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フォーラム'96

障害(者)の定義―英国の例

長瀬 修

 昨年12月にオランダの社会研究大学(Institute of Social Studies)で書き上げた修士論文で特に苦労したのは英語でのインペアメントimpairment、ディスアビリティdisability、ハンディキャップhandicapの使い方である。佐藤久夫が『障害構造論入門』 で詳しく論じているように、英語世界での障害に関する用語の混乱ははなはだしい。英語の論文だけにこの問題には神経を使い、その混乱に巻き込まれないようにするために、ディスアビリティを国連の「障害者の機会均等化に関する基準規則」などの用法(個人の機能的制約)で用いる場合には普通に印字し、英国の(社会理論の)用法に従う際(社会的不利を意味する)には斜体字にするという手の込んだ方法を用いざるをえなかった。

 初めて、インペアメントとディスアビリティの英国での定義がおかしいと思ったのは、Families and Disahility (家族と障害)という国連の国際家族年の資料を読んだ時だった。当時の国際知的障害者育成会連盟(ILSMH)、現在のインクルージョン・インターナショナル(II)のピーター・ミットラーとヘレ・ミットラーという2人の英国人が、国連事務局からの依頼で執筆しているものである。障害の社会モデルに触れた文脈の後で、障害者インターナショナル(DPI)の定義を以下のように紹介している。

  •  インペアメントは身体的、精神的、感覚的インペアメントにより起きる個人の機能的制約である。
  •  ディスアビリティは物理的、社会的障壁により他の人と同等のレベルで地域社会の通常の生活に参加する機会が失われている、もしくは制限されていることである。

 両ミットラーは続けて「したがってDPIの定義はハンディキャップの概念は誤解を招き、差別的となるとして用いていない」としている。

 しかし、これはDPI自身の定義、用法とは異なっている。DPIの定義では、前述のインペアメントがディスアビリティ、前述のディスアビリティがハンディキャップとそれぞれ入れ替わっている。すなわち、個人の機能的制約をディスアビリティと定義し、社会参加の機会の制限、社会的不利をハンディキャップとDPIは定義している。正確にいうと「英国以外のDPIは」、である。

 両ミットラーのハンディキャップに関する記述は、英国での用法に通じていないと誤解を招く。両ミットラー自身も英国DPIの定義が世界レベルのDPIのそれと異なっているのを意識しないまま、この記述を行っていると推測される。

 この社会的不利をディスアビリティで表現するのは、主に英国で広まっている、障害の社会的側面を重視する「障害の社会理論」a social theory of disability の用法であり、英国の文献等に接する場合には要注意である。

 同一組織ながら、英国DPI(BCODP)だけがなぜDPIの世界レベルの用法(基本的には国連の用法と同じ)と異なる用語を使うようになったのか。なぜ英国でだけ別の定義が広まっているのか。その疑問に対する一つの答を1981年に発足した英国DPI の初代会長のヴィク・フィンケルシュタインから次のように得られた。フィンケルシュタインはDPI発足当時の世界評議員も務めている。現在はオープン大学の教員である。

  •  インペアメント:手足の一部または全部の欠損、身体に欠陥のある肢体、器官、または機構を持っていること
  •  ディスアビリティ:身体的なインペアメントをもつ人のことを全くまたはほとんど考慮せず、したがって社会活動の主流から彼らを排除している今日の社会組織によって生み出された不利益または活動の制約

 この定義が……英国障害者評議会(BCODP)の定義として、同組織が1981年に私を会長として発足した際に、採択された。

 BCODPは1981年のDPI会議に3名の代表を派遣した。我々代表の任務の一つが世界保健機構(WHO)の定義をDPIが採用することへの抵抗だった……前述の定義を英国代表団が提案するとスカンジナビア諸国から強硬な反対があった。議論の中で明らかになったのはインペアメントとディスアビリティは国が違えば、意味も違うということだった。スウェーデンのベンクト・リンドクビストとノルウェーのアン・マリット・サポーネスと私がDPI の定義を再起草するという合意が得られた。

 結局[1983年にスウェーデンで開かれた第3回世界評議会で]以下のような合意が得られた。

  •  ディスアビリティは身体的、精神的、感覚的インペアメントにより起きる個人の機能的制約である。
  •  ハンディキャップは物理的、社会的障壁により他の人と同等のレベルで地域社会の通常の生活に参加する機会が失われている。もしくは制限されていることである。

 この定義を英国の会員に報告する際に、我々はDPIの新たな定義に言及し、英国では「インペアメント」と「ディスアビリティ」がそれぞれDPIの「ディスアビリティ」と「ハンディキャップ」の代わりにすることができると付け加えた。(強調は長瀬)

