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平成17年度 国際セミナー報告書
「アジア太平洋地域における日本の障害者支援」

■報告(2) 難民を助ける会

事務局次長 松山 恵子

皆さまこんにちは。難民を助ける会の松山です。

ちょっと難しい話が続いたところで、私どもの活動について、まず海外で実際に障害者と向き合って活動している現場から、いったい障害者支援は何が難しいのか、そして何に気を付けて、あるいは何に重点をおいてやっていかなければいけないかについて皆様と一緒に考えていきたいと思っています。(時間も押しているようですので、ここは猛ダッシュで、私どもの会について報告いたします。)

難民を助ける会はこの秋で、27周年を迎えました。もう迎えていますね。27周年目の活動に入っています。活動の3本柱の1つに、障害者支援。そのほかにはこちらに書いてあるように地雷対策、緊急支援を行っています。現在はアジア・アフリカの11カ国で支援活動を行っています。

さて、その障害者支援についてですが、どうして障害者支援を行うようになったか。これについてはインドシナ戦争が終わる頃、1980年代後半にたくさんの難民が流出しました。その難民達を助けたいとまず難民支援、タイの難民キャンプに入りました。そこでたくさんの地雷被害者、紛争による障害者の方に会いました。そこで車椅子を配布した、これが私たちが障害者支援に取り組んだ最初です。そして、私たちの障害者支援に対するミッションは、すべての障害者が社会に平等に参加できる。そういった社会を目指すことです。

障害者支援事業の活動地、アジアに5カ国、アフリカに1カ国ですが、今後これが現実にできるか今はまだ確約はできないのですが、当会は11月よりスーダンでも活動を開始しています。そちらでも地雷被害者を中心に障害者の支援に取り組めたらいいなと思っています。

また、先々月10月にパキスタンの地震で1万5千人の障害者が新たに生まれてしまったという悲しい現実がありますので、そういう方の支援にも取り組んでいけたらいいと考えています。

さて、私たちの活動、障害者支援の活動を分類しますと4つに分かれます。

まず職業訓練事業。カンボジアとミャンマーで行っています。訓練科目はこちらに書いてありますが、それぞれのところでそれぞれの国の特徴を活かした訓練科目を組んでいます。

2つ目の事業は車椅子の製造と配布事業。ラオスは、ただいまJICAの助成をうけながら、障害者のための車椅子配布事業を行っています、カンボジアでも車椅子の事業を行っています。ただ、間違ってほしくないのは、私たちはこのような団体ですので、車椅子の生産事業をやっているわけではない。あくまでも車椅子を渡した障害者の方が、それを地方でどう使って、自分たちの生活を高めていくか、そういったことを目指しています。

3番目は、医療支援事業をアフガニスタンとタジキスタンで行っています。理学療法クリニックの運営や医療器材の支援等を行っています。その他の事業としては、この3カ国で、知的障害児のための通所施設で教育、栄養食の支援などを行っています。

さてここまで駆け足でまいりました。この先お話したいのは、では、現在私たちの事業は障害者の自立に向けてどんなことが大切だと思って支援を行っているかということです。その1番目として、これからの話は、私たちの障害者支援の中で特に中心的事業である職業訓練と車椅子製造配布の、この二つの事業に的を絞って話をします。

技術訓練をしているのですが、これだけでは障害者の自立にはとても程遠い。なぜかというと、ここに集まってくる障害者は本当に教育を受ける機会がほとんどなかった方が多いです。社会的経験もほとんどないか極めて少ない。そういう方に対して、社会教育やミーティング、生徒会活動を通して、「話し合うってどういうことか」ということから知っていただかないと、とてもこれからの自立は望めません。

そして2番目。当然なことですが、障害当事者の力を思う存分発揮してほしい。そのためには、技術移転をした例えばカンボジア、ラオスでは、障害者の技術者を育てましたし、ミャンマーの訓練校では、たくさんの障害者のスタッフが働いています。カンボジアでもそうです。ロールモデルというか、こういう人たちを目標として、障害者の人たちに頑張って欲しいという気持ちがこめられています。

