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第22回障がい者制度改革推進会議(H22.10.27) 北野誠一委員提出資料

【北野 参考書面A】

3 アメリカにおける重度障害者が地域で暮らす権利について

(北野誠一)

 次にアメリカで、1999年6月に連邦最高裁で判決が下されたOlmstead v L. C.(98-536)を見ておきたいと思う。

 この裁判は、知的障害と精神障害を併せもつ障害者(L・C)が、地域生活が可能であり、本人もそれを求めているのに、本人を不当に収容しつづけているとして、アトランタのジョージア州立病院を、ADA違反で訴えたものである。連邦最高裁の判決は、「最も統合された環境(the most integrated setting)で、本人が利用するプログラムを提供しなければならない」としたADAの施行規則(23CFR §35.130d)に基づいて、「精神障害のない人は、そのような犠牲を払う必要がないのに、精神障害のある人は、必要な治療を受けるという理由で、合理的配慮によって十分に楽しむことのできる地域生活への参加を諦めねばならない。」「不必要な施設入所は、家族との関係、社会との関係、労働関係、さらなる教育、豊かな文化的楽しみといった日常生活の諸活動から障害者を切り離してしまうがゆえに、それは障害者に対する差別とみなされる。」と述べている。

 ここで問題となるのは、「不必要な施設入所とは何か」である。最高裁は、「地域生活が可能で、そこから利益を得ることができる人でかつ、本人が地域生活に反対しない人に対する施設入所」が「不必要な施設入所」であり、ADA上の差別であると述べている。

 この判決のもつ意味は大きい。確かに、地域生活が可能でそこから利益を得ることができる人とはどのような人なのかを判断することが、特定の専門職に独占されてしまえば、その専門職の自由裁量によって権利性を弱める可能性もある。この判決でも、裁判を起こした障害者の地域生活が可能なことを、その州立病院の医師によって認められていることが、判決のよりどころとされている。Bazelon精神保健法センターも、この判決について次のように述べている。「裁判所によれば、州は一般に州の専門家による“合理的なアセスメント”に基づくべきことが示されているが、しかし州の専門家による地域生活の適切性の決定が合理的でない場合もありうる。この裁判では、訴えた障害者の治療専門家によるアセスメントに基づいているが、第三者によるアセスメントも同様に有効である」(注1)

 地域生活が不可能でそこから利益を得ることができないことを、つまり「もっとも統合され、制約の少ない環境」以外の環境で生活することの必要性を、措置する側の立証責任とするべきだと思われる。

 この判決でむしろ大切なのは「本人が地域社会での生活を希望していること」を条件とするのか、それとも「本人が地域社会での生活を拒否していないこと」を条件にするのかである。判決はADA施行規則(28CFR §31.139e-1)に基づいて、「本人が地域生活を希望していない者に、地域生活を強制するものでない」と述べている。このことは、本人が地域生活を希望しようとしまいと、それを拒否しなければ、本人が地域生活が可能で、そこから利益を得ることができるとみなされる人はすべて、地域生活をする権利が保障されていると解釈できるように思われる。

 ちなみにADA施行規則(28CFR §36.130e-2)には、「この規則は、障害者の法定代理人や後見人が、食事・水・医療・介助等を減らすことを認めるものではない」としているが、法定代理人や後見人が、その本人の最善の利益(best interest)の名で、本人を施設や病院に収容することを差別として否定するところまではいっていないように思われる。

 この判決の中で、脱施設化を進める人たちが特に注目しているのが次の部分である。「たとえば、もし、州が資格を有する障害者がより制限の少ない環境(less restrictive settings)に移行するにあたって、包括的で効果的な実行計画を示し、その実行計画が州の施設の定数を満たそうとする試みに縛られることなく、施設から地域で生活する人が、合理的なペースで地域に移行する待機リストを示すことができれば、それはADAによるところの合理的な配慮の基準を満たしているものと見なされる。……そのような状況においては、裁判所は裁判に訴えた者がいるからといって、その者を地域移行計画でより優先順位の高い者と取り替えることを保障することはできないであろう。」

 訴訟の国アメリカにおいて、この勝訴によって各州で裁判に訴える障害者が現れる可能性が高いために、州はこぞってこの「包括的で効果的な地域へ移行する実行計画」に取りかかるものとみなされている。アメリカの運動団体がそこに目をつけるのも当然だといえよう。

 この判決部分は非常に注目すべきであり、それは次のことを意味している。一つは、この「包括的で効果的な地域移行計画」での待機リストに、地域生活に移行する人たちの希望とニーズに基づく優先順位が存在するということは、それは、施設利用者全員に対して、一人ひとりの「本人自立生活支援計画(IPP)」がきちんと作成されていることを意味している。だれが地域移行の希望やニーズが高いか、またそのために必要な支援計画が作られ、実行されているかが分からなければ、そのような優先順位のある待機リストが立てられようもないからである。

 もう一つ注目すべき点は、「合理的なペース」という表現である。判決および連邦保健福祉省の通達は、「サービスの有無にあわせてアセスメントするのではなく、あくまで本人の希望とニーズに基づいてアセスメントすること」を求めながら、一方で「希望やニーズがあるからといって、サービスがないのに地域に戻してはならない」としている。つまりは、予算を可能な最大限のペースで地域支援にシフトすることによって、決して施設入所者が、地域支援なく地域に戻されることがないようにすることが求められているのである。

 この判決が、精神障害と知的障害の二つの診断を受けた人に対するものであり、この判決によって影響を受ける人たちが知的障害者だけでなく、精神障害者をも含むがゆえに、1980年代の精神病院縮小・解体によって、一部の精神障害者がホームレスになったと言われているあの轍を踏まないように、細心の注意が必要である。

 ADA制定10周年の2000年7月26日までに、この包括的で効果的な実行計画の作成と、その実行を開始しなければならないとされている。

 最後に、この判決を受けて、連邦保健福祉省が2000年1月14日付で各州のメディケイド局長当てに出した通達文には、次のようにある。

 『連邦保健福祉省は、包括的で効果的な実行計画の構想・展開・実行は、障害当事者とその代理人が参画(active involvement)することによってこそ、最もよく達成されをと考える。』(注2)。アメリカにおいては、障害当事者の参画が既成事実化、普遍化していることが分かる。

 日本においても、重度の障害者が地域で当たり前に暮らす権利を保障する法を、ぜ ひとも成立させたいものである。

(注1)Bazelon : Center for Mental Health Law “Under Court Order ; The Supreme Court Ruling in Olmstead v L. C. ”, p.6, 1999.

(注2)DHHS “ Developing Comprehensive, Effectively Working Plans” Letter to State Medicaid Directors, 2000.

【月刊誌「ノーマライゼーション」2000年5月号 の『連載 北米における権利擁護とサービスの質に関するシステム 第12回』の拙稿より】


転載者注: 【月刊誌「ノーマライゼーション」2000年5月号の『連載 北米における権利擁護と サービスの質に関するシステム 第12回』
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n226/n226_08-01.html