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第三部:我々はインクルージョンへの道のりをどこまで進んできたのか?

子供と女性

第5章:障害者の権利条約第19条:選択の機会、支援、インクルージョン

スカイダイビングをしている写真

第4章で聞き取った、地域社会におけるインクルージョンの意味についての、知的障害のある人々とその家族による説明が、障害者の権利条約第19条に反映されているのは、偶然ではない。第19条は、障害者の権利条約全体と同様、知的障害のある人々とその家族の地域社会における生活とインクルージョンの権利だけでなく、インクルージョンの達成に必要な要素への理解も示すために定められた。我々は、知的障害のある人々とその家族から、地域社会における物理的な存在は必要であるが、それだけではインクルージョンに十分な状況とは言えないことを学んだ。

第19条は、完全なインクルージョンの達成に必要な要素を考えるための枠組みを提供する。「この条約の締約国は、障害のあるすべての人に対し、他の者と平等の選択の自由をもって地域社会で生活する平等の権利を認める。締約国は、障害のある人によるこの権利の完全な享有並びに地域社会への障害のある人の完全なインクルージョン及び参加を容易にするための効果的かつ適切な措置をとるものとし…」という主要なコミットメントに加えて、第19条では、この権利を達成するための相互にかかわりあう3つの措置、すなわち、選択の機会、支援及びインクルージョンを特に取り上げている。

第19条(a) は、どこで誰と生活するかを選択する機会を持つことを明確に義務づけている。「障害のある人が、他の者との平等を基礎として、居住地及びどこで誰と生活するかを選択する機会を有すること、並びに特定の生活様式で生活するよう義務づけられないこと。」

第19条(b)は、地域社会における生活とインクルージョンに必要なサービスを含む支援の種類に言及している。「障害のある人が、地域社会における生活及びインクルージョンを支援するために並びに地域社会からの孤立及び隔離を防止するために必要な在宅サービス、居住サービスその他の地域社会支援サービス(パーソナルアシスタンスを含む。)にアクセスすること。」

第19条(c)は、地域社会におけるインクルージョンの必要性を述べている。「一般住民向けの地域社会サービス及び施設が、障害のある人にとって他の者との平等を基礎として利用可能であり、かつ、障害のある人の必要に応ずること。」

家族と本人のインクルージョンのビジョンと、彼らが現在、地域社会におけるインクルージョンの権利の達成において直面している現実に関する重要なメッセージに耳を傾ければ、選択の機会、支援及びインクルージョンという3つの要素のそれぞれが、互いに影響を与えていることは明らかである。当事者と家族によって伝えられた、地域社会における生活とインクルージョンの権利に関するメッセージは、これら3つのカテゴリーに分類される。

図1:第19条概略図

第19条概略図図1テキスト

アルゼンチン

ファン・コベナス‐私には、一言で重複障害と言える障害があります。子どもの頃は、私を教育することはできないと思われていました。私は話せないし、皆にわかるようなジェスチャーをしたり、両手を使ったりできないし、具合が良いようにも見えないので、特別支援学校から追い出されました。あらゆる種類の社会参加から外されたのです。学校生活を始めなければならない時に学校から追い出されたため、私はずっと孤立することになりました。のけ者にされた人は、文化面でもハンディキャップに苦しみ、そのために、ほかの人達とは違っていきます。当時は言葉にできませんでしたが、私はそんなふうに感じていました。8歳で、当時唯一私を受け入れてくれた保育園の「普通の」赤ちゃんの集団に入った時のことです。

選択の機会

男性の写真第19条(a)「障害のある人が、他の者との平等を基礎として、居住地及びどこで誰と生活するかを選択する機会を有すること、並びに特定の生活様式で生活するよう義務づけられないこと。」

第19条の最初の項は、選択の機会に関するもので、2つの重要な側面を備えている。すなわち、他の者との平等を基礎として自分で選択する権利と、地域社会において他の人々の選択肢と同じ選択肢を利用できるということだ。面談や調査を通じて私たちは、知的障害のある人々の大多数は、どこで誰と生活するかを、家族や後見人あるいはサービス提供者に決められてしまっているということを耳にした。地域社会が住宅に関して、地域の他の人々の選択肢とは異なる代替的かつ差別的な選択肢を提示し続けているために、知的障害のある人々の選択肢は限られてしまっているのだ。

意思決定の権利

フォーカスグループの議論やさまざまな調査、そして本人の語りから、自分自身で決定を下す権利がどれほど制限されているかがわかった。知的障害のある人々は、自分の好みを伝えたり、自分で決定を下したり、自分の意見を聞いてもらう権利を、一貫して否定されている。公式には後見人制度によって、非公式には知的障害のある人のために第三者がすべての決定を下すという慣習によって、知的障害のある人々は自分の意見を聞き入れてもらえずにいる。その結果、生活に影響を与える大きな決定(どこで生活するか、誰と一緒に生活したいかなど)や日々の決定(いつ食べるか、いつ出かけるか、出かけた時に何をするかなど)において発言権がない。世界のすべての地域の本人にとって、地域社会における生活とインクルージョンの権利の達成における重要な課題は、自分自身の生活を管理することであった。

ザンジバル

私は家族から経済的な援助を受けていて、出かける時はいつも、早めに家に帰るよう言われます。言うことを聞かないと叩かれるので、考え直します。もっと自由が欲しいし、仕事も、妻も欲しいのです。それから、医者になるための研修も受けたいです。また、農村地域など、ほかの地域に旅行し、スポーツの催し物にも全部参加したいです。

イギリスでは、ある本人が、地域社会での生活について、何が一番気に入っているかを話してくれた。「自分が望むように生活できるようになりました。自分自身で選び、食べたい時に夕食を取り、いつでも好きな時に出かけたり帰ったりできるようになりました! 本当に気に入っています!」

生活の中で意思決定の権利を持つことは、地域社会における生活とインクルージョンの権利には欠かせない。これらの決定を、公式な支援を受けることなく下せる人もいる。しかし、自分の選択肢が何か、また、決定の結果どうなるのかを理解するために、支援が必要な人もいる。また、自分の決定を明確に示し、自分の意見をほかの人に理解してもらうために支援が必要な人もいる。生活における意思決定に支援が必要か否かにかかわらず、決定するのはやはり本人である。

ニュージーランド

私の名前はモアナ・パーカーで、もうすぐ50歳です。ニュージーランドのウェリントンに住んでいます。私はマオリで、先祖はワンガヌイ地域からやってきました。私たちが皆幼かった頃、ソーシャルワーカーに引き離されて、違う人と生活することになりました。私はおばさんとおじさんと暮らすことになりましたが、兄弟姉妹は養育家庭で知らない人たちと暮らすことになりました。10歳の時に、ソールズベリ女子ホームという所で暮らすことになりました。それは、家族とは遠く離れた南島にありました。ソールズベリの女の子たちは皆、自分の家族と暮らせないので、そこで生活しなければなりませんでした。

私はそこで6年間暮らしました。ソールズベリの食事は、私が慣れ親しんでいたものとは違っていたので、嫌いでした。誰かがテーブルを離れていいと言うまで、何時間もテーブルに着いていなければなりませんでした。30人ぐらいの女の子達と一緒に、一つの大きな部屋で寝ました。そこでは学校にも行きました。私は数学が好きでした。お気に入りでした。休日に家に行くことは許されていませんでした。職員の中には、私達によくしてくれない人もいて、定規でたたかれて、痛かったです。職員にはよく叱られました。言うことを聞かないと、ときどき「牢屋」に閉じ込められました。それが怖くて、女の子達は嫌がっていました。16歳の時、ソールズベリを出ることができて、嬉しかったです。でも、どこへ行ったらいいのかわかりませんでしたし、空港には誰も迎えに来てくれませんでした。マオリの婦人警官がやってきて、私を捕まえて、おばさんとおじさんの所に連れて行きました。車の座席に足を乗せないように言われました。

しばらくして、おばさんとおじさんの家の近くの、グロスター通りにあるIHCホームで暮らすことになりました。それからミラマーに引っ越しました。私は50カ所を転々とし、いろいろな生活をしてきました。アパートに別の人と一緒に住んだこともあれば、4人で一軒家に住んだこともあります。この10年は、ある家庭に下宿しています。私は家族と暮らすのが好きです。特に、笑って、楽しい時には。一人暮らしは好きではありません。19歳の時、IHCで働き始めました。電話番をしたり、手紙の整理をしたり、ファイリングをしたり、ありとあらゆる仕事をしました。IHCでは22年間働きました。2年前、違うことがしたくてその仕事を辞めました。それ以来、職探しを手伝ってくれる人もいたのですが、仕事を見つけられずにいます。

意思決定の権利(障害者の権利条約第12条)は、地域社会における生活の権利(障害者の権利条約第19条)と相互に関連しており、これら2つの権利は合わせて読まれなければならない。障害者の権利条約第12条は、障害のあるすべての人々が、生活において決定を下す完全かつ平等な権利を有することを保障している。さらに、これらの決定を下すために支援を利用することは、自分自身で決定するという本人の権利を損なうものではないと認めている。

CRPD第12条

法律の前における平等な承認

  1. 締約国は、障害のある人が、すべての場所において、法律の前に人として認められる権利を有することを再確認する。
  2. 締約国は、障害のある人が生活のあらゆる側面において他の者との平等を基礎として法的能力を享有することを認める。
  3. 締約国は、障害のある人がその法的能力の行使に当たり必要とする支援にアクセスすることができるようにするための適切な措置をとる。
  4. 締約国は、国際人権法に従い、法的能力の行使に関連するすべての措置には濫用を防止するための適切かつ効果的な保護が含まれることを確保する。当該保護は、法的能力の行使に関連する措置が、障害のある人の権利、意思及び選好を尊重すること、利益相反及び不当な影響を生じさせないこと、障害のある人の状況に対応し及び適合すること、可能な限り最も短い期間に適用すること、並びに権限のある、独立の、かつ、公平な当局又は司法機関による定期的な審査に服することを確保するものとする。当該保護は、当該措置が障害のある人の権利及び利益に及ぼす影響の程度に対応したものとする。
  5. 締約国は、この条の規定に従うことを条件として、財産の所有又は相続についての、自己の財務管理についての並びに銀行貸付、抵当その他の形態の金融上の信用への平等なアクセスについての障害のある人の平等な権利を確保するためのすべての適切かつ効果的な措置をとる。締約国は、また、障害のある人がその財産を恣意的に奪われないことを確保する。

