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シンポジウム 「もっと知ろう、デイジー教科書を!」
日時:2013年02月03日(10:30~16:00)
場所:戸山サンライズ 大研修室
 

Enjoy Daisy 読めるって楽しい!

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障がい者制度改革推進会議 第5回(H22.3.19) 尾上委員提出資料

記事 東大阪市政だより

東大阪市政だより

■発行日:平成21年(2009年)10月15日
毎月2回発行(1日・15日)

10月15日号 No.938

■発行:東大阪市経営企画部広報広聴室広報課
〒577-8521東大阪市荒本北1丁目1番1号
■電話:06(4309)3000 ■FAX:06(4309)3821
■ホームページ http://www.city.higashiosaka.osaka.jp/

新1年生のみなさんへ 就学通知書を送付

ご注意を 今年度から通知書の送付が早くなっています

来年4月に小・中学校へ入学する子どもがいる家庭には、就学通知書を小学校は11月10日(火)、中学校は12月9日(水)に発送します。届いた通知書に必要事項を書いて、期限までに指定の学校へ提出してください。

小学校新入学は、平成15年4月2日から平成16年4月1日までに生まれた子どもが対象です。

就学通知書が、発送から3日を過ぎても届かないときは至急連絡してください。

なお、今年度から通知書の送付が早くなっていますので、ご注意ください。

【支援学校などへの入学手続きは12月上旬までに】

市では、障害のある子どもの入学について、本人と保護者の意向を尊重しています。

入学先は、小・中学校の通常学級・支援学級のほか、支援学校、視覚支援学校、聴覚支援学校があります。

支援学校などへの入学を考えている方は、各学校または学校教育推進室へご相談ください。また、支援学校などへの入学を希望される場合は、12月上旬までに学事課で手続きが必要です。

越境入学はできません

通学区域は、すべての児童・生徒に教育を受ける権利を保障するために、学校規模、通学の距離、地域的つながりなどを考えて決めています。

通学区域を無視して越境入学が行われると、学校内にさまざまなひずみが生じ、教育効果を上げることができません。

越境入学をなくすため、施設や設備、教職員の配置など整備充実に努めています。越境入学防止に理解と協力をお願いします。

◇ ◇

◇問合せ先
▽学事課 06(4309)3271
▽学校教育推進室 06(4309)3269
※ファクスはいずれも06(4309)3838

就学前に健康診断を

来年4月に小学校へ入学する子どもの「就学前の健康診断」を、次のとおり市内の小学校で行います。

この健康診断は、法律に基づいて行っていますが、受けなければならない義務や強制するものではありません。また、結果によって入学する学校を指定するものでもありません。


図 就学時検診より前に就学通知を出している大阪府東大阪市の就学の手続き

就学時検診より前に就学通知を出している大阪府東大阪市の就学の手続き

法令の期日 10/31まで   1/31まで   11/30まで   4/1まで
東大阪市の就学手続き
  10月31日
学齢簿の作成
11月10日
就学通知発送
11月25日
~12月14日
就学時健診
小学校
市教委区委員会
教育推進室
相談
12月上旬まで
就学申し込み
特別支援学校

(「東大阪市だより」2009/10/15より一木作成)(09/11/12版)

図 現行法による就学手続き(文科省作成資料より)

現行法による就学手続き(文科省作成資料より)

10/31まで   11/30まで   1/31まで   4/1
学齢簿の作成 就学時健康診断 専門家・保護者の意見聴取
(就学指導委員会)
県教委

特別支援学校への入学期日等の通知
特別支援学校
就学基準 該当

認定就学制度
令5条1項2号
小学校への入学期日等の通知 小中学校
特別支援学級
通級指導

令5条1項1号
非該当
市町村教委  

チラシ 明るい花を咲かせよう

1979/2009 尚司君から明花さんへの30年
明るい花を咲かせよう
―私たちは下市中学問題をどう受け止めたか

編集「明るい花を咲かせよう」編集委員会
発行 奈良県「障害者(児)」解放研究会

A4判44ページ500円(送料80円)
10冊以上割引あり

障害女児の入学を拒否した奈良・下市中学校問題の全容に迫る!

