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ワールド・ナウ

ベトナム

第1回ホーチミン市障害者コンサートを通して

土田佳毅

 今年4月にホーチミン市青年協会主催で第1回の障害者コンサートがホーチミン市青年文化会館の大ホールで開かれた。それまでにもホーチミン市の障害児学校の合同学芸会や競技大会(同市障害児教育研究センター主催)、車いすマラソン(スポーツ省主催)などは催されていたのだが、障害をもった子どもも大人も含めた障害者コンサートというのは初めてだった。ホーチミン市青年協会ではさまざまな催し物をホーチミン市青年文化会館にて行っている。本コンサートは同協会の中の障害者クラブが中心になって行われ、組織委員会5名の中には肢体障害の男性2名が入っている。

 コンサートは4月の毎週末に行われ、初めの3回が発表兼選考会、最終回が結果発表だった。参加者は15の団体と個人の計64名で、8歳から60歳まで。南部4省からの参加もあった。参加した15団体のうち8つが障害児学校、7つが障害者グループ。内容は歌-踊り、独奏-合奏、越流和歌-越詩、演劇-パントマイム。座席が500席ほどの大ホールは満員で、立ち見が層になっているほど盛況だった。コンサートにはペプシコーラ社の協賛があった。

 歌ではカラオケが多く、バックで障害をもっていない人がギター、ドラム、ベース、キーボードを生で演奏し、障害者が歌う。盲学校の生徒のみ、生徒が弾くキーボードに合わせ歌っていた。

 パントマイムはろう学校の生徒によって行われ、大変質の高いおもしろいものだった。また、発達障害児学校のダウン症侯群の生徒の踊りはなんとも可愛らしかった。

 劇では、例えば組織委員会スタッフも加わった肢体障害者のグループが音楽の授業風景を模して障害者の主張を訴えていた。クラスでの発声練習の音程をわざと外して観客を笑わせながら、一人ひとりが練習の成果を先生に見せる場面では、ある生徒がうつむいたままで歌わず「貧しくって毎日宝くじを売りにいかなきゃいけないから練習できなかったんだ」と言う。それを教師役が「障害をもっていたって、俺たちは社会に参加できる力があるんだ。仕事だってできる。臆さずに社会に入っていかねば……」と障害者と観客に訴える。

 ベトナムの障害者への対応は障害をもっていない人が「かわいそうな人にしてあげる」といった慈善的意味合いが強いなかで、この第1回障害者コンサートが行われた意義は深い。障害児学校の学芸会を組織するのは学校の先生たちである。車いすマラソンはスポーツ省による国内スポーツ選手権の副イベント。それらと比べて障害者コンサートは、障害者による、障害者が主役のイベントで、障害者が集って励まし合うのと同時に社会へ障害者の理解を訴える意味もあった。

 ベトナムの障害者団体による活動は今創設期にあり、これから国際的な障害者連帯の流れに乗ろうかというところだ。現在いくつかのグループはあるものの、まだ団体といえるものは盲人会しかない。現在ESCAP(国連アジア太平洋経済社会委員会)の後押しで、ベトナム障害者団体の設立が企画されている。このベトナム側窓口となっている労働傷兵社会省は意欲的のようだ。

 ホーチミン市では長く障害者が大学に入れなかったこともあり、障害者を統率する力のある障害者に乏しい。首都のハノイでは大学を卒業し、高い地位にいる障害者もおり、彼らはグループを作っている。1991年にはそのグループの2名の女性がバンコクで開催された障害者の女性の会議に出席し、その中の1名が1996年1月末に行われたマニラでのDPI(障害者インターナショナル)による障害者リーダーの講習会に参加している。また同グループはRI(国際リハビリテーション協会)の支援でハノイで障害者のための英語とコンピューターのクラスを1996年3月から始めた。

 以前は経済の停滞によりいつベトナムを訪れようとも全く変化のなかった町並みも、1986年のドイモイ政策以降1990年頃からその効果が顕著になり、現在は新しい家や近代的高層ビルの建設ラッシュ、道路整備、自動車の増加と変化のスピードが加速している。しかし新しい歩道やホテルの設備を見ても、残念ながら障害者への配慮は皆無だ。

 その中で先日筆者に、ホテルやタクシー会社も経営するホーチミン市最大手の国営旅行会社から、「障害をもった外国人観光客の受け入れに配慮すべきこと」の協力依頼があった。外国人団体ツアー客の中に時々障害者がいるが、現在はどの旅行会社も障害者に配慮したツアーは行っていないからとのことだ。私は今まで3回日本人の障害者をホーチミン市で受け入れた。ホテルのスタッフは優しいのだが、介助に不慣れで私はヒヤヒヤしていた。

 この依頼が売り上げ増のためとしても、社会に対して障害者へ配慮することが会社の名を高めるという雰囲気が出たともいえ、大いに歓迎すべきことだと感じている。ホーチミン市の都市化の程度とアジア各国のそれを比べると、ホーチミン市ではかなり肥大化の早い時期にこの気運が生まれているのではないだろうか。日頃ベトナムの障害者への配慮状況にがっかりしていた筆者は、この依頼があってからベトナムを見直し、もっと積極的に見るようになった。今まで経済が停滞して社会が動かなかった間に、世界ではさまざまな経験が積まれた。

 ベトナムはスタートが遅かった分まだ社会が柔らかく、世界での膨大な経験を活かして、経済発展の早い時期からの障害者への配慮を実行できる希望がある。前述のハノイの障害者のグループの今のような活動を可能にしたのは、国際会議出席により世界の障害者運動の流れを知ったことが大きい。今後のベトナムの行く末に期待し、また当事者による連帯を促進するのに興味ある方々の協力を切望している。

(つちだよしき ブリッジ・エーシア・ジャパン)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1996年11月号(第16巻 通巻184号) 72頁~73頁