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特集/新しい成年後見制度に向けて

成年後見制度に期待すること

-精神障害者の立場から-

池原 毅和

1 後見人を広く社会の中から

 精神障害者の立場から、あるべき成年後見制度に対する要望をするとすれば、第一は、後見人となる人を家族や身内からではなく、広く社会にその人材を求められるようにするということである。

 精神障害は、一種の中途障害であり、思春期以降に発病するものが多い。発病後の急性期を乗り超えひと段落すると、親の年齢は若くても50歳以上となっているのが普通である。

 全国精神障害者家族会連合会の調査では、親の年齢は60歳以上の者が6割を超え、70歳以上が約3割に及んでいる。後見人になってくれる人が地域社会に豊富にいなければ、結局は、後見人は親がやる意外になくなる。しかし、精神障害者の場合、その親が高齢である場合が多く、親を無理に後見人にすれば、本人も親も共倒れになってしまう危険性が高いのである。

 また、後見人は、医療の選択についても権限を付与されることになると考えられるが、本人の精神状態に問題がある場合(例えば、昼夜逆転した行動で家族も安眠できないとか、近所から異常な行動を指摘されているような場合)、同居の家族が、本人を強制的に入院させるべきかどうかについて、純粋に本人の利益を守る立場で判断できるとは限らない。こうしたことから、いろいろな場面で、家族に頼らない後見人の人材が必要になってくる。

 新しい成年後見制度の内容がどんなによいものとなっても、その担い手となる後見人の人材について、それなりの新しい社会資源を開発しなければ、後見制度は、実際上、旧来の家族構成員を頼りにするほかなくなってしまう。

 新しい後見制度は、民法の視点だけではなく、社会福祉的な視点を加えて考えるべきである。新しい後見制度の利用者は、物事を判断する能力に障害を有する障害者であり、後見人はその障害を補うための一種の福祉器具である。障害のある人々を地域で支えていこうとする理念からすれば、後見人という福祉器具を地域の社会資源として育てていくべきものと考えられる。成年後見制度の創設にあたっては、後見人の人材確保のための法的・予算的手当が不可欠である。

2 成年後見制度の配慮すべき点

 精神障害者のための成年後見制度として配慮すべき第2点目は、その判断能力である。後見制度とのかかわりでは、第一に、現行制度の心神喪失(禁治産者)に該当するほど重度に能力を失っている精神障害者は数のうえでも少なく、また、後見の必要性という点からみても、そうした状態にある人は、日常の取引や生活上の種々の選択をしなければならない可能性が低いので、後見の必要性が思うほど高くないということである。むしろ、後見人的な支援が必要なのは、通院しながらかろうじて地域社会で生活できそうな人たちである。こうした人々のほうが、医療を中断する危険性もあるし、日常生活面でさまざまな取引行為や生活手段の選択に遭遇する。そうした中で、悔いの残らない適切な自己決定ができるためには、自己決定を援助する後見人的な人材が必要である。

 現行法のイメージでは、準禁治産者の保佐人のように、本人に代わって決めてしまうところまではしないが、本人の決定に同意する権限はもっていて、重要なのは本人の相談にのりながら本人の決定を支えていくという後見の仕方である。後見というと本人に代わって決定をするというイメージをもちがちであるが、中軽度の判断能力障害を有する人々が、むしろこの制度の中心になるとするならば、後見人は可能な限り本人の自己決定を支える形で援助をすべきものと考えられる。

 第二に、精神障害者の判断能力の程度は流動的であり、能力が高まることもあれば低下する場合もあるので、その変化に対応した流動的で柔軟性のある後見制度が必要である。

 精神障害者の後見制度の原則的なスタンスは、右にみたような準禁治産者の保佐人類似の同意権者型の相談者的地位が相当だと思われるが、本人の判断力が向上すれば、同意権さえもない単なる説得者的地位(この場合、本人には後見人との協議・相談義務だけがあることになる)に後見人はなりうるし、逆に、本人の判断力が低下すれば、現行法の禁治産者の後見人のように、本人の意思とは関係なしに、後見人が判断するようにもなりうるであろう。こうした後見人の役割の変化が、手続きの面でも可能な限りスムーズに行えるようになっていることが望ましい。

3 任意的後見制度の必要性

 最後に成年後見制度との関係で、英国等の持続的代理権を参考にした任意後見の必要性も提唱されている。持続的代理権は、主として加齢のために判断能力を失った場合に備えて、あらかじめ代理人を定めておくものであるが、精神障害者の場合、判断能力の喪失が不可逆的でなく回復可能性がある反面、代理権授与時点でも判断能力に一定の障害があることが予想される点に特色がある。

 私は、地域社会で生活が可能な多くの精神障害の人々には、干渉度が高い後見制度よりも、むしろ本人との契約を前提とする任意的な後見のほうが原則であるべきで、精神障害者に対する任意的後見は、能力を失う前でも、自己決定を援助する方向で機能すべきではないかと考えている。しかし、この場合でも、本人の能力レベルとそれに適した後見人の関与のあり方は、第三者機関によって決定されるべきだろうし、本人の代理人をコントロールする力は十分ではないので、しかるべき監督機構も必要である。従って、成年後見法には、こうした任意的要素の強い後見制度についても、必要な条項を盛り込んでおくことが望ましいと思われる。

(いけはらよしかず 全国精神障害者家族会連合会顧問弁護士)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1996年11月号(第16巻 通巻184号) 13頁~14頁