好評発売中

登校1日目は、うれしくてドキドキの一日でした。これから続く中学校生活が楽しみです。そして、家に帰ってから、みんなでお祝いの『乾杯』をしてくれたファンタの味を、私は一生忘れません。 谷口明花

もくじ
蘇った記憶と重なる思い 梅谷明子
七月三日・・・ 谷口明花
笑顔を守るために 谷口美保
言い続けていかないと逆流する恐れも 渡辺哲久
下市中学入学拒否事件に思うこと 富田忠一
普通学校で学ぶ意味 小西俊光
地域で普通に生きるということ 米本佳由
すてきな「笑顔」のひろがりを 胎中廉啓
奈良地方裁判所の「決定」文を読む 田川和幸
下市中学問題が問いかける日本の教育制度 尾上浩二
谷口明花さんの下市中学校進学拒否問題の意味 堀智晴
県議会の質問と理事者側の答弁 梶川虔二
あとがき 吉田智弥
資料
奈良地方裁判所 決定文
予定されていた裁判の直前に配布したビラ
インターネットの掲示板などに書き込まれた意見
梅谷尚司さんの就学闘争と生活史(作成・井上武)

取り扱い団体


谷口明花(たにぐちめいか)さんの下市(しもいち)中学校進学拒否問題の意味

堀 智晴

はじめに

谷口明花さんが地元の下市中学校に就学できたことを私はうれしく思います。明花さんが地元の友人たちの中で共に生活し共に学び合うことができて本当によかったと思います。しかし、私の考えは複雑です。明花さんの下市中就学決定を喜ぶと共に、この問題の意味をよく考える必要があると思います。以下、この問題に対する私の考えを書きます。

1、特別支援教育は「別学教育」―なぜ明花さんは地元小学校(阿知賀(あちが)小)で学べたのか―

日本の現行の特別支援教育では、障がいのある子どもの就学先は、市町村の教育委員会が子どもの障がいの種類と程度によって就学先を決めることになっています。決して谷口明花さんが望んでいるように、「共学教育」を進めているのではありません。

現に2007年度から始まった特別支援教育では、障がいのある子どもが障がいのない子どもとは別の学校で学ぶ傾向、つまり「別学教育」の傾向が強くなっています。特別支援学校も全国的に増設されています。実はこの傾向は不思議なことでもなんでもありません。特別支援教育の法的根拠を読んでいくと、その基本的な考え方は「別学教育」であるからです。「交流と共同学習」の推進がよく話題になりますが、それは特別支援教育が別学を基本にしているからです。

ですから、もともと谷口明花さんが地元の阿知賀(あちが)小学校に入学することができたのが不思議なのです。事実、谷口明花さんは特殊学級に籍を置き、<運用として>普通学級での授業を受けることが認められてきたのだと考えられます。教育委員会がそれを認めた、黙認したわけです。ですから、法令に基づいて、特殊学級に籍があるのだから普通学級に行ってはならぬ、居てはならぬ、と教育委員会が判断を下してもおかしくはないのです。他市でそのように言われていた人を私は少なからず知っています。

なぜ、明花さんは阿知賀(あちが)小学校に就学できたか、特殊学級に籍を置きながら普通学級で学ぶことができたか、この点を明確にしないと地元中学校への就学の拒否問題、特別支援学校への就学先強制の問題は明らかになりません。

谷口明花さんの下市中学校進学拒否問題は、明花さん個人の問題にとどまらず、障がいのある子どもの教育のあり方の問題でもあるのです。そこでこの問題の意味を考える必要があるのです。

2、どこでも起きる問題

今回の谷口明花さんの下市中学校進学拒否問題は、日本における障がいのある子どもの教育の問題そのものだ、と認識する必要があります。下市町に特化した問題ではありません。日本のどこでおきてもおかしくない問題です。つまり、決して谷口さん個人、下市町という一地域の問題ではないのです。さらに言えば、今の日本の障がい児教育の法体系から言えば、今回の下市町教育委員会の明日香(あすか)特別支援学校への就学先決定はまちがっていないのです。

