域団体,政府,組織体の意思決定の過程において,あるいはその管理機構において,障害者の参加が不可欠な要素とはなっていない,とも見られている。障害者のための障害者団体の数や影響範囲,効果,資金も十分ではない。そしてもっと大きな障害は,ほとんどの国において地方当局,中央当局と障害者団体との間の連携が十分でないことである。
「国連障害者の10年」を効果的なものとする上でのもう一つの重大な障害は,情報が不十分または不適切なことである。情報が,視覚や聴覚,理解力に障害がある人々が利用できる形では伝えられていない。また政府,団体およびマスメディアは,多くの場合,依然として考え方が時代遅れで,障害問題の適切な取り扱い方法を誤って理解し,それに基づいた情報を作り出している。
しかし,最大の障害は世界計画に示された構想に基づいた,包括的で効果的な国家的計画の欠如である。
最後になったが以上に劣らず重要なのは,障害の領域の仕事に使用できる資金が不十分で,しかもその資金を配分する際の優先順位が適切でない場合がしばしばあり,これが通常障害者問題が重視されない要因であり,また結果でもあるという点である。
国連においても「障害者の10年」の助成促進と世界行動計画の実施に対する予算措置は,とうていこの問題の持つ重要性や,影響をうける人々の数に釣り合うものではない。予算外資金への寄付金も国際障害者年以後急速に減少し,「国連障害者の10年」のための任意基金(the Voluntary Fund for the United Nations Decade of Disabled Persons)に拠出し続けているのは2,3の政府にすぎない。

しかし,現在の状況を悲観的にばかり考えるのは大きな誤りである。
現在ほど人々の意識が障害者の要求に対して敏感になり,その上この意識が高まったことはかつてなかった。「10人にひとり」の指針は,国際レベルでの行動の出発点としてしっかりと定着した。世界規模での予防とリハビリテーションのための資金は比較的ささやかなものではあるが,それでも「障害者の10年」が終了する前に「10人にひとり」の指針を,少なくとも「20人にひとり」に変えることが可能であることを,この問題に直接関わる我々は十分認識している。
国際障害者年および「障害者の10年」の前半の5年間に,身体的,精神的,知覚的な障害に苦しむ人々の問題に対する意識が増大し,社会一般の考え方は,重要な前向きの一歩を踏み出した。世界行動計画の構想が進歩のための有効な拠り所となることが,これを実施したすべての場所で証明された。昨年,ストックホルム世界専門家会議(the Stockholm Global Meeting of Experts)での事務総長の「状況観察調査表の分析に関する報告(Report on analysis of monitoring questionnaires)」には,障害者の状況の改善,障害者団体の発展,そして政策の立案,調整および技術援助の活動における実績の記録等の資料が豊富に含まれている。更に,多数の政府が障害者問題に関して行動をとる旨公約し,それぞれに政策や計画を採用した。

幾つかの政府間団体は共同連繋しての政策や計画の採用に成功し,国連はこれらすべての努力に対して大きく貢献してきた。
これまで国連内部には国家レベルで経験されたより,更に大きな困難があった。しかし,厳しい財政上の制約にもかかわらず,国連はビジョンを持ち続け,公約,責務および優先課題には何の変更もない。ノルウェーなど多数の出資者のご好意により,事務総長は自分に代わって「障害者の10年」の残りの期間,具体的な計画促進戦略の作成に携る特別代表(Special Reprensentative for the Promotion of the Decade of Disabled Persons)を任命することができた。スウェーデン政府のご好意により,この度社会開発人道問題センター内の障害者班が強化され,これはアフリカおよびアジア太平洋における特別専門アドバイザー(Special Technical Advisors in Africa,and in Asia and the Pacific)の地位を設置するにあたっても,幸先の良いことである。フィンランドも現在我々のスタッフ面での資源の強化に相当額の寄付をすることを考慮中である。日本政府はごく最近障害者の10年信託基金に10万米ドルを寄贈し,現在までのところの基金の内から200万ドル余が80以上の革新的で触媒の役目を果たすような障害関連プロジェクトの支援のために支出されている。

非政府間機関は,世界行動計画実施のための財源の提供は政府の責任であることをはっきりと認める一方で,同計画の目的を支持して,これに対する意識を喚起し,資源を動員するために世界的な運動を発足させるべきだ,との非常に時を得た提案を行った。国連事務総長はこの発案に対して個人的な支持を表明した。この結果,総会はその第42回会議において,「加盟国,国内委員会,国連組織および非政府間機関は,適切なあらゆる手段を通じて『障害者の10年』を広く知らしめるための世界的な情報活動を助けること」を求めた。
我々国連内部の者と,この仕事に関わるすべての人々との間では,障害問題に関与するさまざまな団体間の全面的な協力が不可欠であるとの点で意見が一致している。国連と国際リハビリテーション協会との関係は,国連と非政府間機関との協力精神を具体的に示す例である。

昨年のストックホルム専門家会議で出された主要勧告は,障害者のための機会の平等化の原則を「障害者の10年」の指導原理として強くアピールするものであった。障害者の人権はまず第一に,他の市民と同じ権利を有するその国の市民としてのものであり,社会福祉その他のサービスの受益者というのは二義的なことであるとの考えに基づいている。機会の平等化は,関連する要素や必要な訓練,取るべき方策の点で周囲との関係が非常に複雑に絡んでくる過程である。現在でも消極性と無頓着さをあわせ持ったあからさまな差別のために,医療や治療によって与えられた可能性のある機会を完全に実現出来ない場合が非常に多い。機会の平等化へむけて,今よりはるかに急速で広範囲にわたる進歩を図ることが,今後の計画において欠くことの出来ない重要事項ではないだろうか。障害者の大半は,障害者であると同時に老齢者や女性,移住者,人種的民族的に異なり,あるいは貧困者であるため,障害に加えて他の形での弱さや差別,搾取に苦しんでいる場合が非常に多い。年齢や性別,人種的区別を可能にするわずかな生理学的特徴など,全く異なったさまざまな基準に基づいて,押し付けられる架空 の障害と全く同様に,障害者を苦しめる現実の障害が,特権と搾取のヒエラルキーを維持するための正当化事由として頻繁に利用されていることは,ほとんど疑うべくもない。
「障害者の10年」の残余期間における国際的活動全体の最も重要な点は,障害者は非障害者と同じ人権と基本的自由を享受して然るべきだ,との考えを強調することであろう。人権を完全に享受すること,それが機会の平等化である。これは,社会が障害者に対し好意,慈善,ましてや同情として授けるべきことではなく,国際法および多くの国々の憲法や法律に既に組み込まれている法律上の義務と道義上の規範を履行することに他ならない。
このような権利と自由は常に重視されなければならないと同時に,障害者自身が絶えず精力的に主張していくべきである。しかし,これらを実現するには,支持するものが介在する必要がある。最も重要なことの一つは,国内法の改正である。国際リハビリテーション協会は既に国連と協力して,この問題に取り組んでいる。1986年に我々が共同で組織した国際専門家会議は,初めての国連「障害者のための機会の平等化に関するマニュアル」(Manual on the Equalization of Opportunities for Disabled Persons)の作成に大きく貢献した。このマニュアルもまた,ノルウェー政府からのご寄付によって可能となったものである。スウェーデン国際開発公社(SIDA)からの支援により,国連は最近一連の「障害者のための機会の平等化に関するワークショップのためのガイドライン」(Guidelines for Workshops on the Equalization of Opportunities for Disabled Persons)を作成することもできた。
しかし,効果を上げるためには,十分に支援的な一連の法律によって可能なことを更に実現させていくことが重要である。障害者を代表し,かつ全国的レベルだけでなく地方や地域のレベルで運営されている各国の諸団体から成る強力なネットワークが,是非必要である。また,全国的レベルでの完全な監視,評価および介入の権限を持つ,政府と民間から成る共同監視団体の存在が,障害者の権利を保護し,また社会全体の障害者に対する意識を高め,適応させていくための圧力として不可欠である。

1985年にワシントンのWoodrow Wilson Centreで行われた講演の中で,国連事務総長は西暦2000年への展望について語り,西暦2000年においてもまだ障害者は存在するであろうが,そこでは障害を持つ人々はあまねく尊重され,すべての社会において彼等の技能や才能を役立てる適切な機会があり,介護を要する場合には適切な介護がなされ,人為的な管理により障害の原因は大きく減少するだろう,と述べた。12年という短期間のうちに早くもこのような状態が達成されると期待するのは高望みであろうか。この問いに対する私の答えは,どちらかと言えば肯定的である。しかし2000年になる前にまだ1992年,すなわち「国連障害者の10年」の最終年がやってくる。この年までになんらかの明確な進歩が遂げられないならば,我々は2000年に目指すビジョンを実現することは出来ないだろう。従って,先ず最初になすべきことは,我々が共同で活動する力を再生し,それが最も効果的に活かされるような最善策に着手することである。(抄訳)


