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障害者雇用とIT

林美恵子
企業組合ユニフィカ 代表理事

項目 内容
備考 Webマガジン ディスアビリティー・ワールド 2002年1月号掲載

すべての始まり

 「どうしても買いたくないというのなら、これをあげるから、ぜひ一度ボクの作ったHome Pageを覗いてみてよ。」こんなメッセージと共に届けられた一台の古いパソコン。それが全ての始まりでした。
 身体に障害を持つまで、本当に普通の主婦に過ぎなかった私は、身体障害者になってから、文字通り「生きる」のに必要な情報を入手するため、様々な所にアクセスしてきました。当時は電話とFAXしかなく、近所の医師や社会福祉協議会で入手した情報を元に探し始めたこともあって、本当に欲しい情報へたどり着くまで、とても長い時間と沢山の費用が掛かりました。
 しかし友人から送られてきた一台の古いノートパソコンと電話回線を通じてアクセスできたWebの世界は、「日本中で東京から一番遠い町」の隣市という地理的条件や、電動車椅子を使用する重度障害者であるという身体的条件をモノともせずに幅広く活動展開できる、素晴らしく自由で、驚異的に広い世界でした。こうして最短距離で、そして確実に必要な情報を入手できるようになった私の世界は格段に広がり、段差以外のバリアは全く意識せずに暮らすことが可能となりました。
 そして、ふと自分の周りを見ると…。
 同じ地域にすむ仲間の身体障害者たちが、情報不足のために信じられないほど分厚いバリアに囲まれて暮らしており、自立どころか人権すら奪われかねない状況に直面していることに気が付きました。

就労と自立

 私自身は毎日、毎日、インターネットを通じて、全国各地の身体障害をもつ方々から「障害をもっていても自立した生活を送れるようになるためのノウハウ」を教えていただいていましたが、その中でも特に重要なのは就労についての情報でした。
 就労は単なる収入を得るということだけはでなく、社会に参加もしくは自分の能力で貢献しているという自信に繋がり、身体障害ゆえに体験する様々な苦難を乗り切る際の強力な力の源となります。それですから仕事ができるかどうかは、単なる能力的な問題にとどまらず、その人の人生に対する取り組み方が180度転換してしまうくらい、大きな要素となります。
 私自身は一度も働いた経験のない主婦ですから、さて自立のために就労を、と頭では考えても、実際、どこから取り組めばよいのかはさっぱり判りませんでした。また今の日本は、健常者でもリストラされてしまうくらい不景気な状態ですし、私のように重度の身体障害者の場合、無理して働かなくてもと考えられる事業主の方が多く、職安に相談しても「まず無いと思っていてくださいね」と釘をさしてからでないと、求職者として登録してもらえませんでした。
 それで、今の私にもできる方法はないかと頭を絞った結果、それまで一月に二度程度、四万十川周辺の豊かな自然について書き綴った手紙を40人ほどの方にお送りしていた「手紙ボランティア」の経験を生かし、車椅子で観光地を散策するために必要な情報を体験記としてまとめてみることにしました。この体験記は、創刊したばかりの障害者の生活情報誌で採用され、私のライターとしての就労が始まりました。

一人からチームへ

 最初は記事を書くだけだった仕事も、テキストを扱うという仕事の性質から徐々に幅を広げ、画像を含めた編集デザインや翻訳まで様々な依頼を受けるようになりました。 こうなると元々一主婦に過ぎなかった私一人では、とても対応しきれません。それで、それまで障害者の自立について話し合っていたメーリングリストに登録された人の中から、私自身とよく似た自立意識を持ち、作業に必要なスキルを持っていると思えた方たちに声をかけ、一緒に働くようになりました。
 共同して作業に従事するといっても、すべての作業が各自の自宅で処理され、データの受け渡しはインターネットを通じて行いますから、事務所などに出向いて働くわけではありません。そのためクライアントである発注者の方には、受注窓口となった「私」しか見えていません。それで実際の作業を担当する方から詳細についての質問が出た場合も、実際に作業する方ではなく、受注した私がクライアントに問い合わせるということが続きました。
 一年ほど、こうした共同作業を続けるうち、なぜか自然に出来上がってしまったチーム、それが「Office Line」でした。そして、この「Office Line」で働く際に私が発揮していたらしい「仲介」の能力、いわゆる業務管理の能力を買われ、現在、代表理事を務める「企業組合ユニフィカ」の設立と運営を依頼されることになったのです。