整理しましょう。

日本の現行の障がいのある子どもの教育=特別支援教育の下では、就学先決定は次のように行われることになっています。

①障がいのある子どもの就学先は市町村の教育委員会が決定します。

②その決定の法的根拠は、学校教育法施行令22条3の就学基準に基づいています。(表1)

表1)特別支援学校への就学基準(学校教育法施行令第22条の3の規定)

区分 障害の程度
視覚障害者 両眼の視力がおおむね〇.三未満のもの又は視力以外の視機能障害が高度のもののうち、拡大鏡等の使用によつても通常の文字、図形等の視覚による認識が不可能又は著しく困難な程度のもの
聴覚障害者 両耳の聴力レベルがおおむね六〇デシベル以上のもののうち、補聴器等の使用によつても通常の話声を解することが不可能又は著しく困難な程度のもの
知的障害者 一 知的発達の遅滞があり、他人との意思疎通が困難で日常生活を営むのに頻繁に援助を必要とする程度のもの
二 知的発達の遅滞の程度が前号に掲げる程度に達しないもののうち、社会生活への適応が著しく困難なもの
肢体不自由者 一 肢体不自由の状態が補装具の使用によつても歩行、筆記等日常生活における基本的な動作が不可能又は困難な程度のもの
二 肢体不自由の状態が前号に掲げる程度に達しないもののうち、常時の医学的観察指導を必要とする程度のもの
病弱者 一 慢性の呼吸器疾患、腎臓疾患及び神経疾患、悪性新生物その他の疾患の状態が継続して医療又は生活規制を必要とする程度のもの
二 身体虚弱の状態が継続して生活規制を必要とする程度のもの

ここでは、障がいの区分(視覚障害者、聴覚障害者、知的障害者、肢体不自由者、病弱者)と障害の程度を決めています。この就学基準に基づいて就学先が決められます。

③しかし、特別支援教育になって、「認定就学者」が認められるようになりました。つまり例外的に、表1に該当する子どもでも、地域の学校で学ぶことを認めようという制度です。しかし、あくまでもこれは例外的措置です。

④今回の明花さんの地元下市中学へ就学を認めよとの、奈良地裁の行政処分の法的根拠はこの「認定就学者(その者の障害の状態に照らして、当該市町村の設置する小学校又は中学校において適切な教育を受けることができる特別の事情があると認める者・学校教育法施行令5条2号)」の考え方に立っています。

⑤今回の明花さんの問題を、障がいのある他の子どもの問題として考えれば、どうなのでしょうか。障がいのある子どもが、地域の学校で同世代の友だちと「共に学ぶ権利」が認められたのではありません。

⑥明花さんの地元下市中への就学通知は、障がいのある子どもの教育のあり方の問題としては例外的なものであるということです。障害のある子どもの教育は「別学教育」を基本としている点は揺らいでいないのです。

3、障害者権利条約と特別支援教育との間の深い溝

2006年5月3日に障害者権利条約は発効しました。日本政府は2007年9月28日に署名していますから、いずれ批准することになります。

国際条約を批准するとその規定は国内の法律より強いので、現行の法律が権利条約の規定と矛盾したり齟齬をきたすのであれば、それは困るので、国内法を改正する必要が出てきます。この点が特別支援教育にも言えると私は考えます。障害者権利条約を批准する前に、日本の特別支援教育の「別学教育」を「共学教育」へと転換させるような法改正が必要と考えます。障害者権利条約を読むとそれは明らかです。

つまり、日本の障害児教育は、特別支援教育からインクルーシブ教育へと転換する必要があるのです。インクルーシブ教育という表現がなじまなければ、「共学支援教育」と言ってもいいでしょう。