意思決定における重要な問題

公式な後見人や代理人による意思決定

後見人や代理人による意思決定は、会員組織との協議における主要なテーマではなかったが、調査研究からは、後見人及びその他の形態の代理人による意思決定のために、知的障害のある人々が自分自身の生活について意見を述べ、コントロールすることが否定されていることが明らかになった。このように決定権がないために、知的障害のある人々は、どこで誰と生活するかを選べない。このような決定は、家族や第三者が行うことが多いと言われている。その結果、知的障害のある人々は、意思に反して施設に収容され、自分が選択していない場所で生活している。法改正が必要であるが、それだけでは必要な改革段階を達成することはできない。知的障害のある子どもの権利と、その子の成長と発達に伴い、自分自身で意思決定できるよう力をつけるにはどうしたらよいかを、家族が理解できるよう支援するには、家族への投資が必要である。また、支援付きの意思決定を認め、これを可能にするための、地域社会における支援とシステムへの投資も必要である。

代替的意思決定の文化

公式な後見人が存在しない場合でも、現実には、家族と地域社会が本人のために意思決定をする際に、本人に相談しないことが多いという声が聞かれた。意思決定の経験と能力は、生活全体を通じて育まれ、発達していく。個人の自主性という観点から意思決定を認める文化もあれば、集団による相互責任を強調する文化もある。知的障害のある人々は自分自身で意思決定ができないと、周りが思い込んでいるケースはあまりに多い。アフリカのあるフォーカスグループに参加した一人は、こう語った。「知的障害のある子どもは、家にいる時から、いい思いをしていません。この子達は教育を受けられる、そして、自立生活をおくることができるという考えは、受け入れられてきませんでした。」

知的障害のある人々が自分で意思決定をする権利を確保するには、日々の生活において、知的障害のある人々の意見を否定する習慣を変えていかなくてはならない。それは、知的障害のある人々が他の人々に自分の決定を聞き入れてもらい、尊重してもらうために、地域社会を変え、社会関係を変えていくということだ。そして、障害のあるすべての人が、必要と見なされる支援のレベルにかかわらず、自分自身で意思決定できるようにするにはどのように支援していけばよいのかを理解するために、地域社会の能力を構築することである。

支援付き意思決定のモデルとインフラストラクチャーの欠如

女性の写真いくつかのフォーカスグループの議論では、障害のある家族が自分の意見を述べ、生活において意思決定ができること、またできるようにならなければならないということを、家族が理解している一方で、支援付き意思決定を実施するための手段や支援が、地域社会から得られていないことが明らかになった。

ケニアのフォーカスグループのファシリテーターからは、次のような話が聞けた。「親は、本人が身の回りのことをどのように処理したらよいのか、そして地域社会からの嫌がらせをどう避けたらよいのか、心配していました。」ある親はこうコメントした。「子どもたちのアイディアはいいのですが、それを達成できる方法がありません。」若者特有のビジョンと野心は、今なお、多くの者にとっては遠い夢であり、地域社会による否認、否定的な態度そして機会やリソースの欠如に疲れ切った親からは、認められないことがある。知的障害のある人々とその家族の話と体験は、これが支援付きの意思決定に対する理解の欠如や、支援付き意思決定を可能にする法的メカニズムの欠如と、大いに関係していることを実証している。これらの決定を家族が下してきたという歴史は、懸念すべきことである。確かに、ほとんどの家族は、愛情と、我が子を「保護」したいという希望とに突き動かされている。しかし、保護という名の下に、当事者はその権利を否定されているのだ。家族はしばしば、代理人による意思決定の手配による「保護」が、最も安全だと信じ込まされている。多くの国において、知的障害のある人々が自分自身で意思決定できるということに関して、経験や理解がほとんどない。特に、これまで理解されてきた方法での意思疎通が極めて困難な人々については、その人がどのようにして自分で意思決定できるのかを理解することは難しい。世界各地でセルフアドボカシー運動の高まりが目撃され、知的障害のある人々が固定概念や従来の思い込みに挑戦する姿が認められている。彼らは変革を推し進め、先頭を切って前進している。そして「保護主義」に挑戦し、自分達も障害のない人々のように失敗し、その失敗から学びたいのだと訴えている。彼らは、支援があれば、自分自身で決定を下せること実証している。

第12条が政府に対し、支援付き意思決定のモデルを開発することを義務づけているにもかかわらず、支援付き意思決定は、ごく少数の国でしか正式に認められておらず、家族や専門家、あるいは地域社会による十分な理解が必ずしもあるとは言えない。支援付き意思決定は、当事者が生活における意思決定に支援を必要としている際に利用できる、意思決定の一手段である。支援付き意思決定では、すべての人に対し、家族や友人、同僚など、最も身近な人で信頼している人の支援を受けながら意思決定することを認める。意思決定に支援が必要な人々にとって、支援付き意思決定は、本人の成長と変化に合わせて発展し、変化していくプロセスである。

4名の男性と女性支援付き意思決定は、多くの形を取ることができ、さまざまな支援を含めることができる。決定事項の理解を助けるという最小限の支援もこれに含められる。そして、わかりやすい言葉の使用及び/あるいは決定事項に対する理解の支援、もしくは、本人の意思や好みに関する情報を通じて意思決定を明確に行えるようにする支援の輪やネットワークのような、より集約的なレベルの支援が必要となる場合もある。地域社会における生活とインクルージョンや、その他の決定についての自分のビジョンを、従来の方法を使用して言葉で明確に述べられる者にとっても、意思決定において支援を受ける権利はインクルージョンに不可欠である。支援付き意思決定は、(意思決定能力について、他の者からどのように思われているかは関係なく)すべての人々が自分自身の生活を管理できるようにするための一手段である。

契約を結ぶ権利の否定

知的障害のある人々は、どこで誰と生活するかを決定できるようにならなければならないだけでなく、地域社会において生活するために、契約も結べるようにならなければならない。後見人制度が原因なのか、あるいは第三者によって「無能力」と認識されてしまうことが原因なのかは不明だが、貸借契約、ガス・電気・水道の契約、雇用契約、婚姻などの、契約を結ぶ権利を否定されるとの話が、家族と本人から寄せられた。第三者には、医療専門家、サービス提供者、金融機関、弁護士などが含まれ、これらの人々は、正しい情報を得た上での合意による意思決定が、本人に対する治療やサービスの拒否につながる可能性があることについて、責任懸念を示した。意思決定の代替策がないことから、治療及び/あるいはサービスを確保するために、家族は後見人を求めざるを得ない。

スウェンソンの話

チャーリー・スウェンソンは、従来の方法では意思疎通ができず、大いに支援を必要としている。家族と支援チームは、チャーリーがどのような人物か、好きなことと好きでないことは何かなど、彼に関する深い知識に基づき、その意思決定を明確にするためにともに取り組んでいる。母親のスーは、後見人(一人の人物がチャーリーを代弁すること)の危険性を理解しており、チャーリーはほかの人のようには決定事項を伝えられないが、それでも、その決定が彼自身の意思であることを確保するため、集団によるアプローチが必要であると信じている。これは、チャーリーの家族と支援チームが、地域社会での自分の居場所をチャーリー自身が見つけられるよう支援したことからも明らかである。

チャーリーは家族に、家を出て一人で暮らす準備ができたと伝えた。チャーリーは移動に車いすを使用しているが、車いすで玄関まで行き、扉を内側からノックしたのだ。チャーリーを知らない者なら、彼が何を伝えようとしているのか、あるいは彼が何かを伝えようとしていることさえも、わからなかっただろう。しかしスウェンソン家の人にはわかった。そこで地域でチャーリーにふさわしい家を探す長い旅に出た。ルームメート候補はすぐに見つかった。書類の上では、その相手はぴったりだった。家族は知り合いだったし、同じような価値観を持ち、インクルージョンを確信していた。若者達も互いを知っていたし、仲が良かった。しかし、一つ問題があった。チャーリーはオペラが好きで、大音量で聞くのを好んだ。だが、ルームメート候補はオペラが好きではなく、静かな住環境を好んだ。後見人であれば、あるいは、チャーリーの意思をあまり気にせず、重要だと考えなければ、二人をルームメートにするのは簡単だったであろう。しかし、支援付き意思決定を通じて、家族で熱心に検討した結果、スウェンソン一家は、これはチャーリーが自分自身のために下す決定ではないと確信した。そこで一家はさらに探し続け、ついにチャーリーが我が家と呼べる家を見つけたのである。

どこで誰と

写真世界各地で知的障害のある人々は、障害のない人々と同じように、地域社会における生活とインクルージョンを望んでいることをはっきりと示してきた。知的障害のある成人の大多数は、実家で家族と生活し、政府の支援をほとんど、あるいはまったく受けていないことがわかっている。入所施設は今なお多くの国に存在し、サービス提供者によって高度に規制されている隔離型住居や別のタイプのさまざまな住居が引き続き開発され、「地域における生活」の選択肢として多くの国で提供されている。本人と家族からは、なぜ住居に関する選択肢が制限されてきたのか、また、なぜそれらは隔離型で、孤立をもたらすものなのか、いくつか理由を聞くことができた。

どこで誰と生活するか、選択できることについての重要な問題

家族が唯一の支援者

知的障害のある人々の大多数にとって、日々の生活の中で受けている唯一の支援は、家族からの支援である。これは、家族と生活する家が、必要な支援を得られる唯一の場所であることを意味している。多くの政府は、障害者の権利条約を批准したとはいえ、個別の柔軟な支援やサービス(これらの支援やサービスについては、本章の次の項でさらに論じる)を提供できていない。

