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日時:2013年02月03日(10:30~16:00)
場所:戸山サンライズ 大研修室
 

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障がい者制度改革推進会議 第5回(H22.3.19) 資料1

教育に関する意見一覧

障害者基本法 教育該当部分

教育基本法 差別禁止条項の不存在

学校基本法 異なる教育目的の設定

特別支援学校の設置

特別支援学級の設置

就学先決定の仕組み

合理的配慮の具体化

聴覚、視覚に障害がある場合の教育

特別支援教育

その他

第五回障がい者制度改革推進会議 意見提出フォーマット
教育

障害者基本法 教育該当部分

1.障害者基本法の総則規定の中に、障害者の教育の権利及び求められる教育のあり方を、障害者の権利条約に即して追加して規定すべきか、否か。

【大久保委員】

規定する必要があると考える。

【大谷委員】

規定すべきである。

障害者基本法は障害者の権利章典とするべきであり、教育に関する規定を設けることは不可欠である。

【大濱委員】

⇒権利条約24条1項に基づき、障害者に権利として認め、機会の均等やインクルーシブな教育制度、生涯学習について規定すべき。

【尾上委員】

障害者基本法においては、当然、障害者の教育を受ける権利、そのために求められる教育のあり方について、障害者の権利条約に即した規定を設けるべきである。

なお、その際、障害者権利条約では、「あらゆる段階におけるインクルーシブな教育制度及び生涯学習」とあること、そして、障害者制度改革推進本部・並びに当推進会議の設置を提言した民主党の障がい者政策PT報告の「改革17項目」のその6には、「学校教育制度は、あらゆる段階において障がい児が障がい児以外の者と原則分けられず、インクルーシブ教育(共に学び共に育つ教育)とすることを基本とする」とされていることを、ふまえておく必要がある。

すなわち、以下、全ての項目に関わる、基本的かつ重要な概念であるインクルーシブ教育とは、「障害児が障害児以外の者と原則分けられず、共に学び共に育つ教育」であるとの解釈を確認しておく必要がある。

そのことから、求められる教育のあり方は、障害者が地域社会から排除されることなく、特定の生活様式を強制されないで自立した生活を実現できる社会をめざしたものでなければならない。そのためには、権利条約において掲げられたインクルーシブ教育が、障害者も地域の子どもたちと同じ学校で教育を受けることを原則として保障するものとの理解に立つことが必要であり、その保障に向けた施策を実施することを規定として盛り込むべきである。

【勝又委員】

追加規定すべき。

【門川委員】

障害者が適切な教育を受ける権利を有することは当然であるが、障害者基本法の総則規定に追加する必要はないと考える。

障害者の権利条約に即して、ということであれば、障害者の権利条約の「一般原則」をすべてきちんと盛り込む方が適切であろう。

障害者が適切な教育を受ける権利を有することは当然である。そして、障害者にとって適切な教育とは、障害者でない者への教育からかけ離れたものではない、ということを強調すべきであり、教育が突出して総則規定に盛り込まれることで、かえって障害者にとっての教育の「特殊性」が強調されてしまう危険性が懸念される。

【川﨑洋子】

追加して規定すべきと考える。

【北野委員】

A.規定すべし

障害者権利条約の批准にあたって、障害者基本法を「障害者の権利と支援に関する基本法」として、その総則の一条項とすべし

【清原委員】

障害者基本法の総則においては、障がい者の権利性に関する記述を明確にする必要がある。その中に「教育の権利」を含めるか否かが検討されるべきと考える。

【佐藤委員】

分野別の条文で「教育を受ける権利」が明記されることを前提に、総則規定では設けるべきではない。教育だけが規定されると、労働、移動、文化的活動への参加、医療、結婚などなど、逆に他の権利が軽視されるのではないか。

総則規定では、憲法に規定された基本的人権を障害者が享受できるようにするための法律であることを明記すればよいのではないか。

【新谷委員】

障害者基本法の総則部分に何を書き込むべきかついての議論が不足しているので、回答が困難です。「あらゆる段階におけるインクルーシブな教育制度、生涯教育を求める権利を有する」といった包括的な規定を置くということでしょうか?雇用・労働や医療、文化的生活など個別分野の総則への書き方も含めて整理すべきと考えます。

【竹下委員】

障害者基本法に、障害のある人の教育に関する基本的な考え方ないし理念を明確にしておくことが必要である。

【堂本委員】

(結論)規定すべき。

【中西委員】

規定すべきである。

障害者基本法は障害者を権利の主体としてどんな障害があっても、地域社会で差別を受けることなく、障害のない人と共に障害のある人が生きがいのある生活を送ることができる法制度の体系の「基本」となるべき法律であり、障害者の権利を網羅しているもののはずである。そのため当然教育の権利と権利に基づいた教育の在り方も含まれていなければならない。条約に即し、学校教育基本法や学校保健法、その他教育に関する施行令、施行規則、通達なども変更することが必要である。

【長瀬委員】

追加して規定すべきである。教育は非常に重要な項目であり、障害者の権利条約に基づいて、従来の強制的分離を原則とする日本の障害児教育を抜本的に変えていくために、まず障害者基本法総則において、障害児教育のインクルーシブ教育への転換と、手話を中心とするろう教育を明記するべきである。

【松井委員】

教育の重要性から、障害者基本法の総則規定のなかに、障害者の権利条約に即して、障害者の教育の権利及び求められる教育のあり方を規定するという考え方も理解できるが、教育以外にも同様に規定してもよいと思われる重要事項もあることから、それらすべてを総則規定のなかに含めることは、現実的ではない。

したがって、むしろ障害者基本法第14条(教育)の内容を障害者権利条約に沿ったものに修正するのが妥当であろう。

【森委員】

障害のある一人ひとりが充実した地域生活を送るためには、障害児・者が一人ひとりに応じた適切な教育を受けることが重要である。そこで、障害者基本法の総則規定の中に、教育の権利および求められる教育のあり方について、権利条約に即して規定すべきと考えられる。

2.障害者基本法14条1項は、「国及び地方公共団体は、障害者が、その年齢、能力及び障害の状態に応じ、十分な教育が受けられるようにするため、教育の内容及び方法の改善及び充実を図る等必要な施策を講じなければならない。」と支援をその柱にすえるが、合理的配慮の規定は存在しない。そこで、普通学校、普通学級での合理的配慮、必要な支援についても規定するべきか、否か。

【大久保委員】

「合理的配慮」を規定することについては必要と考える。

ただし、教育における「合理的配慮」の考え方について議論が不十分と思われるところから、「普通学校、普通学級での」という文言で規定するかは検討を要すると考える。

【大谷委員】

規定すべきである。

基本法14条1項は「能力及び障害の状態に応じ」とし、これが分離教育の根拠ともなっている。よってこの部分を削除し、それぞれのニーズに基づき、とするべきである。

また、「教育の内容・方法の改善・充実を図る等必要な施策を講じなければならない」と規定しているが、教育の内容・方法の改善・充実はもとより、施策として講じなければならないのは、これがなければ差別であると明言している権利保障のための合理的配慮(24条2項c)と、効果的な教育を容易にするために必要な支援(24条2項d)を制度的に保障することである。これを、教育条件として整備することがまずは行政の施策として不可欠であり、このことが明記されているべきである。

もっとも、同条項は「改善・充実を図るなど」とされ、教育の内容・方法の改善・充実を図ること以外にもなすべき施策が存することは想定されてはいるが、しかし教育の内容・方法以前ともいうべき教育へのアクセス(通学・移動保障等)は教育条件として整備することが行政に求められているのであり、これを「など」に曖昧にすることなく、明文化するべきである。

よって、「障害者が障害のないものとの平等を基礎とし(あるいは障害のないものに保障された教育から排除されることなく)十分な教育を受けられるようにするために、それぞれのニーズに基づき、教育の内容・方法の改善・充実を図り、また合理的配慮及び必要な支援を保障する施策を講じなければならない」とするべきである。

【大濱委員】

⇒機会の均等やインクルーシブな教育制度が大前提であるので、当然、普通学校、普通学級での合理的配慮や必要な支援を規定しないと、差別となる。

【尾上委員】

【意見】

障害者の教育を受ける権利を前提とするならば、当然、普通学校、普通学級での合理的配慮、必要な支援についても規定するべきである。

現状は、障害のある子が普通学校等を選んだ場合、保護者が、通学や、教室の移動や給食時等の学内介助等を担うことが教育関係機関から往々にして求められ、保護者に大きな負担を課している実態もある。こうした実態を解消していくために、普通学校、普通学級での合理的配慮、必要な支援及び教育機関及びその施策において確保する責任についても規定する必要がある。

インクルーシブな教育制度の下で、どのような状況にある子どもにも合理的配慮と必要な支援が提供されることが求められており、障害のある子どもたちが教育を受ける権利を保障されるためには、その不利益を取り除くための合理的配慮、教育上必要な支援があらゆる場において提供されることが不可欠である。国及び地方公共団体は、そのための施策を講じる責務があることは明確にしておかなければならない。そして、あらゆる場において合理的配慮が確保される、十分な財政措置が得られる仕組みがぜひとも必要である。

なお、障害者が他のものと平等に教育を受ける権利を前提とするならば、障害者基本法14条1項にいう「その…能力及び障害の状態に応じ、」との文言は削除すべきである。

また、現行の障害者基本法・第14条3項の「交流及び共同学習を進める」としている規定で、「交流」とは障害のある子とない子を分けることが前提となっているからこそ生じる記述であり、インクルーシブ教育の推進に全面的にあらためる必要がある。

障害者権利条約は、19条で「自立した生活及び地域社会へのインクルージョン」を規定している。障害者の地域生活の確立は、学校教育がインクルーシブな制度であることが必然であり、前提となることから、条約の精神を生かすためにも特別支援教育からインクルーシブ教育への転換が求められている。現行の特別支援教育は、高等部の卒業生の約6割(http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/013.htm)が「施設・医療機関」となっており、この事実からも障害者を生涯分離し、隔離することにつながる教育制度からの転換が必要である。

すなわち、前述した「改革17項目」の規定を活かし、「あらゆる段階において障がい児が障がい児以外の者と原則分けられない、インクルーシブ教育(共に学び共に育つ教育)を積極的に進める」といった内容に変更すべきである。

【勝又委員】

さまざまな場面、児童の障害の種類と程度によって、多様な配慮を規定することができるのか。効果的に規定することができるのならば検討すべき。

【門川委員】

合理的配慮という概念は極めて重要であるが、合理的配慮という概念の裏側には、合理的でないことはやらずとも良い、というニュアンスが含まれていることに留意するべきである。その意味で、現行の規定にあえて合理的配慮という規定を盛り込むことが、障害者の教育にとって望ましいことなのか、よく検討する必要がある。

たとえば、就労の場面における合理的配慮とは、就労する障害者と雇用する雇用主との間の契約関係において、雇用主が不適切な契約を結んだり契約を拒否したりすることを認めない、という趣旨である。しかし、幼稚園・小学校・中学校・高等学校等の教育を受ける場における障害者と教育を行う学校や教師との関係は、就労の場面における契約関係とは質的に大きく異なると考えられる。また、権利条約第2条における「特定の場合において必要とされるもの」とあるとおり、合理的配慮とは、通常は必要とされないが障害者に関して、個別具体的な特定の場合において必要とされるもの、という趣旨であるのに対して、教育とは、本来的に、個々のすべての児童の諸状況に応じたものでなければならないものである。したがって、障害者(特に障害児)にとっての教育も、個々の児童の諸状況に応じたものでなければならないという原則を適用することで、十分に保障される必要があるものである。

すなわち、教育を受ける主体としての障害者(特に障害児)は、未成年者(あるいは児童)として元来十分に保護されるべき存在であり、十分な配慮をもって教育が受けられるようにしなければならない、という側面を明確にするために、より強力な表現にすべきではないか。つまり、教育については、「合理的配慮」ではなく、むしろ、個々の障害児にとって必要な「全面的な配慮」を行うべきであり、「十分な教育が受けられるようにする」のではなく、「十分な教育が受けられないことがないようにする」必要があるのではないか。そこで、例えば次のような条文とすべきである。

「国及び地方公共団体は、一人ひとりの障害者が、その年齢、能力及び障害の状態に応じた十分な教育が受けられないことがないよう、教育の内容及び方法について不断の検証を行うとともに適切な改善及び充実を図る等必要な施策を講じなければならない。」

【川﨑洋子】

障害者が教育を受ける際には、合理的配慮は不可欠な支援であり、規定すべきである。

精神障がいの場合、十代に発症し、必要な教育を受ける機会が失われ、卒業資格が得られずに、中退となる場合が多い。

高校、大学の中退は、本人にとって将来の大きな希望が失われることにもつながっている。病院に入院中、学校に登校できない間、あるいは外に出られず家に引き込まざる得ないとき、教育を受ける権利として、病院や在宅での教育支援の必要がある。学校を卒業できることは、精神障がい者の回復の一助になるとも考える。

【北野委員】

A.規定すべし

障害者権利条約の第24条2のc項及びd項で、一般教育制度の下での合理的配慮と必要な支援が規定されており、当然である。

さらに言うなら、障害者基本法14条1項の「能力、障害の状態に応じ」はそれ自体が、差別にあたる可能性がある表記である。

付け加えれば、障害者権利条約の第24条2のb項にあるように「インクルーシブで質の高い無償の初等・中等教育」には、当然が学校への送り迎えや学校内での介助等が含まれており、いやしくも家族にそれを強いるなどということは言語道断である。

【清原委員】

合理的配慮は、教育においてのみ規定するものではないので、ここに規定するのがよいのかどうか、全体のバランスを考え、例えば、総則に合理的配慮を含めるなど規定する場所を検討する必要がある。

【佐藤委員】

規定すべきと思う。ただし、「必要な支援」のほかに「合理的配慮」があるわけではなく、「合理的配慮を含む必要な支援」を規定すべきである。

また、合理的配慮は「普通学校、普通学級」でのみ必要とされるものではなく、特別支援学校、高等教育機関、社会教育でも必要とされる。

なお、より具体的な規定は学校教育法、同施行令・施行規則で定めた方が実効性があるのではと考える。つまり、教育に関する法令の系統(システム)と障害者基本法(ないし差別禁止法等)との関係について十分吟味すべきである。

学校教育に関する法令の系統は、日本国憲法→教育基本法→学校教育法→学校保健安全法等関連法令および学教法に関する政省令(施行令、施行規則)が本筋であり、障害がある場合の(学校)教育について障害者基本法で言及する際には、教基法→学教法…の系統の規定する内容との矛盾を避けた上で、総論的な規定にとどまるべきものと考える。別項で指摘されているごとく、教育基本法の差別禁止要件(4条1項・機会均等)に「障害」を挿入した上で、さらに必要があれば、同法の障害者教育条項(4条2項)を、インクルーシブ教育および合理的配慮等、権利条約の到達水準を踏まえた規定に改める必要がある。その上で、その内容と同等の条文を障害者基本法の教育条項にも入れ込む、という関係が望ましい。

合理的配慮を含め、障害者基本法の教育条項の改正については、第2回「推進会議」紹介した全国障害者問題研究会の次の意見(再掲)を参考にすべきである。

障害者基本法改正に際しての「教育」に関する意見

全国障害者問題研究会 2010年1月21日

障害者基本法改正にあたっては、障害者権利条約前文、第1条~第5条、第6条~第7条、第23条~第25条等をふまえて、次のJDF案をもとに削除、追加、修正(下線部分)を意見します。

(教育)

第**条(現第十四条)

障害者は、いかなる障害に基づく差別を受けることなく、教育を受ける権利を有し、その機会を保障される。

2 国及び地方公共団体は、あらゆる段階におけるインクルーシブで質の高い教育を実現するための必要な施策を講じなければならない。

3 障害者並びにその保護者は、本人の必要に応じた教育の内容・方法などを求める権利を有する。(手話の習得及びろう社会の言語的な同一性を促進することを含む)。

 国及び地方公共団体は、障害のある児童が、本人の生活している地域の小学校、中学校で、同一世代の者たちと共に学べるよう必要な支援を行わなければならない。

5 国及び地方公共団体は、障害のある児童が、通級による指導における教育、または特別支援学級における教育、または特別支援学校における教育を受けることができるよう必要な措置を講じなければならない。

 国及び地方公共団体は、障害者並びにその保護者が、本人の必要に応じた教育の内容・方法などを求めることができるよう発達を最大にするための学習環境の整備その他必要な措置を講じなければならない。

 国及び地方公共団体は、障害者が、高等学校、大学、高等専門学校及び専修学校その他の教育機関において教育(生涯教育を含む)を受けるための必要な支援と合理的配慮を行うとともに、教育機関が必要な支援と合理的配慮を行うための措置を講じなければならない。

 国及び地方公共団体は、障害者の教育に関する調査及び研究並びに学校施設の整備を促進しなければならない。

【新谷委員】

義務教育段階での普通学校・普通教育においては、「障害を持たない児童・生徒との平等を基礎として、必要な配慮・支援を行わなければならない」と規定すべきと思います。義務教育段階での必要な配慮・支援に対しては、過重な負担の抗弁を許す「合理的配慮」ではなく、端的な「必要な配慮・支援」を規定すべきと考えます。

【竹下委員】

現行の障害者基本法14条1項は、どのような理念の下に規定されているかが曖昧である。

1 いかなる障害を有していても教育を受ける権利(憲法26条)があることの確認であるとすれば、そのことを明確にした条文に改めるべきである。

2 障害ゆえの配慮や支援の必要性(義務性)を規定しているのだとすれば、国や自治体の明確な義務として位置づけ、あわせて障害のある者(児童、生徒及びその保護者)から必要とする配慮を請求することができる旨の条文に改めることが必要である。その場合、条約が求めている合理的配慮義務としての支援であることが明確にされていなければならない。

3 統合教育と分離教育に関する考え方がまったく示されていない。あくまでも統合教育が基本であって、例外としての(そして本人または保護者が選択した場合に限り)分離教育(特別支援学校または特別支援学級)であることを明文化すべきである。

4 教育的支援のあり方については一切示されていない。統合教育における教育理念としては単純な統合では不十分であり、条約が求めているインクルーシブ教育が明確に位置づけられるべきである。

【堂本委員】

(結論)規定すべき。

(意見)千葉県条例では既に規定しているが、親の付き添いの問題などがあり、普通学校や普通学級での合理的配慮については盛り込むことができなかった。国の法律では予算措置並びに学校の体制を整えたうえで盛り込んでほしい。

【中西委員】

規定すべきである。

障害者基本法14条1項には、障害者の教育に関する国及び地方公共団体の責務を規定するべきであり、そのための改正が求められている。その際に、障害者の権利条約24条1項を活用した文言にし、国及び地方公共団体は、教育についての障害者の権利を「差別なしに、かつ、機会の均等を基礎として実現するため、障害者を包容するあらゆる段階の教育制度及び生涯学習を確保する」と、国、及び地方公共団体としての責務を規定するべきである。「包容する」教育(インクルーシブ・エデュケーション)は、障害者が居住する地域の普通学校、普通学級での就学を意味するため、当然、個人が必要とする合理的配慮、必要な支援を国及び地方公共団体が保障する責務があることを規定すべきである。

現状は、障害児が普通学校に通学するためには、保護者の付き添いや学内介助等を担うことが教育関係機関から求められており、プールや宿泊行事の参加を断られたりという、専門教育以前の基本的な教育権が奪われている。また、保護者が病気等で対応できない場合に子どもは、学校を休んでいる実態もある。こうした障害児が教育を受けるために必要な支援や配慮が、教育機関ではなく、保護者の責任において実施されている実態は、障害児教育に対する公的責任と役割を教育機関及び関係施策は、放棄しているといえる。従って、普通学校、普通学級での合理的配慮、必要な支援及び教育機関及びその施策において確保する責任についても規定する必要がある。

【長瀬委員】

障害者基本法の基本的施策としての教育に関する部分で、すべての教育機関における合理的配慮と必要な支援の規定が不可欠である。

【松井委員】

文科省が公表したデータからも、普通学校の普通学級で教育を受ける障害児のほうがはるかに多いことから、これらの障害児が適切な合理的配慮や必要な支援が受けられるよう、第14条1項に規定されるべきであろう。

なお、障害者基本法第15条1項および3項には、職業相談等として職業訓練が含まれるが、教育の場合と同様、一般の職業訓練施設などで訓練を受ける障害者が増えていることから、一般の職業訓練施設においても合理的配慮や必要な支援が提供されるよう、規定されてしかるべきと思われる。

現に、障害者権利条約第24条教育5項では、「締約国は、障害者が差別なしに、かつ、他の者との平等を基礎として、一般的な高等教育、職業訓練、成人教育及び生涯教育を享受することができることを確保する。このため、締約国は、合理的配慮が障害者に提供されることを確保する。」と規定されている。

【森委員】

バリアフリー化、コミュニケーション手段、人員の確保などに関して具体的な例示を行って、教育における合理的配慮についての理解の促進とその実施に関して障害者基本法に明確に規定すべきである。

教育基本法 差別禁止条項の不存在

教育基本法4条1項は、「人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない」としつつも、この中に、「障害」という文言はない。「障害」という文言を挿入して、障害に基づく差別の禁止を明文化する必要性について、どう考えるか。

【大久保委員】

「障害」を挿入することが望ましいと考える。

【大谷委員】

明文化するべきである。

子どもの権利条約第2条は、差別の禁止の例示として障害を明記している。よって子どもの権利条約の国内法としても、ここに障害を明記するべきであった。権利条約は、子どものみならず全ての段階のあらゆる分野において差別の禁止を明記しているのであるから、今度こそ、障害を理由に教育上差別されないことを明文化するべきである。

なお教育基本法4条2項は「障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない」としているが、これはまさに支援を保障しているのであり、このことを理由に差別の禁止に明文規定をおく必要はないとの理由とすることは出来ない。

因みに国連子どもの権利委員会は第1回における勧告(1998年)に引き続き、第2回勧告(2004年)においても、障がいのある子どもに対し社会的差別が根強く残っていることに懸念を表明し「社会的差別と闘いかつ基本的サービスへのアクセスを確保するため、とりわけ教育および意識啓発キャンペーンを通じて、あらゆる必要な積極的措置をとるよう」勧告している。

これに対し、政府は、2008年政府レポートにおいて、障害者基本法を改正し、障がいを理由とする差別その他の権利利益を侵害する行為をしてはならない旨を基本的理念として明示し、学校教育においては、障がいのある児童生徒と障がいのない児童生徒や地域社会の人々が活動をともにする交流及び共同学習を実施している、と報告した。

しかし、障害者基本法の差別の禁止は、差別の定義、裁判規範性、救済規定もない誠に不十分なものである。

また、交流・共同学習も分離別学を前提とし、分離を維持したまま限られた場面だけ統合しようとするものである。しかもその場面は年に数回の行事(運動会等)に限り、年間の交流時間の上限を定めたり、あるいは間接交流として手紙のやりとり、通信への掲載など非常に限られ、学校生活の基幹部分である教科、給食等の生活場面での交流、共同学習に至ることは極めて少ない。また障がいのある子どもの地元校との交流は少なく、特別支援学校の所在地校との交流であったり、更に、保護者の付添が要請されたり、また、教材・教科書等交流校には用意されていず、自費で購入を要求されたり、結局はお客様扱いの枠を出ることはない。これによって、交流はともすれば障がいのない子どもにとっての都合のいいものになりやすく、障がいのない子どもには優越感を、障がいのある子どもには劣等感を醸成させることを抑止しえず、より差別を助長するおそれも存するのである。

政府は交流によって「これは全ての児童生徒の豊かな人間性を育成する上で大きな教育効果が期待される。また、地域社会の人々においても、障害のある児童生徒とその教育に対する正しい理解と認識を促進するためにも重要な活動となっている。」(パラ353)と報告しているが、これは、交流・共同学習によって得られるのではなく、まさにインクルーシブな教育によってこそ得られるものである。交流による弊害的側面を無視し、「全ての児童生活の豊かな人間性」として集約しているのは余りに皮相である。(以上、日弁連国連カウンターレポートより)

【大濱委員】

⇒24条1項の権利の実現として、2項(a)に謳われているように障害を理由とした教育制度から排除されないことの明文化は必要。

【尾上委員】

【意見】

教育基本法においても、障害者がどのような場合でも差別を禁止の対象となる規定は明文化しておくべきである。

例えば、大阪府で1998年(平成10年)11月1日に施行された「人権尊重の社会づくり条例-すべての人の人権が尊重される社会をめざして-」においても、「今日もなお、社会的身分、人種、民族、信条、性別、障害があること等に起因する人権侵害が存在しており」との文言が盛り込まれている。障害者の権利の重要な課題となる教育において、「障害のあること」による人権侵害をなくしていくためにも、それを教育基本法にはっきりと明文化することは不可欠である。

【勝又委員】

入れることに反対ではないが、「障害」という文言が入っていないことが教育における差別の解消を阻害しているといえるのか。文言がはいれば、なにが変わるのか。教育基本法の改訂には手続きに時間がかかるわけだから、それをしてまで「障害」をいれる意味があることを確認したい。

【門川委員】

教育基本法4条の2項には、次のように規定されている。「国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。」つまり、障害のある者が教育を受けられるように支援体制を整えるべきであることを、この項では規定している。

一方、4条の1項では人種や性別、信条などによって教育上差別されてはならないと規定しているものの、この中には障害に関する記述はないため、障害という文言も加えるべきである。

【川﨑洋子】

障がいに基づく差別の禁止は明文化されるべきと考える。

【北野委員】

A.明文化すべし

【清原委員】

教育基本法4条2項に、「障害のある者」についての記述がある。差別されない例示の対象としての必要性を考えれば、1項において、障がいが重要な例示の一つとして挿入されるのが望ましいと考えられるが、憲法の記述との整合性が課題である。

【佐藤委員】

障害者差別禁止法で対象とする分野の一つが教育であり、教育基本法での差別禁止条項に障害を加えることは当然のことである。なおそのほかの現行教育基本法の問題(国家主義的性格など)は別途検討すべきである。

さらに、学校教育法との役割分担を吟味した上で、教育基本法の障害者教育条項(4条2項)を、インクルーシブ教育および合理的配慮等、権利条約の到達水準を踏まえた規定に改める必要がある。

【新谷委員】

「障害」の文言を挿入すべきです。

【竹下委員】

1 教育における差別は絶対に許されない。人間の尊厳ないし基本的人権の根本に関わる問題であり、教育の場面において障害を理由とする差別が絶対にあってはならないことを明確にするためにも、教育基本法4条1項に「障害を理由とする差別の禁止」を明文化すべきである。

2 教育基本法4条1項にあえて「障害」の文言がないのは、同条2項との関係があるからである。すなわち、現行教育基本法は、障害児・者教育を普通教育と分離して規定し、その結果として「イコールバットセパレート(たとえ平等であっても分離すること)」という差別を温存することを前提としていると思われる。したがって、4条2項は不要であり、1項に障害児・者に対する差別禁止と教育保障を明文化すべきなのである。条約が求めているインクルーシブ教育の理念からしても4条2項の規定はその趣旨に反するおそれがある。

