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海外自立生活新事情

スウェーデンにおける知的障害者のグループホーム(その2)

定藤丈弘

グループホームでの生活状況

 私はスウェーデンの中都市リンシェピン市に滞在中、3つのグループホーム(以下GHと略す)を見学した。1つは市の郊外にある農園をもつGHであった。ここは強度行動障害をもつ人たち5名の集合型GHで、8名のスタッフによるケア態勢がとられていた。農園では養鶏や養豚、トマトなどの温室栽培、じゃが芋づくり、ハチミツの生産などが行われ、障害者はスタッフのケアを受けつつ、農園の仕事に参加していた。スタッフに障害者の変化を聞くと、「1991年ごろに施設から移ってきたが、施設生活に比べて明らかに情緒的な安定がみられ、生き生きと活動的になってきた」、という明解な答えが返ってきた。

 2つ目のGHは市街地のエステルイエタガータンというところのアパート群にあり、1階のスタッフルームをキーステーションに、10名の障害者が一般アパート群に分散して居住しているサテライト型GHである。前号で紹介した約六十五m2のアパートに住むニーナ氏は別として、他の9名は約42m2のアパートでそれぞれ生活し、比較的軽度な障害のため、6名のスタッフが午前9時から午後3時、午後3時から午後7時に分散して勤務し、土、日曜も交代勤務していた。

 ニーナ氏(44歳)はダウン症で、20歳まで親と同居、その後入所施設、他のGHを経て現在のGHで生活している。家賃、食費、小遣い、その他の生活費は年金から支払っている。ウイークデイのうち、4日はデイセンターで働き、水曜日だけは在宅でスタッフの支援を受けつつ、家事能力の獲得などのための生活トレーニングに取り組んでいる。いずれも夕方からはGHのアパートで自由な時間を過ごしている。土・日曜日は本人が望めば、GHの共有リビングルームでGHの他の仲間と交流したり、買物や食事に出かけたり、音楽やその他の趣味のサークル活動に参加している。彼女には同じGHの仲間の1人であるボーイフレンドがいて、その交際にも忙しい。以前の居住形態と比べて、自己決定、自由選択の幅がはるかに広がっている。

 この種のGHでの生活は、GHの問題点として指摘されていた一定の集団生活上の規制もほとんどなく、地域統合が最も進んでいる居住形態の1つであるから、従来のGHの発想を超えるものがあり、これ自体知的障害者の居住形態のゴールの1つとして評価できるように思われる。

 3つ目は市の郊外に近いところでシェーナと呼ばれる集合型GHを見学した。ここは92年に創設され、知的発達は2歳ぐらいまでのレベルといわれる、重度で、身体障害の重複も多い最重度級障害者5名が利用しており、もう1つ93年にできた同じレベルの重度障害者5名が利用するGHと一ユニットを形成しており、年齢的には21~57歳までの利用者がいる。

 1人当たりの居住空間は2LDKタイプの48m2(2人の車いす利用者はそれぞれ52m2)で、各々のベランダもあり、スタッフルーム、共同台所や共有のリビングルームおよびその両サイドにある2つの共有ベランダともゆったりしていて、その生活居住空間の快適さは目を見張るものがあった(93のものは基準改定により、標準は1人当たり39m2となる)。

 重度障害者でマンツーマン的介助も必要なため11名のスタッフ(もう1つのホームも11名、デイセンターの2名の専任スタッフを入れて、1ユニット24名で構成)がいて、医療的ニーズも高いので非常勤の医師1名、看護婦2名による医療サービスネットワークもつくられている。午前、午後は8名のスタッフが障害者が利用するデイセンターにも出向しつつ勤務して、夜間は3名が交代制で勤務し、必ず1名は起きている態勢にあり、週末は交代制で2名常駐となっている。

 利用者は障害が重いので、とりわけ1日、1週間の正常な生活リズムが保たれるような支援が心がけられている。朝はベッドから立ち、シャワーを浴び、食事後、ウイークデイはデイセンターに通い、外出や生活訓練、音楽療法や時にはプールや乗馬などにも挑戦するなど、生活の質(QOL)の向上を図り、4時に帰宅した後はできるだけ自由時間を享受できるような支援がなされている。