政府が提供する居住は、隔離型「施設」

家族がバラバラになり、知的障害のある人のケアができないとき、国による支援やサービスが入所施設で提供される。それは施設の構造を持つが、隔離型で、孤立をもたらすものである。知的障害のある人々が施設に入所する場合、一般に本人との協議の過程を経ることすらないと、会員は報告している。家族の崩壊は、政府や地域社会が、家族や本人に、危機的状況に陥るまで適切な支援を提供できなかった結果であることが多い。カナダのある母親は、家族が知的障害のある我が子を自宅で育てられるように提供される支援がないことについて、次のように不満を表した。「不十分なサービスと支援に直面したとき、親は基本的に、何もかも自分達でやる方法を見つけられない限り、子どもをチルドレンズ・エイドに任せるか、刑事司法機関に託すか、選ぶことになると言われます。本当にそうなのですか? それが、私達ができる最善の策なのでしょうか?」

不動産に付随している日常生活支援

実際に地域社会で提供される支援やサービスを開発する取り組みが進められてきた所でも、多くの人が依然として隔離され、孤立させられている。なぜなら、特定の家や共同住宅、あるいは施設にサービスが付随していたり、政府や地域社会の各機関が、地域社会の他の人々が利用できる住宅を選べるようにする代わりに、障害のある人々を特に対象とした別の「障害のある人々専用」の選択肢を、引き続き設けたりしているからである。オランダでは、支援のニーズに関する適格基準が、住居の選択における重大な障壁となっていることが判明した。特別医療費に関する一般法の下では、「あるグループは、施設でのケアは不適格とされ、個別のニーズに基づく支援を受ける。あるグループは、支援のニーズが高いと見なされ、施設でのケアに適格だとされる。障害のある人々は、自分自身ではどちらのグループに所属するかは選べない。その選択は、あらゆるケースにおいてケアの適格性を決定する独立機関、CIZに任されている。」1

選択肢に関する限られたビジョン

男性二人の写真非常に多くの場合、人々のビジョンと選択肢は、何か利用可能かによって、また、態度や信念によって、制限されてしまう。本人から寄せられた話の多くは、グループホームで生活したいという内容であった。それが地域社会で彼らに提供される唯一の選択肢であるからだ。フォーカスグループや、さらに踏み込んだ議論では、実家を除けば、グループホームが唯一の選択肢であることが、しばしば明かされた。ヨルダンとネパールにおける議論の参加者らはグループホームを探していた。グループホームは、彼らがこれまで耳にしたことのある、地域社会における生活を支援する唯一のモデルであるからだ。モーリシャスでは、家族と本人が、実家で生活することが唯一の選択肢だと述べるのを聞いた。彼らは、「実際のところ、選択肢はなく、ほかには何も利用できないのです」と語った。

安全と暴力

時には、地域社会における安全と生活に関する恐れや懸念のために、ビジョンが制限される。家族と本人からは、「地域社会は障害のある人々に対して何の敬意も払わない」ため、地域社会における生活は、支援なしでは困難で孤独なものとなる可能性があるという声が聞かれた。家族は、知的障害のある我が子の安全と保護に関する懸念を表明した。当事者の中には、家族と離れて地域社会で生活することを、親が許してくれないと不満を訴える者や、自分の身に何かあっても誰も助けてくれないと恐れている者がいた。

ケニア

「私は、ダマリスのいとこが彼女を大事にしてくれることも、彼女との意思疎通の方法を知っていることもわかっているので、心配していません。ダマリスはまだ近くにいて、毎日電話で話すので、何かまずいことがあればわかります。キアンブ郡ンドゥムベリにある、いとこのホームサロンで美容師の勉強をしながら、ダマリスは2人の子どもの世話を手伝い、家族生活についても学び、家事もしています。」

「私たちが暮らす地域では、誰もが障害のある人々を受け入れてくれるわけではありません。知的障害のある人々について知らない人たちは、彼らをけがれた人として扱いますし、すべての教師が彼らを教室に受け入れてくれるわけではありません。私たちは、子どもたちを地域で受け入れてほしいと考えています。」

さらに、本人の女性の多くが、レイプについて心配しており、外出を恐れているとコメントした。また、仲間から性的行為を強いられているという報告もあった。そのような性的暴力と虐待は、地域社会内での敬意の欠落を示している。

支援

第19条(b)「障害のある人が、地域社会における生活及びインクルージョンを支援するために並びに地域社会からの孤立及び隔離を防止するために必要な在宅サービス、居住サービスその他の地域社会支援サービス(パーソナルアシスタンスを含む。)にアクセスすること。」

世界各地の知的障害のある人々の大多数は、自宅で家族と生活しており、自宅で家族と生活している人々の大多数は、地域社会における「自立した」生活に必要な支援を受けておらず、家族も、障害のある家族のインクルージョンを実現するために必要な支援を受けていない。知的障害の人々が生活している場所を示す信頼のおける国勢調査データはほとんどないが、国別調査に回答した会員の100%が、国内の知的障害のある人々の大多数が自宅で家族と生活していると述べた。

図2:知的障害のある人々はどこで暮らしているのか 国別調査の結果

図2図2テキスト

公式なサービスへの知的障害のある人々によるアクセスは、地域や国によって異なるが、知的障害のある人々が世界のどこで生活していても、彼らが受けている支援のおもな提供者は、その家族である。しかし、家族は一貫して、(経済的な支援、サービス、情報または計画立案の援助などの)支援をほとんど、あるいはまったく受けていないと報告してきた。これは、地域社会における在宅サービスと支援に対する本人のニーズだけでなく、介助者や人権擁護者として、また地域社会との経済的・社会的リンクとしての役割を果たす家族のニーズについても、理解しなければならないことを意味している。

本人に対する支援

知的障害のある人々にとって、地域社会で役割を果たし、これに参加するために必要な支援とサービスの種類は、文化や地域によって、また、本人が望み、必要とする支援の性質によって、大きく異なる。ここでは、政府が公式な支援として提供し、あるいは資金援助している障害関連のサービス、経済的な支援、情報と計画立案、並びに家族や隣人、友人及びその他の地域の人々が非公式な支援として提供している無償の援助について述べる。

子供たちの写真支援は、知的障害のある人に重点的に提供される場合もあれば、家族を中心に提供される場合や、本人と家族の両方に提供される場合がある。そして、支援機器や物理的な支援が含まれることもあるが、多くは、身の回りの世話の援助や、教育または雇用における支援、意思決定における支援、家事や食事の準備、あるいは金銭管理の支援などである。知的障害のある人々とその家族に対するサービス及び支援の種類と利用可能性は、世界各地で大きく異なり、地域による差が大きい。都市部ですぐに利用できるサービスや支援は、農村部で利用できるサービスや支援(そのようなサービスや支援がある場合)とは、著しく異なっている。本人と家族が、利用可能な公式のサービスや支援についてほめたたえるのを聞くことはまれであったが、一部の人やほとんどの人が、これらを利用できる国もある。イスラエルでは、知的障害のある息子が2人いる父親がこう語った。「私達は息子達のために、インクルージョンを求めて闘っています。どうしてこんなに難しいのでしょうか? なぜ、いつも親が重荷を背負わなければならないのでしょうか?」これは高所得国に共通するテーマであった。低所得国では、一般の国民でも、就学できる家庭はごくわずかで(授業料と制服代を支払える家庭のみ)、一部の公共医療サービスの利用も限られている。これらの国では、障害関連の支援やサービスへのアクセスはほとんど存在しない。世界の多くの地域で、知的障害のある人々とその家族のニーズに合わせた特別なサービス(それが存在する場合)は、おもに知的障害のある人々の家族の懸命な努力により、時には政府からの経済的な支援もあったが、多くはそのような支援をまったく受けることなく、生み出されてきた。

各国で利用できるサービスや支援に関するデータの、総合的で信頼のおける情報源は何も見つからなかったが、非常に貴重な資料が一件ある。2007年、世界保健機関は知的障害に関する『アトラス』を発行したが、その序文には次のように記されている。

「現在、知的障害のある人々のためのリソースとサービスに関する情報はほとんどなく、断片的で、主として高所得国に関する情報である。サービスの利用可能性や性質、ある特定の国におけるサービスへのアクセスに関するデータを見つけるのは難しく、そのようなデータは国際的なレベルでは存在しない。国内のサービスとリソースに関する情報の利用可能性と形式は、高所得国と低・中所得国の間で大きな格差が認められる。一部の高所得国には大量の情報が存在し、広範な情報システムに基づく詳細な報告が公表されてきた。これに対し、低・中所得国では、資料ははるかに乏しく、また不正確である。ほとんどの場合、そのような資料は、ある特定の個人の集団の特殊な経験や、一つの診断名、または一つの地域を基にしている。しかし、あらゆる所得層の国において、国レベルでの状況を説明する総合的な数字を見つけることは難しい。」2

2011年に世界保健機関と世界銀行によって発行された『障害に関する世界報告書(the World Report on Disability)』では、障害のある人々に対する介助と支援を阻む障壁について次のように説明し、知的障害のある人々に関する特別な問題をいくつか明らかにしている。

「アシスタンスと支援の大部分は、家族やソーシャルネットワークが担っている。国による公的なサービスの提供は一般に進んでおらず、非営利団体が網羅できる範囲は限られており、民間市場でも障害のある人々のニーズに合った手頃な価格の支援が十分に提供されることはほとんどない」3

これらのリソースが政策レベル及び法的レベルの情報を示している一方で、知的障害のある人々とその家族のためのサービスや支援に関する情報はほとんどない。入手可能な情報は、サービスや支援の利用可能性や質、妥当性ではなく、「本に記されていること」を語ったものである。ここで紹介する知的障害のある人々とその親の話や体験は、重要かつ強力な情報源であり、それゆえ、今後の彼らの生活を改善するために不可欠である。

