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列島縦断ネットワーキング

[岐阜]

「ふれあい講演会」を障害者自身の手で開催

上村数洋

 「頸髄損傷者連絡会・岐阜」では、同じ地域に住む、同じ様な重度の障害を持つもの同士が集まり、社会参加に向けての悩みや問題点、課題について話し合うため、昨年10月7日(土)、可児市(岐阜県)の福祉センターにおいて、「全国頸髄損傷者連絡会・中部地区大会」を開きました。記念行事として、翌8日(日)、「People firstふれあい講演会」と「ミニ福祉機器展」を開催しました。当日は、生憎の雨模様にも関わらず開会と同時に、県内外より行政、福祉、リハビリテーションの関係者を始め、障害者やその家族など500人を超す参加者がありました。

 「今、地域福祉、地域リハを考える」をテーマに掲げ、厚生省の奥野英子身体障害者福祉専門官を始め、東京コロニーの調一興理事長、大東市(大阪府)保健医療福祉センターの山本和儀次長を講師に迎えて開いた講演会では、それぞれの立場からお話頂きました。施策説明、現状のみなおしを含めた問題点の指摘、そして今後への課題や提言に、立ち席が出るほどつめかけた参加者が、最後まで熱心に耳を傾け、メモを走らせていました。

 また、重度の障害者が日常生活を築く上で必要なものを中心に集めた「ミニ福祉機器展」では、食事介助ロボットのデモや、最新の環境制御装置、各種車いす、コミュニケーション機器に直接触れて確かめられることもあり、人気のあるコーナーでは列が出来たり、何分も一生懸命説明を受ける障害者の家族連れの姿等が目立ちました。

●今回の催しをひらいたワケ

 私達は2年半前、同じ地方に住む者同士が手をつなぎ、助け合い、情報や知識を吸収し、広く社会を見つめ、積極的に社会参加を目指していく中で、地域の人達の理解を得、共生していくことが出来たら…と、強く感じるようになり、社会参加と共生(住みよい町づくりも含め)を目的に会をつくりました。折しも、私達障害者をとりまく環境は、国連障害者の十年を終え、地域福祉の時代に入ろうとする中、障害者が、これまでの福祉施策の名のもとに保護され、それに甘んじている時はとうに過ぎ、これからは障害者自身のやる気と資質が問われる時代に入ってきていると思います。国は、都道府県レベルから市町村に対し、障害者基本計画の策定を促し、県も福祉を最重要施策に、可児市においては「人にやさしい福祉の町づくり」を打ち出し取り組みを始めました。

 でも、そうした取り組みを成功させるキーワードは、他ならぬ我々障害者が握っているのではないでしょうか?

 活動を始めて2年半、私達の仲間からは、社会参加を目指す上からの交通アクセスの問題や、就労に対する切なる願望、そして介護問題を含む将来への不安など、今後課題として取り組まなくてはならない多くの問題点が出され、話し合われるようになりました。

 生活のすべてを介助者なしではできない者にとって、現在の取り組みは決して充分であるとは言い難いばかりか、とても大きな不安を抱かずにはおられません。

 本来、地域に密着し、よりきめの細かな対応を目的にスタートしたはずの地域福祉においても、すでに都道府県間は言うに及ばず、同一県内市町村間においてさえ格差が生じ始めています。

 例えば、在宅福祉の三本柱の1つの「ホームヘルパー制度」においても、私達障害者が対象になっておらず受けられない町村が実在し、全国の町村の中にもまだ沢山あると思います。介護をする側からすれば苦労や手間は同じはずなのに、なぜか障害者は除かれ、高齢者のみが対象の制度も多くみかけられます。どんな田舎の小さな町や村にいっても、お年寄りが集い、お風呂に入りカラオケに興じたり、ゲートボールなどを楽しむ場所は確保されていても、私達障害者が社会参加に向けて話し合ったり、取り組みをしようとする時、そういった場所が無いばかりか、探すことさえ大変な現状です。

 こうした高齢者施策の突出や、地域間格差(地域格差)は、単に財政的、人材的理由からのみ発生しているのではなくて、行政窓口や地域の理解という、とても大きくて根の深いところから発生しているのです。

 遅蒔きながら、我が県においても平成9年に向けリハビリテーションセンター構築の動きがあります。これまで、公的な医療機関においてさえ、家庭復帰、社会復帰に向けての十分な指導が受けられなかったことからするととても歓迎すべきことなのですが、気になるのはリハビリテーションの意味のとらえ方です。今や「リハビリテーション」は、障害(児)者の社会参加全域における支援ととらえるべきところを、機能回復訓練とか、医療機関の延長線上でしかとらえられておらず、「東洋医学」と「温泉治療」だとか、「温泉」と「保養」という言葉が関係者の口から発せられるのを聞く度に、時代錯誤を超えた意識のズレに、不安と、いたたまれない危機感を感じずにはおられません。