次に「アドボカシー」難しい言葉かもしれませんが、いわゆる提唱運動というのでしょうか。活動や運動を通じて政府や社会に対して発信し、理解を得ていくことです。ラオスの国立リハビリテーションセンターの中で私たちの事業は行われています。ところが、国立という名前がついているのですが、ラオス政府の資金はほとんどないと言ったら怒られそうですが、本当に少ししか出ていない状況です。ですからここに沢山入っているNGOの資金で、この国立リハビリテーションセンターは動いている状況です。もっと障害者支援に対してラオス政府にも目を向けてほしい。例えば運動、障害者スポーツ、これは大きな力を持つ運動ですが、こういうことに今後も取り組んでほしいという、そういう願いを込めて、アドボカシーの活動の一環として、バスケットボールコートを整備しました。車椅子バスケットなどをやっていってほしいと思っています。

そして次は、もう1つ、自立に向けた取り組みとして、小規模ローンの貸し出しをやっています。ミャンマーの職業訓練校の洋裁クラスの生徒に対してミシンのローンを行っています。

さて、次ですが、自立発展、これは事業を始めた最初から私達が目指すところの最終的ゴールと言ってもいいかもしれません。それに対して何が必要かについてお話します。こちらにあるのは、事業の質をあげていくこと。そしてより障害者にとって必要とされる支援を行っていくこと。これが結局その国に事業が根付いていくことになるのではないか。ラオスの取り組みですが、これは障害の程度にあった車椅子支援です。この背景には色々なジレンマがありました。車椅子の寄贈は、海外から大量に来たりするものです。しかし、ある統計によると、数年たつとそのうち75%が使われていないそうです。障害者の方ならお分かりと思いますが、車椅子は大変微妙なものです。これに乗ったことで障害が悪化するケースも多々あります。そういうことに対する配慮も行いたいということで、当会では作業療法士によるモニタリングを取り入れています。

また、もう一つ。これはカンボジアの例。より地域に根ざした支援をしていきたい。私達がおこなっている事業は今はまだ主に施設型にとどまっていますが、手の及ばないところを少しでもということで、カンボジアでは、徒弟制度を取り入れています。職業訓練校で実際に訓練を受けた卒業生の中で優秀な人のところに障害者を弟子入りをさせる。そうすればわざわざ遠くの首都までに行かなくても、その地域で職業訓練を受けることができます。しかし費用面ではマンツーマンになるので、当然集団でやるよりは高くなるという問題はあります。

最後に、自立発展について一番大事だと思われるのは障害者の自助組織、SHG(セルフヘルプグループ)と呼びますがそういう組織を育てていく事です。これはミャンマーの障害者組織がどのような構造になっているかを書いた例です。ちょっと見ると、すごい組織のようですが、ミャンマーの障害者組織は実はほとんど機能していません。しかし、その中でRDPGといわれる、これは職業訓練校の卒業生が中心になってつくったSHGで、こちらでは青年層を中心に、障害者同士が助け合うために他の障害者への支援を少しずつですが始めています。

このようにしていろいろ見て参りましたが、実は障害者支援には非常に難しいところがあります。これからどのように取り組んでいくかということは本当に皆さんと知恵を分け合って考えていかなければならないところです。その難しさの最初の部分、そして一番難しい部分でもありますが、その事業所在国の現状があります。こちらにあげてありますように、それぞれの事業所在国については、社会福祉という概念も基本法もない、社会的偏見も強い、NGOの活動そのものを制限している国、首都から外に出る事もできないところもあります。その中でせっかく育ち始めた障害者の方々のオーナーシップというか、自分達がそういった活動をやっていくという意識を、非常に育てにくい環境にあるかと思います。