 どんなに重度でもその障害に適した通常の生活を形成できることがここの目標であり、「2LDKの住居の持ち主となり、プライバシーを大切に守られるように支援されることも人間としての尊厳を保つために必要である」と強調されたことが強く印象に残った。

 ニーナ氏の家では、障害者のためのさまざまなレクリエーションのあり方について掲載されている月刊誌も紹介された。このようにノーマルな居住空間の確保だけではなく、月単位のよりよい余暇の過ごし方の検討なども含めた一人ひとりのQOLの向上を目指したサポート態勢を作り上げるための努力がここではなされている。

われわれはスウェーデンから何を学ぶのか

 スウェーデンの知的障害者のGHは、実験的試み(入所施設サービスの補完的形態)→居住選択肢の一つの形態→ノーマライゼーション実現の中核的居住形態(入所施設はGHの補完的形態化、解体化)として発展している。知的障害者とその親全体の入居ニーズを充足するための量的整備はまだ課題として残されているが、その居住空間の快適さ、専門スタッフの充実、QOL的処遇の充実など、ノーマライゼーションの理念を具現化したものとなっている。

 これと比べるとわが国の知的障害者、家族のおかれている現状は極めて厳しいものがある。1989年にGHの制度化が図られ、毎年全国的には100か所以上の創設がなされ、4名の障害者に世話人1人という軽・中度の障害者に基本的には限定されていたGH施策も、96年からは重度障害者も入居可能となるような補助金改正がなされたと宣伝されているとはいえ、その平均的居住空間は共同下宿レベルのものであり、補助金額、世話人数からみても重度障害者の安定した入居を可能にするにはほど遠く、入所施設の補完的レベルに留まっているのが現状である。

 スウェーデンが達成したレベルを目標とするかどうかは今後の検討課題としても、少なくともノーマライゼーション理念がわが国における障害者福祉の目標として位置づけられることに一定の社会的合意がある以上、その先進国スウェーデンから何を学ぶべきか、ここではその理念的課題についてのみ若干整理しておきたい。

(1)入所施設との関係:GHをどんな重度障害者でも入居し、安定して利用可能な居住形態にしていくには、入所施設との関係を明らかにしていくことが求められる。

 わが国ではGHが制度化されて8年たった今日でも、“入所施設もGHも”という目標が21世紀になっても掲げられることになる。入所施設もGHもといっている限り、(最)重度障害者は入所施設、GHは中度・軽度障害者(せいぜい一部の重度障害者)という図式は変わらないからである。スウェーデンも当初は施設補完型のGHづくりであったが、一定の期間を経て、施設建設の凍結→施設縮小、解体の道をたどることによって、最重度障害者も包括した安定した内容のGHづくりが進展することが可能となったのである。少なくとも新たな入所施設建設を凍結して、それに要する財源を重度障害者も入居可能なGH建設に充当していく施策を展開することが1日も早く求められる。

 そこで一定の時間をかけて、入所施設の利用人員の縮小化(GHへの移動化)を図り(過渡的措置として定員割れした入所施設にはそれを望む在宅待機の最重度障害者の居住化を進める)、スウェーデンのように本格的な施設解体に向かうかどうかは少し時間をかけて社会的合意形成に従うべきではないか。スウェーデンでは入所施設の施策がQOL化に向かっても、なお入所施設サービスのもつ問題性への厳しい深刻な反省が、GH化を本格化させる原動力の1つともなった。わが国ではその点もあまいのではないか。もちろんそのことは現状GHの内容の貧しさとも相関している。この悪循環を克服するにはノーマライゼーション理念の原点を見直すことが求められる。

(2)社会福祉処遇理念のあり方:実質平等とニーズ中心主義理念

 入所施設からGHに居住場所が変化しただけではノーマライゼーションとして十分ではない。個室もあり共同プールもあった入所施設を解体し、このような内容のGH化を目指すことが政策決定されたことは、1人平均40m2以上が通常の居住環境条件であり、人間としての尊厳を維持するためには必要である、と判断されたからである。このことは、ノーマライゼーション理念が障害者も含むすべての市民、住民の実質平等を権利として保障することを目指す考え方であることを示すものである。

