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分科会SF-3 9月8日(木)16:00~17:30

女性障害者

―機会の平等化に関するレポート―

WOMEN WITH DISABILITIES:REPORTS ON EQUALIZATION OF OPPORTUNITIES

座長 小島 蓉子 日本女子大学教授
副座長 Dra.Teresa Selli Serra President,Italian Spastic Society〔Italy〕


日本の女性障害者の職業・社会参加の実態と統合を進める社会基盤の検討

―ILO計画の日本調査事例を通して―

STRATEGIES TO IMPROVE SOCIO‐VOCATIONAL INTEGRATION OF DISABLED WOMEN IN JAPAN
(VIEWS OBTAINED FROM THE RESEARCH PROPOSED BY THE INTERNATIONAL LABOR OFFICE)

小島 蓉子
日本女子大学教授


アジアは世界最大の障害者人口を抱える上に,開発途上国が多く,またそれらの国々では生産体制や宗教の影響で女性の地位は必ずしも高いとは考えられていない.その中で障害と女性という二つの障害を負う人々は,どのような生活をし,職業に参加しているかを調査することがILOアジア太平洋地域委員会の課題であった.日本は,アジアでも例外的な先進工業国とされているが,アジアの一例として,筆者らの調査を通してこの計画に参加した.

1 調査対象となった日本の女性障害者像
今後の女性障害者の社会参加についての調査には,肢体不自由,視覚障害,聴覚障害,精神薄弱,リュウマチ,てんかん,その他の障害を持つ184人の女性からの有効解答が寄せられた.全回答者の中の79.5%が1~2級という重度障害者であったが,専門学校以上の高等教育を受けた者は26.6%で,全国平均の35.3%に比しても決して低学歴層ではない.
職業を持つ者は184人中の94人(51%)であり,無職者49%の中の40%は専業主婦であり,他は障害が重度過ぎて働くことはできないということであった.就労形態を見ると,就労人口の49%が一般雇用され,25%が自営業(この多くは視覚障害女性によるマッサージ院経営),ついでごく少数の肢体不自由者と精神薄弱の女性が共同作業所で就労していた.
収入状況を見ると,184人の中,1級が40%,2級が25%で,およそ65%の人々が障害基礎年金を受けている.年金の他に何らかの所得源のある人でも,年金受給者数と重複が多く,121人である.これらの女性達の年金収入を除く稼動収入は,月額2~3千円の者から20数万円に達する者まである.
なお,障害基礎年金とは1988年より受給が開始されたもので,受給権者に,3,288,000円,および必要経費を引いた実収入で2,135,000円以上の収入がある場合を除き月額1級が65,333円,2級には52,267円が,収入認定なく手帳に基づいて給付されている.在宅の重度者に対する特別障害者手当は,月額20,950円である.
仕事の内容については,教師,司書のような専門職より不熟練(精神薄弱者のケースを含む)の水準までの分散があるにしても,女性障害者が新しい職種を開拓して,それに就いていることが次の「表1」からも理解されよう.
女性障害者の生きがいとしては,家庭生活,趣味,人との交流,仕事,ボランティア活動,自己の向上,教養を身につける,健康であることなどが挙げられた.
一方,障害が仕事の続行上には幾多の悩みとなり,就労する女性障害者,94人が,ひとつ以上の回答を寄せた.総数127件を分類すると,上司や社会の障害への無理解や偏見などという心理的な問題が第1位で,第2位が肉体の限界と病気の悪化・進行の恐れ,第3に自己目的の追求に対して障害が乗り越えられない壁を作っていること,などの苦悶が表現されていた.

表1/仕事の内容

水準 具体的内容例 件数
(名)
管理職・専門職 国家公務員,地方公務員,図書館司書,
高校教師,小学校補教員,英語教師,作
業所々長,治療院経営者,カウンセラー
6 8.8
専門技術職 ピアノ教師,鍼・灸・マッサージ師,イ
ラストレーター,図面のトレース,電話
交換手,ワープロ,タイピスト,写植オ
ペレーター,看護婦,職業指導員
15 22.1
準専門職 ボランティア養成講師(点訳),手芸,経
26 38.3
熟練職 事務,販売員,洋裁部分縫職人 11 16.1
不熟練職 商店々員,家事手伝い,組立作業,廃品
回収
10 14.7
68 100.0

2 女性障害者の社会職業的統合を進めるための提言
女性障害者が今後一層の自立を果たし,社会統合を進めるためには, 社会に何を望み,障害者自身はどうあるべきか,自らの自己実現推進のための声を集約した結果が,次の10項目の提言となった.

  1. 女性障害者への一般人の差別意識の一掃
  2. 女性自身,自覚と自立心を強化すること
  3. 女性障害者への適職発見,雇用機会の創出
  4. 幼児期よりの健全な人格と社会生活力の形成
  5. 家庭,職場,地域を含む物理的環境の整備
  6. 介助者の量・質の向上
  7. 在宅女性障害者の教養を高めるためのマスメディアの高度利用
  8. 自立生活のための情報の効果的提供
  9. 政策決定過程への障害女性の参加促進
  10. 地域型リハビリテーション施設の増設と在宅利用

3 障害をめぐる日本の社会状況の動向
女性障害者達の提言に対して,日本の現実社会はどう動いているかを考察してみよう.

  1. 差別を払拭する試み
    提言1)に対応する障害者・女性への差別意識の払拭を試みる努力は,長期間の社会教育を必要とする.一事例としては,北九州市が,障害者,女性,同和問題を取り上げ,毎年12月の人権週間に,全市をあげて講演会を開き,十数年にわたって市民の啓発を行っている.こうした社会教育的努力の積み上げは,市民意識の改革に意味深い試みの一つであろう.しかしそれ以上に,障害女性が社会の第一線で働き,家族や地域に一定の役割を果たして生きていくのを示すこと自体が,周囲の人々を変える具体的な社会的態度変容への効果を発揮するものと考えられる.
  2. 自助組織による障害女性自身の啓発
    提言2)自立生活,4)健全人格の形成,6)介護者の養成,7)教養の向上,8)自立情報の提供,これらのニーズに総合的に答えうるのは障害者自身の自助組織をおいて他にはないであろう.自立の拠点や支援システム作りの運動は,DPI婦人部の組織化はもとより,女性障害者達による有料介護組織作りなど,幾多の活動に見られる.しかしこれらを財政的,人的に支える力は未だ十分ではない.
  3. 自立援助組織への支援組織の生成
    障害女性の社会・職業統合を支援する活動は,その自発性,創造性という性格上,行政よりも民間による助成活動がふさわしい.1988年,東京都は地域に根ざした在宅サービスを支援するために,東京都社会福祉振興財団に「地域福祉振興基金」を設置することを援助し,それが民間の人的サービス(家事援助,介護,食事,移動等),自立情報,調査などを財政的に支えることを可能にさせた.このような間接援助の発達によって,女性障害者自身がピア・カウンセラーとして,またユーザーとして社会的に機能できるようなきっかけが与えられたのである.
  4. 女性の適職,雇用機会の拡大
    今後の女性障害者雇用計画において,最も積極的な態度を示したのは,重度障害者多数雇用事業所であった.これらは製造加工業部門の一般事業所であり,日本に於けるPWIの役割を果たしながら,自らの事業所で訓練した障害者に正規雇用への道を開いている.
    一方,特殊技能による適職を開拓したのは,高等教育を受けた女性障害者自身の努力が主である.知的に高い女性障害者は,一般的な肉体労働よりは,特殊技能(語学,ワープロ,音楽,教育,治療技術など)を武器に,専門職や一般非障害者と競合の少ない職業分野や自助組織の中に自己のポジションを確立して定着してきた.これまで女性障害者の職業進出は自助努力に任されてきたが,提言3)を受けて,労働行政や雇用主団体が,より政策的に取り組んで欲しい課題である.
  5. 地域型の機関と町づくり
    在宅女性障害者の生活と労働にとって役立つものは,多目的でアクセシブルな地域のリハビリテーション・センターであり,障壁の少ない道路,スポーツ,レクリエーション,学習,保育など女性障害者が生活しながら活用できる公共施設の備わった都市である.
    厚生省では「障害者福祉都市」計画を1979年より進めているが,こうした町づくり計画において,生活をきめ細かく見つめている女性障害者の声を,より積極的に政策決定過程に反映させていくことが,今後の大きな課題の1つである.
    以上のように,日本の女性障害者は未だ職業生活上,幾多の困難な問題に直面しているが,一方的に抑圧された存在だとは言えない.日本においてはILOの予見に反して,女性障害者は都市と農村とで生活上,意識上の格差は余り見られず,むしろ仕事と家庭を大切にし,意見を持って未来を切り開いていこうという姿勢を持つ生活者であることが明らかにされた.

〔参考文献〕

  1.  小島蓉子「女性障害者の社会統合に関する研究」 『障害者の福祉』第8巻,第2号,1988年2月
  2.  Kojima Y.,Analytic Report on Socio‐Vocational Integration of Disabled Women in Japan:A National Research Project for the ILO,Office of Social Rehabilitation Research,March 1988

女性障害者のリハビリテーション

DISABLED WOMEN AND THE PHILOSOPHY OF OCCUPATIONAL REHABILITATION

Muneera Alqatami
Kuwait Society for the Handicapped,Hawalli,Kuwait


はじめに

1981年にWHOが加盟国すべての協力を得て行なった調査により,世界総人口の10%,およそ5億人の障害者が確認された.その後7年経ち,この割合は疑いもなく増加の一途をたどっている.特に第三世界においては著しく,飢饉,栄養不良等の劣悪な環境と,障害を生んでいる戦禍が原因となっている.
世界全体では,障害人口は10%とされているが,障害者の数に直接間接に影響を与える要因としての資源や制約の異る状況により,その数は国ごとに異るであろう.障害の可能性を減らす要因として,保健サービスの推進,教育の普及,食料の確保,職場,家庭,公共の場,道路等における保健と安全の確保などがあるが,このような要因が整った豊かで安定した工業国と,欠けている第三世界とでは明らかに障害の出現の割合が違ってくる.アラブ諸国は第三世界に属している.

アラブ地域の女性障害者

アラブ地域の女性は,単に女性であるというだけで重圧を受けるという社会的要因があり,生活のあらゆる面で困難に直面している.ほとんどのアラブの女性障害者は家に閉じこもり,滅多に外に出ないが,その主要な理由は広範にわたる失業である.またリハビリテーション施設,適切な交通機関,若い女性障害者のための教育設備や方法の不足などがあり,加えて社会の障害者に対する目,社会の障害者観は,迷信に由来する哀れみと恐怖に彩られている.このような伝統的障害者観は深刻な当惑と恥の感情をもたらし,障害者やその家族が外に出るときにいつもつきまとっている.
いわゆる「障害者のリハビリテーション」に到達するためには,あらゆる側面―保健,心理,社会,経済,環境の各方面からの総合的方法論を用いなければならない.この点には賛同の方々も多いと思う.女性障害者のリハビリテーションとは,基本的には,自己を自覚し,人間性を保てるようなかたちで社会と関係を持つことである.女性障害者のリハビリテーションの中でも,職業準備と訓練についての見解を述べたい.

訓練についての見解

訓練の目的は当然ながら,女性障害者の教育水準を高め,職業技術を習得させ,職場での新しい事態に対応できる能力を養成することである.従って,障害をもつ女性自身が,職業訓練とは手工芸を身につけることだけではないという職業観を持つようにさせることも訓練の中に含むことが必要である.女性の職業訓練というと,ひとつのテーブルを囲んでの針仕事など単調な反復作業というイメージが強いが,訓練に携わる人々,特に次世代の人々のこのようなイメージは変えねばならない.
我々は,日毎に変化していく生活を実感している.急速に変化している社会のなかで,社会の色々な面で変化が起こると共に,人間に対する考え方,社会でのあり方にも変化がみられる.従って,女性障害者の訓練においても,進歩を取り入れる必要があり,特にニュー・テクノロジーは重要である.リハビリテーション施設は,科学技術の進歩を取り入れて方法を開発し,効果を挙げる必要があり,労働市場の現状を把握した適切な理論,方法論が訓練プログラムには必要である.
1986年,ILO第72回総会で,被雇用者に教育の機会を提供すべきという決議がなされたことは価値あることである.機会平等の原則にたって,労働者の訓練施設での教育を通じてこの目標を追求することができる.
女性障害者の訓練に機会平等の原則を採用することにより,彼女らはそのプロセスを通じて能力を最大限に伸ばし,自覚を高めて,より効果的に社会生活に参加し,また生活の状況の改善に努めることができるようになる.教育は,彼女らの障害に関連した医学的,心理的問題への対応の仕方に影響し,またより強い自信を与える.訓練の領域でもうひとつ留意すべき原則がある.つまり,女性障害者が能力を伸ばすことにより,よりよい自己認識をもち,自分の生活に関する正しい決断力が養えるよう援助することである.これからの訓練プログラムは,女性は受け身で,自分の意見や決定を表さないで与えられた仕事だけに従事するといった印象を与えるべきではない.反対に,女性障害者らが自分達の能力や才能に即して決めるべきである.
自分の将来の教育および職業について決断する能力は,外に対して反応し行動する能力,個人としての十分な発達および社会への適応力の土台になるものと考えられる.リハビリテーションの目的は,障害者に代わって何かをして援助することではなく,彼女らの自助を援助することがその最終目的である.
リハビリテーション施設と障害者自身,それらの将来の方向は政府と民間関係者の努力に大きくかかっているので,政府と民間はこの訓練の分野に効果的に参加する必要がある.経済的援助や法制など必要なものを提供し,社会の認識を高めて,障害の原因や現象についての誤まった考え方や迷信を正す.このためには,目標達成への決意と努力,そして政策とプログラムがそろわなくてはならない.アラブ地域の各国に政府と民間の代表による障害者リハビリテーションのための合同委員会を設け,そこでリハビリテーションに関する国の政策を策定することができるようにするとよいと思う.しかしいろいろな関係官庁が行った調査研究の結果を考慮すると,問題の規模,原因,障害別の人数を明らかにし,保護を要するところを明確にして,その委員会に報告し,実践および資金計画での優先順位を決めるために用いるまでには時間が必要である.
障害者を取りまく問題を徹底的に明らかにし,それぞれを障害別,原因別に分ける上で役立つような正確な統計や研究,詳細な説得力のある調査がこれまでになかったことは残念である.
政府,民間そして個人の活動も法律なしには効果的で積極的な成果をあげることはできない.法律全般についてそれらを制定する時には,障害者の教育の権利,職業,機会の平等,雇用者,予算及び所得保障を含む法律を土台とするべきである.そうすることにより予算の中に障害者プロジェクトの項目を確保することができる.障害をもつ女性については,上に述べたようなことに関する法律により権利が保証されるべきであるが,最も重要なことは,彼女に人間的成長その他の点でひとりの女性としての権利が保証されることであり,また職業あるいは教育,訓練の機会が男性と平等に保証されることである.