次に私達の今の支援は、施設型リハビリテーション、IBRと言われているものがほとんどです。これには長所・短所があります。ここに□で色分けしてありますが、例えばIBRの長所は、事業国からの許可が得られやすい。そこに施設を作って、そこでやるとなれば、地方に入ったり、見てほしくないものを見られたりする危険がないとか、大きな建物を建ててくれるのではないかということで許可が得やすい。しかしその反面として、短所にあるように、反対に地域型、CBRだと、それは短所になる。認可が得られないところでは、(地域に入るための認可)CBRはまだやっていくことはできないわけです。お互いの長所・短所をはっきりと認識する必要があると思います。

さて、障害者支援に特化した事業、これに自立発展はありえるのか?一口にいって、非常に難しい。実は私共はカンボジアのプロジェクトとしてローカリゼーションに取り組んでいます。しかし、資金や人的資源の問題など、これをいかにクリアするかは難しい問題です。またラオスでも2年先に、今のJICAプロジェクトが終了します。そこでどのような資金的なバックグラウンドを持つか。これはラオスでは車椅子1台につきスポンサーを募集することで資金を集めようとしています。そのスポンサーが単なる慈善ではなく、ラオス国内の企業に、車椅子に広告をつけたものを走らせ、スポンサーになってもらうとか。それが比較的わかりやすい例でしょうか。特定非営利活動法人という立場から言いますと、お金儲けをすることはできないので、こういう事業をするのは難しいところがありますが、私たちのところでは、ローカリゼーションに向けて、今全力で取り組んでいるところです。障害者支援に必要とされるものは何といっても事業国政府のバックアップ。これが本等に欲しいんですね。こういった国の姿勢があれば、もっと話は楽なのにと思うことばかりです。ただその中でも、難しい中でもやはり 非常に熱意をもって取り組んでいる、そういったスタッフがいるところはとても強い。やはり障害者支援をどうやっていくか、自分たちがどうやってこれから自立していくかという熱意は、本当に大きな力だと思っています。

さて、私共の所は一般のNGOです。他にも緊急支援とか、他の活動もやっています。

昨年の決算における海外事業費の中で障害者支援のしめる割合は30%弱かなと思います。この中には東京での担当スタッフの人件費も入っておりますので、純粋に活動の費用そのものについてではありませんが。そういったところで、難しさは何かというと、やはり一般のNGOでは活動地域を決めることが1つの戦略です。また事業のバランスを取ること、これも大切なことです。もちろん資金がなければ、その事業そのものがとまってしまいます。そして人的資源、これは大切ですね。こういった要素、枠組みがあります。それに対して障害者支援事業というのは、広報が難しいです。なぜかというと、やはり地味な事業ですね。だから資金が集まりにくい。一般の寄付金のことですが、こういった資金が集まりにくい。また、企業の理解も得られにくい。活動期間も、少しの期間では、それなりの成果を得る事はできません。特に障害者支援においては、長期間の支援が必要になる。そういった縛りがございます。その中で今後の支援とその問題点として、障害のプロジェクトの開発へのインクルージョンに向けて進まなければ、障害者支援の将来はないと、 個人的な意見にとどまっているかもしれませんが、組織の中で。でも強くそのように思っています。

その中で、今の私共の活動が、これからどういう経過を経てインクルージョンに進んでいくか、その第一歩としては、今あるIBRの活動とCBRの活動を組み合わせていく。そこがまず最初だと思っています。そして、「同じパイをどのように分けるか」。これは「パイ」というのは、それぞれのレベルによっていろいろあると思います。一NGOの中でいうと、その予算のわけかた、障害者支援のレベルから言えば、全体の予算をどのように分けるか。世界全体、国際協力という立場から見ると、今、地震や津波など本当に天災も多いです。紛争も悲しいことですが、決して少なくなるようには見えません。テロも頻発しています。 その中で国際協力に集まる資金は限られています。これからますますその取り合いはシビアになっていくことでしょう。いかに効率的に使うか。これが今後の障害者事業のいわゆる地域でのリハビリテーションに進んでいく上でも、とにかく、無駄のない活動、そのためにはいろいろな障害者団体、INGO、国際NGOが協力して、できるだけ無駄をなくした活動をしていく。とても難しい事ですが、これが今後、課題になると私は思っています。ありがとうございました。

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