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検証ADA新時代

ADAという鎧

関川芳孝

●張り子の虎?

 昨年10月に客員研究員としてUCバークレー校を訪れているが、大学の講義の準備や学内事務などから解放され、日々マイペースで物事をじっくりと考えることができる環境に感激することしきり。久しぶりに、大学院時代からの研究テーマでもあり、自らの「ライフ・ワーク」と決めている「障害者の権利保障」の問題に立ち戻って研究を開始した。

 現在は主としてUCバークレー校ロースクールの図書館で、ロースクールの学生に混じって、法律雑誌や判例を読んでいるが、このような生活も大学院時代から振り返ると約15年ぶりのことである。私が大学院生であった当時には、いまだADAは成立しておらず、リハビリテーション法504条における差別禁止規定を中心に、障害者差別をめぐる法律問題を追っていた。当時の法律雑誌では、504条の法律上の効果をめぐる議論が活発であった。「504条は、確かに障害者に対する差別を禁止しているが、現実には実効性の乏しい『張り子の虎』にすぎない」として、黒人や女性に対する雇用差別を禁止する公民権法第七編の改正を主張する論稿が懐かしく思い出される。

 えてして高い理想を掲げて制定された法律には、法律が与える社会的影響を考慮して、骨抜きにされることが少なくない。ADAについても、「見ると聞くでは、大違い」ということもある。実際の執行状況を確認してから、コメントしても遅くないと考えていた。

●共和党上院議員、ボブ・ドールの経歴

 昨年の末には、民主党クリントン大統領は、連邦議会では予算をめぐって多数派の共和党議員にやりこめられながらも、巧みなフットワークと持ち前の打たれ強さで、ロープを背にしながらも何とか窮地を逃れることができた。クリントン大統領にとって、次のハードルは、11月の大統領選挙である。もっとも、相対する共和党は、湾岸戦争で注目されたパウェル氏からも断られ、現状ではクリントン大統領の再選を脅かすほどの候補者を選出できそうもない。マスコミでも、共和党の誰が候補者になっても、クリントン再選は動かないと予測している。

 目下のところ最有力候補とみられているのが、共和党上院議員ボブ・ドール。しかし、ドール議員は、高齢であり、クリントン大統領と比較すると見栄えがしない。しかも、公約として掲げている政策内容が玉虫色であることなどもあって、周知のように指名選挙においては超保守派ブキャナン候補やホーブス候補の追い上げに苦戦を強いられている。

 ところで、ドール議員は、障害者による社会参加の推進と権利擁護に積極的に取り組んできた。なかでも、ADAの制定に積極的であった共和党議員の一人であることは、関係者によく知られている。そのドール議員が、ADAに関する最近の特集において次のように述べている。

 「1968年に成立した建築物の障壁を撤去し障害者がアクセスできるようにすることを掲げた法律(Architectural Barriers Act)から振り返ると、ADAまでの長い道のりであった。障害者に対する我々の期待と彼らの社会参加の実績が伴って、ここまでこられた。私自身の考えではあるが、これは静かな革命以外のなにものでもない。しかしながら、ADAにみるような障害者に対する約束を守っていくためには、問題は当然山積しており、なすべき課題はいまだ残っている。……ADAは、重要で画期的な事件であるが、障害者に関する策定がADAの成立によって完成したわけではない。」

 先日、バークレー市庁舎にインタビューにいったときも、説明してくれた担当者はドール議員のことを話題にした。そして、「彼も実は障害者なんだ。戦争で負傷したのさ」と教えてくれた。彼の話ぶりからすると、仮に共和党に政権が変わったとしても、共和党にドール議員のような議員がいる限り、ADAに代表される障害者に対する政策に変更はないと覚悟を決めているようであった。

●ADAの内容

 ドール議員は、これまでも有力候補といわれながらも前のブッシュ大統領と大統領候補指名選挙を戦い負けている。ドール議員は、共和党ブッシュ大統領によるADA法案への署名を、1990年当時どのような気持ちで見守ったのであろうか。また、ADAの成立を演出する舞台環境からしても、役者は「ドール大統領」が打ってつけであったものと思われる。結局、チャンスから見放された古老の大物政治家は、大舞台には立てないということか。

 ブッシュ大統領が署名したADAとは、どのような法律であったのか。読者の多くは既にご存知のこととは思うが、今後の連載との関係もあるので、改めて簡単に説明しておきたい。ADAとは、「障害をもつアメリカ人法」といわれ、人権や国籍などを理由とする差別に苦しむ人達に対する公民権(差別を受けない権利)と同じ内容の権利を障害者に対して保障しようというもの。ここでは、①雇用、②政府、地方自治体による公的サービス、③ホテルやレストランなど不特定多数の客を相手にするサービス、④通信サービスという四つの領域において、障害を理由とする差別を禁止している。

