障害者の自立と共生社会の実現をめざして
春日市障害者福祉長期行動計画
1995年~2004年
春日市
3 参考資料
平成6年6月7日
告示 第56号
(設置)
第1条 障害者施策に関する基本計画となる春日市障害者福祉長期行動計画(以下「長期行動計画」という。)を策定するに当たり、春日市障害者福祉長期行動計画作成協議会(以下「協議会」という。)を設置する。
(所掌事務)
第2条 協議会は、次の各号に掲げる事務を処理する。
(1)長期行動計画作成のための調査、研究を行うこと。
(2)長期行動計画を作成し、市長に提言を行うこと。
(組織)
第3条 協議会は、15人以内の委員で組織する。
2 委員は、別表に掲げる者のうちから、市長が委嘱する。
3 協議会に委員長及び副委員長を置き、委員の互選により選出する。
(委員長及び副委員長の職務)
第4条 委員長は、協議会の会務を総理し、その議長となる。
2 委員長に事故があるとき又は欠けたときは、副委員長がその職務を代理する。
(会議)
第5条 協議会の会議は、必要に応じて委員長が招集する。
2 協議会は、第2条第1号に規定する事項について必要があるときは、市の関係機関等の意見を聴取することができる。
(任期)
第6条 委員の任期は、平成7年3月31日までとする。
(庶務)
第7条 協議会の庶務は、福祉部において処理する。
(委任)
第8条 この要綱に定めるもののほか、協議会の運営に関し必要な事項は、委員長が別に定める。
附則
(施行期日)
1 この告示は、公布の日から施行する。
区分 | 選出団体 | 職名 | 氏名 |
議会関係者 | 春日市議会議員 | 建設委員 | 柴田 富雄 |
厚生委員 | 舩越 妙子 | ||
福祉関係者 | 春日市身体障害者福祉協会 | 副会長 | 金堂 正芳 |
春日市民生委員児童委員協議会 | 副総務 | 有田 幸人 | |
春日市社会福祉協議会 | 事務局長 | 河津 二男 | |
春日市福祉ボランティア連絡協議会 | 会長 | 茨木 喜代子 | |
春日市障害児親の会あけぼの会 | 会長 | 辻 誓子 | |
保健医療関係者 | 筑紫医師会 |
副会長 |
(副委員長) 武末 種元 |
筑紫歯科医師会 | 歯科医師 | 花田 勝弘 | |
筑紫保健所 | 参事補佐 | 佐藤 眞弓 | |
学識経験者 | 学識経験を有する者 福岡県立大学 |
教授 |
(委員長) 平岡 蕃 |
重度身体障害者授産施設宰府園 | 施設長 | 神田 勇 | |
行政関係者 | 春日市地区世話人会 | 春日区長 | 白水 作美 |
その他 | 市長が特に必要と認める者 | 市民公募 | 羽柴 香恵 |
市民公募 | 中西 瑛 |
平成6年 6月 7日 春日市障害者福祉長期行動計画作成協議会設置要綱制定
7月 4日 春日市障害者福祉長期行動計画作成協議会委員選任
18日 【第1回協議会開催】
*委嘱状交付、委員長及び副委員長選任、市内福祉施設等視察
8月22日 【第2回協議会開催】
*計画案審議(総論)
9月26日 【第3回協議会開催】
*計画案審議(総論)
10月24日 【第4回協議会開催】
*計画案審議(総論結審、各論1)
11月21日 【第5回協議会開催】
*計画案審議(各論2、3、4)
12月19日 施策会議(総論、各論1、2、3、4)
平成7年 1月23日 【第6回協議会開催】
*計画案審議(各論5、6)
30日 施策会議(各論5、6)
2月10日 【第7回協議会開催】
*計画案審議(各論7、8)
20日 【第8回協議会開催】
*計画案全体まとめ、提出
27日 施策会議(協議会作成の計画書報告)
3月 9日 春日市障害者福祉長期行動計画策定
障害者の自立と共生社会の実現をめざして
平成6年11月27日(日)
春日市文化会館
演題 『障害者に住みよいまちづくり』
講師 平岡 蕃〈ひらおか しげる〉(福岡県立大学教授)
主催:春日市
手話通訳:春日市ろうあ者相談員(西尾克子、井上郁枝)
協力:春日市社会福祉協議会、春日市福祉ボランティア連絡協議会
1 はじめに