障害者権利条約と特別支援教育とは明確に異なります。この点をしっかりと見ておく必要があります。この冊子の読者の皆さんにも考えてほしいと思います。

障害者権利条約では、その第24条で、障がいのある子どもの教育は「共学教育」=インクルーシブ教育であるべきとして次のように明確に謳っています。

第24条の2の(a)で、

障がいのある人が障がいを理由として一般教育制度から排除されないこと、(Persons with disabilities are not excluded from the general education system on the basis of disability)及び障がいのある子どもが障がいを理由として無償のかつ義務的な初等教育又は中等教育から排除されないこと。

また、第24条の2の(e)で、

完全なインクルージョンという目標に則して、学業面の発達及び社会性の発達を最大にする環境において、効果的で個別化された支援措置がとられること。(Effective individualized support measures are provided in environments that maximize academic and social development, consistent with the goal of full inclusion.

障がいのある人の権利に関する条約<Convention on the Rights of Persons with Disabilities>仮訳(川島聡=長瀬修仮訳)

しかし、文科省の「特別支援教育の推進に関する調査研究協力者会議」が2009年の3月に出した「中間とりまとめ」を見ると、特別支援教育と障害者権利条約で言うインクルーシブ教育とは矛盾しないとしています。この条約に対して下記のような解釈をしているのです。私は理解に苦しみます。なぜこのような初歩的なまちがった、恣意的な読み方をするのでしょうか。この誤った解釈は歴史的にも批判されていくでしょう。

「特別支援教育の更なる充実に向けて(審議の中間とりまとめ)~早期からの教育支援の在り方について~」の中の、7の「障害者の権利に関する条約について」で次のように3点書いています。

「・障害者の権利に関する条約において、教育については、第24条、インクルーシブ・エデュケーション・システム(包容する教育制度)の解釈が課題となる。本条約はインクルーシブ・エデュケーション・システムについて定義規定は示していないが、条文上、障害者が、精神的及び身体的な能力をその可能な最大限度まで発達させることを目的として、障害のある子どもとない子どもとが可能な限り同じ場で教育を受けられるようにすることを求めていると考えられている。また、条約の制定過程等を踏まえれば、特別支援学校の存在は認められているものである。
・本条約が求めるインクルーシブ・エデュケーション・システムは、単なる場の統合ではなく、子ども達を最大限度まで発達させる教育の質を求めており、そのような教育が行われることを前提として、可能な限り同じ場で教育を受けられるようにすることを求めているものと考えられる。
・「障害のある幼児児童生徒の自立や社会参加に向けた主体的な取組を支援するという視点に立ち、幼児児童生徒一人一人の教育的ニーズを把握し、その持てる力を高め、生活や学習上の困難を改善又は克服するため、適切な指導及び必要な支援を行う」という特別支援教育の理念を実現するため、障害のある子どもに対する多様な支援全体を一貫した『教育支援』ととらえ、個別の教育支援計画の作成・活用を通じて、特別支援教育の一層の充実を図っていくべきことを内容とする今回の提言は、本条約の『インクルーシブ・エデュケーション・システム』の実現にも沿うものと考えられる。」

この解釈を読むと、要するにインクルーシブ・エデュケーション・システムは、障害者が、「精神的及び身体的な能力をその可能な最大限度まで発達させることを目的として、障害のある子どもとない子どもとが可能な限り同じ場で教育を受けられるようにすること」を求めていると解釈しているのですが、上記の障害者権利条約をよく読んでいただくと分かるように、そう書いていません。まず、障害を理由に分けること、つまり障害のない子ども達の教育制度から排除されることは許されない、と述べています。同時に、「学業面の発達及び社会性の発達を最大にする環境において、効果的で個別化された支援措置がとられること」としていますが、それはあくまでも「完全なインクルージョンという目標に則して」と明記されているのです。障がいのある子どもの発達のために分けてもいいと言っているのではないのです。分けないで障がいのある子どもの発達を保障すると書いているのです。