我々の調査の回答者は、利用可能なサービスと支援は、その本質において、隔離と施設収容であることを明確に理解していた。

図3:知的障害のある人々のための地域に根ざしたプログラムとサービス 国別調査の結果

図3 図3テキスト

高所得国の人々に対する支援

政府と地域社会のリソースが、知的障害のある人々とその家族の支援に充てられている国では、サービスの順番待ちリストに関する話や、グループホームやシェルタードのワークショップのような隔離型プログラムが引き続き重視されていること、そして地域社会における孤立に関する話が常に聞かれた。多くの国が、かつての施設収容から脱却したが、本人と家族からは、孤立と疎外が依然として一般的であるとの声が聞かれた。施設入所者を退所させ、あるいは施設入所自体を防止するために地域社会で確立されたサービスと支援は、人々の生活を改善してきたが、その一方で、真のインクルージョンの達成にはたびたび失敗してきた。

(掲載者注:シェルタードのワークショップには、労働法が適用されるものもあれば、福祉作業所のように適用されないものもある。)

イスラエルでは…

  • 政府が地域社会における自立した生活を奨励している。イスラエルにおける地域社会での生活とは、共同住宅や寮に住むことを意味し、知的障害のある人々の30%が自宅以外の施設で生活している。
  • イスラエルには知的障害のある人々が約34,500人おり、そのうち24,000人が家族と生活している。入所施設で生活している1万人のうち、7,500人が施設(定員60人を超す)で、1,500人が寮(定員24人)で、1,000人が共同住宅(定員6人)で暮らしている。自分が選んだ1人または2人の人と自宅で自立した生活をしている人はほとんどいない。また、グループホームや施設で一緒に暮らしている夫婦もごくわずかである。
  • 政府が運営する施設は9つある。その他の入所施設は皆、NGOsあるいは民間企業によって運営されており、すべて政府が資金を提供している。

ポルトガル

ポルトガルでは、「グループホーム」は普通の地域にあるので、地域社会における生活だと見なされた。しかし、それは「むしろ施設に近いものである」との説明があった。

我々が耳にした政策課題には、次のようなものがあった。

待機者リスト

会員組織から一貫して報告されたのは、在宅ケア、雇用支援、レスパイトサービス及び居住サービスの待機者リストの問題であった。アメリカ合衆国では、会員組織のARCが次のように報告した。「親/介助者の3分の1(32%)が、政府が出資するサービスの待機者リストに登録しており、平均して5年以上待っているとの報告がある。彼らはパーソナルアシスタンス、レスパイトケア、住宅、各種療法、雇用支援、移動支援などの順番を待っているのだ。決して利用できない可能性があるサービスを待っている知的障害のある人々は、控えめに推定しても100万人を超えている。」(ファインズ(Finds)2010年)

所得によって決まる障害関連の支援の利用資格

多くの管轄地域において、障害関連サービスへのアクセスは、貧困線より下回っているか、あるいは政府による財政支援の受給資格があるかで決まる。この結果、知的障害のある人々に関していくつかの問題が生じる。第一に、世帯収入が低くなければ、障害のある家族は必要な支援(家賃補助、障害手当、医療費補填)を受ける資格がない。もし実家を離れれば、障害と所得に対する支援では、ニーズを満たすには十分ではない。第二に、知的障害のある人が仕事を得て地域社会での自立に向けて動き出しても、多くの場合、その所得が原因となり、援助を受ける資格が無くなり、働き続けることができなくなる。障害関連の支援を受ける適格性を所得要件と結び付ける政策は、事実上、人々を罠に陥れ、地域社会や労働市場への参加を妨げる。

住居によって決まる障害関連の支援及びサービス

4名の男性と女性知的障害のある人が実家を離れると決めた場合、あるいはケアしてくれる家族が実家にいなくなってしまった場合、必要な支援やサービスがケアホーム(グループホーム、老人ホームなど)などの特定の場所でしか利用できないという事実によって、居所の選択肢は大幅に制限される。彼ら自身が選択した住所でサービスと支援が利用できるようになれば、地域社会におけるインクルージョンの様相も大きく変わるであろう。

カナダ

「オンタリオ州全域で、23,000人の発達障害のある人々が、サービスの待機者リストに掲載されたまま、放置されている。そのうち12,000人は居住支援を待っている。44歳のハミルトン在住者、アクヒル・アガワルもその一人だ。彼の70歳の父親、ナレシュ・アガワルは、自分達のような家庭は、危機的状態に陥らなければ、必要な支援とサービスを得られないと心配している。」4

インクルーシブなサービスへのアクセス

家族からは、たとえサービスを購入するための財源(個人的な財源または政府による資金提供)があっても、利用可能な適切かつ信頼のおけるサービスは極めて限られているとの報告があった。公共政策の視点から見れば、これは、政府による資金提供が供給側に大きな重点を置いており、サービス機関は、知的障害のある人々とその家族の要求に対し、説明責任を負うことを強いられて来なかったという事実がもたらした結果だと言える。たとえば、シェルタードワークショップ、グループホーム及びデイプログラムに対する政府による資金提供は、一般労働市場で働くことを選び、あるいは地域社会で一人で生活したり、ボランティアの助けを借りて生活したりすることを選んだ知的障害のある人々が、多くの場合、そのために必要な支援を利用できないことを意味している。

多くの事例において、インクルーシブなサービスシステムへのアクセスの欠如が、「地域に根ざした」という言葉の意味に対する誤解から発していることがわかった。カナダの州政府の事例にあるように、政府とサービス提供者は、地域社会でサービスを提供すること自体がインクルーシブなサービスだと信じている。

発達障害サービス法(the Developmental Services Act)では、障害の社会モデルへの対応がいくつか試みられた。たとえば、同法では、知的障害のある人々のための地域に根ざしたサービスと支援に公的資金が投じられた。対象となるサービスは、グループホーム、障害のある人々が支援サービスを受けられる独居型施設、シェルタードワークショップ、デイプログラム及び生活スキル研修プログラムなどである。5

政府による経費削減と緊縮政策

ベッド世界的な経済危機の影響を受けた国では、政府による経費削減の結果、知的障害のある人々はますます弱い立場に置かれ、サービスは削減され、所得支援の受給資格はさらに制限されつつある。世界では政府とサービス提供者が著しい経済的圧力を経験している。それは、少ないリソースで多くを成し遂げ、支出全般を削減せよという圧力である。このような状況の中、知的障害のある人々とその家族に対するサービスと支援は、「経費削減」政策のターゲットとなることが多い。そのような政策により、生活が悪化してしまった本人と家族の話を我々は耳にした。また、地域に根ざした支援や脱施設化のプロセスに投資するよりも、経費削減になるという理由から、施設の「建て直し」への投資を選択する国も見られる。そして、サービスがアクセシブルではない場合、またしても家族がさらなる責任を引き受けているという話も聞かれた。

「イングランドでは、サービス削減後、知的障害のある人々の4人に1人は、現在、自宅外で過ごす時間が1日1時間未満であることが、国内会員による調査の結果明らかになった。」―英国国別プロフィール MENCAPによるオンライン調査イニシアティブより

施設

高所得国において引き続き施設が存在することは、知的障害のある人々に、適切で柔軟性のある自主的な支援を提供するサービスシステムの失敗を反映しているとも言える。入所施設が今なお存在する国の会員組織からは、施設は、支援を必要としている比較的少数の人々にサービスを提供する一方で、不相応に多くのリソースを消費し続けているとの声が聞かれた。施設は、職員からの圧力や、時には家族からの圧力、そして知的障害のある人々を支援する最善の方法よりも雇用の方を重視する地方議員からの圧力を受けて、存在し続ける。

低所得国の人々に対する支援

低所得国では、一般向けのサービスのインフラストラクチャーが限られており、障害のある人々、特に知的障害のある人々の支援に利用できるサービスはほとんど存在しない。障害関連のサービスが存在する場合でも、国際機関から資金援助を受けているNGOによるサービスであることが多く、ほとんどは身体障害及び感覚障害のある人々を対象としたサービスが中心である。また、それらは医療プログラムを重視しており、依然として障害の医学モデルに基づいている。

南アメリカ、アフリカ、中東・北アフリカ、アジア及び東ヨーロッパの国内会員機関からは、地域社会における生活とインクルージョンに影響を与える特別な問題について、声が上がった。

南アフリカ

「知的障害のある子どもは、以前は施設に入れられたものでした。そのような子どものケアについて、どうしたらよいのかわからなかったからです。でも、施設でのケアには満足していなかったので、子どもたちを連れ出しました。」障害のある子どもの親の中には、昼間、子どもたちを忙しくさせておけるように、また、ダンスなどさまざまなスポーツを教えられるように、デイケアセンターを始めることを考えている者もいる。しかし、活動を実施するためのリソースや適切な場所がないという難題に直面する。彼らは子どもたちを施設で生活させることは好まない。そして、施設では虐待がはびこっているため、ひどい扱いを受ける可能性があると語った。

重要な問題

貧困

会員の報告によれば、地域社会におけるインクルージョンを妨げる重要な要素の一つは、貧困であった。あらゆる国の家族や本人から、貧困の問題が伝えられる中、低所得国における貧困は特に、地域社会で個人や家族が直面する疎外の決定的な要因となっていた。貧しい家庭には、障害のある家族の介助費が加わるとともに、誰か(ほとんどの場合は母親)が家にいなければならず、そのために働けないことから、極度の貧困に陥ってしまうのだ。

さらに、知的障害のある人々の就労先は、今も極めて限られており、隔離型のデイセンターやシェルタードワークショップを提供するプログラムでは、経済的な収入にはならない。知的障害のある人々が働いている場所は、家族による活動(畜牛、農業など)に酷似している傾向がある。

