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分科会SE-1 9月8日(火)14:00~15:30

―機会の平等化―

建築と交通機関のバリア・フリー・デザイン

EQUALZATION OF OPPORTUNITIES THROUGH BARRIER‐FREE DESIGN IN ARCHITECTURE AND TRANSPORT

座長 Mr.John Stott National President,Disabled Person Assembly〔NZ〕Inc,〔New Zealand〕
副座長 野村 歓 日本大学理工学部助教授


物理的障壁のない環境づくり

CREATING A NON‐HANDICAPPED PHYSICAL ENVIRONMENT

Milan Danes
Union of Invalids,Federal Committee,Prague,Czechoslovakia


建築上の障壁をなくすことは,障害を持つ市民にとって重要なことのひとつである.建築上の障壁は障害者を社会活動から締め出し,彼らの仕事における自己主張を制限し,また往々にして医療施設,文化施設,スポーツ施設,商店,サービス施設やレクリエーション施設の利用を妨げる.このような障壁は障害者を一般社会から孤立させている.
しかしながら,建築上の障壁は障害者だけではなく,老人,リハビリテーションや運動器官の治療の途中の人々,そして,妊婦や小さい子供を連れた母親にも関係する.チェコスロバキアでは,全人口の20%がこのような人々である.
1987年10月,ちょうどプラハの中心街,すなわち古い歴史的価値のある地域だが障害者には使いにくい地域の再建中に,CIB(国際建築学会)とチェコスロバキア障害者ユニオン共催の環境に関する国際セミナーが開かれた.
中心街は常にさまざまなグループの人々の活動の中心となってきた.絶えず変化する経済の状況に合わせ,建物を新しい機能に適応させることが必要である.このような変化はすべての市民にとってのアクセシビリティを増加させる絶好の機会となる.
市街の中心部は居住,行政,商業,レクリエーション,そして道路網,駐車施設,歩行者や公共輸送用のゾーンを含む輸送等の機能のシステムを持っている.そこに求められるさまざまな課題を考えると,法的施策に基づいた総合的計画によってアクセシビリティを整えることが極めて重要になる.このためには一般社会の高い認識とともに,専門的なアプローチとユーザーの参加が必要である.このような考えに基づいて,セミナーに参加したCIBの専門家たちは,次のような決議を採択した.

中央および地方の政府に対しての提言

  1.  現存の市街環境を改修,近代化,拡張する場合も,新しく建築される区域に対すると同様に,アクセシビリティを保証する法律を整備すること.
  2.  法的施策実施の推進および調整に,障害者団体の参加を法的に定めること.
  3.  開発,改修,調整等に法の規定の実現に必要な資源を確保すること.
  4.  建築物の設計および建設の過程で,ユーザーの団体が専門家として調整の活動ができる方法を保証すること.

われわれの見解では,この決議は国連のすべての加盟国が認めた,国連の世界行動計画の内容と一致するものである.

建築家,計画者,建築業者,および教育機関に対しての提言

  1.  建築家,計画者,建築業者はアクセシビリティを,計画とプロジェクト作業を進める際の制限ではなく,必要条件と考えるべきである.
  2.  アクセシビリティを環境の必要条件とする考え方を専門家の教育と訓練の重要部分とすべきである.
  3.  建築家,計画者,建築業者はその専門的活動において障害者団体と協力すること.

環境整備のサービスに関する提言
国連の世界行動計画が定義,要求している「機会の平等化」の実現のためには,多くの老人や障害者のための環境を整備する諸サービスの導入が必要である.非障害者の社会の中に統合された障害者の生活は,施設での生活にくらべて明らかに高い価値を持っている.それゆえ,施設を建設し運営する代わりに,老人や障害者が平等の原則に基づき,社会の一員として十分に社会参加できるように諸サービスを提供することが望まれる.これらのサービスには経済的援助,基礎的医療とリハビリテーションサービス,および日常生活,仕事,レジャーに関連した活動における相談や個人的援助サービスが含まれなければならない.
障害者は自分達のニーズを明示する時に,彼ら自身の選択,自主性,自己決定に基づいてサービスを受けるとする新しい哲学の重要性を強調すること.この新しい哲学には第一に,障害者が他者と同等の権利を持つ市民として尊重されること,そして二次的な局面においてのみ,社会のサービスの受給者とみなされることが必要である.
文化的条件や利用可能な資源に関する各国間の差異に留意しながら,セミナーの参加者は個人的援助サービスの領域における長期計画として,以下の宣言に賛成した.

  1.  政府,特に中央政府のレベルでは,責任を持って,個人的援助サービスの組織化と財政援助を行うこと.
  2.  それらのサービスはユーザーが非障害者と同等の地位を選ぶことができるよう組織されなければならない.独立した自律生活のために重要なことは,個人的援助サービスがユーザー自身により,個人を基にして組織され,日々実施されることである.セミナー参加者の意見は,重度障害者が彼らを援助する人々を雇用する立場にある時に,それらの人々に対して最も大きな影響力をもつことができるというものである.個人的援助サービスの問題を自ら調整する知的な能力を持たないユーザーの場合は,この目的に沿って専門機関の法的な代理人が利用できるようにしなければならない.

建築上の障壁をなくすための法的条件は非常に重要である.チェコスロバキアでは1985年以来,運動機能に障害のある人々の建造物の利用を保証する技術的条件に関する通達“Public Notice of the State Committee for Scientific,Technical and Investment Development”がある.
この通達は新しい建築物の計画や実現に対して適用され,また,ある程度までは,公共の建造物や設備の改造についても適用される.障害者が自分のアパートの障壁物をなくすことに対しては,当該法に基づいて8万クラウンまで州の補助金が認められている.同じような補助金はたとえばスウェーデンでも認められている.建築上の障壁をなくすために利用できる資金的方策は,このように極めて重要な要素である.
最後に,主要な前提の一つとして,社会が障害者の関心とニーズをより良く理解するように,障害者に対する社会の認識を速やかに変化させてゆくことが必要である.この世界会議は,この領域で働くわれわれにとって,大きな援護となるものである.


日本の全身性障碍者をとりまく環境と意識のカベ

THE ENVIRONMENTAL AND CONSCIOUS BARRIERS SURROUNDING PERSONS WITH DISABILITIES IN JAPAN

今岡 秀蔵
東京都八王子自立ホーム


私は1950年に生まれ,生後一年半でポリオにかかりました.ちょうど私が生まれた年に,日本の身体障害者福祉法が制定され,当時復員してきた大勢の傷痍軍人の雇用・職業的自立の援助が推進されるようになりました.しかし,この日本の身体障害者福祉は,同時に私のように障碍の重い者,脳性マヒや筋ジスといった全身性障碍を持つ人たちに対する施策がほとんどないまま出発,進行し始めたわけです.
私が初めて自分で道路を横断したり,家の外を動き回れるようになったのは,1973年,22歳からです.当時日本では,ようやく国産の電動車いすが作られるようになってきたわけですが,実はそれまで私は30センチすら自分で移動することができませんでした.したがって学齢に達した時には,祖母に背負われて地元の小学校に通ったわけです.
この当時の学校は,今もそうですが,普通学校には階段があり,トイレも日本式しかなく,障碍者への設備や配慮というものは全くありませんでした.同時に養護学校などといった特殊教育のシステムも整っていませんでしたから,おかげで私も普通教育を受けることができました.今考えますと,私が20年後の22歳になって使うようになった電動車いすや,当時進められ始めた環境改善が学校でも行われていたならば,もっと活発で楽しい学校生活を送れたのではないかと思います.
その後,日本では養護学校が各地に建設され,障碍者の養護学校への就学が義務づけられるといったむしろ統合化とは逆行する形でいろいろな政策が進行していきました.もともと日本の身体障害者福祉法は,障碍者自身が自ら障碍を克服して職業につく努力をしなさいというもので,その法律自体は社会のシステムや環境を改善するという目的を全く持っていませんでした.
しかし,1964年に日本でパラリンピックが開かれ,欧米から来た選手が車いすで見事な競技をするのを見て,障碍が重いとされている人々も(日本の車いす製造枝術の向上もあって)非常に活発になりました.またモータリゼーションの流れにのってマイカーを動かし,社会参加をする人々も出てきました.
こうした人々の進出を背景に,1970年代に入りようやく環境改善も福祉施策のなかに盛り込まれるようになりました.これは身体障害者福祉モデル都市というものを国が指定して,当該自治体が環境整備基準というものを策定し,それにのっとり公共の建物や道路を障碍者に配慮して改善を進めたわけです.
しかし,いずれにせよ障碍の重い人々や全身的な障碍を持つ脳性マヒや筋ジス,重度のポリオといった人々は,この程度の環境改善ではまだ地域社会で自立して生活することは困難です.その結果,家庭で年老いるまで家族と共に過ごすか,それができなくなった時は,地域から離れた巨大な施設に収容されるしかなくなってきました.
1970年代にそうした社会告発を強力に展開する脳性マヒ者のグループの運動が起こってきました.その運動の骨子は,巨大な収容施設の反対,障碍者を乗客にすることを拒否するバスや鉄道などの公共交通機関への抗議,障碍児の発生を防ごうとする優性保護法の改定反対,そして養護学校の義務制といった新たな差別を生みだす制度や環境についての抗議や反対でした.
同時に,それらの強力な運動を背景に政策的要求をする幼児時からの障碍者グループもありました.彼らは,職業的自立は困難でも,地域の中で社会的自立が可能な基盤の整備を要求したわけですが,この運動に実は私も参加してきました.
この運動の3つの柱は,1年金制度,所得保障の確立,です.とりわけ2,3は環境改善の課題というわけです.公営の住宅で障碍の重い人たちが自立できる条件を確保すると同時に,地域の中に小規模で障碍者自身が主体になれるような生活施設の建設を進めること,また電動車いすの開発,普及や鉄道その他の公共交通機関の整備といったことです.
私も電動車いすを使用するようになってから,こうした要求が自分自身のものとなってきました.例えば電動車いすで自由に生活できる居住条件が必要ですし,電動車いすを使うと同時に,その他の機械設備,自助設備の使用により,できる限り人に頼らずに生活できないものか,また電動車いすでスムーズに電車などを乗り継いで行動の自由を拡大できないかということです.これらが私の一貫した課題となりました.
最近の日本の障碍者の自立運動について私なりの問題意識を申し上げたいと思います.障碍が重い場合,人的介助を制度化することにより,自立した生活ができるという意見が多くなってきています.もちろん人的介助を否定するわけではありませんが,できるだけ他人の労力を使わずに活動できる物理的条件の確保が必要ではないでしょうか.そのことが最大限に工夫されない限り環境の改善について障碍者自身が運動を進めていくのは難しいと思います.
日本では,障碍者への配慮ということが特別扱いや障碍者専用というシステムを作ってしまうことになります.これが通常の利用をいつも妨げます.例えば新幹線の車いす利用のシステムですが,新幹線を利用しようとすると時間を指定されたり,名前や住所を必ずチェックされるという問題があります.また,一人で自由に使えるエレベーターが設置されていても,必ず付き添いの方と乗って下さいという札が掛けてあります.これらは日本では障碍者が一人で動き回ることを全く前提にしていません.そこで環境改善の原則についていくつか確認したいと思います.
1できるだけ他人の労力を使わずに活動できるように,物理的条件を最大限に確保すること,2上述したことを具体化するために,できるだけ普遍化しやすい技術やシステムによって,一般の人々と共通の利用ができる仕組みを作ること,3最大の効果を最少のコストで得られるように研究を進めること,4環境の改善だけを進めるのではなく,環境改善を促進するような環境等を調整しうる障碍者側の個人の物理的条件の確保.例えば鉄道に乗りやすい車いす,若干の介助で簡単に畳める電動車いすというようなもの,またはタクシーに乗せられる車いすといった既存の環境の改善を促進できるような個人の物理的条件の確保,5障碍者を特別視するのではなく,障碍者自らの安全に対する責任も障碍のない人達同様に負担する責任があること.そうした能力があるという前提に立って物事を進める,ただし実際問題として,あるいは意識の問題として障碍者の社会成熟度の遅れが彼らに対する保護や管理意識を生じさせている事実も否定できない.
以上のようなことを確認した上で,日本の全身性の障碍者が当面している環境問題での政策的課題について最後に述べたいと思います.
脳性マヒや電動車いすを使用する全身性障碍者の立場から,居住環境や移動交通環境システムの社会的確立は重要な課題ですが,それにはいくつかのことを進めていく必要があるでしょう.特にこの場で皆さんに申し上げたいのは,私は今まで何度かスウェーデンやイギリスの電動車いすを試乗する機会がありましたが,日本の電動車いすと比べて大変素晴らしい機能を持っているということです.
日本の電動車いすがJAS規格に定められ画一的なのに比べ,スウェーデンやイギリスでは障碍者の障碍の実態に合わせて適したものが選べます.こうした電動車いすやその他の自助機器等を日本の障碍者が自由に入手できる輸入システムあるいは関税引き下げといったことをぜひ進めていく必要があります.このことはいずれ日本の電動車いすメーカーの技術開発意欲を促進することにもつながるでしょう.
また通常の住宅ではなく,施設的なケアを必要とする人たちの場合でも,日本の現在の施設居住環境は極めて劣悪です.それらを改善し,同時に利用する権利を確立するためにその環境やサービスに応じた費用を障碍者自身が負担できるような制度に改善していくべきだと思います.
今日,この新宿の街で多くの仲間たちがデモンストレーションを行っていることでしょう.電動車いすを基本とする公共交通機関の体系的な整備,すなわち電動車いすを使う障碍者達が自由に鉄道やタクシー,バスなどを利用できるように交通機関のシステムを改善していって欲しいものです.
以上の課題は行政や社会に訴えるのはもちろんですが,改善されていないからといって利用できないと決めつけるのではなく,私たち自身が毎日何らかの工夫をし,また大勢の人々の協力を得ながら既存のシステムを利用する日々の運動を進めていくことが必要でしょう.我々の経験では,繰り返し駅を利用したり,繰り返し国会に電動車いすで傍聴にでかけることにより,駅にはスロープが,また国会には車いすのための新しいルートが作られたという実績があるからです.


―機会の平等化―

建築と交通のバリア・フリー・デザイン:ニュージーランドの展望

EQUALIZATION OF OPPORTUNITIES THROUGH BARRIER‐FREE DESIGN IN ARCHITECTURE AND TRANSPORT FROM A NEW ZEALAND PERSPECTIVE

John W.Stott
Disabled Persons Assembly〔New Zealand〕Inc., New Zealand


いかなる社会にもその構成員として,障害者という少数派だが重要な人々がいる.かつて,多くの社会においてこの人たちは一般の人たちとは違うのだと考えられ,さまざまな扱いを受けてきた.ニュージーランドもその一員である西欧社会では,当初は,障害という問題に関して,“慈善事業的”アプローチで対応してきたが,その副作用として,日常生活において他人への依存度が増し,障害者が完全でより豊かな社会に実際に貢献しうるということが認められなかった.
国連の人権宣言(精神薄弱者の権利に関してと障害者の権利に関して)は,障害者特有のニーズや役割を正式に認めている.また,そのうちの「障害者に関する世界行動計画」には,“障害者の一般社会活動への完全参加と平等”の実現という目標へ向けて効果的な方策が必要だとされている.
国際的コンセンサスに基づいて確立されたこのような指標に対して,すべての社会のあらゆる階層とあらゆるグループが呼応することが必要である.そうした人権問題に関する反応なくして,バリア・フリー環境と交通システムの整備による機会の平等化は現実のものになりえない.設計者には,社会から切り離され,価値も認められていない障害者のための配慮を具体的なデザインに活かそうという視点も意図もないのだ.
「国際リハビリテーション協会80年代憲章」には,“いかなるメンバーにせよ締め出すような社会は不毛である”(第31条)と述べられているが,この会議の参加者の中にこの意見に反対の人はひとりもいないであろう.ところで,建物や交通システムの設計の段階で設計者が障害者のためのアクセスを取り入れないとしたら,その社会のしていることはまったくこれに反することではないだろうか.普通,社会は,特殊な設計は高価だし多くの人が利用するわけでもないだろうと反論するだろう.この場合,実は障害者は設計の段階において考慮にいれるに値しないといっていることになる.
私の考えでは,機会の平等化の問題はまず人権の問題であり,バリア・フリー・デザインが望ましい基準とされるような,受容的社会環境を作ることが必要である.

ニュージーランドの福祉制度は,以前からほとんどの障害の問題を扱っているが,障害者のニーズにアドホックな反応を示すのが特徴とされ,断片的で調整はうまくいっていない.サービスをおこなうのは,慈悲の倫理もしくは親の圧力グループから生まれた民間の機関で,この人たちの関心事は,1)基本的なサービスの維持のためにいかにして資金を確保するか,2)自分たちの住む社会で高い評価を受けていない人たちの世話をしながらいかにして自分たちの公の立場でのイメージを守るか,の2点である.
ようやく認識され始めたばかりの主役,すなわち障害者自身が,自らを擁護し必要な社会変革へ向かう力となりうるとはまだ考えられていない.私たちは,受容的環境作りの責任は障害者自らの手中にあると確信している.
これを実行するには,障害者がリーダーシップをとり,意志決定の場に参加し,多くの障害者は不利な立場からスタートしなければならないのだから,これを効果的に擁護するのに必要な技術を身に付けなければならない.ニュージーランドの現状をみれば明らかなように,障害者が家族を養い,日常の社会生活を営みながら,政界,職業組合,ビジネス,スポーツ,レクリエーションにおいて,あるいは保健活動を行う委員会のメンバーとなり,障害者の組織を運営するリーダーシップをとることは可能である.DPA(NZ)(ニュージーランド障害者会議)は自分たちの問題を自分たちで処理する障害者の一例で,他の人々も同じようなことに挑戦してほしいものである.
障害者と面と向い,ともに働くようにならなければ,一般の人たちに障害者の問題を理解し,機会の平等化をはかるのに彼らが果たす役割を認識させることはできないであろう.

