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第2部
流れを変えるには

第6章
なぜ家族にとって決める権利が重要なのか

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世界各地で、家族は知的障害のある人々にとって、第一の、かつ、主たる支援者であることが多い。

両親をはじめとする家族は、ときとして、知的障害のある人々が自分の人生を自分で決められるようになることを阻む障壁と見なされるが、家族からは、孤立、排除および支援の欠如が、自分たち家族を支配的・保護的な行動に走らせるのだという、非常に明確な意見が寄せられた。

多くの知的障害のある人々、特に、より重大な支援を必要としている人々や、リソースやサービスがほとんどない国で生活している人々にとっては、地域社会へのインクルージョンや自分の希望を伝えることを助けてくれるのは家族である。しかし現実の家族は、家族の一員である障害のある人が地域社会に参加し、サポートを受けられるようにするために必要な支援を、地域社会からほとんど受けていないか、まったく受けていない。この結果、障害のある人には、雇用や隣人、友人などを通じて得られる、地域社会での人間関係やネットワークがなくなってしまう。

障害のある人々の意思決定を支援する方向へと、家族が発想転換できるよう支援するには、本人の代わりに意思決定を行う必要性を家族が感じている理由を理解することが重要である。インクルージョン・インターナショナルでは家族に対し、知的障害のある人々はなぜ意思決定の権利を否定されるのか、障害のある人々が自分の人生について意思決定し、行動する場合、家族としてどのように支援するかを尋ねた。

「決める権利」の実現を可能にするに当たっての重大な課題を口にする一方で、家族は、家族の一員である障害のある人が意見を表明し、意思決定できるよう支援する方法を見つけることが、安全かつインクルーシブな将来の計画に、極めて重要であることも語ってくれた。

家族の課題

知的障害のある人々が意思決定の権利を行使するための支援を可能にするに当たり、家族が直面する課題としては、以下があげられる。

地域社会からの孤立と排除

家族にとって最も基本的な課題は、多くの場合、彼らが家族の一員である障害のある人の唯一の支援者であるということだ。主流の教育、雇用、政治への参加および宗教的・文化的参加から組織的に排除されている知的障害のある人々は、生活における自然な一面である人間関係を築く機会を奪われている。このため、子どもに代わる意思決定、あるいは、子どもの意思と選好の解釈が、親に委ねられることが多い。

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家族は、選択し、リスクを負い、参加する権利が行使できるようにするための適切な配慮や支援が、地域社会で得られないことに不満を訴えた。また、「認識不足のために、私たちは子どもの代わりに意思決定をするという状況に追い込まれてきた」という声も聞かれた。1

能力(キャパシティ)に対する認識

障害のある人々の意思決定能力に関する彼らの家族の態度と認識は、その家族が暮らしている社会やコミュニティから、障害のある人々がどのような扱いを受けて来たかを、直接語るものである。知的障害のある人々は、多くの場合、「望ましい」決定を下すことができない、あるいは、意味のある意見を持っていないという誤解から、意思決定の機会を与えられない。ときには、この誤解が本人の家族によって強化されることもある。「子どもが十分成長しているとは感じられません。能力(キャパシティ)は限られていますし、どんなに教えても、いつも助けてやらなければならないでしょう。」(レバノン 親)

障害のある子どもが生まれたときから、専門家、医師、教師および地域社会は、その子に何ができないかを、家族に強く訴え続ける。その結果、知的障害のある子どもや成人の親の中には、自分の子どもの能力(アビリティ)をまったく信じていない者がいる。これらの親は、子どもに「分別がない」ことを理由に、子どもに代わって意思決定をする。

恐れと保護

家族が語った最も大きな障壁の1つに、恐れがある。家族の一員である障害のある人が、傷つけられ、虐待され、利用されるのではないかという恐れ、何かまずいことが起きた場合の法律上の問題に対する恐れ、そして、失敗の恐れである。