不可視性

会員組織の調査によれば、障害者の権利条約を批准した国でも、一般に政府と社会が、保健、教育、交通機関または雇用に関する国家計画に、障害のある人々を含めていないことは明らかである。障害のある人々に対する支援とサービスが存在する場合でも、それらは身体障害と感覚障害に対する支援及び支援機器が中心となっている傾向がある。また、障害者運動においても、知的障害のある人々は、社会的手続きや政府による政策と計画立案に関して無視されていることが、繰り返し語られた。

アフリカでは、1500万を超える人々に知的障害があると考えられているが、その大多数は赤貧の生活を送り、無視され、社会から孤立している。そして、さらに多くの人々が、悲惨な人権侵害の犠牲者となっている。最も社会から取り残されている底辺層の人々は、アフリカの最奥地の、最も孤立した、セーフティネットがほとんど存在しない場所に住んでいる。彼らは常に下の方で惨めな思いをしている。障害者運動においても、同じである。障害のある人々を対象としたごく少数の国家行動計画でも、教育、保健及び貧困削減に、知的障害のある人々を当たり前のように含めているものはない。

障害の医学モデル

知的障害のある人々に提供されるサービスがある場合、その多くは医学志向であり、障害の治療や予防を重視した、リハビリテーションと介入が中心となる障害の医学モデルに基づいている。国際的な非政府組織による国際開発援助と投資は、依然として予防接種と障害のある人々を「訓練」するプログラムに重点が置かれ、たとえば、地域に根ざしたリハビリテーション(CBR)モデルが専門家によって実施、提供され、地域社会ではなく個人を変えることを軸として展開されている。世界保健機関(WHO)がCBRモデルを人権に基づくアプローチへと改善しようと努めているが、現在地域社会で適用されているモデルは、知的障害のある子どもの普通教育からの疎外や、成長してからの一般就職へのアクセスからの疎外などの組織的な差別へ対応できずにいる。

ケニア

「地域の人は私のことなど気にしていません。結婚式や葬式のような大きな行事があるとき、我が家も参加したいと思っていても、それについて聞かされないことが多いのです。私がしょっちゅうお腹を空かせていて、食べ物を欲しがるので、地域の人は私のことを好きではないのだと思います。」

スワジランド

最新の2007年度版スワジランド国勢調査には、知的障害を除くあらゆる障害のある人々の統計が含まれている。登録している障害のある人々が3カ月に一度受給する250エマランゲニ(約30米ドル)の障害手当は、知的障害のある人々には支給されていない。

コロンビア

私達の国では、障害の医学モデルと知的障害のある人々に対する低い評価に基づく、障害に関するパラダイムが残っています。親は欠点と弱点に焦点を絞った対症療法的な支援を受け続けており、それが過保護な態度を生み、子どもをインクルーシブな場に参加させることを恐れるようになります。成人後の生活の代替手段としては、あいかわらず、保護された施設や芸術・文化センターでの生活があげられます。この報告書が、地域社会における生活という新たな概念を促進できるよう、隔離された場でケアを提供するだけの既存の施設を改革する方法について、アイディアを提供してくれるものとなることを願っています。

ネパール

「私は息子を理学療法士の所に連れて行くよう助言されました。でも、私達家族には、定期的な理学療法は費用がかかりすぎました。そこで私は通信教育の理学療法コースに入学しました。これで、理学療法の知識を得ながら子どもの世話ができるようになりました。自分の経験と通信教育での勉強、そしてダウン症の子どもへの思いから、私は有名な政府の病院の前にクリニックを開くことにしました。クリニックが病院に近いので、ダウン症の子どもを持つほかの親達とつながることができました。2005年にはネパールダウン症協会を登録し、立ち上げました。これはネパールにおける、この種の初めての、そして唯一の組織です。」

ニカラグア

ほとんどの部門の組織は身体障害や感覚障害のある人々と活動しているが、知的障害のある若者の小さなグループと特別な活動を展開している、地域の小さな組織によるイニシアティブもある。これらの活動は、今後も前向きに進められる一方で、知的障害のある人々のみを対象に、3時間から5時間の無料サービスを提供する特別センターとして機能するなど、多くの場合、特に重点的に取り組む分野が設けられていることは、注目に値する。

ボリビア

多くの親は、重度の知的障害のある子どもを入所させる施設の創設を求めている。親には、家庭内及び地域社会内で適切な支援を提供するリハビリテーションサービスや情報へのアクセスが限られているからである。リハビリテーション施設は中都市にあるので、市外の子どもには寮が必要だが、需要が高いため、寮は収容人数を大幅に超えてしまっていた。

隔離型プログラムへの投資

教育や雇用などの有意義な活動への参加を可能にする、あらゆる種類のサービスや支援が不足しているために、隔離型のプログラムの設立とこれらのプログラムへの投資が試みられることになった。政府、家族団体、障害者組織、国際NGO及び国際開発援助プログラムは、隔離型・孤立型のプログラムへの投資を継続している。

ケニアでは、家庭支援団体が、政府が支給する手当の取得方法について学び、自分達の組織を支援するための資金調達プロジェクトに取り組もうと、会合を開いている。参加した家族には、特に入所施設はなくても、家族の強力なネットワークがあり、皆我が子に、昼間ただ家にいるよりも何か有意義なことをしてほしいと考えていた。私たちが話を聞いた家族は、家族と離れて暮らす未婚の成人を想像することができなかった。これは彼らにとって全く異質な概念だったのだ。知的障害のある人々とその家族にとって、デイサポートは2つの目的を備えている。知的障害のある成人に活動と社交の場を提供すること、そして、家族が働き、家庭内の他の人々の面倒を見られるようにすることである。しかし、デイプログラムを開設すると、就労や起業による労働と社会貢献が重視されなくなってしまう。このように、施設と同様に、デイセンターやシェルタードワークショップは避けた方が良いことが判明した。それらは家族に休息を与えてくれるかもしれないが、実際には地域社会へのインクルージョンを妨げてしまうのである。多くの人々が仕事を見つけられない経済状況においては、知的障害のある人々に生産的な仕事を確保し、これを維持できるよう支援するために、特別な取り組みが必要とされる。デイセンターの開発は魅力的ではあるが、過去の経験から、人々はそこで一生を過ごし、地域社会へのインクルージョンにはつながらないことがわかっている。実際、逆に彼らは孤立し、汚名を着せられている。

中東・北アフリカ地域からは、次のような声が聞かれた。「この地域で政治的な問題が発生してから(これは第二次世界大戦直後にまでさかのぼります)、人権に関する合意への侵害をますます目にするようになりました。たとえばパレスチナでは、子どもたちの教育は否定され、唯一彼らが教育を受けられる方法は、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)を介することでした。UNRWAは、教育だけでなく、保健及び社会扶助もおもな焦点としています。UNRWAの善意にもかかわらず、そのアプローチは、障害、特に知的障害のある子どもと若者は、一般に同級生と一緒には学べないこと、そして特別な場に隔離される必要があることを強調しており、普通教育からの子どもたちの疎外に重要な役割を果たすことになってしまいました。これは、ヨルダン、シリア、レバノン及びイラクなど、難民の数が多いために特に国内でUNRWAの活動を受け入れている地域で、政府が慈善に基づく隔離型の医学モデルを改良したモデルで、国連と、国連による障害のある人々への対処方法に従うのが最善だと思われていました。」

図4:家族に対する支援の形 国別調査の結果

図4 図4テキスト

家族に対する支援

会員の報告によれば、知的障害のある人々が世界のどこに住んでいようと、そのおもな支援者は家族である。家族はケアだけでなく、地域社会への参加(教育、雇用、娯楽、人間関係の構築とサービスへのアクセス)も支援する。しかし家族は、自分達がこの役割を果たすための支援を、政府や地域社会から、ほとんど、あるいはまったく受けていないと報告している。

本人のフォーカスグループは、親による支援を一貫して認め、評価してきた。スペインの参加者は、「私は家族から多くの支援を受けています。家賃の支払いを家族に援助してもらわなければ、実家を離れて一人暮らしをすることは決してできなかったことは、とてもよくわかっています」と述べた。

日本や中国などの国には、知的障害のある人々に対する責任はその家族にあると、明記している政策がある。他の国には明確な政策がない場合もあるが、家族はその責任を感じている。2010年にアメリカ合衆国のARCが実施した大規模な調査では、家族がその役割を果たせるよう支援することに、地域社会が失敗しているとの報告があった。

演奏しているところ「家族は、知的障害のある人々にとって、引き続き第一の支援者であり、介護者であるが、一方で、その重荷を軽減するために地域社会が支援するという約束は果たされていない。知的障害のある家族が自宅での生活や自立した生活を続け、標準的な生活が送れるように、親や兄弟姉妹、ほかの家族は悪戦苦闘している。家族の大多数は、入浴や食事(61%)などの身の回りの世話、服薬管理(69%)、直接的な財政支援(72%)、自宅の維持管理(74%)、財務管理(78%)、外部サービスの手配/監督(76%)、社交的な付き合いの手伝い(76%)、料理、掃除及び洗濯(80%)、交通機関の提供(84%)及び情緒の安定を図ること(86%)などのパーソナルケアを、自分達が提供していると報告している。

  • 親/介助者の58%が、週に40時間以上、愛する知的障害のある家族に支援を提供することに費やしており、そのうち40%は、週に80時間以上をこのような支援に費やしていると報告している。
  • 親/介護者の半数近く(46%)が、自分達の処理能力を超えた介助責任を負っていると報告している。
  • 介助者の大部分が、時々、あるいはほとんど常に、身体疲労(88%)、情緒的ストレス(81%)及び情緒不安定または罪悪感(81%)に苦しんでいると報告している。
  • 5世帯に1世帯(20%)が、家で障害のある家族のニーズを支援するために、退職しなければならなかった人が家族の中にいると報告している。」(ファインズ2010年)