ニュージーランドではバリア・フリー・デザインを開発するうちに,第一段階として,目的設定のための実践規約を作らなければならないということで意見がまとまり,ニュージーランド・スタンダード(NZS) 4121(1925)が成立した.同時に障害者地域福祉法(1975) (the Disabled Persons Community Welfare Act― DPCW)が制定され,強力な法施行がおこなわれるようになった.この法は第25条でNZS4121を承認している.
この法令は地方行政法(the Local Government Act 1974)など既存の法令にも直接影響をおよぼしている.地方行政法第331条(1974)は,議会に,あらゆる道路の縁石という縁石を障害者が安全に通りやすいようにするよう命じている.また,第641条(3)は,議会はDPCW法第25条に従わない建物の建築の許可申請は拒否するよう求めている.さらにこの法律の第641条Dは,議会はDPCW法に従っていない政府のビルを政府に通告すべきだと定めている.
NZS4121(1975)は勧告的なものであるため,これを認識していない建築物調査官が主に引き起こすことの多い混乱を解決するために,DPCW法は地方行政法の諸条項を無効にした,というのは,地方行政法には DPCW法施行の責任はないからである.結果として, NZSは改正され,1985年に完成した.NZS4121(1985) は1975年のものと違って強制力をもち,DPCW法の意図するところを強く反映している.
強制的建築条件にたいして,設計家やディベロッパーの反応は当初,経費の増加を予想して怒りをむき出しにした敵意を示すものもあれば,この法令は障害者の機会の平等化を図るものだということに理解を示すものまで,さまざまであった.

交通におけるバリア・フリー・デザインはさらに後になって成立したものである.DPCW法(1975)第16 条Aには,職業をもった障害者の自動車の購入に対し若干の補助が認められてはいるが,大多数の障害者はまだ地域活動への参加の機会もなく,自宅にしばりつけられた状態であった.地方の支援機関は,受け持ちの障害者が外出したり作業活動に出席しやすいように,特別の乗り物を提供するなどして援助した.しかし,このようなわずかなサービスでは平等な機会を保障するというには至らず,さらに発展した地域活動が生まれた.それはいくつかのグループが,“Dail-a-Ride”という助成金により,週末を除いて一定の時間帯に特別サービスをするというものであった.
同時に,障害者をある程度自立させようというこの種の試みがあちこちで生まれ始めたのにつれて,障害者の自由に旅行したいという欲求が一般に認められたことを反映して,鉄道や航空システムでもアクセスが改良された.
障害者の完全な社会参加と機会の平等化という目標達成に向けて,ニュージーランドの障害者のための包括的な民間組織であるDPA(NZ)では,ニ等ージーランド都市交通協議会,ニュージーランド・タクシー事業主連盟,地域行政府との協力で,Total Mobilityという制度を開発した.この制度はまず各タクシー会社に車いすの乗客を乗せられるよう改造したタクシーを配備するというもので,週7日,1日24時間体制とし,利用者は地方の財源組織からの援助を得られるものである.この制度のおかげで公共の交通システムの改良に多額の資金をつぎ込む必要がなくなり,資源をそれを最も必要としている人たち,すなわち社会活動に参加したいと思っている障害者のために使うという方向付けができた.そして地域にあり,すでに十分に開発されているサービスも活用された.
1984年の発足以来,Total Mobilityは発展し,今では32のタクシー会社に54台のタクシーを置き,1カ月の輸送量4万件,咋年度の輸送料金は260万ドル,利用者は人口の68%に及ぶまでになった.
歩行機能がごく限られている人でもタクシーに乗れるよう,すべてのタクシー会社に障害者用に改造した車を備えるのは当然であるが,精神薄弱や視覚障害のために公共の交通手段を利用できない人たちは,標準型のセダンに乗ることができ,実際に利用されているということもここで述べておくべきであろう.タクシー料金は公共のバスや電車の運賃に比べて高いので,公正を期するために,現在50%割引きのクーポン券制度によって補助金を支給している.クーポン券は,障害者サービス実施機関が発行している.すなわち,Total Mobilityはいまでは,適正な価格で,あらゆる障害者が利用できるアクセシブルな制度になっているのである.
このような体験を通して次のようなことがわかった.すなわち,障害者が自分たちの目的を明確に打ち出し,既存のサービスについて実現性のある選択を示すなら,その時こそ機会の平等化は夢物語でない,現実のものとなるということである.そして,総合的な制度は,障害者のためにのみ立案された一度かぎりの計画よりも確実なシステムを樹立する.

ニュージーランド人権委員会法(1977)は,心身障害を非合法的差別の根拠のひとつとしてみなしていない.そこで障害者にたいして抵抗しがたい差別が存在することは疑問の余地がないのだから,障害者たちは人権委員会と連携して,心身障害を差別理由にいれるよう運動を起こしている.
機会の平等化が実現可能であるとすれば,反差別法の実施もまた別の平等化であるにちがいない.法律には変革の速度を速める力がある.一方言葉は障害者の機会の平等化の過程において問題を引き起こすことが多い.たとえば“障害”(disabled)という語は法律上は,多くのニュージーランドの法律にみられるように,公職につく資格のないことを意味するので,公職についている障害者にとって痛烈な悪影響をおよぼす.
権力者たちに一般に信じられている意見を再考し,正確な情報を集め,もう一度このような意見を考え直させるのには,“さもないと法律を破っていることになりますよ,そして苦情に応対したり示談になったり法廷に出かけることになるかもしれません.”というようなことをいうのが最も効果的である.
時代と人々の態度のめまぐるしく変化する中にあって,DPA(NZ)は教育と法律の連携が,機会の平等化のための本質的な因子であると確信している.
ところで真に機会の平等化を望むなら,将来の展望や専門的意見をどこに求めれば良いのであろうか?政治家,地域の実力者,専門家などは信頼できない.障害をもつことに価値を置かない現代社会にあっては,彼らはみな,障害者の日常生活を体験したことはなく,自らの存在意義を正当化するために技術や一定の知識の維持にばかりたよっている人たちだからである.
“地域で生活していくときどんな問題にであいますか?”というような事柄に関して,障害者のアドバイスを求め,耳を傾けることによってのみ,設計家や専門家は真に障害者のニーズに答えることができるのだということを強く主張したいと思う.
障害者インターナショナル(DPI)は,基本的な質問を投げかけられることなく,障害者のため良かれという意図のもとに計画が立てられた欲求不満から生まれた組織である.“A Voice of Our Own”(我々自身の声)というのがキャッチフレーズである.これは,“われわれ障害者の意見を聞いて―これが大切なのです”ということだけでなく,“あなたたちに私たちを代弁する資格はない”という叫びでもある.機会の平等化を達成するには,サービスを受ける側の実際のニーズに基づくバリア・フリー・デザインが必要であり,彼らの見方を最も重要視すべきである.
RIやその加盟団体が,その活動を計画したり他の活動と協力したりするさいに,障害をもつ人々の機会平等を十分にはかれなかった,あるいは会場や宿舎をすべての参加者に完全にアクセシブルにすることができないと責められるようなことがあってはならない.障害とリハビリテーションにかかわるこの団体がそのひとつの目的を満たすこともできないなら,障害者も社会に貢献することができるというこの団体の認識にも深刻に異義を唱えられることになる.
最後に,この論文の作成にあたり多大なご支援をいただいたRIニュージーランド・ナショナルセクレタリーのMr.Ken Munroに感謝の意を捧げる.

〔参考文献〕

  1. Angus,Quentin E MBE,LLB,Is there a Need for Special “Disability Legislation”.Paper presented to the InternationalExpert Meetig on Equalisation of Opportunities for Disabled Persons:Vienna,June2-6,1986.
  2. Rehabilitation International,Charter for the 80's,New York 1981.
  3. UN International Year of Disabled Persons 1981(IYDP),Designing with Care―a guide to Adaptation of the Built Envirnment for Disa‐ bled Persons―1983.
  4. Advisory Council for the Community Welfare of Disabled Persons NZ,Mobility Matters― Report to the Minister of Social Welfare 1980.
  5. United Nations,World Programme of Action Concerning Disable Persons―New York 1983.
  6. Rae Julian,Should Disability be Included as a Ground for Unlawful Discrimination under the Human Rights Commission Act 1977?―Speech to a Public Meeting,24 May 1988.

フィリピンにおける建築上の障害の除去のための新法

THE NEW PHILIPPINE LAW TO ERADICATE ARCHITECTURAL BARRIER

Deogracias J.Tablan and Arturo Borjal
Lung Center,Philippines


1969年にアイルランド,ダブリンでおこなわれた第 11回リハビリテーション世界会議において国際アクセス・シンボルが採択される以前は,フィリピンではビルや駐車場や職場に障害者が容易に入れるような設備はなかった.
1970年に首都マニラに建設されたElks脳性麻痺リハビリテーションセンターは,スロープ,幅の広いドア,廊下やトイレの手すりなど障害者のアクセスを考慮した設備のある建物の第一号である.数年後,グリンヒルズ分譲地の映画館に,ロビーから二階へ続くスロープが設置された.さらに,個人の家やホテルにも障害者用にスロープが付けられるようになった.
障害者のアクセスにとって大きな突破口となったのは,RIの加盟団体であるフィリピン障害者リハビリテーション財団(the Philippine Foundation for Reha‐ bilitation of the Disabled‐PFRD)主催で1974年に開催された第一回全国リハビリテーション会議であった.建築家Carlos Arguellesは,「建築上の障害に対する地域の認識を高めるために」と題する報告書を提示し,RIの国際アクセス・シンボルを支持し,今後建設予定の新しい建物には,必ず障害者のアクセスを考慮した設備を整えることを義務付ける法律の必要性を力説した.彼の主張は採用されなかったものの忘れられることもなかった.
こうして8年後の1982年12月7日に,the Batasang Pambansa(フィリピン議会)はBatas Pambansa Bilang 344を可決し,1983年2月25日にはマルコス大統領の署名によりこの法律が成立した.これにより 500万人以上のフィリピンの障害者にとって,希望と関心のある新時代を迎えた.

BATAS PAMBANSA BILANG 344

この法律は,“特定建造物,公共施設,官庁,公共機関,その他の施設・設備に障害者の移動を考慮することを義務付けるための法律”と題する.
開催中の議会において以下のとおり制定する.

第一条 完全に社会生活に参加し,自らの住む社会の発展に寄与し,一般市民と同じ機会を享受することができるという障害者の権利を実現するために,一般の人々のための公共もしくは民間の建造物,教育施設,空港,スポーツ・レクリエーションのためのセンターや総合施設,ショッピング・センター,公共駐車場,職場,公共機関などの建設,改修,改造にあたって,所有者または管理者が,上記の建物,施設,公共機関に,歩道,スロープ,手すりなど,障害者の移動性を十分にたかめるような建築設備や構造を設けないかぎり,工事の免許や許可証は認可・発行されない.さらに可能ならば,既存の建物,施設,公共機関も改造・改善し,障害者にも利用できるようにする;すでに免許ないし許可証の発行されている建設予定の建物,施設,公共機関については法律の定める条件を満たすようにする;さらに,政府機関,街路,高速道路などの場合は,公共事業・道路省が,上記の建造物に障害者のための建築設備や特別な構造の設置を確認することとする.
上記施設,建物,公共機関の駐車場に関しては,その所有者もしくは管理者が障害者にとって利用しやすい十分かつ適切なスペースを確保する.

第二条 広報手段として,障害者の権利に対する一般の認識を促進し,彼らの特別なニーズへの理解を生むために,ポスターやステッカーを人目を引くように掲示するなどの方策をとる.また障害者用の特別バス停留所をデザインする.車内もしくは乗客の輸送にあたって障害者を差別することは違法であることをここに宣言する.

第三条 公共事業・道路大臣及び交通通信大臣は,全国障害者委員会と協力し,本法律の各条項実設に必要な細則を作成する.

第四条 本法律およびこれに準じて制定された細則のいかなる条項に違反した者も,正式な裁判権をもった法廷の判決で,1カ月以上1年以内の禁固もしくは 2000~5000ペソの罰金刑,あるいは,法廷の自由裁量によりその両方の刑を宣告される.法人,合名会社,協同組合,協会などの場合は,会長,社長,管理者,または建物や空間,設備の建設や改修・改造の責任者が,本法律及びこれに準じて制定された細則の双方あるいはどちらかの違反について刑事上の責任をとる.

第五条 前述の規定と矛盾するあらゆる法律,行政・管理命令,諸規則はこれにより廃止もしくは修正される.

第六条 法律は承認とともに効力を発する.

法律の施行

法律が大統領の署名により成立して間もなく,法によって定められた担当機関において,障害者グループ,建築家,エンジニア,バス会社,医療リハビリテーション・チーム,さまざまな民間の機関や団体,関連省庁などとの話合いの末,この法律の施行にあたって必要な細則が成立した.
細則は小冊子にまとめて印刷され,法の施行にかかわりのあるあらゆる機関に配布された.広報活動も,報道,印刷物,公開討論会を含むテレビ・ラジオのネットワーク,セミナー,建築・工学科のカリキュラムにおける差別廃止などの形で展開された.こうした活動の成果として,行動範囲を拡大し,社会の体制に参加し,経済的機会を利用できるようにしたい,という障害者のニーズに対する一般の認識と理解が進んだ.
法律が承認されて2年以内に,PFRDと全国障害者委員会(National Commission Concerning Disabled Persons-NCCDP)は,障害者の利益をはかって法律に従ったいくつかの建物に国際アクセス・シンボルを贈り,表彰した.
アキノ大統領の新政府のもとで,あらゆる段階における再編成の計画が実施された.NCCDPは全国障害者福祉協議会(National Council for the Welfare of Disabled-NCWD)と改名され,協議会の新しい指導者のもとでアクセシビリティ法の実施は最優先課題とされた.
2年間の成果は次のとおりである.

  1. 公共事業・道路省による首都マニラの交通量の多い交差点の道路の縁石のカットや歩道の修理.経費 500万ペソ.
  2. Philip Cruz氏を議長とするNCWDアクセシビリティ委員会の報告によれば,現在首都マニラやその他の都市で,アクセシビリティ設備を設計に組み込んだ19のビルが新築工事中である.
  3. 新築完成したアクセシビリティ設備をもつ建物は労働保健安全センター,フィリピン師範学校図書館,マヌエラ・スーパーマートの3件である.
  4. 改修工事でトイレなどに手すりを取付けた建物は議会(もとのBatasang Pambamsa),ニノイ・アキノ国際空港,ゴメス小学校,小児医療センター,フィリピン国際会議センター,セントポール大学,ケソンシティー,ドンバスコ学校などである.
  5. ある輸送会社ではバス3台に障害者用乗降装置を設置した.

現政府は,Estelita Juco議員を障害者グループの代表として大統領指名で下院議員に任命することによって,フィリピン国内の障害者に対する関心を示した.すなわち大統領は障害者の利益をはかる法案をただちに提出したのである.その中にはB.P.344アクセシビリティ法の修正案も含まれていたが,これは同法を現状とニーズにあうようにするためのものであった.
法律制定以来5年が経過し,障害者を助けるため建築上の障害の排除へ向けて成果を上げてきた.そして,多方面にわたり数々の問題があるものの,障害者への差別をなくしフィリピン人としての生活へのメインストリーミングを達成するために,なおいっそうの努力がなされるであろう.


分科会SE-2 9月8日(木)14:00~15:30

ニード別課題

精神障害

SPECIAL NEEDS POPULATIONS:THE PSYCHIATRICALLY DISABLED

座長 村田 信男 東京都小平保健所
副座長 Prof.Kurt-Alphons Jochheim Germann Society for Rehabilitation of the Disabled〔FRG〕


「精神障害」について

SPECIAL NEEDS POPULATIONS:THE PSYCHIATRICALLY DISABLED

村田 信男
東京都小平保健所


ニード別課題「精神障害」の分科会を開催致します.このテーマについて実践,研究,調査などに携わる多くの人達が,世界各国からご参加下さったことに感謝と敬意を表します.

1981年の国際障害者年は,すべての障害者の「完全参加と平等」の実現に大きな役割を果たしました.世界各国の精神障害関連領域にも大きな刺激を与え,発展をもたらしたことは,その後の経過が具体的に示しております.
日本においても,1988年7月より,従来の法律の一部が改正され,新たに「精神保健法」が施行されました.適正な医療と福祉に保障された精神障害者の人権擁護と社会復帰の促進,リハビリテーションの充実がその基本的理念です.このような新たな法律施行の時期に,わが国で世界会議が催される意義は極めて大きいと考えます.
しかし,精神障害者の「完全参加と平等」実現には,程度の差こそあれ,いまだ多くの課題を残しているのが世界各国の現状であり,特にアジアなどでその傾向が強いのではないでしょうか.この現実をふまえ,アジアにおいて初めて開催される役割を十分に生かす必要があります.
今回報告される講演者の方々は,障害者自助グループによる社会的不利に対する実践,デイケアなど諸施設における生活能力障害改善のためのさまざまなケアの試みや技術的援助のあり方,機能障害の治療につながる研究や調査,さらに,行財政を含む社会福祉制度の検討など,さまざまな立場で先駆的な業績をあげてこられた斯界のリーダーの方々であります.これらの貴重な実践や研究などを学び,心の通った交流を通じて,国際障害者年につぐ大きなステップになることを強く期待するものです.
短い時間ではありますが,この会議を通じて現実的課題に役立つものを学びとり,具体的に展開させ,将来の展望につながりうるような実りあるものにするためご協力下さるようお願いし,開会の挨拶と致します.


精神医学リハビリテーションの現実的展開

REALISTIC APPROAHES IN PSYCHIATRIC REHABILITATION

Siegfried Rost
Psychiatric Rehabilitation Department,Regional Hospital,Orebro,Sweden


Orebroの病院の精神医学リハビリテーション科では,患者のリハビリテーションを円滑にすすめるために必要な条件と仕組みを整えた.
調整―全体の関連性,スタッフの教育,調査―入所前,訓練と抑制,最終的評価,最高級の設備,各種の目的に応じたリハビリテーションユニット,作業リハビリテーションユニット,ケースワーカー,運動,グループ活動,社会的訓練,従来の作業療法,実地の作業療法,講義.
スタッフと患者の間の適切なフォローアップとフィードバックのシステムと計画的なアフターケアプログラムの検討.
患者と家族の間の前向きな人間関係を深め,リハビリテーションへの動機を強めること.


