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検証 ADA新時代

ADAと新しい企業社会のルール

関川芳孝

●機会平等の考え方

 前号で紹介したように、ADAのもとでも重度障害者の雇用は必ずしも進んでいない。これはADAが、障害を理由とする違法な差別を受けた被害者を救済するが、必ずしも就労を希望するすべての障害者に雇用を約束するものではないからである。障害のため仕事ができないことを理由にしてなされる不採用や解雇処分などの不利益取り扱いは、ADAのもとでは、正当な人事権の行使として許されている。重度障害者には、いささか厳しいハードルがおかれているといってよい。

 違法な雇用上の差別を受けるとは、わかりやすくいうならば、「仕事はちゃんとできるのに、障害を理由に、不利益な取り扱いを受ける」ことをいう。具体的な例をあげて説明しよう。たとえば、ガンに罹っている管理職のAさんが、ガンの手術と治療のため仕事のチャンスを逸したことから、使用者が腹を立て、Aさんを解雇したという事件がある。会社全体として営業不振が続くなかで、Aさんはガンに罹っていながら人一倍働いて、彼が管轄する部局は業績を上げていた。連邦裁判所は、これらの事実に基づいて、仕事ができる有能な管理職Aさんを、ガンに罹って治療が必要であることだけで解雇するのは、障害を理由とする不当な差別であると認定し、会社に対して損害賠償の支払いと当人の復職を命じている。

 このような例をあげると、保護雇用であるワークショップで就労していた重度障害者が企業に就職しようとする場合は、前述のケースと必ずしも同じような救済を期待できないとの疑問も生じてこよう。ADAは、「機会平等」の考え方に基づいており、「結果平等」とは一線を画している。すなわち、仕事をする機会が平等に与えられたならば、多くの障害者は障害をもたない者と同じように働けるものとの前提がある。したがって、これらの前提に当てはまらない障害者は、救済の対象から外れてしまう。これが、よくも悪くもADAの限界といえる。

新しい企業社会のルール

 しかしながら、かかる試練のハードルを越えてきた重度障害者に対して、企業などがさしたる理由もなく「経営権」や「経済効率」などを楯にして、就労の機会すら与えないことは著しく社会正義に反し許されないというのは、逆に説得力がある。このような考え方を反映して、障害者に対する機会平等の法理は、黒人や女性に対する機会平等の法理をベースにしながらも、これらのもとでも当然に肯定されてきた「経済効率を追求し能力主義を重視する」考え方を、実質的に修正している。すなわち、ADAは、障害者が職業リハビリテーションなどで身につけた技能が十分に発揮できるようにとの配慮から、企業に対して就労環境などについて「合理的な内容のものであれば、必要な便宜の供与」を求めており、その上で「当該職務の基本的な内容」さえ遂行できるならば、たとえ重度障害者であろうとも、同じように取り扱うことを命じているからである。

 黒人や女性に対する機会平等の法理のもとでは、経済効率や労働能力からみると、黒人の白人、男性と女性とは何ら違いがないと考えられている。にもかかわらず、これらの取り扱いに違いがあるのは、不公平であるので許されない。したがって、「同じものであるから、同じように取り扱え」というわけである。

 これに対しては、障害者に対する機会平等の法理は、障害が労働能力に少なからず影響を及ぼしている場合ですらも、同一の取り扱いを求めている。すなわち、経済効率や労働能力だけを重視する考え方だけからすれば、排除されてもやむを得ないと考えられてきた障害者についても、ADAのもとでは、「合理的な便宜の供与のもとで、職務の基本的な部分を遂行できる」のであれば、障害をもたない者と同一の取り扱いを求めている。いうならば、当該企業が必要とする労働力としてみて、「およそ類似のものであるなら、同じように取り扱え」とする点で、黒人や女性に対する場合とは、決定的に異なっている。

 企業としては、障害をもたない者には必要としない特別な便宜の供与を求められ、当該職務においては必ずしも本質的な作業とはいえない部分については、たとえ障害ゆえに遂行できなくとも、目をつぶらなくてはならない。しかも、賃金は、障害をもたない者と同額支払う必要がある。これが、アメリカにおける「障害者にも公正に雇用の機会を与える」という新しい企業社会のルールなのである。機会平等の法理に内在する「公平・正義」の考え方が、企業に対して「経済効率を追求し能力主義を重視する」雇用上の取り扱いを、部分的ではあるにせよ修正させたといえるであろう。

ADAは企業の活力を奪う?