世界人権宣言、子どもの権利条約及び障害者の権利条約における、家族に対するコミットメントは、知的障害のある人々の地域社会における生活とインクルージョンを支援するものでなければならない。会員によれば、残念ながら、国と社会はともに、これらの義務を果たせずにいるとのことである。家族がこのような支援を提供する能力は、地域社会と政府が彼らに対しどのような援助を行うかによって決まる。

アメリカ合衆国

シャリーンは、アンジェルマン症候群(15番染色体上の遺伝子の欠陥)、脳性麻痺、知的障害、てんかん、ぜんそく、言語障害及び神経・筋原性側弯症などの重複障害のある18歳の素晴らしい息子、ステフォンの母親である。ステフォンは移動に支援機器を使用しており、常に支援が必要である。長年、シャリーンは働くことができず、息子が必要とするサービスの費用を支払うことができなかった。シャリーンと彼女の息子は、貧しい地域の公営住宅で、生き延びるために食料配給券を頼りに暮らしていた。

アメリカ合衆国

アナリーは自閉症の21歳の息子、ニッキーとノースカロライナ州で暮らしている。3年前、アナリーは、これからどうなってしまうのかよくわからないままに、高校を卒業したニッキーと家にいるために仕事を辞めた。しばらくすると、お金に余裕がなくなり、ニッキーの父親が家族を支えるためにフロリダ州で仕事に就いた。家族で一緒にいたいが、その可能性を検討した結果、フロリダ州の状況は、ノースカロライナ州の農村部で彼らが直面している状況よりも、さらに悪いことがわかった。最近アナリーは、車で1時間ほどの所に小さなグループホームを見つけ、そこなら、ニッキーが実家から離れて、大人として半分自立した生活へと移行できる、適切な場所ではないかと感じている。そうすれば、彼女も仕事に戻れるのだ。アナリーは言う。「ここならちょうどいいと感じました! こんなにニッキーにぴったりの所を見つけられるなんて、私達は幸運だと、ただ信じられませんでした!」しかしアナリーは、規則と政策のために、そのグループホームにニッキーを入所させられずにいる。

家族の重要な問題:

短期休暇の必要性

家族は、1年365日、1日24時間、我が子に対する責任を一手に引き受けることから解放されなければならない。これは、知的障害のある子どもの早期教育及び教育プログラムへのアクセスと、親が就労できるように学童保育へのアクセスを保証することによって、最大限達成される。コロンビアのボゴタにおけるインクルーシブな就学前プログラムは、カナダのニューブランズウィック州におけるインクルーシブな教育制度とともに、優れた事例である。イギリスは、親の睡眠不足の解消、付き合いのための外出、あるいは短期間の休養のための、短期休暇の支給に重点的に投資してきた。多くの場合、ベスト・バディーズ及びスペシャルオリンピックスなどの非政府組織が、知的障害のある人々に、家族と離れて活動に参加する唯一の機会を提供しているが、それは、本人にとっても、また家族にとっても息抜きとなる。

貧困

所得喪失と障害支援関連費を原因とする、障害と貧困の高い相関性は、知的障害のある人々の家族の多くが、与えられる支援はどんな支援でもありがたく思うほど絶望的な状況に陥っていることを意味する。(たとえば、さまざまな選択肢のある家族には悪い選択肢だと思えるような入所施設も、子どもたち全員を食べさせていく余裕がなく、施設とは、最低限、屋根と1日3回の食事を提供してくれる場だと考える家族には、救世主のように思えることがある。)このような家族は、これより優れた代替策を想像できないのだ。

多くの国に、知的障害のある家族がいるために生じる余分な費用を軽減する何らかの現金給付プログラムがある一方で、これらは実際の追加費用をほとんど網羅しておらず、家族は経済の現状を理由に支援が削減されてしまったと報告した。ある欧米の調査では、知的障害のある子どもの支援には、定型発達の子どもよりも60%余計に費用がかかることが明らかになった。

社会的疎外とナチュラルサポートの欠如

家族はまた、多くの場合、障害のある家族がいることへのスティグマと偏見に苦しんでいる。障害のある家族は、別の兄弟姉妹の結婚の可能性を脅かすことがないよう、隠され続ける。さらに、この報告書のために組織されたフォーカスグループに参加した母親の多くは、夫から捨てられたと感じていた。ナミビアのある母親は、障害のある子どもは「いつも母親の子」であり、父親の子ではないと不満を漏らした。

写真高所得国では、障害者の権利条約で認められている、障害のある家族の権利の完全かつ平等な享有に貢献するという役割を家族が果たせるように、国が障害のある人々の家族の組織づくりにも投資している。アフリカの親の会は、特にノルウェー、スウェーデン及びフィンランドからそのような支援を受けてきた。

「自閉症の子どもの母親として、この10年ほどで、自分が所属する社会集団が小さくなっていくのを目にしてきました。息子が必要とするサービスを求めて闘うことに、空いている時間のすべてを捧げる一方で、友人や親戚とは疎遠になってしまいました。誰も悪くはありません、本当に。ただ、自閉症の人と生活していたら、コーヒーを飲みに出かけたり、夕食に誰かを招いたりすることが難しいだけです。そしてそういう現実が、ゆっくりではありますが、着実に、社会との関係を損なって行くのです。私はそれに耐えることを学びました。これまで私の生活で大きな部分を占めていた多くの人達が、今では遠のいていってしまいました。」6

障害者の権利条約が知的障害のある人々について暗に示唆していることの一つは、障害のある人のための支援とサービスだけでなく、家族にも注目する必要があるということだ。ほとんどの場合、人の生活には常に家族が存在するので、知的障害のある人が必要とし、受ける権利がある愛情とケアと配慮とを、家族が与え続けられるように、家族が支援を受ける時、知的障害のある人自身も最も助けを得ることができる。

所得給付プログラム

「障害のある人々の所得保障に社会的・経済的インクルージョンの視点を適用することは、所得給付プログラムの目的と理論的解釈に、いくつかの難問を投げかけることを意味する。それは福祉なのか? 年金なのか? 障害関連の支援なのか? 所得保障なのか? 給与所得の代替なのか? アクセシブルではない労働市場を補償するものなのか? 現在利用可能な給付プログラムの大部分は、これらの質問に対してほとんど明確に答えていない。所得プログラムの根底をなす理論的解釈は、給付率や受給資格から、政府が補助金を支給する住宅に関する規則、学生ローン、雇用支援、資産、さらには家族や人間関係に至るまで、その運用にかかわるあらゆる側面に影響を与える。そこで、貧困撲滅戦略や、社会的・経済的インクルージョンへのアクセスの道を実現できるかという観点から所得給付プログラムを評価することが可能な政策分析が必要となる。また、貧困と障害の関係を、より効果的に断ち切れる方法をさらに議論することを目指して、調査研究を通じてこれらの難問に取り組み、所得保障に社会的・経済的インクルージョンの視点を適用していかなければならない。」 ―カナダ地域生活協会

マラウィ

けれども学校は、そう簡単ではありませんでした。校長先生は私に、サミに必要なのは、叱責と古き良き規律だけだと言いました。私は幼稚園の先生方を手伝って、サミとほかの子どもたちの面倒を見るために、幼児教育スーパーバイザーとしてのフルタイムの仕事を辞めて、パートの仕事に就きました。すぐに、教室内にADHDの子どもがいるのは、経験のない先生にとっては悪夢だとわかりました。夜には、行動療法についてさらに学ぶために、EEC(特殊教育学級)における特別なニーズ教育の講座に参加しました。帰宅後、フランス語で教育を受けた夫のために、それを翻訳したものです。

情報へのアクセス

家族は、障害関連の情報だけでなく、地域社会におけるサービスと支援へのアクセスに関する情報の必要性についても語った。そして、(多くの場合、医師から得られる)情報は否定的で時代遅れであると報告した。家族は、ケアと日々の支援に加え、教育、雇用、医療、娯楽及び地域社会のサービスへのアクセス確保にも、極めて重要な役割を果たす。家族の努力がなければ、知的障害のある人々の大部分は、障害関連の支援や、地域社会へのアクセスを得られないであろう。しかし家族は、地域社会における情報へのアクセスに関して、家庭に基盤を置いた組織や、障害のある家族がいる別の家庭からの援助をのぞけば、何の援助も受けていないと報告している。

施設収容

今なお施設が存在し、地域社会におけるサービスのリソースを引き抜いている高所得国と、中央集権型国家が施設の一新と改革への投資を続けている低所得国(東欧など)の両方で、施設は、知的障害のある人々に、強力かつ否定的な力を示し続けている。本人とその家族及びその他の人権活動家による長年にわたるアドボカシー運動にもかかわらず、施設は障害者の権利条約とその他の人権条約を大いに侵害するものとして、存在し続けている。残っているこれらの施設を閉鎖するという難しい課題に加え、今後もさまざまな形の施設が建設されていくという現実の脅威も、依然として存在する。(施設に関するさまざまな用語については、表3を参照。)

表3:施設の婉曲表現

  • 特別介護ホーム
  • 特別ケアホーム
  • パーソナルケアホーム
  • 農園/牧場
  • ゲーテッドコミュニティ
  • 発達最大化ユニット
  • 地域社会生活センター
  • 公立学校
  • 神経行動学的治療センター
  • 長期ケアホーム
  • 研究拠点
  • コテージ
  • 生活センター

知的障害に対する理解の進展、脱施設化の取り組みの成功、そして知的障害のあるすべての人々の地域社会における生活の権利確保への世界的な取り組みにも関わらず、今なお施設収容を正当化する主張がなされている。

通常、これらの主張には、施設の方がより良いケアを提供できるとか、健康を確保できるという考え方や、人は「自分と同じ種類の人と一緒にいられる方が」幸せであるという考え方、あるいは、「重度の」障害や複雑な健康上または行動上の問題がある人々は地域社会では支援できないという考え方が含まれる。しかし現実には、調査研究の結果は一貫して、地域社会における生活の利点と施設収容の悪影響を示している。北アメリカ、ヨーロッパ及びニュージーランドで、過去50年間にわたり実施されてきた研究に基づき、地域社会における障害のある人々について、施設での生活と比較して以下の成果が得られたことが、文書にまとめられた。