オーストラリアにおける婦人と障害者-1981年以降

WOMEN AND DISABILITY IN AUSTRALIA-POST 1981

Edith Hall
President,ACTOD,Australia


国際障害者年(IYDP)は,地域社会に障害者の問題を全般的に紹介したが,地域社会が,障害を持つ婦人にとって特に重要な問題は何かを認識するまでには,さらに数年の歳月を要した.
ACRODは,オーストラリアの障害分野における,民間の団体や協会の全国的なロビー活動グループの略称で,最も小さな自助グループから最も大きな事業団に至るまで300以上の組織および約300人の個人を会員としている.
1984年に,ACRODは,女性障害者のための援助と補助機器に関する会議を開いた.それは,特に婦人に関連する問題を話し合うために女性障害者が一同に会した初めての機会であった.2日間にわたる討議は,地域における今後の課題遂行のための基礎を提供し,多くのオーストラリアの女性障害者に対して変革の開始を予告するものであった.
そこでは次のような3つの最重要課題が確認された.

  • 失禁について
  • 月経について
  • 性差について

ACRODはこれら3つの課題すべてについての活動に着手した.

失禁について

ACRODは,オーストラリア高齢者問題協議会と共同して,女性障害者を含むすべてのオーストラリア人のために,失禁のよりよい処置に関する議案を通過させる運動をした.失禁についての全国作業部会の一員として,ACRODは,失禁は「正常」なことであること,治療することは常にできるわけではないが,より良く処置・管理することは可能であるということで,失禁のある人々はかなり援助されることができるという2点を強調し,失禁が国民的健康課題であるとの一般の人々の認識を高めることに貢献してきた.1987年10月に,作業部会は失禁についての最初の全国会議を開催し,1988年初めには,連邦政府は,全国失禁協会の設立を援助するために3年間分の基金を提供した.それにより,失禁の予防と管理が主要な保健問題として継続的に取り上げられてゆくことになった.
障害者,ことに女性障害者にとって重要なことは,失禁処理の為の援助に経費がかかることである.ACRODは,これらの諸費用軽減に向けて作業を続けている.

月経について

女性障害者にとって月経の管理には,困難な問題がいろいろある.ACRODは,これらの問題と可能な解決方法を見い出すために,約500人の女性障害者に対して調査を行った.調査の分析から,全体として,調査に参加した女性達は,月経を彼女達の生活の中の自然な部分と考えていることがわかった.月経の管理が容易であるかどうかは,各々の障害のタイプや重さによって大きく異なっていた.
多量の出血,失禁,適切な介助が得られないこと,生理用品等を交換するための適当な設備がないこと,皮膚の衛生管理などが最も困難な課題である.
回答者に対して,月経についての情報の適切さおよび範囲についての質問が,出されていなかったにもかかわらず,多くの質問に対する解答中のコメントから次のようなことが明らかになった.

  • -多くの女性は何の情報も得ていなかった.役に立ちそうな情報を求めたり提供することに対し,女性障害者もその世話をする人も,とまどいやためらいをかなり感じている.
  • -月経管理について,ホルモン療法や子宮摘出等の医学的な取り組みに関する情報やカウンセリングがない.

性差について

1986年に,ナイロビにおける国連の10年終結会議にあたり,オーストラリア政府は,2000年に向けて,女性のための国家的協議課題を展開していく計画を明らかにした.
オーストラリア政府からの出資を得て,ACRODは,女性障害者と共に提案された国家的協議課題を検討するため,3種のセミナーを開催した.そのセミナーは2つの州都,すなわちPerth(Western Australia州)とHobart(Tasmania州)およびNew South Wales州の郊外の大きな街であるWagga市で開催された.そこで出された多くの問題は,後に女性のための国家的協議課題の中にとり入れられた.
これらのセミナーを通して再び強調された主要な問題は,性差と女性障害者についてであった.それに応えて,ACRODは1987年6月メルボルンにおいて「性差と女性障害者」をテーマとする2日間の会議を主催した.議論は,性差,性を持つ人間としての諸権利,人間関係の確立とその中で働くことおよびその保持,性的価値と選択,そして在宅ケアおよび施設でのケアにおける女性の性に関することについて行われ,合意がみられた.
会議において参加者が確認したことは,より少数のグループで,性差についての問題を話し合うことができたらという願望であった.そのため,ACRODは女性障害者が小グループで仲間と共に性差について話し合うことができるよう,とりわけ辺地に居住する女性障害者を援助するために,情報キットを作成し試用する資金を得た.そのキットを試用する作業部会が,1988年11月にAlice Springsにおいて開催される.
オーストラリアでのもうひとつの重要課題は,介護の役割を引き受けるオーストラリア女性が不足していることである.
1988年6月に南部オーストラリア州のAdelaidにおいて開催された介助者のためのACRODの公開討論会は,障害のある児童および成人を介助している人々,そして家族の世話をしている女性障害者が直面している諸問題について話し合った.参加者によって作成された勧告には,政府が介助者とより開かれたかたちで相談をすること,および入手可能な専門知識の深さを認識することの必要性がもり込まれた.その他に,政府が少数民族の居住する地域の人々の特別のニーズを認識すべきであること,介助者にとって権利と選択に関する正確な情報を提供されることが必要であることなどがある.
脱施設化へ向けての現在の動向は,オーストラリアにおいて強力に支持されている.しかし一方,地域の援助サービスが早急に改善されなければ,慣習上主要な介助提供者となっている女性は不利な立場に置かれるにちがいないという懸念がある.連邦政府の家庭と地域における介助プログラム(HACC)は,これまでのところ,障害者あるいはその介助者の期待に十分に応えていない.このHACCプログラムは州レベルで施行されているもので,目下大きな見直しが行われている.ACRODはより効果的な地域サービスを目指してロビー活動を続けている.

女性のための保健政策

オーストラリアの女性は,女性の保健に関する政策の草案について,よく検討し答えていくことを求められている.ACRODはすべての女性のための広範な国家的政策の中に,女性障害者は時には特別の心配りが必要である点に留意して,女性障害者の保健問題もその一部として含まれるべきであると考えている.
現在までのところ,この国家的政策は女性の保健について全体論的見方をとっており,また政府の他の省との協力で多面的なサービスの取り組みをしてよい成果が期待できそうである.

社会保障の展望

連邦政府の社会保障省は最近,その全体的な社会保障の再検討の一環として「社会保障の再検討に関する報告書No.5―効果的な政策に向けて:障害をもつ人々のための所得援助」と題する障害者問題に関する報告書を作成した.
その報告書は,所得調査のない非課税の障害手当の導入を強く支持している.
家事,育児あるいは親族の世話を含め地域活動において,障害者が障害手当が受けられるようにすることが勧告されている.就業していない,あるいは職業訓練を受けていない人々に対して所得援助するように勧告されたのは,オーストラリアにおいて初めてのことである.


リハビリテーション・サービスの活用モデル

―女性障害者のための機会構造の変化―

REHABILITATION SERVICE UTILIZATION MODELS:CHANGES IN THE OPPORTUNITIES STRUCTURE FOR DISABLED WOMEN

Barbara Altman and Richard Smith
Sociology Department,University of Maryland,USA


リハビリテーションとその成果に関して広範な研究調査が行われており,臨床面と社会面双方の数々の出版物からそのことがうかがわれる.このような研究努力の一例として挙げられるのがBoltonの最近の著書である「Handbook of Measurement and Evaluation in Rehabilitation(リハビリテーションにおける測定と評価のハンドブック)」で,リハビリテーションの有効性と効率性に焦点を合わせている.リハビリテーションの成果の概念化と測定は,Fuhrerの著書の主題にもなっており「リハビリテーションの種々の領域全体に浸透している価値,態度,概念と実践の核心」に取り組んでいる.この著書は,リハビリテーション分野で見られる専門化の傾向をとりあげ,それらの異なるアプローチの中に問題解決の共通基盤となる要素を探っている.
障害者を社会復帰させるためのさまざまなアプローチの中で,二つの主題に関連したものが中心的と見られる.リハビリテーションは現在,二つの全く異なる向きの方式あるいはモデルに従って行われている.医学モデルは医療システムの中で実践されている方式で,一般に医学リハビリテーションといわれている.この中には身体的な機能を,できる限りその本来の状態にまで回復することを目的とした多数の活動が含まれ,そのプロセスには多くの医療専門家が関係してくる.現在実践されているもう一方の方式が職業リハビリテーションで,職業上の役割のみならず,地域社会の中で人が成しうる役割をも含む再統合化を目的としている.職業リハビリテーションは,心理社会的方式に近いリハビリテーションと考えられていて,医療システム以外の施設や組織において実践されている.政府による公共施設だけでなく,カウンセリング,職業訓練,その他地域社会に適応できるようにする方法を中心に行っている民間組織である場合もある.残念なことには,役割遂行上の能力障害をもたらす機能障害を持つ人全員に,どちらかのタイプの,あるいは両方が組み合わされたリハビリテーションへのアク セスがあるわけではない.その上,このようなリハビリテーションを経験しないこと,あるいは利用できないことが一般の障害者にとってマイナスであることも十分に明確にされていない.
本研究では,アメリカ合衆国でのリハビリテーション利用の可能性に影響を与える要因を検討し,次に一定の成果基準,つまり再就職の能力に対して,この二つのタイプのリハビリテーション・サービス・モデルが与える影響を調査する.

当論文の中心課題

この論文の中心課題は,アメリカ人女性に関するリハビリテーションの機会構造とその成果についてである.我々は二つの基本的質問をしている.第一に誰がリハビリテーションを受けるか,第二にリハビリテーションプロセスの成果はどのようなものか,である.リハビリテーション・システムの中の女性に焦点を合わせることは,リハビリテーション社会学としての見方を維持するための卓越した方法である.リハビリテーション運動の歴史を振り返れば気付くことであるが,リハビリテーション・システムは,過去でも,そして現在でも障害を持つ男性のニーズ志向である.アメリカ国内の職業リハビリテーション・システム,復員軍人局や他のリハビリテーション・プログラムでは,男性と同様に女性にもサービスの提供が行われているが,リハビリテーション運動が大きく発展したのは,第一次,第二次世界大戦後で,戦争犠牲者となった男性のニーズに対応してであった.1954年の職業リハビリテーション法の拡大や,1956年の社会保障改正案においても,ほとんどの場合が,男性の世帯主へのサービス提供がリハビリテーション・プログラムの中心であって,補償金に対する要求の削減と,家庭 崩壊の危険性の減少を自明の目的としていた.このようなシステムの中で女性に焦点を合わせることにより,システムの長所からはなれ,短所を検討することへ目を向けることになる.
女性を対象とした第二の理由は,アメリカにおける最近の羅患率のデータから明白である.全国健康問題面接調査の1983年から1985年までのデータでは,女性は中程度から重度の障害を訴えることが多く,この傾向は45歳以上に特に顕著である.今日の障害者人口の中で,最も一般的な障害の原因は関節炎であり,最初の大規模公共プログラムが制定された時代の障害者人口とは,原因に大きな変化が見られる.最近の法律は,リハビリテーション領域における機会構造の拡大を意図してはいるものの,そのようなプログラムは,当初制度化されたリハビリテーション・プロセスの方向を追加あるいは拡大したものにすぎない.女性に注目することにより,女性のリハビリテーション・システムに大きな影響を与える政策変更についての検討が容易になる.

