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文学にみる障害者像

武者小路実篤著 『その妹』

由利雪二

明治40年代の文学思潮

 明治30年代の後半から40年にはいった頃の日本文学の世界は、自然主義が吹き荒れていた。島崎藤村の『破壊』や『家』、田山花袋の『蒲団』に『田舎教師』、あるいは正宗白鳥の『何処へ』、そして徳田秋声の『黴』と、自然主義の作品と指折り数えられるものはこの年間に発表されている。この自然主義文学に対するものとして白樺派の文学が出現したと説明されている。

 白樺派の活動は、雑誌『白樺』およびいくつかの衛星誌による活動が中心で、文学表現にとどまらず美術の分野まで広がる芸術活動となっていった。

白樺派

 『白樺』の創刊は明治43年の4月のことである。学習院の同窓の志賀直哉・木下利玄等の回覧雑誌から出発した文学活動は、前述の「白樺創刊」という文学史上の船出をした。学習院という貴族階級の学校の交遊グループで構成されていたのが、「白樺派の人々」である。『白樺』は、有島生馬・岸田劉生等の画家も加わり美術雑誌の趣もあった。

 武者小路実篤を中心とした白樺派の活動は、「新しき村」の建設を頂点としたが、その後、勢いをなくしていった。白樺の終刊は大正12年の9月のことである。

武者小路実篤

 戯曲『その妹』は、大正4年の白樺に発表されている。実篤には戯曲が多い。実篤自身作品『ある男』のなかで次のように述べている。

 「彼は小説より脚本の方に自信があった。彼は小説では地の文にこまった。そしてものを考えたり、あるいはシーンを想像したりするときはいつも会話で、其処にあらわれてくる人々に彼はなりすますことが出来た。」

 たしかに状況設定の詳細ははぶいて、魂の対話をはじめるのは実篤文学の特性でもある。そのほうが、生・死・愛・真・善・美などの彼の文学的主題にいきなり触れられるからでもある。

戯曲『その妹』のあらすじ

 主人公の野村広次は傷兵の中途失明者。妹の静子とともに叔父夫婦のところに身を寄せている。広次はかつて画家であり、画家として将来を嘱望されていたという自意識があった。失明による挫折感を味わいつつも、妹の静子の手を借りて、小説を書き自分の才能を開花させたいと願っていた。表題の『その妹』というのは、この広次の妹静子をさす。

 叔父夫婦は、美貌の静子を上司の息子に嫁がせようとしていた。この上司の息子、相川三郎は放蕩者として描かれている。

 この結婚から逃れるため広次とその妹は叔父の家を出る。2人の経済的支えになったのは友人の西島である。雑誌の編集者である西島は広次の小説を自らの雑誌に載せるが評価は芳しくない。

 西島は本を売るなどして兄弟の面倒を見続けているうちに、静子にひかれ恋心をを抱いてしまう。静子は自分たち兄弟が西島の経済的負担になっているのを悟り、さらには西島の自分への気持ちを知り、負担をさけ西島の家庭に波風を立てないため、相川に嫁ぐ気持ちを固めていった。

 広次は、静子が放蕩者の相川に嫁ぎ、そのことによって盲目の身の生活の安定があることを知り、現状の自分の無力さに嘆く。

戯曲『その妹』に現れた障害観

 実篤は、この戯曲において視覚障害という障害を描こうとしたのではない。才能のあるものが才能を発揮できない、その状況設定として「盲目の廃兵としての広次」を登場させている。白樺派の活動の主題である「天才賛美」と視覚障害は、この作品の中でどのように絡み合っているのであろうか、ここに視点をおいて考えてみたい。

 白樺派の運動は、単に文学運動にとどまらず総合的な芸術運動でもあった。この視点から見れば、「盲目の主人公」が将来を嘱望された画家であり、援助者の西島が雑誌の編集者であり、かつ友人の高峰が画家であることもうなずける。芸術活動に関係する仲間たちの世界で物語は進展する。実篤の言葉に、「食うに困らなかった彼等は、純粋になにも畏れずに愛し得るものを愛した。」というのがある。まさにこの作家の文学の信念であった。白樺派の作家たちはいずれも食うに困らず、それゆえ食うに困る状況を設定するのはそれほど巧みではなかった。

 「盲目の主人公」はこの状況を設定するために登場した、こう読むのは実篤に対して苛酷であろうか。実篤は、「白樺の人々は殆ど全部、食うことで困ったことはない。少年時代に於て、頭の一番固まる時代に於て、何事の印象も一番強く感じる時代に於て、食うことに困らなかった。そこで白樺の人のかくものは食うに困らない人が多い。」と言っている。主人公の広次は、「盲目」にならねば「食うに困らなかった」のである。

 実篤は視覚障害をどのように見ていたのだろうか。この障害を表すのに「盲目」という表現を次のように使っている。「あの小説の内に書きましたが、つんぼに作曲は出来ても盲目で画はかけない気がします。」と、現代の感覚には到底なじめない表現が使われている。

 実篤は主人公の広次に自分のことを、「有望な人間がもう一歩と云う勝利の自覚を得た時招集されて、戦争に行って盲目になって返って来たと思って下さい。諸君はその人に同情することを禁じないでしょう。」と語らせている。視覚障害者への同情が前提になってこの物語は展開していく。「私は他人の手を借りないで生きてゆかれない人間になりました。」と語る広次は、妹を愛しつつも自分の世話をするための者として見てしまう。画家として活動できないため、口述筆記により小説に取り組むがその心境は次のごとく、「今から盲目の字をならう気になれませんし。」

 「盲目の本と云うものには碌な本はないと思いますからね。」と、あくまで否定的である。

 戯曲『その妹』は、実篤の作品として「否定」という不思議な色彩を帯びている。「天才」が挫折するのは、障害という立ち直れない災難によると言っているかのようである。

 幕が下りる前に広次は妹の静子に次のように嘆く。「お前をとりかこんでいる災をとりのぞいてやりたい。だがその力はない。力がないですましているのをすまなく思う。だがこの目ではしかたがない。身体を大切にしておくれ。僕の仕事もその内には目鼻がつくだろう。」

 白樺派の人びとは、天才を熱愛した。白樺派の運動は天才賛美の運動でもあった。天才が「盲目」という挫折の中でもだえるのが、この作品『その妹』の主題であったのだろうか。

(ゆりゆきじ 俳誌『からまつ』主宰)

<参考文献> 略


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年1月号(第17巻 通巻186号) 49頁~51頁