ソ連における障害者問題の複合的解決に向けて

TOWARDS COMPLEX SOLUTION OF DISABILITY PROBLEMS IN THE USSR

Alexandra M.Lukyianenko
Minister of Social Security of Ukrainian SSR,Kiev,USSR


我が国の障害者対策は,障害予防と障害者問題の解決という複合的方針に基づいている。ここでは,ウクライナ共和国の対応の仕方を紹介することによって,障害者問題の解決に向けたソ連政府の政策方針を説明したいと思う。
ウクライナは,人口5,150万の,ソビエト連邦を構成する15の共和国の一つである。他の地域と同様,ウクライナにおいても障害者予防政策には,大気や水や土壌の汚染防止など環境保護対策と,障害者の医療やリハビリテーションを提供する社会・経済対策とがある。
毎年,ウクライナ共和国閣僚会議は障害予防を狙いとした行動計画を採択し,これを,政府機関,企業,医療施設や社会保険機関などが実施している。現在,最も重視されているのは工業労働者の健康維持と障害予防であり,また障害者となった労働者を対象とした短期医療リハビリテーションである。工業労働者の健康維持と障害予防を目指し,過重労働で不健康な仕事はすべて機械化,あるいは自動化し,企業の労働条件を改善する努力が共和国全土で行われている。工場や会社の経営陣は,労働組合や保険機関の代表と協力して,“Zdorovyie”(健康)というプログラムに基づく総合的な対応策を立案し,実施する義務がある。どの企業にも,エンジニアと医者で構成されるチームがあり,労働条件の改善に責任を持っている。また,障害を持つ労働者についても,それぞれの働きやすい環境に留意しながら,適当な職場への配置などの問題解決にあたっている。
労働条件の判定はあらゆる職場でも,店や工場でも行われており,それによって,労働条件の改善や障害者に適した労働条件の職場配置などを狙いとした,長期行動計画の作成が容易になる。
障害者になる人の数を減らすためには,早期の予防医療と社会的対策が重視されなければならない。このためには,病人には無期限で疾病手当を支給し,回復まで治療を受けられるようにすべきである。この5年間,ウクライナでは,適切な治療を受けた患者の90%が,早期の医学・社会リハビリテーションを受けた後に職場復帰している。
良く知られているように,障害者はかなり長期にわたって集中的医療を必要とする。障害者に対する国の医療費支出は,非障害者の3倍から4倍にものぼる。
障害者の医学リハビリテーションと並んで重要なのは,社会保健機関が提供する社会・職業リハビリテーションである。社会・職業リハビリテーションには,職業訓練や通常の企業または作業所に障害者を雇用,必要ならば自宅就労させること,さらには義手・義足や眼鏡等の補装具,移動手段,労働補助具,保養地での回復治療などの提供も含まれる。
障害者の雇用は,それぞれの事例について医療・労働評価特別委員会が認めた労働勧告を厳しく守って,地域の社会保健機関が行う。適切な就労は,障害者の身体機能や精神機能を高めるばかりでなく,家族や社会における地位を向上させると考えられる。
どんな障害者も,その健康状態に留意した,無料の職業訓練を受ける機会を与えられ,また通常の工場や組織,あるいは障害者雇用を目的とした作業所などに仕事を得ることができる。作業所には,特に結核患者,聴覚・視覚障害者,精神病患者,重度の循環器障害を持つ人のために設けられたものがある。
特殊企業は,通常の企業と比べて税の優遇措置を受けられる。就職した障害者も,生産量のノルマが軽く,労働日数も短く,休憩時間が多いなど,多くの特権を与えられる。自宅就労の機会を与えられる障害者もある。この場合,企業は原材料と特に障害者に合わせた道具を配布し,出来上がったものを集める。
障害者の職業訓練は,さまざまな方法で行われる。一般の職場や教育機関,あるいは社会保障機関の監督下の職業訓練学校などで行われる。
ウクライナには5つの特殊職業訓練機関があり,2000人の障害者を訓練できる。訓練期間中,障害者は充分な保護と医療を受け,必要ならば療養所に入所できる。こうした教育機関を卒業した障害者は,企業や農場,あるいはサービス事業所に配置される。
視覚・聴覚障害者については,ボランティア組織によってリハビリテーションのために多くのことが行われている。それぞれの団体が独自に訓練企業を運営し,そこで障害者が職業訓練を受けたり,適切な就労ができるようにしている。
多くの障害者にとって,リハビリテーションが効果をあげるためには補装具や補助具が欠かせない。
我が国では,診療所や病院と義肢装具製造センターとの間のネットワークが発達している。病院は,患者に対して義肢装具の細かな調整を行い,その使い方を訓練したり,医療や運動訓練のコースを提供する。重度の障害者に対しては,必要ならば医療や器具の専門家の移動班が自宅に出向いてサービスを提供する。
私はここで,すべての障害者問題が完全に解決されたと言うつもりはない。
たとえば,障害の判定や障害者雇用に関するいくつかの法律や規定を改める必要を痛切に感じている。また,障害者に対するリハビリテーション技術援助や移動手段の提供に関しては,まだまだ需要が満たされておらず,アクセスの問題や,障害者のニーズに合った住居の提供などの問題もある。
今日,ペレストロイカおよび社会生活の民主化進展のおかげで,障害者問題の多くがこれまでになく広く知られるようになり,新しい取り組みがなされている。国や市町村など各行政レベルにおける自主組織が全国各地に現れ,障害者が自ら声を発して政府や公共機関と共に自分たちの問題解決に積極的に乗り出してきたことなどにその変化がよく表れているといえる。


中国の障害者

―西暦2000年に向けて―

FUTURE TRENDS CONVERGING WTH REHABILITATION REALITIES

■樸方(Deng Pufang)
China Disabled Person's Federation,China


1981年の国際障害者年以来,障害者問題は,国際社会においてますます重要になってきており,程度の差こそあれ,各国の障害者をめぐる環境は改善されてきた。そしてその間,科学技術はめざましく進歩し,障害者の総合リハビリテーションにとって新たな希望がもたらされた。
しかし,各国ともいまだに障害に関してさまざまな困難を抱えていることも事実で,障害者のおかれている状況は,いまもって“国連障害者の10年”の世界行動計画にあることからは程遠いところにある。先進諸国のなかには“福祉政策”を長年実施した後に,その政策の調整を推進中であったり,既に調整済みの政府もある。それは福祉予算が政府にあまりに重い負担をかけるようになったためである。
一方開発途上国においては,政府は自国の経済の後進性を改善すべく,工業化と近代化に全力を注いできたために,障害者事業の展開を国家発展計画に組み入れることができなかった。現状を何年かのうちに変えるというのは相当困難なことである。
このような状況の中で,各国,特に開発途上国の障害者は,自分達のおかれた環境を改善し,正常な社会生活を回復するためには,種々の社会的資源をいかに活用しまた開発するかという試練に直面している。
現代社会は工業から情報の世界への転換の途上にあるといわれている。21世紀は,高度の技術発達により,科学・教育・産業・社会に大改革の起こる時代となるであろう。従って今世紀最後の10年は古いものから新しいものへの移行の時期なのである。
このように激変する時代に,人間社会の発展を追求する努力を続けながら,将来進むべき道を選択していくことが,障害者事業の存続に関わる極めて重要な事柄になってきた。選択の道はいくつかあるが,私はここで中国の選択についてかいつまんでお話ししたい。

ご存じのとおり中国は人口10億ということでは世界第一位である。1987年の全国障害者標本抽出人口調査によれば,障害者の総数は5,164万人で総人口の4.9%にあたる。このうち1,770万人は聴覚・言語障害,1,017万人は精神薄弱,755万人は身体障害,同じく755万人は視覚障害,194万人は精神障害,そして673万人が重複障害をもつ人々である。
この調査には小人症およびらいは含まれていない。平均的には,5家族に1人の割合で障害者がおり,およそ2億人が何らかの障害を持っていることになる。中国政府も,障害者問題を適切に解決すれば,社会改革と近代国家建設への国民の努力を大いに刺激できるということに気づき,障害者事業をできるかぎり支援し始めている。
障害者が社会生活に完全に参加するための真に平等な権利はもはや立派な建前などではなく,私達が徐々に実現しなければならないものであるということを,わが政府と同僚,それに私自身も確信している。このことはこれまで常に障害者事業の中心的課題であり,中国では政府の援助を得てこの目標に向かって前進している。

このような指針のもとに,私達は障害者の社会に貢献する権利ばかりでなく,労働権や就労権を特に重視している。この二つの権利があって初めて障害者は国家に頼って生きているというやりきれない立場から解放され,活気ある社会の中で胸を張り,大地を踏みしめて生きられる。この権利は障害者が完全な社会参加を果たすための経済的・心理的な前提条件なのである。
政府の優遇策のおかげで障害者の労働ならびに雇用は過去10年間に急速に進展した。彼らに労働と雇用の機会を提供する福祉工場が,さまざまなルートを通じて設立され,しかもそのレベルも多様である。
福祉工場の数は1978年には867であったが,現在27,793あり,その内88.9%にあたる24,714は企業,地域,村や町が経営している。そしてこのような工場で働く障害者数は1978年の48,200人から,今では433,000人に増加しており,その内78.5%である34万人の働く福祉工場が企業や地域,村,町あるいは個人の経営する工場である。一般企業に勤める40万人の障害者も加えれば,都市部にはおよそ80万人の障害を持つ被雇用者がいることになる。
政府の政策により,従業員の35%が障害者である社会福祉企業は所得税の控除が受けられる(通常,利益の55%が所得税とみなされる)。さらに従業員の50%が障害者である企業は,所得税を全額免除される。この政策により障害者の労働と雇用が大幅に促進されたことは疑問の余地がない。
現在中国政府は,彼らがよりよい環境の自分に合った職業を選べるようにするために,一般企業での障害者の雇用を促進する政策をすすめている。その結果,労働と雇用の権利が彼らの生活環境を改善したばかりでなく,精神力も強化したことがわかってきた。
今後5年間に,私達は法律と政策を改善し,障害者の労働と雇用をさらに促進して,中国の障害者事業を労働福祉という形にまで高めていくつもりである。

私達はまた,科学技術の発達により,医学・工学・心理・社会的治療やその他の方策により障害者の失われた機能を回復したり補うことができたと認めている。
障害者が労働および雇用の権利を獲得するには,彼らの技能や能力の最大限の回復をめざしてリハビリテーションにたゆまぬ努力を重ねることが重要である。中国ではリハビリテーションはスタートしたばかりの事業である。確固たる基礎づくりをし,着実に前進するためには,まず現状から出発して実質的効果にもっと注目する必要がある。
“障害者事業5カ年計画大要”を起草し,政府に承認された。大要には,5年間に私達が全力を注いで行う事業として白内障患者50万人の眼科手術,小児麻痺患者30万人の矯正手術,ろう児童3万人の聴能・言語訓練が規定されている。
これは壮大な計画で,今,私達は計画・財務・保健・内務省の支援を得てこの大計画実施の年次計画作成に専念している。各種部署と協力し,この目標を理解してもらえるよう徐々に社会全体を動かしていくつもりである。
中国では政治・経済の構造改革の一環として,地域や町単位の活動網を整備中である。他の国々での経験と中国の伝統的な医学とを統合し,既存の地区-町-村の活動網と将来作られる地域単位の活動網を活用しようとしているのである。
我が国のリハビリテーションは地域活動を基盤としていて現状に適したものであるが,主なリハビリテーション施設がリーダーシップをとることになるであろう。現在上海,大連,武漢,広州のような中規模ないし大都市が先頭にたってこの計画を進めていて,大連の4地区のうち3地区では既に地域事業委員会が設置されている。
そしてほとんどの近隣地区に地域サービスのための事業所やグループができている。地区を指導者,近隣地区を主な活動単位,住民委員会を草の根活動の拠点とする3段階活動システムができた。大連の近隣地区の80%ではリハビリテーション施設,障害児用保育所,障害者用の活動ルーム,精神薄弱者のための特別看護サービス,障害者結婚あっ旋所などが既に開設されている。
このように,障害者の日常生活における問題の多くに対して初期段階での対策が立てられている。町区や近隣地区から発展した地域ごとのリハビリテーションは経済的基盤を福祉企業に頼っている。この活動は中国の政治・社会構造と密接なつながりを持っているので,大変活発で今や中国の障害者事業の特色の一つになっている。

中国は開発途上国であり,国の財力に限界があるため,障害者政策も財政難である。そこで我々は広く財源を確保するために,自主独立の経済団体を設置して中国の実際の状況に応じて企業にこの事業を援助してもらうことを主唱している。
こうして一企業,一福祉事務所,一地域委員会からなる町区の市町村が次第に増えてきている。商品経済の発達により,企業による障害者事業への着手という目標を実現するための条件が整ってきている。