考察

この調査の分析から二つの驚くべき結果が出てくる.第一には,リハビリテーションを利用するかどうかは社会人口学的要因,中でも性別が大きく影響することが指摘されている.第二の注目すべき結果は,研究対象のリハビリテーションのいずれの方式も,この研究の中で調査した症状のどれかをもつ人に対して肯定的な成果,つまり仕事をする能力,と結びついていないということである.
リハビリテーションの利用は,年齢,性別と症状に重大な関連性があることが,調査の両時点で示されている.しかし教育に関しては,1972年では重要な要因であったが,1978年にはリハビリテーションの利用とはもはや強力な結びつきはない.1972年から1978年の間に起きた政策変更に照らし合わせてみると,政策変更は女性と老人の状況改善には十分な効果を発揮していないし,1973年の立法で要求した変革のすべてを引き起こすためには6年では不十分であることも明白である.
リハビリテーション利用に対して本人の教育レベルが与える影響が変化してきたことは,リハビリテーション利用を促進する方向への著しい動きであるが,しかしこのサンプルがこの領域において,完全に比較できるものかは明確ではない.1978年のサンプルは,様々な教育レベルでの分布,特に8年あるいはそれ以下の教育レベルの人々の分布について,1972年のデータとはかなりの違いを見せている.これは得られた結果の中の要因にすぎないのかもしれない.
性別に対する他の社会人口学的特性の影響を調査しても,二時点の間で大きな改善があるかは明らかではない.一般的には人種は要因ではないが,女性のリハビリテーション利用に関しては,人種的な差異がある.1972年,1978年に,白人女性は白人男性よりリハビリテーションを受ける度合ははるかに低かった.それに対し黒人では,リハビリテーション利用に関して大きな男女差はなく,また時間による変化もない.リハビリテーション利用を必要とする障害がおきる前の段階で就労していたかどうかが,この差の説明となる要因の一つである.労働人口に占める黒人女性の割合は,両調査の時点で白人女性よりも通常高かった.どの年齢でも男性よりもリハビリテーション利用が少なかった1972年においては,年齢は女性のリハビリテーション利用に影響する要因とは考えられないが,1978年には要因となっている.高齢の女性は高齢の男性と同程度のリハビリテーションを受けており,従って女性の状況には改善が見られる.しかし若い女性に関しては,状況は後退しているようである.原因は当分析からは明らかではないが,さらに研究すべき重要な点には違いない.
第二の分析結果では,就労能力に対するリハビリテーションの影響を検討したが,まず最初の反応は,リハビリテーションが,地域社会で機能するための能力を向上させるという目的を果たしていないとの考えであろう.しかし,男性,女性いずれの場合も,リハビリテーションの過程を修了した時点で受けた影響の内容について,さらに多くの情報を得ないでこのような判断を下すのは危険である.提示された結果が,2種類のリハビリテーションの一方の失敗なのか,あるいは社会側がリハビリテーションを完了した人を,日常生活の本流に統合することができなかったのかはわからない.広範な状況全体や,人に強い影響を及ぼす構造について考えるよりも,ケースごとの説明,つまり犠牲者に責めを負わせる方が簡単であるからである.リハビリテーション・プログラムの修了過程にいる人が就労するか否かについて,自ら決定する機会があるのか,あるいは労働市場,景気変動や所得保障政策が自らの選択を阻止しているのかも明らかではない.
高齢と低学歴はこの分析の中で成果変数,つまり就労能力とも深く関係しているので,リハビリテーション,特に医学モデルが,この重要な構造人口学的な二要因を補う有効な手段とは成り得ないということも考えられる.この点は,さらに詳細な研究が続けられなければならない.
最後に,1978年度データ分析の第二段生に言及すると,このデータは,少なくとも女性に関しては,顕著ではないものの,望ましい方向に心理社会モデルが働いていることを示している.女性がこのタイプのリハビリテーションを受ける例は少ないが,しかしその影響は女性に対してより肯定的に現われ始めているように思える.
ここにどのようなメカニズムが関連して働いているのかはわからないが,ある場合にはより積極的に,特に教育による影響が実際に変化する場合には,社会構造上の変化がリハビリテーションの利用に影響するようである.
またこの変化は心理社会的リハビリテーションを受けている女性にとっては,より前向きな方向への動きを起こす結果となっているようである.指摘した傾向が継続的なものかどうかを断定するには早すぎるし,さらに最近の集合データの検討が必要である.しかし残念ながら,リハビリテーション関連の情報データを含む集合データは,期待するほど容易には入手できない.(抄訳)


障害者を介助する女性

WOMEN ASSISTING DISABLED PERSONS

Teresa Selli Serra
President,Italian Spastic Society,Italy


「女性と障害者」というテーマは,国際リハビリテーション協会(RI)の1975年の決議で最初の取り上げられて以来,ここ10年から15年間関心が高まっている.国連,ILO,EECあるいは,RI,ICPS(国際脳性マヒ協会)などの非政府間機関も,女性障害者の問題にさまざまな角度から取り組んでいる.
今回は,1975年のRI決議で指摘された,障害者を介助する女性に及ぼされる障害の二次的影響を考えたい.この決議は次のように述べている.「障害児もしくは障害者のいる家庭においては,その障害児・者の介助,教育,社会適応にあたる特別な機能が必要となるが,必要なサービスが完備していない場合,これは女性もしくは家事にあたる女性の役割となり,その結果,女性の権利と機会を不当に制限している.」
世界人口の10%すなわち5億人の障害者がいる時,障害をもつ家族員の世話に何らかの形でかかわっている女性も少なくとも5億人はいることを忘れがちである.実際,社会はいつも幼児,病人,そして障害者の世話は,当然その家族の責任であるとしてきたが,特に現代の都市の核家族においては,そのような責任はほとんど女性に負わされている.
しかし,ここで就労,社会福祉等を含む女性の機会平等に関する女性の権利運動について議論するつもりはない.この点についてはすでに合意していることを望む.ここで強調したいことは,介助を必要とする障害者と,その介助を期待されている家族の中の女性との双方に,心から自由な選択があることが重要であるということである.
事実,介助を必要とする障害者とその介助者の人間関係は,非常に微妙な性質のものである.介助にあたっている女性が自由な選択によって介助をしているのではないのなら,あるいは,もし障害者が彼女の世話を心から受け入れているのでないのならば,このような2人(同居を強いられている)の関係は,双方にとって非常に否定的な影響を与え合うにちがいない.それ故,両方の相手の幸福と精神衛生にとって,彼らの人間関係の基盤としての真摯な選択は必須のものである.
しかしながら,自由な選択のためには,さまざまな選択の余地がなければならない.個々のニーズに合ういろいろな形の解決策を社会が責任を持って提供すべきである.残念ながら,現在まで多くの国で提供されている唯一の選択は,家族の女性によるサービスだけである.国によっては法律で,家族に,扶養を必要とする家族の世話を強制している.また他の国々の法律では,主婦による介助を奨励したり,あるいは報奨金を出したりしているものもある.しかし,このようなやり方は,問題に対する正当なアプローチではあり得ない.さまざまな形の解決策が用意されねばならない.
しかし,残念なことに,必要なさまざまな選択を提供している社会は少ない.また,この問題に対するいくつかの解決策を用意し,選択の余地のある所でも,不況による経済危機の結果,再び障害者の介助の責任を家族に求めることがある.
ここ数年,興味をもって自立生活運動の発展を見守っている.この運動も同じ方向に向かっているが,それは,障害者自身が生活の仕方を決め,自分の介助に対する責任は自分で持ちたいという主張からである.彼らにとって介助は,自立生活の決め手であり,自立生活は選択をする能力と定義している.彼らは,誰に介助してもらうかは自分で決めたいと願っており,これは当然のことである.そして女性の側から問題をとらえても全く同じなのである.
女性は,親類の障害者を介助することを道義的に強制されるべきでなく,また道義的に責任があると感じるべきでもない.女性も選ぶことができるべきであり,介助したいと望むときは,必要に応じて家族の協力が得られることがわかっていなければならない.そうでないと,長い間には,最高の関係ですらバラバラになり,両者とも苦しむ結果になる.


分科会SF-4 9月8日(木)16:00~17:30

ニード別課題

聴覚障害

SPECIAL NEEDS POPULATIONS:THE DEAF AND THE HEARING IMPAIRED

座長 Mrs.Indira Shrestha Principal,School for the Deaf〔Nepal〕
副座長 竹島 昭三郎 全日本ろうあ連盟事務局長


聴覚障害について

THE DEAF AND THE HEARING IMPAIRED Indira Shrestha
Principal,School for the Deaf,Nepal


私はネパールのカトマンズ市にある一番大きいろう学校の校長で,その他に聴覚障害者社会福祉協議会の会長も兼任している.ネパールは東南アジア地域の開発途上国であり,開発途上国が抱えている問題とニーズは,聴覚障害者にもあてはまると思う.開発途上国の特別なニーズのいくつかは次のとおりである.
聴覚障害の早期発見は発語訓練や教育に関わる重要なポイントである.それゆえに各関係機関で聴覚障害の早期発見のためにいろいろな検査を行う必要がある.生まれて数カ月の乳児にでさえ検査ができる.生まれた時に聴覚障害になっている可能性のある乳児は検査を受ける必要がある.
聴覚障害に対する予防も非常に重要である.母親のためのプログラムや,聴覚障害の発生を防ぐための保健教育や予防接種が必要である.
マスコミや教育機関を通じて社会的にPRすることは,両親が子供の障害の受容を躊躇して早期治療・早期教育の機会を逃すことがないようにするために必要である.民間で働く人々や各種の団体,地域の人々によるサービスもプログラムの充実に役立つ.
聴覚障害者の教育は,教育機器の整った機関で専門家によって行わなければならない.教育方法も,教師,ソーシャルワーカー,関係者に対して専門性を高める標準的な指導要領を作成する必要がある.
基本的な教育,教科書,手話の本,聴能機器,補聴器,その他必要な機器の紹介を盛り込んだ本の編集が必要である.開発途上国では聴覚障害者は補聴器の値段が高過ぎて買えない.従って,すべての聴覚障害者が購入できるように,安くて使いやすい補聴器を大量生産できるような施策も必要である.
さまざまな分野のリハビリテーションの専門的な訓練プログラムは,自己評価ができるようなプログラムでなければならない.能力のある聴覚障害者の職業に関して,経済的・社会的なリハビリテーションのため,ある一定の割合で政府または民間の会社での雇用を確保する必要がある.
国際関係機関の調整・協力体制も必要である.先進国からの最新の技術・専門家の援助は,聴覚障害者の教育やリハビリテーションのプログラムを推進するために必要である.先進国からの技術援助・専門家の助言,財政援助によって聴覚障害者の福祉の向上に貢献できると確信している.


社会における難聴者の特別のニーズ

SPECIAL NEEDS OF HARD OF HEARING PERSONS WITHIN THE SOCIETY Lars Linden
The Swedish Institute for the Handicapped,Bromma,Sweden


この論文は「聴覚障害者」の中の一つのグループである「難聴者」についてまとめている.
後で聾,難聴,中途失聴,聴覚障害という言葉の違いについて触れるように,聾と難聴の言葉の使用については大きな違いがある.
私はこの論文をイフホ(IFHOH)―国際難聴者連盟の立場からお話する.イフホでは少なくとも団体の中で,これらの言葉の概念の違いを明らかにしてきた.イフホでは私達が納得できるように,次のように定義を定めた.

  1. 聾 (Deaf)
    聴力の損失の度合が最大の人を意味する.一般的には生まれつきまったく聞こえないか,または言語を獲得する前に聞こえなくなった人,補聴器などを使用しても,音声言語がまったく耳から入らない人のことをいう.
  2. 難聴 (Hard of Hearing)
    聴力の程度の違いこそあれ,部分的に聴力が損失した人のことを意味する.音声言語が理解できる程度の残聴のある人や,補聴器などの使用が有効である人.聴力の損失が先天的であろうと後天的であろうと関係ない.
  3. 中途失聴 (Deafened)
    生まれた時は聴力の損失がなく,言語を獲得した後で,青年期や若い時に完全に聴力を失った人を意味する.完全に失聴したとしても,言語を使いこなす力はある.
  4. 聴覚障害 (Hearing Impaired)
    あらゆる程度の聴力損失の人の総体を意味する.

難聴者にとって最も大切なニーズはヒヤリング・アクセシビリティ(Hearing Accessibility)―どこでも聞くことができ,コミュニケーションができることである.ここでは,アクセシビリティとは二つのことを意味する.

  • 第一に日常生活において,難聴者が社会参加する上で妨げになるすべての障壁を取り除くことを意味する.
  • 二つ目には難聴者が健聴の世界において生活できるように,必要なあらゆるコミュニケーションの方法を確立することである.

それゆえに,アクセシビリティにはいろいろなことが含まれる.
補聴器,生活用具,音量調節器付電話,リハビリテーション,カウンセリング,教育など…….それに,難聴者が克服しなければならない経済的,文化的,社会的な障壁も含まれる.

難聴者が必要な施設や設備を活用するのは容易ではない.仮に,整っていたとしてもである.可能性を拒む技術的,医学的,社会的な障壁が多い.難聴者が機器を容易に利用できるようにするために最も重要なことは,一般社会,各団体,会社,政府に対して聴覚障害についての認識を深めさせることである.また同時に,難聴者自身が,聴覚障害であるために受けている社会的不利,施設や設備のアクセスの可能性におよび限界について自覚することも重要である.
コミュニケーションは生活において行動する時の基本である.ほんのわずかな時間で,難聴者の問題やさまざまなニーズを述べることはほとんど不可能に近い.このニーズについて知っていただくために,難聴者の組織とニーズのまとめられたものについて説明をする.
一般に,ある国における聴覚障害者の一番最初の組織は「ろう者」ための組織で,多かれ少なかれ難聴者もメンバーになっている.しかし,多くの「ろう者」の組織は「ろう者」の職業の問題のために活動していたし,現在も続行中であることは明らかである.その後,間もなく難聴者は自分達自身のために組織を形成した.この動きは先進国で早くからあった.これらの組織やオージオロジーの専門家集団を通じて,難聴者の特別なニーズがだんだんと一定化されてきた.難聴者の組織は国際的な機関も設立した.イフホは次のような事柄について難聴者の特別なニーズを定義化した.