 英国では既に1970年代前半に、フィンケルシュタインの文中に出てくるインペアメントとディスアビリティの定義が、「隔離に反対する身体障害者同盟」(UPIAS)により提唱されている。DPIの国際レベルでは機能的制約をディスアビリティ、社会的不利をハンディキャップとするという合意ができたにもかかわらず、そういった背景を受けて、英国内では機能的制約をインペアメント、社会的不利をディスアビリティとする慣行ができてしまった模様である。

 とは言っても英国でも、この用法が普遍的かと言えば必ずしもそうではない。1986年に創刊された英国の国際的な研究誌は「ディスアビリティ、ハンディキャップと社会」Disability,Handicap&Societyと題された。ハンディキャップが含まれているのが注目される。発刊の目的として「ディスアビリティとハンディキャップに関する多くの問題と疑問が特別の関心を集め、議論される場を提供することである」とし、ディスアビリティとハンディキャップの両方が並列で記されている。

 しかし1994年の第9巻からハンディキャップが消え、「ディスアビリティと社会」Disability&Societyと改題されている。この改題を同誌の編集者は次のように説明している。

  •  ……障害者がコントロールし、運営している組織間で生まれつつある用語に関する国際的合意を反映させようと我々は努力していくつもりである。
  •  したがって「ディスアビリティ」とはインペアメントをもつ人に対して社会組織が押しつける経済的、社会的抑圧の複雑な仕組みに言及するものである。「ハンディキャップ」が障害者に関して用いられる際の明らかに否定的かつ抑圧的意味合いを考慮し、編集者会議は全員一致で誌名からハンディキャップを削除することを決定した。

 前段の「国際的合意」は英国DPIの定義を意味していると思われ、インペアメント、ハンディキャップ、ディスアビリティの定義に関する英国と英国以外の溝はいっそう深まるばかりである。社会的側面に焦点を当てる「障害の社会理論」が英国を中心に発展しているだけに、国際的共通語としての英語における用法の混乱には頭が痛い。

 前回はインペアメントとディスアビリティの英国の用法を取り上げたが、今回は昨年11月に成立した英国の1995年障害差別法(1995 Disability Discrimination Act:略称DDA)での障害disability、障害者disabled personの定義を検討する。本誌4月号(「英国の障害差別法の制定」小鴨英夫)が同法の概要を紹介しているので、参考にしていただきたい。

背景・批判

 まず同法成立の背景について簡単に触れたい。なお、英国では1975年性差別法、1976年人種関係法が存在している。

 英国障害者評議会(BCODP)によって代表される英国の障害者運動は長年にわたって障害者の公民権立法を求めてきた。すでに1982年には反障害差別法案が議会に提出されている(文献1・2 略)。しかし本格的な反差別法案という形を取るのは、やはり米国のADA成立以降である(文献3 略)。1994年には障害者運動が支持する公民権(障害者)法案が成立寸前というところまでこぎつけるが、保守党政権の頑強な抵抗により頓挫する。しかし法的な差別撤廃が必要という認識は政権側にもついに生じ、政府提出の法案が成立するに到る(文献4 略)。

 より強力な公民権(障害者)法の成立を求めていた障害者側からは、DDAの評判は悪く、真の差別撤廃はかえって遠のいたという声すら聞こえる(文献5 略)。筆者が昨年10月に英国を訪れた際に、成立寸前だったDDAが前進であると評価する障害者側の声は皆無に近かった。

 後に取り上げる定義以外での主な批判点は次の通りである(文献6 略)。

 *法の実施を保障する仕組みとしての全国障害者評議会の権限が弱体である。

 *中小企業が多いのにもかかわらず、従業員20人以下の企業には雇用関係の規定が適用されない。

 *3パーセントと規定されている障害者の雇用率を撤廃してしまう(英国の雇用率制度は納付金制度もなく、有名無実化している事情があった。文献7 略)。

 *教育と交通の規定が不十分である。

定義・医療モデルと社会モデル

 DDAのディスアビリティの定義は「通常の日常活動を行う能力について相当かつ長期にわたる不利な影響を及ぼす身体的もしくは精神的なインペアメント」であり、障害者disabled personとはディスアビリティを持つ者と規定された。この定義は典型的な医療モデルとして障害者運動側から批判されている。これを1995年の公民権(障害者)法の障害者disabled personと比較してみる。

 障害者とは次を持つ人を意味する。

 (a)その結果としてその人の主要な生活活動を1つ以上、相当に制限する身体的、感覚的、精神的インペアメント

 (b)そのようなインペアメントを過去に持った経歴

 (c)そのようなインペアメントを現在持っている、もしくは過去に持ったことがあるという評判(文献8 略)