精神障害

MENTAL DISABILITIES

小坂 功
神奈川県精神障害者連絡協議会会長


私が,いまから報告する「あすなろ会」は20年前に神奈川県三浦市の初声荘(ハッセイソウ)病院という精神病院で発足した.当時,精神科の治療の中で,作業療法,レクリエーション療法は医療として認められていなかったために,保健請求の対象にならなかった.
しかし,この病院では,作業療法や,レクリエーション療法を取り入れていた.なかには,病院の外へ働きにいっている患者もいた.その患者の賃金の一部をプールして,患者達のレクリエーションの費用にあてていた.
この病院は,毎日のように患者同士の話し合いがもたれていた.そのなかで,患者の賃金の一部がプールされているのはおかしいという意見が出された.賃金は働きにいっている患者の労働力に対して支払われるもので,病院が勝手にその一部をカットする権限はもたない,賃金はすべて働いた患者のものであるという結論が出された.
そこで,レクリエーション療法や,作業療法の賃金を集める目的で,病院と家族が協力しあって「あすなろ会」をつくり,会費や,寄付を集めて「あすなろ基金」をつくり,印刷機,ミシン等を購入して患者たちの訓練に使っていた.
作業療法,レクリエーション療法を診療として国が認めるようになったのは,それから数年後であった.
その頃,病院の経営方針が変り,会を支援していた医師達も退職し,「あすなろ会」は患者を援助する組織から,患者自身の手で「よりよい精神医療をめざす組織」へと変わった.
患者と家族が中心になり,ケースワーカーや他の医療従事者の人達と,この「よりよい精神医療をめざす」運動に共鳴する人達によって運動は再出発した.
しかし,このような患者の会というのは,病院や保健所等の援助をうけて活動を続けていく例が日本では圧倒的に多い.
「あすなろ会」は,病院から出て,私の自宅を事務局にして活動し始めたが医療機関から離れたり,医師の参加しない会へは,なかなか仲間達は集まってくれなかった.
私が退院した時に,一緒に入院していた仲間達にお礼の手紙を出した.私の方はなにげなく手紙を書いたのであるが,受け取った方は長い入院生活のなかで,すでに何年ものあいだ年賀状すらもらったことのない人もいて大変喜ばれたこともあり,毎朝,いろいろな仲間にハガキを書き続けた.
手紙活動は大変であった.少しでも手紙が遅れると,病気になっているのではないかと心配されたりする.郵便料や電話代の値上げは,患者会活動にとっては打撃的な痛手である.
しかし,一通の手紙,電話の一声で励まされ生き続ける仲間達のために,この命の糸は切ることはできないと続けてきた.その中で,仲間達はいろいろな創造的な活動を展開してくれた.
1 社会復帰のためのメモ活動
横須賀のあすなろ会の仲間の例会に行った時のことである.みんながメモを開いて報告しあっている.電柱や塀に貼ってある募集広告をメモして,誰にはどんな仕事が合うのか等,その仲間の症状に照らし合わせて面接までつきあうのである.
私は,職業安定所だけを考えていたが,自分の考えの狭さ,創意性のなさを反省させられた.
2 地域作業所
いまから17年ほど前,「自分達に必要な中間施設とは…」という話し合いの中から,病院から実際に社会に出る間に訓練の場として作業所のようなものが欲しいということで,東京,川崎等のリハビリテーション施設を見学した.私は,とても立派な施設なのでうらやましく思っていたが,仲間の感想はけっしてよくなかった.
私達はコンクリートの病院から,コンクリートのリハビリテーション施設を望むのではなく,街の中で生活をしたいということであった.戸をあけて隣近所の人とあいさつを交わす生活に大変憧れていたのである.
私達あすなろ会は,横浜,横須賀の2カ所に作業所を設立した.そして横浜の作業所の5周年記念集会の実行委員長を町内会長がやって下さるまでに,街にとけこんできた.
3 共同住宅
共同住宅の経験はないが,同じ町内に5人ほどの仲間が退院して,それぞれアパートや部屋を借りて生活を始めた.同じ地域に住むあすなろ会の役員が,日常生活の指導にあたってくれ,持ち回りで共同炊事をしたり,ガスの使い方,洗濯の仕方等,面倒を見ていてくれたが「疲れた」という一言を残して自殺してしまった.
4 結婚
私達の会で活動を通じて何組かの人達が結婚している.全部が,うまくいってるわけではない.離婚もある.ここでは私は家族の方と違った考えを持っている.病気だから別れる,うまくいかないということもあるであろう.
しかし,人間として生まれ,愛し合い,結ばれてまた別れる,このような出来事は精神病患者でない人も同じことをしている.ここで必要なのは仲間の励ましである.患者同士の夫婦の場合,育児,教育等で奥さん同士が互いに連絡しあって頑張っている.
5 自殺について
自殺は防げないのか,いや私の20年の経験の中から,患者会活動の力の弱い時は仲間の自殺も少なくなかった.
やっと仕事についても,精神病院にいたということがわかって首になり,自殺してしまった人や,仕事についても誰もやりたがらない汚い仕事をおしつけられ,他人の半分にも満たない安い給料に絶望して命を絶った仲間もいる.
患者会が多くなり,会そのものが大きくなってきた今,自殺する仲間が大変少なくなっている.SOSを発する相手がいること,仲間の中での自分の役割があるということ,そしてそれを正しく評価してくれる仲間の力が,生きる希望を持たせてくれているのだと思う.


重度頭部外傷後遺症の心理社会的障害

PSYCHOSOCIAL DISABILITY AFTER SEVERE BRAIN TRAUMA

E.B.Scherzer
Rehabilitation Center Vienna/Meidling Workers'Compensation Board,Austria


ウィーン(オーストリア)のMeidlingリハビリテーションセンターでの20年の経験を通して,重度頭部外傷後遺症の主要な問題は心理社会的障害であることがわかってきた.この障害は,コミュニケーションができない,家族や地域そして社会での受傷前の地位に戻れないといったことである.この原因はさまざまであり,精神ならびに身体の不全によるものである.これらの要因が相互にからみあって有害なものとなり,各要因の総計以上に悪く作用することがわかっている.多種の要因が頭部外傷患者に影響を与え,それらの要因が相互にからみ合うことによって最終的に心理社会的障害が決定する.

心理社会的障害の原因

頭部外傷患者をみる場合,器質性脳損傷後遺症としての基本的な外傷後要因,受傷前の個人要因,それに現実の環境要因とを区別したいと考える.さらに,患者とその周囲からの二次性の心理的反応も見過ごしてはならない.
器質性外傷要因のなかで,まず心理にかかわる器質性脳症状について述べなければならない.というのは,次にみられる症状によってその人の生活がひどくおかされるからである.その症状とは,すなわち,疲労感の亢進,注意障害,感覚運動的適応性の低下,反応時間遅延,集中力低下,注意範囲の狭少化,転導性,保続傾向,判断力低下,思考の緩慢化,抽象性減退,活力減退,言葉もれ,衝動行動,連合能力低下,被刺激性の亢進,感情異常などである.これらの心理的異常によって社会的接触は損なわれやすくなる.重症例では,失見当と作話が外傷後長期間にわたってみられ,患者とその家族に深刻な問題を数多く引き起こしている.
コミュニケーション障害も,また,人とのより親密な接触が困難になるので心理社会的障害を引き起こすことになる.言葉を話せない,他人の言葉を理解できないといった失語は決定的なものである.しかし,患者が理解してもらおうとすることに支障となる重度構音障害や失声症も同じような結果をもたらす.
これまでに述べた障害ほど程度は強くないにしても,それ以外の身体的機能障害も心理社会的障害を引き起こす.ここでは,重度運動障害についてだけ述べることにする.それらは進行性麻痺,脳性麻痺,痙性,強剛,失調,ジスキネジア,振戦であり,また,特に視覚障害や聴覚障害となる場合の頭蓋神経病変に起因する機能障害である.後に生ずるものとして,まれではあるが頭部外傷性てんかんが,特に大発作や精神運動型(側頭葉)の頻回の発作によって社会的困難を引き起こす.
これまでの器質性頭部外傷要因に加えて,患者のパーソナリティー特性と環境が決定する現実の生活場面が心理社会的障害の原因として重要な役割を担う.低い知能,神経症傾向,それに神経病質傾向のような受傷前からの個人的要因は社会性の困難度を増大させる.同じことが心理的葛藤場面がある場合にもいえる.そういった場面ではすでに多大のエネルギーが消費されてしまうので,外傷性後遺症の社会的不利といった重荷から身動きができなくなるのである.その他に,患者がいや応なしに置かれている状況についても考えなければならない.たとえば社会が障害者を受け入れないとか,高い失業率,それに地方の村で生活しているとか,外国人としてその国に滞在している場合などでは地理的ならびに人種的な障壁といったような現実の環境要因が有害なものになることもある.

二次的心理反応

患者の二次的心理反応は否定的なものが多く,社会からの隔離や隠遁となる.患者が孤独であると感じたり,夫婦,セックス,教育あるいは職業上の問題にぶつかったときにはウツ状態に陥りやすい.そのような場面では,アルコールや薬物を乱用することもある.隔離され,その上に他のものに依存することは苦痛きわまりないとは障害者がよくいう言葉である.
周囲の二次的心理反応は,家族,友人,隣人,そして同僚の間に見い出される.マイナスの要因としては悲しみと抑欝,無関心とフラストレーションが見られる.患者に過度な要求をしたり,その反対にまったく要求しなかったりして,患者の能力が過大評価されるか過少評価される.障害者の親戚が過保護になることはよくあることである.こうした家族の適切でない反応が,夫婦の背信,離婚,あるいは保護監督の役割の制限といったことを招くこともある.単純作業ならできる患者にとっての失業はもっとも有害な環境であることもわかっている.

心理社会的リハビリテーション対策

これまで述べてきたことから,患者と家族に多大の影響を与える心理社会的能力障害を克服するための努力は広範囲に,持続して行われなければならない.こうしたことはすでに病院で始められ,いくつかのリハビリテーションセンターで強力に押しすすめられているが,患者が退所した後にも必ず続けられるべきである.心理学的リハビリテーションは患者が家庭に帰ってからが重要なポイントになる.家庭復帰後に再統合化と再社会化における努力がなされるべきである.脳損傷後の障害者のケアは,医学的治療,各種訓練プログラム,指導,カウンセリング,仕事やワークショップの活動,自助グループと家族,余暇活動の組み立て等である.リハビリテーションを広い意味でとらえると,患者中心の特定の訓練プログラムにとどまらず,家族や地域に根ざした再社会化の方策をも含む.
患者中心のリハビリテーションは,いうまでもなく,個々の障害者のニーズにこたえるべきものでなくてはならない.薬物は患者を刺激するか,鎮静するかのいずれかである.てんかん発作が起きた場合には抗ケイレン剤を用いることになる.患者を社会環境のなかで再統合するためには,現実に則したオリエンテーションと行動変容が是非とも必要である.反応の仕方の訓練,記憶訓練,それに注意訓練等を含んだ神経心理学的処置は,こうしたケースに必ず伴う外傷後遺の器質性脳徴候を軽減させるために行われる.問題解決のための個別心理療法は特定の場面で用いられる.J.H. Shultzの自律訓練法,Jacobsonの漸進的弛緩療法は,過緊張で神経質な人には効果があることがわかっており,またバイオフィードバック法も同様で,そうした人に良好な結果をもたらす.各種理学療法,それにスポーツ活動は身体ばかりでなく,その人の士気にも良好な効果がある.移動範囲を拡げることは,戸外活動には必須なことである.車いす生活者は車いすの操作を熟知し,多少の障壁を克服することを学習しなければならない.またクラッチ歩行者はこうした補装具の使用に習熟しなければならない.言語療法はコミュニケーション障害をもつ患者にとって,大変重要なことである.言語療法には特別なパーソナルコンピュータとタイプライターが手助けとなる.視覚障害と聴覚障害にはオリエンテーションやコミュニケーションを改善するための特殊なプログラムが用意されている.同じように,ADLが自立していない障害者には,食事,着脱,それに衛生上の技術を教える必要がある.そのあとでさらに家庭や戸外でのもう少し進んだ生活技術が教えられる.そして最後に,ガイダンスやカウンセリングによって,一日の時間管理,支払い,貯蓄,それに家計といったこみいった判断が要る生 活技術への手助けが与えられる.作業療法,また主に音楽,スケッチ,絵画を通して行う芸術療法は,教育や職業訓練プログラムと同じくらい再統合化には有効である.特に重要なのは,たとえば,患者同志,家族あるいは自助グループが会合するといったように,障害者の親密なコミュニケーションをはかることである.こうした経験によって,共通の問題が話し合われて適切な方策が展開してゆくことになるし,孤立感に打ち勝つことができ,友情がかたく結ばれることになる.
家族に基づいたリハビリテーション(ファミリー・ベースド・リハビリテーション)は,友人,隣人,それに同僚を含んだものでなければならない.これらの人々には,各種療法を行った結果や患者の状態の予後ばかりでなく,機能障害,能力障害,それに社会的不利がそれぞれどのタイプであるかなどについて,できるだけ多くの情報が必要である.カウンセリングは医学分野に限定されてはならず,教育や職業訓練にわたったものでなければならない.障害者の環境全体の中で最適な状況をつくり,自分が尊敬され,愛され,他の人々と同じであると感じられるようにすることが目的でなくてはならない.障害者に課すべき要求はその人の能力に応じたものであることに注意する必要がある.障害者が劣等感を感じている場合,いち早くそれを発見し,適切な方法で解消させるべきである.周囲の雰囲気も良く,障害者の置かれた状況をもっと良くする刺激のあるものでなくてはならない.家族のことはリハビリテーション分野で訓練を受けたソーシャルワーカーと一緒に考えるべきである.家族がそうした状況に対処できないことがあれば,ケースの担当者なり介護士がかわってやるべきである .ガイダンスやカウンセリング以外にも実際的な援助をいろいろ提供することができる.
地域に基づいたリハビリテーション(コミュニティ・ベースド・リハビリテーション)は,昼間のクリニックを開き,各種の外来の訓練プログラム,心理,ガイダンスおよびカウンセリングの施設,作業療法ユニット,保護作業所,自活グループや家族の集まり,自由時間の過し方,合同ミーティング,夕食,遠足やコンサート,映画鑑賞,観劇などの各種の催しを提供するとよい.余暇とレクリエーション技能はいっそう生産的な活動への敷石となるし,また職業復帰や学校への復帰に役立つであろう.多くの国ではこうした施設がまだ不足しているし,まったくない国さえあるのは遺憾なことである.心理社会的リハビリテーションが確立するまでにはまだ長い道のりが必要であるように思われる.障害者のこの心理社会的能力障害を改善するためには,施設の増設や地域や政府に訴えてゆくことが必要であろう.さらに言えば,障害者のいわば運命を変えるためには私立の福祉施設を設立してゆく必要がある.多くの国の世論は必ずしも障害者の味方であるとは限らないということを忘れてはならないという現実があるからである.社会が障害者を受け入れないということが少なくない.社会は ただ障害年金を支払えばよいといったものではない.経済的援助といえども社会の是認と愛情に裏打ちされたものでなければならない.そうでなければ障害者は地域での自分の立場を見失ってしまうからである.こうしたことがすべて共同して行われることによってはじめて,頭部外傷患者は可能な限り最高の水準に到達し,彼らにとって最高の生活を送ることができるようになるのである.

結論

心理社会的能力障害をもった障害者の状況は,必ずしもすべてとはいわないが,多くの国では満足すべき状態では決してない.こうした悲惨といってもよい状況を変えることが必要である.というのは,近年医学は長足の進歩をとげ,脳挫傷の犠牲者を数多く救命できるようになり,そのため適切なアフターケアが必要となってきたからである.このことにもっと注意をはらわなければならない.我々の目的は障害者のためのより多くの援助を組織立てることであり,医療とその隣接スタッフ,社会と地域,それに官と民のスタッフの共同作業があってはじめてこの目的が達成される.
こうした理由から本論文の結論として,オーストリアおよび他の国における,頭部外傷後遺症(心理社会的能力障害の意味で障害者なのである)のリハビリテーションゴールとして次の2つを設定しておく.

(1) 施設と総合サービスの全国的組織を確立すること,そのことによって障害者の生活の質を得善することになる.および,
(2) マスメディアを通して障害者に対する現在の社会の態度を変えること,これはいまなお拒否と否認のもとになっている.


ファウンテンハウス

―リハビリテーションサービスのモデル―

FOUNTAIN HOUSE-A MODEL OF REHABILITATION SERVICES

Rudyard Propst
Director of Education,Fountain House,USA


ファウンテンハウスは40年間も続いている.重度で長期間持続する精神的な障害をもった男女のために独自のリハビリテーション方法を生み出してきた.
今日,ファウンテンハウスには約800人のメンバーが在籍しており,400人以上のメンバーが毎日クラブハウスに通っている.10年間に1,000人以上の人々が我々の訓練計画からそのモデルを学び,その結果,全米のみならず世界中に,ファウンテンハウスをモデルにしたクラブハウスが240以上もある.ファウンテンハウスは重度で慢性の精神障害の治療をするところではない.心理学や神経生理学や薬理学の研究において,我々はいまだゴールに到達していない.我々が提供しているのは,こうした障害を被っている男女が地域社会に復帰し,努力と威厳のある人生を取り戻すような方法である.

クラブハウスは精神障害に苦しむ人々を地域社会から遠ざけるというよりも,むしろ,そのような人々を地域社会に連れ戻す場所なのである.クラブハウスは離れた田舎にあるのでも社会から隔離された場所にあるのでもなく,地域社会の中にある.
クラブハウスは希望の場所である.そこでは,何が病的かということよりも,何が普通であるかということが重要だからである.病院や精神科医の診察室では,病気や症状やその病理が最も関心のあるところである.
しかしながら,すべての重度の精神障害をもつ人々は,どんなに障害の期間が長くとも,病院や医療の場では無視されるような多くの普通である行動を行っている.こうした人々は確かに,本を読んだり,計算をしたり,床をみがいたり,電話に応対したり,文書を書いたり,料理の手伝いをしたり,こぎれいに服をきたり,庭の手入れをしたり,歌を歌ったり,その他数えきれないくらい多くのことができる.こうした普通の活動は病院では,ほとんど小さなこととしてすまされているが,クラブハウスではこれらのことが中心とされている.
クラブハウスでは薬もださなければ,個人的な治療も集団的な治療も行っていない.ファウンテンハウスの方法は,こうしたことに対立しているのではない.我々は適当な医師や病院をみつけるための援助も行っている.しかしながら,こうした活動はクラブハウスの外部のことで,精神障害をわずらっていない人々の生活である.