  1. 聴覚障害の早期発見
    この早期発見は両親にとって最も重要なポイントの一つである.
    幼児に対する早期検査機関,両親に対する総合的なカウンセリング,障害についての情報提供,難聴児に対する育児の方法は多くの国で要求されている.
  2. 教育
    難聴児に対して特別な教育が望ましいか,統合教育が望ましいかの議論は数十年間も続いていて,これからも続けられる.成人難聴者は普通の学校での難聴児の孤立について報告し,その議論に一石を投じることが必要である.
  3. 中途失聴者に対するリハビリテーション
    突発的に完全に失聴した人への対策は難聴者協会にとって主要な事業の一つである.中途失聴者が直面する問題について一般社会にPRする機会がまったくないがゆえに,この事業の重要性がますます高まっている.読話の訓練を受けない限り,中途失聴者が社会的に適応することは難しい.
  4. 社会的隔離を防ぐ方法
    成人になって聴力が落ちて,前と同じような生活ができなくなった人が直面する社会的隔離の危険性について少しずつ認識が深まってきた.例えば聴力損失が中程度の場合,補聴器が役に立つ.しかし,補聴器のようなテクニカルエイドに適応するのは極めて難しいことだということにあまり関心が払われていない.難聴者団体では,難聴者の悩みを減少するために幅広いカウンセリングを行っている.
  5. 一般社会に対する啓蒙プログラム
    多くの難聴者団体は,一般社会に対するPRをしなければ,聴覚障害に対する態度が変らないし,問題解決のために積極的な協力は得られないということを理解している.
    いくつかの難聴者団体は「コミュニケーションについて」という小さなカードを作成した.イフホは難聴(難聴とは何か)についてパンフレットを発行した.いくつかの団体では,病院の職員に対して難聴者と話す時にはっきりと何回も繰り返して話すようにという内容を記した「病院向けのプログラム」を企画した.
  6. アクセス
    公共の建物や公共機関へのアクセスを獲得したり,維持することは,難聴者にも中途失聴者にとっても重要なことである.他人とのアクセスについては,会議の時に完全に配慮するように努力してきた.この前の7月,スイスのモントレーで行われた第三回会議では次の機器を用意した.
    • イ)オーバーヘッド・プロジェクター(OHP)を利用し,公用語(3ヵ国)で書かれたロールを投影した.
    • ロ)講演者の顔をテレビカメラで取り,読話ができるよう会場の巨大スクリーンに写した.
    • ハ)議論の時は公用語(3ヵ国)で書かれたロールをOHPで投影した.

最後に,モントレー会議で採択された決議を引用してこの論文を締めくくりたい.

イフホの基本的な目的は日常生活における難聴者の完全参加を防げる障壁を取り除くこと,難聴者が健聴の世界で生活できるようにコミュニケーションの方法を確立することである.
このことは聴覚障害のアクセスの原則である.
解決方法は,

  1. 世界中の難聴者が2000年までに,目的を達成できるように完全な聴覚障害のアクセスを確立し,
  2. 難聴者自身が,私達の問題について共に解決するよう,健聴者,専門家,団体,会社,政府に働きかけることである.

聴覚障害児を持つ家族のカウンセリングにおける親の会の役割

THE ROLE OF PARENTS'ORGANIZATIONS IN THE COUNSELLING OF FAMILIES WITH HEARING IMPAIRED CHILDREN

Hannelore and Klaus Hartmann
Bundesgem inschaft der Eltern und Freunde schwerhoriger Kindere.V.,Hamburg,FRG


独自の全国的組織

「全国難聴児を持つ親の会」は1965年に設立された.全国的な独立した組織は4つ(ろう者の組織,難聴者の組織,ろう児を持つ親の組織,難聴児を持つ親の組織)あり,そのうちの一つである.これらの組織は互いに密接な関係を持っている.
ここ30年の間,ドイツ連邦共和国のさまざまな政府関係機関より障害者と家族の権利を擁護するために代弁者となる組織を形成することを望む声が多くなっていると指摘されてきた.障害や障害者の地位の向上をめざす政策に関する多くの小冊子にて,自助組織の必要性が繰り返し強調された.
1965年の結成以来,全国難聴児を持つ親の会は着実に増大していった.今や,約800人程度の会員がドイツ連邦共和国の内外におり,支部(地域組織)は21あり,ベルギーとブラジルの外国の親の会とも密接に連絡を取り合っている.

活動の範囲

全国レベルでの調査:聴覚障害の早期発見
ここ数年間,全国難聴児を持つ親の会の活動の主要なポイントの1つは,幼児に対する聴覚障害の早期発見のための検査の必要性を一般社会にPRすることだった.そのために,私達はいくつかの全国レベルでの調査を1976年,1980年,1984年に実施した.4回目の調査は,今年の秋に実施される.これらの調査はアンケート方式によって行われ,ろう学校または難聴児学校に在学している小学部2年生の児童の両親に対して行われた.例えば,「聴覚障害に気づいたのはいつですか,診断を受けたのはいつですか,いつ補聴器をかけましたか,早期教育を受けたのはいつですかなど.これらの調査の準備と評価はKlaus Hartmannが行った.
概して聴覚障害児が障害を持っているのではと疑われ,検査を受けた年令というのは,普通の子供が言語と獲得する時期である.診断を受けてから補聴器を使用するまでの時期は,大きな意味を持つものである.聴覚障害児の発達は,普通の子供と比べてしばしば停滞する.アンケートに対して多くのコメントが書かれてあり,大半の両親は情報が少なく,カウンセリングも十分に受けられなかったことが明らかになった.

小冊子・パンフレットによる情報
これらの調査の結果,全国難聴児を持つ親の会では,両親の間から不満の出ている情報のギャップを埋めるために,情報を提供する小冊子を用意することを決定した.1976年に「難聴児を持つ両親のためのガイド」を発行し,毎日または毎週発行されている新聞や,特に購読層が両親になっている雑誌に対して見本を贈呈した.小冊子は,1985年に発行した時には多くの項目,特に就学前の教育,家庭生活,教育に対する提案などが加えられる程になった.
70年代の後半に会員が増えるに従って,両親達は,もっと細かい情報の提供を望むようになった.教育に加えて補聴器等の聴覚機器の情報提供の要望があった.この要望に応えるために「両親のための聴能機器紹介ガイド」を増刊として発行した.このガイドは聴覚障害の医学的説明,補聴器の使用方法,補聴器と他の機器の組み合わせ方,赤外線を使った機器,磁気ループシステム等々.第二回目の発行は,今年の秋の予定である.
第二回の聴覚障害の早期発見に関する全国調査によって,メモランダム方式で結果を公表するならば,より多くの人に読んでもらえるだろうと確信した.私達は政治家に対しても,ただ聞いてもらうだけでなく,行動をとるように要求した.1981年に最初のメモランダムが発行され,1985年に第二版が出された.1989年には,四回目の全国調査を行い,第三版を出す予定である.
難聴児や親の会について問い合わせてきた親,その他の人々に対する多くのパンフレットを作成した.パンフレットには「難聴とは何か,普通の学校での難聴児,子供に対する補聴器の調節方法,テレビ番組と字幕スーパー,難聴児に推める本」などの項目がある.
私達のねらいは親達への情報の提供だとしても,もちろん,私達の組織自体の最低限度のPRは必要であり,行われなければならない.それで,私達は全国難聴児を持つ親の会についてのパンフレットを作成し,また全国難聴児を持つ親の会が組織委員会の責務を果たした1980年のハンブルグでの最初の難聴者国際会議のために,親の会の活動および提携している団体を紹介した小冊子を作成した.
1981年以来,年に一回行われた大会の議事録を発行し,事情により大会に参加できなかった親達に,議論された最新の情報を伝えるようにした.見すごされがちのことだが,難聴児を持つ両親はベビーシッターを見つけるのが難しいために,この大会に参加して情報を得るという機会がかなり少い.発行された議事録は,読んで単に最新の議論を理解するだけでなく,配偶者や同じように都合により参加できなかった親達と議論を交わすことができるようになっている.

大会,セミナー等
私達は,総合的な知識を持っている親達だけが子供に関する問題で活動することができると信じている.親達に対して,明確なアドバイスを与えるよりは,あらゆる角度からの考え方を提供する必要があると思う.親達が子供を教育する責任は誰一人肩代わりすることはできない.だからこそ,親達が選択できるように十分な知識や情報を与える必要がある.このことは大会で実行されている.他にも多くの問題がある.特に教育の分野においては違った方法によるアプローチ(例えば,早期発声・聴能訓練など)がある.親達が選択できるようにいろいろな方法を知識として貯えておく必要があると思っている.
好ましいことに最近は大会で夫婦の姿が見られるようになった.つまり,大会終了後も家に帰ってから議論ができる.子供達も連れてくるようになる.特に若い人達にとって,出会いの場があることは,お互いにいい刺激になるかもしれない.今年の大会終了後,16歳になる若い人が「私は今,前の自分との違いを感じる.もはや,特別な存在ではない.他の人と話して,自分というものがより分かるようになった」と話してくれた.
年に何回か,私たちは土曜日・日曜日を利用したセミナーを難聴児を持つ親や難聴の兄弟姉妹のいる家族のために開いている.セミナーでは,いつもどんなことでも議論できるように円形テーブルを用意し,できるだけ幅広い範囲からテーマを選んでいる.家族でこのセミナーに出席することは,全員に大きなプラス効果をもたらす.ベビーシッターは必要でないし,親達も週末の間,同じテーマで議論を交わすことができる.健聴の兄弟姉妹も他の難聴児と交流ができるし,他の家族の健聴の兄弟姉妹とも交流ができる.
年に一度,私達は地方や地域の親の会の代表を集めて会議を開き,新しいトピックスや開発された新しい機器(例えば,補聴器関係)の情報を提供している.

カウンセラーと協力

全国難聴児を持つ親の会の理事会は親達や一般の人,聴覚障害の分野で訓練指導を担当している人が理事になって構成されているが,それ以外の人もできる.理事は全員無報酬で活動を行っている.
自分の子供が聴覚障害を持つ両親は,多くの情報を必要としている.こういった情報は親の会でまとめられており,入手できる.場合によっては,ある施設で経験した,あるいはある理論で実践した経験をもとに,他の親達に伝えることができる.
しかし私達は,親であることだけで,背景の異なった他の親達にカウンセリングができるということにはならないことも知っている.私達自身の体験以上に,客観的に見る眼が必要である.ある施設やある人と論争し,ライバルに勝つことを目的としない公平な眼が必要である.親の会の理事全員が専門的な知識を十分に持つ必要はないと思うが,何人かは必要である.専門家の人達と継続して密接に協力し合うことは重要であり,さらに問題点や見解について総合的な議論をする必要がある.この協力関係は,協力者としてお互いの立場を尊重してこそ有意義なものになる.

財政

私達が開催する年に一度の大会に対する連邦政府からの補助金を除いては,毎年,貯えられた利益の助成金事業を行う「ドイツ社会福祉連合会」から寄付金を得ている.組織の運営資金として連邦政府から継続的でまとまった助成金を要求したいと思ってはいるが,今のところは希望にすぎない.公的には独立を主張して推めておきながら,一方で財政があまりにも乏いことは不本意である.