家族はしばしば、家族の一員である知的障害のある人が傷つかないように守るため、あるいは、望まない結果を避けるため、という真摯な信念から、代わりに意思決定を行う。

「妹が生まれたとき、母は妹に問題があると言いました。私は妹がかわいいと思いました。それで、『この子には両手があるし、両足がある。完璧だ』と言いました。妹は具合がよくなくて、いろいろなことができないので、何もかもやってやらなければならないと言われて育ちましたが、もっとすばらしいことがわかりました。妹はとても賢いのです。」(メキシコ 兄/姉)

多くの家族は、もし家族の一員である障害のある人が危険を冒し、失敗するなら、自分たち家族のせいだと心配している。また、親は子どもが「間違った」選択をすることについて、大いに不安を感じると述べている。

「私たちは子どもの意思決定能力を信じていませんでした。子どもが本当はどういう人間なのか、本当は何を達成できるのかを知る機会がなかったからです。いつも子どもを過小評価し、うまく決定できないだろうと心配していました。」(スペイン 親)

家族はまた、障害のある子どもの受容とインクルージョンを明確に謳っていない地域社会での子どもの安全について懸念を示した。世界の多くの地域で、知的障害のある人々が介護施設や地域社会で体験してきた暴力と虐待を考えれば、このような脆弱性に関する懸念は当然である。レバノンのある親はこう述べた。「確かに私は娘を信じていますが、不安から解放されることはありません。娘のことは信じています。でも、社会は信じられないのです。そこで、娘が誰にも利用されないように、いつもついて歩くことになります。」

文化的信念

多くの国(たとえば、ケニア、インドおよびレバノンなど)で、金銭と財産に関する意思決定の権利の非公式な否定に、ジェンダーと年齢が影響しているという声が聞かれた。ただし、高齢者、特に高齢の男性は、若者、特に若い女性と比べて、意思決定の権利を否定される傾向がはるかに低い。これは、高齢者と男性をより尊重することを求める文化を反映している。

時間と利便性

家族は、家族全員の金銭面と情緒面を支援する一方で、知的障害のある人々が利用できる、主たる、そして多くの場合、唯一の支援者として、介助者、セラピストおよび権利擁護者という多数の役割も果たしている。多くの人々にとって、家族の一員である障害のある人が自分で意思決定をすることに協力し、これを支援するよりも、代わりに意思決定をする方がたやすく、また、手っ取り早いことが多い。子どもにとって「何が最善か」、自分はわかっていると信じている親は、単純に、家族にとって最も効果的な選択をする。

「家族は私1人ではどこにも行かせてくれません。家のそばの公園にさえも。1人では何もできないと考えているので、誰も私を連れて行かれないときには、行かせてくれないのです。私は外出させてほしいのですが、私に何か起こると考えているのです。」(コロンビア 本人)

レバノンにおける決める権利

レバノンは、アラブ世界の一部を構成する中東の国である。この国は常に民主的と見なされてきたが、国民は今なお、レバノン人の先祖から受け継いだ伝統に支配されている。それは、19世紀初めに領主の集団によって書かれた、レバノンの法律の核とされてきた伝統である。文字で書かれた法律の大半は、ジェンダー、権利および責任に関するこの文化の視点を強調するものであった。

レバノンにおける決める権利も、伝統の適用を免れることはない。一家や家族の1人の後見人となる者は、その家族の中で最年長の男性である。意思決定者も、家族の中で最年長の男性、つまりは父親である。紛争の際には、宗教家が問題を解決する。宗教家は、家族の中の男性と、宗教家と話すことを許された者の話を聞く。通常は、家族と宗教家の規範と伝統に従った選択肢が最終決定となる。

家族の金銭面を担当する者、また、意思決定者として、男性は最も重要なジェンダーと認識されている。したがって、男性のニーズ、強い願望および思いつきに、より多くの注意が払われる。親と介助者は、息子を自立させ、野心を育もうと必死になる。そして、息子に(たとえ障害があっても)豊かで尊厳に満ちた生活を送るための手段を与えて支援しようと熱心に努める。一方女性は、夫の家に移り妻や母となるまで世話を見てもらわなければならず、従属的で脆弱な重荷と見なされている。障害のある女児、すなわち「財産の管理」や「事業の経営」はもちろん、「学習」、「生産」または「結婚」ができない者の場合、問題がずっと続いてしまう。