障害を持った人々は患者としてではなくメンバーとしてクラブハウスにやって来る.彼らは自分の症状を表現するためにやって来るのではない.彼らは職員やメンバーのサークルに入りクラブハウスの一員となる.メンバーとなるのはあくまでも自発的なもので,強制されたり指図されたりするものではない.期待され,必要とされ,評価を受ける場所として,クラブハウスが基本的な人間のニーズを満足させてくれるから,やって来るのである.

クラブハウスの一日は仕事の日課が組まれている.職員とメンバーはともに,さまざまな側面でクラブハウスの運営に責任を持たされる.電話を受けたり,訪問者を迎えたり,手紙を書いたり,献立を立てたり,コンピュータのプログラミングをしたり,データ処理やその記録をしたり,家の掃除をすることは,クラブハウスのメンバーや職員の仕事で,こうした仕事の多くはクラブハウスの発展のために,毎日行われている.
クラブハウスでの仕事はメンバーとなることと同様に,自発的なものである.メンバーは指図や強制により仕事を強いられない.ファウンテンハウスでは,メンバーが初めて訪れたとき,ただそこに座っていて何もしなくてもよいということがある.
彼らがメンバーや職員に歓迎されるのは,まさにクラブハウスに来たこと自体が一つの偉大な勇気で,それはファウンテンハウスは過去に長い間どこへも行かず,何もしなかった人のために存在するものだからである.彼らは参加することを勧められるが,参加はメンバーとしての必須条件ではない.

ここではどういうことが起こっているかということについてお話しよう.新しいメンバーは,他のメンバーの仕事ぶりや,メンバー同志がどう評価しあっているかを見る.その雰囲気は生き生きとしており,力強く,安心感があり,かつ魅力的でさえある.新しいメンバーはここに慣れて,この雰囲気に興味を持ちはじめ,参加し始める.このプロセスは長いことも短いこともある.しかし,いったんクラブハウスの生活に参加しはじめると,地域社会に貢献する有意義な仕事に対する貴重な人間としての権利が自己のなかに蘇りはじめる.
我々がファウンテンハウスで,リハビリテーションにとって極めて本質的と信じている,こうした有意義な仕事のプロセスにおいて,別のことがメンバーに起こってくる.根気が出てくるとともに,エネルギー水準があがってくる.最初にただ半日だけ来ていたメンバーは,終日参加するようになる.一週間に2回参加していたメンバーも毎日来てプログラムに参加することになる.
これは,彼らが,何か意味あることをすることに興味をもち,従事しているからである.病院やその他の治療環境では,人々は,自分の症状を表現すること以外ほとんど何もすることがない.残りの時間は「作業療法,日常生活技能訓練」や個人にはほとんど意味のない,全体の利益には何も役に立たない他の暇つぶし的な活動に費やされている.クラブハウスでは症状は全く重要なものではない.地域社会での生活に参加する才能と活力が祝福されるのである.祝福される才能と活力がそこにある.

必要とされ歓迎される場所で,有意義な仕事をすることを通して,物を所有するという意識や,集団への所属感が生じてくる.この所有あるいは所属感が,自分に対する自信や価値を造りあげるのに役立つ.この2つは,精神障害者から失われた,いわゆる正常な世界である.これらは彼らの潜在している能力とか才能ではなく,彼らの示している症状や病気異常性といったもののみで彼らを判断する過程で,彼らの本質的な人間性を否定することにより失われたものである.

クラブハウスの職員は,ソーシャルワークや他の精神衛生の訓練を受けているが,彼らは治療者や看護婦や監督者としているのではなく,メンバーと並んで働く人間としている.クラブハウスの職員にとって理想的な立場とは次のようなものである.職員はクラブハウスを円滑に運営していくためにしなければならない仕事の最終的な責任は自分たちにあると感じている.しかし,仕事が多すぎて自分たちだけで仕事をすることはできない.この理由でのみ職員はメンバーにクラブハウスの仕事をさせることができる.彼らは必要であるから仕事をするのであって,治療的な意図や,善意や,他のあいまいな動機によるのではない.2人の人間だけでは,100人分の昼食の支度をすることは不可能だが,20人ならできる.そこで2人の職員は,全員の食事の準備を手助けしてくれる18人のメンバーを見つけなくてはならない.これが,クラブハウスの仕事の中心となる職員とメンバーとの間の本当の関係を発展させるためにとるべき姿勢である.
クラブハウスの必要な仕事を一緒にすることにより,職員とメンバーの外面に何かがもたらされる.2人の人間の間よりもむしろ仕事の中に緊張することが含まれている.彼らは,その仕事をするために一緒に働かなければならない.この参加し成し遂げることを通して,彼らはお互いを立派だと思うようになる.この共有するということは,人為的なものでなく,共通の経験に基づいている.
互いを尊重するという関係や,互いに頼り合うことの中から,メンバーと職員や他のメンバーとの間に友情が生まれる.メンバーとの関係を発展させるために,職員はすべての人間を雇うということが大変大事である.患者から遠く離れて,非人間的で,感情を表さず,治療者について患者は何も知らないという,臨床場面での治療者の典型的な姿は必要とされない.それは近づきやすくて,人間性を表面に出し,自然に反応するという立場からは,正反対のものである.クラブハウスの仕事を一緒にすることを通して,メンバーは職員が超人的な存在ではなくて人間であり,要求したり,悲しんだり,不満を持ったりし,与えられた仕事に失敗したりすることを実感する.患者にとって職員が全能にみえるような入院を何年もした後では,これは驚くべき正常への変化である.

クラブハウスの職員はまた,診断したり,患者を取り扱うために,単に症状を集めるだけという他の立場で見ていたメンバーに対して,自分の態度が大きく変わっていくことを経験する.彼らが,それまで距離をおいてみていた患者の立場に立つことにより,彼らはすべての人間が共通の人間性を共有していることを知る.

他の人々と意味ある関係を持ちたいという人間的な要求や権利は,クラブハウス共同体へのメンバー自身の貢献によって回復させられる.メンバーたちは,子供の頃あるいは遠い過去にそうであったように,周りの人にとって大切で意味ある存在として受け入れられている.このような関係は彼らに授けられたものでも,与えられたものでもなく,彼ら自身の努力によって得たものである.

クラブハウスのメンバーたちは,信頼を得,自尊心と他の人々への敬意の念を増加させるにつれて,新たに経験した技術や能力を試すために,より大きな世界を欲しはじめる.クラブハウスは安らぎと安全と敬意を提供するが,それだけでは十分ではない.我々のメンバーたちはクラブハウスの文化の一部であるだけでなく,彼らが生活しているもっと広い社会の部分で存在することを望んでいる.
より大きな地域社会での機会がなければ,たとえどう始まるにしても,クラブハウスは他の制度的なしくみと同様に重苦しく限定されたものになってしまうであろう.我々の創始的な指導者であるJohnBeardは,このことを認識し,過渡期的雇用という方法を考え出した.過渡期的雇用は,メンバーたちが,より大きな地域社会での仕事の世界に歩み入る一つの橋を提供した.それは実際の給料で実際の仕事の場で,実際の労働を行う機会である.それは慈善的な協定ではなく,メンバーは,正規の水準での生産性で働くことを期待される.また,雇用主はその仕事をしている他の人たちと同じ給料を支払う.給料は,クラブハウスではなく,メンバーに直接支払われる.その給料を稼いだのは,そのメンバー自身の努力によるものだからである.

クラブハウスのスタッフは,メンバーたちのために,地域社会にある適切な仕事を責任を持って探す.これはそれほど難しいことではない.というのは,スタッフはクラブハウスのメンバーたちの能力と才能を信じるようになったからである.もし誰かが病気になったり他のことで仕事に行けなくなっても,スタッフ自身が他のメンバーが代行することを約束することで,その仕事が遂行されることを保証できるからである.
仕事のための面接試験というものはない.メンバーは,職歴のないことや,病気のことについて説明する必要はない.まる一日の仕事は,通常2人のメンバーが分担し,それぞれが半日ずつ働く.これによって実社会に存在するストレスを和らげ,そして一日の残りの時間をクラブハウスの日常の運営にさくことができる.仕事からクラブハウスに帰ったメンバーたちは,そこで仲間と自慢話をしたり,相談を持ちかけたりできる.仕事にでかけたメンバーは,クラブハウス全員の希望と期待を担っているのである.

メンバーが,時々過渡期的雇用において,力尽きるであろうことは予期される.そのような失敗は,その人を荒廃させたり恥ずべきものであるととらえられることはなく,むしろ,そのメンバーの試みはほめたたえられ,くり返しある職務をやり遂げることを勇気づけられる.我々ファウンテンハウスのメンバーの多くは,雇用の前にいくつかの過渡期的雇用を試みる.
雇用者はこのようなことがあり得ることに気づいているが,それを補うことが約束されているので感情を害することはない.
現在,ファウンテンハウスでは,147人の男女が,毎日41の作業所に仕事に行き,一年に50万ドル以上の収入を得ている.

ここで過渡期的雇用と保護工場の比較をしてみたいと思う.保護工場は,アメリカ合衆国や,他の国において長年月かかって確立され,一般化されて来た.そこでは,能力的に劣った人々に,個人に強いストレスがかかってきたり,高度な実績を要求したりすることのない,保護的で快適なレベルの仕事を用意してくれる.彼らは,雇用者からほとんど期待されることなく,意識的に挑戦するということを避け,先導してもらうことを必要とする.このような状況は,精神薄弱者の要求には適しているかもしれないが,ファウンテンハウスが助けようと努力している人々,つまり重度のまた,永久的な精神障害を持った人々には,それらのことが有害であると信じている.
保護工場は,その性質上,実際の仕事の世界の外にあるので彼らには有害である.我々が,クラブハウスで実際的な仕事を用意するのと同じように,過渡期的雇用には,競争のもとに行われる地域社会での実際的な仕事がある.クラブハウスは,メンバーに地域社会の実際の生活を再び確立させるために存在し,決してそこから擁護される天国へと彼らを追いやることはない.
メンバーが戻りたいと切望しているのは,地域社会の本当の生活である.
保護工場よりも,過渡期的雇用の方が優れているもう一つの点は,メンバーがフルタイムで仕事したいと思った時に,すでに彼らは実際の会社で,実際の職場において働くことで,自立した仕事を経験してきたということである.臨時のパートタイムの雇用からフルタイムの仕事に変わることは,保護作業所から,現実の労働形態にはいってくるより滑らかで,容易である.

メンバーのすべてではないが,多くのものは,フルタイムの仕事を得るという野心と希望をもっている. Independent Enployment Programを通してメンバーのために仕事を見つけるのを助ける.つまりレジメを用意したり,インタビューの技術を高め,さまざまな政府の市民サービスの仕事のテストの準備をする.さらに,夕方や週末のクラブハウスでは仲間の励ましも受けられる.

ここでファウンテンハウスの運営の最も重要な点についてお話する.ご存知のように,これらの人々が抱えている疾病は元来周期的なものである.患者達は,長期間の安定期の後に再び活動性の高い病的な状態に陥ることがある.彼らは再び看護を必要とするようになり,仕事を失い,精神障害に加えて他の身体疾患にも苦しまねばならないことがある.また,その一方,よい方向への変化があり,喜びに満ちあふれ祝福されるような期間もある.どのような状況にもクラブハウスはメンバーのために,常に存在している.クラブハウスとメンバーの関係に終わりはなく,メンバーに対するクラブハウスからの関わりにも終わりはない.人は家族の一員であることを決してやめるわけにはいかないように,メンバーはその貴重な一員としてクラブハウスのファミリーに戻ってくることができる.家族がそうであるようにファウンテンハウスは決して門を閉ざすことはない.

ファウンテンハウスの500人以上のメンバーについての3年間の研究の結果,以下のようなことが分かった.すべてのメンバーについて,一日の時間の80%がクラブハウスの日課や(一時的で孤立的であるにせよ) 何らかの仕事,あるいは訓練以上の質の高い授業をうけるために費やされている.そして一日の時間のわずか3%だけが精神科的治療に費やされていたにすぎず,また入院の70%は30日かそれ以下の短い期間である.ファウンテンハウスからの連絡以外全くリハビリテーション外のことに費やされている時間は10%以下である.就業時間はこのグループとしては多い.メンバー全体の時間の30%近くが過渡的雇用に,15%がフルタイムの雇用に使われている.メンバーの時間の実質44.3 %が何らかの形の雇用に向けられている.ファウンテンハウスのメンバーである期間が長い人程フルタイムの雇用についている傾向がある.5年以上メンバーになっている人の約66%がフルタイムの雇用を得ている.
他のクラブハウスの研究によると,再入院が必要なメンバーは,50~60%まで減少しており,入院期間も以前の75%まで減少しているとのことである.これらの結果は都会の施設同様,郊外の施設においても見られる.このことから重い精神障害を持つ人々も地域社会のある場所では,より長い時間,より正常にその地域で人生を送ることができるのである.

私は,ここしばらくの間にアメリカで始まり,また同時に日本でも高まりつつある家族会活動の発展に,期待したい.私が精神衛生の道を歩み始めた頃は,家庭こそ重い精神障害が最も問題となる場所であった.最愛の兄や妹,親や子の病気という悲劇に加えて,家族は精神病という業や汚名を背負わねばならなかった.後の研究が,それらを根も葉もないことだと示してくれた.重い精神病の原因は,家族にあるのではなく,身体の状態にあるのである.
The National Alliance for the Mentally IIIは,日本における全国精神障害者家族連合会と同様の機関である.これは家族のよりよい生活手段を備えたり,精神病の原因究明のための基金を増やすように,家族が連帯して政府や精神衛生の専門家にはたらきかける機関である.アメリカでは,この団体はファウンテンハウスの強力な味方となっている.いくつかのケースでは,州や地域でクラブハウス設立のためのリーダーとなっている.

家族の方々からうける偉大な励ましが,私達を動かすのである.勇気を持って身近にある病の苦しみに立ち向かう人こそが,我々の施設にとって最も雄弁な弁護人である.


農業療法

―慢性精神分裂病患者のリハビリテーションのための新しい考え方―

AGRO-THERAPY:A NEW CONCEPT FOR THE REHABILITATION OF CHRONIC SCHIZOPHRENICS

Mohammad Rashid Chaudhry
Fountain House,Lahore and Mental and Drug Abuse Control Programme of Pakistan,the Government of the Punjab


パキスタンは農業国であるといってよい.人口の70 %近くが農村に住んでおり,生計は農業とその関連の活動によっている.それゆえに50%が農村にいる精神障害者のリハビリテーションは特別なプログラムを組み入れたものであることが必須である.
過去15年間にわたるファウンテンハウス(Lahore) の経験は,このプログラムとそれに基づいた活動は都市の知識人の多くをひきつけるものであることを示している.定期的に行ったいくつかの追跡研究により,こうしたグループにはファウンテンハウス・サービスが有効であることが明らかになった.しかし農村出身者に対してこのようなプログラムが有効かどうかについては比較すべきデータがない.
この問題に対しては,農村出身者,農業に関心のある都市出身者のニーズにこたえるように,農村に特別なプログラムを設定しなければならない.ファウンテンハウス(Lahore)の経験では,都市にこのプログラムを設定することも,また活動そのものも,教育も不十分で素朴な農村出身者にとって特別な関心を引くものではなかった.それゆえ,農業に従事しうる農村出身の精神病患者のニーズにこたえるためには農村に設定するプログラムを開発することが望ましい.このプロジェクトはまた,農業に関心をもつ都市の慢性精神分裂病患者のためにも用いられる.

土地の獲得

農業療法を行う目的のために,農村の小域をファウンテンハウスに割りあてるようPanjab政府に求めた.長期間にわたる交渉と努力の末,1982年に政府はSheikhupura近くの25エーカーの土地を与えることに同意した.その後プロジェクトの委員長の要求に応じて, Panjab政府は別の15エーカーの土地を好意的に貸すことになった.プロジェクトが継続し,将来プログラムが拡張されてもそのニーズにこたえられるように,合計40エーカーの土地が99年間の長期貸与となった.公式文書の完了した後,割りあてられた土地を手に入れるまでにしばらく時間がかかった.

施設と活動

1983年に居室,客室,台所等の建設が開始され,約 10人がファウンテンハウス(Lahore)からその土地で仕事をするように移された.オレンジ,レモン等,多数の果樹が植樹され,特別な区域が野菜畑に割り当てられた.他の収穫は小麦,サトウキビ,トウモロコシ,米等であった.打込井戸が1984年に建設され,最近また別の井戸が畑の潅漑用の増水と養魚場のために設置された.
Panjab政府は,土地のほかにトラクターを提供した.地方議会Sheikhupuraは道路建設を援助し,農業と幹線道路を結びつけた.農業,林業,漁業,野生生物ならびに家畜の各局はプロジェクトの進展のためにファウンテンハウスを援助した.Faisalabad農業大学ならびにIslamabadの農業研究機関は,その農場で,キノコ,養蜂,それにいくつかの果物と野菜栽培のような別なプロジェクトを展開するように提案した.
このプロジェクトは当初から,農産業に関連した多様な活動を伴う多目的プロジェクトとして認められた.大規模な養殖池の建設は1985年に完了した.1500羽の鶏を飼う養鶏農園,100頭のヤギを飼育するTeddy農園はパキスタン大統領が訪問する前の1986年4月に完成した.最近クジャク,シカ,アヒルのいる小動物園が農場に付設された.こうした活動すべての所定業務は最低でも25人を従事させることができる.穀物と野菜の栽培にはもっと多くの人を従事させることができる.総数で50人を見込んでいる.しかし最大数は農場での収容力次第である.現在の収容力は20人程度である.ファウンテンハウス(Lahore)の入所者には農園への訪問プログラムが整えられていて,この人手は季節的活動のために活用される.

入所者の諸活動への参加

農業療法プロジェクトのメンバーは農場での各種作業に従事して,慎重に評価され,各人の関心によって養魚場,養鶏場,ヤギ飼育場,小動物園,園芸,それに穀物や野菜の栽培といった作業ユニットに割り当てられる.こうした活動によって満足や歓びをうることができ,それはまたかれらの精神衛生や幸福になくてはならないものである.

