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特集/今、障害者の資格制限は

精神障害者に対する資格制限の現状と課題

安田好弘

 「障害者の権利に関する宣言」(1975年、国連総会決議)は、「障害者は、人間としての尊厳を尊重される同有の権利を有し、障害者が他の人間と同じ市民的・政治的権利を有し、その能力に応じて雇用を確保し維持し、すべての搾取的、差別的、虐待的及び品位を傷つける性質のすべての規制や取扱から保護されるべきである」としている。しかし、わが国では、現在もなお、精神障害を理由とする資格制限や行動制限が存在する。

一 資格制限の概要

 精神障害を理由とする資格制限は、精神障害そのものを理由とする資格制限と、禁治産、準禁治産を理由とする資格制限に大別される。

 精神障害を理由とする制限にあっては、医師、看護婦、調理師、美容師、自動者運転等の免許から風俗営業、薬局の許認可に至るまで約80の資格や職業を禁止し、さらに警備員としての就業、危険なペットの飼育、図書館等の公共施設の利用、議会の傍聴などの様々な行動を禁止ないし制限している。禁治産・準禁治産を理由とする資格制限は、一般職の公務員からモーターボート選手に至るまで約百数十の資格ないし職業に及ぶ。

 また、制限の態様として、絶対的制限(裁量の余地なく、必ず資格を取得できないし、既に資格を取得しているときは必ず資格を剥奪される)と相対的制限(許認可権を有する者の裁量により資格を取得することができる場合もあるし、また既に資格を取得しているときは資格を剥奪されないこともある)とがあり、多くが絶対的制限であって、受験資格さえ取得できないし、一旦剥奪されると後に資格制限事由が消滅しても当然に資格が回復されるのではなく、再びゼロから受験し免許を取得しなければならない場合が多い。

 もっとも警備業のように資格を取得する場合は絶対的であっても、一旦取得した後これを剥奪するには相対的であったり、放射性同位元素の使用の免許のように、一定期間の資格の停止にとどまるもの、医師免許のように資格制限事由が消滅すれば裁量的に資格を回復できるものもある。狩猟免許のように、資格を剥奪されるにあたって理由を告知されこれに反論する機会が全く保障されていないものも多数あり、自動車運転免許のように裁量的に機会を省略しても良しとするものもある。

 これらの規定は、いずれも人間の尊厳・幸福追求権(憲法13条)、平等に扱われる権利(同14条)、職業選択の自由(同22条)生存権(同25条)、勤労する権利(同27条)を侵害し、また適正手続を受ける権利(同31条)を侵害しており、著しく正義と公正に反している。

二 精神障害者に対する資格制限の不合理

 かつて、欧米諸国において、てんかんを理由に自動車運転免許の資格を制限する例があったが、そのほとんどは既に撤廃されている。いわゆる先進国において、精神障害を理由としてこのように多くの資格を制限しているのはわが国だけである。

 精神障害者に対する資格制限が正当であるとし得るためには、何よりもまず制限されるべき資格と制限事由との間に合理的関連性がなければならない。しかし、過去、精神障害を理由として資格を制限しなければならないと実証されたことはなく、もとより資格を制限しなければならないような経験的事例も報告されていない。

 もちろん、これらの法令の立法過程にあっても、その立法理由や制限根拠が説明されたことはなく、またこれが問題となったこともなく、立法者の精神障害者に対する差別と偏見の産物として、資格を定める法令のアクセサリーともいうべき安直さで制定されてきた。

 資格制限規定の多くは、禁治産、準禁治産を制限事由としている。しかし、禁治産、準禁治産は、民法上、もっぱら心神喪失者、心神耗弱者の財産権を保護するために設けられたものであって、決してその市民権や生活権を制限し、あるいは剥奪するために設けられたものではない。また、「精神障害」、「精神病」あるいは各種の「中毒」を資格制限事由とする規定にあっても、それらの事由の多くは、治療のための診断名に過ぎず、それ自体、資格付与の可否を前提とした技能、能力の如何を前提としたものではなく、その程度、態様は様々であって、時間的に変動しうるものである。また、これらは、決して技能、能力の低減の状態を示すものでもない。したがって、これらの概念はおよそ制限事由とするには適さないものである。