今日は、「障害者に住みよいまちづくり」というテーマで、皆さんと一緒にこの問題について考えていきたいと思います。今、私は「春日市障害者福祉長期行動計画」の策定のお手伝いをさせていただいております。その中でいろんな問題が取り上げられ、相当熱心に討議され、いろいろな問題点が浮かび上がってきていると思います。そういったことと関連させながら、障害をもつ人たちの地域社会での問題、特に生活の問題に焦点をあてて話をすすめていきたいと思います。
障害をもつ人の問題を考えていくときに、私はいつも二つの側面があると思います。一つは障害とは何か、障害をもつ人たちの抱えている生活の問題がどうなっているのか、実態はどうなのかということを頭で理解するという側面があると思います。しかし、私たちが障害をもつ人たちの問題を知識として理解するだけですべて解決されるのかというと、決してそうではありません。
もう一つの側面として、私も含めて今日お集まりの皆さん一人ひとりが、障害をもつ人をどういうふうに見ているのか、またどういうふうに感じているのかという主観的な側面があります。つまり、私たちの気持ちの問題、感情の問題です。意外とこのことが大きな影響力をもつのではないかと思います。
しばしば私たちは、日常生活の中で、これは正しいことだ、これはいいことだと頭で理解しても、なかなか気持ちの上で納得できない場合があります。それはいいことだといくら頭で理解していても、気持ちの上でなるほどその通りだと納得しないと、私たちはそれを実行に移すことがなかなか難しいことをよく経験します。
2 障害をどうとらえるか -ハンディキャップとは-
障害をもつ人の問題を考えるとき、私たちが障害をどうみているのかということは大事なことです。今日は、私の話を手話通訳していただいています。このことによって聴覚障害をもつ人は、少なくとも私の伝えたいメッセージを理解してもらえます。
耳が聞こえにくい、聞こえない。目が見えにくい、見えない。こういう問題をもった人たちがいます。また、手足が不自由なために、車イスで生活せざるをえない人たち、知的な障害があるために、物事を適切に判断したり、文字を読んだり書いたり、数を計算したりすることが苦手な人たちもいます。どうしても私たちはこういう部分に焦点をあて、障害というものをとらえてしまいます。
しかし、私たちが忘れてはならないのは、そういった目の不自由さや耳の不自由さ、手足の不自由さなどを負っている人が、社会で生活していくときに、どのように扱われているかという問題です。
1981年の「国際障害者年」には、障害をもつ人たちの問題を地球的な規模でとらえ直そうとさまざまな取り組みがなされました。その後の「国連・障害者の10年」では、この10年間にわが国は障害をもつ人たちに対してどのような取り組みをしてきたのか、その結果何がどのように変わったのかいろいろな評価がなされています。さらに、「アジア・太平洋障害者の10年」ということで、日本を含めたアジア・太平洋地域では新たな10年の取り組みがすすめられています。
「国際障害者年行動計画」にはとても重要なことが主張されていました。一つは、障害というものを3つのレベルでとらえるということです。もう一つは、障害をもつ人たちの社会参加と機会の平等ということです。これは国際障害者年の基本的なテーマになっています。
身体的な、知的な、あるいは精神的な障害をもっている人が地域社会で社会生活を営んでいく場合、さまざまな困難に直面します。これを私たちはハンディキャップと呼んでいます。つまり、障害があるが故に、社会生活を送っていく上で、非常に不利な立場に置かれたり、不利益を受けるということです。たとえば、私はこういう仕事に就きたい、こういうことをやってみたいという願いがあっても、車イスを使っているために、外へ出かけられない、公共の交通機関を利用できない、したがって就職することが非常に難しいという問題です。
私は古賀町というところに住んでいます。JRの古賀駅は新しい橋上駅に改築されて数年になります。乗降口にエレベーターが設置されています。先日、古賀町の広報紙をみていますと、小3の男の子だったと思いますが、「JR古賀駅のエレベーターに乗って2階へ行くと、自動券売機があります。ところが、車イスの人は改札までは行けるけれど、どうやってプラットホームに降りるのだろうか」と率直な疑問を作文に書いていました。