 問題は、企業や自治体がADAが定める基準を遵守しなければどうなるかである。ADAのもとでは、差別を受けた障害者が、行政機関による救済、さらには裁判所による救済を求めることができる。救済の内容は、違法な差別を禁止したり、スロープをつけるなどの改善措置を命じたりするほか、事件によっては損害賠償の支払いも可能である。しかも、悪質なケースについては、連邦司法省から訴えられることもあり、そうなるとさらに違反金の支払いが必要になる。したがって、事業主や自治体が、ADAの存在を軽視し障害者に差別されたと受け取られるような対応をとり続けるならば、障害者から法的な責任を追及されることは確実である。ADAが決して「張り子の虎」ではないことは、またこの五年間の裁判例の積み重ねによって実際に証明されている。

 関係者の間においては、かかるリスクは事業運営にとって重大な支障をもたらしかねないものと受けとめられている。事業主や自治体でも、かかるリスクを回避するための障害者対応マニュアルを検討・作成しているところが少なくない。これらを読むと、従業員による不適切な対応のために、障害者から不愉快な差別的取扱いを受けたとして訴えられないように細心の配慮を払っていることが手に取るようにわかる。彼らは、障害者を「厄介者扱い」するならば、ADAのもとでそのツケが何倍にもなって返ってきかねないことを十分に承知しているからであろう。

●身体障害者優先のカリフォルニア州法

 前回では、バークレーを障害者の権利擁護先進都市と呼んだが、カリフォルニア州には、ADAに先駆けて既に障害者に対する様々な差別を禁止する法律が制定されていた。バークレー市において段差の解消やリフト付きバスの普及が進んでいるのも、カリフォルニア州法が既に差別を禁止していたことが大きいものと推察される。そこで、ロースクールで知り合った障害をもつ学生に、「ADAはカリフォルニアに住む障害者の生活にはどのようなインパクトを与えたのか」と尋ねてみた。

 彼は、ADAに先駆けてカリフォルニア州法が積極的に障害者の権利を擁護してきた実績を誇らしげに話した上で、ADAと比較するとカリフォルニア州法には幾つか致命的な欠陥があると語ってくれた。「カリフォルニア州法は、身体障害者に対する差別だけしか禁止していない。たとえば、知的障害者や精神障害者に対する雇用上の差別については、州法はなんらの保護も与えていない。知的障害者や精神障害者に対する保護は、連邦法であるADAの適用によって初めて可能となる」と説明してくれた。

 驚いて図書館に戻って現行の州法を調べたところ、現行のカリフォルニア州法が知的障害者や精神障害者に対する差別を禁止していないことを確認した。依然として彼らを「蚊帳の外」に置いていることは、私としても少なからずショックであった。ともすると、サービス利用の機会平等を「建物の構造を車いすで利用しやすくする」ものと考えられがちであるが、これなどは「身体障害者優先の考え方」を端的に表すものというべきであろう。

 それでは、身体障害者の生活に対しては全く影響はなかったのかと尋ねてみたところ、次のような答えが返ってきた。「細かにみればADA成立の意義を幾つも指摘できるが、なかでもホテルやレストランなどへのアクセスがより改善されたと思う。カリフォルニア州法は、新たに建物を建築する場合や建物を改修する場合についてしか、身体障害者に対するアクセスに配慮した構造にするよう命じていないからね。ADAは、既設の建物でも『容易に変更可能なもの』であれば、障害者がアクセスしやすいものに改造することまで求めている。障害者のアクセスに対する配慮を免れてきた事業主にとっては、ADAは大きなインパクトがあったと思うよ。」

●うろたえるライブラリアン

 今月号の原稿を書き上げて図書館を出ようとしたところ、「レファレンス」のカウンターの前で、車いすに乗った障害をもった学生が何やら図書館の司書の人に相談している。言語にも障害があるためか、ライブラリアンは、彼の話している内容が聞き取りづらい様子。

 ロースクールのライブラリアンは常日頃から、私のように英語がうまく話せない利用者にすらも、親切に対応してくれる。たどたどしい英語で「こういう文献を探しているが、見つからない」というと、実に親切にいろいろと調べてくれる。しかし、私の場合とは少し様子が違う。内容が聞き取れずにうろたえているのは、明らかに彼女の方。障害をもつ学生は、悠然として「俺の話が分からないのか」とばかりに、繰り返しゆっくりと説明している。ライブラリアンの彼女は、傍目からもはっきりわかるほど誠実で丁寧な対応で、彼が何を探しているのかを必死になって理解しようと努めていた。

 障害をもつ学生のジャケットの下にADAという鎧がちらりと見えたように思えたのは、私だけの錯覚であろうか。少しばかりライブラリアンが気の毒になりつつも、好奇心から立ち止まってジロジロみている自分に気づき足早に図書館を後にした。

(せきがわよしたか 北九州大学)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1996年5月号(第16巻 通巻178号) 34頁~36頁