中国の障害者事業は困難であるが将来有望な条件のもとに進行中である。私は長年の障害者福祉活動を通じて,彼らの完全な社会参加を阻むものは,人類の文化と経済の発達ばかりでなく彼ら自身でもあることに気づいた。まったくの,またはほとんど無学の障害者達が完全に社会参加を遂げるなどということは考えられない。
この悲しい現状を変えるため私達は障害者教育の発展に専心している。ここでいう教育とは就学前教育,言語訓練,基礎教育,職業訓練等だが,同時に障害者の雇用とリハビリテーションの推進に努力している。今後5~10年間で我々の努力が実り,教育によって障害者の文化的・技術的レベルが飛躍的に向上することを期待している。

障害者事業は人道主義に基づく活動である。この運動は,人道主義の旗印を掲げることによって初めて社会に深く理解され広く支持される。中国は社会主義国であるが,私達は社会主義とは人道主義を除いては無意味であり,人道主義に基づく活動に幅広い展望を開くものだと考えている。
さらに世界最大の障害者人口を抱える我が国の障害者事業は,人道主義の指針のもとに世界のリハビリテーション組織の友人や海外の同僚の体験の力を借りて大きく発展すると確信している。

このスピーチの終わりにあたり,私は21世紀の中国と世界における障害者の状況を心に描いている。科学技術の発達に伴い障害者の完全な社会参加の機会は今よりも一層多くなっているであろう。
各々の国の実情にあった目標を設定し,主要課題の解決に努力を傾け,人道主義の精神をもって社会の底辺にいる人々のための仕事を実行するならば,私達は“国連障害者の十年”の“世界行動計画”に示されたすべての目標を達成することができるであろう。我が国の同僚と共にこの活動の成功を確信している。


総会V 9月8日(木)11:00~12:30

新たな現実を生む技術

TECHNOLOGY CREATING NEW REALITIES

座長 Morris Milner Rehabilitation International ICTA Commission〔Canada〕
副座長 澤村 誠志 兵庫県リハビリテーションセンター長


先天性異常予防の技術

“クウォ ヴァーディス?”

PREVENTION TECHNIQUES FOR CONGENITAL DISABILITIES:QUO VADIS?

Jerome Lejeune
Institute de Progenese,Universite Rone Descartes,France



生命の基礎

生命の歴史は非常に長いが,我々個々の生命の始まりは,極めて明確である。それは受胎の瞬間である。子孫と先祖は,絶えることなく物質的リンク,すなわち糸状のDNA分子によってつながっており,その上には,完璧な遺伝情報が見事に小型化された言語で書き込まれている。
一個の精子の頭の上には,1メートルの長さのDNAが23個に分けられておさめられている。その各々が非常に精密なコイル状の小さな棒になっており,これは普通の顕微鏡でも見分けられる。これが染色体である。
精子が卵子を包みこんでいる透明な袋,“透明帯”に入り込むと,ただちに他の精子はこの膜の中には侵入できなくなる。実際の操作に関していうならば,精子によって運ばれた23個の父親の染色体が(卵子によって運ばれた)23個の母親の染色体と同一の袋にはいった瞬間に,新生児の遺伝の構造を司る必要かつ十分なあらゆる遺伝情報が集められるということになる。そして理論上,あるいは潜在的な意味でのヒトではなく,人間そのものを,我々は後にピーターとかポールとかマグダレーヌなどと名付けるのである。
テープレコーダーにミニカセットを差し込むと同時に交響曲の演奏が始まるのと同じ正確さで,生命の音楽も細胞質のからくりによって演奏され,新しく生まれる人間は受胎の瞬間から自己表現を始める。
魂と肉体,あるいは精神と物質は生命の始まりから非常に複雑にからみあっているので,ある考えすなわち概念(Concept)を心に抱く過程を表すのと,新しい生命体すなわち受精卵(conceptus)に命が宿る生殖過程を定義するのに,英語では“conception”という同じ言葉を使っている。
初めのうちは透明帯,その後羊水袋となるライフカプセルに保護された胎児は,月面の宇宙飛行士と同じく成育可能で自律的でもある。すなわち燃料である流動栄養は母船である母親から補給される。但し,人工の流動栄養補給装置はまだ開発されていない。したがって母胎からの保護と栄養補給が絶対必要なのである。


先天性異常

先天性及び後天性の2種類の不幸が,人間の将来の妨げとなりうる。
生命誕生の当初から不公正な遺伝により暗い運命を負わされることがある。例えばフェニルケトン尿症のような“突然変異”にみられる遺伝メッセージの書き間違いや,21トリソミーのような染色体異常にみられる生命法の十戒の綴じ間違いにより,発生のプロセスが抑制されたり,化学反応が変えられたりする可能性もある。肉体と精神のどちらか一方または双方がおかされると,その子供は身体的・精神的に虚弱になってしまう。
第二に,妊娠期間が9カ月という長期にわたり,また複雑であるため,ウイルス感染,化学薬品の摂取,栄養不良など,どんな有害な状況に襲われないとも限らない。このように,完全に健康な状態で受胎した子供でも,子宮内で,風疹感染後奇形,二分脊椎や無脳症のような神経管異常などの身体的・精神的障害をこうむることもありうる。
先天性異常や発達障害があることがわかれば,その子供の運命は簡単に予言できるというのは,当然のことである。


予防か破滅か:“クウォ ヴァーディス?”

後天性異常は予防できる。少女に風疹予防のワクチンを接種すれば,将来生まれる子供を風疹の害から守ることができるし,神経管障害に関しては,スミゼルズの偉大な功績により1),未来の母親に葉酸を投与すれば,10分の1の確率で神経系の恐ろしい奇形を減らすことができるということもわかっている。
同様に,先天性障害の例外的なケースの中には,子宮内で充分処理できるものもある。例えば,メチルコバラミン欠乏症は妊婦へのビタミン療法で補うことができるし2),Ph因子の母胎との不適合は,その危険性のある妊婦に“ワクチン接種”することによって予防したり,子宮内の子供でも交換輸血という方法で治療できる。
しかし圧倒的大多数のケースに効果的な予防策はない。
今日では,羊膜穿刺,長期バイオプシイ,画像技術の発達などで,様々な障害を早期発見できるようになってはいるが,このような出産前の診断の目的は,明らかに,中絶によって障害児を除去することである。双生児妊娠の場合でも,障害のある子供を子宮内で選択的に処理したり3),望まないのに五つ児妊娠してしまい,心臓穿刺により5人のうち3人を殺してしまった例もある4)
死によって健康を得るとはむなしい徒労である。しかし医学の歴史をつぶさに調べればすぐにわかることであるが,ペストや狂犬病から人類を救ったのは,家にいるペスト患者を焼き殺したり,狂犬病患者を2枚のマットレスにはさんで窒息死させた人たちではない。医学の力で打ち勝つことができるのは病気だけで,患者ではないのだ。
技術者の中には,試験管内受精によってできた胎児を実験に使う権利を与えてほしいと主張している人もいる。こうすれば,血友病,筋ジストロフィー,嚢腫性線維症あるいはダウン症候群など恐ろしい先天性異常を解明・予防し,ひいてはなおすのにも役立つだろうというのである。
3年前,私は英国議会で発言するという名誉を与えられ,受精後14日にもならない胎児を,絶対にこのような病気に関連した研究の対象にしてはならない,と説明した。その理由は実は明白である。このような発達段階においては,障害に関係のある器官,すなわち,知恵遅れなら脳,嚢腫性線維症なら膵臓,筋ジストロフィーなら筋肉,血友病なら造血器官などが未発達なのである。
このような事実陳述は“イギリス国内におけるフランスの干渉”5)だとして,胎児の人体実験の推進者から手厳しく批判された。しかし,胎生学者に対するアピールとして6),動物ではなく人間の胎児が絶対に必要なのだということを明確に示すプロトコルの提示が求められた。
その後およそ3年になるが,そのようなプロトコルはまだ出されていない。
逆に,特に人体実験の強行に敏感な先進国,西ドイツでは,受精後間もない人間をあらゆる搾取から保護する法律の制定を考慮しているほどである7)
今まさに問題となっているのは,“胎児研究は,おそらく人々を不名誉な先天性疾患の危険から守るのに役立つことによって,結局は同じ理想を掲げることになるだろう”8)という願望をこめた声明をすることではなく,我々は,“遺伝病をみななおすにはほど遠く,ようやく人工中絶や安楽死という方法で,いわゆる‘不名誉な先天性疾患’の危険から免れられるようにはなってきた”9)ということを認識することである。
以上は最近の発言からの引用であるが,“クウォヴァーディス:汝いずこへ行かん?”と問いかけることがいかに適切であるかを物語っている。
我々は,人間の本性に全幅の敬意を払うのは流行遅れのタブーであり,率直にいって,道徳は発見の妨げである,という言いふるされたライトモチーフを是認しなければならないのだろうか?否,ごく最近の分子生物学の業績をみると,かつて人間の尊厳の蔑視の上に良き科学が成立したことはない,ということを繰返し繰返し確証している。過去3年間に,多くの国々の多くの異なる研究者の尽力のおかげで,ハンティングトン舞踏病12)や網膜芽細胞腫13)の遺伝子とともに,嚢腫性線維症10)やデュシェンヌ型筋萎縮症11)の遺伝子が発見され,クロン化された。筋ジストロフィー特有の蛋白質である“ジストロフィン”でさえ,いまでは識別し,分析することが可能なのである14)。また,血友病に関しても,特殊な凝固因子をたくみに処理されたバクテリアによって生産することができるので,患者は,汚染された血液によるAIDS感染の危険をおかすことなく,純粋な製薬による治療を受けられる。
ここにあげた1985年以来の成果は,すべて人間の胎児をまったく犠牲にすることなく達成されたのである。そしてそこで行われた実験には,受精から死にいたるまでのあらゆる個々の人間への絶対的敬意という原則に矛盾するものはまったくなかった。この原則こそ進歩的科学者の目指すガイドラインであった。
ここでマックス・プランク研究所の15名の研究者による厳粛な宣言を引用しておくのも有意義なことであろう,“こういった技術を悪用して人間の胎児あるいは前胎児(もしも着床前の胎児は胎児と呼ばないなら)を使って人体実験を行うなら,科学者集団から非難を浴びるにちがいない”15)
かつてはナチス政権下の本道を逸脱した生物学が合法的教義であった国に住む科学者たちが,こうして,真の医学の従僕として生物学の尊厳を回復しようとしていることは慰めである。