子どもの眼というのはなかなか鋭いと思いました。この子どもの疑問に私たち大人はどう答えるのでしょうか。つまり、この駅舎は入口あって出口なしなんです。エレベーターが取りつけられていますので、切符を買うところまでは車イスでたどりつけます。しかし、プラットホームに降りることはできませんので、駅員もしくは乗客に階段の昇り降りを手伝ってもらい、電車に乗せてもらうことになります。
電車とプラットホームの段差は、駅によっても違いはありますが、だいたい20~30cmくらいあります。先日、私が古賀駅で電車を降りるときに、前に和服を着たおばあさんが手すりをもって降りようとしていました。着物で歩幅が狭いため、足がプラットホームに着かないんです。思わず声をかけ、手をかして一緒に降りたことがあります。車イスを利用している人たちに限らず、これからますます増えてくる高齢者をも含めて利用しやすい生活環境が整備されているのだろうかという問題があります。
今、私は北九州市で障害をもつ人たちと一緒に「まちづくり」の問題に取り組んでいます。さまざまな障害をもつ人たちが、街の中を歩いて点検作業をしています。街の中には移動しにくいところがたくさんあります。その一番は、歩道の段差だとよくいわれます。それから建物に入りにくい。最近、スロープのついた建物がつくられてきていますが、どういうわけか一ヵ所しか設置されていないところが多い状況です。また、モノレールやバスなどの公共交通機関が非常に利用しにくいという問題があります。
その他、不特定多数の人が利用する公共的な建物、たとえば、文化ホール、病院、学校、デパート、ホテルなどの大規模な施設があります。また、私たちが日常生活の中でよく利用している小規模な建物、たとえば、小さなスーパーマーケット、飲食店、喫茶店、商店などがあります。こうした施設にはすべての人が利用できるような配慮がどこまでなされているかという問題です。障害がなかったら、ごくあたり前のこととして享受できるさまざまなチャンスが、障害があるが故に奪われてしまっている。そういう状況は、残念ながら今なお私たちの社会には厳しく残っているといわざるをえません。
日常生活の問題だけではなく、たとえば、障害があるが故に、学校教育を受ける機会が制約されている現実があります。今の日本の高等教育機関では、障害をもっている人たちに対してどの程度入学の機会を配慮しているかという問題です。
先日のある新聞記事によると、東京の盲学校を卒業した人が、どうしても理科系の大学へ進学したいということで、山口大学の物理学科へ入学を志願したということです。前もって盲学校の方から、「生徒が受験したいと願っていますが、受験させてもらえますか」と問い合わせています。山口大学でも相当議論されたようです。実験科目が多い中で、盲学生に実験をどのように体験させていくのかいろいろ議論し、最終的には受験のチャンスを与えたということです。私たちの社会は、いまだにこのようなことが大きなニュースとして新聞に取り上げられる状況なのです。
外国には、このようなことがごくあたり前に受け取られている国もあります。今、私の話は手話通訳されていますが、アメリカでは教室に手話通訳をつけるということはあたり前になっています。学生の中には聴覚障害あるいは視覚障害をもつ人、肢体不由由の人がいます。たとえば、肢体不自由の学生がいてノートをとることができない、あるいは教科書のページをめくることができない場合、ボランティアの人が横について筆記をしたり、ページをめくる手伝いをしてくれます。こういうことは法律で定められています。残念ですが日本では、障害をもつ人がこのような不利な状況に置かれても、それを訴える根拠になる法律がありません。