【堂本委員】

(結論)明文化すべき

(意見)条約を批准するための国内法整備としては当然である。千葉県条例においては明文化済み。

【中西委員】

明文化すべきである。

教育差別の類型の一つとして障害を加えることは、現在の差別の実態からみても当然の事である。重要な事は、障害に基づく差別の禁止を明文化するだけではなく、迅速に差別が救済されるよう実効性のある仕組をつくることである。したがって、教育基本法で設けた教育差別禁止の条項と連動するように、差別禁止法、学校教育法等で、救済されるような条項を設け実体化させるべきである。

2006年の教育基本法の改正により、4条2項「国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない」が追加されたことは、障害を別個に扱う口実となる。

【長瀬委員】

障害者の権利条約の批准に向けて、障害に基づく差別禁止の明文化は必要である。

【松井委員】

教育基本法第4条1項に「障害」という文言を挿入し、障害に基づく差別の禁止を明文化すべきである。

【森委員】

日本国憲法第14条をもとに記述されている表現であると考えられるが、制定当時には、「障害」に関して差別という意識を導入することすら想定されていなかった社会の状況であったのではないだろうかと思われる。

「障害」という文言を挿入して、教育の現場においても障害に基づく差別が存在しうる可能性を明記し、その禁止について明文化する必要がある。差別を明確にすることによって、はじめて、その差別の解消、撤廃を図ることが可能になる。

学校教育法 異なる教育目的の設定

学校教育法72条は、特別支援学校(従来の盲、聾、養護学校)について、「幼稚園、小学校、中学校又は高等学校に準ずる教育を施す」ものと規定している。

1.この普通教育と異なる「準じる」教育という設置目的をどう考えるか。

【大久保委員】

同条文は、「・・に準ずる教育を施すとともに、障害による学習上又は生活上の困難を克服し自立を図るために必要な知識技能を授けることを目的とする。」としている。知的障害や発達障害の分野においては、特別なニーズに応じた教育も行うことが含まれ、必ずしも教育の質の差を示したものでないとは考えるが、「準ずる」をもって画一的に異なる教育が行われる危険は感じられる。

従って、「準じる」という表現より、例えば「同等の」というような表現が妥当と考えられる。

【大谷委員】

特別支援学校の教育の目的を、普通学校の普通教育に準ずる、とすることは、特別支援学校での教育は普通学校での教育よりも一段低い教育であることを法文言上認めるものであり、権利条約24条2項bが規定する「質の高い」初等中等教育を保障していることに反し、義務教育段階においては、憲法26条2項に反する疑いがある。

法令用語上では「準ずる」とは「模範としてならう意」であり「同等」という意味ではない(藤木英雄他編著『法律学小辞典』有斐閣,1972)。

また「準ずる教育を施し」とは、「同一の内容を同一の方法によって教育することはできないので、幼児・児童及び生徒の障害の状態および能力・適性を十分考慮して、それぞれ幼稚園、小学校、中学校、高等学校の教育目標の達成に努める教育を行うことをいう」(鈴木勲編著『逐条 学校教育法』2010)と解釈されている。

実態としてはこの文言を「障害のある子は教育目的や教育課程が違う」と解釈し、普通学級から排除されたり交流を制限されるなど分離教育を正当化するものになっている。特別支援学校の教育の目的を「小中高等学校の教育の目的に準ずる」とすると、特別支援学校の教育は小中学校での教育よりも一段低いものとして設定することを許容することになる。

また権利条約24条2項bは「質の高い」初等・中等教育を保障しているが、「普通教育に準ずる教育」として法文言上普通教育に至らないものと表記することは、「質の高さ」を保障していないことを明記しているごときであり、差別的である。

また憲法26条2項は義務教育を普通教育として保障している。にもかかわらず学校教育法は、特別支援学校の教育を小学校等に準ずる教育を施すものとし、さらに加えて、「障害による学習上又は生活上の困難を克服し、自立を図るために必要な知識技能を授けることを目的とする」としている。

憲法の保障している普通教育は職業教育や技能教育ではない。よって少なくとも義務教育としてある特別支援学校小・中学部の教育を、普通教育に準じるものとして職業・技能教育を教育の目的とすることは憲法違反の疑義がある。

また権利条約24条1項は教育の目的として「(a)人間の潜在能力並びに尊厳及び自己の価値についての意識を十分に発達させ、並びに人権、基本的自由及び人間の多様性の尊重を強化すること。(b)障害者が、その人格、才能及び創造力並びに精神的及び身体的な能力をその可能な最大限度まで発達させること。(c)障害者が自由な社会に効果的に参加することを可能とすること。」と規定しているが、これにも反する。

【大濱委員】

⇒「機会の均等やインクルーシブな教育制度」や「障害を理由とした教育制度から排除されないこと」が権利であるので、「普通教育と異なる「準じる」教育」は、差別である。

また、24条2項(b)にあるように他の者と平等や地域社会へのインクルージョンともなじまない。

【尾上委員】

【意見】

障害者がどのような場合においても教育を受けることを保障するとの原則に立てば「準じる」との規定をする必要性はまったくない。

「準じる」として教育目的を設定していることこそ、特別支援学校が普通教育をする場ではないということを示すものである。したがって、学校教育法における、このような規定は削除されるべきであり、特別支援学校への就学を前提とする現在の制度的な枠組みは廃止されるべきである。

【勝又委員】

「準じる」の解釈が問題である。また、その解釈ゆえにどのような問題がおこっているのか、慎重な議論が必要。普通教育に追加的な教育という手厚い教育が保障されるべきという意味であれば問題はない。

【門川委員】

この問題は「準じる」をどういう意味で把握するかによって見解が左右されるだろう。たとえば、広辞苑では、「準ずる」には、以下の二つの意味がある。

(1)ある基準を標準として考える。のっとる。

(2)ならう。なぞらえる。同等の扱いをする。

一方、学校教育法第72条の「準ずる」とは、広辞苑の二つの意味のうちの(2)、すなわち、「同等の扱いをする」と解するべきである。そのように解した場合、特に大きな問題はないと考えられる。ただ、「準ずる」の語感が一般的に「第2の」というニュアンスを含むものとして理解される可能性を考慮するならば、より明確な表現への変更も検討されてよい。

【川﨑洋子】

障害児を普通教育から排除する結果となる。

【北野委員】

A.「特別支援」なるものを、機能として捉えれば、それは必要な支援や合理的配慮であって、これを「特別支援」と捉えるのではなく「個別支援」としてとらえ、個別に支援を必要とするものすべてに対するインクルーシブ支援とすべきである。

さらに、「特別支援」を「学校」や「学級」といった「場」として捉えれば、さらに問題は根深い。例えばアメリカにおいて、長期にわたる黒人の分離教育との戦いが展開されたのはなぜか。

それは、それが「強いられた市民的参加・参画権」の剥奪であり、「意識的・無意識的に社会的劣等感」を分離教育を強いられた者に与えるだけでなく、「意識的・無意識的優越感」を一般教育を受ける者に与えてしまうからである。つまりは、同じ市民(国民)としてのアイデンティティーを形成し、社会参加・参画をなし、社会を創造してゆくに当たって、「学び、働き、遊び、暮らす場」を共有しなければ、社会連帯の道が遠のいてしまうのだ。

「義務教育」とは、まさにさまざまな人種・民族・性・宗教文化・障害等の違いをふまえた相互連帯・共育の共鳴磁場なのである。それは、自分自身の成長・発達の場であるとともに,他者に育まれながら,他者を育む場でもある。

【清原委員】

「準じる」とは、あるものを基準としてならうことであり、学習指導要領の解説の中では、小・中学校の通常の教育と原則として同一である、とされている。

通常の教育課程を一律的ではなく、障がいの状態や個性に応じて弾力的に扱うことにより、児童・生徒の障がいの状態を考慮した教育の在り様の一つとして考えられる。

【佐藤委員】

「準ずる」のもともとの立法の趣旨は「等しく、同等の」であろう。制定過程では当初「必要な初等教育及普通教育その他の教育を施し」とされていたが、幼稚部では「保育」、高等部では「専門教育」もあるので、「準ずる」教育という表記になったのではないか、という意見がある。当時の英訳は「イコール」が使われている。(茂木俊彦・清水貞夫編著「障害児教育改革の展望」全国障害者問題研究会出版部 1996、p.60-61、荒川智氏執筆部分)

その後の特殊教育行政が障害のある子どもの教育を差別的に扱ってきたため、「準ずる」が一段低いものを指していると評価されるようになった。一般の学校より粗末な教育でよいというイメージ。

本来の意味を正確に記述するなら「保育、普通教育ならびに専門教育を施す」または、「幼稚園、小学校、中学校または高等学校と同等の教育を施す」にすべきである。

なお、列挙されている学校の中に「中等教育学校」がないのは差別である。障害がある場合にも、「小学校における教育の基礎の上に、心身の発達及び進路に応じて、義務教育として行われる普通教育並びに高度な普通教育及び専門教育を一貫して施す」(学教法第63条、中等教育学校の目的)学校が用意されてよい。したがって、学校種を列挙するならば、上記列挙の中に「中等教育学校」も加える。「幼稚園、小学校、中学校、等学校または中等教育学校と同等の教育を施す」。

実際には特別支援学校では教員比率を高めるなど、より個別の生徒の状況に応じたきめ細かい教育ができる場と位置づけて、一人当たりの生徒に投入する予算と努力は一般の学校よりはるかに大きなものとしてきた。したがって政策主体が粗末でよいという意味で「準ずる」としたわけではないと思われる。

生徒の障害によっては一部の教科で一般の小中学校の学習内容よりやさしいものを習得することを目標にする場合があろう。割り算ができるのは難しく、数の概念を身につけることを目標にするなど。能力や達成度に応じた教育目標を個別に設けることは合理的配慮の重要要素である。しかし教育の目的はそうした教科の知識や能力の獲得だけではなく、全人格的な発達を促し、自信を持って社会で生きてゆけるようにすることではないかと思う。障害者権利条約第24条「教育」の第1項ではその目的を次のように述べている(川島・長瀬仮訳)。

(a) 人間の潜在能力並びに尊厳及び自己価値に対する意識を十分に開発すること。また、人権、基本的自由及び人間の多様性の尊重を強化すること。

(b) 障害のある人が、その人格、才能、創造力並びに精神的及び身体的な能力を可能な最大限度まで発達させること。

(c) 障害のある人が、自由な社会に効果的に参加することを可能とすること。

こうした目的のために行われる障害児の教育は、障害のない児童の教育と同等であり、決して「準じる」ものであってはならない。こうした表現は生徒や保護者の意欲をそぎ、教職員の指揮も低下させる可能性があるので、改正すべきである。

【新谷委員】

「準じる」ではなく、「必要な支援・配慮のもとに・・・と同等の教育を施す」とすべきと考えます。

【竹下委員】

学校教育法72条は廃止または抜本的に改正すべきである。障害のある児童、生徒にとっても教育を受ける権利は何ら差別されるべきものではないから、「準ずる教育」では不十分であって、それ自身が差別的規定であると言うべきである。あくまでも、「準ずる教育」ではなく、障害のない児童、生徒と同一の「教育を施す」ものでなければならない。また、同条が分離教育の根拠となっていることからしても、条約違反であると言うべきである。

【堂本委員】

(結論)「一人ひとりのニーズに応じた教育的支援のもとに幼稚園、小学校、中学校又は高等学校と同様の教育を行うことを目的とする」に改変すべきである。

さらに、第72条後段の「障害による学習上又は困難を克服し自立をを図るために必要な知識技能を授けること」の一文は削除すべきである。

(意見)「準ずる」は、普通教育と区別し、「普通教育よりも低い水準の教育」という意味と捉えられかねない。当事者が使ってほしくない言葉は使わない方がいい。

普通教育に加えて、それぞれの障害にあわせて必要な教育を受けることが重要なであって「困難の克服」ではない。一人ひとりのニーズに応じた教育をおこなうのが特別支援の本質である。

【中西委員】

「準ずる」という文言は、法規上は同等を意味するため、幼稚園、小学校等と特別支援学校は同等ということになる。しかし、障害者に対する教育については、普通教育から排除された障害者だけの学校であり、普通教育とは異なる教育目標を設定していることからも、全く同等、同一のものとは言えない。特殊教育から特別支援教育となった現在においても、養護学校、特別支援学校は普通教育から排除された障害者の学校であり、カリキュラムは、障害の種類や程度、能力に応じて行うことや障害を軽減し、障害の無い人々に能力的に近づくことを求める「個人モデル」に基づき組まれていることから、個人の努力を求める医療モデルの概念に立脚している。

【長瀬委員】

異なる取り扱いとしての差別に当たる可能性がある。

【松井委員】

特別支援学校で教育を受ける障害児の中には(普通学校の普通学級での)普通教育に移行するものもいることから、必要に応じてそうした選択が可能となるよう、普通教育と密接にリンクした教育を施すことが、設置目的として掲げられてしかるべきであろう。

【森委員】

「準じる」という表現によって、「幼稚園、小学校、中学校又は高等学校」などの教育機関と異なり、それらより低い次元にあるものとして特別支援学校が受け取られる可能性があることは大きな問題である。それらの学校と同格の教育施設であることが、誰にでも伝わるような表現に改めるべきである。

2.この目的の設定は、障害者の権利条約の差別(第2条)に該当すると考えるか、否か。

【大久保委員】

既述したように、「準じる」という表現には危険性があり、知的障害や発達障害の分野においては、その障害特性を踏まえた、特別なニーズに応じた教育を行うことを含み、「同等の」というような表現であれば、差別に該当するとは考えない。

【大谷委員】

該当する。

権利条約2条は差別の定義として「あらゆる区別、排除、制限」と規定している。教育の目的を障害のあるものとないものとを区別し、異なる目的をもつものとして規定することは、これに該当する。

【大濱委員】

⇒上記のように、典型的な、「障害を理由とする差別」事例の一つ。

【尾上委員】

【意見】

当然、このような規定は、特別支援学校を就学先として前提している制度の枠組みともども「異別取扱い」になり、障害者の権利条約2条にいう差別に該当する。

権利条約2条は差別の定義として「あらゆる区別、排除又は制限」であるとしている。特別支援学校が異なる教育目的をもって設置されていることとあわせて、その前提になっている学校教育法施行令22条の3の規定や同施行令5条にいう認定就学者の規定等、特別支援学校への就学を前提とする現行の制度は、権利条約の規定からも認められない。

【門川委員】

既述のように、同等の教育を施すと解釈すれば、その目的そのものが差別に該当することはないと考える。むしろ、同条の後段、「障害による学習上又は生活上の困難を克服し自立を図るために必要な知識技能を授けることを目的とする」という文言の方が、差別に該当する可能性が高いと考えられる。なぜなら、「障害による学習上又は生活上の困難を克服し自立を図る」ことは障害児の努力義務であるというよりは、教育する側の義務であるからである。

【川﨑洋子】

該当する。

【北野委員】

A.該当するおそれあり

【清原委員】

障害者の権利条約の差別(第2条)は障がいを理由とするあらゆる区別、排除又は制限を示したものである。

学校教育法の規定は、通常の教育課程だけでなく、それに準じた内容で個々の障がいに応じて弾力的に教育課程を取り扱うことができる旨を示しているのであり、障がいの状態や必要な支援内容に応じて、特別支援学校や小・中学校において、小・中学校等に準ずる教育を行うことは、そのことをもって差別に該当するとは必ずしも言えないと考えられる。

【佐藤委員】

そう思う。ただし「準ずる」を「等しい」と解釈するならば、「目的」規定レベルで「差別」に該当することはない。

あえていうならば目的規定の後段「…準ずる教育を施すとともに、障害による学習上又は生活上の困難を克服し自立を図るために必要な知識技能を授ける」の箇所を問題にすべきか。とりわけ「自立を図る」が、障害のない同年齢の場合には特に求められていないにもかかわらず、特別支援学校のみ、ことさらに「自立を図る」ことが規定されているという点。

【新谷委員】

「準じる」という法律用語の解釈があると思いますが、一般人の理解からは、程度差を認める意味が感じられ、差別に該当すると思います。

【竹下委員】

学校教育法72条は条約2条及び24条に違反するものである。

1 「準ずる教育」は、障害のある児童生徒に対し、本来の教育(したがって障害のない児童生徒に対する教育)を施すことを前提としていない点で明らかに差別であり、速やかに廃止されるべきである。障害があっても「準ずる教育」であってはならないのであって、あくまでも「機会均等を基礎として」同一の教育が施されなければならないのである。

2 条約2条は「区別」もまた差別であることを明確にしている。したがって、分離教育は明らかな条約違反である。

【堂本委員】

(結論)該当する

(意見)権利条約2条は差別の定義として「あらゆる区別、排除、制限」と規定している。教育の目的を障害のある者とない者とを区別し、障害のある子どもを普通教育から排除することは、これに該当する。

【中西委員】

該当する。

権利条約2条は差別の定義として「あらゆる区別、排除又は制限」であるとしている。しかし第72条では、「特別支援学校は、視覚障害者、聴覚障害者、知的障害者、肢体不自由者又は病弱者(身体虚弱者を含む。以下同じ。)に対して、幼稚園、小学校、中学校又は高等学校に準ずる教育を施すとともに、障害による学習上又は生活上の困難を克服し自立を図るために必要な知識技能を授けることを目的とする。」と、「障害に基づく分離」を行っている。特別支援学校が異なる教育目的をもち、区別されていること、普通学校からの排除されること、さらに普通学校での学びを制限されることも差別に該当する。

【長瀬委員】

差別に該当すると考える。

【松井委員】

特別支援学校での教育が、障害児のニーズに応じて提供され、かつ、普通教育との双方向での移行が可能なものとして位置づけられ、普通教育と密接にリンクした教育が実施されるのであれば、障害者権利条約第2条で規定された差別には、必ずしも該当しないのではないかと思われる。

【森委員】

「準じる」という表現によって、「幼稚園、小学校、中学校又は高等学校」などの教育機関と異なり、それらより次元の低いものと受けたられる可能性があるので、権利条約の差別、すなわち、障害に基づくあらゆる区別、排除又は制限に該当すると考えられる。

3.障害者の権利条約第24条1項が「この権利を差別なしに、かつ、機会の均等を基礎として実現する(政府仮訳)」と規定している点に合致していると考えるか、否か。

【大久保委員】

合致していると言い切れないが、知的障害や発達障害の分野においては、その障害にかかわらず教育を受けることが示されているものと理解している。

ただし、特別支援学校の設置については、この論点とは別に課題として考えられる。

【大谷委員】

合致していない。

特別支援学校を当事者の選択の対象とし、任意に選ぶのであれば、公教育体系の中にあって独自に宗教教育をする私立学校と同じように、障害のある人のニーズに特化した目的をもつ学校を設けることは差別には当たらないと考えるが、学校指定処分として強制するのであれば、異別取扱いの強制であり、差別であり、障害のない人に保障されている教育への機会を均等に与えたことにならない。

【大濱委員】

⇒上記のとおり。合致していない。

【尾上委員】

【意見】

学校教育法におけるこのような規定は、障害者の権利条約24条にいう規定に合致していない。

学校教育法施行令22条の3の規定や同施行令5条にいう認定就学者の規定等、特別支援学校への就学を前提とする現行の制度は、「権利を差別なしに、かつ、機会の均等を基礎として実現する」ことに違反している。

【門川委員】

1.及び2.で述べたことを踏まえ、後段部分を、「障害児の直面する学習又は生活上の困難並びに障害児がその生涯にわたって社会生活を営むために必要となる知識技能を十分に勘案した教育を施すことを目的とする」とすることにより、権利条約と合致するものとすべきである。

【川﨑洋子】

合致していない。

【北野委員】

A.合致しない

「特別支援」なるものを、分離した場で提供することは、基本的に権利条約19条の自立生活権及び24条のインクルーシブ教育権に違反する。

ただし、19条は他の市民との平等の選択の権利を保障しており、また24条は教育機会の平等を謳っており、「特別支援」の場そのものを否定まではしておらず、それを強制することが違反(差別)と見なされるという解釈も可能ではある。ただしその場合でも、基本は地域の普通学級であり、ほんとに選択や再選択が可能なのか、さらには非障害児にも選択が可能なのかが問題となろう。

【清原委員】

教育基本法第四条をみると、「すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず~」、さらに、第2項において、「国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。」とあることから権利条約24条第1項に、必ずしも大きく離反しているとは考えられない。

【佐藤委員】

「一段低くてよい」、「より粗末でよい」という意味なら合致していない。「等しい」という意味なら合致している。

【新谷委員】

1,2項への意見から、権利条約24条1項の趣旨には合致していません。

【竹下委員】

前述したとおり、学校教育法72条は条約違反である。障害のある児童生徒に対しても、地域における普通教育が保障されなければならず、障害のない児童生徒とともに普通教育を受けるための支援(合理的配慮)が保障されることが条約の求める差別のない機会均等を実現することである。

【堂本委員】

(意見)1の「準ずる」を「普通教育より低い水準」として捉えた場合は、合致しないと考える。ただし、1で述べたように「普通教育に加えて、それぞれの障害にあわせて必要な教育」とした場合は合致すると考える。

【中西委員】

合致していない。

「障害の有無に基づく分離」、「個人モデルを前提としたカリキュラムの設定」、「寄宿舎生活の事実上の強要」、「通学・学内介助(医療的ケア)等の合理的配慮の放棄」等の現状から、合致していないことはもちろん、条約に違反する差別的状況といえる。現状では、普通学校を希望しても特別支援学校しか選べないような状況のところが多く、そのような状況下で特別支援学校を選択するしかなかったという結果は、その教育内容が「準じる」ものであるかないかにかかわらず、差別であり、機会均等に反すると考える。

権利条約で言われるインクルーシブ教育は、1994年に採択されたサラマンカ宣言の第2項では「特別なニーズに基づいた教育」を基としている。そこではインクルーシブ教育に関して以下のように述べている。

  • すべての子どもは教育への権利を有しており、満足のいく水準の学習を達成し維持する機会を与えられなければならない。
  • すべての子どもが独自の性格、関心、能力および学習ニーズを有している。
  • こうした幅の広い性格やニーズを考慮して、教育システムが作られ、教育プログラムが実施されるべきである。
  • 特別な教育ニーズを有する人びとは、そのニーズに見合った教育を行えるような子ども中心の普通学校にアクセスしなければならない。
  • インクルーシヴな方向性を持つ学校こそが、差別的な態度とたたかい、喜んで受け入れられる地域を創り、インクルーシヴな社会を建設し、万人のための教育を達成するためのもっとも効果的な手段である。

政府による特別支援はそのような特別教育ニーズを認識しての従来の特殊教育からの方向転換とされているが、「特別なニーズ教育に関するサラマンカ声明及び行動大綱」の一部を従来からの分離教育の政策に沿って解釈しただけであり、その誤った概念は是正されねばならない。

【長瀬委員】

合致していない。

【松井委員】

2と同様の回答になるが、特別支援学校での教育が、障害児のニーズに応じて提供され、かつ、普通教育との双方向での移行が可能なものとして位置づけられ、普通教育と密接にリンクした教育が実施されているのであれば、障害者権利条約第24条1項の規定と必ずしも、矛盾しないのではないか。

【森委員】

「準じる」という表現並びに特別支援学校の現状から考えると、権利条約第24条1項と合致しているとは考え難い。表記について検討するとともに、特別支援学校のあり方についてもさらにインクルーシブ・エデュケーションの実現のために現状からの改善が求められる。

特別支援学校の設置

学校教育法80条は、普通学校の場合と異なり、都道府県が「特別支援学校を設置しなければならない」と設置を義務づけており、さらに、同法78条は、特別支援学校には「寄宿舎を設けなければならない」と規定している。

1.これらの規定は、居住する市町村から離れて就学せざるえない事態を予定するものであるが、障害者の権利条約第24条第2項(b)「障害者が、他の者との平等として、自己の生活する地域社会において、障害者を包容し、質が高く、かつ、無償の初等教育を享受することができること及び中等教育を享受することができること(政府仮訳)」という規定に違反すると考えるか、否か。

【大久保委員】

同規定からは、義務教育期における特別支援学校は問題になると思われる。

ただし、障害ある児童一人ひとりのニーズに応じた教育体制が、その児童の生活する地域社会で確保できないため、特別支援学校に通う実態があることを留意する必要があると考える。

【大谷委員】

特別支援学校を選択の対象とせず、強制する場合は、24条2項bに違反する。

特別支援学校は権利条約24条2項bが規定する「自己の生活する地域社会において障害者を包容」する学校ではない。「自己の生活する地域社会」とは、まさに障害のある子の生活圏内にある学校のことであり、また「障害者を包容する」とは障害のないものの中に障害のあるものがインクルーシブ(包容)されることなのであるから、障害のない子だけが集められた学校は決して「障害者を包容」した学校ではない。よってもし仮に、当該障害のある子の生活圏内に特別支援学校があったとしても、地域の障害のない子どもがそこには就学していないのであるから、やはり「自己の生活する地域社会において障害者を包容」する学校とは言えない。

この性格を有する特別支援学校に本人および保護者の意に反して強制することは、権利条約24条2項bに反する。

【大濱委員】

⇒都道府県の「特別支援学校を設置しなければならない」と設置を義務づけ規定は、規定違反。

【尾上委員】

【意見】

学校教育法にあるこれらの規定は、障害者の権利条約24条2項(b)の規定に違反する。

障害者に対して、障害者の権利条約24条2項(b)の規定を保障することは、どのような場合においても、障害者が地域の幼稚園、学校への就学ができることをまず不可欠とする。それを実施するためには、地域の幼稚園や学校への就学を保障するための施策を都道府県に義務づけるべきである。特別支援学校の設置およびそれに伴う寄宿舎の設置は、そうした学校施設での生活を強いることにつながり、障害者の権利条約19条「自立した生活〔生活の自律〕及び地域社会へのインクルージョン」の各項にも抵触することとなる。特別支援学校卒業後、寄宿舎から入所施設に移る事例が多く、寄宿舎が「特定の生活様式」の義務づけにつながっている実態がある。

【勝又委員】

必ずしも違反するとは考えない。仮に寄宿舎の設置を規定しなかった場合、都道府県は寄宿舎の設置をやめることが容易になるかもしれない。寄宿舎が廃止されたときに親元を離れて就学せざるを得ない児童の就学の機会を保障する手立てが別に保障される仕組みが必要になってくる。

【門川委員】

これらの規定は、障害児が適切な教育を受けるための環境を確保する、という都道府県の義務の履行の具体的な方法として、特別支援学校を設置するということを明確化しているものである、と解釈するべきであり、この規定をもって、居住する市町村から離れて就学しなければならないという障害児の事態を予定するものと解釈することはあまり適切ではないと考える。

