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文学に見る障害者像

有馬頼義著 『失脚』

二日市 安

自分と共通点を持った登場人物

 文学作品のなかに自分と共通点を持った登場人物を見出すのは、うれしいことであると同時に、恐ろしいことでもある。これからとりあげようとする有馬頼義『失脚』は、わたしにとってそのような種類の作品である。

 脳性マヒ者であるわたしは、ある時期、家族の意向でほとんど外部との接触を断ち、いわば幽閉状態で過ごしたことがあった。『失脚』の主人公茂呂吉春は、血友病だったために、外傷による出血を恐れる両親に外出を禁じられ、隔離同然の少年期を過ごした。

 この『失脚』が雑誌「中央公論」に連載されたのは、1958年で、わたしはまだつくられた幽閉状態から脱却できずにいた。それだけにこの小説の設定は強烈だった。

 たとえば、小説の中の吉春が閉ざされた門の内側に立っていると、同じ年ごろの少年が自転車に乗って現われ、いろいろと問いかけるシーンは、同種の体験を持つわたしを異常なまでに興奮させた。2人の出会いは叙情的ともいえるやわらかなタッチで描かれている。門脇耕司という名のその少年はやがて引っ越して吉春の前から姿を消してしまう。そんな環境のなかで思春期を迎えた吉春は、付添い看護婦の永石はつと結ばれる。だがはつは吉春の主治医と過ちを犯したのがもとで、解雇されてしまう。

絶望的な孤立感

 戦争が始まり、吉春の両親はあいついで病死した。そんな吉春のもとに、幼い日の家庭教師だった徳田節子が出現した。2人のあいだに淡い気持ちの揺らぎが生じた。

 吉春に召集令状が届けられた。理解のない帝国陸軍の過酷な訓練は、血友病者には死を意味する。吉春は悩んだ末、節子のもとを出て、夜行列車に乗って東京を逃れ出た。

 吉春より何歳か年下のわたしには、召集令状の体験はない。血友病の吉春が外見は健康なために、軍隊入りをさせられるのを恐れたのに対して、外見からして障害者そのものだったわたしは、誤解よりもむしろ蔑視を恐れた。しかし戦争状態の社会のなかでの絶望的な孤立感は、わたしにも共通している。

 小説のなかの吉春は、山口県の徳山にたどりつき、そこで永石はつと再会する。2人は小さな部屋でむかしの愛を取り戻した。

 戦争が終わった。混乱の焼け跡の町を背景に、ある人物に勧められるまま、吉春は国会議員の選挙に打って出た。自分は広島に落とされた原子爆弾の被爆者であり、いまも危険な症状を持っているが、日本の平和と復興のために止むに止まれず立候補したのだと街頭で訴えた。徴兵忌避をした卑怯者だと罵られて投石されたこともあったが、大出血にはいたらなかった。

 選挙は勝利に終わり、吉春は国会議員となった。だが思わぬつまずきが現われた。吉春が被爆者でなく血友病者であるという密告がなされ、裁判が開かれた。遠いむかし門を隔てて話し合ったただ1人の友人門脇耕司が、法廷に立たされた吉春の前に証人として現われ、彼が原爆被害者ではなく血友病者であることを証言した。経歴詐称で吉春の当選は無効となった。

 密告したのは、吉春が有名人となって徳田節子と再会するのを恐れたはつだった。泣いて詫びるはつの手を振り切って、吉春はただ1人旅に出た。九州のずっと片隅に自分と同じ病気を背負った者たちが小さな集団をつくってひっそりと暮らしていると聞いた吉春は、そこを自分の終焉の地とすることを決心するところで小説は終わる。

問題提起者としての有馬氏の姿勢

 『失脚』は、作家としての有馬氏のもっとも油ののりきった時期に書かれたものである。有馬氏はこれとほぼ同じ時期に推理小説『4万人の目撃者』を発表してその独創性を注目された。

 そのあとも有馬氏は人工授精の問題などをいち早く取り上げ、人工授精にまつわるモラルの問題を厳しく問い詰める姿勢をとった。小説である以上、今日的なテーマをある程度センセーショナルに扱うのが通例であり、有馬氏の作品にそういう傾向がなかったとはいいきれないが、問題提起者としての有馬氏の姿勢に真剣味が感じられたのは事実である。

 この『失脚』の場合、血友病者と原爆被爆者とのあいだにどれだけ症状のうえでの共通点があるのか、疑問に感じる向きも多いに違いない。しかし当時まだあまり広く知られていなかった血友病をテーマとして取り上げたのは画期的なことだったし、そのなかに障害者一般の背負わされている状況の過酷さをなまなましさと叙情性を適度に交えながら描ききっているのは、やはり見事といえよう。

ひとつの記念碑

 この作品の発表された1958年は、わたしにとってひとつの転期だった。茂呂吉春は血友病であるがゆえに過保護の状態に置かれ、一般社会から遮断されていたが、わたしの場合、脳性マヒ者であるがゆえに、世間体を恐れる家族から自宅に閉じ込められ、社会から隔離されていた。そしてこの1958年秋に初めて障害者職業指導所入所という形で一般社会に復帰したのであるが、その間にこの『失脚』のはつと共通の要素を持った女性の存在があった。

 この作品の大きな難点は、締めくくり近くで言及されている“血友病者たちだけの村落”の問題である。そういう村落が存在するというのは、おそらく有馬氏のフィクションであろうが、では血友病者を含めた障害者一般が、同じ悩みを持った者たちとのみ生活を共有することが唯一の解決策だとすれば、あまりにも救いのなさ過ぎる結末だった。

 薬害HIV訴訟における血友病者たちの積極的な姿勢は、40年を経た後の『失脚』の世界の超克である。その意味でも『失脚』は、障害者が通りぬけてこなければならなかった時期のひとつの記念碑といえよう。

(ふつかいちやすし 翻訳家)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1996年7月号(第16巻 通巻180号)48頁~49頁