ユニフィカ誕生のきっかけ

 私自身はまったく知らずにいたことですが、私が住む高知県から遠く離れた函館では、「情報の活用と自立」テーマに取り組むボランティア団体(後日NPO設立)が、現在「一般常識」として受け入れられている「受ける」こと中心の福祉観に慣れきった障害者と健常者に、これからの超高齢化に対応した「自立」を目指すよう支援するには、社会に実際の「成功例」を提示する必要があると討論されていました。そして、その企業体は障害者で構成され、運営も障害者によって行われる予定でした。しかし実際に企業を経営できる障害者は、既に企業の経営者であることが多く、函館市内はおろか、北海道全域、また本州でも相応しい人材が見つからないという状況だったそうです。
 私自身は「Office Line」でチームリーダーとして働く際に感じていた責任の重さが増大し、そろそろ個人事業主としての限界を感じはじめていました。それで何気なく、しかし確実に受注量を減らし、徐々にではありますが、引退の準備をすすめていました。そんなとき、私が運営しているメーリングリストの登録者であり、函館のボランティア団体代表者を勤めていたY氏から、ユニフィカについての企画を打ち明けられ、障害者の代表を務めるよう依頼されたのです。それがまた引退を決意して受注業務をゼロにし終わった直後であったため、Y氏にとって幸いであり、そして私にとってのっぴきならぬことに、忙しいからという断り文句も使えず、とりあえずは話を聞くだけだから、という条件をつけた上で、設立準備のために用意されたメーリングリストへ登録、話し合いに参加しました。
 ここでの話し合いの結果、個人事業主として感じていた受注に伴う「責任」の限界を組合という法人組織なら安心してゆだねられること、また、これまで私自身の就労とは別に取り組んでいた「就労と自立」という問題に十分対応できるシステムが組めることなどが判明し、引退後に計画していた娯楽をすべて中止し、文字通り一日24時間働く忙しさで組合設立に向けた業務に従事することとなったのです。

ユニフィカの今

 法人登記に伴う書類作成と各種折衝は、地元の高知県中小企業団体中央会の助けを得つつ進めることができましたので比較的、私に掛かってくる負担も少なかったのですが、設立資金の確保については、そう上手くは行きませんでした。資金元となる「仕事」はボランティア団体に所属する健常者の準備により確保されていましたが、その資金は、私たち組合設立発起人(設立後は組合員)が受注した仕事をこなさない限り、入ってきません。それで設立に関わった五名全員、ひどい時は一日18時間もパソコンの前に座って作業しなければなりませんでした。
 何はともあれ怒涛のような立ち上げ期は、参加した組合員たちに「死ぬ気で働けば障害もバリアにはならない」という自信を残して過ぎ去り、今は二年目のジンクスと戦いつつ、やはり呼吸器をつけていようが、電動車椅子に乗っていようが、工夫次第で「障害はバリアにならない」就労方法がある筈と、毎日ビジネスに取り組んでいます。

