音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

1000字提言

手話を言語とする市民 Part Ⅱ

坂上 譲二

 最近、「福祉のまちづくり条例」とかで、障害者も共生できるようなまちづくりが行われている。具体的には、公共輸送機関の駅において、車いすの方のためにエレベーターの設置が急速に進んでいる。また下肢の不自由な方のために、歩道が整備されている。盲人のための点字ブロックは、街中のいたるところで見かけられるようになった。私の住んでいる藤沢駅でも車いすのためのエレベーターが設置されているが、どこにも障害を持っていない市民が、当たり前の顔をして乗り降りしている。社会の規範をどのように捉えているのか知らないが、私から見れば自分さえ良ければ良いという御都合主義の人々にしか見えない。

 さて、ろう者に対するまちづくりは、どのように配慮されているのだろうかと思ったが、ほとんど考慮すらされていない。社会は、理解できる障害に対しては常に優しいが、「ろう」という障害は社会には理解できないのだろう! ろう者は口話教育(ろう学校の教育)の弊害によって、日本語の取得及び学問の知識が不十分なまま社会に放り出され、社会においても知識を得られる場所が少ない。今の手話通訳派遣制度は、宗教的なまたは、政治的な色彩のある集会には手話通訳派遣ができない。このことは憲法で保障されている宗教及び政治的な思想を得る場所が、ろう者には無いに等しい。それ以前の問題として、行政が主催するあらゆる講演会等に手話通訳が配置されていない。ろう者がくれば手話通訳を用意するのではなく、ろう者が街を歩いていて興味をもった講演会等に入場しても、内容が理解できるように、常に手話通訳を配置することが求められる。

 アメリカの障害者に対する法律であるADA法の一例を挙げてみると、ろう者がホテルを利用した場合は、字幕付きテレビ、ファックス、来客を知らせる機器等を無料で供与しなければならないと定められている。これに違反した場合、営業停止などの厳しい罰則が課せられると聞いている。法律で律しなければ障害者の人権が保障できないことに一抹の寂しさを感じるが、障害者の人権の保障が、当たり前になる過渡期の措置であると考えると、やむを得ないだろう。福祉のまちづくりにあたっては、ろう者の声なき声を聞いてろう者の立場も考慮したまちづくりを推進して欲しい。社会が私達ろう者に対して「ろう」でないことを信じたい。私達ろう者は期待したい。明るい未来があることを……。

(さかがみじょうじ (社)神奈川県聴覚障害者協会理事長)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1996年3月(第16巻 通巻第176号) 50頁