これまで、日本の障害者の問題は、福祉の問題として考えられてきたと思います。先日、ある車イスに乗っている障害者からこういうことを聴きました。その人は、施設を出て地域で自立したい、何とか自分の生活を切り開いていきたいということで、不動産屋さんへ行きました。アパートを探していることを伝えました。ところが、その不動産屋さんは「あなたは来るところを間違えています。ここはあなたが来るところではありません。福祉事務所へ行って下さい。そこで、相談にのってもらいなさい」といったということです。つまり、障害者の問題は福祉の問題だ、したがって福祉の問題を扱うのは福祉事務所だというのです。もし私たちがそういうふうに理解しているとしたら大きな間違いだと思います。
最近よく耳にします。「私は障害者である前に一人の人間である。一人の人間でありたい。私にはたまたま、肢体不自由、視覚障害、聴覚障害あるいは知的障害という個性が備わっているだけです。だから、障害者である前に一人の人間であることを認めてほしい」と。このことは、十数年前の国連の「国際障害者年行動計画」にも明確に謳われていました。障害という問題を障害をもっている人とその人が生活している環境との間に生ずる問題として捉えることは、とても大事なことなんですよと強く訴えていたわけです。
たとえば、脳性マヒの障害をもつ人が健常者のように自由に手足を動かしたり、2本の足で立ったり走ったりすることに支障があっても、それをあるがまま受け入れて、その人が地域社会で一人の人間として生活していける条件を社会の側が備えていけば、その人は一人の社会人として、あるいは一人の市民として生活していく可能性は大きく広がっていくと考えられます。
最近、知的な障害をもつ人たちが、自己主張をし始めてきました。これはすごいことだと思います。ようやく、日本でもそういう影響を受けてきています。北欧のスウェーデンやデンマーク、あるいはフランス、アメリカ、カナダでは知的な障害をもった人たちが、自分の考えや気持ちを訴えるようになってきています。つたない言葉であるが、自分の気持ちや思いを人にわかってもらおうと一生懸命に伝えようとします。
アメリカやカナダには、ファースト・ピープルという知的な障害をもった人たちだけの団体があります。先日、この人たちの代表が日本にやってきて、多くの知的な障害をもつ人たちと交流をもちました。そのときに、日本人の多くが感じたことは、どうしてあんなふうに自信をもって自分の考えを述べることができるのかということでした。誤解をしないで下さい。その人たちは読み書きが自由にできるわけではありません。数の計算も的確にできるわけではありません。そういう意味では知的な障害をもっている人たちなんです。しかし、自分の考えや思っていることを自分の言葉で表現する、表明する社会的な教育と訓練を受けてきているのです。文字を読むことがとても苦手だというある女性は、知的障害をもつ一人に女性として、これまでどういう生活をしてきたのか、これからどういう生活をしたいと思っているのか、私たちにとてもよくわかるように話されました。
3 人に優しいまちづくり
国の統計によりますと、身体障害者の60歳以上の占める割合は、6割を越えるということです。つまり、日本では身体的な障害をもっている人の6割強は、60歳以上の人たちで占められているということです。これは、障害者の高齢化、あるいは高齢者の中に身体的な障害をもつ人が増えてきているということです。このことは、高齢者の問題と障害者の問題が重なりあってきていることを意味します。そうしますと、今まさに高齢社会を迎えつつある中で、障害をもつ人たちのハンディキャップ(社会的不利)を少しでも解消していく施策は、障害をもつ人たちだけでなく高齢者をも視野に入れて考えていく必要があると思います。
私は、すべて外国から学べというふうには思いません。日本では日本の実情にあわせて進めていくしかありません。しかし、外国でいろいろ実践されている事がらを、私たちはもっともっと広く学んでいく必要があると思います。特に、外国では障害をもつ人が好きなときに好きなところへ自由に出かけられるような生活環境を整備することは、とても重要な課題として考えられています。