リハビリテーション医療をめざして

道は次の二つに大きくわかれている。第一に,既に述べたジストロフィンのような異常遺伝子の解読は,その作用を理解し,有害な作用を軽減したり最終的には予防する方法を見出すのに役立つであろう。これは非常に複雑ではあるが,ごく古典的な治療医学の一つとなろう。
第二の可能性は悪性遺伝子を直接訂正する方法である。例えば,一種の“魔法の弾丸”なら,間違った遺伝情報を追い出して正しいDNA文節に置き換えることができるであろう。はるか遠いことのように思われるだろうが,これが実現するのはそれほど先のことではないかもしれない。
この二つの方法は,単独の間違いから起こった先天性異常に関しては,はっきりイメージを浮かべることができる。しかし,何百何千というたくさんの遺伝子に間違いがあったり多すぎたりする染色体異常に関してはどうであろう?私が特に関心をもっているダウン症候群の現状について少し論じたいと思う。
この種の知恵遅れの子供は,21番目の染色体を正常児なら2個のところ3個もっている。この21トリソミーが遺伝情報のいわば“過剰投与”を引き起こしているのである。
その状況は,大体のところ,間違ってスパークプラグを5個搭載してしまった4気筒エンジンの車にたとえることができる。確かにモーターはスムーズに動かないだろう。優秀な自動車修理工なら,人工中絶推進論者のように車を投げ捨ててはしまわないで,上手に余分のプラグを取り除き,車がもと通り正常に働くようにするだろう。
我々はまだ余分の染色体をプラグを外すように取り除く方法を知らないが,自然は知っている。自然は,必要とあれば,余分のX染色体を取り除くはずである。おそらくいつの日にか我々はそのやり方を会得し,ダウン症候群の原因であるトリソミーを引き起こしている余分の21染色体に,その方法を適応することができるであろう。この“離れ業”が見つかるまでは,我々はこの染色体の遺伝学的な内容を解読し続ける。既に8個の遺伝子と多数の無名の蛋白体部そして数十個の無名のDNAの断片がわかっている。10年以内にこの染色体のすべてのDNAが解明されると考えてもよいであろう。やがて我々は,遺伝子が多すぎると神経細胞の機能がおかされ,知能の完全な発達が妨げられる理由と機序を理解するようになるだろう。自動車のたとえに戻っていうならば,モーターのキャビュレーションの法則を捜すことができるということになる。
すでにわかっていることであるが,21トリソミーの子供は正常児よりもメトトレキセートに敏感である16)。この抗ガン剤は,脳の中に重要な分子の建物を建てるための建築用ブロックである単炭素の輸送システムを妨害する。この感度は,試験管内で培養された血液細胞で証明することができる。また他にも様々な培養法が可能である18)
奇妙に思われるだろうが,数滴の血液からとった培養細胞の試験管内実験により,知恵遅れや精神障害を引き起こす遺伝や生化学的トラブルを見事に分析することができる。虚弱X状態や甲状腺機能坑進症による知恵遅れも,このタイプの研究の一例である19,20)
このような新しい方法の開発のおかげで,技術に関しては深く進まなくても,自閉症,アルツハイマー様退化など様々な精神症状も,ほどなく試験管内実験で研究できるようになるだろう。
既にいくつかの医療実験が試みられて,興味深い結果がでてはいるものの,このような知恵遅れの子供たちの運命がすぐに改善されるというわけではない21,22,23,24)
そうではなくて,有意義な発見が始まったばかりで,人間の本性への敬意は研究を妨げるのでなく,刺激するということなのである。選択的人工中絶や人間の胎児の利用の推進論者たちは,“この研究に加担して本来の使命を放棄し,罪のないものの大虐殺を受け入れるか,あるいは,不治の病におかされた子供を抱えて困っている家族を助けることを拒否して,彼らの悲しみに背を向けるか“という間違ったジレンマを我々に突き付けたのである。そうではないのだ。医学はヘロデになるかポンティウス・ピラトになるかのどちらかを選ぶのではない。患者と闘うのではなく,病気と闘うのである。
にもかかわらず,技術発達の名のもとに,特に“倫理”と名付けられた委員会が道徳的判断を汚し続ける可能性もあるだろう。しかし,そのような矛盾だらけの託宣が悲しみを完全に拭い去ることは決してない。そのわけは明白である。“技術は蓄積するが,知恵は蓄積しない。”のだから。
人間が危険にさらされたき,究極の知恵とは,実に単純明快な道徳の原則である。すなわち,“自らにいかに些細なことをしたとしても,それは神にたいしてしたことである。”
医者が常にこの言葉を忘れずにいれば,大多数の複雑な技術はリハビリテーション医療の忠実な僕となるであろう。しかし,忘れてしまうなら,本道を逸脱した生物学に施すリハビリテーションはありえないのである。


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新たな現実を生む技術

TECHNOLOGY:CREATING NEW REALITIES

John Hughes
The International Society of Prosthetics and Orthotics,UK



はじめに

技術を広い意味で定義すると「科学の応用」ということになる。したがって,この講演のタイトルは,科学の応用を通して,今までにない真の意味での解決策がリハビリテーションの中に生まれつつあることを示唆するものである。そこで再度その解決策の一部を見直し,多岐にわたる問題について考察してみたいと思う。
現在,筆者は義肢装具関係の教育機関で学部長を勤めると同時に,国際義肢装具連盟会長の任のあたっている。義肢装具が,筆者の最も深く関わっている分野であるという理由から,本稿ではこの分野における事例を用いて話をすすめる。しかし,ここに出てくる基本的な考え方は義肢装具の分野のみに当てはまるものでなく,他の分野,つまり技術がリハビリテーションに影響を及ぼすと思われるすべての分野に当てはまるといえる。
補装具技術の歴史的な発展に関する正確な記録は存在していない。しかし,四肢切断の発生理由や切断者の社会的状況を考えると,その発展には,主として軍医,武具師,工芸家がかかわっていたことは確かである。
運動障害への対応には,1950年代初頭に至るまで何世紀にもわたってほぼ同じ方法が用いられていた。それは,科学の応用ではなく,工芸技術の応用とでもいえるものであった。
第一次世界大戦は,おびただしい数の四肢切断者を生みだし,各地で義肢製造者の技術が正当に評価されるようになった。その後,第二次世界大戦によって,四肢切断者の数は更に激増した。このような中で,ほとんどの国では工芸技術による義肢の増産を図る以外に何ら特別な対策をもたなかった。しかし米国では,義肢の機能や適合に対する不満の高まりの中で,一部の先進的な行政担当者や医師が科学の応用を提案した。この提案によってカリフォルニア大学バークレイ校で「人の歩行に関する基礎研究」が行われるようになった。これは,研究によって実際に問題の解決がみられたというだけでなく,はじめて技術面を重視したアプローチがとられたという意味でも,この分野における画期的な出来事であったといえる。
この研究は,人の歩行にかかわるすべての動作と力を分析する,初の本格的な研究であった。現在では,より精密な測定方法が開発されているが,当時行われたように,骨の突起部にピンを差し込んで映像カメラの座標にするなどという実験に,障害を持たない学生たちの協力を求めることは今後二度と不可能であろう。こうして,各種の力とその力が人間の身体にどのような影響をおよぼすかを生体工学的に分析する研究が進められた。義肢装具は応用生体工学の一部門となり,工芸ではなく科学として認められることになったのである。
しかし,工芸から科学への移行は,すぐに義肢装具に革命的な変化をもたらすものではなかった。従来の取り組み方を見直し,分析することによって改善の手掛かりを得るという第一段階に入ったばかりであった。
工芸から科学へと移行するにしたがって,当然,義肢装具製作者の訓練・教育にも改善が加わるようになった。手作業や創意工夫にのみ頼ることから科学的な面が重視されるようになった。生体工学的分析で得られた結果をいかに実際に応用するかという問題に焦点があてられたのである。こうして,工芸としての技術から職業としての専門性をもった技術へとの移行は徐々に進んでいったのであるが,40年を経た今も,全面的に入れ替わるまでには至っていない。


新しい技術

初期の20年間にみられた進歩は極めてゆるやかだったという印象がある。1980年代に入ってからは,新しい技術の応用が急速に広がり,患者の処遇が改善される可能性が高まった。
素材:素材に関していえば,従来,義肢の骨組みとして金属あるいは木材が使われており,その補強に牛革が使用されていた。その後,ファイバーグラスやポリエステル,エポキシ樹脂の薄板などが使われるようになった。更に現在では,外骨格の設計は,いわゆるモジュール式内骨格構成に置き換えられるようになってきている。事前に製造された規格部品を組み立てるやり方で,患者の試着後,調整したり,ひざのユニットやソケットなどの部品を容易に交換することができる。また,カーボン・ファイバーの利用によって,大腿義足の重量が2kg程度軽くなり,かつ従来の骨組みよりも丈夫なものが可能となった。義足は柔らかなフォームカバーで覆われており,強く,軽く,機能性に富んでいる上に,外見上も自然である。
カーボン・ファイバーは,新しいソケットにも使われている。以前,ソケットは金属,木材,プラスチックなどの硬質の材料で作られていた。弾力性のあるポリエチレンのソケットをささえるためにカーボン・ファイバーの骨組みを利用することによって,器具との接触部分が快適,柔軟,衛生的になり,また,圧力を伝えることが可能となるので筋肉の収縮による切断部の変形を抑えることができる。
新しく開発されたシアトル・フットなどのいわゆるエネルギー貯蔵義足は,強く固いものから柔らかく弾力性のあるものに至る様々な種類のプラスチックが開発されたことによってはじめて可能となった。これらの製品は,使用範囲をスポーツ活動にも拡げ,メンテナンスが不要な上,外見も自然である。ボディー/デバイスの接続部の生体工学的改善:患者にとって器具の中で一番大切な部分は身体と器具との接続部分である。これについては,生体工学をもとに改善が図られている。
ソケットの作り方はだいたい次の通りである。まず,通常の動作におけるソケットと切断部にかかる種々の圧力を分析し,切断部の圧迫耐性と疼痛部分を調べる。その上で,耐性の強い部分に負荷をかけ,疼痛部分への負荷を避けて力が伝達されるように工夫する。具体的には,ギブス包帯で切断部の採型をした後,この型から切断部の雄型を作成し,耐性の強い部分のプラスターをとりのぞき,かわりに疼痛部分にプラスターの量を増やす。修正した型を使用して作ったソケットは,切断部に与える負荷の調整が可能となる。このようにして科学的な力学分析と義肢適合士の技術が合体して生み出された最新の自動懸垂ソケットを用いれば,機能の低下はなく,外見上もほとんど自然な義足が作られる。
現在では,義肢適合士はコンピューターによって技術を蓄え,いつでもその情報を引き出すことができる。最新のコンピューターシステムで代表的なものとしては,切断部の形状を測定するテレビ・カメラと,型の修正に相当する形状をコンピューターによって描くグラフィック・プロセサーを使ったものがあり,機能性の高いソケット作りに必要なデータが入手可能となった。ここで得られた結果を数的にコントロールされたカーバー(切削機)に入力することによって一つのモデルを作り,それによってソケットをただちに作成することも可能である。この方法は,現在ではシーティングと整形外科靴の製作にも利用されている。国際義肢装具連盟では,1988年6月にCAD/CAMに関する国際ワークショップを開催し,現在の利用状況を検討していくつかの調査・評価プロジェクトの将来が有望であることを見い出した。このワークショップの報告書は,1988年末に出版されるはずである。このワークショップにおいて,リハビリテーションの主要な分野で革命的な変化がもたらされる可能性があることが明らかになった。
圧力コントロール・システム:装具の分野における著しい進歩の一つとして,いわゆるハイブリット装具の開発があげられる。生体工学的に設計された装具と,脊髄に部分的な損傷を持つ患者の治療として機能的な電気刺激を構造面で結び付けたものである。最もよく知られているのはreciprocal gait orthosisである。古くからの構想をもとに開発されたものであるが,新素材を利用して膝および足関節/足部の両方を安定させ,一方の股関節屈曲に他方の股関節伸展が伴うといったような方法で股関節の動きを連結させてreciprocal gaitを可能にする。これを適切な筋群に相位刺激と合わせると,患者の運動能力が大幅に改善される場合もある。我々は,このハイブリッド・アプローチの様々な可能性について検討を開始したばかりである。
以上は,我々が進歩と現実化とみなすものがいかに急速なテンポで進みつつあるかを示す事例のほんの一部である。(1989年のISPO世界会議は,神戸で開催の予定であり,前述の例をはじめとする多くの新しい進歩を示す例が会場や科学・交易展示会で詳しく発表されるであろう。)しかしながら,現実化が我々の期待通りに進むかどうかはまだ疑問として残る。