 資格制限の目的は、つまるところ、資格に不適格な人を排除することにあるのであるから、資格制限事由は端的に有資格者として要求されている職務を遂行することが不能である場合と定めれば足り(すなわち、心身の故障により職務遂行が不能であるときと定めれば足る)、また仮に百歩譲って、これらの概念の使用を認めるとしても、その程度は軽度なものから重度なものまであるのであるから、それによる制限はあくまでも相対的制限にとどめるべきである。さらに、禁治産であっても心神喪失の状態から回復しうるものであり、精神障害、精神病も治癒あるいは寛解しうるものであるから、これらをもって恒久的、絶対的な資格剥奪事由とすることはおよそ妥当性を欠くものである。したがって、仮にこれらをもって資格を制限するとしても、その制限の態様は資格の停止にとどめるべきであり、資格を剥奪するとしても、制限事由が消滅したときは絶対的に資格の回復を保障すべきである。その際、医師に治療を受けていることも十分に尊重されなければならない。

三 精神障害者に対する資格制限の問題点

1 精神障害者に対する資格制限は、精神障害者の社会参加を妨げ、精神障害者の治療関係を破壊し、さらに社会に精神障害者に対する差別・偏見を固着化させ増大させている。

2 精神障害者がこれらの資格制限規定に抵触しない職業を見つけだすことは不可能に近く、精神障害者から就労の機会を奪い、社会参加を著しく困難にしている。

 精神障害者は、法令に規定された幾多の職業や職場から直接的に排除されているにとどまらない。自動運転免許の資格制限等により、通勤に車を必要とする職場や車の運転を必要とする業務(例えば配達やセールス等)からも間接的に排除されいる。加えて、自傷他害のおそれのある精神障害者を就労させた者は6か月以下の懲役または30万円以下の罰金に処せられるとの事業主に対する規制(労働安全衛生法)や、職場の同僚の差別意識により、副次的に、職場一般から広範に排除されている。

3 資格制限規定は、精神障害者の治療関係を破壊し、時には病状を悪化させる要因となっており、精神障害者にとって有害である。

 資格制限条項により精神障害者の社会参加が妨げられいること自体が、精神障害者の治療や就職への意欲を喪失させ、治療にとって有害であるばかりでなく、精神科の医師に治療を受けることは、とりもなおさず自分が欠格事由に該当するのではないかと疑われる契機を提供するものであり、ましてや資格取得に際して診断書を要求される場合には、現に治療を受けている医師をはじめとして精神科の専門医のところに出かけることさえ警戒して断念せざるを得なくなり、精神科の医師との治療関係そのものを破壊させている。また、病歴を隠し、あるいは病状を隠して職業に就くことができたとしても、いつまたこれが露見して職場を排除されるかもしれないという不安を拭うことができず、これらが強いストレスとなって病気を再発させあるいは病状を悪化させる原因となっている。

4 法令に基づく排除は、国家が精神障害者に対する偏見を肯定しこれに基づく差別を制度化し実態化したものである。精神障害者を理容師等から排除するという法令は、精神障害者は何をするか分からない危険な存在であるという偏見を、警備業等からの排除は、精神障害者は責任のある仕事ができないという偏見を、図書館等の利用制限は、精神障害者は迷惑な存在であるという偏見を、それぞれ実体化したものであって、社会の中に偏見や差別を固定化し、これらを助長している。

四 資格制限撤廃への動き

 資格制限条項撤廃への動きは、精神障害者の人権と生活権を取り戻すための運動の一環として、精神障害者自身や家族、精神医療従事者や一部の市民の努力によって取り組まれてきた。これらの運動は、全国各地の精神医療人権センターの運動とあいまって、条例の行動制限の撤廃や公衆浴場法の浴場への入場制限などを廃止させ、1987年の「精神障害者に対する資格制限等について検討を行うとともに、社会における精神障害者に対する不当な差別・偏見を解消するために必要な努力を払うこと」という国会決議や、1987年の厚生省の各省庁に対する欠格条項についての検討指示を引き出し、調理師、栄養士等の資格制限を相対的欠格事由へと変更させた。

 しかし、これらの運動も1987年以降沈滞し、前述のとおり、未だほとんどの規定が放置されたままであり、その撤廃の兆しもまったくみられない。もっとも、全家連が1993年、これらの問題に焦点をあてて提言をするなど再びこの問題に挑戦しようとしている動きもみられる。

 平等と共生を基本の理念とする民主主義国家において、このような不合理にして侮辱的な差別が許されるはずなく、一刻も早く、これらの資格制限条項が根本的に見直され撤廃されることが必要であると考える。

(やすだよしひろ 弁護士)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1995年11月号(第15巻 通巻172号) 17頁~19頁