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ワールド・ナウ

バングラデシュ

「貧困」との闘い

岩本直美

 バングラデシュに暮らしておよそ3年、障害のある子ども達を村々に家庭訪問しつつ、この国の障害のある人達の生活の様子を垣間みながら過ごしてきた。したたかにたくましく生きる彼らとの出会いから、ささやかに感じてきたことをお話したい。

障害をもつたくましい女性達

 この国にいると「障害」そのものが霞んで見えてくる。決定的なことは金持ちか貧乏人かということ。たとえば身体的な重い障害があったとしても、金持ちであれば衣食住はもとより将来的な自己実現も様々な方法で可能である。逆をいえば、障害がなくとも貧乏であればサバイバルそのものも難しくなる。「貧困」は最初に闘う共通の巨人であり、この意味では障害のある人もない人も立場は同じといえるかもしれない。

 しかし、障害のある人達はさらに「障害に対する無理解」とも闘わなければならない。こう考えればここバングラデシュでは、貧しい障害のある人達が、付け加えるならそうしたなかでもさらに弱い立場にある障害をもつ女性達が、最もたくましく強くやさしくしたたかに、この国の存立を支えてくれているといえよう。

 貧しい障害のある人達の足枷は重い。8割以上の人達が農村部に住むこの国で、医療機関の9割近くは都市部に集中しているため、多くの人はまず村医者や祈祷師を頼る。その後効果がないとみると田圃や牛を売って治療費を捻出し、大都市の医師にかかる。何ら満足のいく説明もないまま紹介されるままにあちこちの病院を渡り歩き、お金を遣い果たし疲れ果て村に戻る。子どもの、あるいは自分自身の障害が受容できないまま、怒りと不信だけがしこりとなって残ってしまう。

 しかしそれでもとにかく生きて、生活していかなければならない。障害のある人達は無数に存在するNGOの収入向上プログラムや組合活動等の対象からも外されることが多いため、自分でサバイバルの道を探すしかない。

 そこで手っ取り早いのがお乞食様の仕事となる。これはかなりの収入となるため、障害のない人もしばしば目が見えないふりをして奮闘する。四肢に重い障害のある知人は以前自分で雑貨屋を営んでいたにも関わらず、お乞食様のほうが儲けが良いからとさっさと店をたたんで商売換えをしている。「北に住む障害のある人達は権利について語り、南に住む障害のある人達は明日の食べ物について語る」といわれる所以がここにあるのかもしれない。

排除されていない障害者

 当初ノーマライゼーションという言葉を聞くたびに、ある意味ではバングラデシュはずっと以前からその状態にあるのではないか、という思いをもった。いつでもどこでも何らかの障害をもつ人との出会いはあり、彼らは自分の生まれ育った町や村で生活し、人々は障害ゆえに彼らを地域から排除しようとは決してしない。国の施策面で多くを期待することはできないが、少なくとも日本で日々感じるような寒々としたものはない。自分が何らかの障害をもつ時には、日本よりもむしろこの国で生活したいと考えるのもこのあたりが理由かもしれない。

 しかしバングラデシュの障害分野は今微妙な岐路にあるのではないか。首都ダッカを見れば外国資本等による建築ラッシュで、障害のないものに都合の良い機能的・合理的な高層ビルが次々と建設されている。気になるのは、関わっている親や学校の教師達からもしばしば障害別の入所施設等があればと声が上がることである。他のサービス制度がなく子どもの世話がすべて家族、特に母親にかかっている状況のなかでそうした施設を求めるのは理解できる。

 しかし、私はこの国に日本での失敗を繰り返させたくない。いつも浮かぶのは、10年20年と施設を住みかに生活している日本で出会ってきた障害をもつ子ども達の顔である。障害のある人達が閉め出されたのと等しい割合で、地域は肌寒くなってしまったのではないか。

 バングラデシュでは貧しい障害のある女性を中心に地域主導型・農村主導型のリハビリテーション(CBR)ができないだろうか。地域の制度や伝統等の基盤の上に細やかなCBRが進められれば、その発展は誰にとっても居心地の良いものとなるのではないか。

(いわもとなおみ 日本キリスト教海外医療協力会看護婦)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1996年6月号(第16巻 通巻179号)75頁~76頁