この夏、熊本の障害をもつ人たちのヨーロツパ視察旅行の報告を聴いて、こういう考え方もあるのかと感心させられたことがあります。ドイツのミュンヘンでは、路面電車やバスは超低床の車両を採用しているということです。バスには歩道から直接に車イスで乗ることができます。路面電車ですとプラットホームと電車の間にスーツと小さな鉄板が出てきて、車イスの人が自由に乗り降りできるように配慮されています。しかも、パークアンドライド(park and ride)といって自家用車が市街地に入らないように、交通ターミナルに近い場所に駐車して、そこからバスや路面電車の公共交通機関に乗り換えて町の中心街へ出かけていくのです。ドイツでは、交通の問題はイコール環境の問題として捉えられているということです。特に、酸性雨の問題が深刻で、このままいけばドイツの森林は無くなってしまうといわれるほど、市民は危機感をもっています。こういう理由から、市街地の交通手段としてバスや電車が使われているのです。
アメリカでは、車イスの障害者も自由に利用できるようにリフト付きのバスの整備を法律で義務づけられています。物理的な環境の問題の中でも、特に、移動の保障ということが重要視されています。このことがバリア・フリー(barrier free)という言葉につながっていくのです。バリアというのは壁もしくは障壁という意味です。フリーは取り除くという意味です。したがって、バリアフリーは壁を取り除くという意味になります。車イスに乗っている人にとっては、横断歩道やプラットホームの階段があれば、そこから先に移動できないので、まさしく壁同然になってしまいます。
今日は、聴覚障害の人たちが来ておられます。最近日本でも、バスや地下鉄やJRなどの車両の電光掲示根で次のバス停や駅名が表示されるようになりました。聴覚障害の人たちには、声のアナウンスがあっても聞こえないことから生じる不便さや不自由さがあります。そのハンディキャップを解消するために電光掲示板で示すということです。これによって、聴覚障害をもつ人の外出のハンディキャップはひとつ解消され、外出する機会も増えることになります。
まちづくりのシンポジウムで、ある建築家の方がデンマークのオーフスという町の話をされました。オーフスには、日本でよく見かける点字ブロックが一切無かったということです。不思議に思って、その町には視覚障害の人がいないのかと尋ねてみたそうです。視覚障害の人はかなりおられる。特に、高齢者の中に視覚障害をもつ人が多いと聴いたそうです。日本では、視覚障害者のために点字ブロックを整備していますが、この町では、声の出る点字ブロックがあるということです。どういうことかといいますと、この町では、同じ地域の人が心安く声をかけて、横断歩道を渡らせてくれたり、道を案内してくれるのです。これが声のでる点字ブロックなのです。
それから、町なみの風景も大事です。オーフスの町のスライドやビデオを見て感心しました。建物が並んでいます。建物に一番近いところに歩道があります。これは人が歩く道です。歩道の隣に車イス専用の道路があります。その隣に自転車の専用道路があり、一番外側に車道があります。しかも、道路のすべてがフラットにつながっているので、町の景観がとてもすっきりしていて、広く感じられます。このように、建物の構造や町なみを整備し、誰もが利用できるようにすることはとても大事なことだと思います。
しかし、私たちはもう一つの大事な側面をつい忘れてしまいがちです。このまちづくりの中で、人と人との結びつきを私たちはつい忘れてしまいます。私たちの生活はとても便利になったとよくいわれます。確かに便利になったように思えます。しかし、反対に生活の不便さを強く感じている人たちもたくさんいることも事実です。
先日、博多駅で切符を買おうとしたら、おじいさんが自動券売機の前でじっと立っていました。お金をどこにいれたらいいのか、そしてどこを押せばいいのかわからなかったのです。おじいさんは私に「使い慣れんからようわからんとです」といいました。私たちは高齢社会とよくいいますが、本当に高齢者が生活しやすい条件をどこまで配慮しているのでしょうか。