権利条約24条でも言及されているとおり、とりわけ、ろうや盲ろうといったコミュニケーションの特殊性を有する障害児については、特別支援学校における教育が障害児にとってより適切なものとなりうる可能性があることを考慮すべきである。また、過疎地や交通の便が悪い地域に居住する障害児のことも考慮に入れた場合、寄宿舎を設けるべきとすることも、障害児の負担の軽減という観点から適切なものとなりうる、ということを、十分に考慮する必要がある。

【川﨑洋子】

違反する。

【北野委員】

A.違反する

「特別支援」なるものを、分離した場で提供することは、基本的に権利条約19条の自立生活権及び24条のインクルーシブ教育権に違反する。

ただし、19条は他の市民との平等の選択の権利を保障しており、また24条は教育機会の平等を謳っており、「特別支援」の場そのものを否定まではしておらず、それを強制することが違反(差別)と見なされるという解釈も可能ではある。ただしその場合でも、基本は地域の普通学級であり、ほんとに選択や再選択が可能なのかが問題である。

非障害児が、そのような家族や地域社会から引き離されることなく生きてゆけるのに、障害児にのみそのような生活を求めるのは、明らかに、一般的な社会参加・参画を謳う権利条約第19条違反といえよう。

【佐藤委員】

都道府県の学校設置義務と居住地から離れて就学する事態とは「予定」という関係にあるとどうしていえるか、疑問である。

この規定自体が違反するものであるとはいえない。「都道府県は、障害児を地域の小・中学校に入学させてはならず、特別支援学校に入学させねばならない」であるとすれば違反する。基本的にすべての子どもに地域の小・中学校の在籍を保障し、同時に本人もしくは保護者の要求に基づき、特別支援学校への在籍を保障すれば、解決する。ここでの「在籍」とは形だけの在籍ではなく、中身のある在籍であり、個別の教育支援計画で具体的に規定するものとしたい。(後述の「就学先決定の仕組み」参照)。

むしろ「就学させるに必要な…特別支援学校」(学教法78条)が、適正規模かつ地域密着型で十分に設置されていないがために、「自己の生活する地域社会において…無償の初等教育…中等教育を享受する」ことが妨げられている場合があることに、留意すべきである。特別支援学校設置基準等を、小、中学校等の設置基準(文部科学省令)場合と同様に省令レベルで規定して、「自己の生活する地域社会」で、特別支援学校における初等・中等教育を享受するための条件を整える都道府県の義務を強化しなければならない。

議論を整理して効果的に進めるために東室長が「フォーマット」を提示するのは理解できるが、特別支援教育の全体像のあり方の議論の前に個別事項を検討する手法がよいかどうか、やや疑問でもある。

設置義務をはずすと、お金のかかる特別支援学校をなくそうとする都道府県が出てくるのではないか。「国と自治体が多額の借金でつぶれそうになっているときに、障害児教育を充実させるお金があるのか。寝たきりで、言葉もほとんど出ない子供を教育してどんな意味があるのか。先進国でも重度障害者は教育ではなく医療や福祉でのみ対応しているではないか。」などと言う新自由主義的な国会議員、地方議員は多い。そうした影響の元で財政観点の行政が、特別支援学校を減らしたりなくしたりして浮かせた予算を地域の小中学校に配分するとは思われない。一方、仮に特別支援学校の予算を全額普通学級に回しても、各小中学校に資質の高い教員や医療関係スタッフを配置できるわけではない。結局は合理的配慮などの支援を欠く障害児が小中学校に「お客さん」として放置されることになるのではないか。さらにはいじめと排斥の対象となるのではないか。

ただし地域社会の中での教育を可能にするために、都道府県の設置義務ははずし、事務組合を含めて市町村の設置義務とすることは検討されてよいのではないか。特別支援学校がマンモス化していると指摘されている。地域の小中学校の学籍も持ち、特別支援学校や学級の学籍も持ち、必要な教育を必要な場で受けられるような工夫をすべきではないか。遠方の特別支援学校で教育を受け、それなりの成長はあったが、卒業後は地域に同級生が一人もいない、という生活は痛ましい。

【新谷委員】

居住市町村に必要な特別支援学校を設置することが理想でしょうが、様々な制約の中では、上記の規定は締約国の裁量範囲と考えます。スクールバス等を充実させる、遠距離通学や寄宿生活においては保護者負担を軽減する就学奨励費などの仕組みが重要と考えます。

【竹下委員】

特別支援学校の設置及び寄宿舎の設置そのものは条約違反であると決めつけることには疑問がある。障害のある児童生徒が本人や保護者の意思とは無関係に特別支援学校での就学を義務付けられ、その結果として寄宿舎への入所を余儀なくされることは差別であり(障害ゆえの不利益な取扱いであり条約2条違反)、地域における普通教育を受ける権利を侵害するものであるから、条約24条2項(b)にも反することになる。

特別支援学校及び寄宿舎は、障害のある児童生徒にとって必要性が認められる場合も考えられるのであるから、その設置そのものが直ちに条約違反とまでは言えないのではないか。

【堂本委員】

(意見)上記の条文は、ただちに条約違反とは言いにくい。しかし、特別支援学校が居住する市町村から離れており、寄宿舎に入らなければ就学できない現状があれば、条約違反である。理想としては居住地域における小・中学校に通うことのできる、環境を整えるべきである。

一方で、寄宿舎は社会性を身につけたり、親からの自立を促したりするなどの教育的効果がある。したがって本人が希望する場合、寄宿舎に入れる環境は整備しておく必要がある。

【中西委員】

障害者自らが、居住地から遠い学校への就学を希望し、寄宿舎での生活を選択するのならば、居住移転の自由と考える。しかし、現行制度では、教育委員会が特別支援学校を指定し、寄宿舎で生活することになる。子どもが、障害を理由として、家族との生活及びその居住地から離されることを事実上強要しているものであるため、自由権の行使にあたらず、24条2項bに違反する。障害のない子どもと同様に、寄宿舎生活が必要とされない地域の学校への移行または受け入れを進めることが必要である。なお併せて、地域の学校に通学するために必要とする支援・配慮も確保することも必要である。

【長瀬委員】

規定に違反している可能性がある。10062人(2008年5月1日現在)にのぼる寄宿舎の利用者(幼稚園から高校まで)の実態を明らかにする必要がある。ただし、特に従来の聾学校と盲学校の寄宿舎が果たしてきた言語伝達・伝承やピアサポートなどプラスの役割も意識する必要がある。

【松井委員】

普通学校の普通学級で教育を受けることが困難な障害児については、基本的には、普通学校の特別支援学級で必要な教育をうけられるようにすべきと思われる。しかし、そうした特別支援学級では本人のニーズに応じた、適切な教育ができず、かつ、本人および保護者の同意が得られれば、「寄宿舎」つきの特別支援学校での教育は、必ずしも障害者権利条約第24条2項(b)の規定に違反するわけではないと思われる。

もっとも「寄宿舎」つきの特別支援学校での教育以外の選択肢が用意されておらず、かつ、障害児本人および保護者がそうした特別支援学校での教育を希望していないとすると、(b)の規定に違反するといえよう。

いずれにしても「寄宿舎」つきの特別支援学校での教育は、一定期間以上にならないよう、十分留意する必要がある。

【森委員】

権利条約第24条第2項(b)では、自己の生活する地域社会における小学校、中学校の普通教育を受ける権利を有することを示していると考えられる。そこで、普通学校における必要な環境整備、必要な支援の充実を図る必要がある。

また、そのような環境整備のために、特別支援学校が中核的な支援を行うセンターとしての役割を果たすことが大切である。そこで、特別支援学校のあり方もさらに検討、改善を行い、一人ひとりの障害に応じた教育を求める障害のある児童・生徒並びに保護者にとっての選択肢を充実させる必要がある。

2.また、親からの分離を禁止する障害者の権利条約第23条4項「締約国は、児童がその父母の意思に反してその父母から分離されないことを確保する。」に違反すると考えるか、否か。

【大久保委員】

本論点は、権利条約との整合性だけでなく、寄宿舎は義務教育期の子どもの「発達」や「育ち」にとって好ましくないと考える。

子どもの「育ち」において家庭不分離の原則からしても重要な問題であると考える。地理的条件や保護者の負担軽減等については、本来、通学や在宅における支援の在り方に着目し、教育と福祉が連携協力して、その支援体制を確保すべきであると考える。

【大谷委員】

特別支援学校を選択の対象とせず、強制された結果、寄宿舎入所を余儀なくされる場合は、条約23条4項に違反する。

我が国の特別支援学校の数は国立45校、公立954校、私立14校、合計で1013校であり、特別支援学校の寄宿舎の数は333校、設置率は1013校のうちの32.9%である。また特別支援学校の寄宿舎に入居する児童生徒の数は10,292人である(2007年度の学校基本調査、2007年5月1日現在)。

これは特別支援学校が都道府県立であり、広域学区であることから通学困難な子どものために設置されているものである。これによって、現在1万人以上の子どもたちが地域のみならず親・家庭からも分離され、6才の春から長い人は15才までの期間を寄宿舎で過ごしている。これが、本人および保護者の選択の結果であるなら、特別な場で支援を受けることが選択の対象となる以上、寄宿舎での生活も任意の選択として「意に反した父母からの分離」に該当しないが、しかし、意に反して特別支援学校が強制された結果、寄宿舎生活を余儀なくされるのであれば、これは「意に反して父母から分離されない」ことを保障する条約23条4項に違反する。

【大濱委員】

⇒障害を理由に父母から分離されることは、規定違反。

【尾上委員】

【意見】

当然、学校教育法におけるこのような規定は、障害者の権利条約第23条4項に違反する。

特別支援学校が本来の居住地から離れた市町村や通学に多大な負担を強いる距離にしか存在せず、さらには、そうした居住地から離れた特別支援学校を前提に寄宿舎を設置することは、本来、子どもが享受すべき父母との生活に立脚した関係を、教育の制度上において阻害するものといえる。障害当事者の立場からは、上記にも触れた権利条約19条の地域社会へのインクルージョンの保障がなされていないことになり、親による子どもの就学義務の幅を障害者ゆえに狭めることにもつながり、他の者との平等を基礎とする権利条約の基本原則に違反する。

【勝又委員】

考えない。寄宿舎に入るか否かは選択の範囲だと考える。

【新谷委員】

父母の意に反して、就学指定をして寄宿舎利用を強制すると条約違反でしょうが、了解があれば違反ではなく締約国の施策裁量の範囲と考えます。

【門川委員】

親からの分離の禁止規定は、福祉分野における障害児入所施設(とりわけ重症心身障害児施設)や適切な医療の提供のための病院への入院についてまで適用されると考えるべきではなく、それと同様に、学校の寄宿舎の存在まで否定するものではないと考える。ただし、父母からの分離を必要としない教育環境の整備を最大限めざす努力と、「父母の意思に反して」分離がなされることを避けること、の2点が同時に考慮されるべきである。

【川﨑洋子】

違反する。

【北野委員】

A.違反する

上記のように第19条違反であるとともに23条3項違反である。

【佐藤委員】

「父母の意思に反して」であれば23条に反するといえる。本人・父母の希望による利用であれば合理的配慮といえるのではないか。「自己の生活する地域社会」からの通学が実質的に不可能であるための寄宿舎入舎は、教育のためにやむを得ないと「納得」しての寄宿舎利用であっても、権利条約24条第2項(b)に違反する事態と見なされる可能性がある。

親の過保護の下で生活していた障害児が、寄宿舎で仲間と交流し意欲と自身を育てる例が多い、という報告を聞いたことがある。

障害のない児童は、地域の草野球とか色々な交流を通じて社会性を育てることもできる。そのような児童の年齢と発達に応じた、家族以外の適切な成長の場が地域社会に準備されるのであれば寄宿舎は要らないのかもしれない。

そうした事態が生じないように、前項で述べたように「設置基準」等を定めるべきである。そのことを前提に、寄宿舎必置規定については、その教育的機能、福祉的機能の観点から、再度位置づけられるべきである。

居住する市町村内の学校への通学や親元からの通学だけが優先されるのではなく、「社会への完全かつ効果的な参加」に向けた諸能力・人格の「発達を最大限にする」ことも保障されなければならない。

障害者権利条約第24条(教育)は、第1項で、障害児が権利として受けるべき教育の「目的」を、(a)人間の潜在能力並びに尊厳及び自己価値に対する意識を十分に開発すること。また、人権、基本的自由及び人間の多様性の尊重を強化すること。(b)障害のある人が、その人格、才能、創造力並びに精神的及び身体的な能力を可能な最大限度まで発達させること。(c)障害のある人が、自由な社会に効果的に参加することを可能とすること。と規定し、第2項で、この目的を達成するための教育の「方法」として、一般教育制度内で行うこと、地域社会でインクルーシブな教育が利用できること、合理的配慮がなされることなどを規定している。つまり、目的と方法の両方を求めている。

従来の我が国の特別支援教育は、(発達を保障するというにはほど遠い不十分なものではあったが)「発達を最大限にする」という「目的」を中心としており、地域社会の中でのインクルーシブな教育制度を、という「方法」の面では大きな弱点があった。それを改革するのがこの「推進会議」の役割と思う。

しかし、こんどは「目的」を犠牲にして「方法」を改善するのでは、特殊教育・特別支援教育以前の時代(障害児教育の不在)に戻るだけのことである。前述のような特別支援教育に予算を使うべきでないという勢力はそれを期待している。したがって、「推進会議」の課題はこの「目的」と「方法」を統合・両立させること、日本の特別支援教育が獲得・開発してきた理念・知識・技術・人材など「目的」関連の財産を、今後の改革ではより地域密着型の教育という「方法」の中に生かしてゆく方法を探ることである。

強制的な措置は違反といえるが、本人ないし保護者が主体的に要求し、それに基づく特別支援学校の就学や寄宿舎の入舎は権利として保障されなければならない。とくに寄宿舎教育については、その教育的機能と福祉的機能を十分に配慮すべきである。

最近は家庭等の事情で寄宿舎を希望しても、通学困難でないことを理由に入舎できないケースが多くなっていると指摘されている。実態をふまえた対応が望まれる。

【新谷委員】

父母の意に反して、就学指定をして寄宿舎利用を強制すると条約違反でしょうが、了解があれば違反ではなく締約国の施策裁量の範囲と考えます。

【竹下委員】

国や自治体などによって障害のある児童生徒に特別支援学校への就学を義務付け(または強要し)、その結果として寄宿舎への入所を余儀なくされることは明らかに条約23条4項に反する結果となることは明白である。したがって、特別支援学校及び寄宿舎の設置そのものが条約違反となると言うよりは、「就学指導委員会」などにより学校選択を本人または保護者から奪うことが許されないと考えるべきである。

【堂本委員】

(結論)違反するとは言えない

【中西委員】

合致しない。

インクルーシブ・エデュケーションは、障害のある子が普通学級で学ぶことを意味する。現行の特別支援学級は、普通学校内に設置されているが、障害のない子どもがいる学級とは、異なる教室において授業をすることが原則となっていることから、交流学習を実施していたとしても、原則分離別学であると指摘できる。普通学校での就学では、合理的配慮と必要な支援が必要となる場合がある。障害児だけを集め、固定した学級で教育をすることは、インクルーシブ教育ではない。ただし、普通学級での就学が苦痛で継続できない場合など、普通学級を離れることを障害者本人が望む場合は、本人との合意で別の部屋での就学が確保されるべきである。

【長瀬委員】

この規定に違反している可能性がある。

【松井委員】

すでに1で触れたように、「寄宿舎」つきの特別支援学校での教育以外の選択肢が用意されておらず、かつ、障害児本人および保護者が「寄宿舎」つきの特別支援学校での教育を希望していないとすると、障害者権利条約第23条4項の規定に違反していると思われる。

【森委員】

寄宿舎のみを選択肢とすることは、権利条約第23条4項に反していると考えられる。寄宿舎の利用は、身近な地域で学びたい障害のある児童・生徒における必要な環境条件、必要な支援が確保されないときの選択肢の一つである。このことは、障害のある児童・生徒が生活する地域社会において普通教育を受ける権利を行使するための環境や支援体制の整備を怠ることを容認するものではない。

特別支援学級の設置

学校教育法81条は、普通学校の通常学級の他に、特別支援学級(従来の特殊学級)の規定を置いている。

この規定は、普通学級ではない学級での教育を前提にするものであるが、これは障害者の権利条約第24条第1項のinclusive education(インクルーシブ・エデュケーション)に合致するものと考えるか、否か。

【大久保委員】

インクルーシブ教育とかい離するものとは考えない。

先ず重要なのは、教育を受ける権利を保障することであり、知的障害や発達障害のある児童にあっての教育は、その障害特性を踏まえた、一人ひとりのニーズに応じたものであることが重要と考える。

また、インクルーシブ教育は、教育のすべての場面において、障害のある児童と他の児童が同じ空間にいることだけを意味していないと理解する。地域社会で一人ひとりの教育ニーズに応じるための特別な環境や空間を用意する場合も含んでいると考える。

知的障害や発達障害においては、その障害特性により、常に普通学級のなかにいることがその児童自身にとって大きな負担になるなど、普通学級での教育が困難な場合もある。よって、特別支援学級や通級指導などは、一人ひとりのニーズに応じた教育を行うための環境条件と考えられる。

【大谷委員】

合致しない。

障害のある子の普通学校での就学には、合理的配慮と必要な支援が必要であるが、これを学級を固定して保障し、支援することはインクルーシブ教育に合致しない。必要な支援は普通学級の中で保障されるべきであり、場を分けての支援が必要な時は、当事者の納得を条件に、固定学級とせずに教室とし、必要な時に通級(校内通級)することで十分可能である。

これについてはすでに特別支援教育の在り方に関する調査研究協力者会議が、2003年3月に文科省に答申した「21世紀の特別支援教育の在り方について」において、固定された特別支援学級から普通学級に籍をおきながら必要に応じて特別支援教室に通級する「教室構想」が提案されたが、これはいまだ実現されていない。特別支援教室構想の実現に至急着手すべきである。

【大濱委員】

⇒インクルーシブ・エデュケーションと合致しないので、原則として特別支援学級は置くべきではない。ただし、知的障害者などで、希望する場合は、数学の時間など、別教室で教育を受けるという方法はインクルージョンの進んでいる海外先進国でも行われており、否定するものではない。その場合でも、現場の学校が勝手に1週間の時間割のほとんどを別室で受講するように事実上強制するなどといったことを起こさないように、なるべく法に細かい運用方法まで書き込むべき。

【尾上委員】

【意見】

学校教育法に規定される特別支援学級の設置は、障害者の権利条約24条1項に合致しない。

地域の学校における就学は、特別支援学級に在籍することをもって満たされるものではない。インクルーシブ教育の目的は、誰も排除されることのない社会づくりにあり、そのためには、多様な人間の存在を前提にした集団教育が不可欠である。特別支援学級は障害のある子どもだけが学籍を置くことになっている。障害者だけが特別な場と時間を設定されることを前提とされるのは不当な扱いであり、差別である。必要なのは、学校という人間集団の中で教育を受けるために必要な支援であって、場や時間を別に設定されることではない。特別支援学級の設置を前提とした制度ではなく、障害者が通常の学級で必要な支援をいつでも受けられる体制である。特別支援学級は、障害者の学校生活を円滑に営んでいくための支援を提供するリソースルームとして設置されるべきであり、必要な人的・物的支援がいつでもどのような場でも利用できるものとして機能させる制度とするべきである。

【勝又委員】

従来の障害児に限らず、一般に支援を必要としている児童は増加している。したがって特別支援学級は必要である。それを「特別」とつけていることで、子どもたちの間にスティグマを与えているならむしろ「特別」をとって、支援学級とすべき。

「普通学級でない学級での教育」という表現に、普通学級とそれ以外の学級に優劣の判断があるように思うが、それは事実か。もしそうだとすれば、どのような優劣があるのか客観的な指標を示してほしい。

【門川委員】

inclusive educationを実現すべきであることは当然である。しかし、普通学級でしか学ぶことができない、ということが、障害児の教育を受ける権利を真に保障することになりうるかどうかについて、十分に考慮するべきである。本人や親の意思に反して普通学級から特別支援学級に強制的に変更させる等の措置は断じてあってはならず、また、普通学級において個別の生徒に対して十分な支援がなされるべきであるということを前提としたうえで、本人や親の意思として、普通学級における授業のペースや方法とは異なるペースや方法で学習をしたいと望んだ場合に、その望みはきちんとかなえられるべきであって、そのための特別支援学級も選択肢としてきちんと用意するべきである。

【川﨑洋子】

合致していない。あくまでも普通学級での教育を基本とすべきである。

【北野委員】

A.合致しない

「特別支援」なるものを、機能として捉えれば、それは必要な支援や合理的配慮であって、これを「特別支援」と捉えるのではなく「個別支援」としてとらえ、個別に支援を必要とするものすべてに対するインクルーシブ支援とすべきである。

さらに、「特別支援」を「学校」や「学級」といった「場」として捉えれば、さらに問題は根深い。例えばアメリカにおいて、長期にわたる黒人の分離教育との戦いが展開されたのはなぜか。

それは、それが「強いられた市民的参加・参画権」の剥奪であり、「意識的・無意識的に社会的劣等感」を分離教育を強いられた者に与えるだけでなく、「意識的・無意識的優越感」を一般教育を受ける者に与えてしまうからである。つまりは、同じ市民(国民)としてのアイデンティティーを形成し、社会参加・参画をなし、社会を創造してゆくに当たって、「学び、働き、遊び、暮らす場」を共有しなければ、社会連帯の道が遠のいてしまうのだ。

「義務教育」とは、まさにさまざまな人種・民族・性・宗教文化・障害等の違いをふまえた相互連帯・共育の共鳴磁場なのである。それは、自分自身の成長・発達の場であるとともに,他者に育まれながら,他者を育む場でもある。

【清原委員】

教育基本法第四条2項「国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない」と規定している。

障がいの状態や個性に応じた必要な教育の提供という考え方を前提に、必要な教育資源としての特別支援学級という位置づけであれば、権利条約24条から離反したものであるとは必ずしも言えないと考えられる。

【佐藤委員】

合致する。すべての子どもが通常学級に在籍を保障すると同時に、本人もしくは保護者の要求により特別支援学級に合わせて在籍することは権利として保障されるべきである。特別支援学級・学校への複数の在籍は、第24条の「一般教育制度から排除されない」や第2項のd)e)の規定を両立させるものであると考える。

もしこの規定を削除し、すべて普通学級で教育すべきとした場合、今後制定される予定の障害者差別禁止法における「間接差別」または「合理的配慮の欠如」として、法律自体が問題となる。あるいは、全く本人が理解できない内容を普通学級で強制的に教えられるという意味で、「虐待」に等しいことにもなるのではないか。

【新谷委員】

インクルーシブな教育についてであれば、特別支援学級だけではなく特別支援学校を含めて議論すべきと考えます。普通学級と特別支援学級との併用、選択権の保障があれば、締約国の裁量範囲と考えます。

なお、以下に続く論点は、特別支援学校・特別支援学級がインクルーシブな教育に合致するか否かの「白黒判定」に終わらせるのではなく、インクルーシブな教育実現の理念を前提に、個別の問題について構成員各人の意見を求めていると理解します。

【竹下委員】

特別支援学級は条約2条及び24条1項に反するものであって、速やかに廃止すべきである。特別支援学級は「区別」であるから条約2条の差別にあたるし、条約24条1項が求めるインクルーシブ教育は統合された普通学級の中で障害のある児童生徒への支援(合理的配慮)が保障されることによってのみ実現されるものである。

【堂本委員】

(結論)違反はしていない。

(意見)通級指導教室のニーズは高いが、その数は少なく対応できていない。今後は、教員を配置し、整備が急がれる。

本来は、通級指導教室、特別支援学級とも「特別支援教室」として一本化し、将来的には特別支援学校対象の子どもたちも、この構想の中に取り込んでいくことが望ましい。

この構想が実現すれば、普通の学校と特別支援学校の境界が低くなり、相互の交流によって、お互いに育ちあうことができるようになり、条約でいうところのインクルーシブな教育を実現することになろう。

また、現在、知的障害の児童は通級指導学級対象から外れているが、対象とすべきである。将来的な課題になるかもしれないが、普通学校、特別支援学校、普通教室、特別支援教室の区別をなくすことが理想である。障害児の学校、学級にいわゆる健常者も通学、通級できる逆統合を含め、多様な選択ができる制度を構築するべきである。

【中西委員】

合致しない。

インクルーシブ・エデュケーションは、障害のある子が普通学級で学ぶことを意味する。現行の特別支援学級は、普通学校内に設置されているが、障害のない子どもがいる学級とは、異なる教室において授業をすることが原則となっていることから、交流学習を実施していたとしても、原則分離別学であると指摘できる。普通学校での就学では、合理的配慮と必要な支援が必要となる場合がある。障害児だけを集め、固定した学級で教育をすることは、インクルーシブ教育ではない。ただし、普通学級での就学が苦痛で継続できない場合など、普通学級を離れることを障害者本人が望む場合は、本人との合意で別の部屋での就学が確保されるべきである。

【長瀬委員】

特別支援学級自体は、インクルーシブ教育の範囲に入りうると考える。ただし、特別支援学級での教育を選択するか否かは、本人と保護者による決定とすべきである。

【松井委員】

障害児が、原則として、合理的配慮などにより普通学校の通常学級で必要かつ適切な教育が受けられるようにするのが、障害者権利条約第24項1項のインクルーシブ教育に関する規定で求められていることと思われる。

しかし、通常学級では障害児本人の教育的ニーズが満たせず、かつ、本人および保護者が同意するのであれば、特別支援学級での教育も選択肢として用意されてしかるべきで、その場合は、特別支援学級の規定は、必ずしも、障害者権利条約第24条1項と合致しないとはいえないのではないか。

重要なことは、特別支援学級が閉ざされた教育の場でなく、障害児の教育的ニーズおよび本人や保護者の希望に応じて、通常学級との双方向の移動が可能な条件が整備されることである。

【森委員】

障害のある一人ひとりの潜在的な「できる力」を引き出す教育を実践するには、現行の普通学校における通常学級の教育のみでは不十分な場合があると考えられる。そこで、障害のある児童・生徒、一人ひとりのニーズに応じて、その一人ひとりの社会性、将来の社会における役割を引き出すことに視点を置いた教育を実現するためには、通常学級と特別支援学級の双方を「相互補完的」に活用する通級に基づいて学ぶことは、大事な選択肢の一つであると考えられる。

就学先決定の仕組み

学校教育法第17条は、保護者にその子どもを小学校、中学校に就学させる義務とともに、特別支援学校に就学させる義務を別個に課している。そしてその親の義務の履行として、学校教育法施行令は、障害のない人(子どもを含む)については、学校教育法施行令5条により、市町村教育委員会が入学期日等の通知や学校の指定を行うのに対して、障害のある人については、学齢期を迎える前の子どもを対象とする就学時の健康診断によって、同施行令22条の3が規定する障害と障害の程度に該当する障害の存在が分かると、同施行令11条により、原則として(例外は認定就学者)、都道府県教育委員会が特別支援学校の入学期日等の通知や学校の指定を行うことになる。

