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第二部:インクルージョンのビジョン

会議の様子

第4章:知的障害のある人々と家族が決める、地域社会における自立した生活とインクルージョンの意味

本を読んでいる写真

この報告書の作成に当たり、95を超える国の家族と本人から情報が収集された。フォーカスグループ、協議、書面及び映像による話(ストーリー)、地域フォーラムなどを通じて、地域社会におけるインクルージョンとは、どのようなことを意味すると考えるか、聞き取りが行われた。

世界の一部の地域では、この質問と考え方は、本人と家族のどちらにとっても、定義することが難しかった。実家で暮らし、支援をほとんど、あるいはまったく受けていない当事者は、別の考え方を想像できないことが多く、家族は、貧しく暴力的な地域社会における障害のある家族の安全を懸念した。多くの国では、家族と離れた生活は一般的ではない。そのような国では、家族が、障害のある家族を助ける支援やサービスを想像し、開発することは困難な課題である。他の国では、住宅の利用に関する選択肢が限られていること、教育、雇用及び輸送機関への不十分なアクセス、そして選択の権利の否定により、地域社会におけるインクルージョンとはどのようなものかという質問が、特に難しくなってしまった。しかし、真のインクルージョンを想像することが困難であっても、あらゆる地域の本人が、それぞれの視点から、インクルージョンはどうあるべきかについて明確に述べてくれた。

本人には明確なビジョンがある

本人は、地域社会における自立生活とインクルージョンとは、どこで誰と住むかを選択し、いつ何を食べるか、日々をどう過ごすかなど、自分自身で決めることだと、非常に明確に語ってくれた。当事者は、買い物やお金の管理、日々の課題に支援や介助が必要な場合がある。中には、意思疎通や食事の介助など、さらに重大な支援が必要な者もいる。そのような介助を、家族から受けることを望んでいることもあるが、時には、これらのことを手伝ってくれる他人が、人生において必要となる。支援や介助を受ける際、本人は誰から、そしてどのように支援を受けるかを自由に選択し、主導権を持ちたいと考える。ほとんどすべての本人が、インクルージョンの意味について、友人を持つこと、学校へ通うこと、仕事を持つこと、地域社会に参加し、受け入れられること、そして地域社会で尊重されることであると説明した。ある本人は、地域社会における生活は、「私たちの夢の実現」を意味するとコメントした。別の本人は、「自分が尊重されているとわかるのは地域社会で生活しているときだけです」と述べた。本人は、疎外されることの意味を理解しており、インクルージョンについても定義した。ケニアでは、本人はこう語った。「インクルージョンとは、ほかの人々がしていることをすることです。」ニカラグアでは、本人は次のように述べた。「(地域社会とは)障害の有無にかかわらず、共に生き、気持ちを伝え合う人々の集まりです。」

スワジランドでは、本人はインクルージョンの意味を次のように語った。

  • 言論の自由と、どこでも望む所に自由に住めること
  • 障害のない人と同じように就職すること
  • 地域の活動に参加すること
  • 支援を得て、将来の夢を実現すること
  • 尊重され、高く評価されること
  • 意見を聞いてもらうこと
  • 自尊心を持つこと

バルセロナ(スペイン)での語り

「一人で生活するとは、もっと自由で、ほかの人が言うことに頼らないことです。仕事の後、家に帰ってリラックスして落ち着けるのが気に入っています。望む時にいつでも家族を訪ねられることも。私にとってそれは、人に縛られずに、望むことを何でもできるということです。管理されることが少なければ、もっと自由になれます。」

「自立生活とは、義務を引き受けるという意味です。以前は、家に帰ると何もかも終わっていました。今は、自分で全部しなければなりません。自分でしなければ、誰もしてくれないし、うまくやらなかったら、それは私の責任です。たとえば、お金についてですが、今は物の価値を知っていて、どれだけの価値があるのかわかるし、収入の範囲内でやりくりをしなければならないことも、費用を全部払うために、自分で計画しなければならないこともわかっています。誰もが一人で生活する機会を得られるわけではないことは知っていますし、私は住む所を選べてとても幸運です。施設で暮らすことは、絶対に自立ではありません。」

スペインの本人は語った。

地域社会における生活とは…

  • 個人的な試練であり、成長し、実行する機会
  • 自立生活と成人としての生活への道
  • 生活の質と個人の満足度にかかわること
  • 社会における存在感の強化
  • 敬意と尊厳をもって扱われること