研究の目的

農業療法は精神病患者のリハビリテーションの全く新しい概念である.我々は慢性分裂病のリハビリテーションにおけるこの療法の有効性や効率性を検証するために,研究プロジェクトを企画し,1987年2月に開始した.研究目的は以下のとおりである.

  1. 都市ならびに農村の慢性精神分裂病患者の関心を引き出しうる農業とその関連活動に基づいたリハビリテーションプログラムを開発すること.
  2. 農業療法リハビリテーションプログラムによって慢性分裂病患者の行動や精神状態の意味ある変化を記録するための道具や技法を開発すること.
  3. 農業療法リハビリテーションプログラムの効率性を評価するために適した技法と手続きを発展させること.
  4. 農村と都市の慢性精神分裂病患者のリハビリテーションにおける農業療法プロジェクトの諸活動の価値を評価すること.

選定基準

選定基準は以下のパラメータからなる.

  1. 年齢―20歳から50歳
  2. 性別―男性
  3. 診断―慢性精神分裂病
  4. 発症期間―5年から10年
  5. 簡単な指示に従うことができる
  6. 農村出身者か農業に関心があること

方法論

1 選定の手続き
ファウンテンハウスに居住する患者は全員,農業療法プロジェクトの基準に基づいてさまざまな側面から審査を受ける.農村出身者か,農業に関心があって農場によろこんで行ける患者がリストにのる.農業療法プロジェクトへの選定はこのリストからランダムになされ,適所に配置される.2年後本研究の被験者総数は50人になる予定である.
農場へ行く人の選定は次のような構成の選定委員によってなされる.

  1. プロジェクト委員長
  2. 研究コンサルタント
  3. 精神科医
  4. 心理士
  5. 副委員長(リハビリテーション)
  6. ファウンテンハウス農場のプロジェクトの責任者

委員会は次の3つの書式からなる資料に基づいて決定する.

  1. 患者の生体データ
  2. 指導者と心理士の社会的評価報告
  3. 精神科医の医学的評価報告

上記の3つの書式がまとめられ,その後の評定と比較するための基礎データとなる.
主要な基準はメンバーが農業活動に関心があるかどうかであり,農村か都市いずれかの出身者であるかは問わない.農業療法プロジェクトに関心がある人はまずファウンテンハウスに送られる.農場内を案内され,諸活動の見学,職員の紹介,オリエンテーション,励ましなど,彼らの関心を高める動機づけになるような働きかけがなされる.
委員会は関連情報を考慮してから,その人が農業療法研究プロジェクトに適するかどうかを決定する.メンバーと家族の承諾書を得てから,農場へ配置される.仕事を積極的にこなし,満足のいくものとするように,メンバーが希望する作業を選ぶ.
農業療法プロジェクトに選ばれたメンバーは3ヵ月は見習い期間で,その間に農業への関心を育て,研究プロジェクトを続けるかどうかがたしかめられる.見習い期間を合格すれば,農業療法プロジェクトで仕事を続けられるが,見習期間を満足がいかないままに終ったり,なんら肯定的な徴候を示さなければ研究には不適格としてファウンテンハウスに戻される.

2 研究対象
農業療法プロジェクトの対象はファウンテンハウスであり,そこから既述した選定基準と手続きにしたがって研究プロジェクトに参加するメンバーが集められる.

3 研究範囲
農業療法プロジェクトの研究は次の側面に限定している.

  1. 農業やそれに基づく諸活動の成績
  2. 社会的活動の成績
  3. 宗教的活動の成績
  4. スポーツとレクリエーションの成績
  5. 日常生活の成績
  6. 文学クラスの成績
  7. 日常生活能力

4 サンプリングユニット
農業療法プロジェクトに参加を希望するメンバーはサンプリングユニットとなり,そこから前述した選定が行われる.

5 データソース
データは個人別ファイルから得られる.それはスーパーバイザーや研究スタッフの評価報告書であり,精神医学的ないしは医学的報告書を含むものである.

6 評価
すでに示した正式記録がモニター期間保存される.各人にはこれとは別のファイルが作られ,それにはスーパーバイザーが諸活動の成績を記載し,それを研究スタッフが副次的にチェックしたものである.各活動の成績の良し悪しは農業療法の効果測定に役立つ.

  1. 活動日誌がユニットの責任者によってつけられる.
  2. 1週間の摘要がプロジェクトの責任者によって記載される.
  3. プロジェクトの責任者はまた社会的相互作用の評価を週ごとに行う.
  4. 医師による1週間ごとの報告書
  5. 日常生活に関する指導者の報告書

統制群を用いるのは難しいので,農業療法がもっとも効果的であるもの,効果がないかそれほどの改善が見込まれないものを区別する予測子が用いられた.生活の質が改善されることを特に重要視する.
ユニットの作業は,その目的のために開発した評定尺度に基づいて定期的に評価される.評価はそれぞれの農業活動に必要な習熟度に基づいている.
それぞれの活動には作業予定表が準備されていて,作業成績のレベルがわかるようになっている.これらの書式はすでに検証されていて,適合するものであることが確認されている.定期的な精神医学的評価等の得られたデータは分析されることになっている.当初このプロジェクトは2年計画であった.農業プロジェクトの有効性は最終年度に評価されることになる.また得られた結果については報告書を公刊する予定であり,このようなリハビリテーションプログラムに関心のある方々に役に立てば幸いである.


危機管理:1900年から1988年にわたる500の伝記についての研究

―精神医学領域における障害者および非障害者の学習過程としての危機対処―

CRISIS MANAGEMENT:A STUDY OF 500 BIOGRAPHIES 1900-1988
COPING WITH CRISIS AS A PROCESS OF LEARNING FOR DISABLED AND NON‐DISABLED ALSO IN THE FIELD OF PSYCHIATRY

Erika Schuchardt
University of Hanover,Department of Educational Disciplines,FRG


この度の東京会議の「総合リハビリテーションをめざして」というテーマは私にとって一つの希望である.というのは,このテーマは,その医学的・教育的・職業的な面に沿いながら,社会的な統合とリハビリテーションに向かって,はっきりとした方向性を示しているからである.
私が,日本と東京が身近に感じられるようになったのは,日本の偉大な作家である大江健三郎氏の有名な自叙伝による.その中で彼は,障害を持った息子との生活を語っており,この本はドイツ語に翻訳されていたため,私が研究資料として使用することのできた唯一の日本の本であった.
その中で,大江氏は彼自身(父であるBird)と友達との対話を描いている.友達が尋ねる.
「手術して赤ちゃんの生命を救ったにしても,それがなにになるの? 鳥.かれは植物的な存在でしかないといったでしょう? あなたは自分自身を不幸にするばかりか,この世界にとってまったく無意味な存在をひとつ生きのびさせることになるだけよ.それが,赤ちゃんのためだとでも考えるの? 鳥」
「それはぼく自身のためだ.ぼくが逃げまわりつづける男であることを止めるためだ」と鳥はいった.
(大江健三郎「個人的体験」)

これは私の疑問でもある.私たちはこの力量のなさにどのように対応すればいいのだろうか? 私が社会的リハビリテーションは一方通行,つまり袋小路ではないかと問うた理由はここにある.社会的リハビリテーションを相互学習課程にすることが可能であるかどうか? 相互学習課程とは,ただ単に障害者が何かを教えられるということだけではなく,同様に,またそれ以上に,非障害者が学ばねばならないという意味なのである.
どのような道が社会的統合へと導き,どのような道が妨げとなり,疎外という結果になるのであろうか?いかに死すべきかを学ぶことについては,例えばE. Kubler‐Rossをはじめ,今や多くの研究が発表されている.しかし,私は次のような問題に答えたい.関係者全員が絶望的と思い,ただ単に生きている状態しか期待できないような状況に直面した時,どのようにして「生きること」を学ぶことができるのか?
それゆえ,私はこの疑問を取り扱っているあらゆる種類の物語・伝記・自叙伝・小説を捜して分析した.そして最終的には1900~1988年の間に書かれた524の出版物を参照した(図1参照).

図1 出版された年と伝記の数(自叙伝を含む一本人が常に両親と/または配偶者と同時に書いているため)

出版された年と伝記の数

表1 書かれた伝記の社会のタイプと教育制度

ヨーロッパ諸国 ヨーロッパ以外
西























































ドイツ語 281 26 8 9 324
ドイツ語訳 1 39 45 2 4 4 4 1 2 1 1 1 6 89 200
524


表2 伝記作者と障害状況

障害の種類 慢性疾患














































本人 - 60 - 38 39 7 43 7 50 38 282
両親 35 7 - 12 3 1 10 - 4 10 82
配偶者 - - - 5 1 - 12 - 1 8 27
専門家 11 11 1 38 16 3 12 2 5 34 133
46 78 1 93 59 11 76 9 59 90 524

*障害の種類はドイツ教育協議会の分類(Bonn,1973)による

これらはヨーロッパ人やその他の大陸の人々によって書かれたもので(表1参照),そのうち約100はヨーロッパ以外の人々によって書かれたものであった.私は慢性疾患または難病に苦しんでいる人々の生きざまと同様に,いわゆる古典的なハンディキャップを持つ人々の生きざまについても検討した.そしてもちろん,本人が書いたものか,障害を持つ家族・友人・クライアントと一緒に住んでいる人が書いたものかによってそのもとになる素材は異なっていた(表2参照).また,これらのものの著書については,特徴的な進展があった.1970年までは,女性の著作が3分の2を占めていたが,1975年には,男性と女性がおよそ半数ずつとなり,その後1988年までには,男女が協力して書いた伝記が次第に増加してきた.
私の研究の結果,教育分野で学習課程とよんでいるものに完全に一致するある典型的なパターンが存在することが明らかになった.これらを3段階に分けて説明したい.

  1. 相互に影響し合う能力の欠如
  2. 学習過程としての危機対処
  3. Pearl S.Buck Beloved Suffering Child
    ―危機管理におけるケーススタディ
    (中国で生活したアメリカ人の自叙伝)

時間が限られているため,上記の第2の点についてのみ部分的に触れることにする.

2.学習過程としての危機対処

表3 伝記作者の状況

本人 女性 男性 両方
154 123 5 282
両親 母親 父親 両方
54 21 7 82
配偶者 両方
12 7 8 27
専門家 女性 男性 両方
46 62 9 117
本人と専門家 女性 男性 両方
6 4 6 16
272 217 35 524

「危機管理の学習過程のらせん状の8段階」と名付けられた図(図2,1979年に初版)には,2つの主要な点が示されている.
私達が危機対処方法を学習する過程と同様に,らせん階段は無限に続くものである.それゆえ,この類似点に注目した.学習過程は一生を通じて継続する,というのは実際の経験は常に私達の一生を通じての学ぶ姿勢に依存しているからである.
第2にらせんの渦は,平行にきちんと並ぶこともあれば,柔軟にその間隔をバラバラにすることもでき,危機対応を学ぶ過程において,個々のらせん状の状態が一致したり,追従しあったり,他方に依存したりさえ可能な状態に類似しているのである.

図2 学習過程としての危機対処

学習課程としての危機対処

危機対応の方法を理解するためには,例えば医者に あなたは癌である.あなたは,この事故の結果おそらく対麻痺になる.あなたの子供は身体的には健常であるが,知能障害を持っている.と宣告された時の障害者・患者の状況をちょっと想像すればよい.
そのような宣告を受けると,あたかも雷に打たれたように脱力感をおぼえるものである.そして思わずある疑問が口をついて出てくる.「いったい何が起こったのだろう?」その時私達は「不確実性」というらせんの第1期にいるのである.
しかしいくつもの身体的な徴候が重なってくるにつれて,社会からの明らかな反応を受けるようになる.医学的診断の数は増加する.らせんの第2期,つまり「確認」の局面へ突入することは避けられないのである.この局面になると(ありふれたことなのだが)「わかった,しかしまだ本当とは思えない」といった言葉で自分を納得させようとする.「わかった,しかし」という言い方は「そうではない」という言い方に等しいということは,誰もがわかっていることである.しかしこのことは,最初の段階の最後の状態をよく描写している,すなわち,理性や頭の中では,「これは本当である」と言い聞かせているが,感情的には「こんなことが本当であるわけがない,なぜならこんなことはあるべきことではないから」と思っているのである.
この問題についての伝記は,多くの場合その学習過程がどんなふうにしてこの時点で突然終わるのかをありありと描写している.このような事態に陥っている人々は,非常に恐れている真実を全身全霊をこめて回避し,否認することを真に必要としていた.多くの場合,こうしたことは,ただ単に彼らがまったく自分だけだと感じていたり,危機対処の方法を学習する努力をする中で,自分自身だけに頼ろうとするようになったために起こった.彼らには,この中間段階を共に歩む人もいなければ,励まし助ける人もいなかったのである.
中間段階では,頭の中で理性的に理解された宣告が徐々に心の中の感情の領域に染み込んでいくのである.その結果,危険な限界点まで達した感情がしばしば爆発して,ほとんど制御することができない状態であらゆる方面に流れ出す.一部の危機に陥った人々がこの時点で制御することのできない感情の爆発を恐れて,解決できない個人の問題に対して防衛的な壁を築き,危機管理の衝撃的過程においてじっと立ちすくみ,何もしないでいるということは容易に理解できるところである.彼らには「多くの人々の中で,なぜ私が?」という痛切な叫びを抑えることはできないことがわかっているのである.
攻撃性」というらせんの第3期において,危機に陥っている人々は何にでも当り散らすようになる.標的は家族・友人・仲間・社会など何でもいい.なぜなら実際彼らの攻撃の真の標的は自分の障害であり,つまりこれが危機である,そしてこれには無論勝てないのである.500以上の伝記の分析により,私は9つのタイプの攻撃性を発見した.ここではそのうちの1つだけについて述べるが,これは分析した伝記の3分の2に描写されていたものであった.その攻撃は自分の子供や自分が死んだらいいという願望の形をとるのである.らせんの第3期の悲劇的な面は,逃れることができないような攻撃の悪循環である.危機に陥っている人々は,「なぜ,私が?」と不満を言い,攻撃的になる.身近にいる人々は「なぜ,私達にそんなに当り散らすのか,私達のせいではないではないか」と言い返し,攻撃性に対し攻撃で対応する.このことがかえって危機に陥っている人々に「あらゆるもの,あらゆる人が私に敵対している」という自己充足的な感情を確信させるにいたり,再度悪循環をもたらす.互いの害された感情が,実際の状況の誤った捉え方から生じるということを理解した時に のみ,この悪循環を断ち切ることが可能になる.
この段階と平行して,またはこの段階を基礎にして「交渉」というらせんの第4期がやってくる.その交渉の相手は,医者・運命・神・そして社会である.この段階は,「もしそうであったら,どうなるであろう」という疑問の線上にあるのかもしれない.こうして「医者めぐり」が始まる(伝記作家によると平均して23回の相談をうけている!).あるいは,「奇跡的な治療」を求めようとする(この奇跡を求めての行脚は3分の2の伝記作家によって描かれている).この経済的・精神的大騒ぎの果てに,すべての人々が必然的に物質的・精神的破産状態に陥ることになる.そこで,「何のためにこのようなことをしているのだろう.すべて的はずれだったではないか.」というような「抑圧・沈滞」というらせんの第5期にいはいる.ここで再び500以上の手記は2つの明確で典型的な説明のパターンを示している.一方では永遠になくなってしまったもの,(健康・障害のない子供の誕生)について深く悲しむという状態:「回顧しての悲しみ」,また一方ではこれから将来別れを告げなければならないもの(友人・同僚・自分の地位)について深く悲しむという状態: 「予期しての悲しみ」がある.ここではごく簡単にしか触れることはできないが,伝記の分析によって明らかになったことは,危機に陥っている人々の3分の2がこの時点で学習過程を中止し,残りの人生は攻撃,交渉,あるいは抑圧・沈滞といった社会的隔離状態に近い状態を続けている.
らせんの到達段階は,簡単に述べるにとどめる.「ああ,わかりかけてきた,私にはできるんだ」という「受容」と呼ばれるこの第6期に到達するのは,伝記作家の3分の1だけである.もはや永久に失われたものが何かということは問題ではない.逆に残っているものを使って,何ができるかを知ることが問題となる.と言うのは,自分が持っているものよりも,まだ持っているものを生かすことの方が,重要であるからである.「活動」という第7期は第6期からの自然な帰着点である.それは今や「それと取り組んでいこう」ということなのである.この局面は,すべての自助および先駆的なグループ,また引き続いて形成されるかもしれない組織の根本となる,というのは,これは,「共に取り組んでいこう」という「連帯」というらせんの第8期に完結するからである.私は私自身から目を反らし始め,社会的かつ集合体である「私達」の一部としての責任を担うようなる.
結論として,もう一度らせんのピラミッド的性質について触れると,それは最初の段階に大多数がいて,到達段階に少数になるといった性質を持っている.これは危機に陥った大半の人々は自分自身に頼るしかなく,誰からの援助もなしに出発し,危機管理の衝撃的過程に耐えなければならなかったためである.
伝記に描かれていた他のタイプの障害における学習過程やそれに影響を与えている諸要因,とりわけ再度攻撃によって演じられる主要な役割をここで扱うことはできない(参考文献参照).
時間がないのでPearl S.Buckの自叙伝「Beloved Suffering Childによる危機管理におけるケーススタディについては触れることができない.吉川英治の有名な小説「武蔵」の中の一節を引用することでこの講演を終わりにしたい.
「波に身を任せて,雑魚は踊り戯れるが,100フィートの深海の魂を知ることができようか? 誰がその深さを知ろうか?」
(吉川英治「武蔵」)

〔参考文献〕

  1. Schuchardt,Erika: Biographische Erfahrung und Wissenschaftliche Theorie
    Biographical Experience And Scientific Theory The Social Integration of the Disabled,VOL.1 Bad Heilbrunn 1st edition 1979,3rd printing 1987
  2. Schchardt,Erika:Weiterbildung als Krisenverarbeitung
    Further Education As Crisis Management The Social Integration Of The Disabled,Vol2 Bad Heilbrunn 1st edition 1979,3rd printing 1987
  3. Schuchardt,Erika: Why is this Happening to Me……?
    Guidance And Hope For Those Who Suffer. Augsburger Publishing House, Minneapolis 1988.
    Translated in several languages.
    1st German Edition 1981,4th edition 1988.
    Was awarded the German Literature Price 1984