このことと関連させて、私は知的障害をもつ人たちのことを思います。以前ですと、知的障害をもつ人は駅の窓口へ行って、駅員とは話をして切符が買えました。ところが、今はそうじゃなく自動券売機です。お金の種類や駅の名前や料金などについて学習しないといけないのです。たとえば、肢体不自由の人に車イスがあり、聴覚障害の人に補聴器があり、視覚障害の人に白杖があるのと同じように、知的障害をもつ人にはガイドヘルパーがいて、ちょっとした手助けがあれば、ハンディキャップはかなり解消されるとは考えられないでしょうか。地域での自立生活ということがあります。とても大事なことだと思います。しかし、身体的な障害をもつ人の自立のあり方と、知的な障害あるいは精神的な障害をもつ人の自立のあり方は少し違うように思います。
障害をもつ人にとって、働く意欲と能力があっても、一般の企業に就職するということはとても厳しい状況です。一般企業、ことに大企業の関係者の理解を得るのは相当難しいと思います。それに比べて、中小企業の経営者の関心はかなりあるように思います。これまでの障害者の雇用は身体的な障害をもつ人たちを中心に考えられてきました。知的な障害や精神的な障害をもつ人たちの一般企業への就職は、最近ようやく取り組みが始められたという状況です。
ある障害者職業センターの担当者は、次のように話しています。「これまで、一般企業への就職について、いろいろ手助けをしてきたが、軽度および中度の身体障害者の雇用は峠を越したと考えています。問題の一つは、重度身体障害者の雇用です。もう一つの問題は、知的障害者と精神障害者の雇用です。マラソンにたとえれば、知的障害者の場合はスタートしてようやく私たちの目の前に走ってきたという状況です。今からこの人たちの雇用に取り組もうとしています。精神障害者の場合はようやくスタート地点に立っていますが、走ろうか走るまいか迷っている状況です。」
身体障害をもつ人たちの雇用や就労に取り組むノウハウと、知的障害や精神障害をもつ人たちの就労を考えるときのノウハウはかなり違いがあるように思います。身体障害をもつ人の場合は、一度就職するとその後の継続的なアフターケアはほぼ必要ないといわれています。しかし、知的障害をもつ人の場合は、そうはいきません。知的障害をもつ人自身がいうように、おそらくその人の生涯にわたって常に誰かの支えや援助を必要とします。就職しても、職場の環境に適応するために、身近なところでその人をサポートしていくことが必要です。そういう支えとなる人がいるのといないのとでは、知的障害をもつ人の職場での適応や定着に大きな違いが生じるようです。
横浜市では、地域洗労センターをつくり、さまざまな障害をもつ人たちが地域の企業に就職できるように取り組みを始めています。私たちもこうした先進自治体に遅れないように「まちづくり」の取り組みの中に障害をもつ人たちの雇用対策を含めていく必要があると思います。
4 福祉のまちづくり条例
障害をもつ人たちに住みよいまちづくり、それはまず物理的な生活環境を整備し、誰もが自由に外へ出て、行きたいところへ行けるようになるということです。そうなるためには、今それぞれの自治体がつくっている「環境整備要綱」とよばれるガイドラインでは限界があります。そこで、大阪府と兵庫県は2年前に「福祉のまちづくり条例」というものを制定しました。これは、障害をもつ人や高齢者の「移動の保障」ということを基本に据えています。つまり、障害をもつ人や高齢者が好きなときに好きなところへ自由に出かけて行けるという権利を保障するために、「福祉のまちづくり条例」が作られたということです。
条例が制定されて2年になりますが、大阪の障害をもつ人たちによると、その効果は上がっているという評価でした。たとえば、JR西日本はこの問題にほとんど関心を示さなかったし、エレベータの設置や障害をもつ人たちへの配慮についての話し合いのテーブルにつくという姿勢がなかったのに、ここ1~2年の間に障害をもつ人たちとの話し合いに応じ、新しい橋上駅にはすべてエレベータを取りつけるようになってきているということです。こうした企業の理解と協力がどうしても必要です。