必要なのは…

  • 地域社会で生活するための入口として、知的障害のある人々に開かれた労働市場。障害者は、非常に脆弱な経済状態の下で暮らしており、それが労働能力を制限している。
  • 自立生活を送っている知的障害のある人々と家族の安全と福祉を確保するための個別支援サービス
  • 公共住宅イニシアティブの開発
  • 非常に限られた社会環境の拡大。家族、専門家及び他の障害のある人々が、依然として主要な、そして唯一の交流相手である。

香港(中国)のフォーカスグループは次のように語った。

地域社会での生活とは…

  • 鍵を持つこと
  • 完全な自由を持つこと
  • 好きなものを自由に買えること
  • 食べたいものを自由に選べること
  • 余暇の過ごし方を自由に選べること
  • 出かける先を自由に選べること
  • 親と一緒にいられること
  • 家事をすべてこなせること
  • ガールフレンドと自由にデートできること
  • 自分の予定を立てられること
  • 自由に友人と会えること
  • 大人になること
  • 自立すること
  • 自由に人生を楽しめること
  • 終演まで自由に文化的な公演を楽しめること。
  • プライバシーがあること
  • パーソナルスペースが増えること
  • 日常生活の指導や、就職、デートや結婚にまで支援が必要であること
  • 家賃を支払い、自分の活動を計画しなければならないこと
  • 家事全般と、金銭面の管理について指導してくれるソーシャルワーカーを見つける必要があること
  • 家事をやってくれるヘルパーがいれば一番良い。
  • 家族と一緒にいること

家族の視点:より良い未来の想像

フォーカスグループと地域フォーラムに参加した家族は、障害のある家族を支える苦労話を語ってくれた。より良い未来と地域社会におけるインクルージョンの考え方は、希望と恐れの両方を引き起こした。家族は、障害のある家族の地域社会におけるインクルージョンとはどのようなものかを説明するよう求められた時、我が子が尊重され、高く評価され、支援されることだと答えた。そして障害のある家族が学校へ通い、他の子どもたちと遊ぶことができ、宗教団体に参加し、自分達家族を受け入れ、支援してくれる隣人がいることだと語った。より良い未来を想像していても、その希望には常に恐れが伴っていた。それは、障害のある家族の身の安全や、家族がケアや支援を提供できなくなる将来に対する恐れであった。

女性の写真 チリでは、次のような話が聞かれた。「このイニシアティブ(本報告)は、私には素晴らしいことのように思われます。なぜなら時には自分たちが目標に遠く及ばないと思えても、それは悲劇ではなく、悲劇とは、変革への希望を失い、目標到達に欠けているものによって落胆させられる時だということを理解する助けとなるからです。これが『不可能だ』と言う人は、あなたや私のような者が着手した道、すなわち、変革の道から、外れているのです!」

地域フォーラムでは、家族は地域社会を、自分の居場所、と定義した。それは、家族、友人及び隣人が、ともに生活を楽しむ場であり、人々が互いに支えあう場である。地域社会における生活とインクルージョンは、友人を持ち、ふつうの生活を送ることを意味する。参加者はまた、地域社会における生活に関する課題と恐れを認めた。多くの場合、地域社会はあまり人を歓迎せず、受け入れない。ある参加者は、「地域社会は、障害のある人をまったく尊重していません」と述べた。家族は知的障害のある我が子の地域社会における生活についての不安と、安全性と保護に関する恐れを示した。地域社会における生活は、支援がない場合や、本格的に人々を受け入れる手立てが採用されていない場合は難しく、また孤独をもたらす可能性がある。多くの国では、家族と離れて生活するための支援がまったくなく、生涯にわたる支援を家族に依存しなければならない。これはまた、たとえ親は自分が年老いても、親としての役割は決して終わらないことを意味している。

ガーナでは、家族は次のように語った。

「第19条を実現するには、地域社会全体で取り組まなければなりません。」

ボリビア コチャバンバ

私たちは、「子どもたちの権利を尊重し、彼らが実際には当事者であることを認め、彼らを信じることを学ぶ」必要がある。 「我が子には、私たちを頼って実家で終生生活することは望みません。」 「教えるよりも、してやった方が簡単な時もあります。」「…子どもの自立を促すのに手遅れということは決してありません。教えて、信頼して、地域社会で自由に暮らせるようにしてやりましょう。」 「私たちは、障害のある子どもたちが社会でより多くの機会を得られるように、信念と希望を持って闘っています。」

アフリカ ベナン

知的障害のある子どもが完全に自立できると夢見ることは、彼らのIQの低さからすれば、不可能に近い。この事例では、彼は第19条の意味を理解したいと考えた。そしてフォーカスグループの後、こう語った。「おそらく自立のために重要なのは、できる限りすべての仕事と活動に、彼らを参加させることでしょう。」

