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1000字提言

手話と私

ジョン・ディーリ

 手話サークル活動の他、経験によって感じたことをお話したいと思います。

 手話の勉強を決心したのは、ある友人から耳の聞こえない方を紹介されたのがきっかけでした。その時、手話で楽しそうに話す二人の様子は羨ましかったのですが、自分には到底覚えられないと思ったものです。その後その方と筆談をするようになると、時間がかかるだけでなく、感情がスムーズに伝わらないもどかしさがあり、手話の必要性を痛切に感じました。友人に対するライバル意識もあって、私は早速手話サークルを探しました。東京都小平市の「火曜会」に電話で“外人でもかまいませんか”と問い合わせると“どうぞどうぞ”と歓迎され、通い始めるとすぐに週1回の勉強では足りないと思い、保谷市の「さざん花の会」にも入会しました。

 両グループの方々が私の間違いやおかしなところを丁寧に直してくださったお陰で、ろう者との会話が自由になりました。すると、今まで知らなかった世界が広がりました。そこには健聴者にはないユーモアやものの考え方、素直さがあり、自分がこの独特の明るさを身につける必要性を感じると同時に、彼らには結婚、ろう児教育など諸問題があることが徐々に分かり始めました。そうなるとろう者運動とろう児教育、特にトータル・コミュニケーションについて勉強したくなり、早速その道の開拓者、米国のデントン先生に手紙を出しました。先生はご親切に手紙や資料を送ってくださり、私はそれを勉強し始めました。それ以来、日本の手話ができる“変な外人”という物珍しさもあり、各地方の手話サークルやろう者教会・連盟に所属しているろう者や手話サークルに属する健聴者を対象とした講演を頼まれるようになりました。内容は主にろう児教育問題、国際手話の見通し、日米手話の比較、親とろう学校との連携プレー、さらには筑波技術短期大学設立問題などでした。

 私は「ろう者とコミュニケーションをもちたい!」という気持ちがきっかけで手話を学び、ろう者の世界へ入りました。これはとてもラッキーだったと思います。もしろう教育者となる目的で養成を受けていたら、その段階で手話は言語ではなく単なる手振り、身振り、ジェスチャーであると固定観念で学んでいたかもしれません。今全国に手話サークルが何千とあり、ろう者が手話サークルに参加すると、健聴者のろう者に対する正しい理解が深まり、態度もだんだん変わってきます。

 次に機会にはろう者と手話サークルのかかわりについてふれてみたいと思います。

(上智大学)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1996年11月号(第16巻 通巻184号)37頁