 明らかに米国のADAの定義の踏襲である。振り返ってみると反差別法としてのADAの先見性、革新性はインペアメントの経歴と、インペアメントを持っていると見なされるという「見なし規定」によっても象徴されている。それはもちろん、ADAの障害者の定義の先行者である1973年のリハビリテーション法の先進性でもある。インペアメントを実際に持っていなくても障害者である。周囲がその人にはインペアメントがあると見なせば、その人は障害者だとADAは言っている。これは個人の問題であるという視点から社会の問題であるという視点への移行である。個人モデル、医療モデルから社会モデルへの移行である。

 さらに、見なし規定は例えば、HIVを持っていると見なされて解雇された場合に、実際にHIVを持っている場合には障害差別禁止の保護対象となるのに、持っていない場合には保護対象とならないという矛盾を防ぐ役割もあると思われる。また、プライバシーの保護という観点からも、ある特定の障害の有無にかかわらず差別禁止の対象となるのは重要である。

 ちなみに、ADAの定義はオーストラリアの1992年障害差別法にも明白な影響を与えている。同法でディスアビリティは、

 *現存する、

 *過去に存在したが現在は存在していない、

 *未来において存在するかもしれない、

 *その人が持っていると見なされている、

以上、全ての場合を含むとされている。

 なお、同法で注目されるのは見なし規定が入っている、過去規定があると共に未来に関しても明記している点である。

 これらの立法の後を受けたDDA審議過程において障害者の定義、特に見なし規定は、社会モデルを推進する運動側と政府側との主戦場となった(文献9 略)。見なし規定は、個人の持つある属性自体ではなく、社会の側が作り出す制約こそが問題であるという社会モデルにとって核心的な部分だからである。

 結果として、障害者運動側の主張にもかかわらず、見なし規定は採用されなかった。しかし、やけどや生まれつきの痣等、非常に「見かけが悪いこと」がインペアメントとされているのは、同法の中では数少ない貴重な社会モデル的視点の実現として評価されている(文献10 略)。「見かけが悪いこと」それ自体は「通常の日常生活を行う能力について相当かつ長期にわたる不利な影響を及ぼす身体的もしくは精神的なインペアメント」ではない。しかし、周囲が、その人に対して否定的に反応することで、結果としてその人に「不利な影響」が生じてしまう。これも、障害差別の一形態として保護の対象とする意義は大きい。DDAで見なし規定自体は実現しなかったが、「見かけが悪いこと」が対象とされることで、ある程度はカバーされることとなった。

「障害」の概念の拡大・拡散

 DDAの定義に関するもう1つの重要な争点は、未来の問題だった。DDAの付則は進行性のガン、多発性硬化症、筋ジストロフィ、HIVなどに関して、現在の状態が「相当な不利な影響」を及ぼさなくともインペアメントと見なしている。しかし、単に遺伝的に将来に進行性の病気を発病する可能性が高い場合は対象とならなかった。審議過程でも、ハンチントン舞踏病、アルツハイマー、多発性硬化症などのインペアメントを将来的に発症する可能性が高いという検査結果が出た個人を障害者に含めるという提案が繰り返されたが、政府は反対を貫き通した(文献11 略)。

 この問題に関しては米国の例になるが、1994年のネブラスカ州最高裁の判決が興味深い(文献12 略)。現実に発症していなくても、遺伝学的にある病気の発症傾向が高い場合は、その状態自体も病気であるという解釈を下したのである。これをアナスは同法廷の見解に従うならば、「受精の瞬間から、我々は誰もが病気である」という結論が導かれざるをえないと分析した(文献13 略)。

 誰もが同じ人間であるという言い方に代表される普遍志向の視点からは、誰もが病人・障害者であるという視点への転換は比較的容易にちがいない。誰もが同じ(人間、障害者)という視点は確かに不可欠だ。しかし、普遍志向だけではなく、障害を強調する差異志向も同時に存在しなければ、平等への道は逆に遠回りになるのではないかと筆者は危惧する。

 英国の例を中心に「障害」とは何か、「障害者」とは誰かを取り上げてみた。DDAの審議過程で争点となった、身体と社会、みなし規定、過去、そして未来規定は英国だけの課題でないことは明らかである。

(文中敬称略)

<文献> 略

(ながせおさむ 国際日本文化研究センター共同研究員)

付記 資料入手にご協力いただいた荒木美奈子(イースト・アングリア大)、久保耕造(エンパワメント研究所)、広井良典(千葉大学)各氏に感謝します。


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1996年6・7月号(第16巻 通巻179号)61頁~64頁・39頁~42頁