音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

フォーラム '96

高次脳機能障害とリハビリテーションサービス

―特に脳外傷患者における問題点―

大橋正洋

1 高次脳機能障害とは

 疾病や外傷によって脳に損傷が起きると、さまざまな症状や障害が出現する。このうち身体障害は、外見から比較的簡単に障害の有無と程度を判断できる。したがって身体障害に対する治療法やリハビリテーションサービスは、多くが工夫されている。一方脳損傷者で、以前できていた動作ができなくなる原因には、失行・失認・失語・健忘症・意欲注意力障害・痴呆などの症状もある。これらは一括して高次脳機能障害と呼ばれる。

 高次脳機能障害は、外見から障害の性質や程度を判別しにくく、症状の正確な記述には医師や臨床心理士による専門的検査が必要になる。

 高次脳機能とは、複雑な精神活動を営むのに必要な一連の脳機能のことである。たとえば人間の脳は、目的に応じて手足の運動を意図し、情報を記憶し、視覚刺激から事物を認知している。それらの精神活動は、それぞれ大脳のいくつかの部分の連携で行われる。高次脳機能障害の場合、脳の一部が破壊されて症状が出現しても、残存部分の脳機能が再構成されると症状が軽快する可能性がある。失語症患者で、長年の間に症状が軽快する場合があるが、それはこのような代償が働いたからと考えられる。

 ロシアの神経心理学者であるルリアは、高次脳機能障害にリハビリテーション訓練を行えると主張した。具体的には、障害された脳機能を精密に評価し、残存部分の脳機能を見つけ、これらを再編成する訓練によって、障害された機能を代償させようというものである。しかし臨床上遭遇する患者では、いくつかの症状が合併していることが多く、症状の全貌を記述することや、残存機能を再編成する効果的な訓練は実施できないことが多い。また症状は環境や体調などで変動しやすく、動作を行えない原因を1つの症状に帰結することも難しい。したがって障害の認定を行おうとする場合も、医学的な判定基準は定まっていない。障害認定が難しいことは、高次脳機能障害を持つ一群の人々に、十分なリハビリテーションサービスを受けられないという不利をもたらしている。

 そこで本稿では、高次脳機能障害者が直面している生活上の問題や、リハビリテーションサービスのあり方について考察する。

2 高次脳機能障害のリハサービス

 高次脳機能障害を起こす原因疾患としては、脳クモ膜下出血、脳炎、低酸素脳症、脳外傷などがある。今回代表例としてあげるのは、高次脳機能障害への対応が極めて重要な脳外傷患者群である。

 1988年から1991年の3年間に、神奈川リハビリテーション病院へリハビリテーション目的で入院した脳外傷患者は170名であった。受傷時年齢の平均は30.7歳で、10代、20代の若者が圧倒的に多く、また男女比が約5対1と男性に多いという特徴があった。働き手となるべきこれらの人々が効果的に社会復帰できるかどうかは、社会経済学的見地からも重要な課題と考えられる。ちなみに脳外傷受傷原因の4分の3は交通事故であった。これらの患者は、関節拘縮、運動マヒ、記憶力低下、人格変化など極めて多彩な症状あるいは障害を合併していた。

 退院時の状況をまとめてみると、復学や復職ができなくなったため、とりあえず自宅復帰して家族の負担のもとに生活せざるを得なかった場合が170例中70例と多数を占めた。復学あるいは復職できなかった理由であるが、身体障害20例、知的障害22例、心理社会的障害による対人関係維持困難12例、その他16例となった。

 入院中のリハビリテーションプログラムとしては、理学療法士や作業療法士が身体障害へ対応するだけでは不十分であった。たとえば臨床心理士は、高次脳機能障害の評価や訓練を行う必要があった。ソーシャルワーカーは、脳外傷患者の家族へのカウンセリングを行うことが必要であった。なぜならば家族は、突然の事故、命が助かるかどうか心配して過ごした時間、重大な障害が残るとの宣告を受けた経験などから、心理的に不安定になっていることが多かったからである。

 このように脳外傷患者のリハビリテーションには、多くの専門職種による総合的な関わりが必要であった。しかし、一般病院で高次脳機能障害を伴う脳外傷者のリハビリテーション治療を行おうとすると、臨床心理士による認知訓練やソーシャルワーカーの対応は診療報酬外であり、経営上対応できないことが多い。さらに患者の年齢層が若いことから、入院プログラム以後の処遇を検討することが必要になるが、利用できる社会的プログラムが無いことも問題となる。