現実化

いわゆる先進国とよばれる国においても,リハビリテーションの分野における患者のケアの水準等には明らかに大きなばらつきがある。すぐれた新しい技術を認め,それを活用していくということが必ずしも効果的に行われてはいない。
ほとんどの場合,問題は複雑である。たとえば,ある人がひざの新しいコントロール・システムを開発したとしても,これが患者の治療効果を大幅に上げるものであったり,装具の機能向上に有用であるかを知る手段がない。また,もし知ることができたとしても,その情報を広め,臨床への応用が広く行なわれるようにするためにはどうすれば良いであろうか?
第一に求められることは,十分な評価ができるシステム作りである。すぐれた新しいアイデアを見い出し,共通の基準によって評価するような正式手続きが必要である。患者の治療目的に照らし合わせた基準,あるいは同じ機能を満たす他の器具や技術との比較に基づいた評価がなされることが必要である。
財政当局に,この特定の分野のこのような面に資金を支出することがいかに重要であるかを納得させるのは非常に困難である。臨床的な治療に文字通り何百ポンドを支出している政府機関であっても,その治療の評価に対しては無関心な場合がほとんどである。正当な評価なくして,果して効率的かつ意味のある新技術の開発が可能であろうか。資金面だけでなく他の面においても,国際的な基盤の上に評価プログラムを組織し,少なくとも国際的に共通の基準によって,ある機関で行われた評価の結果が他の機関でも受け入れられるようにすることによって,個々の国のコストを軽減するなど,最大限の利益がもたらされるであろう.ISPOでは,最近18年間にわたって,国内・国際機関の組織化と調整にあたってきているが,目に見える成果は得られていない。しかし,その間にも多額の資金が使われているのである。もしこれが新薬の場合であったら,適切かつ厳密な評価なくして処方されるなどということが考えられるであろうか。
新技術を臨床に広めるためにもう一つ重要とされることは,十分な訓練体制を確立することである。そのためには,新技術に関する体系的な指導コースの中で,臨床チームのすべてのメンバーに正式の訓練を提供するシステムを確立することと,基本訓練に適切な修正を行うことができるようにすることが求められる。例えば,CAD/CAMが現実のものとなるにつれて,関連技術に関するコースが既存の専門家にとって必要となるばかりでなく,コース内容の修正がコンピュータ科学などの分野の学部コースにも求められるようになるであろう。
この分野で「新しい現実の創造」を行い,それを広めるために最も重要な要素は,義肢適合士・装具士の教育・訓練であると言わなければならない。スコットランドでは,現在それに関するオーナーズ・バカロレアの学位(米国のマスターの学位に相当)が設けられている。私は,将来この分野ではこのレベルの教育を世界的に広めることが求められていることを確信している。しかし,いわゆる先進国の一部でも,まだ,前世紀的な職人が患者を相手にしている場合があることは残念である。


開発途上国

たとえ,先進技術に関する発表であっても,このような国際会議の場で,我々が考えている技術がまだ遠い存在でしかない一部の世界のことを無視することは不適切であろう。
国際機関は,長年にわたって,義肢装具が大半の開発途上国の人々にとって手の届かないぜいたく品であると考えられてきたことをもっと認識すべきであろう。そのことによって,我々がもはや遭遇することのない病気となっているポリオ患者250万人,らい患者1100万人から1200万人などが絶望の淵にたたされている。幸いなことに,このような姿勢は変化しつつあるが,よく注意しなければ,多くの努力を費やしても不十分な結果となってしまうであろう。開発途上国でよく用いられている「キャッチ・フレーズ」は,「適正な技術」ということである。このことは,素朴な技術を意味するものと解釈されるべきではなく,何が適切かを判断することが良い意味での専門的な資格を持たないアマチュアに委ねられているということを意味している。その適切な補装具には,現地で入手できる素材や工芸技術が利用される一方で,既に知られている義肢装具技術に基づく生体工学的な手段も活用される。義肢適合士・装具士の教育は我々のレベルには及ばないかもしれないが,少なくとも他の医療周辺従事者のレベルと同等でなければならない。最近の様々な推計によると,開発途上国全体で5万人から10万 人の技術者を訓練する必要があることが示されている。責任ある機関に所属している我々としては,開発途上国の進歩に貢献する義務を持ち,知られていることをもとにして計画を注意深く実行しなければならない。無数の人々がコミュニティの中で快適かつ尊厳される場を回復できるという希望を持つようにするには,この方法しかない。


新たな現実を生む技術

―ロボットとリハビリテーション―

ROBOTICS AND REHABILITATION

加藤一郎
早稲田大学理工学部


生産におけるロボットの進歩は,医療や福祉に対し大きな技術波及をおよぼそうとしています。ロボットは,医療教育,医療の補助者として,あるいはリハビリテーションの局面では身体機能の補助,補完の役割を担いつつあります。その現状を展望しましょう。


患者ロボット

産業用ロボットでは,ロボットが積極的に働いて何かをつくり出す役割を担っていましたが,医学用ロボットであるシミュレーターとしてのロボットは,受け身で,医師や看護婦などの教育用として使われます。これを患者シミュレーターといいます。
シミュレーターとしてのロボットには,たとえば,自動車の衝突事故などのときに乗っている人間がどのような損傷を受けるかというデータを集めるために,シミュレーターのロボットを乗せてデータを集める,いわゆるダミーロボットがありますが,患者ロボットも思想としては同じものです。
患者ロボットの第1号としては,南カリフォルニア大学で開発された麻酔術の教育用ロボットをあげることができます。このロボットはSIM-1(シミュレーター第1号という意味の略)とよばれ,手術時にどのように麻酔をかければよいかを,若い医師や看護婦に教育するためのモデルとして使うことを目的としてつくられました。
まず患者の容体,あるいは手術の内容などが学生に提示されます。学生はそれに従ってどのような麻酔を患者にかければよいかという判断を下し,麻酔をかける施術をほどこすと,このロボットはコンピューターシステムと連動しており,患者ロボットはそれに対し動悸が強くなったり呼吸が荒くなったりというようないろいろな反応を示します。さらに,コンピューターからはその結果がデータとして打ち出されてきて,いまとった処置が適切であったかどうかということを教えてくれます。
このロボットは血圧の変化,瞳孔反応なども示し,さらに必要に応じ点滴などをしてやると,それに対する生体反応までモニターできるようなシステムになっています。
アメリカではこの他に血液循環器系の患者シミュレーターもつくられています。また,わが国では,水難事故などのときの患者の蘇生術を訓練するためのロボットが,東京女子医科大学のグループによって開発され,実用化されています。
心臓マッサージをほどこしたり,あるいは口から息を吹き込むなどの手当をしてやると,それまで不整脈が出ていた脈拍や血液が正常に戻り,あるいは瞳孔反射も回復し,心音も聞こえてくるというような反応機構がつくられていて,これもまた同時にコンピューターがいろいろ数値的な状況を提示するようになっています。
モニターの上には,患者の状況とまた学生に対する指示とが表示されます。「血液の拍出量が足りない」,「もっと確実にマッサージせよ」,「呼吸量が足りない」などという指示がそれです。また,その訓練の結果は記録紙で再確認できるようにもなっています。


診断ロボット

また,病気の診断にもロボットは使われようとしています。各種のCTや超音波の機械などのメカトロニクス機器が診断の補助機器としてすでにたくさん使われていますが,さらにロボット化された診断器械が登場しつつあります。
その一つの例として乳がん触診をあげることができます。乳がんは医師の五本の指による触診が最も代表的な診断方法とされています。それに加えてX線,あるいは超音波による画像診断が補助的に用いられているのが現状です。
そこで,医師が五本の指で乳房をもむようにしてデータを取り入れ,それを頭脳で判断しているそのメカニズムを機械に置き換えていこうという研究が行われています。
医師は五本の指を使っていくつかの情報をとりいれています。腫瘍の大きさ,位置,硬さ,形の明瞭さ,動きやすさなどです。そしてこれらの量を定性的に総合的に頭脳で判断して,乳房の中にある腫瘍が悪性であるかどうかという判断をしています。
そこで機械の手は,この医師がやっている診断のやり方をそっくりまねするということになります。ロボットの人工の指には位置の感覚と力の感覚の二種類のセンサーが埋め込んであります。そういう指を何本か準備して,その指で同時に乳房を押すことによって情報をコンピューターに取り込みます。
人間の場合五本の指しかありませんから,この五本の指で診断をしていますが,皮膚の下に無数といっていいくらいたくさんのセンサーが分布しているという強みがあります。
機械の指の場合には,そういうたくさんのセンサーを一本一本の指に埋め込むことがまだできません。そこで,一本の指には一つずつのセンサーということになってしまうので,本来は人間のセンサーの数に対応するように指の数を無数に増やしたいのです。しかし,それもまだできないので,少ない数の指を準備し,その指を動かして何回か乳房を押すことによって情報を取り入れ,たくさんのセンサーがあると同じようになるやり方をすることになります。
このように現在の技術が持つ制約から形と情報の取り方が人間と違っていますが,情報処理の仕方は本質的には人間がやっているのと同じやり方で行なわせます。データを医師が頭脳で総合判断しているやり方を学んで,それと同じようなやり方をコンピューターにさせるのです。
このようなセンシング―情報の取り入れ方―が実現すると,この技術のロボットへの応用が大きく広がっていくことになります。
現在はすでに述べたように一点一種類の情報しかとれませんが,この乳がんの触診ロボットのように新たに人間の官能検査的な情報の取り出しと判断ができるということになると,ロボットがより高い知能を持つための,たいへん有力な道具を開発し実現したということになるのです。
現在ロボットは産業用として対象物をハードウェア,すなわち材料とか機械に限定して仕事をしているのですが,そういう仕事の場に限定されないで,ロボットが扱う対象,これを物ではなくて,人間とすることが可能になります。
その応用として医療の広い分野があります。あるいはリハビリテーションの分野があります。さらに進んで一般家庭での介護の仕事を肩代りするというように,つぎつぎといろいろな応用が開けてくるたいへん基礎的で重要な技術になるということです。一般家庭で介護・補助をするロボット,すなわちホームロボット,あるいはマイロボットの基礎技術にもなるということです。
このロボットは実用までにあと一歩という段階まできています。これから登場する未来のロボットが,より人間に近い感覚機能をもつことを必要としているので,このロボットで開発された技術は,その基礎技術としても重要な意味をもっています。