精神障害リハビリテーションの国際的発展

INTERNATIONAL DEVELOPMENTS IN PSYCHIATRIC REHABILITATION

Kurt‐Alphons Jochheim
German Society for Rehabilitation of the Disabled,FRG


産業革命と都市化によって,多くの国々では,特に精神障害や情動障害に関連した分野での管理について難しい問題に直面することになった.社会対個人といった耐えがたい対立を避けるために,法秩序を遵守しようとする州政府の責任と障害者の利益擁護のための慈善とをたくみに結びつけて,大規模施設が広く利用されてきた.こうした目的の精神病施設は大都市から離れた農村に建設され,数千人もの患者を収容し,治療活動をほとんど行わずに,1年ないし数年にわたる長期の処置や看護が行われてきた.こうした施設は1960 年頃まで増加しつづけた.
精神薬理学が開発した薬物に支えられて,慢性精神病と難治性の機能障害を根絶できることを期待して,治療とリハビリテーションの革命が世界中で始まった.もっとも急進的であったのはイタリアであった.多くの精神病施設を閉鎖し,患者を一般病院に移したり,地域へと解放したのである.
急性ならびに慢性の精神病を分析することは,とりもなおさずいっそう正確な診断学的分類に着手することにほかならず,そのため精神薄弱者,薬物中毒者,急性精神病患者,それに老年精神病患者にはそれぞれ別な治療とケアが必要であるという共通理解が得られるようになった.
今から60年以上も前の1920年代にはすでに,作業療法が保護タイプの精神病施設に導入され,大きな成功を収めた.作業療法,すなわち農園芸技能,工芸技能,また他の職業的活動を身につけることで,一般の社会生活への再統合がたやすく促進されうるからである.
ファウンテンハウス運動はまさにそういったさまざまな活動を利用したもので,ニューヨーク市が最初で,やがてパキスタンとスウェーデンの近郊の地で行われるようになった.
第2の重要なステップはコミュニティ・ベースド・リハビリテーションがさまざまな形態をとって発展してきたことである.それは前述の患者を正常な社会関係に再適応させるため生活条件を整えることである.一般労働市場がきわめて限られていることを考えると,雇用に備えて日常生活の組み立てを行えるようなデイホスピタルが発展してきたことや保護雇用とそれに準ずる雇用が可能になってきたことは重要なステップなのである.というのは失業が長びけば長びくほど長期間にわたった治療が実を結ばなくなるからである.
精神分裂病患者についての長期にわたる多くの研究から次のことが明らかになった.グループや家族との社会関係,満足のいく有給常勤職など,また必要とあればきちんとした薬物療法を受けた上で社会生活をノーマライゼーションすることによって,慢性精神病患者が安定し,社会生活での主要な機能を再び獲得し,再措置の回数が激減する.
精神薄弱児・者のリハビリテーションにおいて,到達目標を下げること,日程にゆとりをもたせるなど多少変更した学習過程が必要である.そのことによって,たとえほとんどの人が保護条件下であるにせよ,労働力への長期的再統合へといたることも可能になる.
アルコールならびに薬物乱用後のリハビリテーションには,これらのものへの依存なしに生活への動機を再び獲得させるために一定期間の厳しいルールが必要となることが多い.以前の常用者と自活グループはその後の長期にわたる社会統合で重要な役割を果す.
老年精神医学のリハビリテーションは,障害者その人だけにとどまらず,障害者の身近な環境をも扱う.家庭や適当な養護施設での生活支援訓練プログラムは,できるかぎり自己決定を保障するので,少なくとも一定期間の解決にはなるかも知れない.
国際的精神障害リハビリテーションは工業化のすすんだ国の間で共通の発展をみせている.大規模精神病施設は規模を縮少して,小地域の施設に分離し,地域内ですみやかな対応ができ,また人間味ある接触ができるようになった.必要な場合緊急保護ができ,また速やかに地域に戻すことができるように,各地域のそれぞれのユニットの適正リハビリテーションプログラムを運用することが現在の傾向である.生活支援,緊急時の介入サービス,デイホスピタル,ナイトホスピタル,それに保護作業場といったサービスは,健康,社会,雇用とそれぞれが交差するため,資金繰りには絶えず交渉に明け暮れることが多いのであるが,多かれ少なかれ組織化が完了したところもあれば,完了に向かっているところもある.しかしながら実験的には十分すぎるほど検討されてきた.機能モデルはすでに公表され,多くの国々の地域のニーズに応えるものとなっているであろう.

〔参考文献〕

  1. Bocker,F.,and W.Weig.Aktuelle Kerfragen in der Psychiatrie.Springer Verlag,1988.
  2. Annual Review of Rehabilitation,Vol.4.Springer Publishing Company,1985.
  3. Abstracts‐IV International Congress on Rehabilitation in Psychiatry.Orebro,Sweden,1988.

分科会SE-3 9月8日(木)14:00~15:30

態度の変容―性と障害者

座長 Dr.Emmanuel Chigier Israel Rehabilitation Society[Israel]
副座長 大川 嗣雄 横浜市立大学医学部病院リハビリテーション科科長


イスラエルにおける障害者のためのセックス・カウンセリング

PROVISION OF SEXUAL COUNSELLING FOR DISABLED PERSONS IN ISRAEL

Emmanuel Chigier
Israel Tehabilitation Society,Israel


セクシュアリティーと障害を扱う場合には,我々は二重にセンシティビティー(sensitivity)を持たなくてはならない.ほとんどのコミュニティにおいて非障害者は,障害者がそばにいるだけで醜いとか不快とか感じ,しばしば拒否をしてしまうことが多くの場面でいろいろと書かれている.障害者はこのネガティブな反応を感じとり,こんどは障害者の側に傷つき易さ,低い自己イメージができ,社会的な接触を図り状況に対応するのをたじろがせたり,また最初から尻込みさせてしまうといったことを起こす.
性とセクシュアリティーについてのセンシティビティーは(障害に対するセンシティビティーと同様に),我々の体と心に染み渡っている.そしてこれは子供の頃からずっと受け続ける,性とセクシュアリティーは特殊な領域で,非常に問題で,そして困難に満ちているとするメッセージから生ずる.理屈に合わないように思えるが,近年のマスメディアにおけるヌードと性行動についての解放性は,若者の完全で美しい肉体を讃えることで,しばしばセクシュアリティーと障害についての二重のセンシティビティーをかえって強くすることとなる(Chigier,1972).
セクシュアリティーと障害に対する否定的な社会の態度は,しばしば障害者と性的な関係を持つことには「精神病理的な」理由が在るとまで考えられている障害者の性のパートナーや配偶者にまで及んでいる.
障害がありながら,自らの性の意識を高め,性をエンジョイしようとする女性に関しては,第三のセンシティビティーが考えられよう.多くのコミュニティや社会というものが,意識的,無意識的に女性を劣った存在で,性の権利を含めて男と同じ権利は持たないものと決めつけている.
セクシュアリティーと障害に関してイスラエルで広まったアプローチにおいて,第一段階は啓蒙であった.すなわちここに問題があり,その問題解決を行なう必要があることを専門家や公衆に知らせることであった.
この広報活動による啓蒙は,さまざまな会合,新聞,ラジオでのインタビュー,そして専門家のためのセミナーを通じて行なわれた.
第二段階は,アドボカシー(advocacy)である.障害者の性の権利のために誰が声を上げようとするのか,カウンセリング・サービスを誰が推し進めようとするのか,セックス・カウンセリングやセラピーがリハビリテーションにおける不可欠な部分であることを政策策定者に誰が勧めようとするのか,誰が障害のある青少年のために性教育プログラムの開発をし,誰が彼らの親たちにカウンセリングを行ない予防手段を講じようとするのか.これは,翻って啓蒙活動の増加をもたらし,より多くのリハビリテーション・サービスや機関の関与を増加させた.そして試行プロジェクトに手を着けることになる.公衆の論議を引き寄せることのできないプログラムやリハビリテーションの部分とはみなされていないプログラムに資金が投ぜられることは無いから,私は自らテルアビブ近くのTel Hashomer にあるSheba医療センターにあるリハビリテーション・センターにボランティアによるカウンセリング・プログラムを作り,既に4年間運営してきた.次第にこのようなサービスに対する社会の理解が進んできて,サービスの有用性が認められ,しかも1週間に2回のボランティアによるプログラムではとても需要に追いつけないことが明らかになった.そのために次の第三段階へと進行した.
第三段階は,特定目的のサービスを創設することであった.1978年以来,5人の職員による障害者のためのセックス・カウンセリング・サービスがSheba医療センターにあるリハビリテーション・センターにおいて運営されている.この2年ほどは,非常勤職員による同様のサービスがテルアビブの北にあるLoewenstein リハビリテーション病院(病床数300)でも運営されている.
Haifaにある一般病院のセックス・クリニックが,障害者のためにセックス・カウンセリングの専門指導を始めるのを期待している.障害のある青少年のための性教育が,過去10年ほどHaifaの学校で実践されている.昨年は,精神薄弱青年のための性教育が,労働福祉省の精神薄弱の援助と指導の下に精神薄弱者とその両親のための一連の講座として展開されている.我々は現在実施されているプログラムの拡張と強化がこれからの5年で行なわれるだろうと期待している.
我々は障害者のための第一次的なセックス・カウンセリング中の第四段階を開始しようとしている.イスラエルにはほんの一握りの専門家しかいないし,僅かな数のセンターしかない.それでいて待機者リストは溜め息がでるほど長くなるし,専門家の助言はやっと始まったばかりである.
大勢の人々のために適切な助言を与える効果的なシステムを構築していくには,医療を第一次的,二次的,そして三次的というように分割する必要が確認されている.障害者のための治療とカウンセリングの大部分は,すでにリハビリテーション領域で仕事をしている人ならば地域担当ケース・ワーカー,サイコロジスト,看護婦,理学療法士,作業療法士,やソーシャル・ワーカーでも十分扱いうる性質のもので,また訓練を受ければ十分間に合う.第一次レベルの担当者が扱うには難しすぎる問題は,前述の病院の診療科で仕事をしている専門家に照会される.それからさらに泌尿器科,家族計画科,婦人科,精神科,その他の領域の専門家のサービスが必要とされることもある.このようにして,さらに多くの障害者にサービスが提供されるとともに,専門家はより「やっかいな」問題に取り組み成功をおさめつつ,なおかつ臨床研究の機会を持つために時間とエネルギーを省くことができることとなる.
最近,我々はイスラエル全国の病院の腫瘍部門で働く看護婦と臨床ソーシャル・ワーカーのために癌患者とその配偶者に実施するセックス・カウンセリングについての30時間の講座を初めて開設した.これは,イスラエル・リハビリテーション協会と資金を拠出したイスラエル癌協会との共同事業であった.講座は成功裏に終わり,講座の講師陣による検討委員会の開催と第二回の講座が検討されている.
本年10月には,キブツ・リハビリテーション・センターとの共同で,キブツに配置されているリハビリテーション職員に対して障害者のセックス・カウンセリングを指導する60時間の訓練コースが実施されようとしている.これは初期カウンセリングが行えるように訓練し,高い専門性が必要とされないかなり簡単な問題に対処するもので,より難しい問題については専門機関の手に委ねようとするものである.
過去2年間においてテルアビブ大学は,サイコセラピストのための卒後教育の一貫として,障害者のためのセックス・カウンセリングの講座を設けている.ここ数年のうちに障害者のための初期カウンセリングを教える講座が次々とできてゆくことを望む.現在までのところ一般診療医,リハビリテーション医,そしてさまざまな医学の専門領域で働く医師たちのために彼らが医学治療の一部として障害者や慢性疾患患者に初期セックス・カウンセリングを取り入れることができるようにするためにも同様の講座を設けることができないでいるのは残念である.
現在まだ計画段階であるが,二つのかなり革新的なプログラム開発について若干の報告をしてこの発表を終わりたい.

  1.  セックス・セラピストの指導の下で働き,障害者に性の訓練を施す米国におけるサロゲイト(surrogates)の業務の成功に倣い,サロゲイト(男女とも)を訓練する講座がイスラエルにおいても近い将来実現する見通しである.極めて慎重に指導された条件の下で働くサロゲイトの助けでセックス・セラピーを行なうことは,注意深く選ばれた障害者や慢性疾患患者の性のリハビリテーションにとって極めて重要である.
  2.  1990年11月に,イスラエル・リハビリテーション協会は,RIその他内外の機関の協力を得て,セクシュアリティーと障害についての国際シンポジウムを開催すべく準備を進めている.本会議,分科会,グループ討議,視聴覚セッション,そして書籍展示からなるシンポジウムでは,さまざまな障害を持つ人々のための性の問題,障害を持つ青少年と彼らの親のための性教育とセックス・カウンセリング,セックス・カウンセラーの訓練,セックス補助具の利用,器質性インポテンツのための外科治療等の多くの実用的課題が取り扱われる予定である.

要約すると,我々のイスラエルにおける経験は,地域にしろ国レベルにしろ,障害者のためのセックス・カウンセリングの開発は長期にわたる多相的なプログラムを設置することが必要であることを示唆している.
最も重要と考えられる段階は,啓蒙,アドボカシー,専門サービスの提供,そして初期セックス・カウンセリングのための訓練である.
我々リハビリテーションに携わる職員は,その職場がどこであれ,医学的,心理的,職業的そして社会的リハビリテーションと同じレベルで性のリハビリテーションもプログラムの一部として行なえるよう努力すべきであると考える.もしリハビリテーションが単に命を永らえるだけでなく障害者の生活の質に関与することを望むならば,セックス・カウンセリングとリハビリテーションは不可欠である.

〔参考文献〕

  1. Chigier E.(1972)Sexual adjustment of the handicapped.Proceedings Twelfth World Congress of Rehabilitation International,Sydney, Australia 1.224-227.
  2. Chigier E.(1973)Editor.Sex and the Disabled Special Issue Israel Rehabilitation Annual14., 89-91.
  3. Chigier E.(1980)Sexuality of Physically Disabled People.Clinics in Obst.and Gynaecology. 7.325-343.

セクシュアル・ヘルス・ケア

―基準の必要性―

SEXUAL HEALTH CARE:THE NEED FOR STANDARDS

Benita and Orville Fifield
Department of Occupational Therapy,University of Alberta and Fifield Consultants,Canada


過去20年間,すべての専門領域の医療専門家に対するセクシュアル・ヘルス(sexual health)指導のためのカリキュラムにかなりの改善がみられ,クライアントのためのより効果的なセクシュアル・リハビリテーション・サービスがもたらされるようになった(Conine, 1984;Daniels,1981,Hogan,1985).これらの改善にもかかわらず,調査はほとんどの医療専門家が自分にはセックス・リハビリテーションを行なうだけの能力があるとは考えていないし,多くはこのようなサービスにおいて果たす役割に自信を持っていないことを示している(Conine,1984;Chigier,1981).クライアントは,受けたセクシュアル・ヘルスサービスの満足の程度についてはさまざまに報告している.多くの者が,リハビリテーション訓練に性の悩みについて聞かれたことがなかったと述べている(Brashear,1978;Mims & Swenson,1980;Rodocker & Bullard,1981).
専門的な性教育やセクシュアル・ヘルス・ケア・サービスについてのもっと明解な基準が開発され,すべてのレベルにおいて実施されるならば,サービスの量と質は向上するであろう.本論の目的は,学際的なチーム・アプローチを用いてこのような基準を作成するためのモデルを提示することである.基準が満たされているかを決定する手段として,さらに我々は品質保障のメカニズムの利用について論述する.基準を示すためには,まずセクシュアル・ヘルス・ケアが意味するのは何かを定義し,このようなケアを行なう学際的チームに参加するメンバーをはっきりさせる必要がある.
WHO(1975)は,セクシュアル・ヘルスを「性的存在を豊かにするとともにパーソナリティー,コミュニケーション,そして愛をより良く満たすように性的存在を身体的,情緒的,知的,そして社会的観点により統合すること」(P.6)と定義した.セクシュアルヘルスに総合的な視点を与えてくれるこの定義は,この基準についての討議の基幹として用いられるであろう.セクシュアル・ヘルス・ケアに関わる学際的なチームには,看護婦,理学・作業療法士,医師,ソーシャル・ワーカー,サイコロジスト,その他の従来からある学問からの参加が考えられる.病院その他の医療機関が,セックス・セラピストやカウンセラーといったセクシュアリティーに直接関わることを役割とするスタッフを抱えていることはほとんど無い.そこでこの発表にはこのような専門家は含まれていない.我々が論議する基準は,さまざまな医療専門領域の中の従来から認められている役割を枠外に出してしまうことではなく,補完しかつ拡張することを目指している.我々の目標は,これらの専門家が彼らの通常の職務の中にセクシュアル・ヘルス的な観点を織り込むことができるように知識,技能,そして態度を教える ことにある.もしもクライアントのニーズがこの水準を超えることがある場合は,通常は病院外のセックス・セラピストやカウンセラーへと照会するのがよい.我々の経験によると,リハビリテーションの患者のうちのほんの少数がこの専門化した高度な介入を必要としている.
前述した医療専門家のためのセクシュアリティーに係わるカリキュラムの強化のほとんどが卒後ないし大学院教育という場面を通じて行われている.この種の教育は,臨床家が彼らの知識や技能を時代遅れにならないようにするためには不可欠である.しかし専門家の役割や技能領域の重大な変更や向上には,必修の専門基礎教育プログラムにこれらの変化を織り込んで初めて対応できると信じている.そのためにもこの議論の焦点を,必修専門カリキュラムに当てたい.
普通は専門家団体や資格認定機関の基準に合致した専門教育プログラムを履修して,始めて専門家というものは特定の役割を果たせるようになる.必要とされる情報を学び,必要な技能を身につけることに加えて,学生は自ら選んだ学問に内包される価値や態度を受け入れる.彼らはその専門家集団の一員となり,果たすべき役割を果たす気持ちになる.基礎科目である理論科目や実験科目に加えて,ほとんどの医療専門家の教育においては,学生がその特定の専門領域の臨床家の指導のもとでその専門能力を鍛える一定時間の臨床実習が含まれている.学科担当教官と臨床実習指導教官は,情報の単なる配布者以上のものである.彼らは,自ら選んだ専門家としての役割へと学生を導いて行く過程における教導者である.この過程は,セクシュアル・ヘルスについての基準を考えるとき重要である.セクシュアル・ヘルス・ケアの実践家からよく聞く指摘の一つが,「それは私の仕事かどうか分からない」である.換言すれば,彼らはセクシュアル・ヘルスに関わるべき専門家として価値観を確立していない.すべての医療関連科学には基本的セクシュアル・ヘルス・ケアについて果たすべき役割があり,そ の専門教育と人格教育(socialization)には,その専門家がこのようなサービスにおける役割に関して積極的に発言ができるように適切な情報,技能,態度,そして価値を含めるべきである.
セクシュアル・ヘルスに関わるチーム・メンバーの役割は三つのレベル,すなわち性に対する肯定的な態度を示すアドボカシー(advocacy),クライアントと仲間(peer)のために正確な性についての情報を提供する教育者,そして受傷や疾病が原因で変化した性に関わるライフ・スタイルについて,自由なやり取りを行なってアドバイスするカウンセラーとしての役割に分けられるであろう.どの医療専門家もここに概説される基本的なセクシュアリティーについてカリキュラム・モジュールに示されるような適切な教育を受けることを前提として,最初の二つのレベルのサービスを提供できるようにするべきである.第三のレベルは,効果的なサービスをしようとすれば少なくともセクシュアリティーについての講座を完全に履修することが求められる,専門家によってはその必修科目の履修に加えてセクシュアリティーの講座を選択して追加履修することもある.
講座に用いられる教材は,幾つかの形で分類される.基準策定という目的からは,基本(essential),選択 (preferred),および推奨(recommended),また学科内容の説明からは,必修ないし選択,さらに資格のレベルからは短大同等水準(diploma),大学学部水準,そして大学院水準といったように分類される.以下のアウトラインは,基本的な専門資格取得プログラムにおける基本的,必修科目について解説する.プログラムの水準は,専門領域や国によって異なっていよう.
以下に講義,小集団討議,臨床に即したロールプレイの組み合わせによって指導する12から15時間の基本的な導入モジュールを示す.すべてでは無いにしろ多くの課題は,今までにあるいろいろな講座に適宜的に追加すれば済むか,すでに教えられていることがわかる.しかしながら,いずれかのレベルでこれらの課題をすべてカバーする統合的モジュールが良いと考えられる.別々のモジュールでも継続性があるならば,知識をよりうまく統合するための時間が保障され,適切な態度が養われ,そして価値の明確化による快適水準の向上が図られる.課題は,勧告した順序でこなされる,しかしそれらは必ずしも同一の価値があるとかスケジュールで同一の時間が割り当てられるというわけではない.これは学生の専門的背景とか以前の経験によって変わるものであろう.

