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1000字提言

障害者同士のネットワーク

千葉 茂樹

 昨年8月、私たち家族はオーストラリア特有の広い列車でシドニーに向かっていた。人口およそ15万人ほどの小都市ウーロンゴン駅に到着したとき、白い杖を手にした女子大生が仲間と共に乗り込んで来た。

 視覚障害者である彼女は、仲間の誘導するままに空席についたがその様子はごく自然で頬笑ましいものだった。しかし我が家の中学生と小学生の子供は、それらをもの珍らしげに見詰めていた。

 やがて停車駅に2つほど停まると、仲間たちはすべて列車を降りて行き女子大生は1人になった。すると、彼女はさっそくカバンから分厚い点字のファイルを膝の上に出して、指先を使って読み始めたが、そのときである。ファイルの間から、印刷物らしいペーパー2枚が彼女の足元に落ちた。もちろん目の不自由な彼女には気付くはずがない。

 「お父さん、拾ってあげようか」

 中学生の娘が言いかけたときだった。私たちよりも、やや離れた席で話し込んでいた老夫婦の1人がすかさず立ち上がって、女子大生に近づくと足元のペーパーを拾いあげ声をかけたのだった。そのタイミングの良さと自然な物腰に、私たちは思わず顔を見合わせた。老人は、女子大生にちょっとだけ話し掛けたが、また何事もなかったように元の席に戻った。私たち家族は、軽いショックでその彼らを見守っていた。

 その私たちが、さらに驚いたのは列車がシドニーに到着する10分程前のことだった。女子大生は、カバンから携帯電話を取り出すと相手に向かって、列車の到着時間を告げ始めたのだった。そのことが、何を意味することかそのときの私たちには予想も出来なかった。

 やがて列車がシドニー駅に到着して、女子大生がプラットホームに降り立った所に、車いすの若者が近付いて来た。2人は、ちょっと言葉を交わした後で歩き出した。目の見えない女子大生は、車いすの若者に軽く手を添え駅の正面に向かって歩き出したのだった。その様子はまるで恋人同志に見えていたが、全くの初対面なのであった。

 あとで地元の友人に聴くと、オーストラリアの駅などには車いすのボランティアがいて、視覚障害者などのパートナー役を努めているのだという。私たちの国にも、いつかそのようなネットワークが出来ないものだろうか。

(ちばしげき 映画作家・日本映画学校副校長)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1996年3月(第16巻 通巻第176号) 51頁