1.障害のある人の就学先の決定を法律ではなく、施行令に委ねているが、立法府の関与を要しない政令に委ねてよいか、否か。

【大谷委員】

否。政令で規定すべきことはなく、法律で決めるべきことである。

現行就学決定システムのもっとも不可思議なことは、学校教育法は学校の種別を規定しているものとし、だれがどこの学校に就学するべきかは、すべて政令に規定しているとされていることである。これはすべての子どもが普通学校に就学することを前提とし、ただ学区の問題であれば、国民に不利益もしくは新たな義務づけを伴わない問題として許容されるが、普通学校と特別支援学校では、学区も異なり、特に父母との分離を伴うことにもなる広域学区であり、教育の目的も異なる学校なのであるから、ここに強制することになる義務を伴うことを政令で規定することは、憲法73条6号違反の疑義がある。すなわち、憲法76条6号は「法律を実施するために政令を規定する」とし、あくまで政令は法律によって義務づけられたことを実施するために制定されるのであり、それが委任の限度である。法が義務付けていないにもかかわらず政令で義務付けることはできない。

よって現行の政令による義務付けを改廃し、普通学校はすべての児童が就学できる学校であること、特別支援学校は障害によるニーズのある当事者が任意に選択できる学校であることを法律で明記するべきである。

【大濱委員】

施行令に委ねるべきではない。詳細にわたるまで、法に記載すべき。

【尾上委員】

【意見】

委ねるべきではない。

教育を受ける場を決定することは、教育を受ける権利(当事者)、教育を受けさせる義務(保護者)という社会上の基本的な権利・義務に関わる問題であり、それに対しては立法府に委ねることが不可欠である。

教育をどこでどのように受けるかは、それぞれの人生と将来に多大な影響を与える。そのような重要な教育上の制度を政府や省庁でのみ内容を決定することはやめるべきである。

【勝又委員】

施行令(政令)のメリット・デメリット、さらに立法府の関与をいれた場合のメリット・デメリットについて検討すべき。

【門川委員】

本件については、従来の錯綜した状況を勘案した場合、法律により詳細に明記すべきだと考える。ただし、一般論としては、「政令に委ねる=立法府の関与を要しない=監視されない=行政が恣意的に定める」という関係は成り立つべきではなく、そういう関係が成り立つことを前提として、より多くのことを法律事項化することが、本当に望ましいことなのかどうか、よく検討する必要がある。

【北野委員】

A.憲法の保障する教育権と幸福追求権にかかわる重大事であり、法律で規定すべし

【佐藤委員】

重要事項であり法定化すべき。

ただし学校の設置者が最終的な決定権者であることは動かせないのではないか。少なくとも入学試験のある学校では受験生や保護者が決定権を持つことはあり得ない。

【新谷委員】

就学先の最終的な決定権のありどころは、政省令ではなく法律に規定すべきと考えます。

【竹下委員】

学校選択の自由(権利)を政令によって障害のある児童生徒から奪うことは憲法違反である。学校の選択は、障害の有無にかかわらず保障されなければならないのであって(憲法14条、26条)、その権利を政令によって奪うことは法律の委任としても違憲である(憲法73条1号、4号)。

【堂本委員】

(意見)現行制度では、就学先の決め方が不透明で、公平性が保たれていない。

しかも、省庁によって就学の規定が異なる場合すらある。また、現在、政令で定められている事項には、非常に根幹的な事項もあり、これらは民主的基盤のある国会で定められる法律により規定すべきであると考える。

具体的な例
ろう者の就学の規定は、身体障害者福祉法では70デシベル、文科省は60デシベル以上、千葉のろう学校は50デシベルで入学している人もいる。WHOの規定は50デシベル以上となっている。

【中西委員】

否。政令で規定すべきことはなく、法律で決めるべきことである。

就学先の決定は、その子どもの人権と尊厳に関わる事項である。その仕組は、障害者にとって重要な事項であるため、官僚の考えや裁量ではなく、就学先の選択、決定が、本人や保護者の意思を尊重した明確な法律として規程することが必要である。

【長瀬委員】

委ねるべきでない。学校教育法第75条の規定に基づく、同法施行令第5条は障害者の権利条約から見て非常に問題がある。

【松井委員】

障害者の就学先の決定については、立法府も関与できるよう、基本的なことは法律で規定されてしかるべきと思われる。その意味では、法律で規定すべき基本的な内容と、政令で規定すべきことについての見直しが必要であろう。

【森委員】

「学齢期をむかえる前の子どもを対象とする就学時の健康診断」が、障害のある子どもの早期の段階における必要な支援を行うためのものであるとすれば、その意味と意義を明確に示すための検討を行い、法律での取り扱いについても検討すべきと考える。

障害のある子どもの早期発見に基づく、早期からの福祉、教育、医療などの関係機関の連携は、一人ひとりの障害のある子どもたちの可能な限り最大限の発達を実現するために必須のことであり、そのためには障害のある子どもと保護者を中心とした相談支援、個別支援計画の作成を行い、成長、発達に応じた継続的な支援を行う必要がある。

2.学校教育法施行令5条、11条ならびに22条の3項による「障害に基づく分離」制度の廃止についてどう考えるか。

【大久保委員】

就学に至るプロセスにおいて、確かに「分離」されている感は否めない。市町村教育委員会に窓口を一本化することが望ましいと考える。また、認定就学制度は、実態に照らしても、同条文の改正あるいは廃止を検討する必要があると考える。

なお、就学基準(学校教育法施行令第22条の3)については、同施行令5条の見直しと併せて検討する必要があるが、その見直しにあたっては、個別の教育支援計画のあり方や取扱いとの関連を含め検討していく必要があると考える。

【大谷委員】

双方廃止すべきである。

学校教育法施行令5条を廃止して全ての子どもが地域の学校の就学通知を受け取れる仕組みに変えるべきである。具体的には、まずは全ての子どもが校区の学校の就学通知を受け取り、その後就学時健康診断を受ける。就学時健康診断は校区の学校に通うために必要な物理的障壁の除去や体制の整備などの合理的配慮と必要な支援を相談する場として就学相談とともに活用する。

学校教育法施行令22条の3は廃止する。22条の3の表は障害を医学モデルでとらえており、条約の障害の定義である社会モデルを採用していない。22条の3のような障害の種類と程度で子どもを一律的に捉えるのではなく、子どもが普通学級で学ぶにあたり保障されなければならない合理的配慮と支援の必要性によって子どものニーズを把握するべきである。そしてこのニーズに基づき個別支援計画が策定され、本人および保護者の同意のもと、普通学級および通級教室で、配慮と支援が実現されながら教育が保障されるべきである。

また、特別支援学校への就学は障害のある子もしくは保護者が任意に選択する学校となるのであるが、ここに就学しうる障害の種類と程度も、障害による特別なニーズを有している子、として障害を広く規定しておけば足りると思われる。

文部科学省が新たに考えている調査協力者会議中間報告(2009年2月)の仕組みも教育委員会・就学指導委員会による総合的判断で子どもの就学する場を決定する仕組みになっていることから従来の障害により教育の場を分ける体制のままであり、インクルージョンとは言えない。

現行の就学指導委員会は廃止し、条約の理念に精通している障害当事者や関係者、学識経験者による新たな「インクルーシブ教育推進委員会」(仮称)を市町村にたちあげ、就学相談および個別支援計画の策定の援助等の場を設ける必要がある。

もとより、学校教育法制全般にわたってインクルーシブ教育が規定されていないことが問題であるため、学校教育法の改正のみでは不十分である。障害に応じた支援を普通学級の中で受けるインクルーシブ教育を教育システム全体に位置付けるために、教職員定数、学級編成(人数)、特別支援教育奨励費等、関係法令全体を見直す必要がある。

【大濱委員】

⇒上記同様「機会の均等やインクルーシブな教育制度」や「障害を理由とした教育制度から排除されないこと」等をふまえて、分離教育は原則廃止すべき。

【尾上委員】

【意見】

「障害に基づく分離」の制度はすべて廃止されるべきである。

学校教育法施行令5条や11条による就学通知や市町村および都道府県の教育委員会による就学先決定に関係した通知事務等、特別支援学校への就学を前提とした諸規定は、障害のある子とない子を分ける原則分離教育の制度的根幹であり、その内容を地域の幼稚園や学校への就学を前提とした内容に全面的に改めるべきである。これらの規定が存在するために、地域の学校に就学することを希望した障害者に対しては、入学日直前にならなければ通知が正式にとどけられないといった事態も頻発している。地域の学校での支援体制の準備が間に合わないといった不利益ももたらしている場合さえある。その前提には、就学時健診の受診と就学指導を経たうえでの就学決定の体制がある。こうした体制は、地域の学校への就学を前提として、就学通知 → 健康診断 → 就学に必要な支援の相談(就学指導に替わる)との順に改めるべきである。

事実、大阪府・東大阪市においては、障害の有無に関わらず全ての児童に市町村教育委員会が地域の学校への就学通知を出した上で、就学に必要な相談を行いながら、本人・保護者の申し出によっては特別支援学校を選ぶ(つまり、特別に申し出ない場合は、当然に地域の学校)というプロセスになっている。また、そのことによって、何一つ、現場での混乱は生じていない。

また、同施行令の22条の3による、特別支援学校に就学すべき対象となる障害の範囲規定、さらには、それを前提とした5条の障害のある子とない子を入り口で分けている就学通知の仕組みは、障害者を障害があるということによって、教育上の権利を決定的に区別、制限するものとなっており、障害者の権利条約上の規定からも決して許されるものではない。

【門川委員】

「障害に基づく分離」制度が学校教育法施行令5条、11条ならびに22条3項の規定に由来すると考え、かつ、当該制度の廃止について考えるとは、特別支援学校制度を廃止するという考えなのか。それとも、特別支援学校への就学はまずは普通学校での就学を試みてから、ということを原則として、特別支援学校制度を残したまま「障害に基づく分離」制度を廃止するということを想定するのか。

いずれにしても、既述の通り、特別支援学校で教育を受けるという選択肢そのものまでが否定されるべきではなく、「障害に基づく分離」制度を単に廃止することは望ましくないと考える。

むしろ、「障害に基づく分離」制度の問題点は、同施行令第18条の2において、保護者及び専門家の知識を聴くとのみ規定しているだけであり、教育委員会がどのようにして児童に障害があるかを把握し、通知するか、という過程や責任が明確に定められていないところにある。行政(教育委員会)の責任が曖昧で、過程も不透明であることが、いかに障害児及びその親にとって大きな負担となっているかというところを明らかにしたうえで、まずはその点を改めるべきである。

(参考:学校教育法施行令第18条の2)

第十八条の二 市町村の教育委員会は、翌学年の初めから認定就学者として小学校に就学させるべき者又は特別支援学校の小学部に就学させるべき者について、第五条(第六条第一号において準用する場合を含む。)又は第十一条第一項(第十一条の三において準用する場合を含む。)の通知をしようとするときは、その保護者及び教育学、医学、心理学その他の障害のある児童生徒等の就学に関する専門的知識を有する者の意見を聴くものとする。

【川﨑洋子】

制度は廃止すべき。個々の状況においては合理的配慮がなされるべきである。

【北野委員】

A.廃止すべし

現行の就学通知制度及び就学

指導委員会による指導・決定は取りやめ、本人の自立・発達を一貫して支援する機関を創出し、そこが就学相談にも関わり、そこで作られた本人教育計画(IEP)の原案に基づいて、その決定は親権者と教育委員会の合意に委ねるべき。ただし選択肢の欠如をして自己決定・自己選択と言わせることなく、重度の障害者においても、その地域の普通学級で教育が可能な支援体制を義務づける必要がある。

万が一、親権者の希望に沿わない、本人教育計画(IEP)のレベルの場合は、ただちに不服申し立てが可能なシステム(行政審問制度)と、親権者を支援する権利擁護の仕組みが不可欠。

【佐藤委員】

すべての障害児が普通学級に学籍を持ち、希望と必要に応じてそこで学ぶことを基礎とし、そこにできるだけの支援を持ち込み、さらに必要と希望に応じて、その他の教育の場も活用するという全体像を描きたい。

ここでの普通学級で学ぶ、というのは、現状の普通学級ではなく、必要な支援が最大限整備されている普通学級を前提とする。この普通学級で学ぶ時間や教科は個別の教育支援ニーズや希望による。週1コマや月1回の行事のみの参加もあるかもしれないし、障害のない児童と全く同じ時間・内容を過ごすこともある。

さらに「必要に応じてその他の教育の場も活用」とは、たとえば手話でコミュニケーションを図る児童の集団の場が必要ではないか、また医療的ケアや医学的リハビリテーションを平行して支援する場も必要ではないか、生活年齢だけでみな同一の内容を強制すれば「間接差別」となりかねないので科目ごとの学習の習熟度に応じた学習集団が必要ではないか、などである。現行ではこれらの場として特別支援学級と特別支援学校が設けられている。

近年、交流教育とか通級など改善がなされてきたが、基本的な考え方は「障害に基づく分離」である。今後の改革方向は、資源に合わせて人を割り振るのではなく、人に合わせて資源を割り振るべきであるから、この学校教育法施行令の仕組みはなくすべきである。

なお、この仕組みは少ない資源・予算をできるだけ特定の箇所に集中し、効率的な教育を図ろうとしたものでもある。単にこれを廃止しただけでは、特別支援学校の支援の質が下がり、普通学級でも混乱し、最終的に被害を受けるのは障害児となるので、障害児教育不在の時代に戻りかねない。

【新谷委員】

現在の特別支援学校・学級の評価にかかわる部分がありますが、子どもの障害よっては、普通学校・学級で取りうる配慮・支援を超えた部分もあると思いますので、そのような配慮・支援を取りうる特別な仕組みは必要と考えます。

現実問題として普通学校が重度障害児を複数うけいれられることができるのか、ということも聞いています。例えば、「体温調整のできない子どもがクーラーやホットカーペットのない教室で授業をうけられることはできない。」「特別支援学校での給食は、初期食、中期食、後期食、普通食と多岐に亘っている。」、「痰吸引等で医療行為(医療的ケア)も発生するため養護教諭ではなく看護師資格をもつ職員が必要である。」「特別支援学校においても医療的ケア人員不足となっている現状では、普通学校で果たしてうけいれられることができるのか?」、「トイレにいたってはおむつ交換できる設備も必要」といった声です。

【竹下委員】

分離教育は廃止すべきである。たとえ、特別支援学校が設けられるとしても、常に地域における普通学校での学籍が基礎となっていなければならず、普通教育にプラスされたものとしての特別支援学校でなければならないのであって、普通学校での就学を否定した分離教育は条約違反である。

【堂本委員】

(結論)一部を残し、段階的に廃止する

(意見)学校教育法施行令第5条を廃止して、全ての子どもが居住地域の学校の就学通知を受け取れる仕組みに変える。学籍はその学校に置く。具体的には、まずは全ての子どもが校区の学校の就学通知を受け取り、その後、就学時健康診断を受ける。就学時健康診断は校区の学校に通うために必要な物理的障壁の除去や体制の整備などの合理的配慮と必要な支援を相談する場として、就学相談とともに活用する。認定就学者制度は廃止する。

通級指導教室、特別支援学級を特別支援教室に一本化し、特別支援学校についても、通級による指導の場(特別支援教室の一形態)として整備する。それぞれの教育の場の教員配置は、現行の制度に基づく形で行うよう、法的整備をする。実質的な教育形態については現行を維持し、地域の学校で学ぶ環境作りを進め、段階的に移行する。

就学相談委員会又は就学支援委員会を市町村単位で設置し、条約の理念に精通している障害当事者、保護者や専門家の意見を聞き、相談しながら、通級先や支援内容を決める。施行令22条の3については廃止するが、通級の場を決定する際の参考として局長通知等として残す。

都道府県立特別支援学校の小・中学部は段階的に解消し、市町村立の小・中学校内に特別支援教室として整備し移行する。(都道府県の管理から市町村の管理へ移行)

但し、視覚障害教育・聴覚障害教育・病虚弱教育(病院併設)等の一部については、現行の機能を維持するなど、地域のニーズに応じた弾力的な編成とする。

【中西委員】

「障害に基づく分離」に関わる規定は、すべて廃止すべきである。

学校教育法施行令5条を廃止して全ての子どもが地域の学校の就学通知を受け取れる仕組みに変えるべきである。11条は、特別支援学校への就学を障害者本人が申し出た場合に、市町村から都道府県に学籍が送付され、就学通知が再送付されるよう、改めるべきである。22条の3は、障害者の権利条約は、社会モデルで障害を規定していることから廃止するべきである。

特別支援教育の推進に関する調査研究協力者会議による審議の中間報告(2009年2月)は、就学の仕組みについて、教育委員会・就学指導委員会による総合的判断で子どもの就学する場を決定する仕組みになっている。しかし、基本的な仕組は現行と変わらないため、インクルーシブな教育制度とは全く相容れない。

【長瀬委員】

障害者の権利条約に基づいて、撤廃されるべきである。

【松井委員】

障害児本人や保護者の意向とは無関係に、原則として市町村教育委員会や都道府県教育委員会が一方的に特別支援学校の入学期日等の通知や学校の指定を行うという現在の仕組みは見直されるべきである。つまり、学校の指定などは、障害児本人および保護者と協議し、その同意をえて決めるという方式に改められる必要がある。

【森委員】

「障害に基づく分離」制度のみを、障害のある子ども並びに保護者の側から選ぶべき唯一としての選択肢とすることは、権利条約第24条に照らし合わせると、明らかに改善しなければならないことと考えられる。

後述するが、普通学校と特別支援学校の相互補完的なシステムの構築による環境面ならびに支援面での充実を追及すべきである。

3.障害のある人が生活する地域社会にある学校に学籍を一元化することについて、どう考えるか。

【大久保委員】

学籍を地域社会にある学校に一元化することが望ましいが、現行の市町村教育委員会と都道府県教育委員会の関係など、制度や仕組み全体との関連から議論が必要と考える。

なお、現在の行われている副籍制度は、当面の改善策のひとつと考えられる。

【大谷委員】

学籍を統合すべきである。

障害を理由として学籍を分けることは「異別の取り扱い」である。原則として全ての子どもが地域の学校に籍を置く学籍統合、学籍一元化が条約に規定されているインクルージョンである。

具体的には全ての子どもが校区の学校に学籍を置く。そのうえで、個別の支援を希望する子どもに対しては特別支援教室で個別の支援を行う。(特別支援学級は廃止する)。また、特別支援学校での個別の支援を希望した者には、「必要な支援」として特別支援学校への通学を保障する。これらの個別の支援は条約にある通り完全なインクルージョンを目指して行われなければならず、そのための学校間を柔軟に行き来する体制などを整備しなければならない。

現在一部の地域で実践されている復籍制度や二重学籍は、子どもが校区の学校へ交流に行くため(居住地校交流)の体制整備が行われていないため、保護者が登下校を付き添うなどの条件付きで行われていることが多く、保護者の状態により交流が制限される状況がある。

また、特別支援学校の分校を地域の学校に設置する動きもみられるが、特別支援学校と地域の学校の設置主体が異なることが多いため、行政手続きが複雑で兄弟が乗っているスクールバスに乗れないなど子どもに影響を与える場合がある。

以上からも、全ての子どもが学籍を同じくして、完全なインクルーシブを目的とした体制を整えることが必要である。

(高校進学について)

インクルーシブな教育制度は小・中学校の義務教育にとどまらず、後期中等教育(高校)においても保障されなければならない。障がい者権利条約は、高校についても、自己の住む地域でインクルーシブで質の高い高校での教育を享受できる(24条2.b)と規定しているのであり、障がいのある子どもの高校進学はより一歩進められるべきである。

現在、高校進学率は障がいのない子どもの場合は約97%となり、準義務教育化している。この中、障がいのある子どもも高校進学を希望するようになってきたが、進学率はいまだ80%である。これは、高校は選抜主義であり、選抜テストによってふるい落とされる結果である。障がいのない子どもの97%までもが高校に進学している以上、障がいのある子どもも時間延長や点字受験、代筆などの受験方法への配慮にとどまらず、就学に向けて広く門戸を開放すべきである。この状況に対し各地で一定数を障がいのある子どものための人数枠としたり、定員割れ高校への入学等取り組みがされているが、近時の定時制高校の統廃合により、増々門は狭くなっている。

1997年文部科学省は、高校進学について「障害のある者については、障害の種類や程度に応じて適切な評価が可能となるよう学力検査の実施に関し一層の配慮を行うとともに、選抜方法の多様化や評価尺度の多元化を図ること」とし、選抜方法のみならず評価尺度を多元化するよう通知を出している。障がいのある子どもの高校への進路保障をどのように保障するか、それぞれに対する「配慮義務」と「必要な支援」の内容をより具体化すべきである。

現在、普通高校への進学が困難であるという事情もあって、特別支援学校高等部への進学希望が急増している。学校教育法は高校にも特別支援学級の設置を認めているが、この設置校は全国的にみても極めて少ない。今後、普通高校への進学を基軸にしつつ、普通高校内に特別支援教室を設ける等その選択肢を多様に広げていくことも必要である。

【大濱委員】

⇒上記同様「機会の均等やインクルーシブな教育制度」や「障害を理由とした教育制度から排除されないこと」等をふまえ、一元化すべきである。

なお、特別支援学校は、地域の障害者の横の連携をつくるメリットや、同じ障害の人と情報を交換するメリットもあった。また、障害者やその親による障害福祉問題の解決をする運動体を作ることにかけては、とても効果的であった。しかし、障害者同士の仲間をつくることよりも、地域での、子ども同士のネットワークを構築することの方が、地域での将来の生活を考えた場合には重要であると思われる。

その一方で、同じ障害種別の障害児同士や親同士がネットワークを構築できるように、行政が支援するべきだと考える。特に希少な難病や障害(たとえば脊髄損傷の障害児は非常に少ない)については、十分に支援するべきである。

【尾上委員】

【意見】

障害者の権利条約にいうインクルーシブ教育に沿えば、地域社会の学校に学籍を一元化することは不可欠である。

昨年、奈良県の中学校入学しようとしていた障害者を居住地の教育委員会が就学先を特別支援学校とする決定を下したことによる事象はマスコミ等でも報道された。一人の子どもの人生にとって大きな痛みと混乱をもたらした大変な事態であった。(追加資料『明るい花を咲かせよう』参照)

このような教育上の権利を侵害する事象が起こってくるのも、障害のある子どもの就学にあたって学籍を地域社会の学校に置くという制度になっておらず、前項で述べたように学校教育法施行令第5条に象徴されるように障害のある子とない子を原則分ける仕組みになっているからである。現行の制度下では、上記の入学拒否の事象は、決して特異なものではない。障害児教育・インクルーシブ教育の専門家である堀智晴氏(大阪市立大学教員)が「どこでも起きる問題」と指摘するとおり、いつでも同様の事態が起きうる制度状況にある。

どのような障害があろうとも障害者は地域社会の子どもの一人としてその地域の学校に籍を有するという前提が制度として確立されなければならない。

また、本年2月24日に開催された文部科学省の「特別支援教育の推進に関する調査研究協力者会議」において審議された「特別支援教育の推進に関する調査研究協力者会議審議経過報告(案)」においては、東京都や埼玉県において実施されている「複籍」や「支援籍」を、交流及び共同学習の枠組みの中で捉えようとしている。同報告(案)は、就学決定のあり方の結論を、本障害者制度改革推進会議における議論の動向を見守るという姿勢にあるが、学籍については、けっして地域社会の学校への一元化という方向は示していない。学籍については、就学決定のあり方同様、あくまでも地域社会の学校への一元化を実現しなければ、権利条約の内容に沿ったものとはならない。

【勝又委員】

ひとつの試みではあるが、単なる書類上の一元化では意味がない。健常児と障害児の交流が実際すすむような努力が担保され、特別支援学校から地域の学校に移動することができる途を開くことが目標であれば、期間を区切ってパリロットスタディとして実施することは意味があるかもしれない。しかし、その結果をよく分析し、有効な方法でないと認めら得たときは柔軟に廃止することが前提。

【門川委員】

障害のある人が地域社会にある学校に学籍を一元化するということは、地域社会にない学校(この場合は特別支援学校を指すと考える)は本来の学校ではない、ということを逆に定義することになるのではないか。また、そもそも、特別支援学校を普通学校と同等のものと扱う以上、特別支援学校への入学及び卒業が普通学校への入学及び卒業と同等に評価されるべきである。なお、そもそも学籍とは何か、一元化するメリット・デメリットは何か、ということを整理する必要がある。

【川﨑洋子】

本来は自分の地域の学校に行けるようにすべきである。

【北野委員】

A.一元化すべし

費用負担の問題で、どこに学籍を置くべきかが問題になったりするが、個別支援を必要と思うすべての児童の相談支援を、本人の自立・発達を一貫して支援する機関が受け付け、必要ならば本人教育計画(IEP)を作成し、それに基づいて、教育委員会と親権者が個別支援の質量(費用)を合意すべし。

【清原委員】

三鷹市では特別支援学校在籍の児童・生徒が居住地の小・中学校に副次的籍を置く「居住地校交流」として、「交流及び共同学習」に取り組んでいるところである、こうした経験から「副次的籍」を含む学籍の在り方について、教員配置・定数算定のシステムを含め、検討をしていく必要があると考える。

【佐藤委員】

検討が必要である。

障害児については、すべて普通学級で学ぶことを基礎とし、そこにできるだけの支援を持ち込み、さらに必要に応じて、かつ本人の希望に応じて、その他の教育の場も活用するという全体像を描きたい。

ただし「一元化」の意味が、1つの学籍、1つの所属に限定するという意味なら適切ではない。少なくとも現行の「標準法」の下では、(1つの学籍に限定という意味の)一元化では特別支援学校・学級の教員が確保できなくなる。

すでに東京都の「副籍」、埼玉県の「支援籍」、横浜市の「副学籍」などの取り組みが進んできていることをふまえるべきである。ただしこれらはあくまで副次的な籍で教員配置などが法的に保障されているわけではない。「主」「副」という序列も好ましいとは思えない。埼玉県では支援籍で通常学校に通うのに特別支援学校の担当教員が子どもに同行するために、特別支援学校の教員が不足する事態が生じているとの指摘もある。

「一元化」ではなく通常学校と特別支援学校の両方に、あるいは通常学級と特別支援学級にも同等に在籍できるようにすべきであろう。この「同等」という点に関して、「その他8」も参照のこと。

従来日本の障害者制度では、病人か障害者かを二者択一で迫り、医療を選ぶか福祉を選ぶかを迫ることが行われた。どちらも必要とする人に1つを選べという制度であった。1980年代と90年代の法改正で精神障害者については(今なお決して十分ではないが)この点が解決することとなり、難病・慢性疾患についての解決が今回の制度改革で期待されている。

