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心をあたためる「クッキングハウス」
みんないっしょに生きていくために

(財)日本障害者リハビリテーション協会

項目 内容
備考 Webマガジン ディスアビリティー・ワールド 2003年6月号掲載

 東京郊外の調布市にある「クッキングハウス」に一歩足を踏み入れると、柔らかな日差しがふんだんに注ぎ込だ空間がほっとさせてくれる。「いらっしゃいませ」という元気な声とともに、来る人を温かく迎えてくれる。「クッキングハウス」は自然の素材のみを使った体に優しい食事を提供するレストランだ。15年前、ソーシャルワーカーとして病院の精神科で働いていた松浦幸子さんが、「心病む人たちとこの街でともに暮らしていきたい」と願い、居場所を作るために始めた。当時、精神障害者は病院に収容されてあたりまえという状況だった。退院しても、行き場所がなく再発し、また入院してしまうとうケースが非常に多かった。厚生労働省によると、現在日本には約33万人の精神障害者が入院しており、そのうち5年以上入院している人は14万以上(平成12年度版「我が国の精神保健福祉」精神福祉研究会監修より)。約半数が長期入院で、これは日本独特の現象だ。松浦さんによると、このうち7万人以上の人たちは、社会に受け皿さえあれば、すぐに退院可能な人たちだという。

ランチタイムで忙しく働くメンバーの写真
すべて自然の素材で作ったランチの写真

小さな居場所から

松浦さんは、障害があってもなくても、心の病気を持っていてもいなくても、共に生きたいという想いがあった。それは、大きなシステムでは実現できないと感じ、小さな場所から始めようと小さなレストランを開いた。「食べること」は人間の原点だ。いっしょに食事を作って、食べるという基本的なことから始めたいと思った。「心を病んでいる人たちがいそいそとここにやって来るようになった」。松浦さんにとって、そのことは大きな喜びだった。今では、レストランは3箇所に増え、21歳~68歳の80名のメンバーが、それぞれのペースで働いている。全員が精神科の治療を受けながら通っている。口コミやマスコミで紹介され、お昼になると近所や遠方からランチを食べにたくさんの人が訪れる。また、夕方には毎日、近所の一人暮らしのお年寄りにお弁当を届けている。

テーブルでお客さんと話をする松浦幸子さんの写真
メンバーと松浦幸子さんの写真:クッキングハウスの前にて

心を病んだ人たちは、対人関係に疲れてしまう。失敗するかもしれない、という不安で、外の世界に出ると緊張してしまう。松浦さんがここで行なう活動として、特に力を入れているのが、ルーテル学院大学の前田ケイ先生の協力を得て行なわれているSST(Social Skills Training)だ。入院生活で失われてしまったスムーズな対人関係の作り方、楽にできる行動のとり方をロールプレイで学ぶ。たとえば、美容院で「今日は仕事お休みですか?」と聞かれただけで、もう何を言ったらいいかわからず混乱してしまう、そんなメンバーのために、実際に美容師と客になってロールプレイで会話を練習する。答えたくない質問に対しては、軽くかわして別の話題に切りかえる。個々の実生活で遭遇する困難を想定して、様々な場面設定の練習を行なう。大事なことは、よかったところを見つけ、ほめる。ほめることによって、もろくなっていた自我が強化される。「練習したとおりにうまくいったよ。」このような積み重ねが自信につながる。また、精神障害者の家族のためのSSTも行なっている。再発防止には家族の協力が不可欠、と松浦さんは考える。親はなかなか回復しないわが子にあせりを感じ、自分たちの子育てに責任を感じ、途方にくれている。「あなたの子育ては間違ってはいませんよ。心を病むことはだれにだってあるのです。」今まで、いろいろなカウンセリングを受けても子育ての仕方に問題があったのではないかと言われ続けてきた親は、ほっと肩の荷が下りていくのを感じる。そして、心にゆとりができる。子供が親に対して怒りをぶつけそうになるとき、暴力をふるいそうになるとき、自信を失って混乱しているときなど、実際にロールプレイによって対処の仕方を学んでいく。本人の回復には家族とのよりよいコミュニケーションが不可欠だ。実際、SSTで学んだ人たちの再発が減っている。10名のメンバーはここを巣立ち、仕事を始めた。

市民の心の相談室

また、クッキングハウスでは、一般市民のための心の相談も行なっている。昨今の不況のなかでの対人関係のゆとりのなさ、子育ての戸惑いときゅうくつな学校生活、高齢化社会における不安など、様々な不安感や孤独感を抱えている人たちがとても多くなっている。予約は2ヶ月先までいっぱいだ。「心の悩みを抱えている人が特別ではなく、一般化している」と松浦さんは感じている。

4つめのクッキングハウス

松浦さんは、様々な場所に講師として招かれ、クッキングハウスで実践してきた経験を語る。時にはメンバーも同行し、自分の言葉で自分の歩みを語ってもらう。あるメンバーはこの松浦さんと共に行く各地での講演会を「4つめのクッキングハウス」と名づけた。「心の居場所」「ライフライン」「生きる希望」とメンバーが表現するこのクッキングハウスでの生活をぜひもっと多くの人にも伝えたいと、自分から語りはじめた。自分の想いを自分の言葉で伝える。何をしてほしいのか、どうしたら元気になれるのかを語ることによって、心を病んでいる人への理解が広がっていく。クッキングハウスは今日も、「小さな居場所から生きていこうよ」とメッセージを発信し続けている。それは、心の病気をした人だけじゃなくて、ストレスをかかえながらがんばっている人たちに向けられたメッセージでもある。