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ワールド・ナウ

ドルビー由起子

イギリス

シャープな政策とその成果

●イギリスのノーマライゼーションの歴史

 ゴフマンは、”アサイラム”の中で、大きな精神病院のシステム化された組織で生活する患者達が受け取る数々のネガティブな影響を証明した。それは戦前のこと。

 そして1960年代、患者が病院スタッフによって殺された事件が何か所かの病院で起こり、それから脱施設化が始まっていった。

 大きな建物に収容されていた患者たちは、いくらか小さな施設で暮らすこととなる。それまで身体障害者、精神病者、知的障害者らの障害は、病気として理解されており、器としての社会には目は向けられていなかった。脱施設化はまた、予算削減をもたらしてくれる、政府にとっては有り難い動きでもあった。

 そしてノーマライゼーション・ムーブメントがしばらくして起こることになる。

 患者モデルとしてではない、幸福に生きる権利を持つ1個人として、あたり前に、普通に暮らす権利が、なんらかの障害を持つこととなった者にはあるのだという概念の転換である。だから社会の側にそれらの器を作っていく必要があるのだ。

 そして1993年コミュニティケアという法律ができた。できる限り地域の中で暮らせるように、一人ひとりの細かなニーズを評価し、それに必要なサービスを提供していく義務を自治体が持つという素晴らしい法律である。

 これらの歴史を経て、今があるわけである。

 しかし、実際にそれが実践されてみると、果してどうだろう?

●1995年、ある4人の知的障害者の事例から

 10年近く前まで同じ施設(自治体運営)にその他の20人のレジデントと共に暮らしていたが、閉鎖されることとなり、自治体のワーカーによるアセスメントを受け、その4人はあるボランタリー団体が持つグループホームへと移る。残りの20人もそれぞれ、違うボランタリー団体運営のグループホームへ移った。みな同じ町にある。

 さて、その4人のうちの1人は、知的障害よりもむしろ精神障害が強く、彼女の存在は、残りの3人が穏やかに暮らすことを、夜中に叫び、家具を壊し、3人の持ち物を隠したりすることで、1年近くにわたって妨害していたのだった。

 コミュニティ・ラーニング・ディスアビリティ・チーム(コンサルタント精神科医、精神保健看護婦、OT、サイコロジスト等からなる)が知的障害者が地域で生活することを助けるわけであるが、彼女に入院の必要を認めないというのが、精神科医の常なる意見であった。できる限り外に出て何かをすることを薦めて、OTがそのサポートをしても、彼女が1番したいことは、どこに行かず、自分の部屋に引きこもっていることなのだった。最も難しいことは、彼女自身が助けが欲しいという意志を表さないことであった。それがなければ、他者に危害を加えない限り何も強制できないのである。

 危機的状況が起こらない限り、彼女を病院に移すことは不可能であるし、病院以外で、彼女が暮らせそうな場所はソーシャルサービスに再三かけあったものの、資源がないため無い袖は振られなかった。残りの3人は1年近く、彼女を抱えて生活しなければならないことに、静かに悲鳴を上げ続けていた。

 そもそも、彼女が残りの3人と暮らすべく、アセスメントされたことに、まず自治体の側の問題があったわけであるが。

 彼女のこの行動の裏側には、実は地域で暮らすことの不安があった。むしろ自分は病院にいた方が安心できるのだ、と彼女自身が最終的に語ったのだった。しかし、病院は、自傷他害の恐れがない限り、簡単には入院を認めないようになってしまっている。

 ある夜、パジャマ姿で家を飛び出した彼女は、警察に保護された。サポートワーカーもパジャマの上にズボンをはいて警察へ跳んで行った。残りの3人は、もう彼女を迎えるつもりはなく、(グループホームを運営するオーガニゼーションによって静かに暮らす彼らの権利は保障されているので、拒否する権利を彼らは持っている)そうなると自治体が、全ての権利を負って、なんとかして彼女の住むところを探さなければならない義務を負う。ソーシャルサービスとすったもんだの果てに(責任転嫁が医療側とソーシャルサービス側で続いたのだ)、ようやく半日かかって彼女を別のグループホームへ移すこととなった。その間、彼女とサポートワーカーは、警察のイスに座ったまま夜明けを迎えたのだった。その新しいグループホームは、ソーシャルサービスが今まで使ったことのない民間のもので、ソーシャルサービスとしては半信半疑であったらしい。

 けれど幸いに彼女は新しい場所に落ち着いて、今はそこで暮らしている。

●事例の背景にあるもの

 この町のある県に配分される、中央政府からの予算は咋年から突然大幅カットをされ、パンク状態になってしまった。それまでの状態を保つことさえままならず、実際、命に関わることでない限り何もできないような有様なのである。クライエントのニーズ評価から、そのケアパッケージに合ったサービスの提供をうたう法律を立てた中央政府自身が、法律にのっとったサービスを提供しようとしている自治体を締め上げているような矛盾がある。この自治体が中央政府に対して訴訟を起こそうとしているのはこのためである。この県の他に6つのパンク状態県がある。

 彼ら3人の行っている、自治体運営アダルト・オポチュニティ・センター(デイケアセンターのようなもの)はこの2~3年閉鎖される危機を毎年味わってきた。その度に、本人たち、その家族がプロテストし1年、2年とどうにか持ちこたえてきたものの、果して来年は? 誰にも判らない。

 昼間行き場を失うことになったら、何百人という知的障害を持つ人々を、誰がどうケアしていくのか? その費用は1つのセンターを維持していくのにかかる費用の比ではあるまい。

 概念の理論化、そしてそれを政策としてうちたてていくこの国のシャープさに目を見張るものの、政策ばかりが先行し、財源、資源のないままに動き始めた結果、あちこちでそのひずみをみつけるのは残念でならない。そのひずみは人の生死に関わるものなのである。

Triune)

Triune・トライユン イギリスでの社会福祉研修、視察のコーディネイトの事業を行っている。


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1995年10月号(第15巻 通巻171号) 68頁~69頁