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車イスの社会進出を

ツルネン・マルティ

 湯河原高校には、昨年まで車イスで通学している女子生徒がいました。駅で同級生に支えられて電車を降り、楽しそうに会話しながら通学する光景は、誰の目にも爽やかでした。普通の学校に障害者が通うことは日本では珍しいことのようですが、私の母国フィンランドではごく当たり前のことです。地方自治体の職員が自宅まで車イス専用の車で迎えに行き、放課後は家まで送ります。もちろん公費で賄われます。

 私は、教育の現場で養護学校と普通の学校を分離すべきではないと思います。同じ環境で共生共創することは、思いやりの心を学び、障害を持つことの意義をお互いに考えるという研修の大事な要素になるはずです。

 車イスで働ける職場は、受け入れる側の理解さえあれば困難ではありません。事務的な仕事は特にそうです。奥の部屋に閉じ込めるのではなく、窓口業務をしてもらうことに意味があります。通信技術が格段に進歩した今日では在宅勤務も十分可能でしょう。

 社会参加のもう1つの要素は、障害者が記事などで世論に訴えるときに、自分の問題から離れて国際化、政治、環境などの全く違った分野で意見を述べるよう努力すべきです。

 福祉の本来の意味は「困っている人を助ける」ことだけではありません。漢和辞典によると「福」も「祉」も神から恵まれる豊かさと幸せであります。つまり、人と自然が一体となって、貧富強弱が互いに助け合って、共に生活し、共に文化を築き上げていく。この定義に基づいて、フィンランドではいま福祉を含めた社会生活の向上に必要な働きを総合的に「社会保障」と呼んでいます。

 車イスで社会生活を送ることは、日本でも以前よりはできるようになりましたが、自力で利用できる設備はまだ極めて少ないと言えます。車イスで畑に行ける道路、障害者も動物の世話ができる環境、ボランティアとキャンプを体験するなどすでに行われている活動も、地方自治体と共同して浸透させることも必要でしょう。

 ノーマライゼーション(常態化)は障害者だけの課題ではありません。障害者を施設という枠に閉じ込めないで、地域社会の中に積極的に受け入れる運動こそ、社会の常態化であります。

 車イスで生活する人たちを毎日見かけ、障害者が社会を構成する同じ仲間として活躍するような社会創り、この共生共創の展望こそ、私たちがめざすべき道ではないでしょうか。

(元湯河原町議員)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1996年1月号(第16巻 通巻174号) 37頁