医療専門家のための基本的なセクシュアリティーについてのカリキュラム案

  1. 過去および現在における性的な価値その他教会,国,および文化の影響個人的体験および専門家/クライアント関係についての考え方の影響
  2. セクシュアリティーと言葉意味論と用語個人的および専門的な性についてのコミュニケーション
  3. 男および女の生殖の解剖と生理性的反応の生理学一般的な性的機能障害
  4. ライフ・サイクルを通じての性心理学的ニーズと発達男と女の役割性的虐待
  5. 我々の社会に見られる性のライフ・スタイルと行動様式人間関係と家族におけるセックスの役割
  6. セクシュアリティーにおける疾病と感染の結果性病性についての前歴
  7. 性のアドボケイト,教育者,そしてカウンセラーとしての医療専門家(特定の専門領域を限って)の役割

このアウトラインは,1986年にセクシュアル・ヘルスについての会議を開催した時,小規模なパイロット・スタディの参加者が述べたいくつかの危倶を含んでいる.そこでは学際的グループの84.6%が彼らの受けた専門教育の性に関する部分は不適当だと考えたということが明らかになった.88.4%が,セクシュアル・ヘルス教育は選択ではなく,彼らの専門教育プログラムの必修とすべきであると確信していた.そして96%が必修であれ選択であれカリキュラムには,教訓的な情報と同様に価値と態度の明確化を図ることを含めるべきであることを指摘した.
我々は,実施すべき教育の最低基準について検討をすましたからには,サービスが確かに提供されるように臨床的実践の基準をはっきりと述べる必要がある.質の確保は,サービス基準が作られ,結果の評価基準が明らかにされ,そして欠陥を修正する機構が造られるという三つの段階を経る.それゆえセクシュアル・ヘルス・ケアに関して,我々は理学療法士あるいは看護婦の職務分掌規定などにその職務の一部として患者のセクシュアル・アドボカシーや教育を含めることを求める.結果の評価の一例として患者のカルテを無作為に検査するとか,治療統計によって調べるとかが考えられる.もしもセクシュアル・ヘルス介入(sexual health intervention)を行なうことで患者の適切な改善が見られないならば,スタッフ会議,他のスタッフとの合議,あるいは指導監督職員による指導などの措置が取られるべきである.
これは議論としては少々雑然としているが,あなたがたの臨床ないし教育施設や,専門基準の認定機関においてセクシュアル・ヘルスの基準を設定させようと挑戦してみる勇気を与えたのではないかと思う.我々はセクシュアル・ヘルスの意義を理解してもらえたと信じる,またこの意義に向かって行動を起こしてくれることを期待する.

〔参考文献〕

  1. Conine,T.A.,Sexual Rehabilitation:the roles of allied health professionals,in Rehabilitation Psychology:a comprehensive textbook,Kreuger, D.W.,Aspen Systems Corp.,Rockville Maryland.1984
  2. Daniels,S.M.,Critical issues in Sexuality and Disability,in Sexuality and Physical Disability, Bullard & Knight(Eds),C.V.Mosby Co.Toronto,1981 3.
  3. Hogan,R.Human Sexuality: a nursing Perspective,Appelton-Century-Crofts,Conn.1985
  4. Chigier,E.,Sexuality and Disability:the international perspective,in Sexuality and Physical Disability, Bullard and Knight (Eds),C.V. Mosby Co.Toronto.1981
  5. Brashear,D.Integrating Human Sexuality into rehabilitation practice.Sexuality and Disability, 1978,1,190-199
  6. Mims,F.H.& Swenson,M.Sexuality: a nursing perspective.McGraw Hill,New York.1980
  7. Rodocker,M.& Bullard,D.,Basic issues in sexual counseling of persons with physical disabilities,in Sexuality and Physical Disability. Bullard and Knight(Eds),C.V.Mosby Co. Toronto.1981
  8. World Health Organization,Education and treatment in human sexuality: the training of health professionals.1975,WHO Tech.Report Series no.527,5-33
  9. Fifield,B.Sex Education for Health Professionals,unpublished thesis,1981
  10. Breuss,C.& Greenberg,J.,Sex Education: theory and practice.Wadsworth,Cal.1981

男子脊髄損傷者の性機能に対する医学的援助

MEDICAL AIDS FOR SEXUAL MAL-FUNCTIONING OF MALES WITH SPINAL CORD INJURY

宮崎 一興
神奈川リハビリテーション病院長


男子の性機能は本質的に女子のそれとは異なる部分があり,ホルモン依存性よりも神経依存性が強いため,脊髄および末梢神経のどこかに障害が残ると,性機能はさまざまな障害を残す.
現実に男子脊損者では病状が安定して社会復帰が可能となった時期においても,勃起能力にさまざまな程度の障害を有する者が全体の30~40%もあるし,射精能力障害はさらに高率で約90%にも達する.そのため,男子脊損者は社会復帰後の結婚生活の中で,「自分は果たして性生活は可能であろうか?」「健康な女性と結婚しても,自分には実子が得られるであろうか?」といった不安と悩みを持つ者が多い.
このような男子脊損者の性の悩みに対して,周囲の者は正しい理解と励ましと支援の心を持たねばならない.「脊損者は即,性的不能者である」といった浅薄な概念は近年急速に是正されつつある.

1 勃起不全に対する指導と医学的支援
男子脊損者の脊髄麻痺には多くのレベルと程度の差があり,一般に,1 上位損傷者(中部胸髄以上の麻痺者)では精神的興奮(リビドー)による勃起は起こりにくく,反面,性器への直接刺激が反射性勃起を誘発し易い.2 下位損傷者(中部胸髄以下の麻痺者)ではリビドーによる勃起可能者が多く,性器への直接刺激は勃起誘発に対して余り効果的でない,という傾向が見られる.従って症例ごとに勃起誘発の条件を探って,残された機能をうまく性生活の中で活用していくように指導することが必要である.
このような指導と本人の努力が無効な勃起障害については,次のような対策がある.

  1. 薬物(塩酸パパベリン,プロスタグランディンE1など)を陰茎海綿体内に局注することによる人工的勃起(chemical prosthesis).本法は本人自ら注射を行って,性生活に活用することが出来る.
  2. 外部から装着する陰茎支持の自助具(external prosthesis).
  3. 内部埋め込み型の陰茎支持装具(internal penile prosthesis). これらの方法は失われた性機能のすべてを代償するわけではないが,男子脊損者の不完全な性機能を部分的に補うものである.

2 射精不全に対する医学的対策
脊損男子の約90%の者には,自然の射精に障害があり,無処置では実子を得ることは期待できない.そこで以下に述べるような人工的射精を試み,精液が得られたなら精液と精子が授精能力を持っているか否かを精査する.授精可能な精液の条件の下限は,精子数2000 万/ml,精子運動率50%,精子奇形率20%とされている.

  1. 電気刺激(経直腸的骨盤神経刺激,経皮的陰茎振動刺激など)による人工的射精. 外国ではこれらの電気刺激の成功例が報告されているが,我が国では未だ一般的でなく今後の研究課題である.
  2. 薬物(prositigmineなど)の脊髄クモ膜下注入による人工的射精.患者を横臥位にし,第4~5容椎間で腰椎穿刺を行い,脊髄液の交通性,体格などを考慮し,prostig‐ mine0.3~1.0mgをクモ膜下に注入する.通常1時間から数時間後に勃起と共に射精が無意識に起こる.間隔をおいて2回以上射精することもある.副作用として一過性高血圧,頭痛,嘔気,嘔吐,腹鳴などを伴うことがあるから,速やかに点滴,副交感神経遮断薬,降圧剤などを用いて対応しなければならない.
    この方法を用いると上位損傷者(胸髄および頚髄麻痺者)の約70%,下位損傷者(腰髄および仙髄麻痺者)の約40%に人工射精がみられた.得られた精液の条件が悪い者には,男性ホルモン,ビタミン類,組織代謝改善薬などを投与し精子,精液の改善を期待することも可能ではあるが,実際には効果は著しくない.

3 男子脊損者の夫婦に実子を得るための医学的対策
上に述べた人工的射精によって得られた精液が授精可能な条件の範囲内にあれば,妻の排卵日を精査(基礎体温測定,尿中L・H量測定など)する.妻の排卵日に合わせて夫の人工射精を行い,得られた精液を直ちに妻の子宮頚管内に注入する配偶者間人工授精(A. I.H)を行う.
このような方法で,実子を希望する男子脊損者の夫婦に人工射精による人工授精(A.I.H)を実施した結果1987年までに3組の夫婦に実子誕生を見た.1組の夫婦の妻は非障害者であるが,2組の夫婦の妻はどちらも障害者(1人は下位脊損者,1人は聴力障害者)である.
この方法によって障害者夫婦間の実子誕生に成功した報告は,外国でも数例,我が国では我々の症例を含めて約10例に達する.
男子脊損者の性機能障害に対する医学的援助は,今後の研究によってさらに進歩するものと期待される.


身体障害者であること

―セクシュアリティーの視点から,マレーシアでの経験―

BEING PHYSICALLY DISABLED-A FOCUS ON SEXUALITY:THE MALAYSIAN EXPERIENCE

Zaliha Omar,Low,W.Y.,Sebastian,S.,Khairuddin Yusof
Department of Orthopaedic Surgery,Faculty of Medicine,University of Malaya,Malaysia


ヒューマン・セクシュアリティー(human sexuality) は,健康と幸福という視点から捉えられなくてはならない健康における基本的ニーズである.それは,我々の存在自体の基本的かつ重要な部分であり,たまたま我々が持ち合わせたものといっただけのものではない.セクシュアリティーは我々の精神的および肉体的プロセスの機構の中に組み込まれており,我々はそれから逃れることができない.
障害者はしばしば非障害者と違った扱いを受けている.社会によっては,障害を持った人たちは性的なニーズとか欲求が全く無いといった神話を鵜のみにしたり,その逆に障害者は過剰なあるいは変態的な性的ニーズを持っていると思わせたりする.しかし,これは真実ではない.障害者が性的人間であることは他のすべての人間と変わらない.彼らは愛し,愛されるというニーズや欲求を持っており,その強さも非障害者と変わらない.非障害者と同じように,障害者は満足のいく性生活,胸をはって示せる自己のイメージ,情感的なまた性的な表現をするというニーズを持つ他の誰とも同じように扱われたいという期待を持つ資格が与えられてもいる.しかし,多くの医療従事者やそれ以外の社会の人々に広く信じられている根拠の無い作り話によって影響された生活スタイルの方向に意思に反して流されてゆき自ら鬱屈するようになる.
意識レベルでの障害を持つ人々のセクシュアリティーについては,全く知られていないといってもよい.障害を持つ人々の悩みに向けられる注意の多くは生殖についてであり,障害の様々なタイプについての情緒的ないし社会的意義については無視されているか申し訳程度に扱われているかである.この無関心は,セクシュアリティーを若さ,精力,そして肉体的魅力と同等であるとする文化的,社会的態度から来ているかもしれない.この分野においては研究の視点が狭く,かつあまりうまくいってないことが,医療・衛生関係者がかかわることが少ない原因ともなっている.医者が障害を持った患者と彼らの性についての悩みを話すために時間を割くことは少なく,おそらくは別の問題や不安を起させるのではという危倶の念からこのような話し合いを積極的に持とうとする医療チームのメンバーに対して時としてネガティブな態度をとることもある.障害のある患者にまつわる性的な問題を取り上げることを避けるということは,疑いもなくセクシュアリティーに関する専門教育の不足を反映している.このかなり典型的な経験は,障害者の価値と権利を低く見る態度をも反映している.またこの態度は ,患者を管理するのに都合のよいように勝手な優先順位を押しつけることを同時に要求するし,またその患者の生活にすらこの同じ優先順位を押しつける.これらの優先順位とは,日常的な機能活動における身体的自立や職業の確保などにおけるリハビリテーションに最大限の価値をおき,セクシュアリティーという課題を見過ごしてしまうか,申し訳程度に触れるという優先順位である.
今日の障害者は以前にも増して社会に参加してきている.性は地域生活において重要な部分であるし,それは障害者の生活においてもそうであろう.「性と障害」という課題についての議論の多くは,障害者のための施設において行なわれている.そこでは,障害者の多くがセクシュアリティーについての基本的知識すら欠いているから入所者に対して教育を行なう必要があるように思える.これはマレーシアの施設において言えることである.
最近では,医療専門家は性についての助言やカウンセリングをという求めに対応を迫られるようになってきている.彼らの社会的統合とリハビリテーションのプロセスを高める性に関わるカウンセリングと助言を求める障害者の緊急かつ重要なニーズに本気で取り組まねばならない.
この状況に直面して,医療専門家の教育にあたる者,臨床家,そして学生は人間のセクシュアリティー,特に例えば脊髄損傷,脳性麻痺,心臓病,糖尿病,ポリオ,精神薄弱,学習指導,行動障害,その他の障害といった身体的,精神的障害に関わったセクシュアリティーについてのより深い理解と知識・技能の必要性を認識している.病院やナーシング・ホームといった施設で働く者が,障害者の性的適応に一次的な影響力を持っている.
医療専門家は,この領域における正確で,最新かつ実践的な情報について知っており,また必要な機材を整えている必要がある.残念ながらこれがマレーシアではひどく不足している.身体障害者のための研究,すなわちセクシュアリティーに関わる知識,態度,および行動の理解についての研究が,医学生,看護婦,研修医,他の医師,コーメディカル専門職,その他の医療関連職種の訓練プログラムへと直接間接に組み入れられる情報をもたらしてくれる.かくてこの研究が著者らによって実施された.

1 研究の方針

  1. 身体障害者の性についての知識,態度,および行動についての情報を収集する.
  2. セクシュアリティーを表現するにあたって身体障害者はどのような問題を持つかを調査する.
  3. 身体障害者の性的行動について調査する.
  4. 障害者のセクシュアリティーに関わるサービスの必要性および悩みを調査する.

これらについての情報を集めることで,以下のような目的を達成しようと考える.

2 目的

  1. 身体障害者のセクシュアリティーについての神話や誤解を研究に基づく事実によって置き換える.
  2. 治療を改善し,障害者に全人的なリハビリテーションの向上を図るように特定の障害状況に関する性の問題の知識と理解を深める.
  3. 臨床実践に用いられまた取り入れられる実践的情報とガイドラインを医療関係者に提供する.
  4. 障害者のリハビリテーションおよび社会的統合の過程における一つの観点としての性的適応を考える.

3 方法
調査した障害者集団
1968年から調査が始まるまでの間のマラヤ大学医療センターに登録したポリオ後遺症の患者のリストを入手した.15歳以下の患者は除外され,標本数は150であった.資金上の制約から,クアラルンプール,ペタリンジャヤ,およびセランゴール居住者のみとした.
使用した質問票は自ら開発した.回答者の社会統計的背景,生殖,避妊,自慰,交友行動,婚前性交に対する態度,結婚と子供の数,性行動,性についての情報源,障害者のための性教育といった内容が含まれていた.質問の第一部では面接法を用いたが,第二部ではこの部分がプライベートな内容を含んでいたため,回答者が自分で記入するようにした.質問票の記入には約45分かかった.質問票の表現の明解さと適切さを検討するためまずパイロット研究が実施された.