日本

7年前は、百人町3丁目の住人の多くが、知的障害のある人々の住宅施設を近くに設立することに反対していた。住人達は知的障害について知らず、画一的な偏見を持っていたからだ。また、そのような施設が、自分の不動産の価値を下げると強く感じている者もいた。グループホームに反対する大きな看板が近隣に設置された。しかし現在、グループホーム「ポケット」の住人は、地域社会にすっかり溶け込み、必要な支援を受けながら、自立した生活を送っている。

インクルージョンは可能

男性の写真 地域社会における完全なインクルージョンのビジョンと目標は、どの国においても完全には実現されていないが、世界各地から、知的障害のある人々が地域社会で生活し、働き、これに参加している好事例が聞こえてきた。それゆえ、これが可能であることはわかっている。どこに住みたいかを決める機会を得、日々の生活を管理し、支援が必要なことについて支援を得、地域の人々に受け入れられている人々について私たちは耳にした。また、こうしたことが個人的な努力と、機会の増加、友人からの支援によって、徐々に、ますます達成されつつあることについても耳にした。このような成功の物語は、さまざまな種類のニーズを持つ人々にかかわるものであり、彼らは極めて多様な経済的、社会的及び政治的背景を持ち、インクルージョンが、世界で裕福な国で暮らしている最も能力のある人々にだけ可能なことではなく、むしろ、障害の程度によらず可能であり、サービスだけの問題ではないということを示している。

スペイン

モンツェは次のように語っている。「結婚して自分の家を持ちたいです。」

私はボーイフレンドと結婚して自分の家を持ちたいです。今、私は友人たちと共同で部屋を借りる財団のプロジェクトに参加しています。携帯電話を目覚まし時計として使い、8時20分にはプラザカタルニヤ行きの電車に乗り、それからムンタネールまで地下鉄に乗ります。地下鉄の駅から、薬局まで歩きます。

私はお店で働いています。商品にラベルを貼ったり、注文を受けたり、宅配サービスに付き添ったりします。一日4時間、9時15分から13時15分まで働いています。月曜日と水曜日と金曜日には、コンテ・ボレル・ストリートのダウン症財団に行きます。そこで、コンピューターや会話表現、社交ダンスのワークショップに参加したり、雑誌の記事を書いたり、心配ごとについておしゃべりしたりします。

ボーイフレンドとは1年半付き合っています。名前はカルルスで、26歳です。彼はスーパーマーケットで働いています。

私はディスコや映画に行ったり、友達や一緒に来てくれる指導者と昼食や夕食をとったりします。(中略)毎週、財団での会議で、週末にどこへ行くか、いくら使うかを決めます。

ニュージーランド

マシュー・デーヴィッド・コーナー

僕はニュージーランドのウェリントンの、寝室が3つある家に、その家の持ち主のルームメートと一緒に住んでいます。近所の人達は親切で、一人で簡単に出歩けます。歩いて行かれる距離に村が一つあり、休みの日には家族と一緒に出掛けて楽しんでいます。僕と家族は違う町に住んでいます。僕にはおしゃべりをしたり一緒にコーヒーを飲んだりする、ボランティアの支援者がいます。

僕は週に4日間働いていて、15年以上やってきた本人活動について、ほかの人が勉強するのをサポートしたり、応援したりするために、IIHCで働いています。

僕はいろいろな団体に参加して、あちこちの団体の役員をしているし、ピープル・ファーストの会員にもなっています。施設で暮らしたことはありません。大人になるまでは、いつも家族と一緒に暮らしていました。僕のこれまでの経歴と特殊学級で教育を受けたことからもわかるように、僕には障害についての生の経験があります。そして、障害があっても、ほかの人と同じように扱ってほしいと思ってきました。僕は、フェースブックやスカイプ、電子メールなど、いろいろなコミュニケーションツールを使っている人達から、目に見える支援と目に見えない支援を受けています。

このようなサポートやガイダンスがなければ、また、皆が僕のことを信じてくれなければ、僕がこれまで人生で達成してきたことを達成することはなかったでしょうし、できなかったでしょう。

イスラエル

ギリはごくわずかな人しか到達できない目標を達成した。ギリは充実した人生を送っている。過去20年間にわたり、ギリは、イスラエル各地をめぐる、AKIMの「アザー・シアター(Other Theater)」で演じている。また、「スペシャルオリンピックスインターナショナル」と水中スポーツ国内大会(水泳)で、栄えある金メダルと銀メダルを受賞した。1994年には、タンデムスカイダイビングを経験した。