国際法の発効を受け、レバノン政府は多くの法改正を行った。にもかかわらず、これらの改正は実施されていない。レバノンの介助者は今も、家族の中で父親または最年長の男性が最も賢く、優れた意思決定者であると信じている。特に危機的状況においては、常に父親や最年長の男性が「決める権利」を手にしているのが現状である。 (ファラー 親)

「子どもが決めるのは、何を着るか、何を食べたいかなど、たいていは簡単なことです。でも、親の都合で、子どもにはこのような決定をさせないことが多いですね。」(スペイン 親)

後見制度(あるいは他の形態の代替的意思決定)を利用せよというプレッシャー

全権を委任する後見制度または限定的な後見制度を公式に利用するという決定は、金銭面の計画、医療または支援のニーズを理由になされることが多い。家族の一員である障害のある人に必要な金銭面の支援またはケアの支援を導入するために、医師、金融機関またはケア提供者などの第三者との対応において、家族は代替的意思決定者としての立場の法的な認証を得なければならないことがある。例えば、登録制障害積立基金(RDSP)は、カナダ連邦政府によって設けられた障害のある人々を対象とした貯蓄プランで、法律では、「受益者の代理として行動することを法的に承認」された「適格者」が、知的障害のある人に代わってこのプランを開始しなければならないと定められている2。カナダの親たちは、障害のある子どものために貯蓄計画を始めることを阻む障壁として、この法律をしばしば引用する。そして、子どものために将来の経済的な保障を確保したいという希望と、子どもを公式に代替的意思決定や後見制度という体制の下に置くことが原因で生じると思われるスティグマや基本的人権の制約との、板挟みになっているように感じると報告している3

意思決定の支援を確立するには、家族に何が必要か

知的障害のある人々の生活において、家族が果たしている多くの役割に加えて、代替的意思決定から支援付き意思決定への移行は、家族に対し、家族の一員である障害のある人の支援方法を変えるだけでなく、現時点では地域社会に存在しない支援を動員することをも求めるものである。世界各地の家族から、息子や娘を支援するためのサポートが必要だとの報告があった。それには、地域社会へのインクルージョンのための支援、コミュニケーションツール、代替的意思決定に代わる手段、支援付き意思決定を実施する際の適切な保護措置が含まれる。

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表9:家族への質問:家族の一員である障害のある人の意思決定を支援するために、何が必要ですか?

知識と情報
  • 後見制度のモデルが知的障害のある人々の生活に与える影響を理解する必要がある。
  • 支援付き意思決定の概念と実践に関する情報が必要である。
  • 支援の意味と、それがさまざまな状況の下でどのような形を取るかについて、情報が必要である。
  • この問題に取り組んでいる人々が、機運を高め、実践を進めるために、互いに結び付き、コミュニケーションを取る手段が必要である。
  • 家族の一員である障害のある人の権利に関するツールと文書へのアクセスが必要である。
  • 障害のある人々とその家族の両方が地域社会で利用できる支援に関する情報が必要である。
価値観と考え方の転換
  • すべての家族と専門家は、知的障害のある人々が、まず人であること、平等な権利を持っていること、そして、地域社会に参加し、その一員となる必要があることを認識しなければならない。
家族への支援
  • 意思決定に関する懸念を解決するために支援が必要である。
  • 成功談を共有するために、家族支援団体と家族を基盤とする組織が必要である。
  • ピア・ツー・ピア・サポート戦略と、親同士で支援し合う団体を利用する機会が必要である。
  • 子どもや他の人々の意思決定の権利を尊重するために何が必要かを理解するには、支援が必要である。
地域社会の意識向上
  • 知的障害のある人々、家族、政策立案者、専門家などのステークホルダーと一般市民には、決める権利に関する教育が必要である。
  • 地域社会には、人権を重視し、子どもに高い期待を持ってもらわなければならない。
  • 議論を仮説から発展させるには、さまざまな方針を掲げている人々や、多様な意思決定方法を採用している人々の具体例が必要である。
  • さまざまな状況の下での成功例と失敗例の体験談を共有しなければならない。
  • 日常生活での決定と公式な政策における支援付き意思決定に取り組み、これを支持する戦略的パートナーシップが必要である。
複雑な問題に対する支援
  • 極めて異なる能力(アビリティ)を持つ人々が、どうすれば自分の人生に責任を持てるかをすべての人が理解できるように、さまざまな問題や状況の研究を支援する方法を明らかにし、実施しなければならない。
  • 安全、保護および「大きな決定」など、家族にとって最も複雑な問題に取り組む必要がある。