障害児の教育についても、普通学級で支援を受けながら学ぶことも必要で、かつ平行してその他の場での支援を受けつつ学ぶことも希望され、その効果が期待されるならば、両方保障すべきである。

【新谷委員】

学籍が何のために必要なのかを見直すべきと考えます。すべての子どもがどのような教育機関で義務教育を受けているのかを記録するためであれば、他にもっと合理的な方法が考えうるのではないかと思います。「学籍」というのは、義務教育はすべて国家・行政が管理するという色合いを強く感じます。

【竹下委員】

障害の有無にかかわらず、生活している地域における普通学校への就学が基本であって、したがって学籍の一元化は当然の帰結である。特別支援学校は地域の普通学校での学籍と就学を前提にした上で、それに上積みとしての位置づけにすぎないのである。

【堂本委員】

(結論)一元化するべきである。

(意見)2に記載済みだが、義務教育段階は、全ての児童生徒の学籍を、居住地域の市町村立小中学校に置く形で一元化すべきと考える。後期中等教育段階については、現行通り都道府県立(一部国立や市町村立)の特別支援学校を進学先とする。小・中・高等学校の実態に合わせた仕組みがノーマライゼーションの理念に添うものと考える。この方向性は、現在抱えている知的障害特別支援学校の過密化を解消するものである。

【中西委員】

学籍統合すべきである。

普通学校では、障害の有無によって学級を分け、障害児の学級を特別支援学級とし、それぞれが所属する学級区分に応じて学籍が分けられている。障害を理由に、学籍を分けることは「異別の取り扱い」と言える。全ての子どもが地域の学校に籍を置く学籍一元化が、条約に書かれているインクルージョンである。

【長瀬委員】

基本的に望ましいと考える。

【松井委員】

障害者の学籍は、原則として、障害者が生活する地域社会にある普通学校に一元化すべきである。

そうすることで、少なくとも障害児の義務教育の提供責任が、障害のない子どもと同様、市町村にあることが明確化されることになる。

【森委員】

障害のある児童・生徒は、居住し、生活する実態のある地域社会との関係性を維持するように努める必要がある。そのためには、生活する地域社会にある学校に学籍を一元化すべきである。その一元化をもとに、生活する地域社会ある普通学校と特別支援学校との相互補完的連携が可能になることと考えられる。

4.障害のある人および保護者が、特別支援学校、特別支援学級を選択する選択権の保障についてどう考えるか。

【大久保委員】

先ず、教育を受ける権利の主体は、児童自身にあると考えるが、そのうえで、どのような教育を受けるかを保護者の選択権にすべて委ねることには議論が必要と考える。

適切な就学先の選定にあたっては、地域の医療、福祉等の関係機関や保護者との連携も含め、子どもひとり一人のニーズに応じた個別の教育支援計画に基づいてなされるべきであると考える。

ついては、現在の就学先決定手続の中に個別の教育支援計画を明確に位置づけ、機能させる必要があり、その教育支援計画は、市町村教育委員会が関係機関並びに保護者の意見を踏まえ、作成する必要があると考える。特に、その計画に基づいた支援体制の確保や就学先の選定に際しては、都道府県教育委員会との連携を図る一方、保護者の充分な理解とともに保護者の意向を最大限尊重する必要があると考える。

【大谷委員】

特別支援教室、特別支援学校の選択権は、学籍一元化のうえで「必要な支援」の一環として保障するべきである。

条約第24条の制定過程では、地域の普通学校も特別支援学校と同じく選択の対象とするとの案が検討されたが、選択権を保障しても当事者や保護者の真の選択になりえないとして、地域の普通学校への就学は選択ではなくこれを原則とし、特別支援学校を選択の対象とすることになった。

日本でも、2007年政令改正により学校教育法施行令18条の2で就学先決定時にあたり「保護者からの意見聴取」が義務づけられ、保護者は意見を述べる機会を与えられるようになったのであるが、これはまさに分離教育を受け入れるかどうかについての意見聴取である。

このように教育の形態が著しく異なることについては、保護者は子どもの教育についての選択権を有しているのであり、ただ単に保護者の意見を聴くことで足りるものではない。子どもの権利条約5条は、子どもの権利行使における保護者の権利と義務を規定し、更に人権A規約13条3項は保護者に教育選択権を認めているのであり、この趣旨からも保護者に子どもの教育についての最終決定権者としての権利を保障し、その責務を全うし得ることを確保するようにしなければならない。

よって、ただ単に意見聴取の機会を与えるということだけでは、これら規定にも違反していると言わざるをえない。

更に、当該手続は特別支援学校小学部に就学させるべき者について保護者の意見を聴くこととしているのであるが、同校中学部に進学するときは子ども自身の意見表明権も保障するべきである。権利条約12条が自らに関わることについての意見表明権を保障しているが、どこでどのような教育を受けるかは障がいのある子ども本人にとって重要な関心事であり、保護者とはまた別に子ども自身の意見表明権が保障されるべきである。

また保護者が普通学級を希望した場合、子どもが普通学級で安全に過ごすための合理的配慮や支援についての情報は聞かされずに、保護者に学校生活の付き添いを要求するなどの条件が出される事例が多く聞かれる。条件付きで就学しうる普通学級と条件のない特別支援学校との選択となっており、保護者・当事者が公平に意見を述べることができない状況がある。

これらから、学籍一元化をし、地域の学校における合理的配慮を請求でき、これが整備される体制が保障された上で、当事者、保護者が希望するならば「必要な支援」として特別支援教室や特別支援学校での個別の支援が保障されるシステムとすべきである。

【大濱委員】

⇒特別支援学校、特別支援学級を認めるのであれば、選択権の保障が前提であるべき。

【尾上委員】

【意見】

権利条約・第24条2項の(e)では、「個別的な支援」についても、「完全なインクルージョンという目標に則して」行われなければならないとされている。当面、特別支援学校、特別支援学校を地域におけるリソースとして位置づけ、本人・保護者が希望する場合、利用できる社会資源とすべきである。

そもそも地域の学校で必要な人的・物的支援等(合理的配慮)が得られたうえで教育を受けることができるのであれば、特別支援学校での支援を強いて求めることもなく、特別支援学級も元々の学級での支援が得られるのであれば、地域の学校に代わる選択権という対象とまでにはならないと思われる。

条約が規定する「完全なインクルージョンという目標に則して」、特別支援学級や特別支援学校の機能を再編成すれば、それを選択の対象にすることもない、特別支援学校にしても特別支援学級にしても、必要なときに利用できる資源として機能していれば、障害者や保護者がそれを地域の学校に代わる選択対象として選ぶのではなく、学籍のある就学すべき学校は地域の学校であり、そこで支援を得る先として特別支援学校や特別支援学級を利用する資源の対象となると考える。

【勝又委員】

選択権は保障されるべき。ただし、あくまでも「子どもの利益」を優先に考えるべきであり、その意味で親には十分な説明が学校関係者によってなされるべきであり、親の一方的な希望だけで決めるべきではない。

【門川委員】

障害のある人及び保護者が学校や教育方法を選択することができることは重要であって、特別支援学校や特別支援学級を選択する権利は当然保障されるべきである。そして重要なことは、選択肢が質・量ともに充実していなければ選択権の実質的な保障にはならないということである。また、そのような選択権は柔軟なものでなければならず、決して強要されてはならないことを明示すべきである。さらに、選択権には、障害のある人および保護者が、自らの意思で、いつでも、特別支援学校入学後の普通学校への転校や普通学校入学後の特別支援学校への転校といった路線変更を自由にできる、ということが含まれなければならないと考える。

【川﨑洋子】

選択権は保障されるべきである。

【北野委員】

A.「特別支援」なるものを、分離した場で提供することは、基本的に権利条約19条の自立生活権及び24条のインクルーシブ教育権に違反する。

ただし、19条は他の市民との平等の選択の権利を保障しており、また24条は教育機会の平等を謳っており、「特別支援」の場そのものを否定まではしておらず、それを強制することが違反(差別)と見なされるという解釈も可能ではある。ただしその場合でも、基本は地域の普通学級であり、ほんとに選択や再選択が可能なのかが問題である。

非障害児が、そのような家族や地域社会から引き離されることなく生きてゆけるのに、障害児にのみそのような生活を求めるのは、明らかに、一般的な社会参加・参画を謳う権利条約第19条違反といえよう。

現行の就学通知制度及び就学指導委員会による指導・決定は取りやめ、本人の自立・発達を一貫して支援する機関を創出し、そこが就学相談にも関わり、そこで作られた本人教育計画(IEP)の原案に基づいて、その決定は親権者と教育委員会の合意に委ねるべき。ただし選択肢の欠如をして自己決定・自己選択と言わせることなく、重度の障害者においても、その地域の普通学級で教育が可能な支援体制を義務づける必要がある。

万が一、親権者の希望に沿わない、本人教育計画(IEP)のレベルの場合は、ただちに不服申し立てが可能なシステム(行政審問制度)と、親権者を支援する権利擁護の仕組みが不可欠。

【清原委員】

保護者の選択権が保障されることは、原則的なことである。

障害者権利条約第7条第3項で「障害のある児童の意見は、他の児童と平等に、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮される」とされているが、小学校の就学時点では、障がいのある児童の意見は、通常保護者を通じて表明されると考えられる。

その際に重要なことは、本人・保護者が最善の自己決定・自己選択を行っていく上で、判断に資する情報が多様に、十二分に提供される環境が整備されることである。

【佐藤委員】

本人もしくは保護者が安心・納得して就学先を決められる制度や体制が作られるべきである。ただし、択一的な選択ではなく、普通学級への在籍を全員が行うことを前提とし、その上で要求に基づいてその他の在籍も保障されるべきである。

ただし、児童および保護者の選択が100%自動的に就学先と決定されることとするかどうかは検討を要する。たとえば、イギリスでは保護者の選択権は日本より遙かに尊重されているが、なお、その児童が他の児童に危害を加えるなどの可能性が強い場合には、普通学級への就学を保護者が希望しても認められないようである。

日本のある市(保護者の選択で就学先を決めるとした市)の関係者に私が、「情報提供を十分した上であれば親の選択は100%適切なものとなるのか?教師や周囲の人々から見て、どう見ても親の選択は子供の最善の利益を損ねている。というような事例はないか。子供の人権を守るために、親の選択とは異なる就学先の決定をしなければならないような事態はないか。」と尋ねたところ、要旨次のような答えであった。

「子どもの最善の利益」とは、100%善悪で判断できないと思いますし、障害のある子どもへの保育・教育の支援体制の問題も大きいと思います。本県教育委員会の資料によると、特別支援学校の児童一人の教育費が年間880万円ですが、通常の学校の児童一人の教育費は年間70万円です。支援体制の差があるのは歴然で、その差を放置した状態でイーブンな選択はそもそもできないのではないでしょうか。どの学校を選んでも障害児に必要な教育費が同じようにかけられる条件があって、初めて「選択」できるのではないかと思います。

就学先を選択するにあたって、特別支援学校、特別支援学級、通常学級とすべてを見学し体験授業を受けることができます。学校との話し合いもできます。その上で保護者に選択してもらう仕組みとなっています。「子どもの人権」が守られない状況があるとしたら、親の選択に原因があるのではないくて、選択した場に人権が守られるだけの支援が用意されていない(合理的配慮がない)からではないでしょうか。

以上のようなことを総合的に考えると、一つまたは複数の教育の場をどう選ぶか、それらをどう活用するかは基本的には十分な情報提供と相談援助、見学や体験機会などを経た上で、本人と保護者に選択権を保障すべきである。

しかし同時に、その選択が本人にとって、または場合によっては級友にとって大きな問題を含む場合には、本人と保護者の選択とそれぞれの学校の活用の組み合わせ(個別支援計画)について、行政が変更できる余地も必要ではないか。つまり本人・保護者と市町村の間での意見の違いであるので、都道府県レベルの第三者的な審査委員会を設けて、ガラス張りの中で審議をして、そこでの決定を就学先(の組み合わせ)とする仕組みである。当然こうした決定は数ヶ月後に再評価をするなどが必要とされる。

じっさいには上記のある市の関係者の意見にあるように、こうした審査委員会は不要かもしれないが、学校関係者や行政担当者が保護者の選択権に大きな懸念を持っている現状の中では、そうした「安全装置」を設けないとスムーズな移行がなされないと思われる。

この仕組みは、教育委員会が就学先を決定する権利をなくすものでもある。保護者の希望と選択の通りに決定することはできるが、それと異なる場合は、都道府県レベルの第三者的な審査機関に決定権をゆだねることになる。意見が異なれば保護者にも教育委員会にも決定権はないない。

【新谷委員】

選択権の保障は、必須要件です。議論すべきは、就学に当たって、また就学後であってもその子どもに合った教育機関は何か、ということを、保護者(本人を含む)、医療・福祉関係者、学校関係者が話し合うプロセス、仕組みを充実させることと考えます。

【竹下委員】

特別支援学校及び特別支援学級(但し、学級については過渡的なものとして位置づけるべきであり、障害のある児童生徒を特別支援学級に固定することは絶対に条約違反である)が設置される場合においても、地域の普通学校への就学を排除することは憲法14条、26条にも反するし、条約2条、3条、23条、24条に明確に反する制度である。特別支援学校が設置される場合においても、障害のある児童生徒の就学の選択は絶対に保障されなければならない。しかも、その選択に基づいて決定した就学を保障するための支援(合理的配慮)が保障されてはじめて自由な選択が保障されたことになるのである。

【堂本委員】

(結論)上記2,3,の構造が実現すれば、選択権の問題は解消する。

(意見)しかし、その構造が実現するまでは、充分に当事者である子どもや保護者が学校と話し合ってきめることが望ましい。千葉県条例においては第3者が加わって相談するなど、可能な限り、対立の構図を減らす工夫を行った。

【中西委員】

障害者が居住する地域の普通学校の普通学級で就学することが権利として保障されることを前提に、特別支援学校、学級での就学を選択することも可能とするべきである。障害のある子どもの入学時には、普通学校への入学が通知されない。そして、特別支援学校または特別支援学級への入学を就学委員会等の専門家は勧めることから、事実上、子どもや保護者の選択権は、保障されていない。特別支援学校の入学者数がここ1,2年で増加している現状をもって、分離教育は必要とされているのだとする意見がある。しかし、障害児の教育に関する多様な情報が十分に提供されていないこと、かつ普通学校での障害児の個別のニーズに応じた合理的配慮がなされていないため、子どもや保護者がやむをえず特別支援学校や特別支援学級を選択しているという背景は隠されたまま分離教育が実施されている。

障害者の権利条約24条2(e)は「完全なインクルージョンという目標に則して、学業面の発達及び社会性の発達を最大にする環境において、効果的で個別化された支援措置がとられること」と規定している。したがって、特別支援学校、学級での就学であっても、完全なインクルージョンを志向しなければならない。特別支援学校、学級での就学を固定的にせずに、あらかじめ期間を設け、よりインクルージョンに近づくための支援の在り方について、見直す必要があるということである。

【長瀬委員】

自治体の教育委員会が決定権を持つ現在の就学指導の体制を根本から改めるために、就学指導委員会を廃止し、本人および保護者が選択権を持つ体制に転換すべきである。

【松井委員】

障害児および保護者が、障害児の教育的ニーズおよび希望に応じて、特別支援学校、特別支援学級を選択する権利を保障することは、重要である。もっともそれ以外の選択肢がないこと、つまり、本人の教育的ニーズや希望に関係なく、特別支援学校や特別支援学級を選択せざるを得ないというようなことはあってはならない。

【森委員】

障害のある児童・生徒の教育においては「学業面の発達」、「生活技能の発達」、「社会性の発達」を最大限可能にすることが重要である。現行の普通学校の状況を基に考えると「学業面の発達」、「生活技能の発達」において特別支援学校、特別支援学級が選択肢として求められると想定され、その選択権を保障すべきと考えられる。

「社会性の発達」、及び教育修了後の生活圏との関係性から、生活する地域社会にある普通学校に学籍を一元化して、可能な限り、地域社会の行事に参加するとともに、学籍を有する学校の障害のない子どもたちとの交流を図ることが求められる。実際的には、普通学校と特別支援学校との相互補完的な連携を基にした個別支援計画をもとに、相互利用を実現すべきと考える。普通学校への通学時には、特別支援学校で担任する職員の同行などが求められる。

特別支援学校の存在する地域の普通学校の子どもたちとの交流だけではなく、障害のある児童・生徒が生活する地域の普通学校の子どもたちとの交流が、その後の社会生活の充実を図る場合に重要である。

合理的配慮の具体化

1.合理的配慮の具体的内容について、障害のある人および保護者、学校、学校設置者の三者が合意形成をしながら策定するプロセスについて、どう考えるか。

【大久保委員】

「合理的配慮」について論じるとき、先ず、義務教育期とそれ以降の高等部や公立と私立など、過度の負担も含め、整理して議論する必要があると考える。

特に、義務教育における「合理的配慮」は、教育を受ける権利からすれば、「差別」や「間接差別」に直接関わるとの見方もできるのではと考える。

【大谷委員】

合理的配慮及び必要な支援や個別の支援など子どもの教育にかかわる全ての事柄は当事者・保護者の意思が第一に尊重されることを基本とし、三者らの協議によって決定されるべきである。但し協議が整わないときは権利条約に精通した第三者ら(障害当事者を含む)で構成する「インクルーシブ教育推進委員会」(仮称)で策定することとする。

障害者権利条約第7条3項及び子どもの権利条約第12条は子どもの意見表明権を規定し、更に子どもの権利条約第18条は保護者の養育の第一義的義務を規定している。これらから、行政・学校との話し合いにおいて最終的決定権・判断権は当事者と保護者に委ねられるべきである。

現在、「個別の教育支援計画」や「個別の指導計画」が教育現場でも導入されているが、これを地域の学校で学ぶにあたって必要な合理的配慮や必要な支援の具体的内容について策定するために活用するべきである。

まずは保護者・当事者の意見を聞いたうえで、学校が計画案を策定し、行政はもとより、福祉、医療等の外部機関が協力して体制を整備する。当事者・保護者の合意がない計画は無効である。

そして、もし、三者による協議の整わないときは、権利条約に精通している第三者ら(障害当事者を含む)で構成する「インクルーシブ教育推進委員会」(仮称)に裁定を求めることとすべきである。

「インクルーシブ教育推進委員会」は市町村におかれることになろうが、これは現在の就学指導委員会に代わるものとして、医療・福祉の専門家はもとより、権利条約に精通した者、障害当事者も含めた者らで構成され、当該障害のある子にとっての合理的配慮・必要な支援の内容を、インクルーシブ教育の視点に立って吟味し裁定するものでなければならない。

この「インクルーシブ教育推進委員会」の裁定は、本人、保護者らの意に反する内容となる可能性があるが、これに対しては本人・保護者らから不服申し立てができるようにするべきである。

【大濱委員】

⇒合理的配慮の提供義務として三者の合意形成策定プロセスは必要。

ただし、そのプロセスが障害者・保護者への行政からの「そこまでの支援は不可能なので、あきらめてください」という説得の場所にならないようにすべき。

【尾上委員】

【意見】

合理的配慮について、本人や保護者が請求でき、その意志が明確に反映された中で合意形成してその具体的内容を作成する仕組みが必要である。現行の、保護者の意見を聴くこととしている就学指導ではけっして果たされないと考える。

「合理的配慮」は、障害者権利条約全体に関わる重要な事項であるが、特に、24条2項(c)で「各個人の必要〔ニーズ〕に応じて合理的配慮が行われること」と、教育に関わる個別条文に記載されていることに注目をする必要がある。

障害者が必要とする合理的配慮は、成長や日々の経験、環境の違い等によって変化するものであり、一定時期に決められない。そこには継続的で、できるだけ幅広い視点に立った選択肢と利用できる資源が不可欠である。障害のある人および保護者、学校、学校設置者の三者が合意形成を、不断に、そのときどきの状況によって積み重ねられる場を恒常的に設置することが必要である。

なお、この合意形成において、現在文部科学省が各学校において策定を勧奨している個別の教育支援計画については、いまだその位置づけについて一定の道筋が見出せていない。文部科学省においても昨年2月に発表された「特別支援教育の推進に関する調査研究協力者会議」の中間とりまとめでは、個別の教育支援計画によって就学決定をしていくとの方向が打ち出されていたものの、現在審議中の審議報告(案)では、似かよった個別の支援計画がさまざまなところで策定される状況の中でその整理が必要としている一方で、保護者の意見を聴きつつも担当教員が作成すべき個別の指導計画への重視がうかがえる。教育における合理的配慮は、けっして学校の中だけで、それも本人や保護者の意思と同意のないところで実施はできないし、してはならない。

いずれにしても、障害のある人や保護者の意思が明確に反映された中で合理的配慮が内容的に合意され、着実に実施されていくためには、ここにいう合意形成のプロセスに、地域において障害のある人の自立生活を支援している当事者等、教育関係者や学校関係者以外の者も合意形成に関与できることも必要である。学校教育において、合理的配慮が確実に保障されていくよう、そのプロセスを法的に規定し、制度化すべきと考える。

【勝又委員】

プロセスは慎重に設計されるべきである。三者にはすでに力関係に格差があることを前提に、不利な立場の者と有利な立場の者の間に公平な合意形成をするためには、どんな手立てが必要かを考える必要がある。

【門川委員】

既に述べた通り、教育における個別の支援を合理的配慮と位置づけることには疑義があるが、仮に教育における障害のある人および保護者への特定の支援を「合理的配慮」として具体化するとしたとき、それを三者の合意形成をしながら策定する場合には、「障害のある人および保護者」と「学校と学校設置者」との関係性が必ず不均衡なものになる。なぜなら、多くの場合、障害のある人および保護者は、圧倒的に情報不足の立場に置かれ、真に自分たちにとって利益になる支援や措置が何かということを知り得ないからである。そのため、あくまでも合理的配慮の実施にあたっては、障害のある人および保護者の意思を尊重しながらも、学校及び学校設置者が責任をもって策定するという形式をとり、その策定内容が適切かどうかについては、個人情報の保護に十分に留意しながら、県レベルで審議会のようなものを設置して監視することが望ましいと考える。あるいは、中立的なコンサルタント機関や専門職を設けて、障害のある人・その親と学校・学校設置者の間の種々の不均衡を調整する役割を担う仕組みづくりについても検討されてよい。

【川﨑洋子】

合理的配慮は、本人、保護者、学校、学校設置者及び利害関係のない第三者が入り、公正に策定されるようにすべきではないか。

【北野委員】

A.現行の就学通知制度及び就学指導委員会による指導・決定は取りやめ、本人の自立・発達を一貫して支援する機関を創出し、そこが就学相談にも関わり、そこで作られた本人教育計画(IEP)の原案に基づいて、その決定は親権者と教育委員会の合意に委ねるべき。ただし選択肢の欠如をして自己決定・自己選択と言わせることなく、重度の障害者においても、その地域の普通学級で教育が可能な支援体制を義務づける必要がある。

万が一、親権者の希望に沿わない、必要な支援や合理的配慮が貧弱な本人教育計画(IEP)のレベルの場合は、ただちに不服申し立てが可能なシステム(行政審問制度)と、親権者を支援する権利擁護の仕組みが不可欠。

【清原委員】

たとえば、就学移行期について考えるならば、文部科学省調査研究協力者会議の提言では、就学移行期における「個別の教育支援計画」については、保護者の参画を得て、その意向を尊重し教育委員会が基となる計画を作成し、就学先学校に引き継ぐ」としている。就学後は保護者、学校、教育委員会3者が合意の下で、「合理的配慮」の具体的内容としてこれらの計画を策定するとなっている。

三鷹市では、幼稚園・保育園から小学校への「保育要録・幼児指導要録」「就学支援シート」、さらにすべての小・中学校における「個別の教育支援計画」「個別指導計画」について、保護者の理解と協力を得ながら取り組んでいるところである。

こうしたプロセスが、十分とは言えないまでも、現状における「合理的配慮」の一つのあり方ではある。

【佐藤委員】

「個別の教育支援計画」において、子どもの権利、学校及び行政の義務として明記すべき。なお、個別の教育支援計画全体を、子どもの権利保障のための文書という性格にすべき。

【新谷委員】

自説の繰り返しになりますが、義務教育段階での配慮・支援には過重な負担の抗弁を許す「合理的配慮」という言葉でなく、「配慮・支援」という端的な言葉にすべきと考えます。

「配慮・支援」の決定の仕組みは、保護者(本人を含む)、学校、学校設置者の三者が合意形成しながら策定することになるかと思いますが、相対的に保護者は弱い立場に置かれると思います。合意形成が難しい場合、最終的な「配慮・支援」内容の決定を家庭裁判所関係者など中立性のある機関に求めて、将来に亘る保護者の懸念・気遣いを拭い去るべきと考えます。

【竹下委員】

合理的配慮の内容は、児童生徒の持つ条件や学校の規模などによっても異なることが予測される。

1 国及び自治体は原則的な考え方や基本となる合理的配慮の内容を要綱などによって明文化しておくことが必要である。

2 そのうえで、個別の場面において関係者による協議の場を設けることが必要である。協議は三者による合意が基本であるが、外部からの指導、助言を得ることができるシステムも準備されていなければならない。そして、合意が得られない場合には、本人または保護者の意見を基礎にして、その要求が実現できないことの立証責任は学校の側にあると考えるべきである。

3 合意が形成されない場合に備え、審査機関を設けて、審査委員会による裁決によって合理的配慮の内容を決定すべきである。

【堂本委員】

合理的配慮の具体的内容については、就学相談委員会等において、保護者、学校、学校設置者が中心となって協議し、個別の教育支援計画に盛り込む形でまとめる。必要に応じて支援関係機関の参画を図る。内容によっては財政的に厳しい自治体もあるので、ある程度の基準を設けると共に、国や都道府県からの支援策についても明らかにすべきである。

【中西委員】

障害者の権利条約7条で障害児の意見表明権があり、それを行使するための支援が確保される。子どもの権利条約12条では、子どもの意見表明権、18条で保護者の養育の第一義的義務が書かれている。また、条約では、合理的配慮は、個別性があることとされている。以上のことから、行政・学校との個別協議を行い、最終的決定権は障害者と保護者にあるとする。

障害のない人々の生活状況との比較において不利益や制限・制約を受けないこととしている。例えば、これまでの障害児教育の現場においては、通学、学内介助(医療的ケアを含む)、行事時の支援(遠足・運動会・修学旅行等)等の支援の必要性が確認されている。それ故、障害児・者が障害のない人々と同様に小中学校、高校、大学、専門学校等のあらゆる場面で、教育を受けることができるための支援や環境の整備が必要である。