聴覚障害者の福祉

THE WELFARE OF DEAF PEOPLE IN JAPAN

河合 洋祐
全日本ろうあ連盟


日本における障害者対策は,明治維新による近代国家成立後においても救貧恤救の社会政策の一環として扱われており,その身体障害者も富国強兵の国家政策の犠牲者である日清・日露戦役の傷痍軍人を対象としたものであった.この時代に生きたろうあ者の例として,無銭飲食をして警察に捕らえられたろうあ者が,取り調べが終って釈放される時,そのまま檻房に残してほしいと嘆願した話がある.理由は釈放されても働く場所は何処にも無く,その日の食べ物にも事欠くが,檻房にいる限りは不味いものではあっても朝・昼・夜の三食が出してもらえるというのであった.
聴覚障害者の学校教育は1878年に京都の盲唖院で始められた.しかし,ろうあ者で教育を受けられた者は,極く少数の富裕階級に属する人たちであった.その結果,太平洋戦争が終結した.1945年以前のろうあ者の就学率は20%程度といわれている.日本の教育水準は高く,健常児の90%以上が就学している事実を考えると,差別の大きさをあらためて感じざるを得ない.
更にろう教育が福祉面に深い影響をもたらしたものとして,手話の全面的な禁圧と口話法教育への統一がある.1920年頃より普及を始めた口話法は,ろう教育を飛躍的に発展せしめた反面,聴覚障害児に健常者に対する抜き難いコンプレックスを植えつけてしまったといえる.そのため口話の上手な生徒が優秀児であり,手話でしかコミュニケートができない生徒は劣等児というイメージが作られるに至った.このことが聴覚障害者の社会生活に欠くことのできない手話通訳者への要求を抑制させる働きをなした.行政側も聴覚障害者の実態に関する情報をろう学校に頼っていたため,最先端の福祉機関のケースワーカーであっても手話を全く理解せず,聴覚障害者には口を大きくして話すか,筆談で充分会話が可能と考えられていた.
1945年の太平洋戦争の敗戦により,国家体制に大きな改革が加えられ,身体障害者の選挙権も認められていなかった帝国憲法から主権在民を明確にした新しい憲法が制定された.続いて教育基本法に特殊教育の義務化が実現し,学校施設の整備と共に1965年以降は殆んどの聴覚障害児が教育を受けることができるようになった.
1949年に身体障害者福祉法が生まれ,市町村単位に福祉機関が設置され身体障害者手帳が交付された.そして各地に身体障害者団体が設立され,行政との交渉も始まった.聴覚障害者は戦前の1915年に日本ろうあ協会を設立しているが,全国的な組織というより東京のろう学校卒業生に大阪ろう学校等の卒業生を加えた範囲のものだが,演劇活動や雑誌の刊行等の活動をしていた.戦争の激化と共に消滅したこの団体は,戦後の1948年に全日本ろうあ連盟として再生された.しかし,地方組織の殆んどは身体障害者団体のろうあ部会として存在していた.そのため,中央においては聴覚障害者独自の要求として,聴覚障害者のいこいの場としてのろうあ会館の建設,聴覚障害者への理解をもつ手話のできる身体障害者福祉司の設置等を働きかけたが,地方では身体障害者団体の枠内の活動であり,しかも,手話通訳者がいないため,会議においてもお客様となってしまい,行政側に要望を出すということもできないでいた.
この間日本は見事な経済復興を遂げ,労働市場が急速な変化を示し,労働力の新たな拡大が望まれた.これに対応して厚生省は聴覚障害者専門の職業訓練機関を設置することとし,1958年に,国立ろうあ者更生指導所」を設立し,ろう学校修了者や中途失聴者を対象として印刷・タイプ・洋裁・クリーニング・弱電の5種目を1年間指導して企業に就職させた.殆んどが中小企業で給与も安く,労働条件も劣悪であったが,技術を持つことによって自立への道を歩みはじめたのである.
日本の経済復興は国民の生活を潤しただけでなく,企業による環境汚染という深刻な社会問題を惹き起し,水銀中毒で有名な水俣事件によって,身体障害者問題が国民の身近な問題としてにわかに意識されるようになった.この国民的関心を背景として1970年に「心身障害者対策基本法」が制定された.この福祉法の特長は,国及び地方自治体の身体障害者に対する福祉への努力義務を明文化したこと,障害者の範囲を内部障害者まで拡げたこと,そして障害別の具体的対策の措置を伴ったことが挙げられる.
全日本ろうあ連盟は,戦後の新しい民主主義教育を受けた世代の中でも高等教育を受けた者を中心に障害者主体の運動の展開を1965年を境に強力に押し進めるようになり,人間として生きるに適しい保障を求めて,聞く権利,知る権利の主張をはじめた.この権利を具現化するため,独自に手話通訳者の養成に努め,また,参政権の保障として立会演説会に手話通訳者を付ける運動も起こした.これら聴覚障害者団体の動きもあって,厚生省は1970年に「手話奉仕員養成事業」を実施したのである.手話通訳者の存在は全く無視され,行政においても学校教育でもまた一般社会でも認められることはなかった.厚生省のこの措置によって,都道府県が一斉に手話通訳者養成のための講習会を開設し,やがて市町村にまで拡がり,手話学習人口2万人とみなされるまでに発展した.
全日本ろうあ連盟は手話通用のみならず,運転免許についても欧米諸国並みの運転免許獲得の運動を全国的に進め,道路交通法88条の改正には至らなかったものの,1973年に施行規則23条の聴力テストに補聴器の使用が認められるようになった結果,多くの聴覚障害者が運転免許を取得できるようになった.更に1974年に準禁治産者を規定している民法11条から耳の聞こえない者,口のきけない者という部分の削除を求め,1980年に国会で削除が議決された.
聴覚障害者は「ことば」の障害という大きなコミュニケーション上の問題を抱えているが,1960年につくられた「身体障害者雇用促進法」が1976年に改正され,障害者を採用しない企業への納付金制度や雇用率(官公庁1.9%,民間企業1.5%)の明確化により大企業への就職の道が拓かれた.しかし,企業側の障害者に対する受け入れ体制は充分とはいえず,身分の不安定や人間関係の難しさを訴える者が跡を断たない.更に中高年の聴覚障害者たちは労働条件の悪い職場に取り残されており,老齢化社会と共に深刻な問題となっている.国は低額所得の重度障害者に対して年金制や福祉手当等を支給しているが,就職の殆んど困難な重複障害者の生活維持が可能なほどの金額とは言い難い.
国際障害者年を機に政府をはじめ,地方自治体においても多様なプロジェクトが組まれており,都道府県のみでなく,各市においても聴覚障害者のために,手話講習会,手話通訳派遣事業,社会教養講座,文章教室等を実施しており,働く聴覚障害者の立場を考慮して定期的に夜間に手話通訳付きの話し合いの場を設けるところも増えてきている.これらの各種事業は厚生省の「社会参加促進事業」として国の助成の対象としている.聴覚障害者に必要な日常器具のバイブラーム(バイブレーター付目覚し時計),パトライト(訪問客を知らせる回転灯),ベビーシグナル(赤ちゃんの泣き声を信号灯の点滅や腕時計型バイブレーターで知らせる)等の支給や手話通訳者の養成,設置,派遣が含まれている.
手話通訳については,全日本ろうあ連盟の制度化への強い要望があり,1982年より3年をかけて制度化の調査検討委員会で検討を加え,その報告書をもとに手話通訳の認定試験制度を実施するための準備が進められている.
手話通訳制度化調査検討委員会の報告書によれば,国の認定資格をもつ手話通訳者が聴覚障害者100人に1人の割合で公共機関に配置することを述べている.もし,これが実現すれば,聴覚障害者の福祉は大きな発展が期待される.全日本ろうあ連盟としては認定された手話通訳者の設置・派遣を含めた完全な手話通訳制度が速やかに実施されることを強く要求し,運動を継続する方針でいる.
日本におけるろうあ運動は,聴覚障害者の福祉のみを追求する運動ではない.健常者である手話通訳者を共に歩む仲間として考えているように,国民全体の福祉を目指しその立場から人間の尊厳を守るためにも差別は認めない,民主主義の原理を貫くためには社会の不平等は許さないとする理念のもとに活動している.
この意味で,前述したろう学校教育において,手話が聴覚障害者に重要な言語として確立されていることを認めず排斥を続けてきたことに対し,その姿勢が単に手話という教育方法の否定でなく,聴覚障害者の主体性への否定につながる健常者優位の社会通念や価値観から生まれたものとみている.そのため,学校教育における正しい手話の位置付けを求める運動を進めると共に,手話についての本格的な研究を政府に要望している.
聴覚障害者への偏見が手話に集約された形の日本においては,教育の段階において,教師や父母たちに聴覚障害の事実を受け入れ,それを克服する意欲が幼いときから育てるようにしてほしいと願っているからです.そのため,手話が一番よく理解できるコミュニケーションの方法であるなら自由に使える周りの理解を拡げねばならない.聴覚障害者が自らの意志で生活を築き,自らの選択による人生を歩むことのできるよう,人間としての成長を求め,社会に積極的にアプローチしていけることが究極の福祉への道であると思われる.


日本における難聴者運動の現状と課題

THE PRESENT STATE AND PROBLEMS OF THE MOVEMENT OF THE HARD OF HEARING IN JAPAN

田島 政雄
全国難聴者連絡協議会


日本では,耳の不自由な人を総称して「聴覚障害者」と呼んでおります.しかし,このなかに,どんな状態の人たちが含まれているのか,という点に関しての認識は,社会に十分に浸透しておりません.
このなかには,ろう者,ろうあ者,難聴者,中途完全失聴者などが含まれ,私たちは,生まれつきのろう者,ろうあ者の人たちを除くすべての人を難聴者として抱えこみ,運動を進めてきました.ですから,私たちの輪のなかには,補聴器をつけている人から,途中で完全に聞こえなくなり,補聴器を使えなくなった人まで,たんへん範囲の広い人たちが含まれています.このため,私たち難聴者の共通要素を単一のことばで表現しにくい,という問題を抱えています.日常のコミュニケーション手段としては手話を使っていないとか文字やことばへの依存度が大きいとか,生まれつき障害を持っている人と社会条件,生活条件が異なるとか,いろいろあげられますが,このことが一層,私たちの状態をわかりにくくしています.
それに,日本においては,ろうあ運動が圧倒的に先行しているため,聴覚障害者=ろうあ者=手話という短絡的な図式の理解がまだ残っており,用語のうえでも,現実のうえでも,私たちの存在を社会的に“特定”させることが重要な課題になっています.
日本の国の法律である「身体障害者福祉法」の別表には,( )で「ろう」という言葉が入っていますが,「難聴」という言葉は入っていません.このため,私たちはこの法律の改正時に,「難聴者という言葉を入れてほしい」と要望したのですが,実現しませんでした.また,NHK教育テレビで週一回,「聴力障害者の時間」という番組がありますが,これも当初は手話を使えるろうあ者を対象にして作られたもので,やっと最近,私たち難聴者のために字幕の部分が少し増えてきた,というのが実状です.
さて,私の属しております「全国難聴者連絡協議会」はことし創立10周年を迎えました.日本の場合,地方の協会が先行しておりまして,地方の協会が先に生まれ,その連合体として全国の組織ができました.ですから,地方の古いところでは20年を経過しております.全国の方は昨年から民間財団や厚生省のご協力を得て,初めて「全国難聴者実態調査」(予備調査)にかかっており,歴史は10年ですが,本格的なスタートを切ったばかり,難聴者運動元年といっていいかと思います.
全国の難聴者組織はまだ一体化しておらず,ほかに2,3の団体がありますが,活動主体としては,私たちの団体が中心的な役割を担っております.
現在,全国35協会が加盟し,会員は約3,000人.これは分担金納入者の数で,実際は会費免除者などを含めると4,500人ぐらいになるものとみております.加盟していない組織の人を加えても1万人にも及びません.
国の基準による障害者手帳を所持している聴覚障害者は全国で35万4,000人(62年調査)います.このうち90%近くが難聴者,中途失聴者であることを考えますと,たいへん低い組織率で,まだまだこれからという状態です.
次に,私たちが進めようとしている運動の方向,活動の方向を紹介しながら,難聴者の課題を検討していきたい.
第1に,機関誌『新しい明日』の年4回発行から隔月年6回発行への転換を機に,未組織地域を開拓,5ケタ,つまり1万人台の会員獲得をめざしたい.これは,単に組織を拡充するということではなく,仲間の輪を広げ,難聴者の福祉を進める“場としての核”を強化することでもあります.
第2に,上の問題とも関連しますが,現在,任意の団体であるこの全国組織を,認可を得た法人に脱皮させたい.任意の団体である限りは社会的認知を得にくいうえ,PR力も弱い.それに,大口寄附はすべて課税対象になるため,企業や団体からの寄附協力を受けにくく,活動しようにも財政的に動けない,という状態になっています.多くの困難が予想されますが,なんとか実現したい.
第3に,私たち難聴者,中途失聴者には,ろう者の手話のような強力な中核的コミュニケーション手段はありませんが,オーバーヘッドプロジェクターやノートをつかった要約筆記というコミュニケーション手段があります.現在,全国のこのボランティアは約70団体,1,000人とみられています.手話通訳ボランティアの2万人,手話を学んだことのある人20万人に比べても,あまりにも少ない.これを増やし,将来は専門の「福祉士」の資格を認められるようにしたい.現在,要約筆記ボランティアの団体(全国要約筆記問題研究会)と協力し,検討を進めている段階です.日本語の場合は欧米語と違って,同時通訳的に速くタイプで打ちにくい言語構造になっていますが,パソコンを使ってスクリーンに映し出す方法なども検討しています.
第4に,具体的な課題として,テレビや映画などの映像物に字幕や手話を挿入したビデオを作成し,貸出すビデオ・ライブラリーの構想についても努力をつづけていきたい.日本では欧米と違って,テレビに字幕をなかなか入れてもらえない,という事情があり,その暫定対策です.
第5に,私たちは全国組織として,共通の耳のンシボルマークを持っております.これを全国に普及させるとともに,病院,役所,銀行など難聴者の利用する場所の窓口に貼ってもらい,不便を少なくしたいと考えております.
第6に,会員拡大,社会との接点拡大も兼ね,現在,青年部のみの世代別専門部を婦人老年にも拡大したいと考えております.とくに,日本は長寿社会に入り,高齢化の状況を呈しています.障害者手帳を所持しない,老人性難聴者を含めますと,難聴者は200万人とも,300万人とも言われ,老年部の設置がこれら多くの人たちとの接点,言いかえれば社会との接点拡大につながるものと期待しております.
全体的に,私たち難聴者は聴覚障害者のなかで,中,軽度の障害者と位置づけられることが多いので,重度の人も抱えておりますが,全体に社会参加の度合いが濃い仲間たちが多いので,閉鎖的ではなく,より社会に開かれた団体,開かれた運動を志向していかなければならないだろうと考えています.