「流れを変える」家族

決める権利をめぐる世界的な議論を踏まえ、多くの家族が、公式にも非公式にも、代替的意思決定から支援付き意思決定へと移行しつつある。インドでは、支援付き意思決定プロジェクトを通じて、子どもが個人としてのアイデンティティを持ち、社会資本を築けるようになることの重要性が、親に向けて実証されてきた。人として認められ、敬意を持って扱われるようにならない限り、自分自身の人生における意思決定者とは見なされないことに、これらの家族は気づいたのである。今では親は、障害のない子どもと同じように、障害のある子どもとも、決定を下すときに相談をしている。ある父親は、遺言を変更し、知的障害のある自分の息子も相続人として含めることにしたと語った。ある母親は、こう断言した。「若い頃から支援を受けていれば、自信を持った強い大人になれます。」決める権利を持ち、自分の人生を自分で決める権利を持つことの影響を語る中で、ある父親はこう述べた。「これで息子を自由にしてやることができます。」

特にカナダの家族を基盤とするいくつかの組織は、「家族という言葉のインクルーシブな定義」を日々の活動でどのように使用しているかを語ってくれた。家族という言葉のインクルーシブな定義は、知的障害のある人々に、両親の「すねかじり」ではなく、家族の一員としての平等な地位を与えるということである。これらの組織は、よく見られる「誤った二分法」、すなわち、家族(多くは両親)と本人との間の誤った対立を克服するために、この定義が必要だと考えている。この、家族と本人との間の誤った対立は、しばしば、子どもの日々の決定への親の関与を制限する危険があり、同時に、当事者のナチュラル・サポート・ネットワークの中心としての、また、インクルージョンに役立つ存在としての家族を認めることを制限する危険がある。

いくつかの地域では、家族を意思決定から完全に排除してしまうことが、知的障害のある人々を、ときとしていかに危険な状況に陥らせるかが語られた。英国では、医療施設における知的障害のある人々の治療分析4から、医療専門家が本人の自律を守ることを理由に、意思決定から家族を排除していることが明らかにされたが、多くの場合、関係者の意見を聞くという取り組みも行われていなかった。ある事例では、これらの要因が若い男性の死に関連していた。入浴時の監視がなされなかったのである。

「息子に意思決定をしてほしいのですが、問題はその方法です。」(ケニア 親)

その他の多くの国でも、日々の生活の中で知的障害のある人々が下す決定を尊重することが、いかに難しいかが語られた。全権を委任する後見制度では、すべての優先権と権利が本人の親に与えられているからだ。例えば、イスラエルとメキシコでは、このような親の重視をやめ、本人が再び自分で意思決定できるようにするために、現在、家族を基盤とする組織が国の後見制度に関する法律の廃止に取り組んでいる。

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知的障害のある成人(世界のどこで生活しているかは問わない)は、今後も地域社会で孤立し、排除され、多くの場合、弱者となり、自分の人生をコントロールし、どのような人生にしたいかを決める権利を否定され続けるだろう。知的障害のある人々にとって、家族が主たる支援者となる一方で、親は、自分がいなくなったら、あるいは、自分がケアを提供できなくなったら、障害のある子どもはどうなってしまうのかと心配している。知的障害のある人々の支援ネットワークを構築する戦略を通じて、本人は自分の人生を方向付け、自分で意思決定をするための支援を得ることができるようになる(支援付き意思決定)。これらの意思決定支援は、知的障害のある人々の脆弱性や孤立、家族への依存が減少し、彼らが自分で選択した人生を生きられるようになることを意味している。