【長瀬委員】

合理的配慮を決定する過程での協議が重要である。合理的配慮を決める際には、個別性と双方向性(やりとり)を考慮すべきである。

【松井委員】

合理的配慮は、個別に必要とされるものであることから、その具体的な内容の特定には、障害児および保護者の関与が不可欠である。したがって、障害児が必要とする合理的配慮を適切に提供するには、障害児本人および保護者、学校ならびに学校設置者の三者の合意形成のプロセスがきわめて重要である。

こうしたプロセス抜きで提供される合理的配慮は、実質的効果のない、かなり形式的なものになりかねない。

【森委員】

障害のある人および保護者、学校、学校設置者の三者が合意形成を行いながら、教育の現場における合理的配慮について具体的に検討することはきわめて重要であり、その検討は必須であると考えられる。

2.合理的配慮の内容について、障害のある人および保護者が、不服の場合の異議申立手続きについてどう考えるか。

【大谷委員】

権限のある不服申し立て機関の設置が必要である。

条約に精通している第三者で構成する障害児・者教育専門の不服申し立て機関を設置する。構成員は障害者が過半数以上で条約に精通している関係者、学識経験者で構成するものとする。

フランスがインクルーシブ教育制度に転換した2005年法とともに設置したHALDE(高等差別禁止平等対策機関)は差別禁止法に基づき学校等に差別の是正を勧告する権限を持つ。このような機関が参考になると思われる。

【大濱委員】

⇒第三者機関の監視機関。

【尾上委員】

【意見】

合理的配慮についての不服に対して異議申し立てを保障することは、教育を権利とする限り絶対に確保される必要がある。

その異議申し立てについて、それを受けつけるのは、教育を提供する教育行政や学校の側ではあり得ない。そこから独立した、障害者や有識者、法律に精通した人たちなどから構成される明確な委員会によって、異議申し立ての受付、調査、審議等が実施されなければならない。

【勝又委員】

異議申立手続きの目的が、問題の解決でなければ意味がない。異議申立手続きをしたことによって、学校に居づらくなり児童が通学を停止しなければならなかったり、児童本人の意志に反して転居をよぎなくされたりすることは、異議申立じたいが目的になってしまっていると考える。異議申立手続きが認められるのは、かならず「子どもの利益」を最優先にした問題解決手段としてであるべきだろう。

【門川委員】

教育における異議申立手続きについては、障害のある人(障害児)の成長も考慮して、特に速やかに、(たとえば1カ月以内に)結論を得られる仕組みをとるべきである。そのため、1.で述べた審議会や相談機関のようなものに対して異議申し立てを行い、そこでも障害のある人および保護者の納得が得られる結論が出なかった場合には、国(文部科学省)の責任において結論を出し、仮にそこでも障害のある人および保護者の納得が得られる結論が出なかった場合には、速やかに(障害のある人および保護者が大きな負担を被ることなく)司法手続きに移れるようにするべきである。

【川﨑洋子】

異議申し立て手続きは、第三者機関が支援する仕組みが必要と考える。

【北野委員】

A.現行の就学通知制度及び就学指導委員会による指導・決定は取りやめ、本人の自立・発達を一貫して支援する機関を創出し、そこが就学相談にも関わり、そこで作られた本人教育計画(IEP)の原案に基づいて、その決定は親権者と教育委員会の合意に委ねるべき。ただし選択肢の欠如をして自己決定・自己選択と言わせることなく、重度の障害者においても、その地域の普通学級で教育が可能な支援体制を義務づける必要がある。

万が一、親権者の希望に沿わない、必要な支援や合理的配慮が貧弱な本人教育計画(IEP)のレベルの場合は、ただちに不服申し立てが可能なシステム(行政審問制度)と、親権者を支援する権利擁護の仕組みが不可欠。

【佐藤委員】

「個別の教育支援計画」は、不服がないように、基本的に保護者との合意に基づいて作成されるべきであり、不服がある場合は異議申立ができるにすべきである。

なお「合理的配慮」概念は障害者差別であるか否かの判断の道具として作られたものであり、本人、保護者、教師の3者が協力して作成し、実行し、修正してゆくべき個別の教育支援計画の内容の適切さを評価する概念ではない。

したがって異議申し立てを受け止める機関が同一でよいのかどうか、十分な検討を必要とする。

【新谷委員】

「配慮・支援」の内容は、極力1項のプロセスで処理すべきと考えますが、異議申し立て手続きとしては、人権機関への申し立て→司法的解決という人権差別全体の救済の仕組みにのせることになると思います。

【竹下委員】

三者による協議が調わなかった場合には、本人または保護者の要求を妥当なものであるか否かを判断する審査機関を設けるべきである。その審査機関の決定に対しさらに不服がある者は、行政不服審査法等による司法的判断を受けることにすべきである。

【堂本委員】

(結論)異議申し立てについては、各自治体で第三者機関を設置すべきである。

(意見)合理的配慮の内容をめぐっては、障害のある人および保護者からの不服だけではなく、学校や教育委員会が側からも過重な負担であるとの主張が出される可能性もある。その調整方法の一つとして、不服申し立て手続きの整備を検討すべきであると考える。なお、千葉県の障害者条例では、相談員等が第三者的な立場で当事者の間に入って課題の解決を図る仕組みが定められている。

【中西委員】

現行の行政不服申し立ての手続きや裁判などの司法手続きの活用も必要だと考えるが、合わせて、福祉オンブズマンなどのような第三者機関での協議や判断による異議申し立てができるようにする。第三者機関の委員には、条約の内容に精通した障害当事者や司法関係者も入ることが必要である。なお、第三者機関の役割を果たすことができるために、改善命令等の権限の付与も必要である。学校教育の異議申し立ては慎重に行われる必要があるが、迅速さも必要である。

特別支援教育の推進に関する調査研究協力者会議の審議の中間まとめでは、「各国における就学の仕組み」が整理されている。資料によると、アメリカ、フランス、イギリス、ノルウェー、ハンガリー、クロアチアでは、異議申し立てができるようになっていることから、日本においても当然この仕組みは必要である。

【長瀬委員】

異議申し立て対応する仕組みが必要であり、そこでは障害当事者、教育専門家を含む外部からの関与が必要となる。

【松井委員】

障害児本人および保護者、学校ならびに学校設置者の三者の協議により提供される合理的配慮の内容に、不服がある場合には、異議申し立て手続きができるよう、市町村に第三者機関が設置される必要がある。

【森委員】

一人ひとりのニーズに応じた教育は、「学業面の発達」、「生活技能の発達」、「社会性の発達」をもとに、地域社会に完全に参加し、誰もが充実した生活を行うためには重要な役割を担っており、そのためには、合理的配慮の達成が必須である。合理的配慮の内容について、障害のある人および保護者が、不服の場合の異議申立手続きを明確にする必要がある。

聴覚、視覚に障害がある場合の教育

1.手話言語学習権の保障と教育のあり方についてどう考えるか。

【大谷委員】

ろう児にとって最も適した自然な言語は手話であり、言語保障、言語アイデンティティ確保、基礎学力を含めたトータルな成長の観点から、手話言語の学習環境の確保は必要である。とりわけ、聞える親の許で育つろう児にとっては、幼少期から手話言語の獲得、同じ言語集団とのコミュニケーション維持は不可欠と考える。

すべてのろう児・盲ろう児に最適な学習環境は一つではない。ろう学校や普通学校における「聞えの教室」、普通学級等、一人ひとりの成長段階、言語獲得状況によっても学ぶ場は様々であっていい。そのため、とりわけ言語獲得期の幼児教育、初等教育段階では、ろう児のアイデンティティ確保のためにもろう学校の存在は必要と考える。しかし、ソーシャルインクルージョンの原則に立って、また今日のコミュニケーションツールの発達、多様化に鑑み、当事者、親の希望によるろう学校と普通学校の学籍の移動を容易にすべきである。

なお、2005年2月、日弁連は、ろう学校と手話教育に関する調査・研究を行い、意見書を公表し、以下の提言を行った。これも参考にして頂きたい。

① 国は、手話が言語であることを認め、言語取得やコミュニケーションのバリアを取り除くために以下の施策を講じ、聴覚障がい者が自ら選択する言語を用いて表現する権利を保障すべきである。

(a) 手話を教育の中で正当に位置づけ、教育現場における手話の使用に積極的に取り組み、手話による教育を受けることを選択する自由を認める。

(b) 教科書の手話ビデオ化を妨げている著作権法の規定を改正し、教科書の手話ビデオの充実など手話による効果的な教育方法についての助成や、手話で教育ができる教員の養成に取り組む。

(c) 子どもの聴覚障がいが判明した場合、家族にも手話を学んでもらうことが大切であり、そのため保護者に対し手話を学習する必要性について説明し、家族に対し手話教育の機会を無料で与えるなど、子どもが家庭や地域で手話を使用できる環境を保障する。

② 教育委員会は、ろう学校に手話のできる教員を積極的に採用するなどして、手話による教育が可能となるような環境を整備するとともに、普通校においても、手話を学ぶ機会を積極的に提供するよう配慮すべきである。

③ ろう学校は、幼稚部、小学部から手話を積極的に活用して子どもの言語能力の取得、向上を図るべきである。

ろう者にとって手話が言語であり、アイデンティティの問題であるということは、可能な限り早い段階での手話によるコミュニケーションが保障されていなければならないということであり、聴覚障がいのある子どもにとっては人格形成上の不可欠の権利として最大限に保障されなければならない。

【大濱委員】

4条3項、4項

⇒手話を言語とする障害者については、手話を言語として教育を行う学校と普通学校の選択を可能にするのが良い

【尾上委員】

【意見】

権利条約第2条に規定されている通り手話は一つの言語である。手話をを言語として獲得することを、教育のうえで保障していくことは、障害者の権利条約24条においても規定されているところである。手話が言語であることの法的規定は不可欠である。

その点で、言語として手話を共有化できるろう者による集団教育の必要性は認められるべきである。自己のアイデンティティーを手話という言語によって形成するための時期も、とりわけ幼児期の教育においては必要となる。

一方で、生涯での社会の中での生活を考えた際に、手話を言語としない人たちとの関係も避けられない。いわば、手話以外の言語とその使用者との関係を人生の中でとらなければならないとすれば、そのための教育保障も求められる。

学校教育でいえば、ろう学校は先にも触れた教育上の資源として位置づけられる。一方で、ろう学校ではない地域の学校でもろう者が学べる制度的保障も必要となる。

いずれにしても、柔軟な学びの場の変更が認められる学校教育の制度が求められる。

【勝又委員】

多言語教育のニーズと同等に手話言語も保障されるべきと考える。

【門川委員】

手話言語学習権は当然に保障されるべきであり、それは、手話言語を学習する権利と、手話言語によって学習する権利の両方を含む必要がある。その際、日本手話と日本語対応手話のいずれを主眼とするかについては、様々な意見があるが、先天性のろう児など、音声日本語を習得することが困難な場合には日本手話を、中途失聴の場合には日本語対応手話を、といったように、個々人の習得しやすさに応じた適切な手話教育がなされるべきである。また、言語の習得そのものを困難にしてしまい、本人にとって十分な教育が受けられない結果とならないよう、仮に口話法を用いる場合には軽度難聴児等に対する補助的な技術として教育するなど、いずれにしても一人ひとりの児童の状態にあわせたきめ細かい教育がなされる必要がある。なお、いずれの場合でも、日本語の読み書きの学習が軽視されないように留意する必要がある。

なお、障害者の権利条約の2条に定められているとおり、言語には、音声言語及び手話その他の形態の非音声言語が含まれ、手話以外の形態の非音声言語についても手話言語と同様にとりあつかわれるべきである。

個人的資格のある者が学校に配置されればそれで十分とすることなく、学校全体の機能として、手話その他の形態の非音声言語に対応できる教員の配置が必要である。そして、それらの経験を蓄積させ、継続・発展させられる体制が必要である。

【北野委員】

A.権利条約第2条に明記されているように手話は言語であり、その学習権は明確な権利として保障されるべき

【清原委員】

多様なコミュニケーション能力を醸成し、学習する機会の保障は重要である。手話言語学習権の保障は必要であり、同時に聴覚口話法の学習権の保障も必要である。

【佐藤委員】

保障すべきである。

日本手話を母語とし、その習得の上で日本語手話や日本語を第2言語として習得するような学習権が保障されるべきである。

【新谷委員】

手話言語学習権は、保障されるべきと考えます。

【竹下委員】

聴覚障害のある者に対する教育は、言語学習の点において十分な配慮が必要であるが、特別支援学校(聾学校)に限定することには問題がある。あくまでも、地域における普通学校においても手話や言語学習ができる条件を整えるべきである。聴覚障害を有する児童生徒間による集団的教育が必要であるとしても、地域における普通学校における教育にプラスする教育として位置づけるべきである。

【堂本委員】

コミュニケーションの成立は教育活動にとって最も重要な事項である。個々が獲得している、または獲得しつつあるコミュニケ―ション手段は大切にすべきで、手話言語学習権の保障ははからなければならない。

【中西委員】

手話は言語であり文化を形成している。日本には日本語と日本手話が存在することが公的に認められるなら、手話言語学習権は障害児の学習権ではなく、国民の当然の権利として認められるはずである。ろう児にとって最も適した自然な言語は手話であり、言語保障、言語アイデンティティ確保のために、手話言語の学習環境の確保は必要である。

ただし、ソーシャルインクルージョンの視点から、障害者の希望によってろう学校から普通学校への異動ができるようにするべきである。

【長瀬委員】

障害者の権利条約に則って、手話を独自の言語であると認め、手話による教育を選択できる権利を保障するべきである。口話主義の歴史を反省し、ろう者が主体となって、手話とろう文化をはじめとする、自らのアイデンティティを承認され、支持されること(第30条)にも貢献するろう教育が求められている。こうした点で、2008年4月に開校した私立の聾学校である「明晴学園」(東京都品川区)は、手話による教育を実践し、障害者の権利条約が求めているろう教育のモデルとして参考になる。

【松井委員】

2005年に日本弁護士連合会から出された「手話教育の充実を求める意見書」にもあるように、手話による教育を選択する権利が保障されてしかるべきであろう。

2008年に開講した学校法人明晴学園では、日本手話で全授業を行うとともに、手話と書記日本語のバイリンガルろう教育が実施されているが、こうした教育が特別支援学校(ろう学校)で実施可能なような条件整備がされてよい。

【森委員】

手話言語学習権の保障は、充実した教育を実践する場合に必須のことである。加えて、社会生活を営むためのコミュニケーション手段の保障という点からも重要である。

2.手話又は点字についての適格性を有する教員の確保についてどう考えるか。

【大谷委員】

必要である。とりわけ当事者の適格性を有する教員養成、当事者による適格性を有する教員養成を公的援助の下に行うことが必要と考える。盲学校、ろう学校はそのためのセンター機能を果たせるようにしていくべきである。

手話や点字等の技能を持つ教職員を普通学校に配置することはもちろんであるが、障害のある教職員の採用を増やすことで教職員集団のインクルージョンを推進する必要がある。子どもは大人の背中を見て育つ。教職員集団がインクルーシブであることが教員の成長を促す。

【大濱委員】

⇒必要。具体的な実施方法については、点字または手話を使う当事者・当事者団体の意見を広く聞くべき。

【尾上委員】

【意見】

手話、点字等を教育現場で教えられる教員の確保は絶対に必要である。

とりわけ、日本手話や点字等、それをコミュニケーション手段としている障害当事者の確保が望まれる。

【勝又委員】

今後教員養成課程においては、手話や点字などの適格性をもった新卒者を増やすための方法を具体的に示すべき。しかし、すでに教員になっている者の再教育には費用と効果を十分に検討してから取り組むべき。

【門川委員】

聴覚に障害がある生徒への教育には、上記の通り一人ひとりの状況を勘案しながら手話を用いることが有効であり、普通学校で学ぶ場合においても手話による教育が可能な環境を整える(支援技術を用いた遠隔通訳も場合によっては可能なことがある)必要がある。また、とりわけ、聴覚障害児を対象とした特別支援学校において、教員が手話をできないということは、児童との円滑なコミュニケーションそのものを困難とするため、手話を身につけていることのみならず、手話言語を教育すること及び手話言語によって教育することの両方が求められる。そうした技術はろう者がより身につけやすい可能性があるが、ろう者に限定する必要もない。いずれにしても、そのための人材育成をきちんと行う必要がある。

一方、視覚に障害がある生徒への教育についても、点字を用いることができるということが生徒にとって大きなメリットをもたらすことに鑑みて、可能な限り点字を学ぶ機会を設けるべきである。また、同時に、生徒の状況を勘案しながら適切なIT機器(PC、点字ディスプレイ、拡大読書器、読み上げソフトなど)を活用することにより、効果的な学習を促進する必要がある。そのうえで、視覚に障害がある生徒を対象に教育を行う教員は当然点字についての十分な知識を有することが必要であり、点字を触って読み取る技術についても教えることができる能力を有することが望ましい。

なお、これらは資格のある教員が若干名学校に配置されればよいということではなく、学校全体の機能として、手話その他の形態の非音声言語や、点字に対応できる体制を整備すべきである。

【北野委員】

A.適格な教員の養成・確保が不可欠

【清原委員】

教育的ニーズがある場合には、教員養成及び手話又は点字についての適格性を有する教員の確保について検討する必要がある。

【佐藤委員】

教員養成のあり方とも関わる。視覚・聴覚障害の専門領域に関する教員養成機関の教育課程や卒業生の点字・手話能力、現職教員の点字・手話に関する研修などの実態把握が必要。

特別支援学校教員免許所有者は、特別支援学校で約7割、特別支援学級で約3割であり、全体としての底上げが急務。

【新谷委員】

手話言語学習権の反射として、手話学習に必要な教員は確保されるべきと考えます。

【竹下委員】

盲学校(特別支援学校)において点字を知らない教員が増加している。また、視覚障害による認知能力の点や発達における特異性を十分に理解した教員が配置される環境にはなっていない。そうした現実は特別支援学校の設置そのものとも矛盾するものであって、由々しき現状である。現行法は、特別支援教育にあたる教員について免許制度を設けているものの、それによる専門性を考慮した処遇は準備されていない。特別支援学校が設置される場合においては、当然にそこでの教育を担当する者は、手話であれ点字であれ、さらには聴覚や視覚の障害による発達心理の面で特別の配慮が必要であることについての学習を経た専門性を備えた教員が配置されていなければならない。そして、そうした特別支援学校がセンター的機能を担い、専門的知識と経験を有する教員が各地の普通学校でのインクルーシブ教育を可能にするための支援活動が行える条件を整えるべきである。

【堂本委員】

聴覚障害特別支援学校や視覚障害特別支援学校において、手話や点字ができる教員の数は少なく、適格性を有する教員の確保は大きな課題となっている。該当児童生徒を受け持つ教員に対する現職研修の場の保障をすべきである。自校で研修のできる体制づくりが望まれる。

【中西委員】

必要である。

盲学校、ろう学校は、特別教育技術を提供できるセンター的機能をもち、障害児個々人のニーズに応じて支援できるようにすべきである。支援に必要な人材の確保のためには、学生の教職課程で手話、点字を必須とする。あるいは、手話通訳者や点訳者を教員として、教育機関に配置する。

【長瀬委員】

従来の盲学校は特に理療科で視覚障害があり、点字ができる教員の採用に実績がある。現在の特別支援学校への移行の過程で、視覚障害者であり、点字ができる教員の採用が減らないようにする必要がある。また、視覚障害児が地域の学校に通う際にも、点字についての適格性を有する視覚障害のある教員による指導をはじめ、点字が学べ、識字能力が身につけられる環境整備が欠かせない。

対照的に聾学校は口話主義のため、ろう者である教員の採用に消極的だった経緯があり、本条約に基づいて、手話ができる、ろう者教員を積極的に採用すべきである。

【松井委員】

日本手話や手話と書記日本語のバイリンガルろう教育や、点字を用いての教育をすすめるには、手話や点字ついての適格性を有する教員の確保が不可欠である。そのためにもそうした教員の養成が求められる。

【森委員】

充実した教育を円滑に行うためにも、手話又は点字についての適格性を有する教員の確保が必要である。そのとき、ピアの立場を有する、すなわち、障害のある教員の配置が重要である。

3.教育におけるあらゆる形態様式のコミュニケーション保障についてどう考えるか。

【大谷委員】

手話、点字、指点字、触手話に限らず、今日のIT技術の進歩によって可能となった双方向性のコミュニケーションツールにより、公的に教育における情報・コミュニケーション保障を図るべきと考える。

【大濱委員】

⇒必要。具体的な実施方法については、気管切開などで声の出ない障害者・言語障害・視覚聴覚の、当事者・当事者団体の意見を広く聞くべき。

【尾上委員】

【意見】

手話、点字、触手話、指点字、拡大文字、筆記(ノートテイク)、電子器機等によるあらゆる形態様式のコミュニケーション手段は、あらゆる教育場面で、かつ、その者の希望・選択に基づいて保障されるべきであり、一人でも多くの人がその手段によるコミュニケーションの主体的な担い手となっていく必要がある。

【勝又委員】

コミュニケーションをとることの重要性は人間社会にとってますます強く意識されてきている。現在十分にコミュニケーションがとれていない場合にはそれを改善していくことが不可欠である。

【門川委員】

教育においては、あらゆる形態様式のコミュニケーション保障がなされるべきであり、コミュニケーション保障がなされてはじめて教育が保障されると解するべきである。視覚障害への点字、聴覚障害への手話はもちろんのことであるが、一人ひとりの障害をもつ児童に合わせて適切なコミュニケーション手段が用いられるべきである。その際、弱視、難聴、知的障害、書字障害、読み書き障害、発達障害といった障害を有する児童に対する、より柔軟な対応(各種機器や絵文字等の活用)を行うこともコミュニケーション保障の一環として実現していくべきである。

【川﨑洋子】

支援者、介護者、通訳党の人材の育成を十分に行うべきである。

【北野委員】

A.コミュニケーションは、教育の前提であり、目的でもある。そのために必要なコミュニケーション手段は手話・展示・触手話・指点字・ノートテイク・拡大文字・要約筆記等あらゆる形態・種類のものが、可能な限り保障されるべきである。

【清原委員】

できるかぎり保障するしくみが検討されるべきである。

【佐藤委員】

(1)教員だけでなく、合理的配慮の一環としての各種通訳者の配置について考えるべき。

(2)インクルーシブ教育に点字教科書を小・中学校で学ぶ視覚障害児に検定教科書と全く同じ内容の点字教科書を提供すべきである。現状は、一般生徒には検定教科書を無償で提供しているが、点字教科書はボランティア任せとなっている。

教科書会社が普通文字の教科書を発行する際に、点字教科書、拡大文字教科書、マルチデイジー教科書を一緒に発行することを義務付け、その費用を含めて公的予算で買い上げることを検討するべきではないか。

盲学校の点字教科書は、文科省が選んだ1冊を盲児童・生徒が理解しやすいように編集し直したものを点字化し、全国の盲学校で使用している。しかし、これは検定教科書の1冊だけなので、インクルーシブ教育で使われているような、多くの教科書会社のものではない。理想的に言えば、10数社で発行されている教科書がすべて点字化されていることが必要。

(NPO法人全国視覚障害児童・生徒用教科書点訳連絡会 田中徹二理事長の意見を参考にさせていただきました)

【新谷委員】

教育場面でのコミュニケーション保障について、高等教育段階では、文字通りコミュニケーション保障の問題として考えることができますが、言語形成期の子ども(小学校4-5年まで?)にとっては、言語形成問題として考える必要があります。この課題は、専門性をもって取り組む必要があり、教員、教育専門家、医療関係者、言語聴覚士などの関与が必要です。現在、特別支援教育支援員の拡充が進められていますが、聴覚障害の場合、ノートテークサポートにとどまっているような話を聞きます。

新生児のうち両側の耳の障害を持って生まれる1,000人に1人から2人、片側の耳に障害を持って生まれる子供を含めますと、1,000人に5人が聴覚に障害を持って生まれるといわれています。学齢期の子どもの数は約1,200万人ですので、新生児段階で聞こえの問題が見つかる子どもだけでも60,000人、後天的に聞こえが悪くなった子どもを加えると数十万人の聞こえに困っている子供がいると想定されます。しかし、文部科学省の平成20年度の調査では、聞こえに困っている子供は、特別支援学校に4,842人、特別支援学級に1,229人、通級による指導に1,915人在籍と報告されています。(いずれも小中学校)

また、現在の学校教育施行令の就学基準は、聴覚障害の場合60デシベル程度と規定していますので、数十万と想定される難聴の子どものうち、軽・中度の難聴の子どもはほとんどが普通学校に進学していると考えられます。しかし、その子どもへの教育はクローズアップされていません。コミュニケーション保障を超えた、普通学校での聞こえにくい子どもへの対応、特にその子達の言語形成の問題は非常に大きな課題です。

参考資料 明石書店発行「きこえの障害ってなあに?」解説文抜粋

障害をもった子どもたちの教育の問題をメインストリーム化するために、統合教育・インクルーシブな教育は必須の要件です。又、多様な教育プログラムの整備とその選択は障害を持った子どもの自立に欠かせません。しかしそれとは別に、聞えない子供の教育については、コミュニケーション保障にとどまらない、「言語」に関する困難な問題が横たわっています。どのような言語をどのように習得させるか、音声言語、書記言語、手話を巡る多くの考えるべき課題があります。

幼児期の主に母親との交流、そして小学校1~3年ぐらいまでの学校学習や仲間との交流を通じて聞えない子どもの言語がどのように形成されていくか?聞えない子どもたちは、周りが音声言語(日本語)を使用しているとすれば、聞え難い音声日本語を通じで言語形成していくことになります。完全に聞えてはいない音声言語でどのように言語力が形成されていくのか、又そのような不完全な言語力でどのように学科学習を進めていくのかが問題になります。一方、手話で言語形成した子どもたちは、手話での言語力の向上にあわせ、音声・書記日本語の取得、個別学科の学習が同様に問題となってきます。

ご存知のようにアメリカには「障害のある人たちの教育法」があって、障害を持った一人ひとりの子どものために「個別教育プログラム」を作ることが義務付けられています。就学前の事前面接、面接、計画作成・実施、評価・見直し、年間評価がサイクルするようになっており、計画に専門家、医療関係者、教師、保護者、さらには本人が関与するシステムになっています。教科によって担任が代わり、聞える子どもと一緒に勉強する学科、聞えない子どもだけを集めた学科、言語療法の時間、オージオロジストによる聴力検査など、聞えない子どもに対する多様なプログラムがあります。各教科の背後には、子どもに対する個別の「教育プログラム」があり、それによってこのような多様な学習プログラムが編成されています。

これに対して、これまでの日本の聞えない子どもに対する教育はどうだったでしょうか?又それが特別支援教育の開始でどう変わっていくのでしょうか?