北九州市の障害をもつ人たちの運動の中で、西鉄バスやJR九州と話し合いが持たれたときに、車イスの人が乗り降りできるリフト付きバスの購入に最低2,000万円程かかり、それを一企業の力だけで負担していくのはとても難しく、どうしても公的な助成を求めざるをえないということが主張されました。県民や市民の税金を使って公的助成を行うには、納税者の理解と協力が必要です。このようなまちづくり施策に関する国の法律はまだ整備されていません。今年の6月に、建設省は誘導策として助成と融資を目的とした法律(ハートビルト法)をつくりましたが、もっと明確な法律ができるまでには時間がかかるのかもしれません。しかし、一方では「まちづくり条例」を策定したり、策定を検討している自治体が増えてきています。
春日市では、最近公立の建物の「環境整備指針」がつくられました。福岡市でも環境整備のガイドラインがつくられています。福岡市の場合は、春日市と少し違って、一般の民間企業の公共的な施設も含めて考えられています。しかし、次の問題となるのは、こうしたガイドラインが示している建築物の規模です。たとえば、飲食店や物品販売店は、床面積500平方メートル以上であればその整備要綱の事前協議の対象になるとします。そうすると、レストランやスーパーマーケット、喫茶店や商店の広さが最低500平方メートルないと、この整備要綱は適用されないということになります。
大阪府が策定した「まちづくり条例」の場合も、飲食店や物品販売店は、やはり500平方メートル以上となっています。私たちが調べた北九州市には、床面積が500平方メートル以上のレストランやスーパーマーケットはほとんどありませんでした。ファミリーレストランでも300平方メートル程度です。喫茶店では80平方メートルほどでした。これでは条例の基準を満たさないので、当然条例は適用されません。つまり、この条例は、障害をもつ人たちが日常生活の中でもっとも多く利用する小規模な建物には適用されないことになります。この基準をいかに実効性のあるものに変えていくかが、今後に残された課題です。
私は、福岡県にも「福祉のまちづくり条例」が必要ではないかと思います。小さな自治体でつくられるよりも、福岡県内全域に条例の法的な規制が行きわたるようにすることがとても大事だと思います。たとえば、春日市だけの条例をつくっても、春日市の中では法的な拘束力をもつけれど、他のところでは拘束力が及ばないということになります。それでは点にすぎません。まちづくりの基本的な考え方は、面としての広がりをもたないと、意味がありません。その意味からも、福岡県内の全域でその法的な拘束力をもつ「まちづくり条例」をつくることが必要ではないかと思います。
私は、ここ4~5年の間にかなりの自治体で「まちづくり条例」が策定されるのではないかと思います。東京都の町田市、滋賀県、京都府などでは具体的な検討に入っていると聞いています。残念ですが、九州ではまだありません。私は、高齢社会を迎えつつある今日だからこそ、「まちづくり」ということを基本的に捉えていく必要があると思います。そのときに、障害をもつ人たちだけではなく、高齢者や体の弱い人たちをも含めた幅の広い取り組みとして考えていく必要があると思います。
5 共に暮らす地域社会を目指して
先日、車イスを利用している26歳の青年から相談を受けました。彼が尋ねたのは、「自分と同じ世代の女性と話をするとき、どういったことを話題にしたらいいんでしょうか。どういうふうに話しかけたらいいんでしょうか」ということでした。誤解しないでください。彼は決して女性に話しかけられないシャイな青年ではありません。彼は、車イスの社交クラブをつくったり、スポーツ活動をやったりして、とても社交的な青年です。どうしてこういうことが起こるのか、皆さんにもぜひ考えてほしいと思います。
