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1000字提言

ようこそ私の世界へ

「人魚姫」と「自閉症」

熊埜御堂朋子

 「アンデルセンの物語に『人魚姫』があるでしょ。人魚姫は、私たちとは全く違う世界、水の中の世界からやってくる。違う存在になりたい、別の世界に行きたいと願う。しかし私たちには彼女がどんな犠牲を払い、勇気を持って努力しているかがわからない…。白閉症者についても同じなんです。彼らもたぶん、限られた世界だと認識しているところから出てみんなと同じ世界に入っていきたい、他者と交わりたいと思っているんです。そのために苦しみ、奮闘している。そんな勇気ある人たちに対してやさしくしなければと皆に気づいて欲しいのです」

 私が、今年の6月、取材でロンドンを訪れた時、認知心理学者で自閉症の専門家ウタ・フリス博士は、私にこのように語りました。「人魚姫」と「自閉症」―この深遠なるメタファーをどう受け止めたらいいのだろう…。「自閉症」という未知の領域がただ目の前に広がっている感じでした。

 その時、私は「自閉症」に関する番組を制作するために1か月間イギリスに滞在していました。3年前に出版された自閉症の女性による自伝『NOBODY NOWHERE』(『自閉症だった私へ』新潮社)の著者ドナ・ウィリアムズを取材するためでした。

 ドナは今年32歳。オーストラリア生まれの彼女は、1年前に同じような自閉症(本人は「アスペルガー症候群」と言っている)の男性と結婚し、イギリス西部ウェールズ地方で新しい生活を始めていました。彼女は、社会的な人とのコミュニケーションは苦手でも、”書くこと”を通して自分の気持ちを自由に表現できるといいます。撮影の前に私たちに送ってきた何十枚というFAXは、幾つかの章からなる1冊の本のようでした。「自閉症とは何か」「私たちの世界とあなたたちの世界」「感覚の世界と解釈・言葉の世界」「違っていても同じ」「自閉症にとっての理想的な世界とは」「そのような社会を作りだすことは、今日、可能だろうか」など。

 「彼女たちの世界」と「私たちの世界」。2つの世界はどのように異なる世界なのでしょうか。先のフリス氏は「私たちは自閉症の人から多くを学ばなければなりません。それはエキサイティングな挑戦です」と言いました。今、自分の言葉で自分の心の世界を語り始めたドナ。まずは、彼女たちの世界を知ることから始めなければならない、私はドナの世界の入り口にようやく立ったばかりです。

(くまのみどうともこ・NHK番組制作局教養番組部)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1995年10月号(第15巻 通巻171号) 27頁