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地域と共生する精神障害者のコミュニティ―べてるの家の試み

(財)日本障害者リハビリテーション協会

項目 内容
備考 Webマガジン ディスアビリティー・ワールド 2003年11月号掲載

モデルのないユニークなコミュニティ

北海道浦河、過疎化の進む人口1万6千人の町に年間2000人の見学・取材陣が訪れる精神障害者のコミュニティがある。べてるの家、旧約聖書の「神の家」という意味を持つこのコミュニティでは、日本各地から150名近くの精神障害者と20名のスタッフが活動を行なっている。年齢層も10代後半から70代までと幅広い。精神障害当事者と地域の人々が協力して商売を展開している全国でも珍しいケースである。

地域に貢献するビジネス集団

べてるの家外観の写真
1978年、浦河赤十字病院精神科から退院した当事者と赴任してきたばかりのソーシャルワーカー、向谷地生良氏が地域に向けて何かをしたいと願いソーシャルクラブ「どんぐりの会」を発足させた。そして、1984年、地域の有志も加わり「浦河べてるの家」が開設された。その道のりは必ずしも平坦ではなかったが、25年間「地域のために自分たちができること」を目指し、日高昆布の産地直送販売、出版物販売、「ベリーオーディナリー・ピープル」という自分たちの生き様を描いたビデオシリーズ、介護用品の販売・レンタル事業などを次々に展開し、年商1億円近い売り上げがある。2002年2月、べてるは社会福祉法人と(有)福祉ショップの2つの組織を持つ精神障害者の活動体に発展した。

病(やまい)を自分の言葉で語る

インタビューには3人の精神障害当事者と2人のスタッフが現われた。ここで驚かされるのは、当事者の自己紹介である。それぞれ自分の病名とともに、自分の病気の個性を語るのである。統合失調症のMさんは子どもの頃から幻聴が聞こえていた。他の人もみんな幻聴が聞こえるのだと信じていたという。Kさんは同じく統合失調症で、またの名を爆発救援隊だという。以前はパニックに陥ると破壊、暴力行為に向かっていた。しかし、彼はべてるで、「自己研究」という方法により、自分が爆発してしまうメカニズムを解析しつつあり、爆発を他のエネルギーに変えていく実践を行なっている。

コミュニケーション重視の医療

日高昆布などを販売するショップの写真
べてるの人々と深いかかわりを持つ精神科医、川村敏明氏についてメンバーはこう語る。統合失調症のHさん、「名古屋では一日30錠の薬と2本の注射を打っていました。人間らしさを忘れていました。浦河に来て、川村先生と出会うことができ、自分の病気も個性と認めてもらうことができました。幻聴のこともすごい経験をしたんだね、とほめてもらえた。信頼できる医師にはじめて会えました」。川村医師は「勝手に治さない医療」を心がける。当事者とよく語り合う。たとえば薬を生活にどう役立てるかをお互いに相談して決めていく。コミュニケーションの重みを受け止め、SA(Schizophrenics Anonymous; 統合失調症の自助グループでメンバーが自分と病気のかかわり合いを話し合う)で病気を語り合う場を設ける。

コミュニケーションが全て

べてるの一日は朝のミーティングから始まる。一人一人、体調と自分で決めたその日の勤務時間を発表する。「今日は落ち込んでいます。3時までです」という具合だ。そして、仕事上での問題点などを話し合う。ふと壁を見ると、べてるの理念が目に入る。「安心してサボれる職場作り」「3度のメシよりミーティング」「手をうごかすより口を動かす」。まさに、自分の状態を外在化し、他者とのコミュニケーションを重視する姿勢を的確に表現した標語だ。この日は朝のミーティグが終わるとSST(Social Skills Training)が行なわれ、それぞれ自分の担当の仕事場に散っていった。

地域の人に貢献できることを考える

ショップで売られている本の写真
べてるのメンバーは地域の人についてこう語る。「精神障害者を怖い、と地域の人が思う気持ちもよくわかる。私たちはブループホームを建てたとき、隣近所の方々にあいさつに行きます。地域の人も緊張しているけど、私たちも緊張しているんです」 スタッフは「偏見を持つ人たちを非難したり、権利を主張するのではなく、偏見する人たちのことを理解したい」と話す。現在主流の精神障害者の活動とは異なった流れと受け取れる。べてるの人たちは地域の人たちにどのように受け止められているのだろうか?あるタクシー運転手は「あまりいい思いを持っていない人も確かにいる。でも、私はべてるの人と一緒に行動することもあるし、そのことを何とも思わない」という。

べてるの人たちは呼ばれれば全国どこへでも出かけ、講演会を行い、自分たちの体験を語る。そして、精神障害者が安心して働ける場所作りをしたいと、多くの人々がべてるの家や各地での講演会に出かける。今、べてるの家のメンバーは「地域の人たちに貢献できること」から「日本中の人への貢献」を考え静かな漁村、浦河からメッセージを発信しつつある。それは、彼らが意図しなかったことかもしれない。しかし、人との関わりの中で自分自身を取り戻す作業は、精神的な病いがあろうとなかろうとだれにとっても必要なことであり、それが多くの人々の共感を生み、べてるを訪れる人々が絶えない理由である。