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1000字提言

国際養子の実態にふれて感じたこと

千葉茂樹

「このお子さんを養子にされた動機は、どんなことでしょうか」

 半年前、テレビ取材で訪れたベルギーの街角で、私はある親子連れに近づいて思わず声をかけた。40代らしい母親は、3人の実子のほかにインドからきた養子2人を連れていた。しかも、その1人は車イスの少年だったので失礼を承知で、街頭インタビューに及んだのだ。

「動機は特にありません。私たち夫婦は出来るだけ沢山の子供を育てたい、と思っているだけです」

 私は、ベルギーの国際養子に関してこれに近い答を何度も聞いてきた。しかし、あえて障害のある子供を承知で養子に迎え入れている実態を知って、改めてノーマライゼーションについて考えさせられたのである。

 民間の養子センターのひとつ「SOS・エマニエル」のオフィスを訪ねてみた。田舎町の一隅に、古い農家を改造した住宅兼事務所、代表者のバルドゥー氏は内科の医師を務めながら、国際養子の運動にかかわって10年の歴史の持主だった。

 オフィス入口の壁面には、「SOS・エマニエル」がアレンジした養子とその家族たちの写真が貼りだされている。驚いたのは、5年間に、このセンターを介して250人の養子が海外からベルギーの家庭に迎えられているが、その全てが何らかの障害をもつ子供たちだったのである。

「ベルギーでは、国際養子を始めて30年近くなりますが、時代の変化と共に子供たちの祖国も変化してきました。現実には、障害をもつ子に限って養子に出すことを許可してくる国が増えています。私たちの場合は、それに応えようとして設立した団体なのです」

 ドクター・バルドゥー家の場合も、実子3人の他6人すべてが障害をもつ子供たちが仲良く生活していた。

 その背景には、ベルギー社会が実子、養子や障害の有無に関係なく児童手当や障害者手当を通じて、こうした養子家庭を支えている現実があるのだ。

 私は、この実態にふれて「開かれた家庭、開かれた社会-成熱した人間社会」のありようを痛感したのだった。

(ちばしげき 映画作家 日本映画学校副校長)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1995年11月号(第15巻 通巻172号) 21頁