カナダの重複障害をもつ聴覚障害児に関する調査

A STUDY OF MULTIPLY DISABLED DEAF CHILDREN IN CANADA J.C.MaCdougall and D.MaCleod
Dept.of Psych.,McGill University,Montreal,PQ,Health and Welfare Canada,Canada


はじめに

聴覚障害に関して,もっとも大きな議論を呼ぶ分野のひとつに,長い間くりかえされているコミュニケーション方法をめぐる論争はさておいて,重複障害をもっている聴覚障害児者についての問題があげられる.Moores(1987年)は,この分野に関して広範囲に再検討した調査報告の中で,解決しなければならない多くの問題を指摘している.たとえば,重複障害の定義については,かなりの意見の食い違いがある.アメリカ公法94-142号(1975年)は,重複障害を次のように定めている.重複障害とは,精神遅滞,精神遅滞を伴う肢体不自由など,障害が相伴っているものである.すなわち,障害が重なっているため,教育上きわめて困難な問題が生ど,ひとつだけの障害のため特殊教育プログラムに適応することができない.」多くの教師と保健の専門家によれば,この定義はあまりにも限定しすぎており,視覚障害,保健問題,情緒障害,知覚異常,精神遅滞やその他の障害を含めて障害の枠をもっとひろげるべきだと意見が出されている.Gentile & McCarthy(1973)による定義は「付随的障害とは,聴覚障害児の教育の困難度を増すような,身体的,精神的,情緒的あるいは行動上の障害である」としている.後者の定義はMooresが指摘しているように,法的定義と基本的に違った考えを示している.
その他に,重複障害児者の診断と評価についての問題がある.重要なことは,かなりの重複障害をもっている聴覚障害児を診断する専門家の養成の適切性である.診断を行う専門家が,聴覚障害に関する専門的知識をもっていないことがあり,したがって,行った評価そのものが正しくない場合がある.ほかに重複障害をもつ聴覚障害の分類についての問題がある.精神遅滞や多種な形の情緒障害の評価はもともと疑わしいもので,一層,問題が複雑になっていく.
本研究は,重複障害の分布状態をつかむために,カナダ中の聴覚障害児の資料記録に基づいて情報を得ようとしたものである.また,重複障害と被験児の病気との因果関係とそのパターンをさぐろうとしたものであり,本研究資料は,カナダの重複障害をもつ聴覚障害児問題の理解に役立つ基本的な第1歩である.

方法

アンケートは,本研究のために作成し,カナダ全土にある1,600以上の関係機関の協力のもとで行われた.およそ8,000名の聴覚障害児を対象にし,質問は,年齢,性別,失聴原因,失聴時の年齢,聴力レベル,視覚状態と重複障害の有無についてであった.

結果

表2は,回答にあった失聴時の原因に関するカナダの聴覚障害児のパーセントを表す.出生前に原因がある聴覚障害は10%,出生後の聴覚障害は24%,遺伝性は16%,その他の原因は9%,原因不明となっているのは51%で,これは非常に高い割合である.表3は,身体障害,心理的障害など重複障害をもつカナダの聴覚障害児のパーセントを表している.表1は,カナダの聴覚障害児の聴力レベルを表したものである.
カナダの場合,聴覚障害の原因のうち,50%以上が原因不明となっている.遺伝性が16%,妊婦の風疹が9%(ノバスコティア州では19%と回答されている).髄膜炎が6%,出生時の外傷が5%となっている.これらが,当時の調査対象となった聴覚障害の主な原因である.
被験児の30%が著しい身体的,心理的障害をもっていた.認定視覚障害は約5%,脳損傷は約2%,肢体不自由は2%,脳性麻痺が3%で,その他の障害もわずかであるが,報告されている.精神的重複障害については,被験児全体の7.3%が精神遅滞,7%が情緒および行動障害,9.2%が学習障害,そして5%がほかの関連障害をもっていた.表1は被験児の聴力レベルが中度から重度にわたっていて,さまざまであることを示している.

考察

表1 カナダの聴覚障害児の聴力レベル

聴力低下の程度 dB 人数
正常 0~20 336 4.5
軽度 21~40 991 12.0
中度 41~55 1087 14.3
やや重度 56~70 1000 13.2
重度 71~90 1481 19.5
非常に重度 91~110 2146 28.3
測定不可能 >110 613 8.1

(注)値はn=7577に基づく。325人(4.1%)についてデータなし。
補聴器装用なしでよく聞こえる方の耳を3つの周波平均(500Hz,1000Hz,2000Hz)で検査。

表2 カナダの聴力障害児の失聴原因

失聴原因 人数
出生前 796 10.2
出生後 1901 24.4
遺伝 1306 16.8
その他 734 9.4
不明 3992 51.3

(注)値はn=7784に基づく。118人(1.5%)についてデータなし。
パーセントが全部100%にならないのは、回答が重複していたため。

表3 カナダの聴覚障害児の重複障害

重複障害の種類 人数



感覚 359 4.7
肢体 364 4.8
神経 497 6.5
その他 554 7.3
なし 6403 84.3




精神遅滞 557 7.3
情緒/行動障害 531 7.0
学習障害 699 9.2
その他 403 5.3
なし 5847 77.3

(注)値はn=7591に基づく。311人(3.9%)についてデータなし。
重複回答のためパーセントの合計が100%になっていない。

本研究で被験児の少くとも50%が聴覚障害の原因が不明となっていることが大きな発見である.もうひとつは,被験児の30%がかなりの重複障害をもっていることがはっきりとわかった.重複障害に関するこの資料データは,以前アメリカで行われた(Craig & Craig,1985)資料データと比較ができる.しかし,判明した原因の全体の割合について,かなりの違いがある.カナダの調査資料ではおよそ50%となっているのに対して,アメリカの場合は約35%(Rawlings & Gentile,1970)と回答されていることである.

結論

本研究で,カナダの聴覚障害児のかなりの割合,すなわち約3分の1がまちがいなく身体的,精神的障害をもっていることが確認された.この事実は,聴覚障害児の教育およびリハビリテーション対策・実施計画にとって重大な意味をもつ.
教育において,聴覚障害児の3分の1が重複障害をもつという事実はメインストリーミングの動向に重大な影響を与える.聴覚障害児の普通クラスへの統合はどんな状況にあってもきわめて困難であるが,聴覚障害児が重複障害をもっていれば,それはさらに困難になる.それゆえ,すべての聴覚障害児を普通学校へ統合させようとする場合に,教師は最大の注意を払わなくてはならない.
カナダのように人口密度の低い国では,どんな地域にも特殊なニーズををもつ児童の数が少なすぎて,教育がしっかり行き届いていないケースが多い.したがって,児童一人ひとりの教育的可能性を最大限に伸ばすようにするためには,児童の発達の一定段階において中央集中的プログラムを実施することを考慮する必要もある.
リハビリテーションと保健計画にとっても,実際に,かなりの重複障害をもつ聴覚障害児の割合が高いということは重大な意味がある.聴覚障害児が重複障害をもっているために,聴覚障害に関する専門的教育を受けていない専門家が,その子どもに接しなければならなくなる場合がある.このような関連分野の専門家は,精神遅滞,身体障害,視覚障害あるいはその他の障害に関わる分野においては専門知識があるだろうが,聴覚障害に関する問題がわからない場合が多く,そのために,適切な重複障害児プログラムをすすめるのが困難である.さらに,聴覚障害に関して訓練された専門家は,特殊なニーズをもつ子どもに適したプログラムをすすめてく上で必要なリハビリテーションの関連分野における専門家的知識を習得していないことが多い.
したがって,身体的精神的障害が聴覚障害に与える影響に関する情報をふくめた聴覚障害分野の専門家養成を拡充するべきであることは明白なことであり,同時に,聴覚障害を除く分野にあるリハビリテーション専門家養成に聴覚障害に関する情報を取り入れるべきである.理学療法士,言語療法士と作業療法士,心理学者やソーシャルワーカーを含むさまざまなリハビリテーション専門家が重複障害をもっている聴覚障害児のリハビリテーション過程に関心をもつべきである.重複障害児が十分な援助を受けられないままに現在にいたっているのは,この比較的少い数の子ども(カナダ全体で2,600人)のための適切で費用を惜しまないプログラムを計画するのが依然と困難であるという理由だけでなく,関連分野の専門家の連携不足がかなり以前から続いているためである.最後に,また,リハビリテーション分野で,感音性聴覚障害の諸事実を一層認識し,また,リハビリテーション専門家の連携をもっと深めれば,相当の重複障害をもつカナダの聴覚障害児2,000人以上の生活がめざましいほど向上するであろう.

〔参考文献〕

  1. D.F.Moores,“Educating the Deaf:Psychology,Principles and Practices”.Houghton Miffin.Boston,MA,1987.
  2. United States Public Law94-142,“The Education of All Handicapped Children Act of 1975”,November 1975.
  3. A.Gentile,and B.McCarthy,“Additional Handicapping Conditions Among Hearing Impaired Students, United States: 1971-72”.Washington,D.C.,:Gallaudet College Office of Demographic Studies,Ser.D.No.14,1973.
  4. W.Craig,and H.Craig,“Directory of Services for the Deaf”.American Annals of the Deaf,pp.130,1985.
  5. B.Rawlings,and A.Gentile,“Additional Handicapping Conditions,Age of Onset of Hearing Loss,and other Characteristics of Hearing Impaired Students.United States: 1968-69”.Washington,D.C.Gallaudet College Office Demographic Studies,Ser.D,No.3,1970.

分科会SF-5 9月8日(火)16:00~17:30

社会リハビリテーション

―北欧方式―

SOCIAL REHABILITATION:THE NORDIC APPROACH

座長 Linnea Gardestrom Swedish Central Committee for Rehabilitation〔Sweden〕
副座長 奥野 英子 国立身体障害者リハビリテーションセンター


社会リハビリテーション

―北欧方式―

SOCIAL REHABILITATION:THE NORDIC APPROACH

Greta M.Cederstam
The Norwegian Commitee of Rl,Norway


本分科会のテーマは「社会リハビリテーション―北欧方式―」である.
1986年に開催されたRI社会委員会において,社会リハビリテーション」および,その他の関連用語の定義が検討され,それらは次のとおりである.
「社会リハビリテーションとは,社会生活力(social functioning ability)を身につけることを目的とした一つの過程である.社会生活力とは,さまざまな社会的状況の中で,自分のニーズを満たし,最大限の豊かな社会参加を実現する権利を行使する能力を意味する.
機会の平等化とは,物理的・文化的環境,すなわち,住宅・交通機関,社会・保健サービス,教育・労働の機会,スポーツやレクリエーション施設を含む文化的・社会的生活など,一般の社会システムを,すべての市民に利用可能にする諸過程を意味する.
ここで重要な2つの原則は以下のとおりである.
社会は,すべての市民が完全に参加できるように計画されなければならない.障害をもつ人々が自分の希望するどんな活動にも参加できないとしたら,それは,社会の欠陥とみなされるべきである.
障害をもつ人々は,自分のリハビリテーションの目標を決定し,自分の望む人間関係や自分が生活したい地域社会・環境を,一般市民と同じように自分で選択できるようになっていなければならない.」
上記のステートメントは,やや欲張りすぎた内容かもしれない.しかし,その意味するところは真剣であり,重要なのである.ここで問題となることはただ一つであり,それは上記ステートメントの内容をいかに実現するかである.
この分科会のテーマは「北欧方式」である.ここで我々が,北欧4ヵ国それぞれの国のアプローチではなく,「北欧方式」として一つにくくることができるのは,何故だろうか.その理由はもちろん,北欧4ヵ国は共通したイデオロギーや文化的背景をもっているからである.
デンマーク,フィンランド,ノルウェー,スウェーデンの北欧4ヵ国は,障害をもつ人々に関する政策については,同じ方向に進むことに同意し,過去から現在に至るまで足並みをそろえてきたのである.この4ヵ国すべてにおいて,次のことが,少なくとも理念的には,承認されている.すなわち,「障害をもつ人々は他の一般市民と同様に,自立生活を営む権利をもっている.」ということである.
それに向っての大きな歩みがなされてきた.ノルウェーにおいてはかなり前から,「市町村は,一般市民を対象に果たす責任と同じ責任を,障害をもつ人々に対しても果たさなければならない」ということが公認されている.この市町村の果たすべき責任の中には,住宅,教育,雇用,交通,住宅サービス,社会的活動等が入っている.従って,身体障害をもつ児童は通常,普通学校の中に統合化されている.しかし,数多くの精神薄弱児については,現在までのところ,統合教育にはなっていない.これまで,精神薄弱児・者のための教育・福祉対策として,施設処遇が良い解決方法であるとみなされてきたが,1988年に「精神薄弱児・者も市町村の管轄下に入れなければならない」という議案が国会において決議された.この法律によって,大規模な施設が全廃され,精神薄弱児・者が地域社会の中に統合化されることになるのである.
本日ここに,北欧方式の3つの局面について,さらに深く検討したい.スウェーデンのMrs. Birgitta Anderssonからは,自己と自己の可能性への確信について,デンマークのMr.Nils Shultzからは「リハビリテーションへの全体論的アプローチ」,フィンランドのMrs.Heidi Helenius,Mr.Kalle Konkola,Mr. Seppo Matinvesiからは共同発表として,「新しい方向づけによる社会的統合―理論と方法」について発表していただく.