介助ロボット

人間を直接的に手助けするという意味でのロボットとして看護ロボット,あるいは介助ロボットが開発されつつあります。
手術直後の患者,あるいは寝たきりの老人,そういった人たちは自分一人の力で生きていくことができません。また,病気などのためいつどんな症状の変化,生理上の要求が発生するかもわかりません。そのためにいつも看護人がつき添っている必要があります。しかし,実際にはそういった看護体制を十分にとれなくなりつつあるのが現状といえます。そこで,そういった看護体制をロボットが代わって手助けし,病人の要求や希望に応えてくれるようになろうとしているのです。
その際,ロボットに対して要求される性能としては,通常の産業用ロボットと同じレベルでよい場合もあります。たとえば,寝たきりの老人に飲物を飲ませてあげるような仕事をするときは,ロボットがハンドリングするものはコップというハードウェアです。そのための技術はすでに産業用ロボットとして開発されています。
しかし,もし介護をしてあげようということになると,寝たきりの人を,たとえば,ベッドから抱き上げて車いすに移すとか,入浴の世話をするとか,あるいはしもの世話をするというようなとき,人間の場合は,手にある皮膚感覚をフルに活用して,患者をそっとやさしく抱きかかえてあげますが,ロボットの機械の硬い手でうっかり患者を抱きかかえようとすると,まちがって傷つけたりすることがおこるかもしれません。
そこで,乳がん診断のための人工の指を持つロボットのように,人間がもつ皮膚感覚に相当する感覚をロボットももつことが必須の条件となってきます。
現在は,患者を抱き上げる場合に,クッションをおいて,その間に二本の腕をさしこんで抱き上げるシステムが開発されている段階です。


福祉ロボット

さらに,体の不自由な人が社会生活を営むについて,いろいろ補助的な役割をする機械としてもロボットが注目されつつあります。
たとえば,目の不自由な人のために盲導犬がありますが,その盲導犬に代わるものとして盲導犬ロボットの開発も進められています。行く手をさえぎる障害物をこの盲導犬ロボットは人工の目で発見すると,それを目の不自由な人に対し,手で持っている電極ボックスからの電気刺激などで信号として情報を伝え,道案内をして行くというシステムです。
また,手足の不自由な人のためには,手足以外の機能を使って自由に操縦のできる高性能の電動車いすが開発されつつあります。車いすの上にはマニピュレーターとしての人工の手ももっており,あごの動き,あるいは音声などの命令によって移動や作業ができるようなシステムとして開発が進められつつあります。
また,手や足をなんらかの理由で失った人のためには古くから義手や義足が使われてきていますが,ロボット技術はここにも応用されています。
もともとの人間の手や足と同じような使い方ができるものとして筋電制御方式の義手・義足があります。人間の手や足は脳からの命令が運動神経を伝わって該当する筋肉まで送られてくると,その命令を受けて筋肉は収縮し,動作となって手や足が動くのですが,筋電制御方式の義手・義足もそれと同じ原理で動きます。運動神経を伝わって送られてきた命令を切断端の皮膚の上に電極をおいて,ここから命令を採取し,それを小さな電子回路(一種のコンピューター)によってその取り出した電気信号のなかに含まれている意味を解読し,その結果に応じて義手がその信号によって操作されるという方式のものです。
また,こういった義手に感覚装置を内臓させているものもあります。人間の手足は皮膚感覚をもっていて,対象物との関係を感覚神経を通じて中枢にフィードバックしていますが,それと同じように,義手の中にある感覚装置が義手がなにかものに触れるとその状態を電気信号にして,また切断端の皮膚の上におかれた電極を介して,その電気信号を感覚神経のなかに送り込み,中枢でそれを判断させるというシステムがそれです。このような方式を導入した義手では,従来からある義手が体の筋肉の力を使って指の部分を開閉したりするのとちがって,訓練を長期にわたってする必要はなく,装着とほとんど同時に,ふつうに近い状況で使うことができます。
また同じくこの筋電制御方式を義足に使うと,ちょうどわれわれが速く歩こうと考えると,足が自動的に速く動いてくれる。あるいは目でパッと前方を見て「あ,こんどは階段だ」と思えば,そのように足が動いてくれる。それと同じように,歩く速さを自動的に切り換えたり,また階段の昇り降りも健常者と同じように健常足と義足側の足とを交互に使って階段を上っていき,あるいは降りてくることも可能とする義足もつくられています。
これにはかなり大きな動力が必要になりますが,義足の足首の部分に動力をつくって貯める装置を埋め込んでおいて,歩行時における足首の前後方向への回転運動を使ってエネルギーをつくり,それを貯めておいて膝を動かす動力として使うという方式もあります。


福祉機器の社会的問題

このような福祉機器の場合は,医療機器と異なり大きな問題点を内包しています。医療機器の場合,たとえば,CTに見られるように日本では保険医療制度に支えられて,CTは人工比でアメリカの四倍も使われています。実数にして二倍の機器が普及していることになりますが,福祉機器の場合必ずしも保険制度の支えがありません。そのために,必要とする人がそれを入手するのにひとつ問題があります。また,実用化されるまでの過程にも大きな問題があります。すなわち,研究の段階で基礎的に実現可能性が立証されていても,それを実際に必要とされる人の手元まで届けるためにフィールドテスト,その他,かなり努力が必要になるということです。
また福祉機器が産業用の製品と異なり,数多く使われるということはないために,価格的に非常に割高になるということがあります。福祉機器としてのロボットもやはり工業製品ですから,たくさんの需要があれば,それに支えられて逆に価格を低くすることも可能になりますが,より進んだ社会であればあるほど福祉機器のニーズは必ずしも高くない,それが望ましい社会であるのですから,そこに大きなジレンマを含んでいるといえます。


総会VII 9月9日(金) 9:00~10:30

21世紀への展望

―西暦2000年のRI―

PERSPECTIVES FOR THE 21ST CENTURY:RI IN THE YEAR 2000

座長 上田 敏 東京大学教授
副座長 Donald Wilson Committee for the Handicapped:People to People[USA]


西暦2000年に向けたRI

REHABILITATION INTERNATIONAL TOWARDS THE YEAR 2000

Susan Hammerman
Secretary General,RI


第16回リハビリテーション世界会議は本日幕を閉じる。すべての大陸とすべての国民を代表する何千人もの参加者が,アジアの国で初めて開催されたリハビリテーション世界会議のため東京に共に集まったのである。今回の会議は国際的に経験を交換し知識を分かちあう先例のない機会を提供した。
RIと同様に世界会議も,障害者,親,専門サービス提供者,政府関係者,国連とその専門機関の代表,非政府間機関の代表等,障害と社会問題に関与するすべての集団のメンバーの中にある,独特な仲間意識を象徴するものだった。この度の世界的行事を成功させるについての皆様の貢献にお礼を申し上げる次第である。
とりわけ,第16回世界会議では,障害政策と計画は,社会開発の中の一般的な一側面として理解されるべきことが強調された。つまり,進歩,社会正義,機会の平等および他者の生命や貢献に対する尊重の念といった民主主義的価値観を信奉するすべての国々にとって成熟していく上で基本的な一側面であるとの点が強調された。
人類文明の21番目の世紀の始まりである西暦2000年に近づくにつれて,地球に住む我々人間はますますお互いに依存しあうようになってきている。我々個々人の世界は地球的規模になってきた。我々は,地球の隅と隅にいながら一瞬のうちにお互いに連絡をとりあえるようになり,また,地理や文化という旧来の障壁を超越しつつある。以前は遠いところのものと考えられていた人々や地域が,現在ではまさに世界を変化させる原動力の一部となっている。
将来の世界は膨大な技術力を持つようになると予想されている。そこでは国々はますます相互に依存しあい,コンピューターの導入によって地球的規模で知識,考えがたちまちのうちに伝達されることとなろう。生活の根本的なところで我々の意識革命が着々と進行中である。
新しい科学技術によって,障害を持つ人々のために日常生活や生産的な仕事における新たな状況,機会が創り出されている。識字能力はもはや読み書きの能力のみを指すものではなく,現在では高度に専門的な機器を操作する能力も含まれる。
40年に渡る世界的な開発活動は,我々すべての寿命を伸ばし,生後1年以内に死亡する乳児の数は大幅に減少した。
このような傾向および諸国間に平和的協力へ向けての動きが出現した結果,世界は「歴史に残る楽観主義期」と呼ばれる時期に入ってきている。
しかしながら,21世紀の幕開け前の5番目にして最後の開発の10年が近づくにつれ,これまで以上に多数の人々が赤貧状態に陥っている。1995年までには世界の貧困者数は9億人を超え,その増加分の多くはアフリカからのものとなろう。
極貧国は世界共同体に,広範囲に及ぶ栄養不良,飢餓,無知および毎日4万人に近い幼児の死亡といった大きな課題をつきつけてくる。第三世界における文盲女性の数は過去最大であり,驚くほど多くの国々で人口増加が食料資源やエネルギー資源を上回っている。エイズで最も大きな影響を受けている地域の一つであるアフリカには,世界で最も開発の遅れている40ヵ国の大半があり,今後の国連開発行動の焦点となろう。
1991年から2000年までの第5次国連開発の10年の目標は,既に達成した成果を維持するための行動を重視し,より低コストでより効果的な方法で取り組んでいくことを求めている。次の10年間における開発の鍵は,十分に利用されていない資源をもっと活用することにある。
今世紀末までに予測される開発の全体像の内で,RIおよび障害に関わる共同体が,提供できる多くのものを持っていることは明白である。
総合リハビリテーションは,コミュニティに根ざし,経費が安く,適切かつ現実的な方法によるものでなければならない。この度の第16回世界会議で再三耳にしたように,コミュニティ・ベースド・リハビリテーションは,障害を持つ人々とその家族の能力の活性化を通して社会開発を強化するための,すべての行動の中心となるものである。障害を持つ人々とその家族は,世界中のコミュニティや国々の開発に役立てることが可能な資源でありながら,十分に活用されていない最たるものの一つであり,このことは誰も否定できない事実である。
障害者団体の自助運動は,我々に,機会平等はすべての国で実行可能な社会開発の一側面であることを気づかせた。これを通じて,世界中に障害運動を広める,そんな斬新な展望に我々は希望をかけることができるのではないだろうか。
国連のPerez de Cullar事務総長が第16回世界会議へのメッセージで述べたように,国連障害者の10年の残りの期間の指導原理は,障害を持つ人々をまず市民として認め,次にサービスの受益者として認識した上での機会の平等化とすべきである。
現在後半に入っている国連障害者の10年は,数多くのことを成し遂げてきた。予防接種の完全実施のための世界的運動が実施されて,障害予防に弾みがついてきている。それにもかかわらず,栄養不良や感染症,事故,戦争があることは,何千万人もの人々が毎年必然性もないのに障害者となっていくことである。コミュニティ・ベースド・リハビリテーションの方法を持続し,活気づけるために,訓練されたリハビリテーション要員がこれまで以上に求められている。また,開発計画全体のなかでの,障害を持つ人々とその家族のための行動計画の優先順位はもっと高いものにすべきである。
このように,将来の世界でも障害を持つ人々は,最も危険率の高い社会集団―極貧者,戦争による負傷者,難民,浮浪児,市民権や人権を剥奪された人々-の中に偏在し続けていくだろう。
我々は,自分達のビジョンを練り上げ,国連障害者の10年の残りの期間およびそれ以降について我々の仲間の団体と共同戦略を開発しているのだが,RIが直面している現実はこのようなものである。
世界的団体としてのRIは行動をとる態勢に入っている。当協会には近年,加盟団体網の強化,財政基盤の安定,そして障害者権利運動指導者を力強い代表として指導部に新たな活力を得る等の好都合な事態が生じてきた。