4 結果と討論
回答者の社会統計的プロフィール

回答者総数 150人

年齢

  • 範囲 15歳から60歳
  • 最頻値 28歳から35歳

性別

  • 男 70%,女 30%

結婚歴

  • 独身 115, 既婚 34
教育水準 無就学 34 (22.67%)
小学校 58 (38.67%)
中学校 49 (32.67%)
修道教育 9 (6.00%)
職業 工員その他 53 (35.33%)
サービス業 21 (14.00%)
販売 11 (7.33%)
運営・管理 8 (5.33%)
専門的・技術的 14 (9.33%)
学生 36 (24.00%)
主婦 2 (1.33%)
無職 5 (3.33%)
人種 マレー人 64人 (42.67%)
中国人 57人 (38.00%)
インド人 27人 (18.00%)
その他 2人 (1.33%)
宗教 イスラム教 68人 (45.33%)
仏教 32人 (21.33%)
ヒンズー教 18人 (12.00%)
キリスト教 24人 (16.00%)
その他 8人 (5.33%)

ポリオ患者の数はわかっていないため,年齢および性による分布は国全体の状況を代表していないかもしれない.しかしながら,多民族国家としての人種および宗教の割合は全国値をかなり良く代表している.面接調査を受けた者たちの90%以上は,性的に活発な年齢層であり,76%は未婚であった.
面接を受けた標本集団のうち失業中だったのは5%にすぎなかった.過去20年程度にわたるマレーシアにおける職を求めての農村から都市への人工の流入がこの結果に影響を与えているかもしれない.
数字のうちで極めて問題なのは,就学していない者たちである.教育さえ受けていれば低い階層レベルにいることもない.

5 医学的観点
面接調査を受けた者たちのすべてが,ポリオ・ワクチンの投与を受けたかどうかわからない者たちであった.特に投与を受けたかどうかわからなかった者たちの場合,投与についての医療記録も見つからない.殆どの者(84%)が,5歳前にポリオに罹患していた.回答者のうち1名以外は,機能的日常生活動作において自立していた.

6 セクシュアリティーについての態度と意識
障害が身体的な自尊心にどんな影響をもたらしたかという質問について,回答者の48%が障害が彼らの魅力を損なったと感じていた.
146名(97.33%)が医療関係者からセクシュアリティーに関していかなる助言も受けなかったことが明らかとなった.そのうちたった4名(2.67%)が助言を受けていた.内訳は,医者2名,サイコロジスト1名,そして残り1名は看護婦であった.しかしながら,135 名(90%)の回答者が,医療関係者以外から情報を助言を受けていた.106名(78.52%)が書籍その他から情報を得ていたし,81名(60%)がVTR,映画,テレビから,79名(58.52%)が友人,そして62名の回答者(45.92%)が他の障害者から情報を得ていた.(この項目については複数回答が認められている.)
障害者が性的に満足すべき生活を送ることの重要性についての質問では,87名の回答者(58%)が重要であると回答し,40名(26.67%)がこれとは反対の回答をしていた.大多数(76.67%)がセクシュアリティーについての情報の要求をしていたが,一方22.67%がそれ以上の興味を示そうとしなかった.
大きな集団(78.67%)がヒューマン・セクシュアリティーについての特別なプログラムが欲しいとしていたが,20.67%は特に欲してはいなかった.特別なプログラムが欲しいとした者たちのうち,誰がそのプログラムを行なうべきかについての選択は,医療関係者,書籍その他,障害者同士とのディスカッション,学校教師,両親と家族,そして福祉機関の順でなされた.

7 考察
研究から得られた知見は,障害者は性的に異常であるとか性的なニーズは全く無いといった神話を退けている.特にノーマライゼイションと全体的な社会的統合がヒューマン・サービスに要求される今日の趨勢を考えれば,障害を持った人々の性的適応は,疑いなく時を得た,そして有意義な概念である.ノーマライゼイションという趨勢の帰結となる社会の要求のうちで最も緊急なものは,性的解放を求める障害を持った人々の平等な機会を増進し援助する性教育とカウンセリングのプログラムの開発と実施である.研究は性的動因がしばしば抑制されていることを示し,さらには障害者が恐れや不安を持たずにいられる良好な環境が無いことを示している.
性教育は「健全な生活」とか「成人としての準備」といったより広いプログラムの一部とされるべきである.このようなプログラムは,素直で思慮深い関係がもたらしてくれる心地良い満足の理解を表し,そして育むことで性に対する態度について気持ちを決め,目標を定め,そして理解するための合理的な基礎を与えるのに必要なモラルが認める価値の上に作り上げられるであろう.このキャンペーンは,健全な性というものは健全な人生から切り放すことの出来るものではないということを人々に知らせている.地域社会に性についての意識と適切な情報を調える必要がある.このようにして障害者は,地域社会から我々が生きる複雑な社会機構を生き通す知恵を学ぶことになるであろう.
また研究は,医療関係者が性についての悩みを持った人々を援助するには,まず関係者自身がセクシュアリティーについて十分自信を持って対応できるだけの知識を持っていなくてはならないことも示している.

8 結論と勧告
研究は,回答者の間にセクシュアリティーについての情報を得ようとする強い欲求があり,特別なプログラムは彼ら個人個人のニーズや要求に合わせるように作られねばならないことを実証している.一人を除いて全ての回答者が日常生活活動において自立していたが,多くの者たちは異性と健全な関係を持つことに積極的でないか励ましを必要とするように見える.マレーシアの保守的な社会の中では,性やセクシュアリティーについて話すことは依然としてタブーなのである.非障害者がこの領域での医療関係者から援助を得ることはかなり頻繁に行なわれている,しかし回答者の一人がいみじくも「誰が嘲笑されたいと思うだろうか」と言ったように障害を持つ人々はそうすることに積極的でない.障害者の大半は,他の者が心から耳を傾けようとしているとき初めてこの問題について語ろうとする.彼らの多くは,生殖についてのほんとうに基本的知識すら持っていない,もっと複雑な事はしばらくそのままにしておく必要がある.多くの障害者が彼らの障害について恐れと疑念を持っており,これが他の人と個人的で込み入った問題を話し合うのが苦手であることと絡みあっていることをこの調査は 示している.
研究から得られた知見は,障害者は性的に異常であるとか性的なニーズは全く無いといった神話を退けている.彼らは,他の誰とも同じ様に,人間関係,愛,人間的温かみ,そして性的満足を必要としている.
調査が示すところによれば,障害者にとって医療関係者こそがセクシュアリティーについてカウンセリングを一番して欲しい人である.しかしながら,我々の医療センターにおいては,サイコロジストと精神科医を除けば,医者,看護婦,そして医療関連職員はそれを行なうための訓練を受けてはいない.したがって医療従事者も患者も同様にしばしばデリケートな問題を扱うのに当惑している実情である.
この研究から得られる主な勧告は,セクシュアリティーについてのプログラムを創設し,これを医療従事者,施設管理者,そしてセクシュアリティーという領域で障害者を助けることに関心を持つ人なら誰でも利用できるようにすることである.障害者に対して基本的な性教育を行なう適当な小冊子を印刷して配布することもよいであろう.専門家に対して性についての保健衛生やヒューマン・セクシュアリティー(家族生活教育)についての適当な知識や態度についての訓練を行なう教育プログラムを設定する必要がある.セクシュアリティーの領域における総合的かつ学際的なプログラム,研究,そしてサービス(セラピー)を構築する必要もある.地方では,セランゴール(Selangor)とFT家族計画協会が,その学生や関心を持つ者たちに家族生活教育についての話し合いとワークショップを実施し始めた.

(抄訳)

障害(視覚障害,学習障害,精神薄弱)が学習の妨げになっている人々のための,性的虐待とエイズの予防教育

SEXUAL EXPLOITATION AND AIDS/SIDA PREVENTION FOR PEOPLE WITH DISABILITIES WHICH HINDER LEARNING:BLINDNESS,LEARNING DISABILITIES AND MENTAL RETARDATION

George Marshall Worthington
Working Group on AIDS,NGO Committee on UNICEF,New York,USA


現在,世界中の児童,青年,成人の障害者の数はひかえめな見積もりでも5億人という圧倒的な数である.ゆえに,障害を持つ人々のための教育とエイズの予防教育の必要性は非常に高い.多くの文化や社会において施設と家族双方が,ごく最近に至るまで障害児を過保護にする傾向にあったので,これらの障害者の多くは性教育を受けたことがない.しかし,ここ2,3年の世界的な脱施設化の傾向と障害者自身の生活の自立をめざす運動は,障害ゆえに学習を妨げられていた人々が,就労,教育,社会的相互関係,性的相互関係を含むよりノーマルな生活をするように勇気づけた.
保護されていた状態から自立生活へと移行する過程において,障害をもつ人々が犯罪の犠牲になる危険は今や非常に高くなっている.特に,発達障害のうえに,聴覚や視覚の障害を持つ人たちは被害を受けやすい.性知識の欠如のため彼等は誘惑やからかいを特に受けやすい.情報サービスが十分に得られない状況が,招かれざる計画外妊娠や,エイズのような性による疾患 (S.T.D.)の危険に彼等を追いやっている.今日,世界に多数の障害者がいるにもかかわらず,これらの人々に対するエイズやレイプその他の性暴力などの問題を扱う性のヘルスケアーサービスはほとんどと言っていいほどない.これには多くの理由が考えられる.
第一に,社会の多くの人々が障害と性活動を相反するものと見ている事実がある.多くの文化や社会に浸透している性活動に対する態度は非常に表面的で,傷がなく完全に均整のとれた身体的外見と関連づけて考えている.同様に,身体的魅力と性的な美を同一視する文化価値が広がっており,障害者はノンセクシュアルであり,もっとも基本的なものである家族計画あるいは婦人科のヘルスケアーでさえ,彼等に必要がないという意見がある.ましてやこのことのために,彼等が強姦の犠牲になったりエイズのヴィールスに冒されるような出来事が起こった場合,サービスが受けられないという事態を引き起こしているのである.
ここで,事をさらに不幸にしているのは,障害者が無性であるという誤った見方が世の中のもうひとつの間違った考え,すなわち,レイプや他の性暴行は「性行為」であり暴力や堕落の行為ではないという考えがしばしば重なっていることである.したがって,世間では,性暴行に対処するサービスは性的な魅力―障害者にはないとする―を潜在的に持っている人々にのみ必要であるかもしれないとしている.このような二重に誤った考えの結果,障害者のこの分野でのニーズに対するサービスや専門家の養成が欠落している.世界中の様々な国にある性暴行に対処するサービス機関が,求められれば障害者のニーズにも応える意志があることは示されているのだが,さらに調査すると,それらは物理的にアクセスが困難であること,聴覚障害者のための通訳サービスをする余裕がないこと,精神薄弱者や言語障害者と働いた経験が持たないこと,情報がないこと,障害者のニーズに応える訓練に欠けていることなどが明らかなっている.
第二に,一時的に健常な人々(T.A.B.)の多くが障害者をしばしば依存的,無力的,幼児的な人々として見ている事実がある.この種の考えが,障害者は岐易に犠牲者となり,抵抗が出来ず,たやすく―特に悲しいことだが往々にして―暴行のターゲットになるという結論を必碇的に導くのだろう.したがって,多くの国において,障害者の性暴行の被害発生率が高いにもかかわらず,精神的外傷に対するサービスがほとんど存在しないのである.
性的虐待の事件は障害者を非常な混乱状況に陥れている.彼等は親類あるいは友人あるいはケアをする人が不法で不道徳な行動をしていることを理解する知識すら持っていない.すなわち,障害者は受情と好意を施策の基本とする当局者の要求に合うように社会に対応しているために,このような混乱が生じるのである.障害者個人は事件のために非難されたり,家族の崩壊を起こすかもしれないことを恐れて事件を報告しない.
性暴行と障害者に関するもうひとつの問題は,多くの障害者が,彼等を援助するためにわずかにあるコミュニティの情報について知らないことである.どんな情報が利用できるのか,あるいは援助を得るためにどのように問題を報告すればいいかを知っている障害幼児,障害青少年,障害成人はほとんどいない.これらの犠牲者はカウンセリングや医療ケアや法的代弁を受けていない.自分自身を護ることも救助を得ることも出来ないために,くりかえし,ときには何年にもわたってレイプや近親相姦の犠牲になっているのである.
このように,障害者は性的虐待の事件を訴えることがほとんど不可能であるだけでなく,被害を受ける状況に陥りやすいのである.多くの障害児・者は施設やグループホームや家庭など非常に保護された環境に住んでいる.彼らは疑うことなく大人の指示に従うことに慣れている.このために,コミュニティでは犠牲者になりやすい.保護されていた場から監督されない場へと移る人たちにとって,虐待を受ける危険性はより高い.最近の傾向として,障害者が職員の一貫した支援を利用出来ないような自立した場へ移って行くことを促している.自立生活の傾向が強まるにしたがって,障害者の自己防衛訓練の必要は大きくなっている.教師,親,代弁者は障害のある学生やクライアントに性的虐待についての情報をほとんどあるいは全然といっていいほど与えていない.教師達はこのような状況を非常に懸念しているが,この問題の複雑な性質に気付いておらず,どのようにして障害者が虐待の犠牲になるのかについての基本的な知識に欠けている.その結果,教師,親,代弁者/カウンセラーは現在,学生/クライアントに対して,この問題に関しての教育や取り扱いについて何の準備も出来ていない. したがって,障害者は冒されやすい状態に取り残され,虐待の事件についても教師や親に知らせることができない.
この問題に取り組むために,1984年から1986年にかけて,Worthington Associate Worldwideはニューヨーク市のBellevue Hospital Centerと共同で,リハビリテーション専門家のための特別な訓練プロジェクトを行なった.プロジェクトの目的は次の通りである.

  • ― 障害者の性的虐待の程度について一般に認識させる.特に発達障害がカウンセリング,教育,サービスプログラムに及ぼす問題について焦点を合わせる.
  • ― 参加機関がこの問題に関心を持っており,必要な場合にはサービスを提供できることを障害者コミュニティに知らせる.
  • ― 発達障害をもつ性的虐待の犠牲者の特別なカウンセリング,コミュニケーション,アクセスのニーズについて参加者を訓練する.
  • ― レイプ予防サービスについてリハビリテーション専門展野の意識を高める.特に発達障害者のニーズに知識があり,訓練を受けた人々を対象にする.
  • ― レイプ予防サービスを奨励し,もっとも効果的な方法で障害者をリハビリテーションのプログラムの全範囲に統合することを確認する.また,障害者をレイプ予防サービスのクライアント同様に扱うことを確実にする.
  • ― レイプ予防サービス,リハビリテーション,他の関連組織/個人が協力して,障害者で性的虐待犠牲者のニーズに応えるための医療,心理,法的な援助サービスのネットワークを設立するよう刺激する.

二日半の訓練カリキュラムについての詳細な報告や討論をするのは時間がないが,強調したいことは,これは技術訓練プロジェクトであるということである.単なる情報の伝達だけでなく態度の変革を意図している.参加者に自分達のプログラムを評価することが出来るような技術を与え,必要ならば,レイプや性暴行の犠牲者となった障害者のニーズに応えるサービスを作り出すことが出来る技術を与えることを意図している.さらに,レイプ予防サービス,リハビリテーション機関,他の関連組織/個人のネットワークを発展させて,障害者で被害を受けた者のニーズに気が付き応える医療,心理,法的援助サービスのネットワークを実現させるための触媒になることを意図している.
これらの訓練と技術目標達成に使われるフォーマットと方法論は多様である.例やケース資料は参加者の日毎の経験から取り上げられる.各ワークショプは参加でき経験できる学習モデルで,トレーナーが各々のワークショプの必要な節目で教訓的な資料と講義を与える.一般の成人教育原理に従い最適な学習を促進するために,ストラクチャーエクササイズ,ロールプレイ,ブレーンストーミングが使われる.
模範的なトレーナーを訓練かる大きな理由は,訓練と技術援助の終了後,引き続き地方で機能する永久的な訓練能力を創出することである.実質的には,ターゲットになった分野において,各コミュニティでそれぞれユニークな方針を持つことができるような発展的なプロセスを「植え付ける」ことである.このアプローチは,プロジェクトが,可能であれば用いることのできる現場の資源となる人を使い,専門家以外の人々の信頼にも耐えるように提案されている事実からも分かる.このプロジェクトで分かるように,訓練の目標が本来,地方のサービスデリバリーや教育の自助アプローチを助長促進することなので,この「植え付け」アプローチはとくに適切であると信じる.
継続を確保し,コミュニティ協力を促進するための独自の必要条件を充たすような訓練をするという特異的なアプローチの視点から,プロジェクトは,Worthington Associates Worldwideがすでに論証済みのいくつかの訓練方針を基礎にしている.これらは次のものである.
1)提供者の領域を超える訓練 2)同じサービス地域の様々な機関からの参加者によるチーム訓練 3)予防を中心にした訓練
上記プロジェクトで得られた経験を参考に,Worthington Associates Worldwideは,障害者のクライアントにエイズ予防情報を与えるための新しい専門家訓練プロジェクトを始めた.この新しいプロジェクトは,エイズが新たな世界規模の障害であるとの認識からなされたものである.世界中のエイズは貧困と不利益をもたらす不治の病である.この会議で示されてきたように,世界中の障害者の状況は貧困と深刻な経済的社会的不利益に特徴づけられている.したがって,エイズは障害をもつ人々にとって一層の挑戦であり,脅威である.実際に,障害者は,すでに述べてきたように,多くの理由で性暴行の犠牲になりやすいため,ことにエイズに侵されやすい立場にある.
加えて,エイズは,実際に,身体,心理/精神,視覚機能障害あるいは機能制限へと,そしてついには死に至る障害として,不本意ではあるが認められつつある.その結果,リハビリテーション専門家,たとえば作業療法士,理学療法士は,現在ではエイズにかかった人々をケアする専門家の範囲に入りつつある.事実,エイズにかかった人々(PWAs)のケアと予後が改善されるにしたがって,エイズは長期の障害として見られつつある.しかし,エイズにかかった人々やリハビリテーションの専門家たちを国際リハビリテーション運動に統合するには,まだ多くのことがなされねばならない.今後取り組まねばならない問題には,決めつけ,差別と人権,初歩のヘルスケアにおけるエイズ予防と障害予防,長期ケアなどがある.最後に,性の問題と障害の全分野は,急速に世界に広まりつつあるエイズ伝染病にも適応されなければならない専門家の活動領域の中心的なものとなっている.たとえば,いわゆる「より安全な性の方策」は,様々な障害を持った人々が性的に応えることが可能になるために開発された方策に類似している.また他の障害に関連した決めつけという点からも,上記の働きはエイズ の人々のセンシティブな性の問題を我々が提起するのに役立つであろう.


主題:
第16回リハビリテーション世界会議 No.8 309頁~348頁

発行者:
第16回リハビリテーション世界会議組織委員会

発行年月:
1989年6月

文献に関する問い合わせ先:
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財団法人 日本障害者リハビリテーション協会
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