自己と自己の可能性への確信

BELIEVE IN YOURSELF AND YOUR POSSIBILITIES

Birgitta Andersson
Swedish Central Committee for Rehabilitation,Sweden


私はこれから,リハビリテーションやハビリテーションに関わる私の仕事や,過去7年間に見い出した新たな方法,および,今後も再検討し改善していきたいと思っている方法等について発表したい.それは一プロジェクトとしてスタートしたが,現在では,ストックホルム郡協議会の社会リハビリテーション活動の一つとして確立されている.
その活動の目的は,若い障害者が自分のニーズに合ったサービス,介護,住宅および仕事を自分自身で見い出し,手に入れることを援助することである.
我々の活動は,若い重度障害者を援助することを意図している.彼らのほとんどは,移動動作を困難にしている肢体不自由ばかりでなく,言語障害,記憶障害などももち,自分の人生を自分で組み立てることも困難な状況にいる.介護の方法とは,単に衣服の着脱の介助とか食事の介助以上に複雑なものである.皆様もご承知のとおり,重度障害のために介護を必要とする理由で,施設の中で生活したり,年老いた親との生活を余儀なくされている人々が世界中に沢山おり,彼らは決して,自由で自立した生活を営む機会がないのである.政治家,ソーシャルワーカー,福祉事務所職員,医師,施設職員,心理専門職等が,このような異常な生活状況を作っているのである.これらの専門職者たちは,障害者一人ひとりの能力を低く見ており,同じ年令層の非障害者よりも,障害をもつ若者の権利をないがしろにしているために,このような態度になるのである.
スウェーデンのような国においてさえ,長期的に医療を受ける施設で生活している若い障害者が(その数は少なくなってはいるが)まだいる.また,施設の中で生活していると同じような方法で援助を受けている人達の数はもっと多い.
これは何を意味するかというと,「個人」になる機会と権利を若い障害者が持っていない,ということである.その理由は前述したとおりである.
従って,もしあなたが障害をもち援助を必要とするとしたら,自分のプライベートな事柄に関して自分で決定する権利をもつことが難しくなるということである.もしあなたに言語障害や記憶障害があったり,または,長期間にわたって施設生活をしていたとしたら,これはもっと複雑なことになる.
障害者が充実した人生を過すことと,「平等と参加」の実現を求めて活動していくことを支援したいと,あなた方が本当に願うならば,また,障害者に対して適切な社会リハビリテーションやハビリテーションを提供したいと思うならば,障害者に対して与えられている抑圧やその原因を認識しなければならないのである.
社会リハビリテーションに関わって我々が仕事をしていく時,留意すべき主要事項は,次の3つのポイントである.
○情報 (information)
○助言 (advice)
○支援 (support)
これらを具体的に実施する方法は,研修会を開催することと,障害をもっている人の経験から学ぶこと(ピア・カウンセリング)である.
我々のプロジェクトをスタートするにあたり,その当初から,介護と住宅の問題を取りあげた.この介護や住宅に関して,自分自身の考えや夢を十分に語り合う時間を与えたのである.研修会のテーマは「私が24 時間介護を必要とするとしたら,どうしたらいいでしょうか?」であった.諸権利についてや,援助を組織化する方法,住居を探す方法について,具体的な情報を与えることを我々は意図している.これらの情報をより信頼できる方法で提供するために,過去に介護を必要とし,自分でそれを手配したり,自分の住居を探した経験のある障害者を,研修会の講師に依頼している.この研修会は,このプロジェクトに関与してきたすべての者にとって大きな刺激となった.第一回研修会と同じようなものを今後何回も開催し,研修会に参加した障害者が,自分に関わることを自分で決定できるように支援していかなければならない.
我々がコンタクトをもった障害者の多くは,我々が実施している研修会に一回または数回にわたって参加希望を出している.我々が研修会を企画する際には,入念に企画し,一人ひとりの参加者に合った内容とすべく努力している.
これらの研修会とは別に,我々の支援を必要とする若い障害者のために,小グループの会合を開催している.この小グループの会合の後,我々の目標に向って共に歩み続けるわけである.
支援のニーズは当然,一人ひとり異なる.我々の仕事の基本は,社会の中で自分の能力と可能性を見い出せるように,障害者を援助することである.
もしあなたの人生を他人が常に支配しているとしたら,その人があなたを支配する権利について疑問をもたずに,あなたは受身になってしまうだろう.このような状況をさかさまにしなければならない.そのためには,自分の能力を見い出し,それを信頼しなければならない.その場合に,アイディアとインスピレーションの両方が必要とされる.あなた自身がこのような態度を取れるようになるためには,長いプロセスが必要であろう.
自分と同じような障害をもつ人と会うことによって,インスピレーションやアイディアを得ることができる.このような情報を研修会やその他の機会に提供することが,我々の仕事である.
次のステップは,あなたの能力を他の人々に確信させることである.従って,我々は若い障害者に対して,自分の障害を,具体的に説明できるように援助し,自分のもっている障害を,自分のもっている能力やニーズとは分けて説明できるように指導している.誰でも,自分自身について上手に自己紹介する責任があり,そのチャンスを与えられなければならない.
このように,若い障害者たちに助言をし,情報を与えることも,我々の仕事の重要な部分である.目標に向って次のステップは,必要とするサービスを入手するには,どの人が適切な人なのかを自分で探し出すことである.
最後に,若い障害者が自分で決定したことを,確実に自分のものとするように彼らを援助する.このようなプロセスによって,介護を受けられるようになったり,それまでに受けていた援助を継続して受けられるようになるのである.適切な住居を見い出すことができたり,仕事を見つけられるようにもなるのである.このような目標を達成するためには,何回にもわたる話し合いをしたり,専門職者たちとの会合をもつわけである.この場合,若い障害者たちを過保護に扱ったり,または反対に,権力的に扱ってはならない.若い障害者たちにコミュニケーション障害がある場合,会話の介助をしたり書字の援助をしてもよいが,本人が不在の状態で援助してはならない.これらの援助は,必ず,本人同席のもとで実施しなければならない.若い障害者が自立するためには,決して,近道はないのである.
我々が仕事をしていく時に陥りやすい落とし穴は,話し合いをゆっくりとせず性急になってしまうことと,助言を与えるのではなく,私たちが本人の代わりに決定してしまいがちになることである.これらの危険性を常に認識していれば,これらの落とし穴に落ちる危険性を避けやすいであろう.


リハビリテーションへの全体論的アプローチ

A HOLISTIC APPROACH TO REHABILITATION

Nis Schultz
Head of the EC‐project in Aarhus,Denmark


本稿は,事故によって障害を負った後のニーズや問題点に焦点をあて,障害者の家族のニーズに基づいて企画されたEC(欧州共同体)プロジェクトによるユニティ・モデルの要約である.
デンマークにおけるECプロジェクトは,事故によって受傷した300余名の障害者を対象に実施された.この目的は,事故の結果として引き起こされる悪影響を効果的に未然に防いだり,その悪影響を取り除くための,適切な方法を見い出すことであった.また,リハビリテーションを成功させるための必須条件を調べることも目的であった.
数多くのグループに対してケースワークが実施された.これらの経験を通して学んだことは,各種さまざまな専門職者の参加による総合的な対応が必要であるということであった.そこで「モデル」が立案され,方法論と体系化のために試行された.
これを我々は「ユニティ・モデル」と呼んでおり,これは,事故のあとに引き起こされる典型的な諸問題を明示している.このユニティ・モデルは,どの段階にどんな問題が起こり,その問題に対してどのような対応をしたらよいかを明らかにしている.このモデルは,セラピストやソーシャルワーカーにとって,治療の方法ともなるし,チェックリストとしても使え,また,施設間の協力態勢を取る際にも使える.またこのモデルは,障害者以外のグループにも応用することができるであろう.
職業リハビリテーションや職業訓練のみを行うべきではないということを,このユニティ・モデルは示している.リハビリテーションプロセスを成功に導くには,事故の後,できるだけ早期にリハビリテーションを開始しなければならない.経済面,社会面,心理面,そして健康面にわたるすべての要素に目を向け,これらを調整しながらリハビリテーションを実施していかなければならないのである.
障害者の家族のニーズや問題点に対して,総合的な対応をしなければならない.事故が起こると,人生が一瞬にして変化してしまうが,それは受傷した当事者本人だけであることは稀である.当事者の家族全体,特に夫婦や子供の受ける影響は大である.もし障害を受けた者が独身だった場合には,最も身近な親族が影響を受ける.従って,受傷の影響をこうむるのは,家族全体なのである.
図1はユニティ・モデルの円である.円が6分されているが,その一つひとつが人生を構成している領域を示しており,6つの領域の間が点線で分かれているのは,どの領域も他の領域から切り離して孤立して存在するものではないからである.一つの領域の問題は他の領域の問題と必ず関わってくる.これら6領域の諸問題を解決するためには,数多くの公的制度,公的機関,施設等と連絡を取り合わなければならない.従って,個々のケースに対して,広範囲にわたる連絡調整が必要とされるが,少なくともデンマークにおいては,これらが十分に実施されておらず,障害者の家族をフォローする公的機関やその担当者は全くいない.

図1 ユニティ・モデル
ユニティ・モデル

我々の見聞きしているところでは,障害者自身がコーディネーター(連絡調整者)としての役割を果たすことが多いが,このような役割の必要性を事前にまったく知らないままに,必要に迫られて実施しているという状況である.その結果,クライアントは,本来受けられるはずのサポートを受けられなかったり,社会保障制度の活用方法を知らないために,受けられるサービスを受けられないなどの事態がよく起きている.
我々の調査結果によると,事故のあとに起こる事象の時期は,次の3つの段階に分けることができる.
○治療 (treatment)
○適応 (readjustment)
○再出発 (new orientation)
段階を4つ,5つまたは6つに分けることもできるが,上記のように3つに分ける方が,障害者の家族の問題との関連で実践的であり,使いやすいと思われる.しかしながら,これは一つのモデルにしかすぎないことを強調しなければならない.というのは,障害者は一人ひとり異なっているからである.受傷の程度や種類も一人ひとり異なるし,性別,年齢,社会的背景もそれぞれ違うのである.
従って,3つの段階を通して実施される内容も個別的であるので,3つの段階というのは,諸問題を理解しそれらへの対応をするための指針(ガイドライン)と考えるべきである.個々の障害者やその家族を,この枠組の中に当てはめなければならないというような考え方をすべきではない.ただ,各段階ごとに典型的な特徴があるということを主張したいのである.

表1

段階1 段階2 段階3
治療 適応 再出発
対応策 治療 リハビリテーション
の前段階
リハビリテーション
年金
職業
役割 患者 回復期,クライエント リハビリテーション利用者
年金受給者
雇用者
場所 病院 自宅 自宅
施設
職場
生計 給料
疾病手当
失業手当
失業手当
疾病手当
疾病手当
年金
給料
ニーズの分野 身体的
心理的
社会的
心理的
社会的
社会的
中心課題 諸問題 諸問題
リソース
リソース
活動
重大局面 ショック
反応
修復 再出発

表1は,段階1,段階2,段階3のそれぞれの時期における家族の状況,そこで対応すべきこと,役割などを表にしたものである.この表は,障害者が通常典型的に経ていく状況の変化を説明している.次に各段階における特徴を,障害者の家族の観点から,ユニティ・モデルの円を使って詳しく解説したい.

治療段階

この治療段階におけるキーワードは,検査,診断,治療である.その他の問題も出てくるが,図2に,この時期における重要な問題点が列記されている.すでに述べたとおり,個々のケースによって差異は出てくる.治療段階は,事故による身体的な傷を治すことに焦点があてられる.入院直後の急性期は,生死の問題の時期であろう.しかし事故後の数ヵ月または数年は,身体的な治療が中心となる.例えば,再入院となったり,手術がまた実施されるということもある.
この数ヵ月または数年の間に,数多くの疑問が出てくるであろう.事故の結果,どんな状態になるのだろうか?,受傷した者は仕事に戻ることができるのだろうか?,リハビリテーションによって,今までと違う仕事ができるようになるだろうか,それとも,もはや仕事は不可能になるのだろうか?」このような不安,待機の状態は数多くの問題を引き起こすので,受傷者やその親族は,解決策を見い出し,将来計画を作成することが重要となる.

図2 段階1:治療
段階1:治療

親族にとっては,患者の状況についてできるだけ正確な情報が必要である.また,実際に直面している諸問題や経済的問題に対する解決方法として,具体的な指導や援助を必要とすることが多い.これは特に,患者が家族の主要稼得者だった場合に,経済問題への相談援助が重要である.受傷した本人と同様に親族も,事故のショックや事故後の反応に対して心理的な援助を必要とする.
事故が大きかったために,それまでの家族の生活が崩壊され,まったく新たな現実を受け入れなければならないような事態となることが多い.これによって,非常に困難な社会的な問題が多々発生する.従って,家族全体が援助を必要とするのである.このような状況の中で,家族に代わって社会的な問題や情緒的な問題に,(総合的な連絡調整者としての役割も含めて)対応できる人の存在が必要となることを強調したい.ここでめざすことは,できるだけ家族の現在の生活水準(社会的にも経済的にも)を維持するということである.