就学前の取り組みについて言えば、新生児スクリーニングが拡がり、小さな時に聞えの問題が発見される子どもが増えていますが、その子どもたちの言葉の問題、教育の問題を相談するところは、日本では地域での心身障害センターなどの施設かろう学校ぐらいしかありません。ろう学校では3歳未満の乳幼児やその保護者に対する教育相談も実施されていますが、就学前の聞えない子ども一人ひとりに対する、又家族に対するサポートは十分とはいえません。アメリカの「個別教育プログラム」が、就学前の事前面接から聞えない子どもに対する個別教育を始めているのと大きく異なっています。

日本の聞えない子どもたちに対する学齢期の教育は、前に述べたとおりろう学校と難聴学級の二本立てで進められてきました。難聴学級の仕組みはさらに複雑で、固定制の難聴学級と通級制の難聴学級に分かれています。これに加えて、ろう学校にも難聴学級にも通わず、普通学校で勉強を進めている多数の聞えない、聞え難い子どもたちがいると思われます。

学校での言語指導は、日本ではろう学校でも難聴学級でも音声日本語の習得(聴覚口話法)が中心でした。就学してきた子どもがそれまでに形成してきた言語による、また子どもの聞えのレベルに配慮した言語指導が行われているとは言えない現状にあります。

従来の言語教育は、今回の特別支援教育でどのように変わるのでしょうか?特別支援学校(ろう学校)の幼稚部では、「補聴器等を活用して子ども同士のコミュニケーション活動を活発にし、話し言葉の習得を促すなどして言語力の向上を図るとともに、幼稚園と同様に、子どもの全人的な育成に努めています。」とされており、小・中学部では、「小・中学校に準じた教科指導等を行い、基礎学力の定着を図るとともに、書き言葉の習得や抽象的な言葉の理解に努めたり、さらに、発達段階等に応じて指文字や手話等を活用したり、自己の障害理解を促したりするなど自立活動の指導にも力を注いでいます。」と文部科学省のホームページで紹介されています。また、特別支援学級(難聴学級)は「音や言葉の聞き取りや聞き分けなど、聴覚を活用することに重点を置いた指導を受けたり、抽象的な言葉の理解や教科に関する学習を行います。必要に応じて、通常の学級でも学習し、子どもの可能性の伸長に努めています。」と紹介されています。

聞えない子どもの聞えの程度は様々です。また、育ってきた環境、現在の教育環境で形成されてきた言語力が異なります。聞えの障害は、先ずは言語力の形成についての障害です。子どもの言語力はその子どもの将来に決定的な影響を与えます。しかしながら、上述の文部科学省の特別支援教育の説明では、言語に関する考え方が明確でなく、具体的に一人ひとりの子どもにどのように対応していくのか説明がありません。手話を母語として言語形成した子どもにとっては、手話の言語力向上が言語力の向上であり、それを前提に書記日本語の学習、個別教科の学習があると思います。一方、聞こえにくい状態のまま音声日本語で言語形成してきた子どもたちは、言語形成が曖昧になっている可能性が大きいと思います。補聴器使用による聴能訓練で、又口話の訓練で聞えに問題のある子どもたちの言語力がどのように形成・向上していくか個別に観察をし、個別に対応することが非常に大切と思います。

1999年に発表された「盲学校、聾学校および養護学校学習指導要領」の中では、「自立活動の指導に当たっては,個々の児童又は生徒の障害の状態や発達段階等の的確な把握に基づき,指導の目標及び指導内容を明確にし,個別の指導計画を作成するものとする。」と、日本の教育制度でも個別の指導計画を作成するようになっています。しかし、この指導要領が発表された後でも、一人ひとりの子どもに合わせた個別指導や、個別指導計画についての保護者、本人を交えた話し合いの要望が続いています。又、ろう学校や難聴学級の先生の専門性についても多くの疑問が出ています。これから進められる特別支援教育が、今までの教育の仕組みの表面的な変更ではなく、「一人一人の障害の種類・程度等に応じ、特別な配慮の下に」に実施されるならこのような声も少なくなるはずです。言葉の組立を繰り返し教えることは大変かもしれません。普通の教科に手話通訳やノートテークを用意することは大変かもしれません。しかし、子どもたちは聞えていない、又曖昧にしか聞えていないのです。彼らは私たち社会の成員です。聞える子どもたちと同じように勉強をすることが出来る、彼らの学習の前提となる能力、環境を整えるのは、教師、家族を含む私たち社会の責任と考えます。

【竹下委員】

教育の場面においても、障害の種類や特性に応じたコミュニケーション手段が保障されなければならないことは当然のことである。その際、補助者による支援、教員によるコミュニケーション手段の獲得、他の児童生徒とのコミュニケーションを図るための条件作りが検討されるべきである。それが手話であれ、点字であれ、拡大教科書であれ、リライトであれ、当然に実現可能な教材とコミュニケーション手段が準備されるべきである。

なお、学習環境においてコミュニケーションや教材を準備する場合、1つの教材のみで完結すると考えるべきではなく、複合的な教材の提供や複合媒体で更生された(マルチモーダル)教材が検討されることは、障害の種類や有無に関係なく有用であることを喚起すべである。

【堂本委員】

児童生徒のコミュニケーション手段は多様である。手話・点字以外にもサイン言語やコミュニケーションボードなど多様なコミュニケーション手段があり、その保障は特別支援学校や特別支援学級の専門性として強く求められるものである。言語聴覚士等の専門家を常勤の形で配置できる制度が求められる。

【中西委員】

障害は多様であり、そのため多様なコミュニケーションの手段が保障されなければならない。それは教師と特別なコミュニケーションニーズを持つ子供との間のみでなく、子ども同士の間でのコミュニケーションも考慮されねばならない。今までの実践例をみると、教員よりも先に子どもたち同士のほうが独特のコミュニケーション手段(トイレを示すサインなど)を見つけ出していることが多い。教師だけがコミュニケーションをとるのではなく子どもたちと一緒にコミュニケーションを図っていくという姿勢があらゆる形態様式のコミュニケーション保障につながると考える。

【長瀬委員】

発達障害や知的障害のある子どもには、多様なコミュニケーション方法による教育が効果的であり、重要である。

【松井委員】

普通学校の普通学級で就学する障害児が大きな割合を占めることからも、特別支援学校や特別支援学級だけでなく、普通学校の普通学級においても教育のおけるあらゆる形態様式のコミュニケーション保障が考慮される必要がある。

そうすることで、障害のない生徒や学生にあらゆる形態様式のコミュニケーション保障の必要性や重要性を理解させることが可能となり、そのことがひいてはインクルーシブな社会に実現に資するに違いない。

【森委員】

聴覚障害者、視覚障害においてもそのコミュニケーションに関するニーズが多様であることを考えると、あらゆる形態様式のコミュニケーション保障を行うべきである。

特別支援教育

特別支援教育の評価と今後のあり方についてどう考えるか。

【大久保委員】

先ず、特別支援教育の現状からすれば、障害のある児童が、一人ひとりのニーズに応じた教育を受けられているか不安なところである。さらに、本来の発達を保障する教育ではなく、不十分な教育環境のなかで二次障害に繋がりかねない状況もあるのではと危惧される。

この現状の改善に務めつつ、すべての障害のある児童が、他の児童と同様に地域で暮らし、学び、育っていくことができるようなロードマップが策定されることを望みたい。

以下、当面の主な課題として次のようなものが考えられる。

  • 個別の教育支援計画と個別の指導計画の普及とその質の向上
  • 特別支援教育コーディネーターの役割、機能の強化
  • 特別支援教育を担う教員の質の向上と確保(配置増)
  • 特別なニーズ(強い行動障害や医療的ケア等)に対応できる体制整備
  • 特別支援学校の教室不足の当面の解消策
  • 空き教室を活用した特別支援学校分校の設置推進
  • 居住する学校における副籍制度等の導入
  • 地域の小中学校の受け入れ態勢の整備

今後の方向性について、現在は、特別支援学校、特別支援学級を中心に展開されているが、特別支援学校の分校や交流及び共同学習というような対応にとどまらず、特別支援学校から特別支援学級への施策転換や通級指導教室の推進、「特別支援教室」の制度化などの方向性を明確に施策として示す必要がある。同時に、当然、そのための体制整備が必須であることは言うまでもない。

【大谷委員】

原則分離別学制度の中で個別のニーズを保障する特別支援教育は分離別学を増幅し、インクルーシブ教育に逆行しているため、抜本的に見直されなければならない。

特別支援教育がはじまり、特別支援学級・特別支援学校在籍児童生徒が急増し、特別支援学級、特別支援学校が増設されている。これは、特別支援教育がインクルーシブを前提とせずに原則分離別学のままに個人のニーズに着目しているため、普通学級に適応できないとみなされた子どもは特別支援教育の対象とされるからである。しかも特別支援には必ずしも本人・当事者の同意が必要とされていないのであり、結果、特別なニーズを保障するという理由による普通学級から子どもが排除されるという事態をうんでいる。

インクルーシブ教育は子どもたちの多様なニーズを包み込むことができる普通学級を、学校と子どもたちが創造することにより共生社会を担う次世代を育成するものである(1994ユネスコOECD サラマンカ宣言より)。多様な子どもたちを普通学級から排除する結果となっている特別支援教育はインクルーシブ教育に相反するものであり、原則統合に学校システムを転換した上での個別支援として抜本的・全面的に見直す必要がある。

障害のある子どもが普通学級で合理的配慮と必要な支援を受けることができるよう以下の内容を含む抜本的な制度改革が不可欠である。

まずは就学の仕組みを、学籍を一元化して全ての子どもが地域の学校に通えるものに変更する。そのうえで普通学級において合理的配慮と必要な支援を受けることができるような予算と人員配置体制を構築する。個別支援計画、特別支援コーディネーター、校内委員会等の現行の地域の学校における障害児への支援体制は、インクルーシブ教育推進を目的として活用する。また、個別の支援として特別支援学校を利用する子どもが柔軟に地域の学校に通えるような体制を整える。

(発達障害児に対する支援)

発達障害児は従来「障害」とは意識されず、よって何らの支援もされてこなかったのであるが、保護者らの強い要望によって2004年、発達障害児に対する生涯にわたる支援を規定する発達障害者支援法が制定された。それ自体は支援の実現として画期的なことであり、これを今後も発達障害に対する理解を含め、それぞれに必要な支援を当事者間で協議し、実現されていかなければならない。

ただし、支援を発達障害者に特化しているため、法の対象者である「発達障害者探し」を誘因し、これによるいわゆるレッテル貼りの差別偏見も助長したことも否めない。

そもそも発達障害の定義も曖昧であり、LD、ADHDは自閉症障害に比べ医学的にも幅があり、医師の診断によってもばらつきが出るなど、診断の定義もゆるやかである。にもかかわらず、文科省調査(2002年度)によって通常の学級の約6%の程度の割合で発達障害児が存在する可能性が示され、これに基づき、全国でLD、ADHD、高機能自閉症児の存否を各クラス担任にチェックリストに答えさせる方式の実態調査が行われた。これによって、いわれなきレッテル貼りによる差別や偏見を助長するおそれが存したことから、2006年3月第二東京弁護士会は、この実態調査に対し、人権、プライバシー権などを侵害しないよう勧告を出している。

更に支援のあり方も、従来は普通学級で学習していた子どもに対し、通級もしくは特別支援学級における支援という形で支援するようになり、結局は分離教育を強めているとの報告もある。これが本人もしくは保護者の希望に基づくものであればいいが、あいまいな概念によるレッテル貼りをし、これに意に反した「支援」を押しつけるようなことがあってはならない。

発達障害児への支援もあくまで統合された環境の中で支援されるべきであり、発達障害を理由に分離することは本末転倒である。

加えて、統合された環境の中での支援においては、個別の合理的配慮がなされる仕組みが不可欠である。他の児童・生徒や保護者はもとより、教職員や教育委員会関係者にも発達障害に対する理解がまだまだ不十分であることから、十分な配慮が保障される仕組みがないと、学習権の保障とはならないばかりか、教師による放置や暴力などの虐待やいじめの原因となりかねない。実際、保護者が統合教育に不安を抱く大きな要因はそこにある。

したがって、統合された環境の中での特別支援教育の拡充が必要である。具体的には、きめ細やかな個別支援プログラムの作成ができるだけの教職員の配置や発達障害に対する十分な知識のある者の増員などの体制整備、並びに現教職員に対する研修の義務づけが必要である。また、そのほかに特別支援教育を実のあるものとするためには、外部専門家による巡回指導や特別支援教育支援員・学習支援員などといった、NPO法人等の活用やボランティア等の利用など、民間団体による当事者や保護者の支援の促進を容易にする法整備も必要である。

(医療的ケアを有する子の支援)

医療的ケアを含めた支援がなされないために、ほとんどの場合、親が学校に付き添わざるを得ない実態がある。人工呼吸器をつけた子どもは、特別支援学校であってもスクールバスへの乗車を拒否されたり、訪問教育を余儀なくされることも多く、親の付き添いが常に求められている。看護師の配置によって対応しているところもあるが、必ずしも十分ではない。医療的ケアが必要な子どもが教育から排除されることがないよう、看護師が配置されていない場合も、看護師が巡回するなどして、教職員、介助員がケアできるようなど柔軟に対処するべきである。

また、訪問教育、院内学級は現在、特別支援学校籍になっているが、学籍一元化し、普通学校籍とするべきである。

【大濱委員】

特別支援教育は原則廃止していくべきだが、そのメリットは、普通学校での教育に切り替わっても、持ち続けられるようにすべきである。

特に最重度の全身性障害や難病などの介護体制や医療体制などが手薄にならないようにすべきである。

また、特に24時間介護の必要な最重度の全身性障害児への小学校からの教育が、従来は、「将来、この子は施設か親元で他人の保護の中で暮らす」と教育者や親に思われてしまい、「将来は自立生活をして、人の上に立って責任の主体となる大人になる」ことを想定しない教育が行われてきた例が多い。

これは、普通学校で教育を受ける際に、たとえば、クラス委員や班長やクラブの部長を当然行うような教育(そのための指示に基づいてのみ手足の代わりになって動くヘルパーなど人的支援を含む)の体制が必要である。

また、現在は養護学校卒業生の多くが入所施設に入っている。普通学校で地域の仲間と暮らすことで、同じ年齢の学友と共に、大学進学や就職などを原則として、アパートを借りて1人暮らしをする事を前提とした支援をすべきである。

【尾上委員】

文部科学省の進めている特別支援教育は、これまで特殊教育として実施されてきた原則分離の障害児教育を根本的に改めたわけではなく、その枠を新たに拡大したものでしかない。

よって、それが障害者の権利条約にいうインクルーシブ教育と同じ方向を向いているなどということはできない。先にも指摘したように、学校教育法施行令22条の3や5条等、障害者であることによって、特別な場所で個別のニーズに応じるということで、教育上の権利を度外視して区別と制限を受けてきたことに変わりはない。

この障害を前提とした就学先の別枠制度は、教育における障害者の社会へのインクルーシブ化を妨げ、日本におけるインクルーシブ社会づくりを遅らせていると言うことができる。「他の者との平等を基礎にして」、障害のある子どもには市町村教員委員会から就学通知されるべきなのに、何故それが実現しないのか、障害の程度が問題にされるのか。どうして、特別な理由がなければ地域の学校に就学することを認められないのか。いつまで、就学先の決定に対して地元の教育委員会と争わなければならないのか。いつになったら、地域の学校に障害児が就学することが当たり前になるのか。サラマンカ宣言にいうように、本当の意味で、差別と闘う社会づくりが果たされるのか。

障害を理由とする「異別取扱い」を是認している日本の障害児教育の体制は、障害者の権利条約の批准を機に抜本的に改められるべきであり、一刻も早く、地域の学校に就学することを前提とする制度改革が待ち望まれる。

冒頭に述べた通り、「改革17項目」のその6「学校教育制度は、あらゆる段階において障がい児が障がい児以外の者と原則分けられず、インクルーシブ教育(共に学び共に育つ教育)とすることを基本とする」制度への根本的な転換が必要である。

【勝又委員】

支援の有無によって、児童の学習と成長にどのような影響が表れるかについて個別のケースの蓄積のみならず広い視点の評価が必要である。たとえば地域社会の安定や、若者の将来設計への貢献など、ニートや若年ホームレスを減らす社会政策の基盤が教育であることを社会全体が認識すべき。

【門川委員】

特別支援教育が普通教育の下位にあるかのような評価は正当ではない。ただし、それとは別に、これまでの特別支援教育のあり方が、普通教育に適合しない児童を普通教育の場から排除するための「受け皿」になっているという側面が強かったという点については、否定的な評価を下すべきである。本来、普通教育の質を高めることの一環としてインクルージョン教育が考えられるべきであって、普通教育の質が十分に高いことの中にインクルーシブであることが含まれるべきであるのにもかかわらず、あたかも普通教育の質が高まらないことの原因が障害を有するとされる児童の側にあるかのように見せかけ、普通教育の質の向上を放棄して特別支援教育を持ち出すというのであれば、それは普通教育にとっても特別支援教育にとっても全く望ましくないあり方である。

そのような観点からすれば、児童生徒の約6%に発達障害(LD,ADHD,高機能自閉症等)があることを根拠にそうした児童生徒をすべからく特別支援学校に移そうというような動きはそれ自体極めて望ましくない。そもそも、そうした児童生徒は従前から普通学校に「いた」のであって、普通教育の行き詰まりのなかでそうした生徒を「発見した」からといって、そうした生徒を特別支援教育という「別枠」に移せばよいという発想は、インクルージョン教育を目指すべきこれからの教育のあるべき姿に逆行している。特別支援教育が、一人ひとりにより適した支援を行うために「特別な支援」を行うものであるとしても、それは本来的には「普通教育」の質的向上と多様化の中で実現されるべきであって、「普通教育」からの排除を生み出すためのものであっては、「特別な支援」の意味がない。特別支援教育を特別支援教育たらしめているのは、普通教育で実現されるべき「全面的な配慮」が普通教育という範疇(施設や人員)ではどうしても実現できないときに「全面的な配慮」を可能とする施設や人員であって、その意味であくまでも例外的であるから初めて特別支援教育とする意味がある。

普通教育の枠を切り詰めて特別支援教育の枠を無理やり広げることは、これまでも十分とは言えない状況にあった特別支援学校の施設や人員をさらに希釈化し、特別支援教育が本来果たすべき役割がさらに果たせなくなるのではないかと危惧をする。これまでの特別支援教育の成果を、インクルージョン教育を推進するうえで、普通教育の場面にも活用するなど、やるべきことは多い。インクルージョン教育がダンピング(障害のある児童の教室内での放置)につながらないよう、インクルージョン教育が障害のある児童への教育にとって真に有効なものになるよう、常に留意しながら、支援する障害の種類や範囲も含め、特別支援教育のあり方をもう一度よく検討する必要がある。

【川﨑洋子】

障害児の姿に接することのない児童が、思いやりのない、配慮の乏しい大人に成長していると感じる。障害児を特別視するのではなく、インクルージングな教育を目指すべきである。

【北野委員】

A.「特別支援」なるものを、機能として捉えれば、それは必要な支援や合理的配慮であって、これを「特別支援」と捉えるのではなく「個別支援」としてとらえ、個別に支援を必要とするものすべてに対するインクルーシブ支援とすべきである。

さらに、「特別支援」を「学校」や「学級」といった「場」として捉えれば、さらに問題は根深い。例えばアメリカにおいて、長期にわたる黒人の分離教育との戦いが展開されたのはなぜか。

それは、それが「強いられた市民的参加・参画権」の剥奪であり、「意識的・無意識的に社会的劣等感」を分離教育を強いられた者に与えるだけでなく、「意識的・無意識的優越感」を一般教育を受ける者に与えてしまうからである。つまりは、同じ市民(国民)としてのアイデンティティーを形成し、社会参加・参画をなし、社会を創造してゆくに当たって、「学び、働き、遊び、暮らす場」を共有しなければ、社会連帯の道が遠のいてしまうのだ。

「義務教育」とは、まさにさまざまな人種・民族・性・宗教文化・障害等の違いをふまえた相互連帯・共育の共鳴磁場なのである。それは、自分自身の成長・発達の場であるとともに,他者に育まれながら,他者を育む場でもある。

【清原委員】

特別支援教育は、発達障がいを含む障がいのある子ども一人ひとりのニーズに応じた総合的な教育支援を行うために、関係機関等の連携により学校現場における体制整備を進めてきたものであり、特別支援教育とインクルーシブ教育は必ずしも相反するものではないと考えられる。

障がいのある子どもへの教育保障を考えるならば、地域に学校とともに特別教育支援という教育資源があり、必要に応じて利用するという環境が備わっていることは有用なことである。

三鷹市では、「障がいのある子もない子も学校・家庭・地域の力を得て次代を担う人として心豊かにそだっていくことを支援する」ことを目指し、「教育支援(特別支援教育)」を推進してきているところである。

障がいのある子もない子も、一人ひとりのニーズに応じた教育支援は当然のことであると捉えることにより、「特別ではない『教育支援』」を実現し、地域で自立し、他者とコミュニケーションできる児童・生徒の育成に努めたいと考える。

【佐藤委員】

特別支援教育は、発達障害の子どもを新たな対象に加え、障害のある子に対し、幼・小・中・高の段階で必要な支援を行うことが述べられるなど、これまでの特殊教育とは異なる前進面が見られるものの、新自由主義的構造改革と市場競争原理が持ち込まれ、特別支援学校や寄宿舎の統廃合や能力主義的な管理・統制と格差の拡大が進行し、子どもの学習権・発達権が侵害されるなど多くの問題点がある。

とりわけ、特別支援学校・学級の過密化は深刻な事態をもたらしている。在籍者の増加は、一面では手厚い専門的な指導への子どもや親の期待を反映するものと思われるが、通常の教育自体が危機的な状況を抱え、障害だけでなく、いじめ・不登校や外国籍などにより排除される子ども、学びから逃走する子どもが急増していることとも密接に関係していると考えられる。

障害のある子どもの教育の改革は、単に特別支援教育の問題でなく、通常の学校教育全体の改革、とりわけ差別と排除がなく学習参加の権利が保障されるインクルーシブな学校づくりと連動して、さらには単に学校だけでなく、すべての人が安心して暮らし活動できるインクルーシブな地域づくりの一環として展開される必要がある。そして日本国憲法、子どもの権利条約、障害者権利条約、その他の人権に関する条約や宣言の理念・精神に則ったものでなければならない。

【新谷委員】

特別支援教育の評価は一定の時間をかけて継続的に行っていくべきと考えます。また、評価の仕組みをもっと開かれた形にしていく必要があると思います。現在開催されている「特別支援教育の推進に関する調査研究協力者会議」は非公開で実施されており、会議メンバーへの当事者参加も不十分です。制度改革推進会議と連携して議論すべきと考えます。

また、普通学校・普通学級での障害を持った子どもへの教育と、特別支援学校・学級での障害を持った子どもの教育を並行的に、全体的に考えていく必要があると思います。この点も是非、推進会議で議論頂きたいと思います。

【竹下委員】

特別支援教育はインクルーシブ教育の実現として再構築(再構成)されるべきである。特別支援学校や特別支援学級における教育が特別支援教育であるとして、位置づけることは間違いである。あくまでも統合された普通学級において、個々の児童生徒のニーズに応じた教育支援が特別支援教育でなければならない。「特別支援教育」として定型化された教育システムは、それ自身が障害のある児童生徒に対し、その個性を否定することになりかねないのであって、それはすでに特別支援教育本来の機能を失っていると見ることもできるのである。

【堂本委員】

(評価)特別な教育的支援を必要とする子どもたちの中に発達障害が加わり、乳幼児期から学校卒業後までの支援連携の枠組みが作られたこと、結果として、障害のある子どもたちの教育の問題を学校全体で、関係機関との連携のもとに考えるようになったことは、学校教育全体として、大きな一歩を踏み出したものと高く評価できる。

(今後のあり方)特別支援教育の制度的な整備がなされたわけだが、その充実を図るためには、多くの課題が残されている。特に人的配置とその専門性の確保は急務である。

また、乳幼児期や高等学校、大学における特別支援教育はまだ緒に就いたばかりであり、その取り組みを支援する体制の整備が急がれる。

【中西委員】

現行の特別支援教育は、従来の障害種別に新たに学習や発達障害などを設け、子どもの機能障害の有無によって分離を促進しているため、廃止されるべきである。権利条約24条1項は、インクルーシブな教育制度の目的の一つに、(c)「障害者が自由な社会に効果的に参加することを可能とする」としているが、特別支援教育はこの目的に合致していない。文部科学省のウエブサイト(http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/013.htm)には「卒業生の進路」の情報が掲載されている。盲、ろう、養護学校の卒業生で、就職した人は22.7%。進学は3.9%である。最も多いのは、施設・医療機関に入所した人で、56.1%である。学校卒業後、入所してしまう障害者が半数以上いるのは、障害者雇用の問題でもあり、教育制度だけでは解決できるものではない。しかし、居住地域から離れた障害者のみが学ぶ学校に通い、そのあと施設入所するのならば、地域生活を奪われた障害者があまりにも多いと言え、障害者差別であると言える。学校教育を障害の有無で分けないことは、地域社会でも分けない社会づくり、つまりインクルーシブな社会構築のために必要不可欠である。

特別支援教育については、就学猶予や就学免除がおこなわれていた時代からの転換期には一定の役割を果たしたと評価をされるかもしれない。しかしインクルーシブ教育の推進が障害者の権利の保障に不可欠であることが認められた以上、今までの分離を是認した特別支援教育制度は廃止されねばならない。

【長瀬委員】

文部科学省初等中等教育局特別支援教育課の廃止を検討すべきである。従来の体制のままでは、原則分離そして、手話軽視の日本の障害児教育の見直しは不可能であると言わざるを得ない。障害者の権利条約に基づき、障害者主体のインクルーシブ教育と盲、ろう、盲ろう者教育実現に向けて抜本的な体制の見直しが不可欠である。インクルーシブ教育と手話を中心とするろう教育を積極的に推進する体制を、文部科学省の組織図の中で明確に位置付ける必要がある。

同課が担当している「特別支援教育の推進に関する調査研究協力者会議」の中間とりまとめを見ても、現状維持の姿勢が強いままであり、障害者の権利条約の批准のためには、現行の障害児教育を根本的に見直す必要があるという認識が希薄であり、不十分である。

条約批准に向けての障害児教育全般の見直しという観点から、本推進会議と同様に、障害者の視点を中心にすえた枠組みを新たに設けて、その場で、条約交渉過程での文部科学省の主張(原則分離の維持)の検証を含め、障害者の権利条約を日本が批准するための最大の課題である障害児教育の見直しを正面から議論すべきである。その際には、教育関係者が圧倒的に優位にある「協力者会議」のような枠組みは不適切であり、障害当事者、親(保護者)の意見が適切に反映される仕組みを設けることが前提となる。

【松井委員】

従来は特別支援教育と普通教育がとかく別々に実施されてきたが、圧倒的な割合の障害児が普通学校の普通学級に在籍していることを考えれば、それらの普通学級で特別支援教育をいかに適切に実施するかが、課題となる。そして、普通学校の普通学級でこうした特別支援教育を実施することにより、合理的配慮の提供も含め、普通学校の普通学級のあり方自体の変革が求められることになる。そのことは、わが国における教育のあり方の刷新にもつながるのではないだろうか。