 むろんわが国の平均的居住環境はスウェーデンに比べて低水準であるから、スウェーデンのGHの居住空間は日本の具体的目標とはならないかもしれない。しかしわが国のGHは共同下宿レベルであり、1人当たりの居住空間はワンルームマンションのレベルにも達していない。そしてそれを当然視する風潮があるのは、わが国では福祉サービス利用者への劣等処遇の原則の理念(福祉サービス利用者の生活レベルは自活勤労者の平均的生活水準よりも絶対的に以下でなくてはならない)が依然として実質的に根強く残存しているからである。この前世紀的発想を批判し、克服することなくしてノーマライゼーションの道は絶対的に開けない。

 むしろリンシェピン市のあるGHで、標準48m2だが車いす利用者には52m2の居住空間が提供されたように、介助・援助の必要性の高い障害者ほど、通常の生活条件より以上の条件が必要となるのであり、要援護性の個別的ニーズに応じた通常の生活条件の充足を目指すのがノーマライゼーション理念なのである。

 さらに、重度の知的障害者の人権重視から出発したノーマライゼーション理念は、利潤追求的な生活活動にまったく役立ち得ないと思われる重度障害者への福祉の公共的投資は冗費であり、後回しにしても当然であるといった経済的効率性を重視する社会効用的処遇観と対立し、それを克服することにより生成している。

 わが国では残念ながら、このような社会効用的処遇観が支配的な理念として今日でも維持されている。だからこそ、重い障害をもつものほどその支援策が後回しにされたり、放置されても、財政的制約上やむを得ないこととして片付けられてきたのである。重い障害をもつゆえに、深刻で切実なニーズを抱えたものへの支援施策こそ、平等原則に立ちながら、優先的、計画的に対応すべきである、というノーマライゼーションの発想転換が強く求められるのである。

(3)社会的扶養優先理念の確立

 表は日本とスウェーデンの成人障害者の居住形態の比較(1990年)を行ったものである。この表にみられるように、日本では親同居と入所施設への選択だけで88%を占め、この5年でGH増によるGH入居者の利用割合が少しは増加しているとはいえ、未だに親同居か入所施設の選択が多くを占めている。これに対してスウェーデンではGHを中核に居住形態と選択肢が多様化している。両者の顕著な相違は、日本が親同居が54.2%と5割を超え、依然として親や家族の扶養優先のシステムになっているのに対して、スウェーデンの親同居は2割に過ぎず、社会的扶養優先のシステムが確立していることである(第1回の表2で紹介したように、GHの充実とともに92年には親同居率は19.7%と減少しており、今後一層の減少も予測される)。

日本とスウェーデンにおける成人知的障害者の居住形態の比較(1990年)
  入所施設 GH その他 親同居 自立生活
日本 33.8 2.6 5.7 54.2 3.7
スウェーデン 22.4 35.9 1.8 22.4 17.5

日本:1990年厚生省全国実態調査結果より

 この結果、わが国では未だに障害の重い子どもをもつ親ほど、“親なき後の入所施設の充実を”が叫ばれている。これは、“親が生きている間は基本的には親が同居し扶養、介護するから、せめて親なき後は入所施設で社会的に扶養してほしい”とのことであり、これほど日本の福祉の後進性を象徴的に物語るものはない。これでは重度障害者は一生を“保護的存在”として終始し、親もその障害者を残して本当に安心して死んでいくことはできないであろう。親が元気なうちに、わが子が親の手を離れて社会的なサポートを受けつつ自立している姿を見とどけてこそ、親は安心して旅立ちうるのである。それを可能にするのが、最重度障害者でも成人になれば安心して利用可能なGHづくりであることをスウェーデンの実践が示しているのである。

(さだとうたけひろ 大阪府立大学)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年2月号(第17巻 通巻187号) 42頁~45頁