  • -RIは国際的に活動しているが,さまざまな文化的,社会的取り組み方に対応するために地域化をはかっている。
  • -RIは,世界的規模での情報の伝達に専心的努力を払い,また,世界中での経験の交換を促進するために,広域的な出版網,国際会議や情報サービスを行っている。
  • -RIは,政府および民間のすべての団体に門戸を開放し,障害関係政策の開発と実施に携わるすべての人々に協力している。
  • -RIは,障害の予防,すべての人々とその家族のための機会の平等化と,その人道的目標に向け努力を傾けている。

グローバリズムの立場をとり,人道主義的基盤に立っているRIには,世界の障害者の大半が生活している容認しがたい状況を,世界中の人々に気付かせる上での特別の資格がある。
現在でも,何億人もの障害を持つ人々が,リハビリテーションを受ける術もなく,また,どのような場所に住む人々にも必要とされる最も基礎的な教育や医療,食物,住居さえもない状態が,国連障害者の10年が始まった当時と同様に存在し続けている,というのが真実である。何億人もの障害者が,大人も子供も基本的人権も機会も奪われて生活しているのが事実である。
世界は何百万人もの人々が飢餓や疾病,戦争という静かなホロコーストの中で死んでいくのをもはや黙認しない。何億人もの障害を持つ人々が,自分達の基本的要求に対する配慮のない状態の中で生き続けていることを知らせるのは,RIの責務である。
我々は,ここ日本での第16回世界会議で我々の責務を名誉なこととして引き受ける。我々は今後もこれを名誉として引き継いでいかなければならない。RIの西暦2000年へ向けての戦略はこの基盤の上に築かれるものとなるであろう。


―総括報告―

総合リハビリテーション

COMPREHENSIVE REHABILITATION

永井昌夫
国立身体障害者リハビリテーションセンター精神科医長


会長をはじめ参会者の皆様。このたび,本会議におけるテーマの中“総合リハビリテーション”部門に関し,総括報告をさせて戴くことになり,光栄に存じております。会議のテーマは,総合リハビリテーション―その現実的展開と将来展望ですが,視点によっては,二律背反と映ったかもしれません。
このテーマが今週,われわれすべてによって熱心に挑戦され,結実し,そしてわれわれ自身の間で統合が実現されたということをご報告できるのも私の慶びとするところです。
かつて米国で起きた話ですが,当時の大統領があるグループの集会に招待され,講演を依頼された時のことです。そのグループは,正会員となる資格が,米国の独立に実質的な貢献をした人びとの子孫だけに限られていました。このような国家の創立者の血族に対して,大統領の演説は次のような呼びかけで始まりました。“親愛なる移民の諸君”と。この種の逸話からわれわれが気付くことですが,われわれは,そうでない場合よりも一層しばしば,物の一面だけを見て,山には向こう側があるという事実を見逃しがちなのです。
とくに,二極性が一層明白になりそうなリハビリテーションの将来においては,物事の一端に偏ることなく,両極端とも,ただちに対処することが至上命令です。
もしわれわれの類似点のみが強調されるとしたら,すべての人類はまったく同じであるといえますが,一方,相違点のみが強調されるならば,世の中の誰一人として他のどの一人とも同じであるとはいえません。これら外見上矛盾し合う二つの結論は,しかし,二つながら真実を伝えています。これはただ単に観点にマクロ的であるかミクロ的であるかという差があったに過ぎません。同様にリハビリテーションの分野においても,差異のあることを認めて受け容れるとともに,平等な機会を与えなくてはなりません。換言すれば,障害者であろうとなかろうと,すべての人の人権が等しく尊重されるべきです。同時に,各人の個別的なニーズがそれぞれ特異的に満たされるべきであるということも理解されなければなりません。
これらの考えに従っていえば,総合リハビリテーションは統合化と専門化を同時に意味し,また現実的展開および将来展望とは実用化と理想化を同時に包括していることになります。すなわち,リハビリテーションとは,決して一面的なものでなく,双方向性のものであるといえましょう。

本会議中に行われた討議から明らかになったことは,表面上は相反する見地を解決して,バランスのとれたパートナーシップをただちに求める必要があるということです。そこで心に留めておくべきことですが,ある分野において最良のアプローチとか処置が,他の分野からみて必ずしもそうだとは限らないのです。将来を展望すると,双方向の路線は,障害者と非障害者の間ばかりでなく,地方と都会の間にも,一般社会人と専門家との間にも望まれます。また,いうまでもなく,いわゆる途上国と先進国との間にも求められます。
Otto Geiecker会長が指摘されたように,リハビリテーションはもはや医学,職業,社会などの分野における孤立したプロセスのままであることを許されず,これらすべてを有機的に包括するプロセスとなってきたわけです。その目的は人びとを社会に可能な限り統合し,なおかつ,彼または彼女の人格を保持しておくことです。
総合リハビリテーションにおいて,その成否は決して主演者,個人または障害者のみに帰するべきものではなく,観客,社会または環境にもよるものであります。それは障害者に対するときは,その背景ごと全体的に取り扱うとか,バランスのとれたアプローチをするとかが要求されているということです。つまり,総合リハビリテーションというのは,社会的相互作用とか文化的相互扶助とかの問題で,これらを通じて主流化を図ることになってきたのです。社会それ自体が,リハビリテートしなければならないものとなってくるでしょう。

実際のところ,リハビリテーションとは,まず障害者の側からハンディキャップを最少限にすることであり,次いで残余が社会に課せられています。この両者の間のギャップをなくすことがリハビリテーション・パートナーシップを達成する上で必須のことです。今回の会議に参加された方の中の何人かが指摘されたところでは,社会をリハビリテートしようと思ったら,社会の仕組みや制度が,誰にでも利用可能となっていなければなりません。たとえば,住居や移動に関してとか,社会福祉や保健サービスとか,教育や就職における機会均等とか,また文化的で社会的な生活などに関してです。
福祉制度や財政的恩典が生活の質に貢献する点も確かに認められますが,経済的報酬が最重要というわけではありません。社会参加しているという感覚や自尊の心が本質的に得られるべきものです。
もし物理的な障害物だけが排除すべき対象であるとしたら,完全参加をみることはとても覚束ないでしょう。演者の方がたは,機械的なもののみならず態度の上の障壁こそが取り払われるべきであると言及しました。ある人の主張では,リハビリテーションは社会的不利に関するゴールに焦点を当てるべきで,機能制限の改善や能力低下の減少はそれに向けてのゴールだということです。さらに,家族や地域社会の福祉安寧が充分考慮され,時には予防的見地から,障害者自身の福祉よりも優先することさえ指摘されました。
結局のところ,障害者といっても社会の構成メンバーなのです。“健常者”の誰とても病的な部分があり,また障害者といえども健康な部分を有しており,線を引くわけにはいきません。こうしてみると,総合リハビリテーションとはわれわれ個人がお互いに援助するということに外なりません。もしわれわれが,異なる点よりも重なり合う部分を一層重視するとしたら,ここにいるわれわれすべて実際上何らかの障害をもっていることになります。だとすれば,冒頭でこういう風に切り出しても許されていたに違いありません。“親愛なる障害者の皆様”と。
社会と障害者は,それぞれ独立して存在するものではなく,お互いに関わりあっています。現実には,社会と障害者との間に障害者を直接取り囲む周辺というものが介在しております。リハビリテーションが成功するかどうかは,この小社会の機能に負うところが大であります。そうすると,総合リハビリテーションとは,これは三者の間のギャップを最少限にすることであると解釈できます。
障害者が地域社会というコンテキストの中で充実した人生を達成するためには,この小社会が両極端の課題に対応しなければなりません。すなわち,大社会および障害者に対してです。より正確にいいますと,社会の標準とされる物差しと障害者の個人的な要求尺度をともに満たすことが必要です。たとえば,医療人やパラメディカル・スタッフの場合,医療的周辺という小社会として,障害者と社会との間にバランスよく縦断的に橋渡しをする役割を担うばかりでなく,自分たちの間でも横断的にバランスを図る役割が課せられています。このような態度は,極端な場合,寝たきりの人びとに対してもとられるべきであり,彼らなりの有意義な人生を追求しうるようにさせなければなりません。さらにまた,一つの境遇にとどまっているスタッフや家族構成員や職場の同僚は,精神的な保健を講じたり,自分たちがリハビリテートすることを図ったりして,閉鎖社会によって大社会から離開してしまうことを防ぎ,“第三者としての障害者”に陥ることのないよう戒めるべきです。このような努力が,翻って,障害者の福祉にとっても有益となります。

本日,今会議で同意されたことを,ここにお伝えできますことは,私の誇りとするところです。それは,総合リハビリテーションが社会の反映であるという一方,他方において,将来は,総合リハビリテーションの方から社会に働きかけることが一層重要になるということなのです。この会議の中に息づいていたリハビリテーション・インターナショナルの精神が,会議の内部だけにとどまらず,外界へ向かっても波及して行くであろうということを信じて止みません。