    ベッド
  • 健康及びヘルスケアの維持または改善
  • 自立の促進と適応能力の向上
  • 問題行動の減少/除去
  • 家族による参加と支援の増加(施設閉鎖後、以前は地域社会における生活に反対であった家族も、これを徹底的にサポートしている。)
  • 施設出所者が得られる利益と生活の質の向上が、依然として、コストを上回っている。
  • 最も複雑なニーズのある人々(重度の障害、問題行動、医学的問題のある人々または高齢者)の地域社会への移行に成功

以前は居住の選択肢として施設に依存していたノルウェー、イギリス、ニュージーランド、スウェーデン、アメリカ合衆国及びカナダが、施設を閉鎖したり、閉鎖のプロセスを進めているのを目の当たりにしたりする一方で、(新たな)施設を建設中及び/あるいは既存の施設を改装中の国もある。たとえばハンガリーでは、「施設閉鎖と障害のある人々の地域社会への移行を進める30年の歴史を持つ戦略があるにも関わらず、ハンガリー政府は、地域社会への統合とそのための支援を行う代わりに、新たに50床の施設を建設する予定であり、それを婉曲的に『生活センター』と称する予定である。」7 施設閉鎖に成功した歴史を持つ国(カナダ、アメリカ合衆国、イギリス)でも、引き続き、施設型支援への投資が行われている。

男子の写真一方で、特にアフリカの低所得国など、従来の施設という概念が存在しない国もある。しかし、これらの国では、ほかにもっと適切な選択肢が提供されているという理由からではなく、家族がこれまで(そして今もなお)、外部の支援や援助をほとんど、あるいはまったく受けることなく、自分達だけで障害のある家族の養育と支援に奮闘するよう放置されてきたという理由から、施設が存在しないのである。時には、どんな支援でもかまわないと、必死に助けを求めている家族が、ほかの選択肢を想像できずに施設開設を提案することもある。

コロンビアでは、家族は厳しい選択を迫られている。家族は我が子の親権を断念し、代わりに、1日3回の食事と日中の活動が提供される入所施設への入所を選択することができる。しかし、ボゴタで訪問したある入所施設は過酷な状況で、活動はほとんどなく、真の個別対応も、パーソナルスペースやプライバシーの尊重もなかった。施設という選択肢を家族が望まない場合、個人で費用を負担するための財源が家族にない限り、子ども向けのサービスはほとんどなく、成人向けのサービスに至っては事実上皆無である。インセンティブは明らかに間違った方面に向けられており、多く地域でそうであるように、それは政策決定の問題であり、障害者権利条約を批准した国による第19条の目的の明らかな侵害である。

イスラエルでは、知的障害のある人々とその家族には、極めて隔離されたものからインクルーシブなものまで、広範囲にわたる数々の選択肢があり、7,000人を超える(2009年現在)あらゆる種類の障害のある人々が、大規模な入所施設で生活している。ある人が生活している場所は、その人の希望とニーズを満たす所ではなく、その人がサービスを受け始めた所である。インクルージョン・インターナショナルの会員組織であるAKIMは、一般の住宅地にある6人用共同住宅から、入居者20人を超える寮まで、幅広い生活の場を提供している。イスラエルの公共政策では、現在6人での共同生活を支援しており、それより少ない人数は対象外となっている。多くの人々が友人関係を築いているが、より有意義な選択肢の中から選ぶ自由を与えられた場合、彼らは共同生活を選択するであろうか?

独立国家共同体(CIS)の国々を含む中央ヨーロッパ及び東ヨーロッパでは、知的障害のある人々を対象とした大規模施設への依存が見られる。『脱施設化と地域社会における生活-成果と代償:報告書』(DECLOC)によれば、100万人を超える障害のある人々が施設で生活している。8 多くの国では地域が施設を管理しており、「袖の下」により入所者が決定されているために、実際の人数はこれより多い可能性がある。しかし、この方法でなければいけないわけではない。クロアチアではインクルージョン促進協会(API)が、入所施設で生活していた人々が地域社会の一般住宅に移る支援をしている。さらにAPIは、他の機関による、地域内の知的障害のある人々とその家族を対象とした、地域社会における支援プログラムの立ち上げも援助している。間もなくAPIは、重度の身体障害のある人々と知的障害のある人々を対象とした初の共同住宅を開設し、政府と地域に対し、すべての人の地域社会へのインクルージョンが可能であることを実証する。APIは、以前施設に収容されていたが、現在は地域社会で生活している人々が、結婚をするなど、充実した人生をどれほど楽しんでいるかを紹介する映画まで制作した!9

バーレーンでは、若い本人が、知的障害のある人々の生活は、どのようにしたら良くすることができるか、という問いに、次のように回答した。「特別なニーズのある子どもたちのための施設や支援はありますが、子どもたちはいずれ成長していきます。けれども大人のための施設や支援は何もないのです。」これは多くの地域で言えることである。学校教育は、すべての家族にとって共通の枠組みであり、一般向けのサービスである。どこで調査をしても、家族と同居している知的障害のある成人を支援する最善の枠組みというものは存在しない。本人と家族を中心とした計画と、知的障害のある家族だけでなく、家族全体のニーズへの注目を検討しなければならない。どちらか一つではなく、その両方が必要なのである。

ニュージーランドでは、最後の公共施設であるキンバリーセンターが2006年に閉鎖された。そこでの一連のサービスと支援は、障害の程度や種類にかかわらず、地域社会において誰もが支援を受けられることを示している。知的障害のある人々自身とその家族による強力なアドボカシー運動は、施設を閉鎖して、地域社会によるサービスと支援のシステムを創設する政治的意思の形成に役立った。多くのことがこれまでなされてきたが、まだ多くのことが残されている。ある父親はこう語った。「娘は地域社会で生活していますが、まだ地域社会の一員として完全に参加してはいません。でも、進歩はしています。」

インクルージョン

第19条(c)「一般住民向けの地域社会サービス及び施設が、障害のある人にとって他の者との平等を基礎として利用可能であり、かつ、障害のある人の必要に応ずること。 」

写真地域社会は、すべての市民のインクルージョンを確保するために組織されるべきであるという概念は、目新しい考え方ではないが、それは、知的障害のある人々とその家族の運動を、それ以外の障害のある人々の運動と区別するものである。身体障害あるいは感覚障害のある人々の多くは、地域社会の他の人々とほとんど同じように、既存の教育制度への完全参加や、交通機関あるいは医療へのアクセスを可能にするサービスや配慮を受けることができる。しかし、知的障害のある人々には、他の人々との平等を基礎とした参加を可能にする、単一の適応策あるいは単純な適応策は何もない。知的障害のある人々の真のインクルージョンを実現するには、地域社会と一般向けの(政治的、経済的及び社会的)制度を、すべての市民を受け入れるべく設計しなければならない。このパラダイムシフトは障害者の権利条約に反映されているが、一方でそれは、障害者の権利条約の交渉が行われる何年も前に、インクルージョン・インターナショナルが自らの活動において採用したものでもある。

障害者の権利条約は、障害に関する考え方のパラダイムシフトを引き起こすために作成された。このパラダイムシフトの一部を成しているのが、障害のある人々は社会に何か貢献するものを持った、社会の活発なメンバーであるという認識である。障害のある人々が社会に参加し、受け入れられるように、CRPDのいくつかの条文では、参加とインクルージョンについて具体的に取り上げている。

  • 一般原則(第3条)
  • 教育の権利(第24条)
  • 労働及び雇用の権利(第27条)
  • 公的活動への参加の権利(第29条)
  • 文化的な生活への参加の権利(第30条)
  • 地域社会における生活の権利(第19条)
  • ハビリテーション及びリハビリテーションの権利(第26条)

集合写真障害者の権利条約における非差別の一般原則には、直接的な差別と間接的な差別の両方が含まれ、障害のある人々に対する合理的配慮が義務づけられている。合理的配慮とは、「障害のある人が他の者との平等を基礎としてすべての人権及び基本的自由を享有し又は行使することを確保するための必要かつ適切な変更及び調整であって、特定の場合に必要とされるものであり、かつ、不釣合いな又は過重な負担を課さないもの」である。これは、障害のある人々が他の人々との平等を基礎として地域社会で生活するために、完全参加とインクルージョンを確保するには、知的障害のある人々に何らかの特別な支援や合理的配慮が必要となる場合があることを意味するが、同時に、直接的または間接的な差別がないことを確保するには、制度を変更しなければならないということも意味している。

我々は会員に、知的障害のある人々が一般向けのサービスにアクセスし、地域社会と市民権関連の活動に参加できたか否かを訪ねた。結果は一様ではなかったが、大多数が、知的障害のある人々は有意義な教育と雇用の機会を否定され続けてきたと報告した。医療サービスが存在する場合、これに対するアクセスは幾分良好であったが、全体的に、地域社会はインクルーシブなシステムの構築に失敗し続けているという報告が寄せられた。

図5:障害のある成人の雇用 国別調査の結果

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就労している人々の中で、知的障害のある人々は、シェルタードワークショップでの雇用またはボランティア活動が最も多い。

図6:障害のある人々の雇用を促進する政策や法律 国別調査の結果

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多くの高所得国と一部の低所得国が、障害のある人々の雇用を促進する法律や政策があると報告したが、回答者は、それらの政策は効果がなく、十分に実施されていないとコメントした。雇用に関して何らかの進展があったとしても、それは通常、軽度の身体障害のある人々(弱視の人など)のことである。

図7:障害のある子どもの教育 幼児教育 国別調査の結果

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調査回答者は、知的障害のある子どもが教育を受ける場合、今なお、一般に隔離された環境あるいはプログラムの下で受けることになり、子どもが中等教育レベルに進むと、普通学級をはじめ、あらゆるタイプの教育から疎外される可能性が、さらに高くなると述べた。