適応

適応段階とは,退院後から,障害者のいる家族の生活をスタートするための基礎づくりまでの移行時期である.この適応というのは,身体面,心理面,社会面のすべてにおいて必要とされる.これは,事故の内容,事故の大きさや,障害者の職業面や教育状況によっても左右される.退院後に家族がどのような援助を受けるかによっても,適応の状況が異なってくる.
図3は,適応段階に特に現れる問題や状況を図示している.治療段階よりももっと,家族の積極的な協力が必要とされる.身体的および心理的な損傷を修復し,社会的な影響を深刻なものとしないためには,より早い対応が肝要であり,この適応段階での前向きの広範囲にわたる対応が求められる.
身体的な痛み,将来への不安,家族の問題,経済問題などが,何か新たなことを開始するためのエネルギーを奪ってしまいがちである.ここで障害者は新たなアイデンティティに適応しなければならず,また,自分の仕事,家族,環境などとの関連の中で,新たな自分の役割に適応しなければならない事実に直面するので,それらに伴って生まれてくる諸問題に対応するための積極的な支援が必要になってくる.経済的な負担をどのように解決しようかと日々悩んでいるような状況のままでは,心理的な支援を受けることも難しい.
もし新たな解決案が打ち出されなければ,障害者は自信を喪失し,問題解決能力もチャレンジ精神も失ってしまう.適切な対応がなければ,リハビリテーションをスタートするための意欲すらなくしてしまう.

図3 段階2:適応
段階2:適応

意味ある待機

家族に対する心理的な支持や経済面での指導のほかに,障害者に対しては,自分の障害とともに生きるために,心理的な苦痛への治療を開始しなければならないことが多い.事故によって,記憶力や集中力に障害をきたしている場合には,受傷前の知的能力を再構築する目的で,神経心理学的リハビリテーション(a neuropsychological rehabilitation)が必要とされる場合もある.
この段階ではまた,今後,労働市場に復帰することを視点に置いた職業指導の必要性もある.その障害者は仕事に復帰できるのだろうか,それとも年金を申請した方がいいのだろうかという点を,明らかにしなければならない.適応段階において最も大きな問題は,障害者自身が非常に受身的になってしまい,行き詰まってしまうことである.この段階では,障害者を元気づけると同時に,自分の将来に目を向けさせるように指導しなければならない.ここでのキーワードは「リハビリテーションの前段階(pre-rehabilitation)であり,これは,障害者自身の強化,すなわち,個人として,家族の中の一人として,そして経済的にも社会的にも強くするための時期ということができる.

再出発段階

この再出発段階は,仕事,訓練,教育,さらにまわりの状況への接触等により,より活発に動き出す時期といえる.これはまさに活動期なのである.図4は,障害者のいる家族にとって最も重要な領域として,仕事,余暇活動,人的ネットワークなどを示している.

ここでは,支援は必要に応じて行うことになるが,家族は,この段階に至るまでのサービスを受ける過程の中でより強化されてきて,どの程度の支援が必要かを自分で考えられるようになっているはずである.公的機関からの積極的な援助は,労働市場に復帰するためのサービスとか,人的ネットワークの構築に限定されるであろう.これらの問題がうまく解決すれば,経済的問題,社会・心理的問題なども自然に消失していくものである.
障害者が有給の仕事に従事するようになるとか,雇用保険の対象になるなど,労働市場への橋渡しがなされるまでは,リハビリテーションが終結したと考えてはならない.その他の方向づけとしては,年金が裁定されるとか,保護雇用に就くとか,長期的なリハビリテーションプログラムを実施するなど,具体的な見通しがなければ,リハビリテーションが完結したとみなしてはならない.

最後に再び強調させていただくが,「事故のあとに起きてくる諸問題は全体的に対応すべきであり,学際的な協力により解決していかなければならない」ということである.ここで目的とすることは,適切な対応をすることにより,クライアントに回避可能な困難なことを課さないことであり,それによって,リハビリテーションの効果をできるだけ大きくし,リハビリテーション終結後の状況をより良いものとすることである.

図4 段階3:再出発
段階3:再出発

まとめ:リハビリテーションプロセスの総合的視点

  1.  リハビリテーションプロセスは単に職業リハビリテーションとか職業訓練ではない.もっと総合的に対応しなければならない.
  2.  リハビリテーションは事故発生後できるだけ早期に開始しなければならず,経済面,社会面,心理面,健康面の諸要素に対して総合的に連絡調整しなければならない.
  3.  リハビリテーションは広範囲にわたるので,各種領域を連絡調整しなければならない.この連絡調整は,現在の救済制度の中で自動的に行われるようになっていない.現実には,障害者自身やその家族の積極的な働きかけにゆだねられている.このためには膨大なエネルギーが必要とされ,障害者自身やその家族では対応しきれない.
  4.  必要とされる連絡調整は難しく,また多くの時間を必要とする.
  5.  なぜならば,非常に多くの公的機関が関わっており,それらの公的機関には独自の伝統と行動様式があるからである.
  6.  各種の機関や施設に所属するセラピストやケースワーカーは忙しすぎ,社会資源も十分に持たない.
  7.  公的機関は,それぞれの事業目的をもっているので,総合的に対応するために必要な学際的な能力をもっていない.
  8.  そのために,コーディネーターを決める必要がある.コーディネーターは障害者の身近にいるキーパーソンであり,助言,支持をし,多領域を連絡調整する.
  9.  段階が異なれば,対応の必要性にも差異が出てくる.重大な事故のあとは,次の3つの段階がある.
    1. 治療段階:できるだけ回復し,事故による喪失を克服する.
    2. 適応段階:新しい生き方を選択するための基礎固めをする.
    3. 再出発段階:リハビリテーション(社会復帰),雇用,年金
  10.  これらの3つの段階を移行していくことが重要であり,その際に援助と支持を必要とする.
  11.  これらの段階を経ていくに必要な時間には個人差があるが,個々のクライアントの身体的,精神的,社会的状況に合わせて対応していかなければならない.
  12.  ただ受身で待つことや,将来について不安をもつことは,精神的にも社会的にも人間をダメにしてしまう.職業リハビリテーションを適切に行い,成功に導くためには,再適応段階において,多大な努力が必要とされる.
  13.  事故後に経済生活が悪化すれば,精神的にも社会的にも破滅していく.事故前の生活水準を保てるように保障できれば(少なくとも一定期間),事故による悪影響をかなり減少することができる.従って,事故による障害者に対して適切な対応をすることは,社会にとって有益な投資なのである.


新しい方向づけによる社会的統合

―理論と方法―

SOCIAL INTEGRATION BY REORIENTATION:A THEORY AND METHOD

H.Helenius,K.Konkkola,S.Matinvesi
RI Finish Committee,Finland


本稿は,フィンランド社会福祉審議会(National Board of Social Welfare)の小委員会において草案された覚え書と,フィンランド国内において実施してきた社会リハビリテーションプログラムの経験に基づいて準備されたものである.
本稿において引用している「社会リハビリテーション」の定義は,RI社会委員会において定義され,1986 年,ロンドンにおける同委員会において承認され,引き続き,RI総会においても承認されたものである.定義は以下のとおりである.
「社会リハビリテーションとは,社会生活力(social functioning ability)を身につけることを目的とした一つの過程である.社会生活力とは,さまざまな社会的状況の中で,自分のニーズを満たし,最大限の豊かな社会参加を実現する権利を行使する能力を意味する.」

社会生活力と社会的統合

社会的統合は,その人の社会生活力に左右されると言えよう.障害をもつということは,社会生活力を損なうことになる.障害の程度と社会生活力の喪失度は,必ずしも密接に相関し一致しているわけではない.そこに,数多くの個人的要素が関わっているのである.また,障害者が自分の障害をどのように受けとめるかについては,その社会の中にいる一般市民が,障害者に対してどのような態度を取るかによって,影響を受ける.障害者になったという現実を真正面から受けとめるのは非常に困難なので,障害を受ける以前の社会的付き合いから身を引きがちになる.また一方では,医療やリハビリテーションを受ける過程においては,障害者は受身の役割を与えられがちである.他者,すなわち,専門職者の客体となってしまうわけである.この「患者としての役割」がその人の人生において大きな位置を占めてしまうのである.
社会の人々の態度も,障害者,家族そして関係する専門職者の行動に影響を及ぼす.これは認識すべき重大な事実である.障害者に対する社会の人々の行動モデルは,社会リハビリテーションの目標として,必ずしも同意されているわけではない.我々一の一人ひとりが,自分自身の社会生活力を学ばなければならない.例えば障害児の場合,何かに失敗することに対して,親やその他の人々によって保護されてしまっているので,本来体験すべき失敗を経験しないできてしまうということがある.
また,障害児の親になるということは,自分の社会生活力を損なうことにもなるであろう.この場合,障害児を自立した大人に育てるために,障害児をもつ親は支援を必要とするのである.

新しい方向づけの必要性

普通,我々は,発達と成熟の過程においてさまざまな危機に直面するものであり,それらの危機に対して我々は,ある程度の準備ができる.しかし,障害は突然に発生するものであり,これは心に大きな痛手を与える外傷性の危機である.
ある日突然,障害者になったり障害児が生まれた場合には,その本人のアイデンティティが脅威にさらされるばかりでなく,その家族全体のアイデンティティも脅威にさらされることになる.障害をもったという出来事そのものが,その人の人生における新しい価値観を与えるわけではないし,また,障害に対する自分の態度をすぐに変えられるものでもない.非障害者としての以前からのアイデンティティがそのまま残っているのである.だからこそ,新しい方向づけ(reorientation)が必要とされるのである.
「新しい方向づけ」を行うには,自分の価値観や態度を評価し,自分自身の中に新しいものを受け入れ尊重する能力が必要とされる.これは常に二つの方向からの一つの過程であり,二つの方向とは,個人の側からと環境の側からである.具体的に言えば,社会は,すべての構成員が完全に参加できるように準備されていなければならない,という意味である.
新たな方向づけのプロセスは,受傷直後から始め,直面することを避けられない日々の体験や感情に対応することから始める.危機に初めて直面した時に起こる強い感情は,リハビリテーションを受けている過程の長期間にわたって影響を及ぼし続ける.このような状況においては,この感情に真正面から直面することが必要であり,また,これらの感情が当然の感情であると受け入れられる観境の中で生活することが必要である.適応訓練研修会は,まさにこの環境を用意しているのである.

適応訓練

1960年代に,フィンランドの障害者諸団体は,社会リハビリテーションの一つの方法として,適応訓練を開始した.そして適応訓練のための施策が,保健法と社会福祉法のなかに規定されている.そしてこれらが開始されると同時に,社会保険制度の中にも取り入れられた.
新しい方向づけのプロセス(a reorientation process) の方法としての「適応訓練」の目的は,障害者やその家族が社会に統合できるように支援し,彼らが障害をもっているという現実を受け入れ,一人ひとりの社会生活力を最大限に伸ばすことである.この目標は,社会の中に存在するさまざまな障壁のために,到達するのがしばしば難しいのである.
この適応訓練は,週末の2日間コース,3週間コース,時にはもっと長期間のコースなど,期間を設定して実施している.これらの研修会のプログラムには,グループ討議,医学・社会・心理面に関する講義,余暇活動などが組み入れられている.

グループダイナミクスを使って

「新しい方向づけ」プロセスの主要目的は,対象者一人ひとりが,障害者または障害児の親としてのアイデンティティを獲得することである.このプロセスの中で,同じような人生経験をした人の支援が非常に重要な意味をもつ.しかし,単なる相互体験だけでは十分ではない.
適応訓練は,障害者と社会の人々の態度との関係を検討することに,最も力を入れている.適応訓練のプログラムの中で最も重要なものは,障害についての自分の感情,体験,価値観,態度などを自由に発言する「グループ討議」である.このグループ討議の中で,自分の体験をより広い観点から見つめられるようになり,自分以外の人も自分と同じようなプロセスを経験しているのだということを認識できるのである.
討議グループは,メンバー間の相互関係をよりスムーズにするために,小人数の方がよい.討議は密度の濃いものでなければならず,そこには,討議を上手にリードしていく熟練した指導者(instructor)がいなければならない.指導者は,メンバーの一人ひとりがアイデンティティをつかめるように支援し,自分自身に自信をもてるように援助する.討議グループの中で,障害に関する価値観や,障害をどのように認識しているか,を検討することが重要なので,指導者はグループダイナミクスの原理を知っていなければならない.それと同時に指導者は,指導者自身が「障害」に対してどのような態度をとるかを自分自身で知っていなければならない.

まとめ

「障害」は,当事者本人ばかりでなく,障害者の家族全体の社会生活力を損ない,その結果,障害者およびその家族の社会的統合を困難にしている.「新しい方向づけ」により,障害者としての新たなアイデンティティ,または障害者の家族としてのアイデンティティをもてるようになる.「新しい方向づけ」とは,社会リハビリテーションの方法によって支援することのできる,個人的な過程(a personal process)である.フィンランドにおいて「適応訓練」と呼ばれているプログラムは,まさにこの目的のために実施されているのである.適応訓練を実施してきた経験により,グループダイナミクスの手法を使えば,障害者およびその家族が,新しい方向づけの過程をうまく乗り越えられることが明らかになったのである.

〔参考文献〕

  1. A working group memorandum by the National Board of Social Welfare,Finland(英文なし,フィンランド語のみ):
    Sopeutumisvalmennuksen kehittaminen; Sopeutumisvalmennuksen kehittamistyoryhman muistio;Sosiaalihallituksen julkaisuja15/ 1986;Helsinki1986,Finland;137pages
  2. Minutes of the Business Meeting of the RI Social Commission;London October12 1986

主題:
第16回リハビリテーション世界会議 No.10 395頁~426頁
発行者:
第16回リハビリテーション世界会議組織委員会
発行年月:
1989年6月

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