【森委員】

特別支援学校は、従来の盲・ろう・養護学校の地域偏在という問題の解消とともに、地域の普通学校で教育を受ける特別なニーズを持つ子どもたちへの支援に関するセンター的機能を備える学校として位置づけられているが、現段階でのその成果は、未だ明確に発揮されているとは言いがたい。また、障害のあるすべての子どもたちが、地域の普通学校において十分な教育を受けることは困難である。

そこで、障害のある児童・生徒の教育における「学業面の発達」、「生活技能の発達」を可能な限り向上させるためには、特別支援学校のあり方をさらに追求する必要がある。そして、「社会性の発達」及び教育修了後の生活圏との関係性を支援するためには、生活する地域社会にある普通学校に学籍を一元化して、可能な限り、障害のある子どもたちが地域社会の行事に参加するとともに、学籍を有する学校の障害のない子どもたちとの交流を図ることが求められる。具体的には、障害のある児童・生徒は、特別支援学校と地域社会の普通学校双方に通学する機会を持ち、地域の普通学校で学ぶ場合には、特別支援学校の教員も同行して学習・交流の支援を図ることなどについて検討すべきと考えられる。すなわち、特別支援学校と普通学校との相互補完的連携システムが必須である。そのことは、地域の普通学校で学ぶ障害のない子どもたちにとっての障害理解を促進し、さらには高齢者人口が多数を占める「成熟社会」における将来の支え手としての子どもたちの心の豊かさに関する教育的環境づくり、教育的配慮になると考えられる。

その他

【大谷委員】

乳幼児期からの保育所や幼稚園等、就学前教育機関におけるインクルーシブ教育を促進する。就学前に健常児と関わることで保護者に障害のマイナス意識が減少し地域の一員としての意識が芽生えることは少なくない。埼玉県東松山市では障害児の就学前療育施設を廃止し地域の保育園や幼稚園に療育の専門家を派遣する制度を採用することにより、障害児の地域の小学校への就学がスムーズに移行している。就学前のインクルーシブ教育は不可欠である。

社会教育機関でも障害児・者の合理的配慮・必要な支援を保障する体制を整えてインクルーシブ教育を推進する。

学校・教育機関内外の支援は、学校や教育行政に一任せずに福祉や医療等の連携が必要である。たとえば学校への通学帰宅等の移動支援を現行の福祉制度は利用できない。学校内のヘルパー派遣も行われていない。これら福祉と連携した合理的配慮の保障が必要となる。

【大濱委員】

初等教育、中等教育だけでなく、高等教育や生涯教育においても、機会均等と非差別を原則として、あらゆる障害者に合理的配慮を行うべきである。

たとえば、入学試験などにおいて、口で棒をくわえてキー入力をしたり、特殊入力スイッチを使う全身性障害者などの場合、通常より長くなる入力にかかる時間は試験時間から除外する、体力が続かない障害の場合、適切な休憩時間をはさむなどの配慮も必要である。

【尾上委員】

1.教育現場における障害者雇用の推進

【意見】

学校現場における障害者雇用を進めるべきである。障害者を教員として教育の現場で働いてもらうことこそ、子どもたちに対して教育力を発揮できる。

2.教育現場における医療的ケアの保障

【意見】

合理的配慮において、医療的ケアをきっちりと位置づけるべきである。いまや、医療的ケアは障害者が地域社会で生きていく上において必要不可欠の生活行為となっている。教育現場において、看護師等を配置するだけではなく、必要な研修を教員が受けることによって家族と同等の範囲で医療的ケアが受けられるようにしていくべきである。そうしなければ、医療的ケアが必要な障害者は、学校教育でさえ受けられないし、より安心して学校生活を送ることはできない。保護者の付き添いを承諾させるために同意書を求める教育委員会さえある。そこまでではなくとも、看護師を配置していながら保護者の付き添いを強いてくる学校現場もある。障害者であることで、なぜ学校にずっと保護者と一緒に通学しなければならないのか。一刻も早く、こうした差別に等しいことをなくしていくためにも、学校現場で医療的ケアが教員によっても実施できるように改めるべきである。

3.幼児教育におけるインクルーシブ

【意見】

幼児教育においてもインクルーシブ教育を進めること。幼稚園における教育活動はもちろん、保育所段階から学校就学にかけて一貫したインクルーシブ教育が取り組まれるように関係省庁間で統一的な施策を実施すること。幼保一元化の流れの中にあっては、なおさらである。

4.後期中等教育(高等学校)における障害者教育

【意見】

後期中等教育並びに大学等の高等教育における障害者の就学を拡大するために、入学試験の柔軟実施や人的・物的支援に必要な財政措置を講じること。どんな障害があっても就学の機会が拡大されるようにすること、特に、知的障害者が困難を強いられている入学試験の門戸が開かれるような制度設計を打ち出すことが必要である。

【門川委員】

大学における障害学生の(障害を理由とした)受け入れ拒否は明確に禁止するべきであって、また、大学入学後についても、障害者が適切な支援を受けられる体制を整えるべきである。

また、そうした体制整備について、国はより大きな助成措置を講ずるべきである。

障害をもつ児童生徒が、就学前から卒業後にわたって継続的に適切な教育及び支援を受けられるよう、個別教育計画の仕組みをより実効性をもった形で導入し、障害をもつ児童生徒を学校内のみで支援するのではなく、地域社会や各種専門機関が連携して支援を行う体制を確立するべきである。

【佐藤委員】

議論を整理して効果的に進めるために東室長が「フォーマット」を提示するのは理解できるが、特別支援教育の全体像のあり方の議論の前に個別事項を検討する手法がよいかどうか、やや疑問でもある。

「フォーマット」の項目も、権利条約第24条の第1項(目的)でなく第2項(方法)の観点からの検討となっている。

本格的な改革議論は、より特別支援教育に明るい委員による部会で、かつ教育を受けている当事者や保護者、関係者への十分なヒアリングをふまえて、行われるべきではないかとおもう。

その他 1 教員の質と熱意の確保

どこに就学するかよりどの教員が担任になるかの方がはるかに重要だ、との障害児の親の意見を聞いた。

従って、資格制度、養成・研修制度、校内での教員支援体制、保護者からの評価の仕組みなど、資質向上に向けての多面的な改善が求められる。

その他 2 全国障害者問題研究会の提言

今後の特別支援教育のあり方に関して、下記の提言を参考にすべきである。上記の「意見提出用フォーマット」の各項目は、各論中心であるので、システムの中の個別要素の特定の側面を検討するには便利だが、システムは総合的にみなければならない。下記の理念・目的・方向性などの総論的な部分を参考にしていただきたい。

障害のある子どもの教育改革提言 -インクルーシブな学校づくり・地域づくりー

2010年3月3日 全国障害者問題研究会常任全国委員会

20世紀後半に展開された権利としての障害児教育運動は、1979年の養護学校義務制を実現させ、さらに後期中等教育や寄宿舎教育などの諸制度面を充実させ、最重度・重複障害児もふくめた科学・生活と結合した授業づくり、子どもの内面に寄り添う指導など、世界に誇れる教育実践を展開してきました。21世紀に入り、特別支援教育の施策の下で、発達障害の子どもが新たな対象に加えられましたが、同時に新自由主義的構造改革と市場競争原理が障害児教育にも持ち込まれ、学校や寄宿舎の統廃合や能力主義的な管理・統制と格差の拡大が進行し、子どもの学習権・発達権が再び侵害されようとしています。

とりわけ、特別支援学校・学級の過密化は深刻な事態をもたらしています。在籍者の増加は、一面では手厚い専門的な指導への子どもや親の期待を反映するものと思われますが、通常の教育自体が危機的な状況を抱え、障害だけでなく、いじめ・不登校・貧困や外国籍などにより学びから排除される子どもが急増していることとも密接に関係していると考えられます。

障害のある子どもの教育の改革は、単に特別支援教育の問題でなく、通常の学校教育全体の改革、とりわけ差別と排除がなく学習参加の権利が保障されるインクルーシブな学校づくりと連動して、さらには単に学校だけでなく、すべての人が安心して暮らし活動できるインクルーシブな地域づくりの一環として展開される必要があります。そして日本国憲法、子どもの権利条約、障害者権利条約、その他の人権に関する条約や宣言の理念・精神に則ったものでなければなりません。

全障研常任全国委員会は、すべての子どもの人権が平等に保障され、ゆたかな成長・発達、学習と生活が保障される教育の実現を目指して、以下のような改革を提言します。

1.総論

  • 権利としての教育は、「社会への完全かつ効果的な参加とインクルージョン」をめざし。全人格的な「発達を最大にする」ための、「あらゆる段階でのインクルーシブな教育制度と生涯学習」を保障するものである。
  • インクルーシブな学校づくりは、妊娠・出産から成人後までの地域で生きる権利が保障される地域づくりと連動し、また就学前から卒業後の生涯にわたる学習権・発達権保障の一環として追求される。
  • 学校教育は、すべての子どもの差異と多様性、固有のニーズとアイデンティティを尊重するとともに、特別なニーズのある子どもには、すべての子どもに対する権利一般にとどまらず、合理的配慮(理にかなった条件整備)や特別なケア・サポートへの権利を保障する。

2.インクルーシブな地域の学校をつくる

  • 過度に競争的、管理的で、多くの子どもが学習に参加できず、事実上の排除を生み出している現在の学校教育を抜本的に変革する。
  • 基本的に、すべての子どもに地域の小・中学校への在籍を保障し、同時に、本人もしくは保護者の要求に基づき、特別支援学校および特別支援学級への在籍を保障する。希望するすべての子どもに通級による指導を保障する。
  • 市場競争的な学校選択でも、自己責任を強いる自己決定でもなく、必要かつ十分な情報と相談に基づき、子どもの最善の利益のために本人や保護者が納得・安心して就学先を決められ、学習形態や方法を要望できる体制をつくる。
  • 教育条件を抜本的に改善するために、通常の学級を小規模化するとともに、各学校の学級数ないし児童生徒数に応じて、コーディネーターの定数化、専門性のある支援スタッフ、心理士、福祉士等の配置を進め、全校的支援体制を確立する。
  • 競争的学力向上政策を転換し、子ども同士の学び合いを大切にする学習のあり方と、ニーズの多様性に対応できる教育課程と教授法の確立を追究する。

3.特別支援教育制度を改革する

  • 喫緊の課題として、特別支援学級・学校の過密状況を解消し、教育条件を整備するとともに、障害の種類・程度や能力による格差・差別をなくす。
  • 就学前の保育・療育・教育および後期中等教育を無償化し、希望者には高等部教育の年限延長や専攻科の教育などの修学期間延長を保障する。
  • 特別支援学校の小規模化と地域分散化を進め、安易な併置・総合化を行わず、障害種別の専門性、とりわけ盲学校と聾学校の独自性を確保する。
  • すべての小・中学校に特別支援学級と通級指導教室を両方、あるいは少なくともいずれかを設置する。幼稚園から高校までの教職員定数と学級編制基準を改善し特別の指導のための教員加配を定数化する。
  • センター的機能、医療的ケア、通学・移動支援などの関連サービスとそのための専門的スタッフを充実させる。
  • 寄宿舎教育の安易な統廃合は行わず、教育入舎や短期入舎などの教育的・福祉的機能をさらに充実させる。

4.インクルーシブな地域をつくる

  • 妊娠・出産から成人後まで、地域社会で安心して、人間らしく・自分らしく生きる権利を保障する。
  • 医療・療育・保育の制度を確立し、相談・支援体制を充実させるとともに、とりわけ早期療育の意義・必要性を踏まえ、重層的な地域療育システムを実現する。
  • 学齢期における、家庭、学校に続く第三の生活の場である地域社会での活動の場を保障するために、放課後・休日活動のための学童保育等の施設・機関を充実させるとともに、地域でのスポーツ・文化活動のための支援を充実させる。
  • 卒業後の地域における生涯学習や余暇活動の機会を保障し、そのための公的支援を充実させる。

その他 3 インクルーシブな乳幼児期・学齢期の取り組み(東松山市)

埼玉県東松山市の取り組みを参考にしていただきたい。乳幼児期からのインクルーシブ保育、保育園・小中学校への補助スタッフや医療専門職による支援、本人・保護者への相談援助を通じての実質的な選択権の保障など、学ぶべき点が多い。ぜひヒアリングさせてもらうべき。

平成8年、公立保育園に障害児保育のための保育士の加配を開始

同年、教育委員会が障害児のために地元小学校、中学校へ介助員派遣開始

市が市内の民間診療所(小児神経医師、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、臨床心理士)に、専門職の巡回支援を委託し、保育園にアウトリーチ型支援を行う。

平成15年3月、市内の民間障害児通園施設(39人定員)が閉園

平成19年4月、経管栄養が必要な重症心身障害児と導尿が必要な二分脊椎の児童の保育園入園に伴い看護師を保育園に配置

平成19年6月、教育委員会が就学支援委員会を廃止

就学判定をせず、本人・保護者が希望する学校、学級(通常学級、特別支援学級、特別支援学校)に入学できる仕組みに転換。就学相談専門員を教育委員会の総合教育センターに配置し、障害児に対する個別の就学相談を行うとともに、就学相談調整会議を新たに設置し、教育関係者の他福祉職、保護者を委員に加えて、就学相談の経過と結果を報告。

平成20年4月、導尿が必要な二分脊椎の児童と経管栄養が必要な児童に対応するために、教育委員会が地元小学校に看護師派遣を開始。

平成21年度、保育園に就園する障害児12人に加配保育士12人を配置。小・中学生の障害児の95%が地元小・中学校へ就学し、介助員39人を派遣。

平成20年度、東松山市地域自立支援協議会に保育園。幼稚園、通常学校で育ち学ぶ子どもの支援プロジェクト設置。平成21年度から、子どもの支援連絡会議として福祉関係者、教育関係者、保護者などによる正式な会議として設置、保育園、幼稚園から小学校に入学する際の移行支援のための就学支援シートを作成し、就学前機関、小学校、保護者による支援会議を開催するモデル事業を実施。

その他 4 一般の(障害のない)児童への障害理解教育の強化を

すべての学校での効果的な障害理解教育を行うことを義務づけるべきではないか。インクルーシブな教育がなされ、そこに必要な支援が提供されることによって障害理解教育が進むが、同時に成人になった障害者も講師として大きな役割を果たせる。障害者団体のメンバーは自分の体験を紹介する必要があればいつでもどこの学校にでも出向く用意があると思われる。

次の全難聴 森孝一副理事長の意見を参考にしてほしい。

障害理解の教育は、現在の小中学校指導要領の中に、「特別活動」「総合的な学習の時間」などで「障害のある人々などとの触れ合い」が取り上げられています。

しかし学校では、あまり重きをおいていません。私が住んでいる市には、小中学校合わせて175校ほどありますが実施されているのは毎年数校です。国際学力調査で日本の児童生徒の学力順位が下がるにつれ、「障害のある人々などとの触れ合い」は軽視されています。文部科学省に問い合わせても調査結果についての回答がありません。

次のことを要望します。

① 小学校、中学校で必ず「障害のある人々などとの触れ合い」行うこと

② 教育内容(指導要領の内容)に障害理解のことを含めること

その他 5 障害児の放課後・休日保障

この点については文科省と厚労省が協力しつつ取り組みを進めていると聞いており、担当者の努力はなされていると思われるが、私の認識では同じことが30年来問題とされ続けている。

次の全国放課後連の要望をきちんと受け止めた対応が求められる。

学齢児の放課後・休日の活動のための制度を障害のある子どもの放課後保障全国連絡会(全国放課後連)

事務局長 村岡真治

現在、障害のある学齢児の放課後・休日の支援を主目的とした国の制度は存在せず、その確立が求められています。

2008年12月の社会保障審議会障害者部会の報告では「放課後型のデイサービス」の新設が提言され、2009年3月の障害者自立支援法等改正案においても「放課後等デイサービス」の創設が盛り込まれていました。また、2008年末には、障害のある子どもの放課後活動事業の制度化を求める請願書が衆議院および参議院で採択されています。

このような流れがさらに進み、学齢児の放課後・休日のための制度が、制度改革のなかでより良いものとして実現されることを願っています。

制度の目的は、(1)障害のある子どもの成長・発達の支援、(2)保護者の就労やレスパイトの支援、を考えています。

内容的には、(1)毎日のように(週5日以上)通うことが可能であるもの、(2)活動拠点なる施設があり十分な常勤職員が配置されているもの、を考えています。

以上のような放課後活動のための国の制度を、障がい者制度改革推進会議で検討いただけますよう、お願い申し上げます。

その他 6 病院内教育の充実

事故や病気で長期入院などをせざるを得ない院内教育の充実が必要とされる。また退院後の復学支援・医療連携のあり方も重要である。

その他 7 海外日本人学校における特別支援教育の充実

上海のような大規模日本人学校には相当数、障害児も通学しているとのことである。海外日本人学校は設置者が各企業の出資金で成り立っているために、十分な特別支援教育を行えない現状のようである。教員配当、教材についても独自の判断で実施されている。これらの実態も調べて適切な方法を取る必要があると思われる。

その他 8 ある教員の意見---特別支援学校は普通学級と対等な「友達のいる場」

佐藤の「意見」の文書では、障害児を含むすべての子どもが基礎として普通学級に籍を置き、さらに必要・希望に応じてその他の教育の場も保障すべき、としているが、この観点への疑問を含めて貴重な意見が下記のように寄せられているので、参考にしてもらいたい。

私は、特別支援学校の教員(知的障害の学校の高等部)です。中学校で不登校だった生徒が、「学校が楽しい」と言って登校しています。高校を中退した生徒は、「授業がむずかしくてわからなかった。つまらなかった」と退学理由を話してくれました。それらの生徒の日々の様子を見ていると、学校に来るようになった理由として、「わかる授業」も大事ですが、友だち(好きな異性も含む)の存在が大きいと思うのです。特別支援学校の子ども集団は、子どもの側から見れば、「友だちがいる場」なのです。(感覚的なお話ですみませんが、教育の現場で障がいのある子どもたちと働いている中での実感を、制度改革の基礎に位置づけていただきたいと思い記しました。)

これは、障害者権利条約第24条「教育」の第1項で言えば、目的の(a)(b)(c)は、関連していて、「社会への参加」(c)に向け、「能力を可能な最大限度まで発達させる」(b)ためには、子ども自身の「自己の価値に対する意識を十分に開発する」(a)ことが大事であり、そのために「友だち」の存在が大きいということです。(子ども同士では、障害があることは特に意識されてはいませんが)。その意味で、子どもからすると、特別支援学校は、決して「基礎」に対する「その他の教育の場」(との評価)ではなく、通常学校と対等・平等な地位を確保されるべき「学びの場」と考えるのです。

参考

(a) 人間の潜在能力並びに尊厳及び自己価値に対する意識を十分に開発すること。また、人権、基本的自由及び人間の多様性の尊重を強化すること。

(b) 障害のある人が、その人格、才能、創造力並びに精神的及び身体的な能力を可能な最大限度まで発達させること。

(c) 障害のある人が、自由な社会に効果的に参加することを可能とすること。

このように集団を大事にするのは、日本の教育(歴史)の特徴(良さ)だと思います。この特徴(良さ)に立脚して、「子ども集団」を生かしながら、日本の中でインクルーシブ教育を構想する時、私は特に、“特別支援学校と通常学校の近接”が課題になると思うのです。その意味で、特別支援学校の小・中・高等学校への位置的統合(対等平等な関係での統合)がもっと志向されて良いと思うのです。船橋秀彦(茨城・教員)

【新谷委員】

1.細かな論点が抽出されましたが、論点抽出についての推進会議での議論がありません。出していただいた論点について異存はありませんが、一定方向へ議論が進んでいる感は否めません。時間がないのが理由と思いますが、議論が必要なステップでは、時間をかけた議論が必要と思います。

2.「教育」に関しては、高等教育、社会人(生涯)教育も非常に大きなテーマです。テーマ設定をお願いしたいと思います。

【竹下委員】

1 視覚障害を有する児童生徒に対しては、統合教育を前提に十分な教材保障がされなければならない。点字教科書、拡大教科書にとどまらず、あらゆる教材が当該児童生徒にとって必要な形式で準備されなければならない。その際、当該児童生徒に対し、必要に応じて点字教科書と録音された教科書の双方が提供されることも必要であり、複合的多面的な教材研究がされるべきである。

2 通学における支援が十分に保障されていなければならない。障害の有無にかかわらず、通学における安全保障は学校と自治体の責任であることからすれば、視覚障害を有する児童生徒の通学を安全に保障することは学校及び自治体の責任である。

3 就学前教育についても十分な普及と実践が必要である。保護者への啓発とともに、保護者への支援も当然に実現されなければならない。

【土本委員】

自分も小学校3年までは ふつう学級にいっていたのですが ついていけれないと あとで きかされました。

自分が しょうがっこう4ねん に なったとき なんの せつめい もなくきょうから こっち といわれ わかれた たてものに いかされた。

わけが わからないまま いかされた。

ちがう ばしょで まなぶことをしてきて、べんきょう いがいに たいりょくを つける こともした。

そつぎょう したら しゅうろう するのが あたりまえと おもってきた。

むかしは ちてきは おいて いかれていた。

きょういくは しなくても いいとまで いわれた。

めんどう みきれない という ことも あった。

ぎむきょういくが おわると いまは 自分たちの なかまたちの おおくはこうとう ようごがっこうに いきます。

とおい ようごがっこう に いくと きしゅくしゃに はいることが おおいです。

きしゅくしゃは 入所施設に はいる前の じゅんびに つながるのではないかと おもいます。

自分たちが いきたい学校が あったときは そこに いくことにする。

だんさがあったら なおして いくべきです。

だんさがあるから あっちにいけ ということは してはいけない。

にんち、にんしき、ひょうげん、コミュニケーションが むずかしいなかまたちに たいしても はいりょして えらんだ ところに いけるように ちゃんと 支援をつけるべきです。

しょうがいが あろうが なかろうが かんけいなく きょういくは いっしょに うけられるように していくべきです。

しょうがいがあると いわれて ちがうところへ いかされるのではなく、どんなことで むずかしいのかを ゆっくりとしたことで やっていくことです。

とうじの とくしゅがっきゅうの先生から「かくまっているから、ちがうとことにある」ときいたことがありました。

そのときには、よく わからなかったのですが いまは「どうして かくまって かくそうと するのか」と いえるけれど 小学校や中学校では、かんがえられなかったです。

いっしょに べんきょうや あそぶことも しょうがいが あろうが なかろうが いっしょに やっていく ことです。

おたがいのことを しっていくこと それも きょういく ではないですか。

べんきょうも そのほかも ついて いけないから おいていくのはさべつ につながる。

学校も おっつけないから きりすてしていくのじゃなく ともにまなぶことも していくべきです。

きょういく も ちいきでくらす ことにも ごうりてきはいりょ して わかりやすい じょうほうを つたえることを していくことです。

まなぶことも いっしょに やっていく けんりがある。

どんなに こんなんを かかえていても ちいき で いきる けんりが ある。

むずかしいから せつびがない ひとがいないから といって きりすてられてきたし いまも きりすて られつづけている。

わけられたら りかいも されない。

どんな こんなんを かかえていても いっしょに けいけんや たっせいかん を もちたい。

学校や ふくしサービスも のぞんだものは なかった。

あっちにいけ こっちにいけと きめられ つづけている。

差別をして はいじょ するのではなく ともに やっていく ことじゃないかと おもいます。

べんきょうは おしつけじゃなく もっと いきいき のびのび ゆうゆう とした もので あるべきです。

また 学校のときに てちょう の ことや ねんきんのこと どんな ふくしサービスが あるかを こどものころから おしえて ほしい。

きょういく にしろ しゅうろう にしろ ふくし にしろ 人との かんけいや つきあいかた。

こまった ときに どこに そうだん したら いいのか。

こんなんを かかえている ことを しって、こまったときに そうだんする人をみつけて いくことを 学校のときに おしえて ほしい。

学校を そつぎょう したら それで おわるのではなく、つぎに つながることを して ほしい。

そつぎょうご 自分たちは こりつ してしまう こともある。

うったえようにも うったえきれない という ところが こんなんを かかえている。

こりつして わるい ことを してしまう こともある。

学校で おや いがいの くらし や なかまたちが ちいきで どうくらしているのか を しる けいけん たいけんを もっと してほしい。

いきなりは むずかしいし どんな ことなのか そうぞう することが むずかしい。

学校じだい に 自分のことをしり しゃかい に でた ときに こまならないように じょうほう や たいけん できる とりくみを してほしい。

卒業の べんきょう より そつぎょう してから どう いきるか えらんで きめられる ように して ほしい。

【さいごに】

がっこうで おおくの 仲間たちが 「いじめ」に あっています。

だれにも そうだんできなくて なやみ くるしんで います。

「自殺」する 仲間もいます。

仲間たちのおおくは、自分から「たすけて!」といえません。

先生は もっともっと 仲間たちの こえなきこえに きづいてほしい。

しょうがいを りゆうにした「いじめ」をぜったいに ゆるしてはいけない。

【中西委員】

国際協力の現場においては、インクルーシブ教育を政策としている国に日本の特殊教育技術が支援の名のもとに導入されている。実際のインクルーシブ教育体験のない者による指導を危惧すると同時に、国から障害児教育の現場に派遣される者には、インクルーシブ教育の在り方に関する研修が必要とされる。

【長瀬委員】

(高等教育と合理的配慮)

障害者の権利条約第24条第5項に規定されている高等教育や職業訓練、成人教育、生涯教育での合理的配慮は不十分な状態が続いている。こうした教育の場での合理的配慮の確保のための政策が欠かせない。そのために、高等教育局に合理的配慮を含む、一般高等教育機関での障害学生受け入れに関する専門家(自らが障害者として高等教育を経験した人材が望ましい)を複数、配置すべきである。障害学生修学支援ガイドなど、独立行政法人日本学生支援機構による取り組みや、障害学生数に応じた補助金は、そうした高等教育全般を障害者にとって不利のない仕組みに変えるための総合的な政策の中で初めて、効果的になる。

【森委員】

障害のある児童・生徒の地域社会における交流、「生活技能の発達」、「社会性の発達」の充実を図り、教育修了後の生活圏との関係性を築くためには、一人ひとりの障害のある子どもに関する個別支援計画をもとに教育、福祉、労働との連携を行うことが重要である。そのためには、地域自立支援協議会に参加できる環境の整備を図る必要がある。

障害のある児童・生徒における学校教育についての検討のみならず、障害のある人に対する生涯教育についても、十分な検討を行う必要がある。一人ひとりの社会生活の充実を図るためには生涯教育の充実は必須であり、現状においては、その環境、支援が十分に行われているとは言いがたい。