これは現状と理念とを混同させて誤った解釈をしているとも言えます。これまで長い間、成長・発達のためには障害のあるなしで子どもを分けてきました。これはよくないから障害者権利条約では、「別学教育」をやめて「共学教育」をめざそう、と方向を理念として明確にしたのです。しかし、調査研究協力者会議は、日本の「別学教育」を追認するかたちで、「可能な限り同じ場で」と理念を矮小化しています。念のために書き添えますが、理念だから現状のままでいいというのではありません。理念をめざす必要があるのです。障害を理由に排除しないように改めることを強く障害者の権利条約は求めているのです。だから権利条約なのです。

「条約の制定過程等を踏まえれば、特別支援学校の存在は認められているものである。」と書かれていますが、現状では当然のことですが特別支援学校の存在は否定できません。しかし、今後のあるべき方向は、「障害を理由に排除しない」ことであると言い切っています。つまり、これからの障がいのある子どもの教育は「別学教育」でなく「共学教育」であると明確に宣言しているのです。

ですから、現状は現状ですから認めざるをえないのですが、追認するのにとどまるのではなくまず、教育制度を特別支援教育からインクルーシブ教育へと転換させ徐々にそのあるべき制度に向けて現状を変えていく必要があるのです。障害者権利条約の第24条で、障がいのある子どもの教育の理念として「共学教育」を明示した意味は重要です。

4、明花さんの小学校の経験の意味するもの

明花さんが阿知賀(あちが)小学校で経験した「共学教育」の経験は、「障害者が、精神的及び身体的な能力をその可能な最大限度まで発達させることを目的として、障害のある子どもとない子どもとが可能な限り同じ場で教育を受けられるようにすることを求めていると考えられている。」との考え方が間違っていることを証明していると思います。少し説明を要すると思います。この考え方は、「可能な限り」という表現の意味を考える必要があります。この考え方は次のような内容を表現しています。

①教育は子どもの発達を目的とする。
②子どもが発達するのであれば、<可能な限り>同じ場で教育する。
③子どもが発達しないのであれば、<当然のことだが>別の場で教育する。

こういう意味が読みとれます。子どもの発達を前提に学ぶ場を決めていて差別的です。このような考え方によって障がいのある子どもたちが長い間いつも障がいを理由に分けられてきました。

私はニュージーランドの発達心理学者が反省して「私たちは発達を強いて子どもを分断してきた。発達を強いることも分断することも間違いだと気づかされた」という言葉を思い出します。

教育実践の取り組みの結果として、発達が見られないなら、生きる場を分けていいのでしょうか。その発達とはどういう発達なのでしょうか。その時の教育実践を問い直すべきなのではないでしょうか。分ければ発達するという発達とはどのような発達なのでしょうか。発達することとの関係で子どもが生きる場を決めていいのでしょうか。このような問題が次々と出てきます。安易に「障害者が、精神的及び身体的な能力をその可能な最大限度まで発達させることを目的として、障害のある子どもとない子どもとが可能な限り同じ場で教育を受けられるようにすることを求めていると考えられている。」と障害者権利条約の条項を矮小化して解釈してはいけません。

明花さんは、阿知賀(あちが)小学校で他の子どもたちと学ぶことによって十分に意義のある発達が見られたと報告されています。ここに「共学教育」の意義があるとされています。それでは明花さんのように十分な発達が見られない場合、共生教育はみとめられないのでしょうか。発達が見られなければ別学教育にならざるをえないのでしょうか。どのような教育の場が用意されるのでしょうか。

日本の特別支援教育では、障害の種類と程度によって学ぶ場と教育実践とを結びつけて就学基準を設け、子どもの学ぶ場を堂々と分けているのですが、この現状に予定調和的に障害者権利条約を読んでいるのです。

