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特集/障害者基本計画

「基本計画」への期待

■基本的人権をもう一人の人間として

安藤豊喜

 聴覚障害は、主体性・自立性の確立が困難な障害と言えるのではないでしょうか。

 この疑問は、決して聴覚障害者に主体性や自立性を確保する能力がないと言うのではなく、障害が見えなく、情報・コミュニケーションに制約を受ける障害であり、場合によっては人間的な能力さえ疑われるような障害の特性に原因があると思うのです。

 基本計画に対する期待の第1は、「基本的人権を持つ1人の人間として、障害者自身が主体性、自立性を確保し、社会活動に積極的に参加していくことを期待するとともに、その能力が十分発揮できるような施策の推進に努める」との指針の実現にあります。

 と言いますのは、聴覚障害者は、民法によって、心神耗弱者と同様な扱いを受けてきた歴史を持ちます。教育条件の未整備時代に制定された法律によって、心神耗弱者のように自己判断能力が欠如し、後見者を必要とするとした屈辱的な民法11条は、聴覚障害者自身の運動によって改正されましたが、道路交通法88条や医師関係法律など、まだ聴覚障害者を絶対欠格者とする法律が存在していることを残念に思うのです。

 また、基本的人権の1つである参政権についても、政見放送における手話通訳の導入が長年の要求によって、ようやく1995年7月の参議院比例区選挙のみ実現しましたが、それも政党に手話通訳導入可否の判断を一任する任意性のものであり、選挙区の政見放送への手話通訳導入は棚上げのままです。手話通訳上の要約、意訳をことさら問題として取り上げ、「そのまま放送しなければならない」との公職選挙法を絶対とする考え方は、聴覚障害者の基本的人権尊重の立場に立ったものではなく、手話に対する理解の欠如と聴覚障害者の人間としての尊厳性を軽視する立場からの判断と言わざるを得ません。障害者の主体性・自立性実現の方途を考察すると、障害者自身の障害を克服し、社会経済活動に参加していく積極的な努力と、一般社会の障害者に対する理解の促進が重要と言えますし、基本計画にいう障害者の自立性・主体性の確立はこの2つに期待している面が強い感じを受けます。

 それを一歩踏み込んで、国が国民の福祉を守る立場から制定する法律によって、主体的・自立的に生きて行くことを制約されている人たちがいることを認識し、法律全般を見直し、障害ゆえの差別や排除の項目は完全に撤廃すべきであると考えます。また、手話に対しても、音声言語(国語)と同レベルでの評価を行い、それを法律に明記すべきと思うのです。障害者問題を慈善とか、保護の視点で論じ、それを根拠とした法律は過去のものとしなくてはならないし、基本計画にいう、「基本的人権を持つ1人の人間」という理念の重みを知ってほしいと考えるのです。

 主体性・自立性の確立を抽象的な指針に終わらせず、法的に明らかにし、関係法律が人権尊重の視点で整備されるよう期待します。

(あんどうとよき 日本ろうあ連盟副理事長)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1996年1月号(第16巻 通巻174号) 22頁