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高度情報化社会にむけて

パソコンと点字

福井哲也

はじめに

 私の手元に、1冊の古びた点字本がある。『点字文法(点字国語表記法)』(日本点字研究会発行、1966年)と題するこの本は、30年前の点字の書き方を解いたバイブルといえる書物である。この本の付録の「点字用具について」という項目の中に、次のような記述が見られる。

 「最近の科学技術の進歩は、我々の日常生活の合理化を推し進めて止まないものがあり、電子計算機の改良に伴って、今や煩雑な事務系統の作業までが機械的に処理されるようになった。こういった趨勢のもとで、比較的に機械と融合しやすい特性を持った点字は、運用の宜しきを得れば無限の可能性を発揮してくれるものである。」

 30年前、大型電算機がまだ珍しく、個人が所有するパソコンなど考えられない時代に、点字をコンピュータで処理することが、すでにかなり具体性のある夢として語られていたのは、誠に興味深い。さて、30年後の今日、点字の世界では何が変わり、何が変わらなかったのか、それが今回のテーマである。

点字器からパソコンへ

 点字を書くオーソドックスな道具としては、点字器(点字盤)と点字タイプライターがある。点字器は、点筆と呼ばれる針のような物で点字を1点1点打っていくので、能率はあまりよくないが、最も簡便な点字筆記具である。これに対し点字タイプライターは、点字の1マスを構成する6つの点に対応する6個のキーを押し下げて点字を打つ。1回の打鍵で1マスずつ打っていけるので、熟練すれば毎分300字以上書くことができる。

 点字は全盲者の生活を支える大切な文字であるが、不便な点もいくつかある。その1つが、一旦書いてしまうと書き直しが難しいということだ。点をいくつか余計に打ってしまったぐらいなら、それをつぶして修正もできるが、墨字(普通文字)のように何語も線で消して行間に書き込むといったことはできない。従って、点字で原稿やレポートを作成するのは結構骨の折れる仕事だし、住所録の書き直しなども大変である。こんな不便さを軽減するため、パソコン上で点字文書を入力・編集し、ディスクに保存したり点字プリンタで打ち出す方法が考案された。つまりは、点字のためのワープロである。

 これを実現するためのソフトのことを「点字エディタ」と呼ぶ。点字エディタでは、編集中の文書は画面に表示されるが、視覚障害者はそれを見る代わりに点字ディスプレイや音声合成装置を使用する。点字ディスプレイは、ボード上に並んだピンが上下して点字を形作る装置で、ピンディスプレイとも呼ばれる。表示部は普通1行で、20~40マスの点字が表示できる。点字文書の編集は、点字ディスプレイを見ながら行うのが最も確実で良いが、点字ディスプレイは高価なので、音声合成装置だけでやっている人が多い。また、点字プリンタも個人で所有する人はまだ少ない(写真1 略)。

 とはいえ、点字をパソコンで扱う視覚障害者は徐々に増えている。パソコンを使うメリットは、単に書き直しが容易なことだけではない。保管に場所をとる点字本を小さなディスクに収められるのも、大きな魅力だ。岩波新書1冊を点訳すると、B5版3冊になってしまう。だが、点字を電子データにすれば、その何倍もの情報を1枚のフロッピーディスクに収めておけるのだ。大きな辞典を大勢の点訳者が分担点訳し、そのデータをパソコンのソフトで検索して点字ディスプレイに表示するシステムも開発された。

 点字の情報を電子データ化すれば、電話回線を通じて送受することも可能となる。「てんやく広場」という点字情報ネットワークには、約1万タイトルの図書データが蓄積され、全国どこからでも利用することができる。

 また、携帯に便利な小型の点字の電子手帳も登場した。これは、点字を入力するキーボード、点字ディスプレイ、そしてデータを記憶・編集するパソコンの機能が1つにまとめられたもので、会議の記録や講義のノートをとるのに非常に便利である。ただ、これも高価で、学生などにはちょっと手が出ないのが実情である。(写真2 略)

ハイテクが万能ではない

 「ペーパレス・ブレイル」という言葉がある。直訳すれば「紙を使わない点字」で、パソコンで点字を扱うこと、あるいはそのための機器類を指していう。旧来の点字がもつ不便さを解消する新技術、といったニュアンスの言葉だが、視覚障害者は本当に紙を捨て、点字器を捨てられたのだろうか。もちろん否である。機器の操作が複雑であるとか、高価でだれもが手軽に購入できないという要因も大きいが、問題はそれだけではない。

 点字ディスプレイは点字を1行分しか表示できないので、紙の上の読書と比べると若干能率が落ちる。やはり、ページの広がりの中で文意を把握するほうが楽なのだ。また、全体の構成をざっと見渡すとか、複数の資料を見比べるといったことも、機械の上では案外やりにくい。原稿の校正をしていても、点字プリンタで印刷してみて初めて気づく誤りが必ずあるものだ。

 さらに、点字を電子化してディスクにとじ込めてしまうと、資料の個性が見えなくなり、かえって探しにくくなることもある。紙の資料なら、本棚のあのあたりに置いたとか、どれぐらいの厚さでどんな表紙だったといった記憶も手がかりになるが、ディスクのファイルにはそういう一種の実体感がないのである。

 これらの問題は、点字に特有のことではない。晴眼者が墨字文書をパソコンで扱う場合も、程度の差こそあれ、状況は類似しているであろう。人間はそう簡単に紙を捨てられない。電子化情報と紙の情報には、それぞれに良さがあるのであって、「ペーパーレス・ブレイル」が万能ではないのだ。

パソコンがもたらす点字の乱れ

 「パソコンを使えば、点字を知らなくても簡単に点訳できるのでは」と考える人が、実は非常に多い。確かにいくつかの点字エディタは、点字タイプライター式の入力(6点入力)以外に、カナキー入力やローマ字キー入力の機能を備えている。つまり、「ア」のキーを押せば「ア」の点字パターンが出てくるのである。ただ、これだけで「点字の知識が不要」とはいかないのだ。

 普通の日本語点字には、漢字がない代わりに、言葉の区切りにスペースを入れる分かち書きの規則がある。また、助詞の「は・へ」や長音の書き方も、墨字とは異なっている。一例をあげると、「妹は新潟へ行った」は「イモートワ□ニイガタエ□イッタ」と書く。特に分かち書きの規則は複雑で、これを習得するにはそれなりの努力が必要である。

 一方、漢字仮名交じりの墨字文書ファイルを自動的に点字に変換する「自動点訳ソフト」もいくつか開発されている。こちらも、漢字の読みや分かち書きの面で、どうしても誤変換が避けられない(筆者が1992年に行った実験では、新聞のコラムを自動点訳したところ、原文1万字あたり300個以上の誤変換があった)。後で修正を加えることが前提だったり、内容を即座に把握したい場面では、自動点訳ソフトも大変有効であるが、点字を知らない人が安易に使用すると、思わぬ悲惨な結果を招きかねないのだ。

 最近、点字を知らない人が点字エディタでカナキー入力したり、自動点訳ソフトで出したままと思われる誤りの多い点字資料が目につくようになった。パソコンの発達がもたらした弊害の1つといえるかもしれない。まず、我々視覚障害者自身が点字を大切にし、きれいな点字を求める姿勢を明確にすることが重要だと思う。そのことが、パソコンによる豊かな点字情報処理につながっていくものと信じる。

(ふくいてつや 東京都立北療育医療センター)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1996年7月号(第16巻 通巻180号)44頁~46頁