 重度障害者の雇用において問題となる便宜の供与について、少し説明しておこう。便宜の供与とは、潜在的に職務遂行能力をもつ障害者に対して、彼らの能力が十分に発揮できるように、仕事の内容や作業環境を変更するなどの特別な配慮をすることをいう。具体的には、ADAのもとでは、職場環境をアクセシブルにする、仕事分担の内容を変更する、労働時間を変更する、障害者が使えるように配慮された特別の作業工具や備品を提供する、手話通訳や音読の補助をつける、別の仕事に配転するなどが一例としてあげられている。

 これらについては、もちろん特別に経費がかかることが少なくないが、わが国のように連邦政府からの助成金支給の制度はない。したがって、企業としては、便宜の供与が必要となることを理由に、障害者の雇い入れを拒否したいところであろうが、これが「過度な負担」となるとの証明に成功しなければ、便宜供与の拒否も違法な差別に当たる。ADAのもとでは、企業にはかかる経費負担を受忍することが、暗黙の前提となっている。

 このため、ADAの制定をめぐって、「企業の活力が奪われる」とか「企業経営に大きなダメージを与える」などの批判的な意見も存在した。また、現在でも、「障害者の雇用が進まないのは、企業が彼らの雇用管理にコストがかかるのを嫌って、雇い入れを控えているためである」との見方もある。しかし、ADAの成立から六年が経過しているが、企業がADAの影響で倒産したという話はきかない。便宜の供与は、当初懸念されたほどのコスト増をもたらすものではなく、「企業経営の常識の範囲内」で対応できるものというのが一般的な見方といえる。

 大手企業に代表される実業界のトップ・リーダー達に対してなされた最近のアンケート調査でも、全体の4分の3の経営者から、ADAのインパクトについて、「企業経営にもプラスとなる」との好意的な回答が得られている。彼らがどこまで本音で話しているかは定かではないが、大企業のなかでは、便宜の供与のため人件費コストがかかっても、「必要経費」として受けとめる覚悟を決めているようだ。

 最近まとめられた大手デパート、シアーズにおける便宜の供与に関する実態調査でも、92年から95年までの3年間において、便宜供与のための障害者1人当たりの平均コストは45五ドル。しかも、全体の約7割のケースが、何ら特別な経費の支出を必要としなかったという。逆に、500ドルから1000ドルもかかったケースは、全体の1%にすぎないという調査結果が報告されている。シアーズでは、これら必要とされた人件費コスト全体を考慮しても、「コストをはるかに上回る現実の収益が確保されている」というのである。確かに、これらのデータをみると、ADAは「企業経営に大きなダメージを与える」というのは、少しオーバーな表現のようにも思われる。

 もっとも、シアーズはかねてから障害者雇用に積極的な企業であり、多くの障害者が便宜の供与を受けながら働いてきた実績がある。したがって、かねてから職場は障害者が働きやすいように改善されてきており、今回の調査結果もこれら先行投資の上に新たに必要とされた経費としてみる必要がある。また、何ら特別な経費の支出を必要としなかったと回答されているケースのなかでも、アンケートの回答では考慮されていない間接的な人件費コストも随分とあるようにも思われる。たとえば、労働時間の変更や一部作業内容の免除などは、特別な支出が必要とされないケースとなる。

 したがって、かかる調査結果はすべての企業に当てはまるものとは思われないが、ADAのインパクトにどのように対応するかも、企業の経営手腕ひとつにかかっているといえそうだ。ただし、比較的企業規模の小さなところでは、全体のなかでやりくりするにも限度があろうから、障害者雇用に伴う人件費増は、企業経営にとって決定的なダメージとはならないにしても、深刻な経営問題となりうる余地は十分にあるものと考える。

(せきかわよしたか 北九州大学)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1996年9月号(第16巻 通巻182号) 59頁~61頁