図8:障害のある子どもの教育 初等・中等教育 国別調査の結果

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図9:インクルーシブな教育 国別調査の結果

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図10:障害のある成人のための教育プログラム 国別調査の結果

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知的障害のある成人のための職業訓練は、ほとんどないか、まったくないが、何らかのプログラムを利用できる人々は、障害のある人々を対象としたプログラムを利用する可能性が最も高く、回答者は、これらのプログラムの多くが、就労スキルを提供しない「生活スキル」関連のプログラムであると述べた。

図11:障害のある人々のための医療サービスの特徴 国別調査の結果

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知的障害のある人々は、教育や雇用よりもヘルスケアへのアクセスの方が得やすいと思われたが、ケアは障害に特化したプログラムやサービスを通じて提供される傾向があり、地域社会の他の人々との平等を基礎として提供されてはいない。知的障害のある人々は、貧しい生活を送る可能性が高く、貧しい人々は、高所得国と低所得国のどちらにおいても、ヘルスケアへのアクセスをはるかに得にくい。

インクルージョンを阻む障壁は、態度の問題である場合や、政策や法律に存在している場合がある。知的障害のある人々が直面する地域社会からの疎外における決定的な要素として、いくつかの重要な問題が確認された。

重要な問題:

社会の態度

本人と家族から寄せられたメッセージの中で圧倒的に多かったのは、宗教的信仰を含む地域社会と社会の態度が、知的障害のある人々のインクルージョンに対して否定的だというものであった。疎外されてきた人々が参加を試みた時の地域社会の反応を特徴づけていたのは、恐怖と偏見、そして無知であった。ロシアのある母親は、次のように語った。「新年を祝う子どもたちのパーティーに、子どもを連れて行きたかったのですが、行かせてくれませんでした。これは社会だけでなく、政府と一人一人の態度の問題です。」ある本人はこう言った。「そのままの私たちを受け入れてほしい、理解して欲しい、そして支援してほしいと、どんなに望んでいるか、一部の人がわかってくれないだけです。」中央・北アフリカでは、知的障害のある娘のいる家族が、統合教育の場で教育を最後まで受けることについて話をもちかけられた際に、敬虔な父親が次のように答えて断った。「神が、この子達をこのように創られたのです。神が、この子たちはほかの者のようにはなれないと決められたのです。神のご意志に逆らうとは、あなたは何様ですか?」母親もこう付け加えた。「最大の問題は、交通機関や教育ではなく、このような子どもたちとのコミュニケーション方法を知らないことです。このような恐怖と敵意を克服しなければ、何も変わらないでしょう。自分達の『普通の』子どもを、私達の子どもから引き離そうとする人々さえいます。」

スペインの本人グループは、以下の議論を展開した。

M: ダウン症の人が入れないディスコがあります。テレビで見ました。

C: ディスコへは行きますが、障害のある人たちのための特別な時間帯があります。

A: 障害のない人たちのためのディスコへ行きますが、今まで一度も問題はありませんでした。

MC: スポーツシューズを履いている人は入れてくれないディスコもあります。

AC: スポーツシューズを許可しないのは、また別の話ですが、ダウン症だから入れないというなんて、公平だとは思いません!

コロンビアのある親は、次のように詳しく語った。

「娘が幼くてダウン症があまり目立たなかった頃は大丈夫でしたし、うまくいっていました。その後、思春期に入ると、娘の孤立が前よりも目につくようになってきました。そうなるともう、社会的なイベントや友達同士の日々の活動に、誰も娘を招いたり、受け入れたりしてくれなくなりました。皆、娘をのけ者にして、娘は寂しい思いをしていました。」

南アメリカとアフリカの別の当事者達は、自分達の姿をまねされたり、隣人から無視されたり、悪口を言われたりすることについて話してくれた。ボリビアの家族は、バスや路上、公共の広場や公園での差別について語った。バーレーンのある母親は、「娘に電話してくれたり、活動に誘ってくれたり、人に会えるよう招待してくれたりする人が、誰かいればいいのにと思います」と語った。

ファン・カルロスは、地域社会の一員であるということが、自分にとって何を意味するかを語ってくれた。

「友達の数学や、ギター、ピアノ、フルートの演奏を手伝ってあげます。自分が住んでいる所が気に入っています。地域社会の一員だと感じていますし、政党にも所属していて、選挙権を使えるように、身分証明書も持っています。」-コロンビア

インクルーシブな教育の欠如

教室風景家族と本人は、地域社会における真のインクルージョン達成における重要な礎石としてのインクルーシブな教育の重要性について語った。知的障害のある子どもが、障害のない同級生と学校に通う際に、教室内や地域で受けるナチュラルサポートが、成人期の地域社会におけるインクルージョンの基礎となるとの声が聞かれた。

教育に関する第24条では、締約国に対し、「あらゆる段階におけるインクルーシブな教育制度」と、「障害のある人が障害を理由として一般教育制度から排除されないこと」を確保することを義務づけている。国連教育の権利に関する特別報告者は、社会省が障害のある子どもの教育に責任を追うのではなく、すべての生徒の教育に責任を負う一つの制度を設けることを意味するとして、これを勧めた。またこれは、特定の実践的な配慮をすることも意味する。

「地元の中学校の先生から、車いすの子どもが最上階のクラスに入らなければならない時は、クラス全体が1階に移動すると言われました。でも、別の理由で12年生が1階に移動できなかったことがあり、その時は、生徒達が車いすの同級生を、毎日、上の階や下の階へ運ばなければなりませんでした。」-南アフリカ

アフリカでは次のような声が聞かれた。「私達が何を望んでいるかですって? 障害のない人達と同じことですよ。雇用と、自分自身の家、結婚して子どもを持つことです。あなたには何ができますか? 私達が学校に行けるようにして下さい。本人活動の確立に手を貸して下さい。」

コロンビアのフォーカスグループに参加した家族は、子どもの教育を阻む多くの障壁を発見した。これには、子どもを受け入れようとしないこと、学校側の知識の欠如、そしてアクセシブルでインクルーシブな教育制度の欠如が含まれる。この結果、これらの家族は、あまり期待できない、リハビリテーションプログラムを目的とした特別な施設に子どもを預けなければならなかった。家族は、我が子がスキルを獲得できないこと、そのため、残りの人生を子どもとともに過ごさなければならないことを確信した。これにより大きな懸念が生まれる。親がいなくなったら、子どもはどうなってしまうのか?

ベニンのある親はこう語った。「障害のある人たちのことは、政府自身も過小評価していて、障害のある子どものための学校はありますが、知的障害のある子どものための学校はなく、教育がなければ、自立もインクルージョンもありません。子どもを自立させる方法を見つけるために、協力しなければなりません。」

インドの国別報告書では、政策と比較した現状について、次のように述べている。

「『万人のための教育』政策の下で、政府は障害のあるすべての生徒(6歳から14歳まで)の普通教育へのインクルージョンを試みてきた。これらの生徒は支援教育専門教員の援助を受ける。しかし、このような支援教育専門教員は非常に少なく、十分な研修を受けていない。普通教育教員は、障害に関する短期間のオリエンテーションを受けるが、これはまったく不十分である。教育の権利(RTE)に関する新たな法律では、すべての子どもに対する無償の義務教育を義務づけているが、現実は満足には程遠い。」

雇用

知的障害のある成人にとって、地域社会における自立生活とインクルージョンを阻む最大の障壁の一つは、労働市場からの疎外である。就労時に、地域社会でのナチュラルサポートに加え、収入も得ることは、真のインクルージョンに不可欠である。しかし、家族と本人は、知的障害のある人々が普通の仕事を見つけ、維持するために必要な支援は利用できないと報告した。ジョブコーチや支援付き雇用斡旋機関のような支援は、高所得国には存在するが、これらの利用は極めて限られており、その効果は一様とは言い難い。低所得国では、家庭を基盤とする組織、国際NGO及び政府によるアプローチは、シェルタードワークショップやデイプログラムなどの隔離型のアプローチの繰り返しで、これらが地域社会におけるインクルージョンの達成に効果がないことは知られている。多くの場合、昼間利用できるプログラムは、隔離型の生活スキルプログラムで、就労に必要なスキルの開発は行われず、プログラム参加者のほとんどは、真の仕事への移行の「準備」ができないまま、通い続けている。

インクルージョンを保証する支援やサービスがない時には、韓国からの報告にあるように、家族が自ら対処している。「息子はバリスタになりたいと考えています。ですから、息子にはコーヒー店での経験が必要だと思います。本人はマクドナルドなどで働くことを希望していますが、そこで仕事を得るのはとても難しいです。私はコーヒー店のオーナーになろうと考えています。そうすれば息子がそこで働けますからね!」

カナダ

子どものために支援付き有償雇用について熱心に知りたがっている親のグループとの話し合いで、知的障害のある人々をはじめとする就職が難しい人々を対象とした雇用促進の経験が豊富な人権擁護者が、次のように語った。「知的障害のある人の就労に向けた生活スキル講座について誰もが口にしますが、それは必要とされているスキルではないと私達は知っています。知的障害のある人達には、世間での立ち回り方を知ることと、役に立つサバイバルスキルや面接のスキルなど、社会的な課題遂行能力とスキルが必要です。そして仕事を続けるためには動機が必要ですから、彼らの興味の範囲内で仕事を見つけなければなりません。」

ニカラグア

ニカラグアの労働市場における疎外は非常に顕著である。法律では、従業員50人以上の企業に対し、障害のある人々を2%雇用することを定めているが、国も民間企業もこれを満たしていない。ニカラグア国コミュニティー統合のための会(ASNIC)でも、知的障害のある人々のためのイニシアティブは非常に少なく、知的障害のある人々とその家族に対して良心の呵責を感じている。

オーストラリア

知的障害のある人々の大多数は就労していない。就労している人々のうち、最も多いのは保護雇用の人々である。

ミャンマー(ビルマ)

失業人口が多い。