ギリは最近、自分の生活やダウン症の意味について会議で講演するよう招かれることが多い。また、「精神遅滞」という用語の改正を検討する小委員会にも参加した。委員会は、福祉省局長や法律顧問、福祉省代表者2名、AKIMイスラエル代表者らで構成されていた。ギリは「精神遅滞」という用語から皆が感じる不満を訴え、委員会は正式にこの用語を「知的障害」に変更するべきだと結論づけた。ギリは過去13年間、セルコム電信会社で定職に就いており、その仕事ぶりは高く評価されている。

ルーマニアでは、3人の若い本人が、施設からティミソアラの小さなアパートに移ることに成功したとのことである。施設では大勢で暮らしており、することはほとんどなく、罰も経験した。3人の女性は現在、有償の仕事に就き、NGOのペントル・ヴォイ(Pentru Voi)から支援を受けながら、地域社会で生活している。女性の一人は、犬を飼うという夢を実現した。

日本のある若者は、次のように語った。

今、一人で自立して生活しています。一人で住むことは、母・姉・兄と施設の人と相談して決めました。今住んでいるところが好きです。会社時代の友達が親友です。北海道のゆきまつりに一緒に行った思い出があります。今、施設の仕事をしています。家から電車とバスで通っています。いろいろやっています。たとえば、ビンさしとか封筒のテープはりの仕事が好きです。友達には休みの日に会います。ボランティアはしていません。休みのときには野球観戦をしたり、テレビで大好きな女子アナとかAKB48を見ています。買い物や野球の本も読みます。生活するのに、近所の人に手伝っていただいています。近所の人とは話もしています。ホームヘルパーを使っていますが、困っているときには近所の人が相談に乗ってくれたり、教えてくれます。

写真

コロンビア

フアナは32歳で、コロンビアのボゴタで家族と暮らしている。 フアナは、スペシャルオリンピックスの大使やベスト・バディーズのボランティアとして活動し、週1日はダウン症の子どもとともに活動するNGOのアシスタント教師として働き、ロールモデルとしての役割を果たすとともに、新たに加わったファミリーの励みにもなっている。

フアナはフルートを吹き、英語を習っている。スペシャルオリンピックスでは水泳をするので、週に2回、シティーリーグや所属クラブの水泳チームで練習している。

フアナはこの7年間、ボーイフレンドのクリスチャンと付き合っていて、知的障害のある友人達とほかの友人達とをつなぐコネクターとしての役割を楽しんでいる。フアナは自分がリーダーだと考えている。

フアナは面白いビデオやコメディを見たり、任天堂のゲームやWII、WIIFITプラスをしたり、YouTubeで動画を見たり、友達とメールやスカイプ、フェースブックでつながったりすることが好きだ。

フアナの兄弟姉妹は、自由に街を動き回ることができるが、フアナはできない。フアナは、彼女に何か起こるのではないかという周りの人の心配が、自立を妨げていると考えている。

フアナは、周りの人が自分のことを能力がないと見なし、そう思い込んでいると感じている。それがつらいのだ。周りの人は、フアナが考えていることを言わせてくれない。

フアナは幼稚園の先生になり、友人達のリーダーとなり、あれこれ勧められることなく一人で旅行し、ボランティアを続けたいと考えている。

親と暮らしながら、親は親の生活をし、私は私の生活をする。自分で決めたいし、友人との外出でももっと自立して、一人で街をあちこちめぐりたい。好きな日にいつでもボーイフレンドと出かけたい、とフアナは言う。

成人の写真

日本

内山萌はアーチストとして仕事をしています。家族と暮らし、水泳・馬術を楽しみ、日本での成人年齢である20歳になりました。彼女は次のとおり話しています:

「私の作品を見ると周りの人達はうれしくなります。だから、たくさんのいい作品を造りたいです。 家では料理、掃除、洗濯のおてつだいをしてお母さんを助けます。お料理が大好きです。スタジオでの作品のなかにはキーホルダーや絵葉書があります。お店で売っています。 いろいろできるようになったら、スタジオの先輩のように寮監さんのいるグループホームに住みたいです。 今、スタジオで働いて、家族と暮らしているのが幸せです。年を取ったおじいちゃんとおばあちゃんのことが心配です。でも、私が助けてあげられます。私はもう大人なので、みんなにやさしくします。 先月、成人式のお祝いをしました時、着物をきました。家族、近所の人達、友達が祝ってくれました。とてもうれしかったです。」