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1000字提言

盲ろう者について思うこと

坂上譲二

 昨年の東京都聴覚障害者大会に出席する機会があったのだが、その折りに初めて盲ろう者に接した。前列の席の前に女性が膝まづき、席に腰掛けている男性の手を取って指を動かしていたのだ。予備知識として盲ろう者である福島智氏の著作である『渡辺荘の宇宙人』を読んでいたので、すぐにそれが指点字だと分かった。私たちろう者が手話通訳を通して情報を得るのと同様に指点字を通して情報を得ているのだが、色々と考えさせられた。

 私たちろう者は少なくとも視覚を通して自分で視覚的な情報の取捨選択が可能である。だが、盲ろう者は触覚及び嗅覚というある意味では消極的な感覚でしか社会を知る術がないのだろう。指点字通訳者及び手話通訳者を通して、言い換えれば他人の指を通して初めて社会との接触が可能になることから考察すると、盲ろう者としては指点字通訳及び手話通訳は命と同様であろう。

 式典の最後に盲ろう者協会の副会長の嘆願があり、その訴えは魂を揺さぶるものがあった。

 私たちろう者が社会における自立の要件として、手話通訳制度の確立を目指して運動を起こしている。十分に満足できる制度ではないが、少なくとも全国の市町村で手話通訳派遣設置が行われている。しかしながら、盲ろう者に対する指点字通訳者及び手話通訳者の派遣は実施されていないとのことであった。盲ろう者が人間として生きるためには制度の確立が急務である。

 来賓に東京都知事夫人が出席しており、熱心に耳を傾けていた。それから数か月後、東京都が盲ろう者の指点字通訳者及び手話通訳者の派遣に数千万円の支出を決定したとの新聞報道があった。東京都の英断に拍手を送りたい。従来の一般社会の価値観で考える福祉施策ではなく、障害者と言われる人々の意を汲み上げての福祉施策が必要であるということを示唆する好例であろう。

 障害者基本法には障害者に関する施策を制定する場合は、制定する場に障害者が加わり、意見を述べることができる旨を記載している。だが、すべての障害別の関係者が参席しているわけではない。障害者のニーズを汲み上げるには、また、本来の豊かな意味での福祉施策を行うには、学職経験者及び専門家の参席よりも、多数の当事者の参席が望まれる。このことが豊かな社会を創造していく上で必要だということを、行政は認識し真摯に考えていただきたいと思う。

(さかがみじょうじ 社団法人神奈川県聴覚障害者協会)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1996年7月号(第16巻 通巻180号)34頁