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1000字提言

いのちの豊かさを知る

青木 優

 私は24歳の時、広島医大付属病院で医師としてのインターン中、結核性アレルギーによる網膜硝子体出血によって失明した。これによって私は三つの苦痛を経験した。不自由な暗い生活を強いられる肉体的苦痛、医師への道を断念せざるを得ない精神的苦痛、加えて社会的無能力者になってしまったという絶望の苦痛である。毎日死を願うような苦しみの中で私は呉平安教会の山田忠蔵牧師を通して聖書に触れ、イエスの言葉を聞いた。

 弟子たちが生まれつき目が見えず道端に座って物乞いをしていた人を指して「この人が目が見えないのは本人の罪かそれとも両親の罪か」と問うたのに対し、イエスは「本人の罪でも両親の罪でもない。ただ神のみわざが彼の上に現れるためである」と答えた。この言葉は、眼帯をしてベッドに横たわっていた私にとって大きな衝撃であった。このような私も「神のわざの現れるため」の存在たり得るのか。それならば生きていける、という決心を与えられた。自分はもう駄目な人間になったのだという想念からの解放であった。

 こうして視覚障害を負いつつ新しい道を歩み始めた私であったが、現実の社会の障壁(バリアー)は高かった。牧師を養成する大学への再入学も一旦は拒否され、卒業後の就職も晴眼者のようにすんなりとはいかなかった。しかし神のわざが現れるために進む人生であることを信じ、私は周囲の人々と共に生きる道を見いだそうと努力した。そのような中で失明当時自分が駄目になったという想念に悩まされたことが誤りであったことが次第に分かってきた。

 明治以来日本は富国強兵を目指し、戦後も経済大国を追い求める中で、その目的への貢献度に応じて人を評価する価値観を民衆に与え続けてきた。そのような価値観の中で教育された私も、医師への道は社会的貢献度が高く、障害を負うということは駄目な人間になることだと思い込まされていたのである。

 しかしその後、視覚・聴覚障害、肢体不自由のみならず精神障害者といわれる人々、知的ハンディをもつ人々、またその家族との出会いを通して、私は人間の痛みや悲しみをより深く理解することができるようになった。そしてこの人々のもっている優しさ・豊かさをも知らされた。自分の力を信じて人生の競争に打ち勝つよりも、弱さの故に隣人を知り共に生きることがどれほど素晴らしいことかを、今もなお知らされつつある日々である。

(あおきまさる 障碍を負う人々・子ども達と共に歩むネットワーク代表・日本基督教団調布柴崎伝導所牧師)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1996年11月号(第16巻 通巻184号) 36頁