ユニフィカの未来

 私たちの「企業組合ユニフィカ」は、「障害を持ちつつも自立した生活を送る人間たちの集団」の実例を社会に提示するため、モデルケースとして誕生しました。
 今は私が業務を開始したときよりも、もっとパソコン及びインターネットの普及が進み、単独での外出が難しい重度身障者でも従事できる職種が大幅に増加しています。しかし現実には「在宅、及び施設で生活する重度身障者は常時介護が必要なため、就労は不可能」という「社会的通念」に阻まれ、相変わらず雇用の対象どころか、考慮の対象にもなりません。
 このように就労し、立派に自立できる能力を持ちながらも、その機会を奪われている重度身障者の存在は、社会全体にとって大きな損失であり、今後の超高齢化社会における労働力不足の観点から見ても、緊急に取り組むべき課題の一つであると考えられます。そして現在は、その存在を認められていない、これらの人的資源を有効な社会的資産として活用頂ける体制を確立するためには、引き続き、私たち重度身障者自身が社会的に信頼される法人としての社会的地位を目指さねばならないと考えています。
 ですから私たち「企業組合ユニフィカ」は今後も、社会に依存し、社会とともに暮らす一市民として、単なる理想論に過ぎない「絵に描いた餅」的福祉ではなく、現実に機能し、将来も機能できる明確かつ柔軟な福祉施策を想起・提案し、誰もが自分らしさを表現しながら人生を謳歌できる社会システムの確立に貢献してゆきたいと考えています。
 そして私たちの後に続く障害者が増加すれば、障害者は社会的に「負」の存在ではなく、大きく貢献できる社会的人的資産であるという認識も普遍化でき、「障害」そのものについての捕らえ方も今とはまったく異なる積極的な捕らえ方に変革してゆけると確信しています。

企業組合 ユニフィカ

・・・・・重度障害者による在宅就労モデル確立と超高齢社会に向けた提案

企業組合ユニフィカとは

 企業組合ユニフィカは、重度障害者でも在宅なら就労可能であることを示すために、日本各地の重度障害者が参加して設立した組合形式の企業です。
 北海道から高知県まで全国七都道府県の、在宅や施設で生活する難病患者3名と脳性まひ者1名、脊椎・頚椎損者各1名、そしてサポーター役を務める健常者一名の計七名が組合員として参加しています。

仕事の進め方

 受注した業務は、事務局が定めたスケジュール表に従って各部門のチームリーダーへ、オンラインを通じて担当作業ごとに発注されます。作業指示から問合せ、納品までの全行程は、作業用のサーバーマシンを経由した電子メールなどによるコミュニケーション、及びデータ交換により進行します。
 それぞれが抱える身体的な障害のために全員揃っての会合は一度もありませんが、業務推進に際しては文字通り「同じ事務所」内で働いているかのようにスムーズに進行しています。

企業組合ユニフィカの目指すもの

 超高齢化に突入しつつある社会に向けて、重度身障者の持つ「生活の知恵」を提供することで、より良い介護生活を送っていただけるように高齢者のための支援体制確立に寄与します。
 また自らの在宅就労を通じ、重度身障者の持つ生産力を実証するとともに、テレワークについての様々なノウハウを在宅勤務(SOHO)を希望する個人及び企業に提供して、現在は就労不能と考えられている家庭での介助者に社会参加の道を開きます。

企業組合ユニフィカの可能性

 ユニフィカを例とする在宅就労システムが浸透することにより、現在は就労不能と考えられている重度障害者、脳血管障害などの疾病による中途障害者、家族介護者など社会参加が可能になり、就労可能人口の増大に結びつけることができます。
 また増大する高齢者のニーズを満たすために必要な情報を、重度障害者である自身の身体データと生活ノウハウを通じ、具体的な方策の形で提案、提供できます。

業務内容

1.障害者・高齢者・介護者向けの生活情報の提供
2.障害者・高齢者・介護者向け商品・サービスについてのコンサルタント・開発支援
3.障害者・高齢者・介護者向け商品・サービスについてのマーケティング調査

お問い合わせ

企業組合ユニフィカ(Cooperative alternatives Unifica)
代表理事 林 美恵子
〒787-0009 高知県中村市佐岡537-9
TEL & FAX:0880-35-5463
E-mail: hayashi@heartful.ne.jp
URL http://www.heartful.ne.jp/