 そうした複雑な思いの中、岐阜県と可児市のご指導とご支援を頂き、我々は、重度の障害者にも「何か出来ることはないか?」「何か出来るはずだ!」を合言葉に、たとえ動けなくても、今回は、他より少し優っている、我々の持つ「人のつながり」と「情報量」を最大限に活かし、広く県内の福祉を始め、地域リハに携わられる専門家の皆さんや、地域住民、会員も含む障害者の皆さんへ情報や機会を提供し、その中で、また新たな出会いと情報や知識を共有し、お互いに理解を深め、「ふれあい」の場を持つことが出来れば…と、今回の催しを企画しました。

●準備を進める中で

 企画と同時に、「出来る限り自分達の力で、手作りでいいから自分達の持ち味を活かした取り組みをしたい!」と始めましたが、会員は皆、重度の四肢麻痺者ばかり。その日の体調や介助者の家族の都合などにより、打ち合せや準備のために集まることもままなりません。車いすの仲間がそれなりに集まろうとすると、会場の選択にも手間どります。それでも、会場や駐車場を借りる交渉や、協力の依頼などは出来る限りメンバーが顔を出すように心がけました。電話やパソコン通信などのメディアを使い、大会のプログラムから案内、その他一切の準備物を自分達の手で入力し、印刷の版下まで作ることも出来ました。企業への機器展出展依頼などの作業は、窓口となったメンバーが一人で、全て電話で行いました。申請書類も何度も書き直しました。

 当日、講師の先生から「君達は無謀に近いことをやったね!未だかつて地方の一団体が、厚生省の福祉専門官を引っ張り出した例はないよ」と言われた時は、我々のガンとした意図はあったものの、さすがに、その交渉段階では、最初から開き直りとも思えるような横着な行動や失礼のあったことを大いに反省をしました。

 催しに向けてのタイムスケジュールも、立てるだけで何一つ自分でこなす実感の無い身としては不安だけが先行し、何度作りなおしたか知れません。胃が痛くなるようなことや、1か月ほど前からは夜も眠れなかったり、開催前二日間は徹夜になりました。

 でも、その裏で我々を支えてくれたものは、岐阜県の福祉、地域リハの向上であり、「今ここで、他の誰でもない、我々重度の障害者がやるからこそ意味があり、やらなくてはいけないんだ!今やればきっと少しずつでも変わるんだ!」というメンバー間の暗黙の了解?、思い込みに近い自信のようなものでした。

 しかし、重度の四肢麻痺の我々が、今回催しを無事終了できたのも、準備過程を通して、また前日の会場作り、当日の手話や要約筆記などの部分において、一生懸命に我々を支え応援をしてくれた沢山のボランティアと、家族の理解と協力のおかげです!

 本当に有難うございました!!

●今後に向けて

 今回の反省点は、講演会のスケジュールが強行すぎたことや、機器展の会場が狭く、ゆっくり見てもらえなかったことで、企業の中にはスペース不足から持参した展示品を車の中にしまったままの所もあり、参加者より「今回の企画をもう一度見る機会を」という声も聞かれ、大いに反省し、今後への課題となりました。

 当日会場内で、記述式で取ったアンケートの解答率も高く、解答の中には県の福祉の取り組みや地域リハに対する積極的な提言や、熱い思いが多く、参加者の福祉、リハビリテーションに対する関心の高さを物語っているように思いました。こうしたことを踏まえ、今後も出来る限り情報のアンテナを張り巡らせ、我々障害者からも積極的に社会に参加し、発言、提言していけるよう心がけ、一翼を担えるようになることは勿論のこと、ぜひ機会があれば、また我々にしかできない企画に取り組んでみたいと思っております。

 最後になりましたが、今回参加された保健婦さんの1人が、会員が役割分担をし、張り切ってやっていることや、全員が背広にネクタイという様子を見て、「頸損と言うと、重度で常にベットから離れられないというイメージだったのに、全員スーツ姿で迎えられ、感激すると同時に認識をかえなくては…」といわれましたが、この言葉1つをとっても今回の催しに意味があったのではないでしょうか。

 1か月経ってもまだ虚脱感の残る今日この頃ですが、色々な思いを胸に、とりあえず進む道を模索しながら頑張っております。

(うえむらかずひろ 頸髄損傷者連絡会・岐阜)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1996年2月号(第16巻 通巻175号) 59頁~62頁