 ここで重症頭部外傷から救命されて、同じ時期にリハビリテーション病棟に入院した3症例を紹介する。いずれも20代半ばの男性で、1人は右片マヒと知能および記憶障害、1人は知的に正常であったが重度の四肢マヒ、そして残りの1人は身体障害はないものの重度の記憶障害および人格変化があった。3例とも障害が重度なため、退院の時点では社会的展望がひらけず、家族と生活しながら外来通院を続けるしかなかった。3例の家族は、同年齢で同じ時期に入院していた関係もあって、互いに情報を交換したり共にレクリエーションを楽しんだりする頻繁な交流を続けていた。

 この3例を6年間外来で経過を見ていたところ、身体障害が主たる問題であった2例では、わずかずつの機能改善があり、社会性向上を目的として身体障害者更正援護施設を利用できるまでになった。記憶障害と人格変化、すなわち高次脳機能障害が問題となっていた残りの1例であるが、制度上、身体障害者更生施設を利用することはできなかった。しかし、高次脳機能障害者が利用できる他の社会的プログラムは存在しない。またこの症例が身体障害者のための施設に適応できるかどうかに不安もあった。ただし他の2人の仲間がこの人の問題点を補ってくれることを期待できた。そこで軽度の失調症状に対して身体障害の申請をしたうえで、同じ施設に入所することができた。

 この3人の男性は、30代になってはじめて母親の介護の手を離れ、施設の社会リハビリテーションプログラムを経験できた。今後のことを考えると、就労や完全に自立した生活の開始は望めないが、社会性向上を目的とした具体的な一歩を踏み出すことができた。

3 米国の現状

 さてここで脳外傷リハビリテーションについて活発な動きを示している米国の状況を簡単に説明する。

 NHIFすなわちNational Head Injury Foundation は、1980年に脳外傷患者の家族8人が、患者のための社会的資源を探す目的で会合を開き、それをきっかけに発足している。その後10年以内に、会員が2万人近くに増加し、さらに脳外傷患者の治療に携わる専門家7000人が参加するまでに成長した。この協会の主な活動には、脳外傷に関する情報提供と治療研究への援助を行うことがある。1986年に、この協会が関連した脳外傷治療研究費の総額は4400万ドルで、これを現在の通貨レートで日本円に換算すると四十四億円の研究が行われたことになる。

 NHIFが毎年発行する脳外傷リハビリテーション施設一覧には、地域別に各施設の所在と、それぞれの場所で提供されるプログラム、スタッフの構成、ベッド数などが示されている。さらに患者の立場で施設を選択する場合の注意点、訴訟が必要な場合の弁護士の選び方、脳外傷に関する用語の解説、脳外傷患者の援助を行う米国のさまざまな組織などについての情報が示されている。

 NHIFは、米国でも成功した障害当事者団体であると思われる。しかしわが国には、脳外傷者が情報交換したり、どのような不利益を被っているかについて社会的啓発をする当事者グループが存在しない。脳外傷と限定せず高次脳機能障害者ということで考えると、年齢、傷病名、あるいは障害種類別など、どのようなグループ単位でまとめることが適当化、それについての検討もなされていない。

4 処遇するうえでの問題

 現行の制度で高次脳機能障害を処遇するとなると、身体障害者福祉法の対象に高次脳機能障害が含まれていないことが問題となる。障害を医学的に判定する基準もない。したがって福祉的サービスや社会的リハビリテーションプログラムが必要な症例にも、提供できる社会的資源や基盤を見つけることができない。

 おそらく高次脳機能障害者に必要な援助とは、長期生活施設の提供、生活訓練あるいは職業訓練を受ける場の提供、能力代償に必要な事柄の提供、家族への負担軽減措置、就労を維持するための援助などが考えられる。現行の制度を大幅に変更することができない場合は、高次脳機能障害者を知的障害者または精神障害者として処遇し、それぞれのプログラムを利用することが考えられる。しかし、それで問題解決が得られるかどうかについても検討がされていない。

(おおはしまさひろ 神奈川県総合リハビリテーションセンターリハビリテーション医学科)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1996年3月(第16巻 通巻第176号) 55頁