明花さんの努力には感動します。しかし、努力の成果が目に見えないこと、うまくいかなかったこともいっぱいあったのではないでしょうか。そのような目に見える成果の見られなかった事柄もやはり、共に生活し共に学んできた結果としていっぱいあったのではないでしょうか。むしろこのことにこそ「共学教育」の意義を読みとる必要があると私は考えます。同世代の友だちと共に生活し共に学ぶことがいかに大切か、明花さんの6年間の生活の一コマ一コマが共に学ぶことの大切さを物語っているのではないでしょうか。一見共に生活することからくるつらい苦しい体験も、排除された結果の場ではなく、当然の権利として受け入れられるべき場と考えられたからこそ、つらいことも乗り越えようとする意欲が湧き出たのではないでしょうか。明花さんの訓練の様子をビデオで拝見して私はそう感じました。発達が目的ではなく、発達が共に生きることでもあるから頑張られたのだと私は考えます。ですから、「発達」がみられなくても共に生きることは権利としてあるのです。このことを権利条約は主張しているのです。

5、学ぶとはどういうことか

今回の問題で不思議に思ったことがあります。明花さんが中学校の入学式に出席できなかったことに対して、なぜ明花さんと共に学んできた子どもたちが抗議か何らかの行動を起こさなかったのかという点です。

私は大阪市立大学で「障害者と人権」という講義を担当しています。その受講生に障がいのある人に対する印象を聞くと、6,7割の学生が「かわいそうな人」「何もできない人」「福祉の対象」「こわい」という言葉を並べます。学生達は障がいのある人に対してこのような印象を持っているのです。障がいのある人と接することが少ない、ほとんどないからなのでしょう。障がいのある人を知らない、その具体的な生活を知らないからでしょう。知らないということは社会の常識、偏見を身につけているということでしょう。

しかし、私の大学の学生の多くは関西出身ですから、障がいのある子どもとの出会いがそれなりにあるはずです。それでもこのような見方を持っているというのは、自分にとって障がいのある子どもは仲間の一人ではないと考えていたのではないか、と勘ぐってしまいたくなります。あるいは、道徳教育の一環としての「障がいのある友だち」であったのかも知れません。

今の時代は、他者との関係とは、トラブルや誤解、軋轢を超えて関係が深くなるというよりは、差し障りのない程度にさらっと関わるという関係の持ち方が通常になってきているように思います。このことは学校で学ぶときにもそうなっているのではないかと心配します。一人ひとりのちがいがあるから、予想を超えたおもしろい学びあいがおき、関係が深まるのに、むしろ逆になっているように見えます。授業を拝見するとそう感じます。

学びを掘り下げるためには他者との出会いが不可欠です。他者とのぶつかり合いを通して自分の感じ方や考え方や立場が自分にも見えてくるからです。なにもはげしくぶつかり合う必要はないのですが、自分というものを持ち他者の存在に気づき、同じところを持っているが異なっているところもあると気づき、だから予定通りに行かない他者との関係に翻弄されつつ、その中で他者には代え難い親友になっていくということが少ないのではないか、と心配します。

障がいのある子どもと出会った経験を持つ子どもや学生が増えてはいるのですが、やはり、「交流と共同学習」にとどまっているのだと私は思います。

私は、明花さんとは一度しかお目にかかっていません。しかし、明花さんに会った時に、明花さんの場合上下肢に障がいがあるために、だからこそ他者との関係を表面的な関係としてすませることが困難な分だけ、より他者との関係を深いところで感じとり考えてしまうだろう、とそう私は予想しました。そしてそのような関係の中での体験が明花さんらしい自分の生き方になっていくのではないかと思いました。

6、特別支援教育からインクルーシブ教育へ

人間関係が希薄化する現代において、「共生教育」をどのように根付かせていくか、この点を考えざるを得ないのですが、それでも障がいのある子どもとない子がふれあい接する機会を奪っている現状は何としてでも変えたいと思います。いや、「共生教育」が制度として定着すれば人間関係の希薄化もくい止めることができるかもしれません。

今回の総選挙がどのような結果になるのか、私は注目しています。さらに、そこで生まれた政権が障害者権利条約を批准することになると思いますが、是非障害児教育制度の基本を「共学教育」つまり「インクルーシブ教育」へと法改正した上で批准を行ってほしいと強く願っています。

(2009/8/23)