―総括報告―

将来展望―未来への挑戦―

LOOKING AHEAD:THE CHALLENGE OF THE FUTURE

Norman Acton
Chairman,International Council on Disability,USA


私の役割は,将来への挑戦を考えるにあたって,今会議の討論の中から得たことをまとめることである。まず,今回の議論の結論からとりあげる。
将来は困難と可能性に満ちている。会議中の報告や議論の中で,会議の内外で,我々の前にある困難と可能性について有益な情報を多く得た。
将来計画を立てるにあたって,これらの困難と可能性の持つ意味を系統的に分析し人類発展の全体の傾向の中でどう位置付けるかを検討し,障害者にとって,障害者運動にとってなにをすべきかを見きわめて,我々の行動すべき方向を明らかにしなければならない。このような分析と検討を行なうためのテクニックはあるのだが,私の知るかぎり,この分野ではあまり有効に使われていない。これまで今日のことばかりを考えてきたが,それは明日になれば昨日のこととなっているのである。
将来を,また将来の困難と可能性を考えるにあたって,ふたつの重要な事実を念頭におかねばならない。第一に,予測可能な将来に関して,障害者の数は年々増えることが確かである。今,この原因について検討を加える時間はないが,すでに承知のことと思う。人口の増加,高齢化,予防対策の遅れ,原因と結果に対する知識の低さ,誤った優先順位,環境汚染,高速道路や職場などにおける事故率の増加,そして飢饉,伝染病,暴力,戦争などの人類のあさはかな行為は続いている。これらの状態を変えない限り,西暦2000年には障害者人口は7億人を超えると予想される。
第二にあげる事実は好ましいことであるが,多く人々の努力によって人類の障害に対するとらえ方が変りつつあることである。これは,一つの組織あるいは一つの国,一つの専門職,あるいは困難解決の一方法によってなされることではない。各国レベルあるいは,世界的レベルで多くの人々,多くの組織の理想と働きが総合的に作用した成果である。我々の時代の旗手は,この時代の偉大で創造的なメッセージを掲げて走ってきた:統合について,完全参加と平等について,予防について,リハビリテーションについて,ノーマライゼーションについて,アクセスについて,自立生活について,そして最大のチャレンジとして人権についてのメッセージを。
この運動は障害についての情報量を増やし,情報の流れを良くした。説得と法律によって障害者と呼ばれる人とそうでない人の交流の場を広げた。人類の思考と行動が変わり始めたのであり,もうこれは逆戻りすることのない道と信じる。そしてこれから育て,開拓していかねばならない道である。
このような動きの中から,そして世界のヒューマニティの動向から障害問題は必ず変化を遂げよう。地球上の人口は増え,老人の割合は増え,都市の人口集中はますます進み,家族や固有の文化の経済的社会的環境から切り離されて暮らさねばならない人々の数は激増している。先端技術の急速な発展と増加は,教育,雇用そして職種に急激な変化をもたらしている。情報の発達は我々の生活に困難と新しい可能性をもたらした。従来の経済保障システムは,人類の環境の急速な変化の中で,多くの人々にとって役に立たないものとなって来た。多くの社会システム,特に家族の役割には重大な変化があり,それは将来にも予測される。
このような傾向は,それぞれ,あるいは全体として何百万もの人々に影響を与え,政治的,社会的,経済的状況の変革をもたらすであろう。我々の目標を達成する方策もこの中で考えねばならない。将来の完全参加と平等の意味にも影響を与え,理想的な状況を獲得,維持するために必要な資源にも影響してくる。
世界会議のなかで,今日の状況に関しての概観は得られた。特に強調されたのは,しなければならないことと,今実施していることのギャップである。将来のことを考えるとき,現在ある困難が,先に述べたような傾向の影響によって拡大されることを考慮に入れねばならない。困難が大きくなることはないと信じるべき理由は何もない。我々が考えている計画よりも素晴らしい提案も聞いたことはない。2000年,あるいはそれ以降に我々が直面すると思われる状態を明らかにするために,あるいは障害者と障害運動の将来にとって選択しうる方策を検討するために,系統的,創造的研究を行なおうという話も聞いていない。

私の述べたいことを,この会議で注目を浴びた分野を例に説明したい。
コミュニティ・ベースド・リハビリテーション(CBR)について展開された概念は,我々に開発途上国の問題に対する希望を与えた。その一方で,CBRの議論は,今日の我々の力と,まだ置き去りにされている何億もの人々の必要としている援助との間の巨大なギャップを明らかにした。今日のデータを用いても,壮大な挑戦である。その上に,人口増加,都市化,家族と地域社会の崩壊,その他開発途上国の障害者の将来を予測するときに考慮せねばならない状況の複合的影響を加味すると,このギャップはいかに大きくなることか。
CBRを最優先に行なうことに疑問があるだろうか?開発途上国での我々の目的達成のためにさらに資源をさくことに疑問があるだろうか?
テクノロジーと,テクノロジーのもたらす自立生活,移動,コミュニケーション,就労,その他に対し,現在および将来に期待される利点について多くの方が語られた。他方,テクノロジーの可能性と,そこから利益を得られるはずのすべての人を結ぶ社会的,組織的,経済的力を我々が持っていないということも語られた。今日この結びつきを作ることができなくて,問題がますます大きく複雑になる将来に何ができるだろう?
雇用に対する技術開発の影響は何か。ある仕事においては,肉体的負担を減らした。しかしコミュニケーション,知的技術,器用さなどを必要とする場合が増えた。将来の労働市場や教育訓練プログラムに対するこれらの意味を検討する必要があるのではないか。

上に挙げた例のような困難なチャレンジと可能性は,将来に対する現実的な計画がいかに重要であるかを物語っている。世界レベルの行動計画が二つある。RI80年代憲章と,それを土台に作られた国連の障害者の世界行動計画である。これらの中には的確な勧告があるのだが,我々起草者たちは将来に予測される変化について十分な配慮をしたとは言えない。ありがちなことだが,その時に存在する困難にとらわれて,すでに今となっては過去となった時のために計画を作成したのである。
各国の行動計画にも,私の知るかぎり,将来の状況の変化まで含んだものはなかった。
国連障害者の10年についての期待と失望についても話された。これも将来を,将来の計画を考えるチャンスであった。国連を代表して参加されたSokalski氏は,非政府間機関と国連事務総長が主体となって,国連障害者の10年に関連してグローバルなイベントを行なう計画について述べられた。ぜひ実現することを望むのだが,これも将来のことを念頭において計画を考える良い機会になるであろう。
結論を繰り返すなら,この会議は将来の困難と可能性について多くの貴重な洞察と,有益な情報をもたらした。それは我々の思考,計画,研究の空白部分を明らかにしているのであるが,将来,将来を形づくる傾向,そして将来の障害者および社会の選択についての系統だった分析はなかった。将来への最も重要なチャレンジは将来を知ること,将来への計画を立てること,そして我々の望む将来にすべく行動することである。


―総括報告―

現実的展開について

REPORT ON REALISTIC CHANGES

Sushila Rohatgi
Home Minister,Government of Uttar Pradesh and President,Rehabilitation Coordination India


1981年が国際障害者年と定められ,障害者問題は世界中から注目された。国連総会はさらに1983年-1992年を“世界行動計画実施の一手段”として「国連障害者の10年」と宣言した。UNICEF,ILO,WHOなどの国連諸機関は,障害の予防,早期治療,コミュニティ・ベースド・リハビリテーションなど有意義な活動に取り組んできた。しかし「国連障害者の10年」の残る5年間に,よりダイナミックな概念を示し,障害者問題についてのより広い広報活動を展開する必要がある。
インドでは,障害者もその他の国民と同じ権利を有することが憲法によって保証されている。インド憲法第41条は,国家に“勤労権,教育権,そして解雇,老齢,病気,障害その他不当な困窮状況に陥った場合に公的援助を受ける権利を保証する効果的な規定を設ける”よう命じている。
インド政府はこれまでに数多くの障害者福祉事業を打ち出している。障害者福祉の分野のボランティア機関への補助金の支給や,義足,補聴器,障害者用運動補助具などをとくに低所得層の障害者に提供するなどの方策である。年間約3万人の障害者がこの制度の恩恵を受けており,その経費は一人当り500ルピーである。政府はさらにUttar PradeshのKanpur市に義足工場を作った。Kanpurはインド最大の都市で,ちなみに私の故郷である。
開発途上国にあっては貧困と障害は同時に起こりがちである。しかもこのような障害は主に栄養不良,不衛生,医療の不足,感染症の高罹患率などが原因で,予防可能なものである。多くの障害は栄養状態が悪い飢えた人達に,バランスのとれた食事を十分にとらせることで予防できる。
農村部では認識不足とサービスが不十分なため障害者問題はいっそう深刻である。人々は,障害をもった人々は教育と訓練を受ければ立派に社会に役立つのだということを認識していない。従って農村地域では,リハビリテーションが個々の障害者の居住地のすぐ近くで行われ,経済的であるばかりでなく,実用的でなければならない。障害者は機能回復と同時に経済的自立を果たし,社会的に受けいれられる必要がある。

とくに開発途上国において障害者のリハビリテーションをはばむもう一つのファクターは,公共の交通機関における障害者用特殊設備の不足や,ビル,職場,ショッピングセンター,横断歩道などが障害者用にできていないことである。このような変革をもたらすには,政府と公の団体,民間団体,地域の協力体制のもとに,メディアを利用して計画的に宣伝・情報活動を展開して世論を啓蒙していくことが必要である。
障害児のための特殊学校はいくつか設立されたが,同時に,地域において非障害児と障害児を一緒に教育するという試みも必要である。この障害児の統合教育の問題は,短期間に展開されるべきである。多くの障害児は学習能力になんら支障はなく,普通学校で学ぶ力があるのだから。
障害児の適正な教育に関して越えなければならないもう一つのハードルは,障害児教育の訓練を受けた教師が足りないことである。障害は貧困と結びついている場合が多いので,インド政府は障害児が教育を受けられるようにするために奨学金制度を実施している。
道のりは遠いが,障害者の雇用を確保し,彼らが十分に才能を発揮する手助けをすること,これが障害者リハビリテーションの究極の目標である。雇用主,協力者,そして一般社会の態度も問題をいっそう悪化させている。障害者の職場確保を促進するために,政府や公共団体に障害者の職場を設ける,障害者のための職業紹介を確立するなどの方策がとられてきた。
このような種々の障害者福祉政策を実施していくには,さらに多額の資金の配分が必要で,障害者問題や障害者の潜在能力に対する社会一般の認識の高場をはかることとともに,彼らの究極のリハビリテーションを達成するためには長い道のりがある。障害者が勇気と自信をもって人生の困難に立ち向かっていく手助けをするために政府と民間は協力していくべきである。


主題:
第16回リハビリテーション世界会議 No.2 63頁~107頁

発行者:
第16回リハビリテーション世界会議組織委員会

発行年月:
1989年6月

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