障害をもつ人たちが社交の場からいかに疎外されているか、また、人と出会うチャンスがいかに少ないかということです。彼のこれまでに人生で、彼のまわりの障害をもたない人は、両親と兄弟姉妹、それから施設の職員と養護学校の先生なんです。彼と同世代の人は、自分と同じように車イスに乗っている人たちだったのです。そして、「平岡さんは、車イスの女性を恋愛の対象としてみたことがありますか」と聞かれました。とても厳しい質問でした。私たちは、共に暮らすとか、共に生きるとよくいいます。とても大事なことなんですが、その共にというとき、いったい誰と誰が共になんでしょうか。みんな一緒に勉強しましょう。みんな仲良く遊びましょう。こういうときのみんなというのは、一体誰を指しているのでしょうか。私がこの青年から問われたように、この「みんな」の中には、さまざまな障害をもつ人たちが含まれているんでしょうか。それとも、含まれてはいないんでしょうか。
私は、福岡県立大学で社会福祉学の教員をしています。この夏、学生は2週間の実習に行きました。将来、社会福祉の仕事に就こうと考えている学生たちです。多くの学生が、はじめて障害をもつ人たちと出会う経験をしました。学生の中には、「こんな重い障害をもっている人が生きることができるんですね。驚きました」というふうに感想を述べる者もいます。私は、3年生に「障害者福祉論」を教えています。大学3年生にキャップハンディを教えないといけないような今の教育状況なんです。つまり、大学3年生になってはじめてアイマスクをして視覚をさえぎられたとき、あるいは車イスに乗って町の中を歩いたとき、どういう不便さ、不自由さを感じるのかを体験学習するのです。こういうことが、どうしてもっと早い時期に経験できないんでしょうか。
キャップハンディという体験学習を幼稚園のとき、あるいは小学校の低学年のときに経験していたら、障害をもつ人に出会ったときに、もう少し違った見方ができるんじゃないかと思います。さらに、一歩すすめて、障害をもつ子どもと障害をもたない子どもを一緒に保育し、一緒に教育していく。こうしたことも一つの方法として考えられるのではないでしょうか。
欧米の障害をもつ人たちは、日本の障害をもつ人たちと同じように厳しい社会的なハンディキャップを負っていました。欧米では、それがここ10年間でどんどん解消されてきました。残念ですが、日本は20年くらいの遅れをとっていると思います。どうしてなのかとアメリカで障害者運動をしている友人に尋ねました。一番の理由は、教育だといいました。障害をもつ人たちの教育への権利が保障され、学ぶ意思があれば、誰でも学校教育を受けることができ、大学教育を受けることができます。そこで、いろんな専門的知識や技能を身につけて、それを社会に出て活かすことになります。たとえば、大学で法律を学んだ人が弁護士になり、弁護士の立場から障害者への差別がいかに不当なものかを主張し、その差別を解消するための施策に取り組むのです。
1990年に、障害者差別を禁止した「障害者をもつアメリカ人法(ADA)」という法律が制定されましたが、その素案を作ったのは障害をもつ人たち自身だったのです。彼らは国会に働きかけ、議員全員の賛成を取りつけ、当時のプッシュ大統領のサインを得ることができたということです。これを知ったとき、私はある種の衝撃を受けました。そして、障害をもつ人たちへの教育の果たす役割がいかに大切であるかを教えられたのです。
これからは、地域福祉の時代だといわれています。私たちの生活は地域社会をぬきにしては成り立っていかないと思います。私たちがどういう地域社会を目指そうとするのか、とても重要な課題です。
春日市の子どもたちが、地域社会の人たちとさまざまな出会いを体験し、人と人との結びつきを深め、いろんな人たちが混じりあって共に生活していけるような環境をどう創っていくかということです。みなさんの中には、それは単なる理想にすぎないという人がいるかもしれません。しかし、これは理想であっては困ります。現実の問題として捉えてほしいのです。子どものときから障害をもつ人たちと出会い、身近に触れあい、そしてさまざまな生活体験を共有できるような春日市の地域社会を築いていくことが、今求められていると思います。ぜひ、皆さんの一人ひとりが、春日市の地域づくりに自分のできるところから参加していってほしいと思います。
主題(副題):
春日市障害者福祉長期行動計画 1995年~2004年
発行者:
春日市
発行年月:
1995(平成7)年3月
文献に関する問い合わせ先:
〒816-0804 福岡県春日市原町3丁目1番地の5